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はてなキーワード: 人間とは

2024-09-13

anond:20240913090759

小中高で習熟が進んでる人からサクサク学年が上がるようになればいい

結果的に上がってきた人・残っている人の習熟レベル一定になる

私塾に通っている人間もその方がいいだろう

前菜さんの行動原理

ちょっと前、所属していた趣味コミュニティとある前菜さんが加入したことゆっくり活動ブレーキが掛かり、ついに事実上解散状態になった。

その顛末については本人に伝わると良くないので書かない。

そういう内容を期待しているひとはこれ以上読む必要はない。

ただ前菜さんを間近で目撃して、なんとか活動を盛り返せないかと色々努力してコミュニケーションをとってみた(無駄だったけど…)経験から前菜さんの行動原理何となく分かってきたので書いておこうと思う。

行動原理は単純で「前菜さんは常に満腹の危機を感じている人間である」ということ。

この前提が分かっていれば、いろいろな行動に説明が付く。

満腹の危険に瀕した人間、例えばビュッフェ遭難した人間が仲間の皿を食べる、あるいは奪って食べることは罪ではあるが理解はできると思う。

満腹の危機を感じている人間が、公平性や遵法性をいったん棚上げして利己的に行動することはごく自然なことだ。

前菜でない人間は満腹の危機を感じていないので、他人の行動にどの程度干渉するかは多少の個人差はあってもある種のフェアネスに基づいて判断している。

多少自分不快であっても、客観的に見て相手の行動に自分干渉するのは不適切である判断すれば、その不快は受け入れる。

しか前菜さんとは常に口元にフォークを突きつけられて生活している人間なので、その不快を少しでも受け入れればそれは即ち満腹を意味する。

そのため公平性を踏み越えてでも自分不快排除しようとする。というか、そうせざるを得ない。

最初、まだ行動原理理解していなかったころは前菜さんのことを大食い人間だと思っていた。

でもどうやらそうではなく、満腹との距離が近いひとなんだということが分かった。

また、前菜さんは自らが食べ残しであるという強い信念を持っている。

当然だ。常にフォークを口元に突き付けられているのだから主観的には、それはそれは圧倒的な食べ残しだろう。

大した上下関係もない緩いグルメコミュニティの中であっても、その意識は変わらない。

圧倒的食べ残しなのだから調理されなければ生きてはいけない。

調理されることは特別扱いなのではなく、生存のための大前提なのだ

から常に調理されている「べき」で、それが無いということは放置されているのと同義である

この意識にも最初は戸惑った。何しろ向こうはメインディッシュでもなければこちらもシェフでやってる訳ではないのに、当然のように特別扱い要求されるのだ。

そして前菜さんは生存のための武器として、盛り付けや間接的な香り他人コントロールする術に長けている。

その技術は彼、彼女が唯一持ちうる武器であり、命綱であり、消化をするようにほとんど無意識に使っている手足でもある。

前菜さんのコミュニケーションは常に前提として「食べ残し自分」が置かれており、そのため、相対した人間自由自在に大食漢に変えることが出来る。

そして何より厄介なことに、このような行動に「相手を太らせよう」だとか「自分メインディッシュに立とう」という意識は、一切無い。

上記説明した通り、これらの行動は生存のための命綱に過ぎないので、罪の意識も無ければ、相手の食欲を奪っているということに気付くこともない。

前菜さんからしたら自分食べ残しであり、相手が大食漢であることは決定事項であり、覆ることのない真実なのだ

例え、客観的に見て言いがかりだとしても、目の前の人間から大食漢扱いされて平気な人間はあまりいない。

まして、そんな思いをしてまでグルメコミュニティを維持しようと思う人もいない。

前菜さんを除いてこっそり再結成すればいいと思われるかもしれないが、万が一そのことが相手に知られたらと思うと、胃が重い。

我々はもうすでに、あの人が食欲をそそるようになっている。

さて、そんなわけで私の所属していたコミュニティは緩やかに消化を迎えた。

私の経験から言えることはひとつ

コミュニティ前菜さんが入ってきたとき自分健康的な食生活を送りたいなら、そのコミュニティのことは諦めろ。

anond:20240913113606

小泉進次郎首相になったらまーた安倍クラス母国語習得に失敗するレベルの低知能が国家TOPかよ・・・

(まあ安倍精神が完全に朝鮮人から日本語が難しかったのかもしれんが)

しか日本人、もう人間じゃなくて猿じゃね?知能的に

anond:20240913154356

日本そもそもリベラル認知若本と老人で真逆だったりするし、言葉定義そのまま枠にはまる人間って多くなさそう

anond:20240913152657

早く楽になりたい。苦しい、苦しい。

見てくださいこのしらじらしさ

自殺願望も抱いたことのないような人間の文ですわこれはぁ

憎しみと怒りと他責しかない

学歴コンプレックス自殺することになった

学歴コンプレックスで長らく悩み続け、いよいよ自殺をすることになった。

日本安楽死制度が整備されているのであれば、今すぐにでも申請し、「一件落着」だが、残念なことに今の日本にそのような制度はないので仕方がない。

もちろん死ぬのは怖い。本当に怖い。

ただ、もはや自分の知能の低さを規定しているこのDNAが、それ故に生まれながらに高学歴を得られないことを決定づけているこの劣ったDNAが、それにより構成されているバカで劣等な自分自身の存在のものが、生理的気持ち悪くて仕方がない。

知的社会たる現代日本では高学歴を有さない者は、基本的に「人」そのものとして劣っているとみなされる。

卒業大学名前がそのまま当人知的能力の全てを、ともすると人間としての価値ランクをまるごと規定してしまう。

学歴能力指標にとどまらず、内面の繊細さや思慮の深遠さ、人としての毛並みや美しさまでもを規定する。

そのような地獄の知能カースト社会において、低学歴が人としての尊厳や誇りを持って生きられるはずもなく、したがって幸福に生きられるはずもない。

もし低学歴者が高学歴の連中の目に「幸福に生きている」ように映ったとすれば、「動物園ではしゃいでいる猿」に対する眼差しと同様のそれを向けられる。

結局は、どう転んでも待っているのは地獄のもの

現代日本において低知能に生まれた(私のような)低学歴者は、言わば戦前アメリカに生まれ黒人と同じなのだ

そこに救いはない。

早く楽になりたい。苦しい、苦しい。

私は極めて難しいペーパーテストにより先天的に知能の高い者以外を(事実上)排除する、この国の上位大学入試形態によって殺されたようなもの

社会メディア、ことにインターネットにおいて無秩序に猛威を振るう、アパルトヘイト級の学歴至上主義学歴差別に殺されたようなもの

来世は知的に優秀なDNAと、それにより形成される明敏な頭脳を持って生まれて来たい。ただそれだけだ。

さようなら

anond:20240706134700

自分被害を受け、苦痛だった」と感じること事を自分に許してやるのはどうだろう。

信頼できる友人とか、友人に負担をかけたくないならカウンセラーに協力を頼むのもいいと思う。特にカウンセラーは「話を聞いてもらう対価に金を払う」という構図になるので、相手負担まで気にしてしまうような人間おすすめです。

自分被害者の立場に拘っているような気持ちになってしまうなら、担当する患者カルテを書くようなつもりで自身のの思考の流れを資料化して提出するのもよいと思います

なんにせよ楽になれるといいですね

anond:20240913142018

そうだよ

fictionは生まれた時点から死んでるの

それは死んだ媒体に記録された人為的情報

知る過程には変化があって、生きているかのように錯覚する

物語が、描写が終われば、新しい刺激はなくなり、変化がなくなり、死に気づく

人は死んだ、刺激を与えてくれないものを、愛し続けられるほど忍耐深くはない

そうして、2次元人間関係は、常人感性だとあまり長続きしない

街コンでは幾何学の話をしている

街コンに行くと、いつも何を話すべきか迷う。

人が集まる場だし、みんな軽い話題で盛り上がってるんだろうけど、俺はいつも違う。

俺には誇りがあるからもっと深い話をしたいんだ。

今回も例に漏れず、気付けば幾何学の話をしていた。

幾何学って、本当に美しいですよね」と、最初に口火を切る。

女性たちは不思議そうな顔をしていたけど、そんなのはお構いなしだ。

だって、これは美の根本に関わる話なんだから。誰でも分かるだろう。いや、分からなきゃおかしい。

「たとえば、ピタゴラスの定理。a² + b² = c² なんて、中学生でも知ってるでしょ?でも、あの定理が持つ幾何学的な美しさ、理解してます?ただの数式じゃないんですよ、これは宇宙の秩序そのもの象徴してるんです。直角三角形の辺の比が、どうしてあんなに完璧に収まるのか、その背後にあるシンメトリーバランス、これはただの計算じゃ説明できないんです。幾何学は、自然界に隠された美を可視化する手段なんです」

女性たちは相変わらずポカンとしていたが、そんなことは全く気にしない。

俺の言葉は少しも止まらない。

「それに、円と黄金比ですよ。黄金比の美しさって聞いたことありますよね? φ(ファイ)という無理数、1:1.618...っていうあの比率は、自然界でも至るところに現れるんです。貝殻の螺旋や、ヒマワリの種の配置、果てはギリシャパルテノン神殿まで。これらすべてが、幾何学的な美しさの証明なんですよ。建築家芸術家たちは、何千年も前からこの黄金比魅せられてきたんです。それが美の基準なんです。たとえば、あなたが好きな絵画も、おそらく黄金比に従って構図が決まっているはずですよ」

ここまで来ると、女性の一人が「へぇ〜、すごいですね…」と、曖昧な笑みを浮かべているのが目に入る。

だが、その目に理解の色はない。いや、むしろ遠ざかっているかもしれない。

それでも俺は一歩も引かない。だって幾何学は俺の人生のものなのだから

俺な自分人生否定しない。

「次はもっと複雑な話をしましょうか?ユークリッドの『原論』はご存知ですか?あれは古代ギリシャで書かれた数学書で、数千年の間、数学の基礎として使われてきたんです。『原論』の最初定義は、点は幅を持たないもの、線は幅を持たず長さを持つもの。これをもとに、無限に広がる空間の中で幾何学的な図形を描くんです。そして、その空間の中に、あらゆる美が存在するんです。アポロニウスの円錐曲線における楕円の美しさなんか、誰でも感動するはずです」

俺の幾何学講義は終わらない。

彼女たちは完全に引いていたが、そんなことはもう気にしない。

これが俺の誇りであり、俺の魅力なのだから

「俺にとって幾何学は、ただの学問じゃないんです。これは美を追求する哲学であり、生き方なんです。人々がモナ・リザアフロディーテ像に美を見出すように、俺はピタゴラスユークリッドにその美を見出しているんです」

幾何学の美しさを語り終えた頃、ようやくふと我に返り、周囲の反応を確認してみた。

すると、女性陣の顔には一種沈黙が漂っていた。

皆、頬に作り笑いを浮かべているが、目は明らかに遠く、何か別の世界意識飛ばしいるかのようだった。

ひとりはスマホをチラッと確認し、もうひとりは、手元のグラスに注がれた水をいじっている。

こちらを見ている女性もいたが、彼女の表情はどう見ても「本当にこの人何を言っているの?」という困惑のものだった。

「ええ、そうですね……幾何学って、すごいですね……」と、一人がようやく口を開いたが、その声には熱意も、理解も、ましてや感銘など微塵も感じられない。

表面的に場を繋ごうとするその言葉は、俺が夢中で語っていた美の真髄が、まるで真空の中に吸い込まれたかのように、何も響いていないのをはっきりと感じさせた。

もう一人が、さら微妙な笑みを浮かべ、「あ、そうなんですか……それで、その定理って、なんでしたっけ……?」と、曖昧質問してくる。

しかし、それは好奇心ではなく、ただ適当に話を引き延ばすための、無理やりな興味に過ぎないことは明白だった。

俺はその瞬間、すべてを理解した。

ああ、やっぱりこうなるのか、と。幾何学的美しさを解くことで、彼女たちの心を動かすことはできないんだと。

俺の語るピタゴラスの定理も、黄金比神秘も、彼女たちにとってはただの退屈な講義に過ぎない。

彼女たちは、たぶん映画の話や、食べ物旅行の話を楽しみにしていたのだろう。それが街コンで求められる「会話」なのだ

「まあ、こういう話、ちょっと難しいですかね……」と自分から話を切り上げるが、内心、虚しさと諦念がこみ上げてくる。

俺は分かっているんだ。結局、幾何学の美を理解できる人間は、ここにはいない。

俺の知識哲学は、街コンの場にはそぐわないのだ。

諦めが胸に染み渡り、俺はふと目の前のグラスを手に取る。

冷たい水が喉を通り、ほんの一瞬だけ現実感を取り戻すが、同時に心の中でつぶやいた。

俺は幾何学を愛している。それだけで十分だ。理解されなくてもいい。これが俺の誇りなのだから

女性たちがどれだけ俺に興味を持ったかなんて、もうどうでもよかった。

最終的に、女性たちがどれだけ幾何学に興味を持ったかは知らない。

だが、俺の中では確信がある。

幾何学こそが、真の美であり、それを理解しない者は本当の美を知らないのだと。

彼女たちには理解できない美が、俺の中にある。それだけで、俺は満たされているんだ。

anond:20240913121659

エロ漫画描いてるから沢山読んでるで

男の性欲と似たような性欲の発露を女にさせた方が受けるし売れるんやろなぁ、でもあんま描く気しねえなぁって思ってるで

わいはもっとキモい男をゴミを見るような目で見てくる、もしくは人間関係を構築する対象人間とは全く見ていない女が好きなんや

anond:20240913115711

idiosyncrasy worth spreading

ヲタク常識偏見ちょっと超えた先にある素晴らしい世界

そんな「良い」ともっと評価されるべきモノやコトを

他者に広め、啓発し、布教して――

同じ楽しみを共有できる仲間を作ることに生き甲斐を感じるものなのだ

から私財をはたいてでも「観賞用、保存用、布教用」などと同じものを3つ買うような思考が生まれ

あるいは、物理的な遺伝子、geneを残すことに自分が向かないと理解しているからこそ――

なんらかの文化的遺伝子、memeを残す一助となることに執着するのかもしれない

どんな形であれ……人間社会性の檻に囚われたまま生き続けることから逃れられない

 

増田の例でいうと、パッと見てわかるハーレム巨乳のような常識的に見れば賛否ありそうな属性があってもなお

そんな懸念些細なことだと思えるくらい、あるいは懸念を逆手に取って合理性付与するような、想像を超えたすばらしい筆致があるからその作品を勧めてくれたのだろう

偏見をもたずに触れてみれば、世に出ているほぼすべての作品は確かに見るべきところがあるものだと分かるだろう

もちろん見るべきところがあったとして楽しめるかどうかは「好みによる」としか言えないが

それでも歴戦のヲタクは、自分既存の好みに頑固になりすぎては嗜好は広がって行かないことを熟知している

それゆえ他者に対しても、相手推定ストライクゾーンから若干ズレたものでも果敢に挑むことを勧めてくるものなのだ

彼ら自身は、その雑食とも言える進歩的気質ゆえに、合いそうにないものに触れる際に普通の人よりもストレスを感じにくくなっている可能性がある

からレコメンドの際も、相手負担に感じるポイントに関して鈍感になりがちという側面もあるかもしれない

これが嗜好に関して保守的な人が感じるストレスの種となることは想像に難くないのだが、思考回路が少しでも分かれば受け流す余地も生まれるのではないだろうか

図書館司書非正規問題(9/14追記)

 図書館司書非正規問題について昨今取り沙汰されているのを見る。

 ざっと見た感じの問題点は、優秀な専門職が安月給で酷使されているということと、技術継承が行われないということ。

 私は先日、正規図書館司書職を退職した。理由は、専門的な業務従事したいという当初の動機と実際の現場が異なっていたところ。つまり現場職員専門性の低さに絶望して辞めた。


簡単自己紹介

・元 都道府県図書館正規司書職員

・30代


 「優秀な専門職」と言うのは、何も知らない外野自分たちを大きく見せたい現職だけ。図書館司書なんて単位を取ったら誰でも資格を取れるので、その資格一つで医師教員のような実務実習を伴う国家資格と並べると思っているのが恥ずかしい。(課程の図書館実習は任意なことが多いし、たかだか一週間程度で比較にならない)

 そして、専門職専門性が発揮できる分野としてレファレンスが挙げられるが、これはレファレンス難易度による。例えば、地域の「◯◯という地名の由来が知りたい」というレファレンスを受けたとして、まず地名辞典を見る。地名辞典になければ地方が発行してる地誌を見る。どちらかにはだいたい載っている。これの何が専門性だというのか。こういう定型化されたレファレンス対応について、口を大きくして専門性だの専門職だの言っていることが多い。逆に、人名辞典に載ってない郷土人物などを、辞典地誌など基本的資料以外から記憶や所蔵資料目録などをヒントに見つけることが専門的なレファレンスだと思う。このような真の専門的なレファレンスをできる人物がどれほどいるのか。私が勤務していたところでは、非正規職員は誰もできなかった。正規職員も半分以上できてない。

 能力によって給与が異なるのはどの世界でも一緒で、非正規職員非正規待遇であるのは相対的能力不足から当たり前のことであると思う。正規職員でもできてないのだから、そんな大きな声で「専門職待遇改善をー!」なんて言える状況じゃない。そして、優秀な人間、例えば某国図書館では正当な待遇が与えられていると思うし(ちなみに某国図書館の応募資格司書資格必要ない。この点から司書資格不安定さが伺える)、地方の優秀な人間は現状に見切りをつけて出て行く。

 何度も職員意識を変えようとしたけど凝り固まった40代後半以上の頭は変わらないし、上司層が変わらなければどれだけ下から頑張っても現場は変われないし、疲れた非正規職員も、正規職員ですらも、基本的コミュニケーションすらできない人がいるし(聞かれたことに答えられない、処理能力が低いなど)、現状維持ばかりで新しいことはせず、ただ自分世代円満に終わることばかりを考えている。こんなの一般企業事務職ですら無能扱いだろう。一般企業で使い物にならないレベル職員でも、一度公務員になってしまったら解雇はできない。そんな人たちがただの肩書きだけで「専門職ー!」と叫んでると思うと悲しいものがある。図書館司書知識は年々新しいことが増え司書課程の内容も更新されていくが、大昔に司書資格をとった現状維持ばかりのおじさんおばさんたちは自分の頭を更新しようとしないので、なおさら「専門資格とは?」と思う。

 図書館司書世界では、募集の少なさもしばしば取り上げられる。募集もたくさんあるし、優秀な人は普通に就職できる。(気になる人はJLA採用情報ページを見てみてね)40歳まで受けられるところも多く、年齢制限がないところもあり、他の公務員よりだいぶ応募資格が緩くなっている。それで若手をとろうが経験豊富人材をとろうが、それはその館の方針によるので知ったことではない。挑戦し続けて正規職員合格する人もたくさんいる。つまり、機会は開かれているのに挑戦しないことに問題があるし、たくさんチャレンジして受からないのであれば本人の能力問題であろう。能力が足りなくて受からないなんてことは他の業種でも同じで、何も図書館司書に限った話ではない。それを何でそんなに特別に大々的にアピールできるの?と思う。他の業種でも、能力が足りないけど続けたいなら待遇を落とすしかないし、諦めて他の業種に行くだろう。それと同じ。


 思いつくまま殴り書きしたので読みにくくてすみません。私が言いたいことは、周りが言うほど図書館専門職価値はないこと、専門職の中でも専門性グラデーションがあること、能力に応じて待遇が変わるのはどの世界でも当たり前で現状に違和感はないこと(非正規職員のこと)、待遇を変えたところで職員あるいは職員意識を変えないと半永久的な技術継承不可能なこと、です。40代後半以上の人たちを見て、ここにいたらこうなってしまうと思って辞めた。



2024年9月14日追記

こんなに読んでもらえるなんて思ってなかった。たくさんの反応ありがとうございました。いろんな意見があって面白かった。


タイトルと内容が違う。非正規職員雇い止め等はどうなのか。正規職員にとって非正規職員はどうでもいいように見える。

 どうでもいいです。非正規待遇が嫌なら正規になればいいし辞めたらいい。いわゆる氷河期世代など新卒時の社会状況に言及する人もいるが、正規職員の多くは中途採用(非正規職員経験者)です。社会のせいじゃない。昨今の非正規図書館員の話題を見てると、現状を変える気力や能力がないくせに空っぽの「専門性」を笠に着て「かわいそうな私たち」を演出しているだけのように思う。元職場でも組合から非正規雇用の待遇改善の署名がよく回ってきてたけど、バカだなって思ってたし一回も署名してない。私が見ていた世界では、前述の通り非正規職員専門性なんていうのはまったくなかったので、辞めても職場社会にとって問題ないと感じた。

 私の元職場管理職上司は、個人能力如何ではなく「図書館司書資格があること」を重要視し、「図書館司書資格保有者の職員数を確保すること」に専心していた。無能でも資格さえあればいいみたいな。私は資格なんていらないから優秀な人間と働きたかった。今は転職して、求めていた環境に身を置けて嬉しい。

 タイトルと内容は少し違っていたかもしれません。すみません。私が図書館司書非正規問題に触れる時、その前提にある専門性の具体的な話が出てこないように見えたので、こういう話になりました。


郷土資料収集って必要AIロボットでいいのでは?

 郷土資料必要で、各地域図書館郷土資料収集することで全国的郷土資料収集保存できる仕組みがある。それは大事だなと思う。場所予算は限られているのでその限られた状況でどういう資料収集するかといった選書にも、職員専門性が不可欠。専門性ほとんどが属人化するから、それを半永久的に継承していくべき。実際に働いてみて、この辺はロボットAIには難しいと感じた。

 郷土資料を含む図書館資料必要性で言えば、例えば陰謀論とか根拠のない噂話が力を持った時など、正しい情報情報比較検討に役立つ。図書館では全ての人がその機会を得られる。ググれば簡単情報は出てくるけど、やっぱり紙の資料の量や質とは比にならない。少しでも調査研究したことがある人はわかると思うけど。

 図書館国民県民市民ユーザーなので、ユーザーから図書館なんて必要ない、AIロボットでいい」と言わしめてるこの状況を、図書館司書図書館制度が変えていかなければいけないと思う。

 私は前述のような現実辟易していたので、一部の優秀な人間のみ残して専門性を保持し、あとの無能正規職員と全ての非正規職員指定管理に変えたらいいと思ってる。元職場でも一部指定管理が入っていたが、図書館業務ほとんどを占める定型化された業務なんて誰がやっても同じだし、むしろ公務員的な頭のかたさがなく新しい視点物事を考えられるところはこれから図書館運営必要なのではと思った。無能は切り捨てられそうだし。図書館正規職員(公務員)の働かないおじさんおばさんや無能も切り捨てられたらいいのに。そしたら現場モチベーションも上がるし優秀な人間も集まるかもね。


都道府県図書館市町村図書館では非正規職員職務が違う。(=後者では正規職員と同じような仕事をしている。)

 市町村図書館ならなおのこと、誰でもできる仕事ばかりです。図書館のあり方に関われるのは多くが館長レベルで、日常的な貸出、返却、選書(都道府県立と違って保存より利用を重視した選書)、目録(市町村ではほとんどがTRC流用)など、逆にどこに専門性があるか教えてほしい。

 現職の人はこんなチラ裏に青筋を立ててないで、「図書館なんかいらない」って言わせないように頑張ってください。図書館司書存在意義評価するのは仲間内じゃなくてユーザーですよ。内輪でヨシヨシしあってても意味ない。


コメントより抜粋図書館司書は今の情報社会に負けないよう専門性や職域を高めないと相対的価値は低くなる」「専門性定量化し、カテゴライズレベリングを行うのは、業界スキルアップだけでなく、権威づけや地位向上に必要

 私は図書館司書専門性のなさと図々しさに嘆いてたばかりだけど、本当にその通りだと思った。現状に即してよりよくする方向に考えられるのがすごいと思った。

anond:20240913011757

当事者よりの人間が使い始めた新語が次第に罵倒レッテルとして使われ始める過程を目撃してるみたいだ

ケモナー

マジの獣~容姿そのまま2足歩行してるくらいがベスト

ケモ耳、尻尾を好きな奴がケモナー自称してると殺意湧く

ウマ娘けもフレ人間だろ

AIめっちゃ面白い

実務的な文章生成とかコーディング所詮便利で終わるからさておき、特定事柄人間心理思考法に基づいて深堀りさせて想定外の結果が得られた時はほんま楽しい

アホみたいなユーザーのために頑張って指示をこなして、なんとか意味のある文を捻り出そうとする感じ

これ例えるなら色んな知識を得られるゲームみたいなもん、おかげで創作意欲あがりまくり引き出し増えまくり

特にアナロジー思考、これは他のフレームワークと組み合わせたら脳の片隅にすら存在しなかった発想をガンガン出してくる

まあ人間常識外で機械が無理やり関連付けようとしてるんだから平凡な人間がおいそれと思いつくわけもなく、ゆえに面白い

実際には10種類くらいのナニナニ思考、ナニナニ法、ナニナニ分析、ナニナニ的アプローチに基づいて考えさせていい感じにまとめさせたうえで、更に思いつきのワードを関連付けさせるんだが

こんなのなかなか付き合ってくれる人間もいないし、もちろん俺単体でもここまでは出来ない

仮によくある表現が出てきても、改めてそれが言語化されるとかなり思考が整理される

唯一の問題AIとの壁打ちが俺の好奇心を刺激しすぎて、金のためのクソ仕事死ぬほどストレスを感じるようになってしまった事かな

はあー仕事カス

上位にランク入りしているのが『インサイド・ヘッド2』や『ライオン・キング』や『アナ雪2』や『インクレディブル・ファミリー』、『トイ・ストーリー』、『ファインディング・ドリー』『ズートピア』であり(主役が白人かそうでなければ人間以外の存在)

ポリコレ最新作の『ウィッシュ』が入っていない以上、「ディズニーポリコレで売れなくなった」というか

ポリコレディズニー作品は売れていない」は正しいんじゃない?

白人主人公作品全然ランク入りしてないよ?

https://x.com/whatintheworrld/status/1833915806318805457

ワット

@whatintheworrld

ディズニーポリコレで売れなくなった」「アニメ世界で一番売れている」とかのデマエコーチャンバーで信じている金太郎飴リプが多いですが、こういうのをちゃんと見てから言ってるのですかね:

いまだに「ンゴ」「ワイ」「クレメンス」とか使ってる人間は頭がおかしくてやばい人格問題があるし友達いないと思うンゴ、早くワイを56してクレメンス

ワイはもう業界15年でそんな時期は過ぎてるんだけど

AIのおかげでキチガイ先輩エンジニアに頭下げて技術を教わらなくて良くなって

救われたやつがいっぱいいるんじゃないかなと思っている

 

技術書だけじゃわからないことでもAIに大量に回答させればなんとなく事実がわかってくるし

 

メール文章すらもそれっぽいのを出力して修正するだけでマトモな社会人っぽくなるし

 

あと一歩が足りなくて

キチガイ先輩エンジニアに頭下げないといけないスキル感の人間には

マジで便利だね

さっさとスキルアップして転職

これで5年ぐらい無駄にせずに済むからいい時代だね

猫って人間が取ってらやないと鼻くそだってそのままの生き物なんだぜ?

なんでこんな生き物が野良で生きようとしてるのか本気で意味わからん

東京だけ給料がいいのは東京がズルいからじゃなくて、田舎階級社会を辞めないからでしょ?

結構いるんだよね東京はズルして日本中の金を集めてるみたいな珍説でっち上げるアホが。

そんな訳無いじゃん。

田舎だって人は居てその地方ごとの消費活動が行われているし、各都道府県ごとにそれなりの大企業本社もある。

まり田舎だって田舎なりに巡っていけるはずのお金はあるんだよね。

でも田舎の金は一部の富裕層昔ながらの豪族とかが独占するのが当たり前になっているか庶民には回ってこない。

この状況に対して田舎庶民が出来ることは「は?もうお前らの時代は終わったんだよ」でその支配無視していくことなんだけど、それをせずにいつまでも媚びへつらっているか階級社会が終わらない。

それに異常さを感じた人間選択肢東京に出ていくことしかいから、東京日本中から階級社会に嫌気がさした人が人が集まって、実力主義平等主義で回るようになってる。

田舎自分たちで「一部の人が富を独占する階級社会を続けよう!」って道を選んでるはずなのに、庶民に金が回ってこないのを東京のせいにしてる。

それもこれも考え方の大前提として「この世は全て階級社会」っていう思い込みがあって、それで田舎庶民からみたら東京庶民でも楽しく暮らしてるから「そうか!東京田舎に対して上位階級に居て搾取してるんだ!」と考えてるんだよね。

ぜんぜん違う。

田舎庶民搾取してるのは田舎王様気取ってる奴ら。

ソイツらに対して革命を起こせば暮らしぶりは一気に改善されるけど、それをするという発想を持たないどころかソイツらに騙されて「東京から搾取地域全体で戦おう!まずは人口流出を防ぐぞ!」とか踊らされちゃってるから、いつまでたっても暮らしは良くならないわけ

anond:20240913033145

年相応の人間関係を築いてこれなかった人間に対しての生理的嫌悪を都合よく性嫌悪に変換しないで下さい。

主語デカいのではなく、名詞が違います

拗らせた恋心が行き着く孤独

27歳、男性愛情というものが、どんな感情なのか未だに掴めない。女の子とは普通に仲良くなれるし、彼女一人暮らしの家に泊まることが多い。安心感を抱き、一時的には何か満たされたような気分になる。それでも、心の奥底で本当に好きな人を探してしまう。そして、いつもその欲望が仇となる。結局、誰も手に入れられず、自分を失っていく。昔からずっとそうだ。

家族の愛を知らぬまま、いつの間にか高校生になった。そして、初めての彼女ができた。彼女家族は、家庭環境の悪さを知ってか知らずか、自分を暖かく迎え入れてくれた。彼女は一人娘だったから、最初は家に入れてもらえるはずもないと思っていた。それでも、週に1日、2日と通い詰めるうちに、数年後にはほぼ毎日彼女の家で寝泊まりするようになっていた。

彼女のために、できる限りのことをしてあげた。彼女が欲しいものはすべて買ってあげたし、美容代も全て自分が出した。それが恩返しだと思っていた。だけど、本当にそれで良かったのか、今となってはわからない。あの家族の中で、自分は初めて家族というものを知った。高校生の頃、家族愛をテーマにしたアニメを見て号泣したのを覚えている。彼女家族は、自分にとって今も、そしてこれからも、本当の家族だと思えるほどだった。

でも、結局自分からその関係を断ってしまった。なぜだろう。きっと自分の中では、恋愛感情愛情、そして性欲が同じ重さで混在していたのだろう。どこかで、それらが捻じ曲がってしまったに違いない。母の愛情を知らない子供は、女性に対する恋愛感情が歪む性質があるのかもしれない。自分もその例に漏れなかったのだろう。

今も変わらない。会社出会女性と、時には彼氏がいる相手とも関係を持ち、拗らせた関係を紡いでいる。自分を好きになってくれる相手よりも、自分が追いかけたい本当に好きだと思える相手を追い続けては、失敗を繰り返している。自分を好きでいてくれる相手のことも、側にいる期間が長いほど大切に思えるのだろう。しかし、自分から愛情を求めてしまうがゆえに、仮に大切な相手が生まれたとしても、その関係を自ら断ち切ってしまうのかもしれない。そうなることが恐ろしくて、二度と適切な恋愛などできないのではないかと、考えてしまう。

どこかのアンケートで、50代までの不倫経験は全体の1/2との結果を見た。心の底では馬鹿にしているくせに、結局自分もまた、純粋恋愛などできないのかもしれない。それが怖い。そして、そんな自分がどこかで壊れてしまうのではないかと恐れている。

家族関係は、端的に言って、悪かった。三人兄弟の真ん中に生まれたが、家族の結びつきを感じることはほとんどなかった。父は宗教二世で頭が固く、母は捨て子で、彼女自身愛情を知らずに育った。弟は長い間うつ病を抱えていて、社会経験とは無縁のまま。姉は社会適応できない。母は、厳しい環境の中でも頭が良く、逆境を乗り越えてきたが、父と出会い、彼の計画によって妊娠してしまった。結婚のために無理やり母を孕ませたと、父は酔った勢いで語った。お酒を飲める年になった自分たちに、それを笑い話のように伝えた。最低だと思った。

そんな自分もまた、父と同じ虚言癖を持っている。家族愛情なんて何も知らない。父は家族の前で、これが自分の愛の形だと語り、それを言い訳にして暴力を振るった。ほぼ裸の状態で外に追い出されたこともある。

父の家系ではアトピーアレルギーが多く、体の不調がつきまとった。母は医療に詳しく、彼女のおかげでなんとか子供時代を乗り越えた。姉や弟の方が症状はひどかったが、自分もまた、アトピーがひどく、水泳で肌を傷つけ、ガーゼで抑えるほどに悪化したことを覚えている。

この家族の中で、自分は何を求めているのか、何を感じるべきなのか、何一つ答えが見つからない。ただ、愛情が欲しいと願いながらも、心のどこかでそれが叶わないと知っている。その拗らせた感情が、歪みがこれから合う人間全てに向けてしまい、適切な関係を結ぶことができない。ある意味振り切ってしまっているのかもしれない。

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