はてなキーワード: 印刷とは
といってももう一月くらい前の話だ
ツアーに丁度都合が良いのがあって、両親や妹と一緒に行ってきた
話には聞いていたが、確かに広い
なんでも山を一つくり抜いて作ったらしい
まるで要塞みたいだなと思った
入り口のすぐ近くにとりあえず見ておきたかった「システィーナ礼拝堂」の完全再現コーナー(システィーナホール)がある
なんとなくオードブルとして、でかいステーキが出てきた気分である
本物とは違うというのはあるのだろうが、それでも迫力は圧倒的だ
後から見た感想としては、ああいう大きな展示を撮影する際は動画の方がよさそうだと感じた
写真ではズームすると細切れになってしまうし、引いて全体を移すとあんまり撮影する意味がない画になってしまう
一つ上の階に登ると現地では見れない、側面からの鑑賞もできる
見る位置が変わるとかなり印象が変わるので、行った際はぜひそこからの眺めも見て欲しい
名画の前にならんで記念撮影というのはなかなか無い機会なので、思い出作りに良いと思う
これは大塚国際美術館ならではの体験だと思うのだが、あそこでは名画に酔うという経験ができる
陶酔するといった意味ではなく、車酔いとかそういう感じになる
国立博物館の企画展などでメインを張るクラスの名画が、ずらっと並んでいるせいだ
昔、ベルリン国立美術館展で「やった! ついに本物が見れたぜ!」となった、レンブラント(工房)の「黄金の兜の男」という絵がある
辻邦生の風の琴という名画から連想して作られた短編集があるのだが、その中で気に入っている話の一つがこの「黄金の兜の男」を主題にした話だからだ
まあ研究の結果、レンブラント本人が描いた絵じゃないと判明したらしいが、そんな事は関係なしに気に入っている絵だ
その個人的に思い入れの強い名画が、レンブラント(工房)の作品が集められた部屋では、割と脇役的なポジションに置かれている
まあ仕方がない
有名な「夜警」を始め、レンブラントとその弟子たちによる代表作が、さして広くもない部屋にぎっちり詰まっているのだ
まるで完食したら賞金が貰えるタイプのドカ盛り料理を、3人前くらい目の前に並べられた気分である
が、それでも絵の凹凸まで再現されたレプリカには、本物の何割かの迫力は備えている様に思えた
そういうコーナーがあの広い敷地に一日で回りきれない位あるのだ
名画の見過ぎで目と心が疲れるという貴重な経験ができる機会は、なかなか無いのでないかと思う
正直、めっちゃ疲れる
見るものはたくさんある、いやあり過ぎる
上がったテンションそのままに、次から次へと見ていくと、あっという間にバテる(バテた)
途中で程よく休憩を取りつつ見ていくのが良いと思う
その為に椅子がいたるところに設置されているのもありがたい
個人的には1F(エントランスがB3Fなので実質4階)にある、ピカソの「ゲルニカ」を飾っているところが休憩場所としていい感じだった
ゲルニカを前に休憩というのもなんだか変な話だが、実際そうだったのだから仕方がない
広い館内を歩き回っていると、当然ながらだんだんとお腹も空いてくる
うちの家族は今年に入ってオープンしたという「カフェ・フィンセント」(http://o-museum.or.jp/smarts/index/502/)で昼食を取った
「まあ美術館のカフェだし、味はそこそこでお値段マシマシなんだろう」とたかをくくっていた
「ローストビーフサンドイッチ」×2と「ひまわりサラダと季節の野菜スープ」を注文し、大して待つこともなく渡されたブザーが鳴った
「ローストビーフサンドイッチ」は、そのまんまローストビーフを挟んだサンドイッチだ
普通に美味い
さらにポテトチップスに徳島の名産品である、すだちもついてくる
ひまわりサラダと季節の野菜スープには小ぶりなパンも付いてくる
サラダ自体がローストチキンと、ポテトサラダ、ひまわりの種などを組み合わせたボリュームのあるもので、それにスープとパンも付く
一般にサラダ系のメニューは女性など少食の人向けというイメージだったが、これは成人男性でも普通に満腹になる量だった
女性の場合は一つのメニューを二人でシェアする、といった食べ方の方が良いかもしれない
足りなかったら追加で注文すればいいだけだしね
そちらはカレーを注文する人が多いのか、カレーの匂いが凄かった
カレーの匂いが苦手な人や、腹が減っている時にはちょっと辛いかもしれない
1Fにはレストランもある
食事関係については美術館としては、かなり充実している方なのではないかと思う
周辺にお店などが無いというのもあるんだろうけどね
ミュージアムショップでの買い物を済ませ、入り口に戻ってきた辺りで親父とも話題になったのだが、陶板印刷という技術はやはり面白い
様々な理由から本物を鑑賞する事が難しい作品、焼失などで既に失われてしまった作品をあれほど精巧に再現できるのだから大したものだ
1Fではキトラ古墳の壁画の再現する作業の様子や、実際に再現された壁画の一部なども展示されていた
また入り口付近には大塚グループの総帥(ここだけ聞くと大塚が悪の組織っぽい)であり、この美術館の初代館長でもあった大塚正士氏の写真も飾られている
要はこの美術館を作った気合の入った金持ち爺さんの写真なのだが、これを見ながら親父と「うちの爺や婆の遺影をこれにできたら良いなぁ」という話になった
この陶板に印刷された写真というのは非常に劣化に強いのだそうだ
俺の祖父は亡くなってそろそろ20年近く経つのだが、その間に2回ほど遺影を作り直した
普通の写真ではどうしても日焼けして、だんだん色が薄くなってしまうのだ
数年前に亡くなった祖母の遺影もそろそろ作り直す必要があるだろう
とはいえ「(制作費が)結構するんだろうなぁ」となり、その話は流れた
クッパ姫を任天堂に公認させようとかいう意味不明な話が流れてきて、あー海外発だとコンテンツに評価が付いたらビジネスとして盛り上げなければいけないという話になるからそうなるよね、と思って見てたわけですが。同人は公式の黙認で成り立ってるからやめろって反対が起こるわけですよ。文化的背景から言えばそりゃそうだ、やめろ、と思うわけですが。
「公式の黙認」ってなんだよと。同人は若手が勝手に絵を描いてプロになる下積みとして機能しているわけじゃないですか。お前ら公式はどこから来たの? と。1980年代には宮本茂は死ぬ思いでマリオをゼロから創作したかもしれないし、手塚治虫はディズニーの丸パクリから全く新しい世界を築いたかもしれないし、彼らはPixivに版権絵をうpして絵を覚えたわけではないだろうけど、今の中の人は同人作家ばっかりじゃん。お前ら古巣の同人界に戻ってきてフリーライドしてるじゃん。
同人黙認システムが機能してるのは公式絵師が苦痛に思うからではなくて、既に「内容は把握しているし想定通りだし何も問題ないけど版権処理がめんどくさいから」「原作者以外のステークホルダーが睨んで止めるから」に切り替わってるよね。なんで止まるかって損するかもしれないからっていう反ビジネス的発想のせいだよね。オポチュニティの喪失ですよこれは。川上稔なんか自作のオンリーに申し込むんだぞ何買ってるのか知らないけど。
「販売する予定はないし、版権元にライセンスする気もないし、どこにも痕跡を残す予定もない。だから消せ。配るな。売るな。儲けるな。わたしを干せ」という主張は、不正な著作権の主張だ。著作権ってのは中世欧州において出版社が割れを売り捌く現象が多発したせいでできた権利だ。印刷所が薄い本を勝手に再生産して勝手に薄い書店に卸し著作権者が印税を干されて死ぬような事態が横行したか何かだ。そのために著作権者がまず正当な印税収入を確保するための出版物の独占的な発行権、つまり著作権を得て、金銭的収入を保護されることになった。もちろん現代では無尽蔵に拡大されて著作物の配布まで制御できるようになりそして同人黙認や同人誌のDMCA取り下げといった機構を提供するに至っている。だが、著作権は金銭的収入の保護のための権利だ。原理主義的には金銭的収入や社会的地位を得ない方向への制御は目的外の利用だ。「望まない形で公開されると盛り上がりが薄れる」はOKだが「盛り上がりすぎると困るので控えろ」は著作権概念の精神に反していて必ずしも保護される意志ではないのだ。
同人黙認グレーゾーン機構は、その核心に「このコンテンツをビッグにしたくない」という自死願望を組み込んで動いているために、現実的には機能しているが理論的に破綻しているのだ。このグローバル化の時代にあって(いつの言い回しだ)は早晩崩壊を免れない。それが日本から始まるのかコミケが海外のコンベンションに規模と薄い本の質で負けて海外から輸入されてくるのかは分からないが、いい加減になんとかならんのかこれ。
https://anond.hatelabo.jp/20180923171114
上のエントリを書いた者である。DTMはパソコンさえあれば始めるのにお金はそんなにかからないし、頭を使っている感じがして生きている実感が湧くし、作品として形が残るし、趣味として結構優秀なのではないかと思っている。
この話は「素人が自己満足のアルバム3枚を作った話」であり、間違っても「素人がDTMを始めてプロデビューした話」ではない。とにかく楽しんで何らかの形になるものを作ったということ。プロにすればゴミみたいな作品群だと思うけれど、自分としては満足しているし、人に聴いてもらうと「すごい、よく作ったね」くらいの評価はもらえている。お世辞かもしれないし、そもそも音楽を作ることってかなりハードルが高く思われているから「作った事自体がすごい」ということかもしれない。
音楽的素養はない。ピアノを習っていたわけでもないし、学生時代にギターをやっていたわけでもない。完全なる素人。
ただ、学生時代はいろいろな音楽を聴いていた。CDは最終的に1000枚くらい持っていたのではないかと思う(今は全てパソコンに取り込んで売った)。ジャンルは主に洋楽ロック系が好きだけれど、クラシックから民族音楽から流行りの曲まで分け隔てなく聴いていた。
「自分で曲を作ってみたい」とずっと思ってはいたけれど、何をどうすればできるのかがわからなかったので手を付けていなかった。コードとやらを覚えなくてはならないらしいし、パソコンで何らかのソフトを使わなくてはならないらしい。何より、自分の下手くそな歌を録音するのかー。うーん、ハードルが高いな。と思って時が過ぎていった。
■初めての曲
きっかけというきっかけは特にない。社会人4年目くらいで、仕事に絶望していた時だったと思う。
学生時代の友人の中にいじられキャラの人がいたのだが、突然に「そうだ、あいつの歌を作ろう」と思い付いた。まずはアルバムリリースの特設サイトを作った。もちろんそんなサイトは誰も閲覧しない。単なる自己満足であり「おもしろそう」というのが唯一の動機だった。
で、曲を作り始めた。どこからそんな情熱が湧いてきたのか今でも疑問なのだが、とにかくそれっぽい曲を打ち込みで作った。コードなんてわかんないから適当に音を重ねていった。たくさんの曲を聴いていたのでなんとなくの引き出しは豊富だった。作詞作曲編曲全て自分。歌謡曲みたいな2分くらいの曲ができあがった。
Windowsであった。製作工程はdominoでmidiを打ち込み、SoundEngineで波形編集、audacityでミックスと手間のかかる作り方をしていた。全て手探りなのでそのやり方しかわからなかった。その歌謡曲みたいな曲はUTAUでボーカロイドに歌わせた。1曲作っただけだったが達成感があった。ここまでかかったお金、ゼロ円(もともと持ってたパソコン代除く)。
後に引っ越しを期にMacに乗り換えてGarageBandで作るようになる。
■本格的にDTMを始める
本格的に、と言っても高い機材を買ったりしたわけではない。継続した趣味としてハマったということである。コスパの良い趣味が好きだ。買ったものは下記(Mac除く)。
いまだにこれ以上買っていない。投資額たったの10,000円でかれこれ5年以上遊べている。カラオケ2〜3回分の投資額で数年ものあいだ熱中できるってすごくないか。もちろん、沼にハマるといろいろ欲しくなったりするらしいけど、今のところこれだけでなんとかなっている。
曲作りにおいて苦労した点は特にない。自分が作りたいものを作っているからだ。煮詰まる時とか、アイデアが出てこない時とか、ギターが全然上手に弾けない時とか、歌が下手過ぎてがっかりする時とかあるけれど、全てが楽しくて充実した時間である。
アルバムと言ってもコンセプトがあるわけではないし、誰に頼まれているわけでもない。10曲くらいできたら1枚にまとめる感じ。アートワークとか歌詞カードも作って、自宅のプリンタで印刷する。空のCDケースとブランクのCDを買ってきて、裏ジャケと歌詞カードをはめ込み、CDを焼けば世界でひとつだけのアルバムの出来上がり。
で、再び趣味として曲を淡々と作って、アルバムを作る、というのを3回繰り返していたらアルバムが3枚できていた。
■どんな音楽作ってるの?
もともと洋楽オルタナティブロックが好きということもあってそういうのに寄りがちな作風になってしまう傾向にある。ただ、1曲作り終えると「次は違う感じのを作ろう」と勝手に思っている自分がいる。なので、振り幅は大きいと自分で思っている。最近はEDMみたいなのも作った。
自己満足とは言えど、架空の誰かに聴かせるのを前提に作っている姿勢はある。なので、自分なりにこだわっているつもり。1曲の中で飽きさせないことを最大の目標にしている。まーでも結局は自己満足だな。
■ボーカルの録音
最初のうちはクルマで山奥やイオンの駐車場の端っこに出かけて窓を閉め切った車内で録音したり、自宅で布団をかぶって怯えながら録音したり、カラオケで録音したりしていたが、面倒になって昼間の自宅で堂々と声を張り上げて録音するようになった。特に近隣住民から怒られたことはない。
DTMを始めてから明らかに歌が上手になった実感がある。カラオケでも下手くそだったのが、今では高得点が出る。作っている最中は自分の声を何百回と聴きながら編集するので、知らぬうちに聴こえの良い歌い方みたいなものを会得したのかもしれない。DTMを始めて自己満足以外の良かったことだ。
■ギター
DTMを始めると同時にギターを弾き始めた。と言っても、ライブをするわけではないので、特に練習を積み重ねているわけではない。曲を作っている中で「こんなフレーズが欲しい」というのを下手くそなりに弾いて、あとは編集でなんとかしている感じ。なので、いまだに「コードをなんとか押さえられる程度」である。ただ、良く問題となる「F」のコードは練習して押さえられるようになった。
ベースも買ったが、録音してみると音の粒が全然揃わないし、タイミングが少しでもずれると散々なことになることがわかったので、打ち込みでやっている。
DTMをやる上で必ずしもギターやベースは必要ではない。自分も全ての曲にギターを入れているわけではない。
■曲作りのコツとか
最初は暗中模索。理論も何もない。例えば「ベースとバスドラムはなるべく合わせる」とか「コード」とか「コード進行のルール」とか全くわからずに全て適当にやっていた。最初に作ったものを今聴いてみるととにかくめちゃくちゃ。だけど、そのめちゃくちゃさに味があって、あんなものは今は作れないなとも思う。音楽は自由だ。恐れるな。
プロのミュージシャンのインタビューを読んでいると「◯◯みたいな曲をイメージした」とか「この曲の元ネタは◯◯という曲」と言っているのを結構見かける。なので、私たちも「自分の好きな◯◯みたいな曲を作ろう」というスタート地点でいいと思う。
曲作りにはいろいろなアプローチの仕方があると思うけど、私は「メロディーから作る」派である。メロディーに各パートの伴奏を乗せていく。メロディーを思い付いたはいいけれど、それに合うコード進行がわからないということが結構あって、大変に悔しい。コードにメロディーを乗せていく逆のやり方もチャレンジしてみたことがあるけれど、私には無理だった。向き不向きがあるのだと思う。
1曲の中で「ここは◯◯みたいな感じが欲しい」と思い付いたらYouTubeでその曲のその部分を繰り返し聴いて参考にすることがある。それが自分のオリジナルになる。ウェブで調べればコードも出てくるので、それを参考にすると思った通りの雰囲気になって「すげぇ」とかなり感心する。それがオリジナルになる。音楽はパターンの組み合わせでできたパズルみたいなものだと思う。
そういう経験を重ねていくと「このパターンはこれ」「こう来たら次はこう」とわかってきて捗るようになるし「これじゃありきたりだから別のパターンが欲しい」なんてことも発想できるようになってくる。楽しい。何だこの曲すごいな、という曲に出会うと制作意欲が湧いて楽しい。
なんて偉そうに書いてるけど、いまだにコード進行はよくわかっていないし、よく使うリズムパターンも貧弱である。だけど、最初の頃よりはあらゆる点において格段に進歩している実感がある。それらをほんの少しずつでも習得していく過程が楽しい。
■歌詞
伝えたいことなんて何もない。ただ、歌モノにしたいので歌詞を書かざるを得ない。「韻を踏む」「陳腐にならない」「メッセージ色が強くなりすぎない」を心がけている。音楽以上に言葉は自由だ。好きにやるのが一番。
歌詞がどうしても思いつかない時には、歌詞なしのめちゃくちゃ語で押し通すこともある。最近はいよいよ書くことがなくなってきているのでめちゃくちゃ語が多めになっている。だけど、歌詞を考える時間も好きだ。
■まとめ
とりとめのない話になってしまった。まとめるとDTM楽しいってことになると思う。没頭すると1日が余裕で潰れる。1曲が1日で完成することもあるし、半年かかっても納得いかずに悶々とあれこれ試行錯誤することもある。それら全ての時間が愛おしい。沼にハマらない限りコスパも良い。
男性 > 総合 > 総合月刊誌 > オピニオン(社会・政治・ビジネス)
雑誌名 | 出版社名 | 印刷証明付き発行部数 |
---|---|---|
文藝春秋 | 文藝春秋 | 371,333 |
潮 | 潮出版社 | 133,967 |
WEDGE | ウェッジ | 131,150 |
中央公論 | 中央公論新社 | 24,667 |
Voice | PHP研究所 | 18,267 |
新潮45 | 新潮社 | 16,800 |
昨今『クッパ姫』がブームになり、猫も杓子もクッパ姫を描く・作って楽しんでいます。
しかしその片隅でとある問題が浮き彫りになった事をご存知でしょうか?
あるイラストレーターが『クッパ姫』を有料のイラストとして公開し、一部がそれを問題視したことです。
この件は大きな騒ぎになる前にイラストレーターが有料イラストの宣伝を取りやめたためそこまで大きな騒ぎとはなっていないが、今なお有料のイラストサービス(pixivFANBOXやEnty、Fantia)上に有料のイラストとしてUPされているのが現状です。
(以下、こういったサイトで公開されているイラストを『有料イラスト』と呼ばせていただきます。)
ここで私が問いかけたいのは「版権キャラクターの二次創作を有料イラストとして公開するのは、果たして『同人活動』と呼べるのだろうか?」という事です。
元来、同人活動は3つの「建前」によって版権元からお目こぼしをもらっているのが現状です。
1つ目は『作成した作品はあくまでファンアートの一環であり、版権作品への応援、布教が目的である』という建前で作成を見逃していただいている事。
2つ目は『読者にお金を出してもらっているのは、同人誌として頒布する際の印刷代等を補填するためであり、設けのために販売している訳ではない』という建前で頒布を見逃していただいている事。
3つ目は『同人誌は有限であり、印刷したものが無くなればそれ以上の金銭のやり取りは発生しない』という建前で金銭のやり取りを見逃していただいている事。
もちろん、内心ではそう思っていない方もいるでしょうが、版権元相手に「金儲けのために無断でキャラクター借りてるよ」と堂々と言い切れる同人作家はまず存在しないと思います。
しかし、有料イラストで版権キャラクターの作品を公開すると、上記の前提は全て壊れてしまいます。
イラストを見るのは閉じられたサービスの中で料金を支払ったごく一部となるため、『版権作品への応援、布教が目的』という同人活動の大前提は崩れてしまいます。
次に有料イラストの閲覧権限を購入してもらう行為も、そこに作者の負担となる印刷代が存在しないため、『頒布のために読者にお金を出してもらう』という前提とは全く異なる理由でお金を受け取っている状態です。
最後にオンライン上で公開されているイラストは常に公開され続け、過去のイラストの閲覧権を得る際も追加料金を支払う必要があるため『物品が無くなればそれ以上の金銭のやり取りは発生しない』という事もありません。
つまりまとめると『ごく限られた環境内で』『印刷費等の経費も無く』『恒久的に金銭を受け取っている』というのが有料イラストの現状となっております。
これがオリジナルの作品であれば「私の作品を応援してください!」という目的があるため全く問題はありません。
しかし、ファン活動の一環であるとして見逃されている版権イラストは果たして「私の作品」と呼べるのでしょうか?
これはあくまで私の感覚ですが、版権イラストを限られた場所の中で有料で公開し続ける行為は『海賊版』とあまり変わらないのではないかと私は考えてしまいます。
版権キャラクターを無断で使用したクレーンゲームのグッズや、版権元に許可を取らず発売されるフィギュアやプラモデルとやってる事は同じではないでしょうか?
「ファン活動」として見逃されているイラストに対して「対価」を得るのは果たして正常な状態と呼べるのでしょうか?
もちろん、そういった場で金銭を出してくれる方はイラストレーターのファンであり、納得ずくで金銭を出しているのは間違いないでしょう。
イラストレーターが収入を得るのは難しく、こういったサービスが非常にありがたいことも重々承知しております。
お互い納得ずくで金銭のやり取りをしている中、こういった意見が出る事自体が不快に思われることも重々承知しております。
上記の元「版権物のイラストは全て無償で公開しろ!」と主張するつもりも毛頭ありません。
しかし、作品を作る『クリエイター』として『他人の作品を借りて収入を得ている』という行為を一度考え直してみるのはいかがでしょうか?
版権キャラクターも元をただせば、企業に認められたクリエイターたちが作成した大切な『作品』です。
もし、貴方の腕が認められ、自分の作品で勝負できるようになった時、赤の他人から有料コンテンツとして貴方の作品を使ったイラストが『販売』された場合、どう思うでしょうか?
貴方の作品を使った海賊版が現れた時、貴方は純粋に怒ることができるでしょうか?
もう一度『貴方の作品』と『企業が作った作品』と向き合ういい機会ではないでしょうか?
最後になりますが、貴方の作品が世に認められ、大きく羽ばたくことを私は願っております。
PS
乱文失礼いたしました。
九大焼身自殺。きっとあのせいだ。
でもお金ない。仕事クビになったらどうしよう。なお直近で懲戒などを食らったわけではない。
しぬ。健康状態もよくない。胃が重い。酒でも飲んで紛らわせたい。胃が重い。
でもしねない。ごめんね、しぬ勇気もないんだ。
って書くと優しいブクマカは「いいから印刷して病院行け」ってコメントしてくれるだろうから言わない。
(言ったも同然である)
しばらく少し、落ち着いてた気がしたんだけど。
独り者でアラフォーだ。ついでにひとりっこ。
学生時代は
親に数万円貸す→3週間後に返ってくる→1週間後にまた貸す
の繰り返しだった。
詳細は書かないが、もちろん他にもいろいろあった。
大学へは行かせてもらったけど学生ローンを借りた(完済済み)。
実家からの引っ越し資金も出してもらえず、なんとか私が工面した。
出してくれそうな口ぶりだったところを、それ以上に私が貸し直すのなら無駄なのでと断った面もある。
私が社会人となった後、自己破産だか債務整理だかしたと聞いた。
(その際、○○信販に手続きに行くというから私の同級生がいるらしいともらしてしまったら、「じゃあお金返してもらうの悪いかしら」と言われたのを覚えている。そうだね、冗談だったかもしれないね)
こんな実家へは戻れないし戻りたくない。
しんどい。
おやすみなさい。
まずエクセル方眼紙にどう向き合うのか?
1.エクセルでどうにかする
3.差込印刷
エクセル方眼紙は撲滅できるのでは?
5.手書き
6.データだけ
要は、内容がわかれば良いのでしょ?
あなたの社内での話でしょ?
いいか、マジでアドバイスするぞ。 この様子だとIT系エンジニアだろ、同業っぽいし俺の方が少しだけ先輩だ。
しかし今の増田は疲れてて自分の状態を認識できない。だからまずは強引にでも休む時間を作りに行く。
ちなみに、100時間残業とか言ってる連中は、一部は本当にタフなのもいるが多くは日中ろくに頭を使わずにぼーっとしてるだけだ、気にするな。
まず、医者に行ってそのままのことを話せ。この記事を印刷して持って行ってもいい。 まともな医者なら休職できるようにうつの診断を出すだろう。
次、1ヶ月くらい休め。言うてそこまでボロボロでもなさそうだから1年も休む必要はなさそうだが、1ヶ月くらいは休んでもいいと思うぞ。
ま、自分が許せないとか不安があるなら2週間くらいでもいい。文章見た感じのカンでしかないが、1週間だと足りない気がする。
会社の方に人員的な余裕があれば別の部署やプロジェクトに移動できるかもしれない。それならそれでいいだろう。
それが実現しないなら2つ手がある。
1つは「以後かえって迷惑かけないように定時までしか仕事しない」とはっきり伝え、実際その通りにすること。 定時くらいなら帰り道にゲーセン寄るなり、家でゲームやるなり好きに過ごせる。 1,2時間は遊べるはずだ。
自分は市場の論理でオタ向けポルノ風表現がどんどん表に出てくる現状に爽快感を覚えていて、もっとやれもっとやれ、と思っているから明確にあなたの敵だな。
リアル書店は本当に他の本が売れないようで、二次元ソフトポルノな表紙が蔓延っている様にニヤニヤしてしまう。
職場で同僚が「なんか変なの印刷されてるけど無視して……」と苦笑いしながら資料を渡してきて、何かと思ったら、一番下に「萌え」って感じの肩を出した幼女がソシャゲの登録をねだるバナーがくっついていたのを見た時には「ブホッ」っ噴き出しちゃったよ。嬉しくて。
個人的な娯楽消費の損得で言えば、ラノベはもう飽きて読まないし、リアル書店でエロ本買うことも無いし、スマホ広告でソシャゲに登録したりBL電子書籍を買ったりしないので、書店やスマホでエロがゾーニングされようが撤去されようがどうでもいいんだけど、何なんだろうね、この解放された楽しい感じは。
自分の心で飼っているインナー「同級生に知られないように学区から離れた書店でこそこそラノベを買っていた中学生時代」チャイルドが「許された! 勝った! 俺たちの時代だ!」とはしゃいでいるのを微笑ましく眺めている喜びかな。