はてなキーワード: 優等生とは
中学生です。クラスの優等生のむっちりな女の子にちょっと好意を抱いてしまいました。交流と言っても同じ委員会で話し合ったぐらいなんですけど声がとってもかわいいんですその子、それでいけない事だと思うんですけど身体付きを眺めたりする様になってその子がCカップ(?)胸がおっきい事もわかりました。足とか腕とかはお肉がついてます。これは太ってるとか言わず大人の世界ではむっちりとか言うらしいんですよ。それを知ってからは街でもそのむっちりな女の人を見るとその子のことを思い出すようになってしまいました
最近、心配なのがクラスのキリトみたいなイケメンとかHIKAKINさんに似てるやつとがやたらとその子と話してる様な気がするんです。確かに僕のものじゃないって事は分かるけれどあんな男と付き合ったら悲しいじゃないですか。保健体育でやらやいから調べたんですけど女の子には処女膜ってのがあって初えっちの時にそれを破るとき結構痛いらしいんです。その痛いを興奮するような連中とえっちするのかと思うとちょっとね…
って、そろそろバックに教科書詰めなきゃ
むっちりってでもいいですよね
実際、もう既につまらんよね、絵の平均レベルは昔と比べて爆上がりしてるのにね
人当たりのよい使いやすい人を使った、コネ採用した、そんな結果なんじゃないかな
だったら、経済的な理由で漫画家にならなかった人の才能が拾えるように、社会常識と労働実態に合わせて契約したら良いと思う
尖った才能は取りこぼすだろうけど、べつにそれは今もそうだし、そもそも優等生がヒット作を出せないとかはないだろう
この10年でも100万部叩き出してる大ヒットタイトルはいくつもあるよね?
あと、編集が面倒を嫌がろうが、誰の目にも見ても圧倒的なレベルは、流石に社会常識ゼロでもどこかが拾うでしょ
なお、アニメーターにも社会不適合者が多いけど、日本の巨匠アニメーターはどれも会社無理そうなのばかり
『お世話になっております』と挨拶したら、『君をお世話などしておらん、不愉快だ帰りたまえ』とか、
割とあげたらキリがない
そういうことか。最初のレスの意味理解してなかったみたいだね、申し訳ない。
確かにそうかも。前提として失敗しない事が〝正しさ〟みたいに思ってるところはある。それに失敗するのは逆にチャンスだし学びだよねって意見も同意する。
これを言うと卵が先か鶏が先かみたいな話になるけど、失敗するのは悪だみたいな教育もまた誰も教えてくれないんだよね。失敗から学べる事も多いよ、悪じゃないんだよって。
優等生理論じゃないけど、いい子でいる事って当然いいことじゃん。そう言う人がいるから社会が成り立ってる訳だから。
でも大人になると、あの頃はヤンチャしたなーって社会に迷惑かけた奴の方が学びが多かったり優秀になってたりするんだよね。色んな社会経験積んでるから。
そういう誰も教えてくれない、世の中では良いこととされてる事(失敗しないこと、優等生である事等)を素直にいい事だと信じてきた人の方が社会に出たら躓いたりするのは酷だなぁと思う。
元増田の嘘が不誠実だなーって感じるのもただ素直に生きてたらそうなるわなぁと思うし、誰も教えてくれないんだよね。
幼少期
はじめて、教えられたのは
石積みだった
プルプル・・プル・・・
コトッ
「わーーーーーーーーー!!」
「パパ見てーーー! のんたんが、石積みしたよ!」
パパ
「おー、のんたん。さすが、でかしたぞ!」
「きっと、この子は立派な石積みする子になれるね!」
パパ
「そうだな、のんたんの将来が楽しみだ」
石積み、
だけど、ママもパパも、石積みをしている
ぼくは、ただなんとなく、石積みをしなければならないのだなって思った。
学校で教えられることも、みんな石積みについてのこと
石積みについて、いろんな見方で石積みのことを教えている
先生は言っていた、みんな将来は立派な石積みをする大人になるんだぞ!って
「おざきは、立派だ!みんなもおざきを見習って、高く積めるようになるんだぞ!」
立派がなんなのか、よく分からないけれど
石積みをちゃんとしていれば
いつかは立派な大人になれるんだと思ってた
だけど、
石積みは石積み
誰もしたい訳じゃない
したいっていうやつもいるけれど
それは、石積みをした後のことを楽しみにしていて
石積みだけがしたい訳じゃない
それは、とてもめんどくさくて、退屈な作業だ
みんな石積みは嫌いだけど、けどしない人はいない
ぶーぶー文句いいながら、みんなちゃんと毎日石積みをしていくのだ
中には、周りを油断させる為に
「俺、石積みなんて全然してないよー」とか言いながら
コトッ
そして、ぼくも今日も石積みをする・・
石積みをしている
ぼくは割りと、容量よく石積みが出来る方なので
石積みを続けてきて、分かったこと
それは石の積み方には個性があるということだ
学生時代の連中も、それぞれ石を積み上げてきた
石をたくさん積むのだけど、慎重すぎて積み上がった石が高くないやつ
石を積むのはうまいんだけど、安定感がなくてどこか危なっかしいやつ
石積みというものをいまだに、分かっていないやつ
石積みをしなきゃしなきゃと言いながら、全然やってないやつ
一見大きな石の山のようになっているけれど、親の積み上げたものに石を乗せている、すねかじりのボンボン
そう比較すると、わたしの石積みはとてもバランスがよくて、石積みをよく理解していると思われるような綺麗な山だった
崩れないほどに安定していて、無駄に安定させず工程数も増やさない、理にかなった重ね方
石積みの真髄は、いかに効率よく無駄な手間をかけずに高く積み上げること
そんな石積みを見て、まわりは評価する
君の石積みは立派だ
ぼくも君のような、石積みがしたいと
けれど、わたしには
いままでずっと感じていた疑問があった
なぜ、石 積 み を し な け れ ば な ら な い の か ?
「なんで、石積みをしないといけないの?」
「それはな、大人になってから分かる。そして大人になってから、石積みをしていて、よかったなーって気付くものだよ」
他の大人も似たようなことを言って、
同級生の友達も「石積みはしなければならないもの!」の一点張り
いつか、わたしが立派な石積みが出来たら、分かる日が来るのだろうと・・
けれど、そんな日は来なかった
理想の石積みに近づくほど、疑問は鮮明になっていき
日に日に、なぜ石積みをしなければならないのか
ただひたすら、石積みのことばかり教育されて、
石積みをさせるようにマインドコントロールさせているようにしか見えない
路頭に迷っていたわたしは、行き先もないのでふらふらとその病院へ行った
まーまー、あなたは、いままでがんばりすぎるほど、たくさん石積みをしてきました。
けど、わたしは石積みをする理由が分からないから、石積みをしたくないんです。
あんまり、石積みのことを考えてしまうと、それが負担になっちゃいますから、あまり深く考えずに、のんびり〜のんびり〜いきましょう。
はぁ・・
わかりました。
1ヶ月後
それから、わたしは、石積みに対する疑問は、ならべく持たないようにした。
これからも、わたしはきっと、石積みを続けていくんだろうと、ぼんやり思った。
蟻たちは地面の腐敗物を清掃するように
あぁ、なにかおかしい気がする
気を紛らわせてまで、したくもない石積みをしなければならないのは
なぜだろうか
われわれに都合の悪い奴は打たれてもらう/B族が叩く理由を作り、A族が叩く/不服をいう者は沈むことになる
戦後の日本とドイツは優等生になった。ドイツは東ドイツをソ連に預け、復興たのちに併合した。日本は途上国支援をし続けた結果、2024年にはドイツに抜かれることになった
おりしもイスラエルへの悪評が高まっており、永遠に沈みつつ華やかな経済活動を繰り広げるドイツ人らの心中はどんなものか
ナチスを叩いた英米のことを、完全無欠な正義の味方であると考えて平伏しているわけではなく、"1945年以来、当時は国際人道法の明確な規定が存在しなかったにもかかわらず、ドレスデン爆撃は国際法違反であり、人道に対する犯罪であると多くの人が考えている"
ダンジョン飯のアニメはライオスとマルシルのパワーバランスがなろう系主人公とポンコツヒロイン感ある。
原作は誰かに優位性を感じることなく、各自不得手あれど各々やっています…というバランスに感じた。
声がな〜ライオスはもっと「無」みたいな声がいい ちょっと低すぎなのとこんな人を慮って語りかけるような抑揚で話す男じゃないと思うよ。
マルシルのキャンキャン言ってる時のうるせ〜感はこれでもいいと思うけど、平時はそれと対比ができるような少し低めの喋り方をしてほしい。一定でキャンキャンしてる。
原作そのまんまっちゃそのまんまなんだけどなんだろうな?平均値の優等生って仕上がりだよな まあバンプだしそういう方向性なんでしょう。
ゴールデンカムイが全話無料だったので読んだけど、めちゃくちゃ面白いと同時に読んでて「狂気を計算で演じててネットの評価をハックするのに最適化されてる〜!」と感じた漫画でもあった(実際には一般人気もあることは前提として、あくまで作風の話)
「一見トンチキだけど実は真面目に読んでも面白いんです!」みたいな、「不良がたまに犬助けるとめっちゃ褒められる」理論を本来優等生をやれるスペックのある奴が再現して人気を最大化しようとする手付きを感じた
例えば作中屈指の異常者である宇佐美の異常性は主に「例え親友であっても腹が立ったら躊躇なく殺す殺人への抵抗感の無さ」と「精子探偵や門倉のケツを叩きたがる性的倒錯」の2つがあるんだけど、前者は鶴見の殺人理論の確立や尾形との対比の説明として重要なのに対して後者は作劇上必然性が全く無いんだよね
「作劇的な意図に関係なく作者の狂気が勝手に漏れ出てきたのでは?」という可能性もなくはないけど、少なくとも描写的にはウケ狙いに見えるというか作者が射精する男性にフェチを感じている可能性は低い
でも「アイヌの金塊を巡る真面目に面白い群像劇」みたいな紹介より「アイヌの金塊を巡る、精子の飛ばし合いで犯罪者と戦う奴が出てくるけど真面目に面白い群像劇」の方が注目を集めるのみならず真面目な部分の面白さも引き立つわけだ
このやり方って特にインターネット受けを重視する上ではめちゃくちゃ効果的で、ギャップによる魅力の上昇を狙えるだけじゃなくて「自分この作品好きじゃないわ」みたいな評価に対しても「まあ精子飛ばすような作品だし人選ぶよなw」で作品の本質的な欠点から批判をそらしてダメージ軽減することも出来るのよ
インターネットや評論家に受けやすいのは本質的な欠点が目立たない漫画なんだけど、「本質的な欠点が少ない漫画を愚直に作る」という選択肢の他に「表面的な『人を選ぶ要素』を散りばめてそっちに批判を誘導+真面目な面白さのギャップのためのトリガーとしても利用する」というクレバーな別解もある(そしてゴールデンカムイはかなりの精度で後者を成功させている)
だから作者は相当真面目で読者とネットの評価に目配せしまくってんな〜って印象だったんだが破天荒な作家扱いされてるのが結構不思議だった
別の漫画だとハイパーインフレーションもそういうハックをするタイプの作品に見えたし(そしてこちらも癪なことに面白い)、こういうあえて突っ込みどころを作ってギャップで評価の最大化+批判の誘導を狙う作風は今後一つのジャンルになるかも知れないな
少女漫画書かせて、自分に似せた屑サイコパス男を理想化してる連中がたくさん集まってるのが、あの手の企業だろ。
だからちょっとでも踏み込んだ話し作ると、とんでもない差別的でサイコパスな屑イケメンばっか活躍する話になってボロが出る。
それでストーリー性なんて全くないゲームばっか作って騙してるのが任天堂でしょ。
男向けに作ってる時は、出来る限りマイルドにして騙してるのにアレだからな。
んで、危険なサイコパスキャラ以外は、特に理由もなく感じ悪くて、簡単にぶっ殺されるゴミみたいな屑とか、うすっぺらいステレオタイプな熱血漢や正義漢や優等生キャラみたいなのばっかになる。
サイコパスキャラだけが、異常なほど深堀りされて魅力的に描かれるから、サイコパス以外の人間は、軽薄で中身空っぽのつまんない存在という危険な偏見を植え付けられる。
そりゃ、ペジータみたいな権力者の王子様のために、平気で大量虐殺でも侵略戦争でもやる奴がたくさん湧くわけ。
ロシアがーとか喚く前に、お前らの読んでる漫画を批判的に見つめてみろって。
エロがー規制がーとか喚く癖に、サイコパスイケメンの暴力描写を批判されると、頭の固いPTAと同一視して発狂するバカども。
エロが性犯罪を誘発することはないって統計的に明らかにされてて、逆に、称賛される暴力描写は、暴力を誘発する可能性があると言われてんのにね。
俺が通っていた小学校では、全校を挙げて朝にマラソンをする定例行事があった。通年行事だったのか、マラソン大会シーズンだけだったのか忘れたが、そんなのがあった。
みんな朝から体操服に着替えて校庭に集合し、10分間だったか忘れたが、グラウンドを走った。まあ、マラソンというよりジョギングに近いものだ。
で、6年生のある時、俺は軽い遅刻をした。
その遅刻が自分のせいだったのか不可抗力だったのかは忘れたが、みんながグラウンドを走っている頃に登校し、教室に着いたのだ。
全校行事だから教室には誰もない。いや、教室どころから校舎中から人が出払っていた。少なくとも教室の付近には誰もいなかった。
そんな中、ただ一人教室に残される俺。そして、みんなの机の上には脱がれた私服が置かれている。
女子の服を嗅ぎたい、と。好きな女子、可愛い女子の私服に顔を埋めてもいいのではないか、と。
みんなグラウンドを走っていて校舎には誰もいない。変態的罪を犯すのにこれ以上の好機は無い。そしてこの好機が訪れることも2度と無いだろう。
小学生の俺は変態キャラではなかったし、優等生では無かったにせよ普通のキャラだった。
短い時間の中で、見つかるリスク見つかったときのリスクと、欲望との間で葛藤した。特に、当時俺が好きだった女子は隣の教室でよりハイリスクだったので余計に悩んだ。
しかし結局、俺は罪に手を染めぬまま全校マラソンの時間が終わりを迎え、みんなが教室に戻ってきた。
俺が罪人になることは無かったのだが、全校マラソン中、教室には誰も来なかった。
恐らく、俺が女子の服を嗅いだとしても誰にも見つからなかっただろう。
服もぐちゃぐちゃにするならまだしも、上からほんのり嗅ぐぐらいなら本人も気付かなかっただろう。
31歳になった今も、ごくたまに思い出す。あの時女子の服嗅いでたらなぁって。一瞬だがいい思いが出来てたのになぁって。結局今も童貞だし。
ネックスピーカーは新調しなくていいから、1万前後の有線のインイヤーモニター(IEM)を買うことを勧める。
それで聴く音楽は当然として、バイノーラル録音の同人音声は迫力が違う。
素性の良い万能的な機種としては、俺の推薦はTKZK Ouranosだが、Amazonだとボッタ業者がいるし現在入荷待ちなので注意。
これは7千円台だが、半額しか出せないのなら3千円のTANGZU Wan’er S.G、逆に3万円出せるならSIMGOT EA1000が良い。
新作すぎてレビューがどこにも出回ってないが、最近ヒット作を連発しているKiwi EarsからFortezaというのが8千円ほどで近日発売になっており、デザインがすこぶる良いので見た目買いするならコレも悪くない。
ただ、音声メインの人は基本的にマルチドライバ構成のものよりもダイナミックドライバ1基構成の方が良いとされている点だけ注意。
コスパ最重視の場合は、スペックと付属品の充実というマニア受けが主体ではあるが、今は4千円のTRN Conchが突出しているので、冬場は冷たい金属筐体などを気にしないのならばそれを選ぶのもアリ。まあ冷たいのは最初だけだが。
もし音楽リスニング重視でハイブリッド構成に興味があるなら、最近は1基のダイナミックドライバ+4基のバランスド・アーマチュアを搭載した2万前後の中価格帯がアツい。
個人輸入前提になるが、Truthear NOVA、SoundRhyme SR5あたりが評判がよく優等生的なIEMとして挙げられる。国内で買えるものだとSIMGOT EM6Lあたり。
1年くらい前だとこの価格帯は平面駆動型が流行していて、LETSHUOER S12Proや武則天などが人気だった。
このドライバを積むと高域がきらびやかで詳細感がでやすい。こういうのも有線イヤホンの旨味。今でもコスパ的に選択肢になるだろう。
父方の実家が嫌いだ。
最近ようやくその縁が切れる目処が立ってきたのだが、いざというとき決心が鈍らないようにどんなに嫌いか書き起こしておくことにした。
緩やかな坂の上に建つ家は大きく、貧乏だった祖父が会社を興し一代で築いた。隣の家に行くのに坂を下り道路を渡っていかなければいけない。
いずれは父の家庭(つまり私たち)を呼び寄せ二世帯で暮らすことも考えていた、と後から聞いた。
その割には電気関係があまりに貧弱で頻繁にブレーカーが落ちていたので、どのみち無理だったと思う。
家の前は杉林でそのまま山へと続く。夏はアブが、冬はカメムシが大量発生する。
敷地は広く、車が三台収まるコンクリート造りの車庫に加えて大型の農機具が複数収まる小屋や鶏小屋、2つのビニールハウスを備えてなお広がる畑もある。
畑の先にはそれなりの大きさの池があり、祖父がそこに鯉を放し飼いにしており夕方には餌をやりに行っていた。
その池を回ろうと祖父が小型の舟を買ったことがあったが私は一度も乗った記憶はなく、舟は池の側で逆さで放置されていた。
祖父は昔からそうだ。思いつきで使いもしないものを大金はたいて買い、あとはゴミになる。成金そのものだ。
正月や盆にはその親族が大勢この家に集まって、仕出し料理なんかをとって宴会をする。映画のサマーウォーズのような風景だ(なお、このために私は本作が嫌いである)
私は普段はそこから車で一時間弱の県庁所在地に暮らしているが、長期休みや時には土日ともなればすぐさま連れて行かれ父の実家に預けられて過ごした。(これは祖父母の意向であり、母は嫌々だったと聞いている)
家の周りは田んぼと山で、歩いていける範囲にあるのは駄菓子屋のみ。
その頃にはすでに人口の過疎化が進んでおり同年代の子供は一人しかいなかったし、あまり気も合わなかったのでその子とはあまり遊ばなかった。
長期休みの始めから終わりまでを、家から持ち込んだ自由帳に絵を描いたり、擦り切れるほどに読んだ漫画をまた読み返したり、近所の家のお兄さんのお下がりのファミコンソフト数本でしのぐのだ。いつも学校で一緒の友達はみんな64で遊んでいる時代にも関わらず。
家業は建築業であったが農業も営んでおり、物心ついた頃から田植えや稲刈りに連れて行かれるのが普通だった。
当然ヒマだったし、それなりに成長してからは仕事が振られるがそれも嫌だった。
小学生の頃は春に運動会、秋に学芸会があったがちょうど田植えや稲刈りの時期と重なっており、父や父方の祖父母がそれを観に来た覚えはない。母と母方の祖母がいつも来ていた。
仲の良かった子たちの親はみんな会社勤めや公務員だったりして、行事のときには父母揃っている姿をよく見た。
羨ましいと思った記憶はないが、うちは何か違うんだなぁということは感じた。
一番嫌だったのは、運動会の後にはそのまま車で父実家に連行されて田植えに駆り出されることだった。最初から体操着を着ているので都合がよかったのだ。
運動会頑張ったから今日はレストランに晩ごはん食べに行こう、と話すどこかの家族がドラマの世界のようだった。
田舎の自然環境や農業中心の暮らしよりも嫌だったのは、親戚付き合いや近所付き合いだった。
道を歩いているだけでどこの家の人間かわかってしまう。他に子供がいる家がないからだ。
そして田舎特有の距離感で、なまりの強い言葉でやたらと話しかけてくる。こっちはお前が誰だかも知らないのに。
私は三姉妹の真ん中だが、みんなだいたい私を姉と思って話しかけてきた。
姉とはけっこう歳が離れているので普通なら間違わない。実際、地元の知り合いに私と姉を間違う人はいなかった。
しかし田舎の人たちは子供を見慣れていないので子供の年齢からくる体格の違いなんてわからないのだ。子供は子供、と一括りにされている。
そもそも私たちがいくつになるかなんて知らないし興味もなかっただろう。なら放っておけばいいのに何故か近寄ってくる。
妹とは歳が近かったし見た目も似ていたので当然間違えられた。最初から最後まで間違えたまま帰る人もいた。
中間子は影が薄いなんて言われることもあるが、姉と妹の名前は覚えているのに私の名前だけ出てこないなんてこともザラにあった。
母(というか女性)は親戚集まりの際には台所であれやこれやと仕事をしていなければならなく、それは子供である私達も同じだった。
ただ飲んで騒ぐだけの男たちにやれ酒を持ってこいだのあれが足りないだのと次から次に言い付けられても愛想のいい姉はちゃんと対応していたし、妹は人見知りがひどかったので常に台所で母にくっついて手伝いをしていた。
私も妹と同じく人見知りだったが母は妹に取られている、かといってよく知りもしない親戚連中のおばさんたちに指示を仰ぐこともできない。
人見知りなのだから愛想がいいわけもなく、私が「もっともだめなやつ」になるのは当然だった。
そのうち人前に出ることも手伝いをすることも拒否するようになって、親戚集まりの際には空き部屋に引きこもるようになるとますます評価は下がった。
「姉も妹もよく働くのに、どうしてあなたは」とわざわざ嫌味を言いに来るおばさん(祖父の妹の一人)もいたが無視していた。
上記のおばさんには奇しくも私と生年月日を同じくする孫(私からすると再従兄弟になる)がおり、彼はいわゆる優等生だった。勉強ができ、親の言うことをよく聞く子だった。(数年後に爆発して親と険悪、音信不通になったが)
更に私は高校受験に失敗するし入った学校は結局辞めるし定時制高校に入り直すもバイトに明け暮れて学業を疎かにして卒業が危うくなるしで株を落とし続けた。
親戚中からの「あいつはどうしようもないやつだな」みたいな空気は幼い頃から親戚集まりがあるたびに感じていたのに、後半はもう完全に腫れ物でいないものかのような扱いだった。その頃にはもうその方が居心地がよいほどに親戚が嫌いだったが。
高校に入ってすぐに父母が離婚して、当然私は母方の籍に入った。というか三人全員そうした。
父方の親戚たちは離婚時にまで首を突っ込んできた。(中でも嫌味おばさんはすごかった)
なんで夫婦の問題に祖父母どころか親戚が絡んでくるのか謎だったし、そういうのが当たり前な気質が気持ち悪かった。
元々苦手だった祖父母のことも、このときに嫌いだとハッキリ自覚したと思う。
それまでは幼い頃にそれなりに一緒に過ごした情があったというか「家族(親戚は別)を嫌うのは悪いこと」という固定観念があったので「自分は祖父母が嫌い」ということから目をそらしていたのだと思う。
幼い頃から父とあまり関わってこなかったせいか特に離婚そのものにダメージはなかったし、なんなら父とはその後不仲になる一方だった。
離婚後に実家に戻ったことで、父に元々あった、私の嫌いな「〇〇家(父実家)の人間っぽいところ」が顕著になったために父に対する嫌悪感が強くなってしまったのだと思う。
(親権は母が持ったが、みんなそれなりの年齢だったので私たちが父や父実家に関わるかは本人に任せるスタンスだった。そのため離婚後もときどき父実家に行ったりなどがあった)
離婚から十年近く経ってから、父が亡くなった。持病を持っていたし年々痩せていたので長生きはしないと思っていたがまだ五十代で予想よりもずっと早かった。
父とは、死の半年前に病院から退院する父を迎えに行ったときが最後だった。
私よりも父と過ごした時間が長かった姉や就職と同時に県外に出ていた妹は訃報を聞いて泣いていたが、私は一度も泣かなかった。飼っていたペットが死んだときの方がずっと悲しかったし泣いた。
その頃には父のことが嫌いとまではいかなかったが決して好きとは言えない、という程度で、なんなら二人が行くなら私は葬式に行かなくてもいいか?と姉妹に聞くくらいだった。葬式の日に舞台のチケットを取っていたのだ。私にとっては本当にそのくらいの関係性になっていた。
誰が喪主をやるかで揉めて、しまいにはすでに嫁に出て別姓を名乗っている姉に押し付けようとするために姉が泣く始末になった。
私は当然怒って姉を庇ったが普段ロクに喋らないので、おそらく親戚たちが聞いた最初で最後の私の怒声だっただろう。
嫌味おばさんが人生終了レベルのトラブルに見舞われたり(自業自得)親戚の中でも故人が増えたりしながら数年経った。
父の死後は、介護とまではいかないが姉に協力するという形で祖父母の様子を見に行ったり通院の付き添いをするようになっていた。
姉は祖父母を見捨てきれなかったが姉一人であの家に関わったら姉が潰れてしまうと思ったので協力することにしたのだ。
数年間そんな生活をしていたが、少し前に祖父が持ち前のクズを発揮して優しい姉に絶縁宣言をされた末に施設へ入った。
姉が縁を切るなら私ももう関わる義理はないので、自分が請け負っていた祖母の病院関係を整理したりして縁切りの準備をしている。
最低限の下準備はしてあげているので今後は自力でなんとかするだろう。というかするしかないけど。
姉と妹は結婚しているが子供はおらず、私に至っては結婚願望どころか恋愛願望すらない。
自分にもあの一族の血が混ざっていることが嫌だし、自分もああなってしまう可能性があるかと思うとボケたときなんかが恐ろしくてたまらない。
別に葬式もいらないし、火葬だけは法的にしないといけないので最低限のお金を遺して身元保証会社とかにお願いしておくから適当に無縁仏とかに放り込んでおいてほしい。
最近はそういうことを考える。