はてなキーワード: 社会生活とは
俺は多分ADHDで何とか社会生活をやっているが、内心、こんな迷惑な奴は生まれてくるべきじゃなかったのではと思っている。
ただ、学力だけはあったので、都内の有名大学を出て学歴パワーで普通に就職できてしまった。
一応学力はあるっぽいので、どこに行っても最初の半年ぐらいは上司に成長を期待される。が、それが辛い。自分がいらない人間なのではないかと思い始めると、気がついたら一日が終わっている…そんな日が月に1~2回ある。どうしてもある。
無断欠勤になるので、最初のうちは上司も気をかけてくれるのだが、だんだん、単に怠けているだけなのではないかと勝手に理解する。こいつは口だけでやる気がないんじゃないかと。
そうやって、3回ぐらい転職して、今の職場にたどり着いた。今の職場でも上司は俺をやる気がないと見放しているが、全くやらないわけではないので使ってもらっている。
迷惑な奴は生まれてくるべきじゃないと思っているのに、一応働いているからか、なぜか結婚できてしまった。んで、妻が妊娠してしまった。
今になって申し訳なくなる。俺一人だけなら、そういう迷惑な奴は自分の遺体を処理する費用ぐらい稼いで自殺すれば、生まれてきてしまったのは申し訳ないが、社会全体でトータルに見ればとんとんなのでは、と思う。
しかし、子供は違う。俺は社会に迷惑な奴を、ADHDを増やそうとしている。
本当は今からでも堕ろした方が社会のためだとわかっているのだが、妻は産む気まんまんだし、堕ろせと言っても聞かないだろうし、無理強いすれば離婚されて妻の実家に子供が引き取られるだけだろう。
俺は社会のためにできることはなんだろうか。子供が生まれてから、お前は産まれるべきじゃない人間、社会の役に立たないゴミなのだと、俺が言われてきた事を親の俺の口から吹き込んで教育すれば、大人になって社会に迷惑をかける前に、ちゃんと自殺してくれるだろうか。しかし、それもうまく行くとは限らないしなぁ…
どうすれば社会のためになるのだろう。やっぱり、今すぐ、堕ろせ、俺みたいな社会のゴミを増やすな、と遺書を書いて、妻の目の前で俺が自殺してやる…というのが正しいのだろうか…
父が認知症になったのは3年前のことだ。悪化したのが2年前の夏で、そこから2年で要介護の認定を受けた。70歳台前半でこの状態というのは平均よりも早く、進行も速いらしい。
2018年になり、私は実家に戻ることになった。親と同居するのは10年ぶりになる。認知症になってからの父と暮らすのは初めてだ。帰省で2、3日いるのとはわけが違う。
母は介護と家事と仕事で疲弊していた。介護士の人に母の外出中だけ父を見てもらっているが、彼らのいない朝や夜ほどやることは多い。私も仕事があるので、母のいない日中をカバーすることはできない。ワンオペから脱しただけでも御の字と母は言うが、どこまで力になれているかは疑問だ。
父は家族に対しては何処までも優しく、一度も怒鳴ることも手をあげることもなく、料理と日曜大工と植物の世話が好きで、グルメでワイン好きで、読書家で博識で、母が昔病気をした時は付きっきりで看病したり家事をこなす、こうやって並べるとちょっと信じられないくらい良き家庭人であり、知識人だった。それは今も変わらない。ただ本が読めなくなり、包丁が持てなくなり、服に頓着しなくなり、会話が成り立たなくなり、自分で服を着たり用を足したり風呂に入ったりできなくなった。前半は習慣から消え去り、後半は母が介助している。
認知症はタンパク質が変質し、脳が萎縮していく病気だ。萎縮する箇所や速度は人それぞれで、予測することはできない。萎縮による記憶や能力の衰退も、人格や活動の変化も顕出するまで分からない。もちろん治療法もない。ただ、いくつかの傾向はあるらしい。父の場合は次の2つが表れた。ひとつめは一日に独自のルーティーンを作ること、ふたつめは何に対しても否定から入り、気難しくなったことだ。どちらも典型的な認知症の症状だ。
父は毎日、カフェに朝食を買いに行く。毎日同じものを頼むが、ストローをもらえなかったり店員の態度が気に食わないと不機嫌になり、店に迷惑をかけたこともあるそうだ。だが母が一緒に行くとそういうことはないという。
父は毎日、昼食を同じ店に食べに行く。時計の進みが正確に把握できないので、毎日開店前に行っては入店を断られ、やはり不機嫌になって帰ってくる。でもしばらくするとそれを忘れてまた足を向け、食べて帰ってくる。
父は毎日、ケーブルテレビを見ている。大好きな洋ドラはおとなしく見ているが、CMに入ったり日本のドラマに切り替わると文句を言いはじめる。でもお手洗いに行っている間に録画しておいた洋ドラに変えておけば、けろりとそれを見ている。
父は白身の刺身を食べなくなった。鯛やかんぱちという魚が分からないからだ。風呂にひとりで入れなくなったのは身体を洗う順番が分からないから。文字は読めるが新しい知識は入らない。郵便受けに手紙を取りに行くことは覚えているが、その後どうすれば分からないからその場で捨ててしまう。食後には皿を片付けてくれるが、洗うことを忘れているのでそのまま戸棚にしまおうとする。
ルーティーンはある日突然変わったり、じわじわ増えたり減ったりする。そのタイミングは本人にも家族にも、医者にも分からない。毎日の観察が大切だが、一日中目を離さずにいるのは難しい。
父は会話というものが分からなくなった。人の話を遮って喋り出す。それを諌めても、話題を変えようと質問しても自分の話をやめない。記憶に残っていることを喋るから話題はいつも同じだ。機嫌のいい時は相手の話を聞いたり、上手くやりとりが進むこともあるが、都合が悪くなるとおどけて誤魔化そうとする。何故かアイシュタインの変顔の真似をするのだ。その無邪気な笑顔を見て、私は父が72歳の5歳児になったのだと思った。自我はあるが社会生活を営むには不十分で、言葉の力に無自覚で、物事の因果も感情の律し方も分からず、大人の監視と補助が必要な5歳児。それが私が今一緒に住んでいる、大好きな大好きな父だ。
実際の5歳児と違うのは、これから先、父が成長することはないということ。代わりに72年分の(穴抜けになった)記憶を抱えているが、その記憶も徐々に失われ、人格は変わり、最後には脳が不随意筋の動かし方を忘れて死ぬ。認知症とはそういう病気だ。
父が私を覚えているうちに、また一緒に暮らせて良かったと思う。
対策を練るには目標の性質を正しく理解する必要があります。そのために偏見や誤解は邪魔になります。
まずは典型的なレイプ魔の描像を知ってください。私の理解する限りですが以下に解説します。
ひょっとして世間には「性行為できない/もてない人間がレイプ魔になる」という認識があるのでしょうか?
もしそうだとすればこれは誤りです。多くのレイプ魔は彼女がいます。結婚して子供のいる人もいます。
彼らは性行為の機会がない人ではなく、残虐な行為でしか満たされない人なのです。
また、そのような嗜好のある人の全てがレイプ魔になるわけではありません。
私たちは自分の欲望をうまくコントロールし社会に適応し生きているのです。
「残虐な性嗜好」「欲望をコントロールできない」2つの特徴を持ちあわせ、ある境界を超えてしまった人がレイプ魔になるのです。
これは、お酒を飲む人の全てがアル中になるわけではないのと同じです。
「このままでは捕まってしまう」「明日はやめよう」「こんどこそやめよう」
そうやってズルズルと続けるのがレイプ魔の典型的なパターンです。
ネトゲ廃人が以前話題になりましたね。ネトゲをレイプに置き換えてみればわかりやすいかもしれません。
「レイプをしやすくするために拘束時間の少ない職に転職した。手取りは減った」「レイプするために会社を辞めた」
以下はまとめサイトの記事ですが、痴漢を名乗る人の告白です。理解の助けになるかと思うのでリンクします
http://blog.livedoor.jp/hitosoku/archives/4309584.html
誤解を恐れずにいうと、典型的なレイプ魔は「性依存症」という病気です。心療内科で治療できます。
異常な性は病気なのか?特徴の一つなのではないか?治療して良いのか?
発達障害などでも繰り返される議論ですね。よりセンシティブに書くなら
「本人が社会に適応できず悩んでいるのなら心療内科で手助けできる」
といったほうが良いかもしれません。
先の事件には強い憤りを感じていますし、そしてレイプ及び殺人被害者を減らせないかとずっと考えて来ました。
そして私のたどり着いた結論は「被害者を少しでも減らす方法は、レイプ魔を治療につなげ救うこと」でした。
検索すると性加害者を積極的に受け入れている病院も出て来ます。
もしあなたが、もしくは周囲の人が、異常な性に悩んでいるのを見つけたら病院に繋げてあげてください。
私の願いは、自信の異常な性に悩む人が気軽に心療内科を訪れ治療し社会生活を送ることができる未来です。そのために一人でも多くの人に性依存症に関する知識を持って欲しいと願っています。
そして性依存症に悩む人はそれをコントロールし社会に適応している限り、迫害されてはならないと考えています。
なぜならば、上述のように「本人が悩み治療したいと思っている」ということが大事だからです。
レイプする可能性のある人でも本人の意思に反して投薬することは人権問題になるのです。
そして「会社をクビになりたくない」は治療の十分な動機付けになるはずです。
重要なことを書き忘れました。
まず、以上に書かれたことは私個人の意見であり、性被害に遭われた方を代表するものではありません。
それから、性被害の多くは身近な人からの犯行といわれていますがこの記事では扱っていません。
それは私がそれらの被害を軽んじているわけではなく、単に語る知識を持たないからです。
(ここで述べたレイプ魔と me too されている人たちは別物です。後者はそもそもレイプしている自覚も罪の意識もなさそうに見えます。)
おそらくレイプ魔に関する描像が私と違っていただけです。
被害者を守るつもりで書いてる方に妨害するようなことを書いて申し訳なく思います。
どうか、怒らずに協力していただけたら嬉しいです。
当たり前だけど優秀な人、尊敬できる人は男女とも同じ割合でいるよ
ただ
男だったら消えてるレベルの人間でも女だと生き残れちゃうってだけ
男だったらそうやって排除されて見えないところ(バクサイ等の「はてな民には見えない階層」含む)にいっちゃうけど
女だとそういう人たちも拾い上げられちゃってるんだよ
で、そうやって拾い上げちゃってるものが何かというと性欲や生殖欲求なわけ
じゃなくて
こういう話すると
世の中…というか男の性欲のストライクゾーンってとんでもなく広いんだよ
その程度のこと、性欲は余裕で飛び越えちゃうってことは男女混合のオタク系のコミュニティを見てみりゃよくわかる
(求めてるにも関わらず)容姿だけの理由で性欲の庇護から完全に漏れるようなブサイク女って
女性としてというより人類として異常なレベルだから男女がどうこうってレベルじゃないんだよ
まあとにかく
社会生活を送るうえで遭遇したろくでもない人間は女が多いってのは正しい
でもそれは女が男より劣ってるってわけじゃないんだよ
同じ数だけ男にもろくでもない人間がいるけど
生き残れないから
死んでいくか矯正されちゃってるだけなの
わかった?
世の中には妙な性癖を持っている人というのがいる。どれくらいの割合かは分からないけど、いわゆる変態と呼ばれる人はとにかく少なくない数、存在する。
自分が男の異性愛者なため、そこ視点での話になってしまうが、女性の特定の部位や、衣装、シチュエーションなどに異様にこだわったり、あるいは特定の年代の女性に傾倒したり、二次元の女性じゃないと興奮しないだとか。
かくいう俺はというと…とにかくもう、至ってノーマルなのである。
普通に三次元の、同年代(アラサー)から、まあ20代くらいの女性が好きで、一番好きな体位は正常位だ。
女の子が痛そうにしているのは嫌なのでSではないし、自分が痛いのも嫌なのでMでもないのだろう。
あえてこう表現するならば、変態的にノーマルなのが、俺という人間だと言ってもいい。
そんな俺だけど、その昔、性に目覚め始めたころ…具体的には中学生の三年間ほどだったろうか。
あの頃、俺は変態だった。
自分自身が未熟な年齢ではあったが、膨らんでない胸、陰毛のないマ○コに対し強烈な憧れを抱いており、要するにロリコンだった。
毎日毎日、好きな女の子をむりやり犯す想像をして、自慰行為に耽っていた。
若さゆえの性欲の強さがそうさせたのか、また、その性欲の発散方法の「知識・経験」が乏しすぎて、歪んだ形で現れたのか…
そんな俺だったが、歳を取るにつれて、本当に偶然、たまたま、運が良く、現実の女性と普通に付き合ったり、普通にセックスしたりして、普通に色々と経験しながら、気がつくと、あの頃の俺はなんだったのか?
どこにでもいる、至って普通の性的嗜好をもった男になっていた。
…
社会生活に支障をきたさない限り、変態であること自体は罪ではない。変態が高じて社会に適合できなくなったとき、そいつ個人が病気と判断されたり、犯罪者となってしまうというだけの話だ。
ただ、なんというか、近ごろは、変態が変態でいることが許されすぎているような気がする。
インターネットの普及で匿名での交流が一般化していることと、関連しているのかは分からないけれども。
本人が苦しんでいるのならともかく、幸せなら別にいいのかもしれない。
でも、一人の男の体験談として、「普通」を知ることによって、変態が解消されるということもあると、匿名でもいいから書いておきたかったのだ。
常識は便利で貴重なものだけれども、同時に常識は頼りにならない。常識は社会生活を営む上で便利なものではある。しかしそれ以上に怖れるべきところがあって、それは己の行動を意識の深いところから縛ってしまうものでもあること。
常識の中には根拠のあるものもあり、また同じくらいに根拠の薄弱なものがある。不確かな、非合理的な常識というものが少なくない。常識と呼ばれるものについては全てを疑ってかかる位でちょうど良い。常識だからといわれてそこで思考停止してしまう人のなんと多いことか。普通の人は、常識ということばの前に思考を止めてしまう。それが普通である。普通であってはお金持ちにはなれない。
やたらめったら非常識になれと言うのではない。他者に害を与えることなく、常識に囚われない考え方をし、行動をとること、それが知性である。
常識の枠内で生きている人々は普通である。普通の行動をとっていれば、普通の人々と同じになる他ない。普通に生きるというのは尊い面もあるけれども楽ではない。
お金持ちになるには、普通の考え方や行動を超えてゆく必要がある。常識を超えた考え方、行動をとっていれば、普通の人々とは思考様式が異なってくるし、話題も合わなくなる。常識を超えた生き方をしようとする事は、これまで付き合ってきた常識的で普通の人々との関係を希薄にすることをも意味する。縁が切れる場合もある。
常識を超えた生き方、考え方、行動を採るには、相応の覚悟がいるという事でもある。
https://anond.hatelabo.jp/20180512184013
そこには「仕事に対して常に真摯に働きかける人間性」が求められているからだ。
例えば「どんな時にも手を抜かない」ことが必須だったり
「その仕事で自分だけが出来る何かを判別する能力」が追々必要になる。
言ってしまえば、それを持っていない人間はプロフェッショナルにはなれない。
新入社員として働き始めてしばらく経つと、「プロとしてあなたは取引先に行くのだから」と語りかけられた。
確かに金銭のやり取りが発生する以上、そこにはプロとして、会社の1人の歯車としての自分がいる。そして、責任がある。
自分のキャパシティを越える仕事を任されたときに手を抜かないという選択は取れなかったし、
私は自分にどれでも替えのきく歯車以上の存在価値を見出せなかった。
プロであるという囁きはその時の私に杭を打ちつける行為にしかならなかった。
こどもの日が近づくと必ずあるのが出生率や子供の数の発表だが、今年も相変わらず改善の見込みなく低水準とのこと。
それ自体は全く意外性はないし、現状の日本の状態からすれば当然の選択だろうなという感想でしかない。
しかしそういうニュースが出ると必ずネットに湧いてでるのが明治~昭和はよかったおじさんたちだ。
「女がわがままになったせい」
30年くらい前からのテンプレ文句でうんざりしているのだが、今年はなんだかそれほどでもない。
というのもTwitterや他のSNSを見ていると、そうした昭和はよかったおじさんたちの意見はもうマイノリティであり、普通に社会生活を送っている人であれば少子化の原因はそんなしょうもないところにはないということをきちんと理解していることがわかったからだ。
なるほどノイジーマイノリティーというのはただノイジーなだけの雑音かと思ったらかなり気持ちが楽になった。
問題はそんなノイジーマイノリティー思想を持った人が政治の中心にいることなんだけどね。
当方20代後半。PHSのイエデンワだけを所有している。ガラケーすら持っていない。
YモバイルのPHSサービス終了で今後どうしようかと考えあぐねているところだ。
さて、自分は「きららファンタジア」と「ららマジ」というソーシャルゲームに興味を持っている。
可愛らしい女の子も沢山出てくる作品で、キャラクター一覧を見ているだけで眼福である。
自制心がない人間にソーシャルゲームを与えたらどうなることか。
あるいは自分のスケジュールがソーシャルゲームのイベントなどに振り回され依存することは自明である。
そんな状況になったら目も当てられない大惨事となる。
だから自分はソーシャルゲームに手を出さないよう、スマホやタブレットを持たないようにしてきた。
しかし代償行為として両作について情報収集をしていると段々とプレイしたくなってきてしまう。
幸い今はPHSとPCしか持っていないため、プレイしたくてもできない環境にある。
男尊女卑や女性差別が騒がれてからこっち、ずっと女性は差別されて生きてきた!と言っている気がします。
まぁ確かに、日常生活や社会生活にそういったものはあると感じるけど、それって男性側も同じなのでは?とか思って少し腑に落ちなかったり…。
男である以上正社員でフルタイムで働くべき(女性の場合妊娠する事もあるので、正社員雇うリスクが少ないと言うのは理解してます。)、男なんだから重い荷物持て、と言うことはやはりありますよね…?
家事育児介護は女がやれ!俺は金を稼いでくる!と言う男性はもちろん良くないと思うのですが、家事育児介護が別のものに変わっただけで、働きにまで出されている男性が、現代は多くないですか?共働きの場合でも、女性側が労働として見ると比較的楽な事をしていると思います。もちろん、家事や育児は普通に働くより辛い!と言う意見があるのもわかります。
隣の芝生は青く見えると言いますけど、お互い理解して歩み寄らないと、この問題はずっと平行線どころか、あさっての方向へ向かって伸びている気がします。
家事育児介護をするから、一日3〜5時間のパートで働かせてくれ!という男性は多いかもしれません。
フルタイムで働きに出たいから変わってくれ、という女性も多いかもしれません。
何千回も言っていますが、LGBTが問題にしているのは社会生活において不利益を与えなくしてほしいということです。
ペドフィリアやネクロフィリアという存在は全く否定していませんし、内心の自由です。
この意見を聞いて思いましたがもしかしたらもともとの質問者さんは
ストレート(男女異性が性的対象)、ゲイ(同性のみが性的対象)のように完璧に人の性癖がラベルを貼って区別できるものというふうに思われているのかもしれませんね。
ですが実際には同性愛者をカミングアウトされた方であっても、その後異性と結婚をしていたり、または先に異性と結婚していてものちに同性と恋愛感情を持たれるケースも非常に多くいます。
ですので「ホモを排斥しろ」というのは単純なことではなく「男同士(女同士)のセックスを禁止しろ」ということではなく「同性同士で社会生活を送ることを禁止しろ」や「同性に恋愛感情を持つことを禁止しろ」といった非常に広い解釈ができるようになってきます。
おそらく質問者さんのようにLGBTに非常に強い嫌悪感をお持ちの方というのは同性愛が社会的に認知されること自体に強い忌避感を持たれているのではないかと思います。
ですが実際にLGBTなどのセクシャルマイノリティが希望しているのは同性婚や社会的な不利益からの解放といった部分のみであり、社会的認知とは全く違った問題になります。
法的な支援というのはその部分に関わってくるもので、同性婚についても法的に認められることにより社会的な認知度(世間的忌避感)がどの程度になるかは全く別に考えなくてはいけません。
LGBTについては数百年前より議論がされてきており、私の意見もそうした先人たちのものによるところが大きいので、むしろ現在の感情論による質問者さんのような方はどんどん言ってきてもらいたいと思っているところです。
当方どこぞのド田舎にて新卒で入社した小さなIT企業で3年ほどプログラマーをやっていた。
総支給は手当諸々含め20万。手取りは15万ほど。ボーナス?なにそれって感じ。
4年目に突入したけど新卒時点と一向に変わらないどころかむしろ下がった手取り金額(増税とか諸々重なったとはいえ)とか、
唯一の取り柄だったほぼほぼ定時で帰れてたというメリットが体制変更とかでなくなってしまったとか、
転職して幸せになっている学生時代の同級生を見てしまったとか、
いろいろ要因が重なって思い切ってフリーランスエンジニアとして移ることに。
基本が社会生活不適合者なのとプログラマーとして決してレベルが高い方ではないのはないので不安だったけど、
貧乏性な自分の生活水準なら3年くらいニートやっててもさして問題なさそうだったのと
今のIT業界の求人倍率なら困ったらまた今みたいな会社に転職するのは余裕かなという楽観的な考えて
適当にエージェントに話聞きにいったらまあまあの仕事に驚くほどあっさりありつけた。
こんな自分レベルの学歴も地位も何もないエンジニアでもポートフォリオさえまともっぽく作ってれば
こんなにあっさり仕事にありつけるなんて今のIT業界は本当に人手不足なんだなと思った。
今まで会社としてエンジニア1人月分の単価として実際に顧客に請求してた額からほんのちょっと引いたような額がそのまま手元に残るようになった。
ぶっちゃけ総支給額は以前の会社と比べ3倍ちょっと。諸々福利厚生はなくなったけど税金対策できる余地ができたんで実質的な手取は3倍弱ほど。
これだけ稼げるならむしろなんで今までの会社に勤めてたんだろうと後悔も湧いたけどまあこのために一人前のエンジニアに育ててくれたと思えば儲けものかなと思った。
生活環境は、まあ少しは変わった。
会社のすぐ隣だった1Kの安アパートから地方都市の1LDKに移った。筋トレルームを構築したけど肝心の筋トレが最近継続できてない。
スマホをお安い中華スマホからGalaxyの良い奴に変えた。カメラ凄い。詳細な性能は2chとはてブくらいしかやらないからよくわからない。
LGの超単焦点プロジェクターを買った。夢の100インチのシアター環境。臨場感凄い。でもゲームは24インチくらいの方がやりやすいかも。
IKEAのちょっとお高いソファベッドとダイニングテーブルを買った。仕事も就寝も飯もほぼこれオンリーで済むようになった。
GoogleHomeを買った。2kg以下の範囲の最高スペックのノーパソを買った。Nasne買った。4Kディスプレイ買った。
Nintendo Switchを買った。無印で服一式買った。Sonyのノイズキャンセリングヘッドフォンを買った。Netflixに加入した。dアニメストアに加入した。
カンストレベルで快適になっていくデスクトップ環境。どう見ても追いつけない動画や積みゲー群。
あれ、変だぞ。これ以上お金の使い道が何もない。
生活は少しは変わった、ただ思ったほども変わらなかった。
俺みたいな基本出不精で友達も彼女も何もない人間にとって、一通り欲しいものを買ってしまったらお金の使い道が何もなくなってしまうのなんてよく考えたら当たり前の話だった。
わかった。きっとこれは『普通の人』にとっての結婚式の費用とか、新婚旅行の予算とか、子供の学費と、そういうためのお金なんだ。
多分、俺みたいな何もない人間が手に入れて良いお金ではないんだ。
ただただ何も考えずに会社に搾取されてたときよりも自分の『何もなさ』を痛感させられた。
「俺みたいな金のない奴は何もなくて当たり前」って言い訳してたところはあったけど、何もない人間は金があったとしても何もないんだ。それがわかってしまった。