はてなキーワード: 就職氷河期とは
四年前の俺のようだ。俺はリーマンショックからの就職氷河期に見事にぶち当たって、大学の就職浪人制度使って一留して
それでも無い内定のまま卒業してしまって、就活期間2年近くずっと毎日自己否定感に苛まれて死にたいとばかり思っていた。
実家で猫撫でてたらいきなり涙が止まらなくなって心療内科に通ったりした。
でもある日、惰性で受けた社団の面接で意外なくらいトントン拍子にあっさり内定が出て、むしろ拍子抜けした。
入る前は「世の中というものは俺にどれほど高い能力を要求するんだ」と恐れに恐れていた大人の世界というのは、入ってみればなんのことはない、
就活の苦労に比べたら信じられないほどヌルくて雑多で、多様な世界だった。
周りには「就職したらもっと苦しいんだぞ」なんて言う奴もいたけれど、就活の時の苦労に比べたら仕事での苦労なんて俺にとっては正直屁でもなかった。
就活の時の苦労は一体何のためのものだったんだ、と正直ムカついたくらいだ。
就活で測られるもの、求められるものは、要するに社会に適合するためのスキルでもなんでもなく、ただただ就活という歪んだシステムを乗り切るためのスキルでしかない。
あなたより不誠実で不真面目で、「社会に適合するための正当な手続きたる就活」を踏まえていない大人なんていくらでもいる。
自分の幸運を棚に上げて、あなたのような弱っている人間にマウンティングをかまそうとする言説も世の中に溢れている。
就活で植え付けられる自己否定感は、今のあなたにとっては紛れも無く真実で、あなたを苦しめていると思う。
実のところ俺も、今でもその解消に難儀してる。
でも就活は理不尽な運ゲーでクソゲーだ。就活なんてもんはペテンだ。
http://anond.hatelabo.jp/20160507082517
ニュースで景気が悪いとか日本の平均年収300万とか別の世界の話に聞こえてしかたない。
自分は大企業の派遣でお茶汲み+パソコン屋みたいな状況なんだが、みんな恐ろしいほど高学歴、そして実家も金持ちみたいなヤツばかり。
なぜ自分がこんな企業に入っているかと言うと実家の隣の人が事業やってて会社の偉い人と知り合いだったから。
就職氷河期に新卒でホワイトな正規雇用の職を貰えず、水商売で食いつないでたらそのまま30代。
ヤバいどころの話じゃ無いなと思って35になったら死のうと思っていた。
正直、水商売の時より時給で言うと大分下がって3000円ほどしか貰っていないが派遣も福利厚生が使える。
労働時間はそう長く無いので月30万ちょい。
ボーナスは無い。
ゴールデンウィークは10連休とかニュースでやってるけど、自分は不定休。
会社が休みでも雑務を任されれば出勤してパソコンで作業している。
そもそも土日祝日とは無縁で、連休なんかそうそう取れない。有給も無い。
そしてこの会社の人間も休日以外に休みなんか取っている人はほぼ居ないようだ。
そりゃ給料高いよと言いたい。
正規雇用だった知り合いも、親が介護が必要になったせいで無理矢理結婚して親が死ぬまで嫁に介護を丸投げ。
自分で介護をしている正規雇用なんて見た事が無い、大体家事育児も基本的に嫁に丸投げ家庭ばかりだ。
離婚は居るがね。
独身なら、趣味に金つぎ込めて貯金できる程度の年収のヤツもいるけど、そういうヤツはシェアハウス暮らしだ。
東京の非正規で一人の部屋に住もうとするのは贅沢過ぎる、自分もシェアハウスに住んでいる。
親は年金生活で保証人にならないので、連帯保証人は保証人会社を使った。
そしてシェアハウスなら保証人不要という物件はいくらでも有る。
みんな正規雇用で30代なら年収300万なんて余裕で超えてて、子供作るのも普通で結婚できていて
そういう人間ばっかり。
大学卒業して最初に入った会社は日給5000円、残業手当無し、賞与無し、でも正社員なハイパーブラックだった。
終電が無くなるまで働かせられ無理だと気が付き辞めてみたは良いが地方では正社員なんてそんなに募集しておらず水商売に。
東京に来て思ったことはマジですぐに金が稼げるし、沢山の仕事が有る。
非正規でも300万円以上すぐに稼げる。
きちんと就職活動を行っているのだろうか?それとも極端に学歴が低いのだろうか?
自分と似たような生活してる知人が、体調を崩して働けなくなり即自殺した。
非正規や貧困独身はそこまでして生にしがみついてもツライだけ。
でもそれは仕方の無いことだ。
この年になれば結婚も出来ない、稼いで楽しんでパッと散ろうと思っている。
とかさらっと言うけど、どの程度の大学で、どの程度の就職活動したわけ? 就職氷河期って別に100人が100人とも正規雇用に受けなかったわけでもないけど。
言っちゃあ悪いけど、学歴とかの「基礎」が足りなかったんじゃないの?
「身の回りに年収200万前後の人間しかいない」時点で驚き。申し訳ないが、「そういう層」の中にいて、そういう層を「みんな」と思いこんで、同じように生活していただけではないかと。
引っ越しすらままならないって、そんなわけあるかよ。
同じような仲間だらけなら、1人生活を2人でのルームシェアにするなり、3人4人とシェアするなり、どうにでもなるだろ。工夫しろよ。
ニュースで景気がいいとか日本の平均年収300万とか別の世界の話に聞こえてしかたない。
就職氷河期に新卒で正規雇用の職を貰えず、非正規で食いつないでたらそのまま30代半ばとかアラフォーとかそういうヤツばっかり。
昔なら、そういうプー太郎は家業を継ぐとかそういうゴールがあったけれど。地方の産業が死んで地方に仕事がないから
ゴールデンウィークは10連休とかニュースでやってるけど、非正規の雇用は不定休なことが多いから
そもそも土日祝日とは無縁で、連休なんかそうそう取れない。有給だって余るほどあるのに、会社の規定で一ヶ月に二日とか
決まった数以上取得できないので、余った有給は使われず消えていく。
正規雇用だった知り合いも、親が介護が必要になったせいで仕事を辞めて実家に戻って、親の少ない年金で暮らしながら介護してた。
親が死んで復職しようにも、マトモな仕事がなくて非正規雇用の安い仕事でなんとか生きながらえている。
待遇のいい職業でも退職したら、元のレールに戻れない世界。介護するひとや育児で退職する人にはあまりにも厳しすぎる。
独身なら、趣味に金つぎ込めて貯金できる程度の年収のヤツもいるけど、そういうヤツは実家暮らしだし。
都会で家賃とか自己負担だと立地によっては年収200万だと辛い。
でも、学生時代から借りていた賃貸を引っ越すにも、親が年金生活で保証人にならないので、連帯保証人が立てられず引越しすらままならない。
こういう人って世の中では少数派なのかな。
みんな正規雇用で30代なら年収300万なんて余裕で超えてて、子供作るには厳しいけど結婚できていて
俺と似たような生活してる友達が、体調を崩して生活保護貰ってなんとか食いつないでいる。
体壊したら、俺も似たような状態になるんだろう。
コメントすべて読ませていただきました。どの意見も至極正論で返す言葉もありません。
就職氷河期やリーマンショック時に比べて遥かに恵まれているにもかかわらず、たった10社落ちただけで喚いている自分が本当に情けないです。自分の準備不足を制度や日程のせいにしていることも重々承知しています。
努力が必ず報われるなんて考え方は甘すぎるし、学歴だけで人生上手くいくわけがないですよね。コミュ力が無いなら、別のスキルを磨いておくべきでした。通年採用の弊害については、完全に勉強不足でした。私のような人間はさらに苦労することになるのですね。二番煎じについては大目に見てください。文才が無いので、このやり方しかありませんでした。
説明会や面接に向かう際、通勤ラッシュの満員電車に乗ることがあります。スーツ姿の皆さん全員が就活を乗り越えたんですよね。本当に尊敬します。
死ぬべきは日本じゃなくて私ですよね。でも、首を吊る勇気も無いヘタレなので、もう少し就活を続けるつもりです。落ちた原因を考え直すところから始めます。縁あって皆さんの働く企業に入社できた際には、よろしくお願いします。それまでに、この腐った根性を叩き直しておきますので。
赤は一回くらいあるかもしれないけど、青ってもらったことないな。
これも就職氷河期で、就職に失敗して非正規と派遣で10年食いつないでたせいなのだろうか。
業種の都合もあって円高の方が儲かってたので、円安のせいで業績下がって給料下がってちょっと辛い。
一人で暮らすには問題ないんだが、家族を養うとなると金はいくらあってもいいから。
はてブも互助会エントリでいつも同じ人ブログが定期的に上がってくるし新鮮味がない。
ニコニコみたいにはてなも生放送があったら、公式番組で司会まかされてる人なのかなってくらい同じ顔しかない。金太郎飴かよ。
お気に入りでいい情報ひろってくれた学者肌のブクマカもはてブやめて別のサービスつかってるし。
はてブで有用な情報を手に入れられた時代が5年前に終わってた絶望で持病の尿漏れが止まらないので、私を気軽に驚かすのをやめて欲しい。
苦い思い出だ。
当時の私は極度にネガティブになっていた。
ネガティブ思考にも波があったから双極性のような症状だったのだろう。
招待状には参加の返信をしたものの、当日になってドタキャンしてしまったのだ。
ドタキャンどころか、より正確を期するなら、すっぽかした、のほうが近いだろう。
得体の知れない緊張感や恐怖感に苛まれて、会場へ向かうことができなかったのだ。
当時の私は大学生だった。
今ならFランクとでも言うのだろうか。
スポーツの関係でそれなりに名前が通ってはいたが、学力の面ではどうということもないところだった。
実家から通えてラッキー、などと嘯いてはいたものの、正直なところ、内心では大学受験に失敗したと思っていたのだと思う。
同窓会へ行って旧友に合わせる顔が無いと思ってしまったのだと思う。
あの頃憧れていたあの子に合わせる顔が無いと思ってしまったのだと思う。
取り繕うべき体面など無かったくせに、生半可な見栄を守りたかったのだと思う。
その後、同窓会の招待状が届くことはなかった。
開催自体されていなかったのか、私だけ招待されていなかったのか、知る由もない。
そして今年は、招待状が届いた。
現在。
就職氷河期ではあったものの縁故を頼って潜り込んだ中程度の会社で、大して昇進もできずにぼんくら中間管理職である。
結婚はしていない。
臆病な自尊心も尊大な羞恥心も、未だ変わらずに胸の中を渦巻いている。
さて、私は同窓会へ出席することができるのだろうか。
高齢者って、65歳以上を指すんだった。
客先常駐先のお客様は、早くないかと言うけれど、僕にはフィットする感覚だ。
本人が希望すれば、65歳まで会社に勤めることができるように法改正がされてすぐに、
自分の会社は55歳以上は7~8割に基本給が下がるよう給与体系を変えた。
派遣か客先の委託業務で業績を上げている会社だから、売れない老人は要らない。
あーなるほど、なるほど。そんな諦めにもにて、納得にもつかない冷めた気持ちは
割合にして約27℅。
下がる気配は全くないという話だから、
自分が55歳になった時は感覚的に二人に一人は年寄りになっているのだろうな。
自分の生まれた国の衰退を肌で感じながら生きていく感覚は、やっぱり嫌だなぁ。
でも課税を回避出来るだけの所得も資産もない自分にはここしかなくて。
みんな徹夜してトイレが仮眠室代わりになってて、トイレの個室が塞がっている。
ウンコしたい時に会社のトイレでウンコができないことがよくある。
繁忙期になると、昼休み以外はウンコをするのに会社を出て、近所のコンビニに行かないと行けないレベル。
慢性的にトイレの個室が塞がっている状況を社長は知らないのだろうか。
その日、私は食べたモノが悪かったのかおなかがゆるゆるだった。
尻を刺すような猛烈な便意。
痛みで思わず立ち上がるほどソイツは私に一刻の猶予もないことを知らせた。
最近は暴食による大量の排便により肛門の穴が緩みきっており、
我慢しても緩んだ括約筋は穴の開いた堰のように役に立たずちびる経験がたびたびあった。
まだ会社にいない時にしか漏らした事はなかったが、いい大人が漏らした便の処理をする侘しさというのは筆舌に尽くしがたい。
小便と違って、大便はもらすと取り返しが付かない、小便なら車に水をかけられたとごまかしてズボンを取り替える方法が使えるが
不摂生による油っぽい便は猛烈な悪臭を漂わせるので、一発でわかってしまう。
小便の塩辛い海のようなかおりなら、海辺に近ければ海水でごまかすこともできよう。大便はそれすら許さない。
私は日ごろの生活で消耗しきった肛門を奮い立たせた。
三十数年も共に過ごした相棒だ。大切な局面で私を裏切るわけがない。
しかし衰えた括約筋だけでは勝てないと悟った私は女性が好きな男性のナニをくわえ込む時のように全力で内股に力をこめた。
このとき、女性とはこれほどの筋力を性行為に使っていたのかと感心する余裕すらあった。
当然会社のトイレまでやってきたがトイレは塞がっていた。想定内だった。第二波が来た。尻をさす痛みはあるがあと5分は耐えられる。
もらすほどともなると、自分の肛門の限界を知ることができる。アスリートのようにペース配分すらできるようになる。
最悪、多少の漏れは妥協するしかない。自分の肛門のスペックを知り尽くした者だけに許される割り切りの美学だ。
急いで他の階のトイレを回る。もう肛門が限界のため外のビルに行き着くだけの余裕はない。神に祈った。
もうかなりヤバい状態だったから、内股で一歩ずつゆっくり歩くことしかできない。
この階のトイレも個室はすべて塞がっていた。
背水の陣だった。
最後の希望、犯人は犯行現場に戻るというではないか。一縷の望みをかけ最初の階のトイレに戻った。
結果はダメ。そらそうだ修羅場時期のトイレがそう簡単に開くわけはなかったのだ。
こんなことになったのも一億総活躍できない政府にも一因があるのではないか。
天に唾を吐くレベルだとわかっていてもそう思わずにいられなかった。
就職氷河期に専門学校を出て入れたのは、最低賃金のアルバイトだけだった。
なんやかんやあってバイトで積んだ経験と資格をアピールして、派遣で今の仕事にありつけたのだ。
いい年になっても年収は200万行かない底辺だが、この仕事がこのワタシにとって一番稼げる仕事だった。
これがダメなら最低賃金でピッキング作業をする仕事に戻るしかないのだ。
独身だけど築45年の安アパートで贅沢に暮らせていけてるだけでいいのに、なぜ神は私にこんな貧弱な肛門を与えたのだろうか。
ここで自分の過去のことを思い出していたことにはたと気がついた。
ああ、これが走馬灯ってヤツだったのか。しかし神は存在した、いま私の目の前で個室が開いたのだ。
全力で個室に飛び込み安堵してズボンを脱い……悟ったころにはすべて遅かった。
そう、安堵すると肛門は緩むのだ。
私は再び肛門期の訪れを感じていた。
やまもといちろう氏のブログがはてなブックマークつきまくっています。
それとは別に「子育て」や子育てと出産の問題について、論争すると大抵いろんなところで炎上するのを見かけます。
なぜなんでしょう
過去にフリーターブームがあったとこ思いますが、就職氷河期前後から2015年ぐらいまでの間って、それぞれの生き方とか個人の意思を尊重しようていう発想が日本に根付いた時期だったように思います。夢を追いかけるもよし堅実に生きるもよしっていう日本に自由があった(ように思える)当時が懐かしく思えます。だけど実際の日本をひも解いてみると違うように思えるますよね?特に都心や郊外だと「婚活」「妊活」なんかがもてはやされて、結婚して出産して尚且つ仕事もできる人が優れているような風潮がみられます。(テレビでもそういうブームをあおっているように)
ブームに乗れなくて気づいたら40歳になってしまった適齢期を過ぎた人。実際出産までは上手くいったけど再就職に上手くすすめない人。保育園の確保ができない(もしくは保育園にお金を割くことができないプアー層)なんかだと思うんですよね。いままで自由を謳歌してきたけど結局行き着くところ日本全体の風潮は結婚して出産すべきっていう流れ。非生産的な独身貴族がいい年してして結婚していないと白い目で見られます(これは都心より地方の方が多いと思いますが)
日本はムラ社会です。いまに始まった事ではないですが、隣の芝生は青く見えますし自分の子供が保育園に入れなくて知り合いの誰かが上手く入り込めたら「なぜ自分が!!」ってなります。結婚して子供がいない家庭というのはなんとなく「残念な家庭」もしくは「欲しくても恵まれない家庭かも」というレッテルが貼られます。結婚しない人は「結婚できない人」と同義語に近いです。順当に20代で結婚して、旦那さんの稼ぎが安定して20代半ばに出産して、適度に社会復帰ができる家庭が今の日本の理想像でどこかに歪があればそれは日本の一般家庭の中での異端児であり可哀そうな人たちになっちゃうんですよね。
子供を産め育てろはうっせーお前に言われることじゃねーよ!って所は同意する。
「出産・育児が終わってからキャリアを開始できるわけがないのにその道を示すなんて現実的ではない」その通りだ。
なぜ、それが現実的ではないと切り捨てるのか。
子育てひと段落してからキャリアをつめない(積むのに相当な努力を要する)のはおかしい、そこをなんとかしようという風には考えないのか。
私は就職氷河期初代で、少しニートしてブラックで働いてそこ辞めて普通の会社で非正規から正規になって働き、結婚して熟年離婚した自分の親と同居して子供産んで2人目の保活で挫折して会社辞めて親が病気して死んで、子供の手が少し離れたから学校行ってる間ちょっとパートしたけど3人目出来て今は専業主婦でカツカツな生活してる。
生活も厳しいし今後の子供の進路のこともあるから3人目がある程度落ち着いたらまた仕事探さなきゃいけないけど、子供がいて40オーバー、学歴も大した事ない、特殊な資格もない、パソコンもスマホ一通り使えるけどエキスパートじゃないから正社員、事務員なんて無理。(2人目の育児落ち着いて探したけど無理だった)正直パート仕事だって子供3人いたら厳しい。子供が熱を出すリスク3倍、子供の休みには働けない。
この国は一度レールから外れたらそうそう戻れない。大学からの就職の流れから落ちてしまえばもう戻れない。子供がいたらなおさらだ。
子供いなくても年齢があがったら流れに入れない。だから流れから出てしまうような事、流れに入れないことを勧めるのは非常識。
でも戻れないのがおかしいから戻れるようにしてこうって考えはないのか?
安倍首相が子供3年間抱っこし放題といって、育休3年間って話を持ち出した時、現実的ではない3年間あいたら戻れないって意見がおおかった。現状そうだろう。
だけど、3年間育休取れてなおかつ戻れるルートはないのか?現実的ではないから潰すんじゃなくて、3年間取れて確実に戻れる道を考えて、そこを開いて、今の1年で戻るルートと併用出来れば、0才から保活で苦労とか入れないから仕事辞めるってのが減るんじゃないか?
受け皿を大きくする事にばかり熱心で受け皿の種類を増やす事を潰してないか?
あ、これに触れると信者、ネトウヨと言われるかもしれないから、私は安倍信者じゃないのは付け加えとく。
現実的ではない馬鹿馬鹿しいと言ってあの校長や安倍晋三のアレを全否定して非難する人間はキャリアのルートから落ちてはならないってベクトルで若い人を、そしてレールから落ちた人間を殴りつけてる。
一部の本当にトップクラスや理系は除いて当時はトップ校でも文系は壊滅的だった。
さて…、15年ほど経ちあの時と自分の周りを見てどう思うかの話だが。
自分の知り合いは当時雇用が旺盛だったITに行った人が多かった。ITはその後も躍進し続けて、現在でも人の足りたことがない業界という事で、その頃そういった企業(主にSIだったようなきがするが)に行った知り合い達はその後もそういった会社で長く働いている。充実しているかどうかは別として、忙しそうだ。
ここまではまぁ分かる。
ところが、ここからが本題で当時社名ブランドを優先させた(職種や中身ではなく)上位校の人達はその後どうなったか?
これが芳しくない。皆、当時ブランドがあった(社名が知られていた)企業に就職していったが、それらの企業も新卒維持にかなり無理していたのだろう。よほど堅実な所以外はかれらも皆、そこをいろいろあって(会社がなくなったり、買収されたり、リストラされたりなどなど)四散しているというのが現状だ。
私も氷河期世代だったが運良く内定を3つ貰えた。更に私はこの人よりも恐らく愚かな学生だった。Fランクとまでは行かないが微妙な偏差値の私立文系で、しかもサボること遊ぶことばかり考えている典型的なバカ学生で真面目ですら無かった。おまけに就職活動も30社ぐらいしか受けなかった。しかし幸運なことに就職浪人にならずに済んだ。
まずほんとうにあるかどうか知らないが、どう考えても学歴フィルターがありそうなところは避けた。よくある失敗で、ポンコツ大学生が記念受験的に次々に有名企業にエントリしてはESで弾かれるというのがあるが、そういうことはやらなかった。ESを書くのも労力がいるし、受かる可能性が0に近いところにエントリするのは時間の無駄である。万が一、何かの間違いで書類選考を通ったとしても、筆記や1次面接で落ちる。そういう会社は既に自分よりもハイスペックな学生が沢山エントリしているのだ。レベルの違う相手との戦いを避けるのは当然である。
私は当時「事務職=オワコン」と考えていた。当時から事務職は派遣社員や外注、更に中国などへのオフショアが始まっていて、はっきり言って未来があるとは思えなかった。また、父親が某電機メーカーで総務をやって、パソコンや机や蛍光灯をロットで購入して事業所に分配するなどという仕事の話を聞いて、はっきり言ってつまらなそうだと思った。
一方で学生が嫌がる営業や販売、ITは積極的に受けた。ものを売る仕事や作る仕事はなくならないと思ったからだ。ただ文系なので作る仕事といえばITぐらいしか無かったのだが、それでも自分が作ったものが世の中に出て行くというのは非常に魅力的に感じた。
しかし外食産業や介護、運送業は受けなかった。理由は後述する。
就活が始まって最初の頃は、興味のない会社や業界の説明会にも積極的に参加し練習代わりに面接も受けていたのだが、やはり興味のない会社の説明会ほどつまらないものはなく、電車賃の無駄と感じるようになり、興味のある会社だけ受けるようになった。要は「受かったら入りたい会社」だけ受けるようにした。入りたくもない会社に入っても仕事が苦痛になるだけだし。
外食・介護・運送といえばブラック企業という言葉が一般化する前からブラック業界で有名だったが、これらも単に興味が無いから受けなかっただけである。
内定をもらった会社は、いずれのところも人事と仲良くなった。自分が入社したらもしかしたら一緒に働くかもしれない相手である。仲良くしておいたほうが得だし、逆に仲良くなれないような人が採用担当をやっている会社は何かヤバさを感じだので辞退したり、面接を適当にして落ちたりした。ただ2社に辞退の連絡をする時非常に心苦しかったが、ちゃんと話をしたら応援してくれた。まともな会社の採用担当はオワハラなどしないのである。
営業職→WEB関連に転じ、何故か人事で採用をやっている。あれだけ事務職はオワコンと思っていたのに仕事はそれなりに楽しい。しかし現場への未練もある。なんというか人生はままならないものである。ただそれでも「この人と一緒に働きたい」と思ってもらえるように努力しているつもりである。
もしお祈りメールに悩んでいる学生がいたら、あまり深く悩まないで欲しい。単にミスマッチなだけで、あなた自身に問題があるわけじゃないから。
バブル景気(バブルけいき)は、景気動向指数(CI)上は、1986年(昭和61年)12月から1991年(平成3年)2月[1]までの51か月間
ただし、多くの人が好景気の雰囲気を感じ始めたのはブラックマンデーをすぎた1988年頃からであり[4]、政府見解では、1992年2月までこの好景気の雰囲気は維持されていたと考えられている[5]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%96%E3%83%AB%E6%99%AF%E6%B0%97
日本において、1971年から1974年までのベビーブームに生まれた世代[1][2][3]。第二次ベビーブーム世代とも呼ばれる[4]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%A3%E5%A1%8A%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%8B%E3%82%A2
→現在の41~44歳
バブル景気を1988年からと定義すると、当時は14~17才。学生。
1951年~1960年に生まれた世代が断層の世代とされており、人口は約1660万人
団塊の世代の次に現れた世代であり、高度経済成長の時代に育った。バブル景気も経験しており元祖オタク世代でもある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%AD%E5%B1%A4%E3%81%AE%E4%B8%96%E4%BB%A3
→現在の55~64歳
もううんざりだよ!
ざっと列挙すると、こんな感じだろうか。
(ちょっと間が空く)
懐かしい話が多かったので思わず便乗してみた。記憶頼みなので資料はない。低質な記事ですまない。
90年代前半といえば団塊ジュニア世代が若者だった時期のはずなのだが、大量にいたはずのオタクじゃなかった人達は当時何やってたんだろう?
バブル崩壊、就職氷河期などが直撃して色々とどめを刺された世代なのは、団塊ジュニアの子ども世代が少ないことから見て明らかなのだが…