はてなキーワード: 偶像とは
13-14歳ラインにとりわけファンシーでファンタシーな偶像が形成されているのがデレマスである。
ちなみに、ちゃま(12)、ちえ(11)、まゆ(16)、りあむ(19)、などは、罪深いとは考えない。
それらはすでに明白な罪業を抱えている人を狙いうちした、罪業の具象化ジャンルに属する偶像である。
罪へと沈んでいく深さがあるわけではなく、業(ごう)そのものを軸とし、いわば業の擬人化によって救済を試みようとした色の濃い、業キャラである。
13-14歳ラインにも業キャラはおり、くるみ(13)、あつみ(14)が相当する。
軽度の業キャラとして蘭子(14)、幸子(14)も相当するだろう。このくらいの女性性寄りの業の軽さになれば気安く推せる人も増えてくる。
これらのキャラは、単一色の宝石に例えることができる。基本的に、単一のプリンシパルに従った動きをするキャラクターたちだ。
けれど表題の4人は、見る人の内面によって、オパールのような色を発するように見えることがある。
罪業に触れないはずであるのに、それを超える何かが束ねられている。
2.5のイケメン俳優等にハマってる人達が楽しそうで憧れてたんだけど、自分もやっと面白いと思える舞台作品に出合い、いわゆるイケメン俳優で「推そう」と思う人ができた。それが2年前のことだった。
それからはその俳優が出る作品を中心に、2.5やそうでない舞台を観に度々劇場へ足を運んだ。
推しはキラキラした外見とスタイルの良さが売りで、どんな舞台に出ても「彼はこのイケメンだらけのお話の世界観の中でも格別なイケメンのキャラなのである」と思わせる華があった。しかしそれ以上にアクションが上手で、いつかまた板の上で大暴れしてほしいなと思っていた。
そんな彼を追いかけているうちに直面したのは、彼の演技力の低さだった。最初は気にならなかったのだが、観劇の回数を重ねるうちに彼の演技はいわゆる「棒」であり、時には主演にもかかわらず共演の元アイドル女優にすら食われている状況だった。これまでは同じくらいのレベルのイケメン俳優とばかり共演していたので気にならなかったのだが、長年活躍しているバイプレイヤーたちとの共演では、彼の台詞回しは抑揚の無さが目立っていた。
私は元々映画が好きだったので、彼がいつか映画に出るまでは応援したいという目標があった。もし舞台を観に行かなくなっても、年間3000円ちょっとくらいのファンクラブ会費はしばらく払い続けてもいいかと思っていた。
今年の年明けにファンクラブから年賀メールが届いた。それは夢小説のように自分の名前が本文に何度か出てくるもので、最終的にメル画で見たような甘ったるい台詞を推しが喋っている体の文章で締められていた。
そのことをネタにしようと思ってスクショを取ったが、私に推しができて楽しそうにしているのを見守ってくれた友人各位にそんなものを見せたくないなと思った。
それから少し迷ったのだけれど、まだ更新期間までだいぶ時間のあるファンクラブを、昨日やっと退会した。
自分の中で「ガチ恋営業のように女性に夢を売る商売をやってのける俳優は、たぶんファンに対して誠実ではない」というイメージがあり、推しがその片鱗を見せたことが残念で仕方なかった。
これまで彼からはそういう匂いがしなかったので安心していたのだが(交流イベント等は定期的にあったが、自分は作品を通した彼が見たいためそれには一度も参加しなかったので雰囲気は不明)、正月のメルマガを見て「この人も事務所も、俳優としての限界を感じたからこういう方向に舵を切ったのでは」という疑いを持ってしまったのだ。
きっと彼はこれから俳優として成長するのは難しい。いつか有名監督の映画に出演してそのアクション能力を充分に発揮してくれることを願っていたが、その願いに投資しても望みは叶わないだろう。
彼は私があらかじめ覚悟していたようなスキャンダルも炎上もなかった。その辺は本当にきちんとしていて有難かった。それでも、生きている人間を応援し続ける事はとても難しいのだ。それがわかっただけで充分だった。
彼のお陰でいろんな俳優(男女含む)、演出家、脚本家や小劇団を知ることができた。俳優を軸に作品と出会うことは今までにない体験だったし、生で見る舞台の面白さも理解できた気がする。
また、残念ながら元推しから感じることはできなかったが、自分にとって「刺さる演技」が何なのか非常に明確に理解できるようになったような気がする。これは今後いろんな実写作品を見る上で役に立つ観点であろう。
何かに熱狂的にハマっている人は楽しそうだ。だが自分はその真似事しかできなかった。だって相手は生きてる人間なのだから。他人に自分の勝手な理想や希望を託し、期待することでエネルギーを得る生き方は、私には無理だった。「ガチ恋営業的な方向に行くのでは」と懸念している自分が気持ち悪かった。
彼の演技が成長してないとか勝手に難癖をつけてしまったけれど、俳優自身のほうが数百倍もっといろいろなことで悩み、苦労しているだろう。頑張っている「人間」そのものを批評することは、作品を批評することと全く違うように思え、私には心苦しかった。世間的にはアイドル俳優(偶像)であっても、私にとっては尊重すべき他人の一人だったから。
彼が仕事でどんなキャリアを積みたいのか、そんな事は私にはわからない。だからこそ自分の「俳優として頭角を現してほしい」という望みを託してしまうのは間違いだったのだと思う。
いろいろ書いたけれど、彼を追いかけていた2年間で得たものは、チケット代よりもはるかに多かったと思う。彼が知名度のある脚本家の作品や、ビッグタイトルに抜擢されるたびにテンションが上がった。追っかけ界隈の文化を色々学べた。現場で出くわす同担たちの会話を隣の席でこっそり聞くのも楽しかったし、ファンたちが心を込めて送ったであろうフラワースタンドの凝った意匠などにも都度感心したものだった。
ファンクラブを退会したことで非常に心が軽くなったことは確かだ。それでも、彼やスタッフたちには感謝の気持ちしかない。追っかけ活動はまさに生涯学習であり、適度に楽しめた私は幸せ者だったと思う。
「忠誠を誓う」とは「この人の命令には何でも従う」「この人の言うことは何でも信じる」と定義するとしよう。(ここで「違うよ、全然違うよ」という方は遠慮無く長文で突っ込んでほしい。)
ン十年の人生において「先生」「恩師」「師匠」と呼んで差し支えない人達、それは両手で数え切れないくらいには存在したが、ある人に対してこんな気持ちになった事は人生で一度も無いし、
むしろ「あーこの人、世間的には偉人扱いされてるっぽいけど控えめに言って屑やなー」とか「只の田舎のクソオヤジやなー」とか、結局人間って神様でも何でもなくて、いやむしろ神や仏ですら
「忠誠心」を獲得し一つ上野の意識高いステージにおわす賢人の皆様におかれましては、一体どうやって「忠誠」なるものを維持しておられるのか、その御神体や偶像を是非披露していただきたく存じ上げます。
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嫌味にしか目が行かなくて嫌味で返そうとしか考えが及ばなかった結果だと思うけど、「Please explain」の意味で合ってますよ。「共感」なんて虫唾が走る感情は地球上から全て滅び去ればいいので。「貴方の見解を求む」
就職し、結婚、自分の家を持つといったひと昔まえのロールモデルが崩壊し現在では旧世代的価値観としてしばし批判の対象となっている。
新たな時代、価値観に即した生き方が模索されているのは当然の流れである。
しかし若者(主に学生)の生き方としてあるロールモデルとも言えてしまう青春像は変わる気配がない。
何かに全力で打ち込むのは素晴らしい、恋愛をして恋人ができるのは素晴らしい、一生の友達ができてすばらしい etc.
それらのほとんどが素晴らしいという表現で様々なメディア媒体に顔を覗かしている。
もちろんこんなものを無視して我が道を生きることができる人間もいるが、もともと興味があるがゆえにこれら青春の偶像にとらわれてしまう人間は少なくない。
「素晴らしい」が「そうでなくてはいけない、そうでなければ全く無意味」と変容し、
それが実現できないがゆえに学生時代に悩み大人になってからも感傷にとらわれ続けてしまう危険性がある。
あくまでも素晴らしいという表現なのでこれを否定できないが、若者への呪縛となって苦しむことにならないようにする手立てはないものかとふと思った。
グレタ・トゥンベリをみてると美少女賢者の預言者扱いしてるメディアがたくさんいる。
バッカじゃねえのかなあと思う。
10代前半のジュニアアイドルが、反原発を打ちだしたら左派系メディアやご意見番が一気に持ち上げて、街宣車に乗せたりいろいろ喜んだってあれ。
彼女がその後どうなったのか、覚えている人がいるだろうか? ちょっと調べてみたら、理学療法士になっていた。
要するに政治運動に持ち上げられる生活を離れ、きちんと別の道を歩むことができるようになっていた。
グレタさん本人もこの扱いに辟易し始めてるらしい。彼女のいうことは年相応の少女の物であり、はっきり言ってそれに大人が右往左往するのは愚かだ。ただの偶像化であり、グレタ本人ではなく、政治主張に合致する偶像がいたから利用しているだけなのだ。彼女の意見など真新しいものではない。ただ、少女が言ってるということに多くの偶像化の利用価値があるだけだ。
が、彼女もそのうち大人になり、自分の人生を歩むことができるのだろうか。
そこが不安だ。
好きとか嫌いとか、どうのこうの。
でも罪深いのは彼女ではなく、彼女を持ち上げてジャンヌダルク扱いしてる世界中の大人だよね。
彼女の言ってることは、思慮が足りない、独善的で、軽薄な、年相応の子供の夢物語だ。
世界を二分論で語り、欧米リベラル系環境カルトの喜びそうなことをそのまましゃべっているだけだ。
ネットでよくある「子供が言った言葉にハッとされられた」ってあるでしょ。あの子供の役回りを世界中の大人に向けてやってる。
そういう子供の心理は「こういえば大人が喜んでくれる。私を褒めてくれる」というある種の悲しいロールプレイを演じることにある。
ところが、大人は全くその子供の悲しい習性を理解せず、「子供が曇りない眼で真理を突いたぞ」と持ち上げてしまう。
けいおんを、「子供が『なんで金髪碧眼の人しかロンドンにいないの?』と言ってた。鋭い」という親がいた。実際にはけいおんの劇場版には多種多様な人種が描かれていた。親は子供の演技に気づかずに、SNSに鋭い子供として紹介してしまう。結果、作品のファンから総ツッコミが入る。
子供は純粋ではない。聡明な子供は、親に褒められるために、親の喜ぶことを言う。
彼女のいうことにも、振る舞いにも、「周囲の大人を喜ばせるため」の物が多い。
だから彼女は周囲の大人が喜ばないことは絶対にしない。中国批判などは絶対に避ける。
いまや世界最大の温暖化排出国である中国批判を彼女はかたくなに拒む。
それが周囲の大人のイデオロギーであり、彼女が中国のような国を公然と批判するのことができないのは「ハリウッドやそっちの大人に対してうけが悪い」からだ。
彼女の立場は、彼女の能力や才覚によって作られたかのように見えるかもしれない。
だが実際には周囲の大人たち(世界中のあるイデオロギー層の大人たちともいえる)を喜ばせるために作られたものだ。
これは、なにも子供に限ったことではない。大人でもよくあることだ。
一つ鋭いことを言ったらバズった。そのあと同じ傾向のことを言い続けてだんだん過激化していくネットのアルファなどその典型だ。
本人が自分の意志でやっているかのように見えて、実際には周囲の要求に無限に応える偶像化しているだけである。
過去の捏造問題で、ある人物が炎上している。あれも、周囲の期待に応え続けた結果、うそをついて過去の恥を作り出さなければならなくなったんだろうと考えている。恥ずかしい過去や言動を晒すことで人気を得た結果だと思う。
大人ならば、それは自己責任が成り立つだろう。しかし15歳の少女に政治的偶像の立場は、はっきり言って残酷である。彼女の言動は、極端で感情的で、何より周囲を喜ばせるために過激化しているとしか思えない。飛行機に乗らないなどはまさにその典型だろう。
彼女をジャンヌダルク扱いしている大人たちは、ジャンヌダルクがどうなったか、その末路を知っているのだろうか?
同時にネットでバズって人気を得たアルファたちも、だいたいおかしくなった。
某国民的アイドルグループのN氏が結婚されたことについて、そしてご本人のラジオでこの件について言及されたそうなので、約7年担当した者として気持ちを表明したいと思います。
要点
1.匂わせをして、ファンにマウントをとった嫁の代わりに謝罪した上で応援を要求すべき。
2.謝る気がないのなら、嫁を攻撃するやつはファンじゃない、勘違いすんなブスって開き直ってほしい。
3.正直なところ、すでに担降りした。
以下詳細
元アナウンサーのAさんのブログでの匂わせ記事は一体、なんだったのか。
端的にいうと、ファンの土俵に入ってきて、ひけらかしてマウントをとり、その土俵にいることをせせら笑って自分の優位さを確認したってことです。
ファンにしかわからないように、記号を入れ込んだのは明らかです。
これって、Aさんが何も知らないファンに一方的に売ってきた喧嘩ですよね?
何でそんなことしたんでしょうね?
N氏とつきあっていて、花をもらったり私物を共有する関係であったのに、N氏へのアピールでもないでしょう。
つきあっていても充分に満たされない、幸せを感じていなかったわけですよね。
Aさんはふたりでいられれば幸せって価値観じゃない人なんでしょうね。
人に、どう思われるかが大事。
あの国民的アイドルと付き合えて、すごい!羨ましい!って言われないと、人に幸せをひけらかさないといられない人。
そういうところが祝福されないんだよ、ってわからないのかな?
ほんとにN氏のことが好きなのか、N氏のステータスが好きなんじゃないのって思われるのも当然でしょう。
アナウンサーってだけで、色眼鏡でみるのに、いわゆる女のしあわせ上昇志向がすごい人。
その欲のままに生きるチカラがすごいところが、私生活において主体性のなさそうなN氏はよかったのでしょう。
で、ともかく匂わせて、Aさんのそういう鼻につくところも相まって、ファンは発覚時に激怒したわけです。
そんなこと、よくあることだから。
だってね。N担って必ず女関係の洗礼を受けた上でなるものなんですよ、その点すごーーーく寛容。
N氏の名前で検索したら、昔付き合ってた女性との画像なんてすぐ出てくるからね。
そういうものを見て、それでも応援しようって人だけが担当になるんですよ。
そして、嘘が下手な割に嘘つきなN氏の「いつもひとりですよ」っていう態度に免じて、その芝居につきあっていたわけです。
じゃあ、何でAさんの匂わせをN氏が止めなかったか。
多分匂わせてることはわかっていたでしょう。
そんな鈍感な人ではないので。
私が思うに、「俺のことそんなに好きなんてかわいいなー」って思ってたんでしょう。
…え?
なにそれ、バカみたい?
うん。
バカみたいだけど、多分ほんとにそんなもんだと思う。
そして、アピールしたAさんはファンにおそらくめちゃくちゃ叩かれました。
出演していた番組にも相当バッシングがあったのではないでしょうか。
Aさんは当然、「悪気はなかったのに、ファンに傷つけられた」という態度をとったでしょう。
そして仕事も辞め、夢をあきらめてあなたの側にいるという賭けに出た。
N氏は思ったでしょう。
「俺のファンのせいで彼女を傷つけて、夢を諦めさせてしまった。今は自分と一緒になることが夢だと言っている。これは責任をとって叶えてあげなければ!!」
いやいやいや、なんにも知らない、ただ応援していたファンのところにひけらかしてきたのって、Aさんですよね。
仕事を辞めて行き場を失ってからの同棲生活、からの結婚も「作戦通り」にしか見えませんが?
結婚が早まったというのは大いにあるでしょう。
でもまあ、二人が結婚したのは事実だし、多分来年早々にはベビーも生まれることですし(しらんけど、確信度100%)
けっこう巷ではタイミングがどうとか言っている人いるみたいだけど、そんなの察しろよ、子どもが生まれるんだよ!
っていうか、私はてっきり休止後の妊娠のために卵子凍結くらいは済ませてると思ったのに、そうでもなかったんでしょうかね。
彼女は日本で想定できるすべての幸せを自分がを手に入れたいんだから、しょうがないでしょう?!
多分、2人か3人くらい産むのよ。
N氏は後継ぎとして、孫の顔をお母さんに見せたいという、そこは意志が一致しているのよ。
それで、結婚したことは公表したにも関わらず、芸能活動をしていたAさんの経歴をなかったことにするのはなぜなのでしょうか。
顔と名前を出して表に出る仕事をすることで、得た対価が今回の結婚であるにも関わらず?WHY?なぜに?
もう辞めたから一般人ですっていうけど、一般人だったら出会ってないし結婚してないから。
利益だけ享受して、人前にでるリスクは負いませんっていうのはどうなんでしょうね。
まあ、このままずっと表にでてこなければそれもいいけど、そんなおとなしくしているタイプじゃないですからね。
嫁が一般人というのなら、夫として代わりにいうべきことがあるでしょう。
いやいや、そんなの無理だから!!
普通の結婚ならそれでもいいけど、Aさんのしたことの決着がついてないから。
二人の関係も明らかになったことですし、このタイミングで言ってほしい
・いわゆる「匂わせ」は事実であり、それを黙認しており、ファンに喧嘩を売った形になり申し訳なかったこと
・もうAさんは二度と表に出ないし、SNSもやらない、コンサートにも帯同しない、仕事やグループには一切関わらない、出しゃばらないことを誓う
この謝罪と誓いがあってからの「応援してほしい」でしょう。もし、ほんとうにかつてからのファンに応援してほしいと思っているなら。
でも、たぶんね。N氏はほんとはこう思ってると思う。
「俺の大事な女を傷つけた奴らは許さないし、ファンとは認めない。そんな奴らいらないから担降りしてもらってけっこう。嫁の方が大事だし、匂わせも俺のことを好きだからやってて健気で可愛いと思ってた。何が悪いの?お前らに関係ないだろ、勘違いすんなブス。永遠にジェラシー燃やして貢げ。その金で嫁とモルディブに行ってやる」って。
あれ、後半おかしい?
まーでも多分、そんな感じでしょう。だから、何も言及できないんですよ。
人としてまっとうなこと。
人として生きるなら、アイドルは諦めないといけない。
私ね、思うんですけど。
嫁のこともネタにして、毎日N氏が匂わせれば?インスタに嫁の作った弁当とか、嫁のお尻の画像とか載せれば?
その方が、よっぽど私はすっきりするけどね。
今の、何事もなかったかのように時がすぎるのを待つ作戦は、国民的グループのちからを大きく削ぐ。
非常に、うさんくさい、事なかれ主義なグループであるというイメージになってしまった。
あれだけ誕生日だなんだと絆を祝ってきたのに、今回グループ内の2人だけの文字上のメッセージ、しかもS氏のメッセージの意味深さ。
奇妙としかいいようがない。
たぶん、N氏のほんとうの胸中を聞くことはないんだろう。
結局、悲しい。
山ちゃんと蒼井優くらい、ピカピカとした笑顔で、幸せを発表してほしかった。
こんなコソコソとしなければいけないような、緘口令をしくような報道ではなくて。
怒りと悲しみでせっかくのSNSが荒れるような結婚ではなくって。
結婚は祝うべき、担当は降りたくない、でも祝いたくない、って葛藤する人がいる。
自分も既婚で何があっても愛すると余裕のあるファンは何もなかったかのように祝い、応援しているのを見て、自分の狭量さに落ち込む人がいる。
降りたら今まではなんだったんだろう、すべてが無駄だったかのように思う。
どうせ、こんなめんどくさい声届かない。
せめてもの、現状にNOを言いたくて、ホームページにアクセスして担当を降りた。
降り先にしてごめんね、S氏。だれかを選ばなきゃいけないらしい。
もう、何も気にしていない人だけをファンとして、Youtubeでもインスタも盛り上がっている。
そういうことなんだ。
今回の件の何が辛いかというと、
・このタイミングで
・ジャニの慣例とは異なる形で
結婚発表がなされた、ということだ。
お相手については、そんなもん当人同士しかわからない縁があるのだろうから、どんな人かなんてどうでもいい。(しかし話題の「匂わせ」については、それを止めなかった彼への疑問は多少ある)
そして、祝福する行為も、ファンのくせにプライベートに立ち入るようで、個人的には逡巡がある。
それくらい結婚自体については思い入れがないのになぜこんなに辛いのかというと、
私の中で長年にわたり築きあげてきた「二宮像」が認識ブレであったと突きつけられている気がするからだ。
私が知った気になっていた二宮さんは
多数名義でも1公演しか当たらず、「嵐のコンサートを見られるのはこれが最後かもしれない」と思いを寄せて札幌まで行くファンをお通夜状態にさせる
ことを選択する人だっただろうか?
ジャニーズ の慣例であるファンクラブ会員への結婚報告手紙の到着を待たずに、報道陣に焼き印入りのドラ焼きを配り、名前部分をコピペした直筆手紙をアップしてお茶を濁す
ような人だっただろうか?
ファンの思いなど一方通行なのは当たり前で、私が勝手に「二宮像」をつくりあげて、日々情報収集とそれによって得た大きな感銘と小さな失望とでその偶像をアップデートしてきたのも、ただの趣味である。
ただ、長い年月と労力と金をかけて自己のアイデンティティすら自担(推し)を通して築いてきてしまっているので、
祝福できない訳ではない、誰かを恨んだり呪ったりしている訳でもない。
そんな浅い地層で苦しんでない。
放っておいて。