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2023-06-10

遺書

遺書

地球上のあらゆる生命の中で自殺を行うのは人間だけだと言われている。しかし本当にその言説は正しいのだろうか?研究が進んでいる人間細胞だけでも、遺伝子に異常が生じた細胞自死を選ぶ作用アポトーシスはよく知られている。

ダーウィン進化の仕組みに関して、適者生存原則を唱えた。多様な個体が産まれ、また自然淘汰によって収斂が起こるというものだ。これはラマルク的進化とは反対に、種々の様々な遺伝子変異を前提としたことが特徴である。ラマルク的進化では、特定環境に置かれた生物遺伝子変異特定領域しか意味がないのに対し、ダーウィン進化ではそれぞれの変異未来につながるという意味での意味を持っていると捉えることもできる。これらの実績は菌類実験成果によっても示されている。

さて、ここで人類について話を戻す。人類はその類まれなる創造から地球上の万物の霊長たる資格を手にした。その支配領域は他の種を凌ぎ、今や総個体数は80億に達しようとしている。これは昆虫匹敵する数である。少なくとも先進国において、人間はあらゆる人権保障され、種々の遺伝子変異は──たとえそれが障害をもたらすものであったとしても──保護されるのがrightとなっている。それは人権によるもので、人権というのは生まれながらにして与えられるらしい。与える主体というのは議論余地があるが、この世の人類ではない神とするならば、中世王権神授説と何ら本質的な変わりはない。

であるからして、わたし人権保障という考え方は実態がなく、一種革命のようなもので覆されかねない概念だと考える。

市民による革命が起こったように、どれほど優れた思想であっても人の内心を侵すことはできない。現代社会特に日本においては自殺はいけないこととされているが、自殺者が多数いることからもこれを抑制できていないことがわかる。

私たち細胞は、どのような時にアポトーシスを行うのだろうか?

たとえば、寿命を迎え、DNAの複製ができなくなった時

たとえば、遺伝子の修復ができず、正常にDNAを残せなくなった時

たとえば、ウイルス感染して、自身を複製するのではなく異常なもの(ここではウイルス)を産生するようになった時

これらが示すのは、すべて正常な子孫が残せなくなった時に自己死を選ぶ、ということである

人類がここまで発展した以上、このシステム有効性は疑うべきところがないはずである(ほんと?)。人類マクロで見た時、アポトーシス選択すべき人間はここまでの考え方から確実に一定数いて、それは現代人権思想などでは到底語り得ないはずである

私はこれまでの人生において、自分死ぬべきだと思っており、また因果関係証明できないが異性に求められたこともない。以上よりアポトーシスに値すると考え、これから死に至るものである

自分自身身体の行先は自分の脳が判断するものであり、その脳になんらかの異常が起きていたとしても、他の人間にはそれを尊重する義務があると考える。

私は麻酔薬をいっぱい投与されて、意識のないうちに逝きたい。アポトーシスならそれぐらい許して欲しい。

2023-06-09

anond:20230609232519

個体が愛し合った結果発生する交尾ではなく、生殖用の作業として機械的実施するものなんだよ

そこは全然違う

まれてくる子供にとっては作業とはいえ一応は生物上の父親母親だけどね

参観日の発表では両親の作業で生まれましたって発表するよ

anond:20230609221454

愛は生命と同じく現象だと思ってるけど、

一般的には、思いやり、尊重献身、喜びを含まない状態や行動を愛とは呼ばないでしょうね

 

あと、子どもを愛するのは本能とか主張する、生物知識から隔離された世界に生きている人とかいるけど、

個体子どもを育てられないって判断したら『次行ってみよう』って動物はするよね

人間も平然と自分の子供を愛していないというし、邪魔だの、自分時間がとかやってるよね

 

自分の子どもを愛せる健全精神社会性を持った人が親になるのは奇跡という認識はあっていいね

創作物でたまに見る『仲間を攻撃されたら、採算度外視絶対報復してくる危険生物』って何が元ネタなんだろう?

思いつくところだと、以下のやつらとか。

レベルE サゾドマ虫(の設定)

科学的に存在しうるクリーチャー娘の観察日誌 ミノタウロス

蜘蛛ですがなにか 復讐

anond:20230609184302

女は全員出産した方がいいけど、種をつける男は少数でいいんだよね。

だいたいの生物はそうなってる。

anond:20230609173809

優生思想はよくないよ。

それに、何が優れていて何が劣っているかなんて、分からない。

例えば、壁に穴を開けたり物を投げたり、動く物全てを攻撃する遺伝子があったとする。

今の世の中は「凶暴」「迷惑」なんてレッテルを貼られがちだけど、ウクライナ戦国時代みたいな社会になったら、むしろそういう行動をためらわずに実行できる人の方が勇敢で有能な戦士と見なされるかもしれない。

人間より大きな生物に襲われそうになっても、逆に相手を威嚇して、その遺伝子を伝える家系けが生存できるかもしれない。

人生万事塞翁が馬なんて言うよね。

色んな意味で、劣った遺伝子なんて考え方は間違いなんだよ。

様々な未来があるから、それに備えて多様な遺伝子を確保する方向で考えて欲しい。

グラビア撮影ポートレート撮影境界線はどこなのか?

まぁいわゆるカメコですよ、写真やってます

例のプール付き公営公園で"健全"や"卑猥"という指針が出され、この指針に定数も定量も無いなぁと感じたのだけれど、それよりも気になったのが「18歳未満のグラビア撮影禁止にしたらどうか?」という試み的な提言をされている方が結構居るのが気になった。

ざっくりわかりやすくいうと、人物をメインの被写体として撮影することをポートレート撮影と言うのだけれど「18歳未満のグラビア撮影禁止にしたらどうか?」を試み的に提言している人はグラビア撮影ポートレート撮影をどうやって線引きするんだろうか?

個人的におそらくは無理だと思われる。

何故ならグラビア撮影ポートレート撮影という大きなジャンルに含まれる小ジャンルであり、ポートレート撮影の近接用語景色撮影する風景撮影や、香水瓶や人形ガジェットなどを撮る小物撮りなどであり、ポートレート撮影というのははてな界隈で言うところの主語デカ問題からだ。

グラビア撮影はご存知の通り、別に水着下着、肌面積の多い女性だけを撮るというものではなく、少年青年漫画雑誌の表紙もグラビア撮影だし、露出とは真逆にライダースーツを着込んでバイクにまたがっている人物撮影するのもバイク雑誌ではグラビア撮影である(バイク界隈のグラビア撮影には峰不二子的な方向性もあるけれど全体で言えば少数派だ。何故なら峰不二子比肩できる女性はそう居ないから)。

我々カメコ写真が好きである

いや撮り鉄のように特定被写体が好きな連中も居るけれど、実際のところ撮り鉄列車ばかり撮ってるのか?と言われると大半の撮り鉄は主な被写体列車なだけで、奴らは列車の無い風景も撮っているだろうし旅先のメシも撮っているはずだ。

カメコとしてイメージやすアイドルの追っかけだってそうだろう。何なら筆者には妻も子も居るし、筆者の主な被写体は妻と子である。妻と子で培った撮影経験アイドル撮影に応用していると言っても過言ではないだろう。それくらい妻と子を撮ってる。

カメコ共通する特徴は何なのか?と言えば、キモデブオタクおっさんではなくカメラ撮影知識だろう。カメコなんだからそりゃあカメラ趣味にしていない連中よりはちょっと詳しい。

近年じゃスマホカメラの性能があがり誰も彼もが気軽に写真を撮るようになったが、女の子をより可愛らしく綺麗に撮るという点ではスマホカメラってちょっと不向きだよなという印象をカメコならば誰しもが持っているだろう。


スマホカメラレンズはいわゆる広角レンズが大半であり、広角レンズは歪みが大きくて太って写る。標準体型がデブになり、デブはよりデブになる。それがスマホカメラレンズだ。

世の中にはポッチャリ好きが居るというのは非常に重要な指摘だが今回はそこを問題にはしていない。今の自分よりもスマホカメラは太って見えやすいということを問題視しているのだ。

じゃあどうするべきなのか?と言えばズームするわけだ。最近スマホカメラは多眼になっているので最も拡大できる望遠レンズ選択して撮影する。

ポイントデジタルズームは使わないことだな。デジタルズームは単に画像ピクセルを拡大しているだけなのでレンズの歪みに影響しないので意味がない。

望遠レンズは広角レンズ比較して歪みが少ないので、痩せて写るわけではないが広角レンズにように太って写りにくい。

まだ女の子を可愛らしく綺麗に撮るポイントはある。1枚の写真へ全身を収める場合は顔を中心にではなく腰を中心に撮るのだ。

顔を中心に撮るとレンズというのは多少なりとも歪みが発生し、レンズ中央レンズの端へ向かって歪んでいくので顔がデカくなり首より下が小さく写る。

自分の顔がデカいと悩んでいる女の子が居るとしたらレンズ中央で撮るというのは更にコンプレックスを強調する結果となるわけだ。顔はレンズの端へ持っていけ。

更に良いことがある。腰をレンズの中心に添えることで、前述した歪みから腰の部分が多少広がり相対的上半身下半身が細くなる。つまり小顔足長になり女性らしい身体の曲線が強調される。

ほんの少し下から煽るように腰を中心に撮影すると小顔脚長効果が更に増すぞ。

胸が小さめなのが悩み?いや一部に需要あるぞ?えっそういうの良いから大きく写す方法を教えろ?

逆に広角レンズを使え!広角レンズは歪みが大きいため、広角レンズで胸を中心に据えて顔もレンズの端に写るように近接撮影しよう。相対的に胸デカ小顔写真が撮れる。これは逆にスマホカメラが有利だな。

ここに書いた写真撮影術を使えばマッチングアプリプロフィール写真とかもちょっとは印象良くなるんじゃないか需要あるか知らんけど。


カメコはこういう知識がある。撮り鉄は主な被写体列車なのでポートレート撮影知識アイドルカメコ比較すると少々乏しいだろうけど、このくらいは知っている。逆に撮り鉄雄大自然とか真っ直ぐなものを歪み少なく真っ直ぐ撮る方法かに詳しいぞ。

このようにカメラ撮影ちょっと詳しいヤツが疑問に思うわけだ、グラビア撮影ポートレート撮影をどうやって線引きするんだろうか?と。


何が健全で何が卑猥か?なんてポッチャリ好きや貧乳好きが居る世界一定の線引きなんてできるわけがなく、世の中にはおそらく女性リクルートスーツ性癖ですみたいなヤツとか、北海道かに居そうなコートで厚着してモコモコになってる女の子良いよねとか言うヤツが必ず居る。そういう連中に取ってみればリクルートスーツもモコモコなコートポートレート撮影卑猥写真になるのさ。

この世界には衣服を燃やす様子を映したアダルトビデオ存在するんだぞ?もちろん女性、というか男性を含めて人間、何なら生物は一切出てこない。本当に服が燃え上がる様子だけが淡々流れる映像だ。ハイレベルすぎて理解が追いつかないがアダルトビデオとして実際に販売配信されている(一説には服が燃え映像アダルトビデオとして販売されている事自体意味があるらしい。こんにちわ宇宙猫)。

最後蛇足だが、筆者の妻は不定期に筆者が撮影した妻自身写真セレクトし「これ遺影に使ってね」と言ってくる。カメコ冥利に尽きるよね。

お前ら自分パートナーを最高に可愛く撮ってるか?俺は撮ってるぞと断言できる。

anond:20230609173125

女性にも男性にもいる「天才」を埋もれさせたくない。同等の教育待遇にすることで100人に1人の逸材を発掘したほうが人間の発展につながる。

言葉が通じる生物をむやみに悪い待遇にしておくと怒って反乱を起こす、その立場になるかもしれない他の生物不安になる、同情した人間解放運動を始める。

奴隷制が良くないのと同じ理由だよね。

かにまりこの話が議論されるのはきかないけど、すでに自明からじゃないのかな?それともそうでもなかったりする?

anond:20230609135538

人材がアホなんじゃなくて、現代フェミニズム思想が誤っているので、それを擁護しようとするとむっちゃくちゃになるのだ。

 

女性選挙権なんかが確保してある以上、現代フェミニズムはラディカルフミニズムになるしかなくて

まり根本的なとこで

社会無茶苦茶にしてでも女性の権利を拡大しよう」だとか

「男女差は存在しなくてジェンダーからどうとでもなる」だとか

果ては「男性というのは加害性のある有害生物だ」とか

そういう主張を思想がマジメに内包しているので

 

有能ならそんな間違ったフェミニズムベース議論はやらない、という側面はある。

anond:20230609102225

生物としての勝利生殖であって

50代のパートナーがよそでセックスしてるのはただの文化的趣味

生物として何も問題ねえじゃん

 

これが男女逆だと子供出来る可能性があるからまた話は変わるが

anond:20230609101718

そりゃあ、生物として他の男に負けたことを感じながら惨めに生きなきゃいけないからさ。

anond:20230609063417

子育て礼賛男が言うことってこういう感じの絶妙薄っぺらい話ばかりなのがなんとも。子供の話に限らず、比較として出てくる子供が生まれる前のエピソードも薄いんだよな。

まあその薄っぺらさこそが人類という生物本質なのかもしれないが…。

そうか?

私は寧ろ「作ろうと思わない奴は理性的/人間らしい」と感じるが。

本能」という、どう考えても動物的で低俗概念に対して

やたらポジティブに捉える人が多いのが謎だ。

https://b.hatena.ne.jp/entry/4737605731490082117/comment/bleu-turquoise

bleu-turquoise

bleu-turquoise 「子どもを作るのは本能」という言説は、「作ろうと思わない奴は人間/生物として失格」と、同一ではないにせよあまりにも近い、と私は感じる。「本能」という言葉が強すぎる。

2023-06-08

文化祭勝手に入れ込むタイプ人間がウザくてたまらん 『文化祭既読スルー感想

文化祭既読スルー - うぼっ /

https://comic-days.com/episode/4856001361249018766

この漫画感想

(*入れ込むってのは競馬用語でウマが畜生特有脈絡のない興奮で空回りして自滅へ向かっちゃう状態のこと)

   

  

1.登場人物全員が非論理的で低知能でうぜえ

まずこれは漫画への批評や苦情ではない。 

漫画はとても良かった。絵も構成も実力がある。

何より文化祭のあの感じをありありと表現できている。

 

その上で、俺この主人公の黒い女の子みたいなのがすげー納得いかんのな。

の子人格がってよりこの子みたいな現象が。

  

別にの子のこと嫌いじゃないんだけど

の子とそれを取り巻くすべての状況が不条理かつ低能過ぎて呆れちゃうというか。

ここまでで何言いたいかピンと来たって人が居たら教えて欲しい。あんたは俺の仲間だ。   

   

  

2.仮に失敗に終わって何の問題が? 

まずさあ、

黒い子の去年の挫折って誰かのせいか?NO。

大事件か?NO。

 

そもそも文化祭クラスの出し物なんて初期状態では誰もコミットしてないわけじゃん。

頑張りましょうねなんて誰も思ってないし責任もない。

ノルマもねえ。賞もねえ。コンセンサスもなんもねえ。

  

そこで実行委員に選ばれたからなんなの?

誰もそんなたまたま選ばれた人に期待してないし、と言うことはその人の責任もねーのよ。

やる気なく流したっていいし、凄いビジョンを持って取り組んだっていい。

 

で、別にの子無能さを責める気もないんだけど

LINEボケーっと何の足場も提示せずにアイデア募集しました、そりゃなんもこんわ。

そこに感情的な反応をする意味わからんのよ。

無能なのはいいけど感情的なのはやめて欲しい。意味わからんから

 

クラスの出し物が一定の成果を出せなければ全員死にます」なんていう

マガジンのクソ漫画みたいな状況にあるならまだわかるよキレるの。

みんな自分の命がかかってるのに人任せにするなよ!ってことだよね。

  

でもそうじゃないじゃん。

特に誰もコミットしないなら平和に流して終わりでもいいわけ

そのことで責めてくる奴もいない(もし責められたらLINE見せて「お前もなんもしてへんやろボケェ!」ってキレ返せばいい)。

 

 

3.どうしたいのか整理ついてんの?

マジで感情わからんのよ。

どういう感情で「実行委員という役割」や「文化祭というイベント」に臨んでるわけ?

   

「有能な自分がやる以上は何らかの成果を必ず出すのだ」っていう自負があるならそれはいいと思うよ。

そういう自負で取り組んだのに上手く行きませんでした、自分能力の低さに涙が出ました。

この感情ならまあ意味はわかる。

   

でもこの子ってなんか周りへの恨みみたいなものが見えるじゃん?

いやいやいや、別にクラスメートは文化祭クラスの出し物にコミットするなんて約束してねえじゃん。

そんな意思表示は一度もしてないわけじゃん。

   

から実行委員としてはやるもやらないも自分コントロール勝手にやってよって話じゃね?

みんなに合わせて適当に流すのはわかる。

我がこととして主体的に取り組んで成功させて感涙もわかる。

我がこととして主体的に取り組んで失敗して涙もわかる。

 

でもこの子は変な風に当事者意識は強いのにイベント行方についてはクラスメートに任せてるんだよね。

意味がわからねえんだよ。こいつの感情がわからねえ。

でもこういう奴マジでいたよな。

    

  

4.どちらかがどちらかを責めたり泣いたり詫びたりする必要ある?

の子が周りを無責任だとなじってるのが意味わからん

明らかに責任なんかねーだろ。

ありもしない責任捏造して他人糾弾したがる人間がウザくてたまらん。

 

実行委員にあるのは(人間にあるのは)自分がやると決めて主体的に取り組んだ時の成功や失敗だけだろ。

実行委員は流すことも出来るしすげー頑張ることも出来る。

それは自分意志責任と器量でやるんだよ。

結果は自分のものなんだよ。

  

からの子だけじゃなくて終盤の「いい子になった」描写らしいクラスメートも意味わからん

黒い子が仮にあんま参加してなかったとして、たぬきちゃんに詫びを入れなきゃいけない理由なんかあるか?

 

文化祭クラスの出し物が成功したらクラスメート全員の口座に100万円ふりこまれます」みたいな

マガジンゴミ漫画みたいな変な状況にあるならわかるよ。

クラス全員、お前も利益を受け取るからにはちゃんと労力分担しろやって感情はわかる。

でもクラスの出し物なんてそうじゃないわけじゃん。

  

やった人間がまあなんか達成感とか良かったねっていう思い出とかの報酬を受け取るだけ。

やらない人間別にそういうものも受け取ってはいない。

どっちも自由であって、どっちかがどっかに怒るとか恨むとか詫びるとかマジで意味わからん。 

 

 

5.圧倒的にピントがずれてない?

黒い子が反省すべき点があるとしたら

LINEで「アイデア募集ー!」ってのは到底コミットが集まるようなアプローチではねーよなとか

やりたそうなやつに目を付けて直で話しに行って折衝すべきだったなとか

全員無理矢理追い込むなら教師を動かして説教させてコミット圧を高める手もあったなとか

そういうことじゃねーの? 

  

そういう意味のある反省最後までなくて

クラスメートも負けじと馬鹿なこと言ってて

ジメジメした感情のことがカタルシスの場面になってるのが、

もうめっちゃ文化祭描写として秀逸だよね! 

   

  

俺は学校の出し物のたびに思ってたわ。

ここには感情的にならんといけない要素なんかどこにもねーじゃんと。

楽しく自分裁量でやったりやらなかったり成功したり挫折したりすりゃいいだけじゃんと。

例えば「私はここで結果出すと内申点よくなると睨んでて私の将来のために協力してほしいの!」ってキレるならそれはよくわかるわけ。

おもしれ―女だなってちょっと協力したくもなる。

 

でも実際はそんなおもしれ―女もいいなくて、ただぼんやりした他人任せの進捗と挫折があるだけで

なんでそこでいちいち感情を持ち込むの?

あの手の出し物で感情的になる女子を見てた時、或いは俺が直で吠えられた時、

「この低能生物には何をどうしてあげたらいいのかなあ・・・」という感慨しか湧かなかった。

  

6.文化祭キモい

はいい奴だから現実的アイデア出して付き添ったりしたことがある

最初大喜利」とか言ってたからこいつらスゲーなどんなバカだよと。

世間キャラを知られたプロの人気芸人ネタを仕込んで台本組んでようやく面白くなるものをお前等がやってどんな勝算が?

しかももちろんネタも出ないしろくに練習する予定もないうえにネタ候補ってのが内輪ネタばっかなの。

それを誰に見せる気なんですかウギャーと。お前等のことなんか何も知らない人達がくるんですよと。

なのに上手く行きそうにないことや狭い友達外積極的でないことに感情的なの。

  

んでえーそれは難しいよーつって何で暴発するかわからん感情を刺激しないよーにやめさせて

から高校生レベルじゃない芸を持ってるやつがいたのでそいつを頼ることにしてそいつ中心の指導地獄大喜利改めお遊戯発表会くらいにはなって

高校生がみんなで努力した跡は見れるから結構評判が良くてみんな達成感出ましたねーみたいになった。

 

でも最後まで俺の気持ちは伝わらなかった。

軌道に乗って以降のクラスには最後までこの漫画みたいな低能丸出しの感情横溢してた。

いい人とか悪い人とかじゃなくてその低能さと混乱しきった感情を何とかしてくれってずっと思ってた。 

   

最終的にその女子そいつ友達から増田くん有難う!」とか言われちゃったんだけど

この低能生物達とは最後まで疎通が出来なかったなという挫折が俺の手にしたものだった。

 

俺にとっては自分ミッションとして頑張った結果の挫折っていう満足のいく成果だったからいいんだけど、

あいつらは本当に意味がわからない。

自分が一体何に対して感情的になってるのか、一度でいいからきちんと整理してみて欲しいんだけど

一生そういうこともせずにああいう感じに生きていくんだろうな。

 

俺がああい低能辟易とした気持ちになってしまうのは

俺の中にも黒い子のような他人への愚かな期待があるってことなんだろうか。

そういう気持ちまで呼び起こされたので本当によく描けているいい漫画だった。

anond:20230608215043

生命は炎と同じく現象やで

日本生物物理学会も “材料的には生命と非生命物質の間に本質的な違いはありません.それでは,「生命」と「物質」の違いはどこにあるのでしょうか?“ とか言ってる

生物がどうやって動いてんのか不思議でならなかった。

一点の損傷も無い死体(そんな仮定が成立するかは知らない)と生きてる人間の違いって何?

技術で生きている状態細胞と全く同じ物質を作り上げてプラモみたいに組み立てたらそれはひとりでに動き出すの?

核がどうのゴルジ体がどうのは習うけど、DNAの転写やらタンパク質の合成やら、それって何のパワーで動いてんの?ってずっと思ってた。

ある仕組みの中で、ひとりでに動くモノを知らない。常に何かの力に動かされている。

から離したリンゴ重力に引っ張られて動く。

川に浮かんだ葉っぱは水の流れに任せて動く。

車は人間エンジンをかけてアクセルを踏みハンドルを切って動く(内燃機関の仕組みもイマイチ分からんけど)。

じゃあ細胞は?構成要素の一つ一つは何に動かされてんの?

そしてそういうミクロな部分での話はそのまま生物ってなんで動いてんの?という疑問に拡大する。

なぜ筋肉意思通りに動かせるのか。そもそもなぜ筋肉を動かそうとする意思が発生するのか。

タンパク質だかの粒がひとつひとつ意思を持ち、自分の使命を理解して動いているとは思えない。

とある時、それはドミノ倒しみたいに連鎖的な動きなのではないかと思った。

ひとつ前の動作によって次の動作必然的に定まり、それを無限に繰り返していく。

具体的な話はよく分からんけど抽象的な理解として。

何かのアクションがあって磁石と砂鉄がくっつくみたくアデニンとチミンがくっついて、それがまた次に何かしらのアクションを呼ぶ。

この例えが適切かは知らんけど、そうやって連鎖的に動きが繋がっているんだろう。

しか物事には始まりがある。ドミノは並べて一押ししてやらねば始まらない。

生物、というか哺乳類の始まりと言ったら受精だ。

まり、やることやって受精した瞬間からドミノ倒しが始まるのだと思うとなんだか非常にしっくりきた。

いわば受精した瞬間に車のキーを回すようなもので、一度エンジンが止まってしまえば再度始動する事は二度と出来ない。

生物とは化学法則物理法則に則った連鎖的な現象なんだと。

限られた知識認識範疇アナロジーを多分に使ったものだし、果たして適切な理解であるかは知らんけど、腹落ちはした。

より具体的な話を理解するには基礎なし生物なりをやればいいんだろうけど、取り敢えずの納得は得たしそこまでするのは面倒くさい。

まあもっと言えばそのドミノはどうやって用意されたのとかはあるんだけど。

火の鳥ポストアポカリプス世界で不死身の主人公がなんかの物質を海に撒いて、そこから新しくナメクジみたいな知的生命体が現れる話があったな。

川に浮かべたプラモのパーツが偶然組み上がるよりもありえなさそうな事だけど、実際そんな感じだったんだろうな。無から有は発生しなさそうだし。

規範を取り扱うならともかく、自然現象理解するにあたって宗教はお役御免に思えるけど、やっぱり神様存在を信じたくなる気持ちはあるね。

一般人にはそれかエセ科学が結局一番腹落ち出来る。不条理不条理のまま受け止めてモヤモヤするのもいいけどね。

こういう話とか、宇宙の端っこってどうなってんのとか、時間って有限でも無限でも矛盾しねとか、そういう疑問はいっぱいあったな。

人間思考認識範疇では理解の及ばん領域もあるじゃろうて、で片付けるつまらない人間になってしまった。

小難しい物理とかではちょっと突っ込んだ話もあるんだろうけど、説明された所で多分理解出来ない。

どうせオチとしては「断言できる事はありません」みたいな感じだろうし。

あと生物細胞細胞膜やら核やら、概ね同じ要素で出来ていますって習ったけど、じゃあ異なる役目を持つ器官ごとの細胞の違いは何なんだよって思った。

これはググれば分かりそうだけど、こういう必然的に生じるであろう疑問に対してノータッチを決め込むのが気持ち悪くて勉強嫌いだったんだよな。

あいちいち突っ込んでたら高校レベルを逸脱してしまうのかもしれんけど。

しか生物自然法則に従った現象に過ぎないのなら、それって運命存在する事にならないかなって思った。

キャラクター脚本存在に気が付くメタフィクションはあるけど、人間自然法則理解して世界の筋書きに接近するのも予定された必然なのかなって。

自由意志も何もかも全て脚本の筋書きに過ぎないのかと思うとなんか恐ろしく思った。

自分ロジックよりもナラティブに魅力を感じる人間だけど、そのナラティブすらも論理必然から生じるものだと思うともうね。

思考停止は良くないとか言う人いるけど、どっかで思考停止しないと気が狂ってしまうよ。

これが富裕層の生態だ!

ちょっと思い立って、自分のことを書いてみようと思う。

世間的な基準では富裕層成功者といえるんだろうが、それでも現実問題としてそう贅沢なことはできないし悩みも多いよ、というお話です。

【経歴】

現在40代後半です。

子供のころから勉強は得意で、高3のときから3か月だけ受験勉強して東大理1合格。理3も狙える成績だったが、医者になる気はなかったので理1で充分。

その後、物理学者になるかソフトウェア産業仕事するか迷ったが、金に目がくらんでソフトウェア産業選択

最初の4年だけサラリーマンをしたが、同僚がアホすぎるし給料も安いし、自分協調性に欠ける性格なので辞めてフリーランスエンジニア転向。今はともかく、当時は珍しかった。

仕事上では特に最初の数年は波乱万丈でとてもここには書けない。15年前に結婚し、今は4人子供がいて、6人家族である

仕事

ソフトウェア仕事最近年収4000万前後

月給いくらではなく、完成形のソフトウェア仕様を定めて、開発費と月額保守費で稼ぐのがポイント。いったん安定稼働してしまえば月額保守費で長期にわたって労力をかけることな収入になる。一番長案件だと、それだけで累計収入2億円くらいなんじゃないのかな。

開発はほとんど自分個人でやるが、一部は友人に委託することもある。こういう仕事個人間で長期に形成された信頼関係の中で成り立つものなので、SNS転職サイトでは絶対に出てこない。

僕の仕事関係者がこれを見ても、僕だとはわからない範囲で書いています

家計

かに年収は4000万なんだが、お上2000万はもっていかれる。

お上とは法人税所得税住民税厚生年金健康保険の合計だ。

自分だけの法人を作ってそこから自分給料を払っているが、自分給料を上げると所得税が上がり、自分給料を下げると法人税が上がるので、トータルではそう大きな差はない。江戸時代と同じ五公五民

サラリーマンの人に言っておくと、社会保険は労使折半なので、会社として負担する人件費は額面年収+15%くらいだぞ。

まり手取りは年2000万、1か月あたり160万くらいだ。消費税抜きにすると145万ほど。

そこから

家賃50万: 都心に住んで6人家族だとふつうの家でもそれくらいかかる。なおタワマンではなく普通賃貸住宅

教育費40万: 子供1人あたり10万。モノより経験に金を使う主義なのでこれくらいは当然。

食費20万: 家族が多いと、ハナマサの安い肉とかを活用してもそれくらいにはなる。

日用品光熱費その他20万: スマホ代も6人分だし。

実家への仕送り10

手取り160万/月でもこんなものです。貯蓄に回す分はあまりない。王族のような生活とは程遠い。

支払いは可能な限りクレジットカードにまとめてて、その支払いが大体70万/月。その明細を見ても、妻が使った分含めて特に贅沢はしてない。

服はユニクロしまむらだし、ワインも1本2000円以下のしか買わないし、外食も月1回程度。大した余裕はない。

旅行は年1回行くが、6人家族なので、国内でも100万、海外なら200万かかる。なかなかの出費だ。

都心に住まなければ生活費は圧縮できるが、子供がある程度大きくなると友人関係などから引っ越しは容易ではない。最初の子が生まれる前に郊外引っ越しておけばよかった、と思わなくもないが、ケチケチしてても自分寿命が尽きるほうが先だろうからバンバン使う主義だ。

なお、スポーツ選手漫画家など、人生総収入がごく短い期間に集中する人はこの不公平感が僕よりさらに大きいと思う。制度がクソすぎる。

行政へ】

年間2000万納めつつ子供4人育ててるんから児童手当の所得制限がどうこうとかで揉めてるんじゃねーよ。誤差の範囲だろうが。

少子化の原因は、産業構造の変化とかもあるが、消費税社会保険料率の上昇ですよ。これを10年前の水準に戻してくれれば僕の手取りは年300万増えるし、それなら子供もう一人追加してもOK

それだけの負担をしても、僕は子育て大好きだし、子育ての喜びは生物本能だとも思うので、これが一部の特権的階級だけのものになっているのが本当にもったいないと思う。

anond:20230608195639

その生物繁殖スタイルにあった行為をどうしてもやりたくて仕方がなくなって戦うだけのことだろ。

繁殖のものは結果であって目的じゃない。

anond:20230608195558

種付けのスタイル男性器を女性器にぶち込まない生物はどうすんの?

anond:20230608192729

じゃあなんで生物あんなにも繁殖しようと身を賭して命懸けで戦ってるの?

繁殖しようとして戦ってるんじゃなくて、どうしても男性器を女性器にぶち込みいから命を懸けて戦ってるんだよ。

anond:20230608191419

じゃあなんで生物あんなにも繁殖しようと身を賭して命懸けで戦ってるの?

血みどろになってまで戦ってメスを得ようとしたり、生存に不利な美しい飾りバネを持ったり、ただ自分の身のかわいさだけじゃ理屈に合わないことを平気でやっちゃう

もはや自然生物に課した使命であるという説明がしっくりくると思う

今の人間はそんな生物原理を歪めて平和に生きているから使命と言われると変な感じだと思います

anond:20230608184846

生態系全体から見れば性淘汰の中で大多数は繁殖できないのが普通であり、勝者のみ繁殖するさだめですが、それら生物個体一つひとつはやはりその遺伝子を後世に伝えることを使命として産み落とされているので使命で間違いないかと思います。実際生物たちは自然界で繁殖するためなら理屈を超え命懸けで戦います

ただし、人間社会は過度に分業化や格差が進んで自然法則とは乖離しているので、子を産むことはもはや人間としての使命ではないとは思います。でも人間の多様な価値観の一つとして、あえて苦しい道を選んででも生物としての使命に従うというのも良いかと思います。必ずしも悲惨な結果になるとは限らないですし。

死ぬのが怖い

僕の知っている人で死を体験した人がいない。

体験した人はみんな僕に体験を伝えることができない。

どんなことだって、あらかじめ先人の知恵を調べて準備をするが、この世のすべてのアドバイスは死の際までしか教えてくれない。

宗教は教えてくれるが、あれは願望だ。当てにはならない。

から、なるべく死を後回しにして、おそらく辛いと予想される死に方を回避するしかない。

でも、死後何がおきるかはわからない。もしかしたら死後の世界があったらどうしよう。その死後の世界は今よりも楽とは限らない。

生前の行いに関係なく地獄と呼ばれるようなところに行くかもしれない。

しかしたら輪廻転生するかもしれない。記憶がなくなるなら別の人になることだからそれはそれで怖くないかもしれない。

だがここら辺の宗教世界観はおそらく当たっていないと思う。

無限に死なない説

人間は単なる生物で、僕の自意識は僕の体、脳に依存しているからだ。

から死後は自意識は停止する。

停止するだけならばいいが、もしかしたら死の間際に主観時間は引き延ばされるのではないかという懸念がある。

人間事故ときなどスローモーションに感じることがある。

それと同じように極限状態で脳の主観時間が引き延ばされて、極限まで引き延ばされて死の際を無限時間に感じていつまでも死なないということもあり得る。

第三者から見れば、僕は死んでいるが、僕は死んでいる時間まで到達することができずずっとそこにとどまってしまうこともあるかもしれない。

実は毎日死んでる説

しかしたら、毎日死んでいるかもしれない。

記憶けが受け継がれ、次の日に新しい魂で目が覚める。

死んだ昨日の僕は、無限に死なない時空で閉じ込められたり、地獄のような場所転送されたりするかもしれない。

今日生きている僕は、明日が僕にないことをまだ知らない。

寝た後、知らない場所に行き苦行を強いられるかもしれない。

そして僕は「なんでこんなところに来たんだ?死んでしまったのか?家族にお別れを言いたかった」と思うが、別の僕はまた生まれ家族には無事な顔をみせていることをしらない。

anond:20230608184624

生物としての勝利ならわかるけど生物としての使命って感覚は逝っちゃってない?

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