はてなキーワード: 中間試験とは
pixivやXに流れてくるのは現状だと単なるドMに酷いことしてる作品ばかりなんですよね。
「体を張ってなんでもやる輿水幸子に対して腹パンをして分からせる」とかやってた頃から1ミリも成長してない。
当時でさえあんなのは単なる悪ノリばかりでリョナとして見ても三流の下品な遊びだと批判されていたのに、また同じことを繰り返そうとしているわけですよ。
何も分かってない。
広はただ辛いことが好きなだけの変態ではない。
自己効力感のあり方を拗らせきった変人であって、破滅願望に染まった変質者ではないのだ。
そこを理解してないなら適当にオリジナルな銀髪ロリでも作っとけ。
あと広は貧乳スレンダーだけど身長は159cmとそこそこあるということを忘れて汎用ロリで描いてしまっている奴もちょくちょくいて許せん。
そこを活かして竿役を普段ロリと絡ませるときより大きめに設定している作者はまあちょっとは信用できる気がするんだが、それでもまだま広というキャラクターへの理解が浅い。
まだまだ時間があるから取り越し苦労というか、本気で篠澤 広と向き合おうとしている人間ほど自分がまだ咀嚼を終わらせておらず出力出来る状態になってないことに自覚的な段階である可能性もあるな。
夏コミまで様子を見るよ。
まあそこは中間試験程度に捉えて落第レベルじゃなかったら冬コミまで待ってもいいかな。
そこまで言っても篠澤 広というキャラクターを全く理解することない作品しか出せないようなら俺はオタクを見限るよ。
単なるイナゴの群れに落ちぶれたんだなって。
周囲やSNSでセックスレスの話題が重なったんだけど、そこで聞くのが「もう夫(妻)との間でのセックスが想像つかない」というもの。そこで夫婦間でのセックスの一事例を紹介する。私はシンポジウムや授業で必要上セックスと連呼することはできるが、知人との会話やSNSなどプライベートで性の話はできない性格。しかしここならいくらでもおおっぴらにできるのでね。
我が家は子供2人の40代前半夫婦。私も夫も研究者であり教員。夫婦間での行為は週に2、3回。交際期、新婚期、現在までペースは変わっていない。全くしない週もあれば、ほぼ毎日する週もあるので、週2、3というのはあくまで平均。誘いは夫6、私4くらいの割合。どちらかの「する?」または「したい」に対して「うん」または「いいよ」で始まる。夫や私は「これからセックス」という意識でハグやキスをすれば勃って濡れて興奮できるタイプの人間らしく、所謂ムード作りは不要。夫は私の胸や性器を弄り、私の口に自分の指を突っ込みながら「話の続きだけど、生協に学部生用の教科書発注忘れて朝から輪転機とスキャナーフル稼働だよ」なんて言い、私は「馬鹿じゃないの?」と返しながら夫に愛撫する。私と夫は研究対象は異なるがお互いの分野に口を出し、結合しながら口論になることもある。私が1番感じるのは後背位。夫は正常位が好きなのでこの体位を繰り返す。私は体質的に達しやすいのか夫が達するまでに2、3回は達する。
こんな感じで、私にとってセックスという行為それ自体はあくまで肉体的、性的な快感を得るためのもの。ただ、達した直後の夫に抱き締められ「気持ちよかった?」と囁かれると胸がキュンとし、「うん…」と返すのである。しばらく無言で抱きしめ合うこの時間のためにセックスをしている。私にとっては事後の接触こそ愛を感じるため、性愛のためのセックスらしい。
セックスというのは、若い頃のようにムードのあるイチャイチャから始まり無我夢中で求め合わなければならない、性欲解消ではなく愛を感じることが目的でなければならない、というセックスへの固定観念を取り払えばレスが解消できる夫婦は多いのではないか。
私よ、こんなことを書く暇があったら早く中間試験を作り、未読メールを処理しろ。学生へ、期限超過の課題提出は一言添えろ!!!!!!!!!!
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某社が話題になっているピヨね。
中学の時の通信添削。簡単すぎて、すぐに別のところに乗り換えてしまったピヨけどね。
「某社の件、今、騒動になってるピヨね」という話の流れで、
定期的に会ってる昔からの友人とその後輩と、その話になったピヨよ。
そこで聞いたピヨ。
後輩ちゃんの友人に、校正や編集をフリーでしている人がいるピヨ。
その人は英語は大学受験で縁が切れましたという人で、当時25歳くらい。
人材派遣に登録して、編集職として、半年単位で職場を転々として、
サッカー年鑑や料理本のようなものを作ってきたんだそうだピヨ。
その人がある日紹介されたお仕事が、
というお仕事だったんだそうだピヨ。
そのフリーの編集ちゃんは、英語ができない自分につとまるのか不安ではあれども、
「中学生向けだから大丈夫」、「大学受験で英語やってれば大丈夫」
などという説明だったので、そのお仕事を受けることを決意したんだそうだピヨ。
お仕事内容は、看板商品の講座の増刊号的な? 学期末のまとめ、的な? 要するに、
教科書のレッスン1からレッスン3の要点をまとめて解説したプリントみたいなものピヨね、きっと。
中間試験対策の総復習WORK BOOKみたいなのが通信添削では送られてくるから、それかもしれないピヨ。
それを、ある教科書に対応する1年生用から3年生用まで、担当することになったピヨ。
もちろん、フリーの編集ちゃんはずっと英語から遠ざかっていたので、
「原稿の内容が間違っていないかどうか」を確認する、なんて能力はないピヨ。
たとえ中学生向けでも、英語は英語だから、簡単ではないピヨね。
というストレスがとても大きくて、
最終的に責任を持つ立場の社員さんは英語が得意だったようだとはいうものの、
求人の段階で「中学生への英語の指導経験必須」という条件があったわけでもなく、
フリーの編集ちゃんのような人でもわかるくらいに、英語教材としてダメそうだったのだそうだピヨ。
その例文が、全部同じだったという話だピヨ。
「例文が全部同じって、どういうことよ?」と後輩ちゃんに聞いたら、
「全部同じパターンだった」ということだピヨよ。
例えば
look after ~:I look after him.
ask ~ for …:I ask him for help.
ask ~ to do …:I ask him to do this.
具体性が全然ない例文の羅列。
フリーの編集ちゃんレベルでも「これは役に立たない」と即決できるレベルの駄教材だったピヨ。
「さすがに、こんな教材が子供に送られてきたら、自分ならクレームの電話入れますよ」
とハイボールを飲み干しながら言っていたのだけれど、その通りだと思うピヨ。
実際に、そんな教材が最終的に顧客の手に渡ったとは考えにくいのは確かであるにピヨ、
某社は、そんな風に作られた教材を平気で売ってたんだピヨね~。
というより、そんな風に教材を作らせていたんだピヨ。
・・・と、どんよりしたところで、お店がラストオーダーになったのでお開きになったピヨ。
フィクション終わり
3/31付で高校を退学することになった。こうなったのも全て自分の責任ではあるけれども、やはり割り切れない気持ちもある。自戒と気持ちの整理を兼ねて駄文を垂れ流してみようと思う。お目汚しで本当に申し訳ないが良ければ読んでいただければ嬉しい。もっと言えばこれを他山の石としてくれたらもっと嬉しい。(そもそもこの年代の増田は居ないだろうと思うけれども)
私が在籍していた高校は完全中高一貫校で卒業生の半分は有名私大に推薦で、残りは東大京大東工大旧帝大や医学部に進学していて、東大進学ランキングにも毎年掲載されている。
元々私が中学受験をしたのは一回り年の離れた従兄が中学受験をして進学したのを見てそれに憧れたからだった。そして、一人で読書をする方が友達と外で遊ぶよりも好きだったり、学校のヤンチャな奴らに若干イジメられたりしていて、荒れ気味な地元の公立中学に向いていなさそうだったのも理由である。
小4の終わりにSA⚪IXに入り塾通いをする中で、私はある文化系の部活に憧れた。そしてその部活の活動も活発な学校の中で一番偏差値の高い学校を第一志望にした。(ちなみに塾内偏差値では大体55~60を上下していた。)
小6の1月。まずは滑り止め2校に難なく合格し、チャレンジ校(親は行かせたかったらしいが自分はそこまで行くつもりは無かった。)の一次に不合格。そして2月1日に第一志望を受け、2日にチャレンジ校の二次を受けた後に第一志望の合格がわかり、無事に中学受験は終わった。
受験が無事に終わり、やる気が失せてしまったのだろうか。その後、学校から新年度の教材や課題が送られてくるが適当に処理してしまい、入学。憧れていた部活にも入り順風満帆に事も進むかと思っていたが、最初の中間試験で大爆死してしまう。この時にしっかり勉強してれば良かったのに大して何かをするわけでもなく、学校では授業に出席するものの寝てばかり、家でもアニメと当時流行っていたお船のゲームにハマって平気で徹夜をし、小言を言われれば暴れるといったような荒んだ生活を送り、唯一まともにしていたのが部活だった。当然勉強もろくにせずに中学生活が終わった。
高校に進み進級の判定がされることで一応勉強せざるを得なくなり、一応頑張るようにはなった。しかし2学期に部活で仲良くしていた先輩達が部活から引退し自分達が部の運営をしなければならなくなったことで一時的に病んでしまう。結局なんとか持ち直してギリギリで進級する。
しかし春頃から後輩との事や部の運営の事、人間関係などで悩み始め段々とマトモな思考が出来なくなっていた。(と今思い返すとそうだったんだろうと思う。)
一学期には授業にも出席出来なくて保健室にいた事も多く、学業には全く対応出来ずに酷い成績を叩き出してしまう。二学期の途中、部活を引退するまではそれを引きずってしまい、その時点ではとても進級できない成績だった。
その後状態も快方に向かい勉強に専念出来るようになったことで、今までの酷い成績を挽回するべく頑張るようにすることを担任の先生と話し合った。しかし二学期末の試験の結果は芳しくなく、三学期には奮闘しようとはしたものの結局は上手くいかずに英語・数学・物理を落として原級となり、高校を退学することとなった。
今の私の経歴は高校中退、つまり中卒無職だ。在学当時から大学は目指していたので今年1年間で高卒認定を取り、大学受験を目指す。高卒認定の学力はなんやかんやであるようなので1年間、1年早い浪人生として⚪合塾高校受験科で浪人生活を送る予定だ。なんとか頑張って中高の友人、恩師に胸を張って報告できるようになりたいと思う。
書きたくなったので。
学校ではトップの成績だったが、塾ではそうはいかない。頭のいい奴らがゴロゴロいた。
教育ママだったから小学生低学年から通信教育をやっていて、そのおかげか入塾テストではトップのクラスに入れた。が、成績は二年間でどんどん落ちて、最終的には上から三番目のクラスだった。
志望校は二番目のクラスまでしか入れないというのが恒例だったので、周りにはあまり期待されていなかったようだ。しかし自分は絶対受かるだろと謎の自信が最後まであった。
結果は合格。
二番目のクラスからは合格者がでないおろか、一番上のクラスの奴も2/3くらいしか受からなかったから、三番目から合格というのは驚かれた。
中一からスパルタで有名な某進学塾に入った。入れさせられたの半分、入りたかったの半分。
塾も学校もレベルが高く、ああ自分はだめなんだなとはやくも感じてしまった。特に中間試験という数字で結果が現れる機会は残酷だった。(今思えば勉強してないだけだったが)
それからは暗黒期。
小学生のころはゲームが禁止されていたこともあり、その反動で中学入ってからはアホみたいにゲームした。当然成績は浮上することはない。僕はいわゆる「深海魚」になってしまった。
大学受験が近づいた焦りで多少塾の勉強を真面目にやりようになる。が、それ以上に周りが頑張るので成績はあがらない。
この時期に塾の英語はついていけなくなってやめた。情けなさはあったけど、自分でやればいいかと思って逃げた。
高二までは学校行事を頑張ってて、勉強は意識しないようにしてた。
高三になるといよいよ受験だ。
友人と図書館で集まったりして勉強したが、家では全く勉強できず学校模試では後ろから1/4に入ってしまう。
なのに夏の京大模試では運良くB判定。これで完全に油断して行ける気になってた。
ちなみに理系だったが理系科目の勉強をまったくやっていなかったので、二次試験ではそれがなくても入れるところを志望していた。夏の前にいろいろ情報を漁っていかにコスパよく大学受験を終えるか調べてたのが、そのあとに生きてきた。
(コスパよくというのは勉強せずに周りからの評価が高い大学にはいるということ)
こうやってあさっているうちに、二次試験の前に独自の入試を受けることで、受験回数を純粋に一回増やせる受け方を見つけたので使ってみることにした。
秋からの模試はせいぜいC判定だったのでどうせ浪人だろうと思いながら勉強してるのかしてないのかわからないような日々を過ごした。
そんな中での一度目の入試当日。
ほぼはじめての京大。百万遍のマックで緊張しながら時間を潰した。
試験自体は三時間くらいで、ひたすら長い文章をよんで、問に答えるやつ。
こういうのは集中しやすいタイプだったから、あっという間に終わった。時間ギリギリで。となりの人は全部解けてなかった。
センターもD判定だったしどうせ厳しいと思いながらも、ほぼ最下位で合格した。
実感を得るまでに相当時間がかかったが、その後京都で一人暮らしをして、ようやく京大に受かったんだなあと思えた。
まわりが超難関校に多く進学する学校だっただけに、なんとかしてそういう学校に入ろうとした人間の末路(?)です。
参考にはならないかもだけど、こういう人もいるよってこと。
あと自分は理系だけど、政治とか経済とかに関する興味が高校の頃からあった。ただの逃避だが、みんなが図書館で勉強してるのを横目に、新聞をずっと読んでいた。
こういうところで身につけた(?)論理性みたいなのは多少、合格に寄与したのかもしれない。残念ながら、学校の勉強はまったく関係なかったが。
はじめのうちは、自分のなかではズルして入学した感がぬけず、ずっと劣等感に苛まれていた。
落ちた人は過程より結果だと思うかもしれないが、僕は結果より過程だとずっと信じていたので、そのことが自分を苦しめた。
溶け込んでいくなかで多少は改善されたが、いまだに多少考えてしまうことはある。
うちの子が通っている中学校は、これまで中間試験や期末試験の順位を配布していました(他の人の順位まで分かるようなものではなく、自分自身の順位が印刷された紙です)。
しかし、今年度に入ってから、何の説明もなしに順位の配布がなくなりました。
うちの子は上位に入ることを目標にして学習に取り組んでいましたが、今回から順位が分からなくなり、学力に対して慢心と不安が交互に襲ってくるような日々です。
「これは懇談会で理由を聞かねば」と思っていたところ、こちらから持ち出すまでもなく、学校側から説明がありました。どうやら他の保護者からもたくさん問い合わせがあったようです。
を挙げましたが、私はまったく納得がいきません。
「過度な競争心」とやらがどの程度のものを想定されているのか分かりません。
(大げさな言葉で危機感を煽っているようにしか思えませんが)例えば「体調を崩すほど勉強してしまう」ようなことでしょうか?
生徒たちにとって中期的な目標となるのは高校受験です。高校受験が(少なくとも自分自身との)競争である以上は、競争心やむなし、じゃあないでしょうか。
(そもそも、そこまで勉強する生徒なんていませんし、それを止めない親なら、とっくに勉強させ過ぎてるでしょうよ)
幸い(傍から見る限り)そのような子はいません。この点は先生方の日頃の指導の賜物だと思っています。
(もしいるなら、そっちを先にどうにかしましょうって話だよ)
俺は女性恐怖症なんだと思う。
女性恐怖症というものの定義については何も知らないし、そもそもちゃんと定義されているものなのかすら知らないけど、女性が怖い。
小学生の頃は男、女問わず友達がいっぱいいて、それこそ言い方は悪いが、クラス内カーストの高い男女グループにも所属していた。
たかが小学生の頃、と吐き捨てられるかもしれないが、俺の人生の中では輝いていた時代だった。
そのグループで休み時間も、放課後も、休日も、いっつも一緒に遊んで、ときには地元の遊園地とか、ディズニーとか行ったりした。
彼らの大半は、というか、俺以外、みんな中学受験をした。
俺の小学校はある程度治安が良くて、それは理想的だった。頭の悪いやつが頭の良いやつを尊敬し、頭の良いやつが頭の悪いやつに勉強を教えるような。
その環境にいて、俺は勉強ができた。つまりは、尊敬される立場だった。真面目に勉強していたし、褒められることは嬉しかった。
俺の進学した公立の中学校は、複数の小学校から生徒が集まっていた。
この場合の公立の中学校ってのは、中学受験しない、いわゆる「そこまで勉強できない」生徒たちの割合が多くなってしまう。
「勉強できない」と「素行が悪い」では必ずしも同じではない。これははっきり言える。
ただ、俺の進学した中学校は「勉強ができなく」て「素行が悪い」生徒の温床であった。
2つの小学校から進学してきた生徒のおよそ半分ぐらいが、不良だった。半分以上かもしれない。
壁に穴をあけたり、トイレを壊したり、窓からものを投げたりするような連中だった。
女子は、器物破損は流石にないが、口での嫌がらせや陰口、陰湿ないじめだった。
入学当初はみんなで和気あいあいおとなしく相手の動向をうかがったりしていたが、そのうちに本性を見せた。
俺と同じ出身の生徒たちは、みんな最初は怖がっていた。俺も怖かった。
こいつらと同じ環境で3年間過ごさねばならないのだ。今までの平穏な暮らしじゃ、到底ない。
だが、人間は慣れる生き物だ。
しばらくして、俺と同じ出身の生徒が、次々に問題を起こし始めた。
いずれにしても、いい影響ではなかった。
俺と同じ出身で、腐らずに真面目に学校生活を送っている生徒もちゃんといた。
俺は彼らと一緒に行動した。なにより小学校が同じで、もともと友達だった。気兼ねなく話せた。
小学校のころいつも一緒にいたグループの彼らとは、休日、会えるときは会って遊んでいた。しかし、今の生活に精一杯で、各々、徐々に会わなくなってしまった。
真面目を貫く生徒と、腐る生徒、完全にそれらが分断されるまで、1年ぐらい時間がかかった。
中学という、クラス単位で密閉されてる空間であれば、なおさらである。
中学1年の成績は、かなり良かった。
俺は喜んだ。この環境でも1年間やったぞと。
学年から、クラスに、クラスからは、班というものにわけられる。これは小学校の頃から同じだ。
中間試験か何かの答案返却があった。
かなりテンションが上がっていて、友達と答え合わせをしながら騒いでしまっていた。
その様子は、クラス全体が見ていたと思う。
と言われた。
すると、
「言われてやんの。うざいんだよお前」
と、同じ班の男子に言われた。
ここで、全て崩壊した。
俺は何も言い返せず、悔しくて、怖くて、うつむいて飯も食わずにその場をやり過ごした。
今までは、不良相手ではあるが、それなりのコミュニケーションを取って、空気を壊さないように、深く関係を持たずに、壁を何重にも張って、テリトリーを守って接していたのに。
1年はこれでやり過ごせた。あと2年間、無理だった。
泣きそうになった。鼻水が垂れてきた。
多分、この女子は自分が勉強できない腹いせにこういうことを言ったんだろう。
確か、記憶が定かじゃないが、彼女は偏差値30の高校に進学していたと思う。
話はすぐに広まった。
男子は、今までの関係もあるから、いじられることが増えたくらいで、敵視されるようなことはそんなに多くなかった。
次第に無視されることも多くなり、俺は病んだ。
あれだけ頑張って勉強して、その対価に、テストの点数で喜んだだけなのに、それを僻まれて、馬鹿にされて。
同じ出身の女子からも距離を置かれるようになり、さらにつらくなった。
俺はプライドが高く、それ故にこれまで頑張ってこれた。
このプライドをこの一瞬でずたずたにされて、しかもそれに対して何も言い返せなかった自分に腹が立った。
これまで興味のなかったアニメやゲームに没頭し(今ではこれが必ずしも悪かったとは言えないが)、放課後、休日はパソコンに張り付いた。
授業の知識は何も入ってこなかった。
先生からは怒られることが多くなり、それまでやっていた部活も途中で何かと理由をつけてやめた。
高校受験は、入学当初考えていたより、かなりひどい結果に終わった。
何も期待せずに相手と接し、全て平穏無事でことを済ませられるような対処をした。これを3年間続けた。
中学に、あのグループと一緒に進めていたら、なんてことを考えてしまう。
もしくは、俺も中学受験して、環境の良いところに身を置けばよかった。
少なくとも、"幸せな状況がいつまでも続く"という幻想を抱いていた俺が馬鹿だったと思う。
中学のあの頃、死にたいと思ったことが何度もあった。それでも耐えた。勉強にも身が入らなくなって、別の方向に腐った日々だったけど、必死に毎日を行き続けて良かったと思う。
卒業式、真っ先に一人で家に帰る、あのときの俺の気持ちが想像できるか?
これ以上、あの校舎に足を踏み入れなくていいんだと思った、あの気持ち。
あれから、変わったやつもいた。
変わらずに、いつまでもああいう人生を続けていくんだなと思うやつもいた。
もう一生会うことがないだろう、さようなら。と。
女性が怖い。
いつ、ふとした行動でどん底に落とされるか。
考えただけで、いやになる。
まだ次の章はじまらない
攻略みたら次はまだらめらしいが
コダマを仲間にした
一応ぎりぎりまで勉強がんばったけど知性は1のままだった・・・
テスト水曜からだから月火の夜に杏とりゅうじの誘いで勉強すればいけるとおもったけど、月曜の杏がまだコミュが開始してすらいなかったからイベント発生しなかった・・・
あと月コミュの三島も選択しちょっとみすったけどそのためだけにメメントスからやり直すのはしんどすぎたからもういいやってなった
ちょっと余裕あるらしいし、効率求めすぎて逆に効率悪いことはしたくない
うーん、りゅうじの宮野真守が宮野真守だって気づいてからなんかどうも愛着がもてない・・・宮野真守キライなんだよな・・・声はともかく人間的にキライだから結果的に声も好きになれなくなっちゃってるっていう
主人公の福山順もなあ・・・反逆ってきーわーど もあるしもろルルーシュって感じがしてどうも・・・
杉田はトーンおさえてキョンとか普段の杉田っぽさはだいぶ無いとは思うけどやっぱり杉田だって思うと顔がうかんじゃってなあ・・・
深夜アニメ見るようになって声優もみるようになったせいでキャラみても声優の顔が浮かんじゃうのほんとクソだわ・・・
東京エンカウントは好きだけど
あーあと杏の声はいのうえまりなかと思ったけどたぶんちがうって思ってる
初めて同じクラスになって、私は38番で彼女が39番。席が前後だったけど彼女は40番の子とは中学からの友達らしく、さらに二人ともアイドル好きで、ずっと喋っている。二人とは会えば挨拶するしクラスメイトとして喋りはするけれど、基本的には40番ちゃんのキレのあるトークと彼女の少しゆるいツッコミを聞き耳立ててこっそり楽しんでいた。
クラスでの立ち位置としては、私は中心とは離れていて、彼女達は中心じゃないけど中心の子と仲良し、という感じ。
1学期の中間試験が終わるとくじ引きで席替えが行われて、ことごとく彼女とは近い席にはならなかった。テスト期間だけ前後になれた。さらに体育は番号順だから近くでまた二人のおしゃべりが聞けたり、グループが一緒になったりした。苦手科目だけど楽しみだった。彼女はスポーツは基本的に上手だけれど、身体が硬くて柔軟の時に全然届かない足に向かって苦しそうに手を伸ばしているのがかわいかった。
高3になって、また38番39番40番は同じ並びとなった。番号順で座った時に隣になった33番の子は高1の時にも隣で喋りやすい。さらにアイドル好きで後ろの二人とすぐに打ち解けていた。アイドルの話題の時は入れないけど、何気ない会話には他の席の近い子も含めて、混ざったりしていた。去年よりも距離が縮まって「ただのクラスメイト」から「それなりに喋るクラスメイト」ぐらいにはなった。煙たがられてはいなかったはず。
文化祭でクラス対抗のダンス大会があって、私のクラスはウェディングがテーマでみんなでそれっぽい衣装を着た。大会が終わってわいわい自由にと写真撮影。勇気を出して彼女に一緒に撮ってもらうようお願いした。彼女は二つ返事でOKしてくれて、彼女の友達の子に頼んで私のスマホでツーショット。その子に「LGBTの人達のゴールインみたい」と言われみんなで笑ったけれど、ちょっと意識してしまった。その後ラインでクラスのグループから友達追加して写真を送る。彼女との初トークは少し雑談もできて、もっと仲良くなりたい!と言ったら、私も!と返してくれた。話の流れ上そういう返事がくるのは当たり前だけれど、それでも嬉しくなる。
3学期になると自由登校で半分以上は学校に来なくなるけれど、私も彼女も自習で来ていて毎日挨拶を交わして数回喋ることもあった。
女子校のバレンタインデーというのはきっと共学のそれとは違う。戦場に向かうよな顔をして、お菓子でいっぱいの紙袋を携え、友達先輩後輩と交換をする。共学では男子がそわそわ女子がもじもじするのだろうけれど、それは若い男性教諭とガチ恋の一部の生徒のみ。しかも生徒は中年の既婚の先生にガチってたりする。
そんな異様な空気感も高3だとそもそも人がいないし、受験真っ只中ではポッ◯ーとかアル◯ォートとか簡単な物を用意する。私も同じようなもの。その日も彼女は学校に来ていた。チョコを渡したい。でも彼女が友達同士でわいわいやっているところには入っていけないし、勉強中なのを遮って渡すのも忍びないし関係的に変な感じ。結局渡せなかった。
別に彼女のことで常に頭がいっぱいなわけじゃない。男性に恋愛感情を抱いたこともある。なのに彼女は友達とも他のクラスメイトとも違って見えて、関わる中で得られる喜びはとても恋愛の時と似てる。私と彼女の進路は地域から何から違うみたい。もう日常的に会うことはない。でもきっと成人の同窓会で会えたら目で追ってしまう。話しかけるか悩むと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20120722150432
息子/娘の卒業が危ぶまれる親御さんができることを考えてみた。
大学の学長は学内外の会議・打合せに忙殺されているので、個別学生の事情をわざわざ取り上げてくれるなどと考えないほうがいい。仮に学長の目に留まったとしても、多くの場合、学長は教員サイドの人間でもあるので、他の教員の評価に横槍を入れることを躊躇うことが多いだろう。
それよりはまだ、理事長への直訴の方が効果的だろう。ただし、予め理事長と昵懇になっていなければ、そもそも取り上げてもらえないだろうが。尤も、かなりのワンマン理事長であってさえ、実際にこんな話を持ち出せば事務局と教授会にそっぽを向かれるのは確実だが。
昨今は文科省が煩く指導するため、講義内容や評価基準を記述したシラバスを学期前に公開している。これを親子でじっくり読むこと。特に評価基準が重要。ここで
などを確認しておくこと。
上で出席が評価に含まれるかどうか確認せよと書いたが、仮に含まれないとしても、卒業が危うい学生に選択の余地はない。講義のある日は必ず学校へ送り出すこと。さらに言えば、この手の学生は大抵、学校に行くといって家を出ても遊びに行ってしまうことがよくあるため、学校まで送り届けることが望ましい。教室まで手を引いていって教員に引き渡せば完璧である。
当たり前だが講義前後に予習復習することが最も大切である。毎週課題がでるような講義ならばなおさらなので、特に課題をきちんと毎回提出しているかどうか確認すること。
上と関連して、大学の教務課を通じて教員に問い合わせれば出席状況などは教えてもらえる。月に1度くらいは確認すること。毎週やられるとさすがに辛いので勘弁してください。
ざっと思いついたところを書いてみた。こんなの大学生の親のやることじゃねーよという意見はもちろんあるだろうが、ここまでやらないとスムーズに卒業できない学生が相当数いるというのも現実なのである。他にも良いアイディアがあれば教えてもらいたい。
親戚の結婚式に出席したことが1度もない。
中間試験や期末試験、受験があったから…出なくていいと言われた。
でも本当にそれが理由だったんだろうか。
思い込みが過ぎるかもしれないが、『僕だけ出席させない理由があった』んじゃないかと考えてしまう。
お盆、正月に親戚の家に行っても自分だけ 「一緒に出かけなくていい」と言われてそうさせられたことが多々あった。
懇談?懇親?を深めていた中にも「お前はいい」とはぶられていたこともあった。
親戚の叔父に子供同士で体力比べをさせられて母が叔父に激怒していたことはいつものことだった。
何故?どうして?
確認することなんてできない。「馬鹿にするのか」となるからだ。
自分の中で自分に都合のいいように記憶を変えてしまっているかもしれないが、
親類との付き合い?ないよ。自分だけ。
他の人同士はあるみたいだけど。
それも私がいけないんですって。
なじもうとしないから。
からまないように、からまないようにしてきたのはどなたですか?
大人になってからもからまないようにしてきたのは自分達でしょ。
あーほんと縁を切って一人になりたい。
おはこんばんちわ。上記のエントリを書いた17で子持ちになった増田です。思いのほかはてブ等で反響があったので、誰も気にもしていないのに17歳で子を持つに至るまでの4半生についても勝手に自分語りを始めます。前エントリで最初で最後といったくせにね。17歳以後と比べるとたいして特殊でもないDQNのつまらない話です。
親が転勤族だったこともあり小学校では転校を三回経験。その経験のせいで「人間関係をあまり重要視しない」という性格を形成するようになったんじゃないかと思いこんでいたりする。そのため自分の子供には転校をできるだけ経験させないであげたいなと思っているんだが、、、まぁ考えすぎなのかな。
やはりこれだけ転校すると今だに連絡を取るような小学校時代の友人は一人もいなかったりする。でも当時は転校に対してネガティブなイメージはなくて前の小学校で失敗した小さなことを次の小学校ではこう直そうとか考えたりしていた(大学デビューみたいなもんか)。やっぱり「人間関係をあまり重要視しない」ってのは天性のものだったのかもね。
学校の成績とかは苦労はまったくしなかったが、単に塾に通っていたからだと思う。「勉強しなくても特に苦労することはなかったなぁ」とかいっている天才とは多分頭の作りが根本から違うんだろう。
中学は都内の私立男子校に入学することになった。いわゆる御三家に落ちた人たちが集まる滑り止め校で、自分もそのパターン。
入ってから半年ぐらいは成績も中の上ぐらいなもんだったけど(試験の全順位発表する学校でした)、次第に成績は落ちていって1年の終わりぐらいには最下位グループに固定化されてたと思う。
そういえばそのころ初めて「いじめ」みたいなのも経験した。こういう進学校もどきの特徴なのかは分からないが基本的にターゲットは成績の悪いやつなんだよね。成績がそれなりだったころは仲も良かったクラスメイトが急に自分を攻撃してくるようになったのだ。といってもうしろから消しゴムを投げてくるとか漫画を持ってきているのを先生にチクられるという些細なもんだけど。
もうひとつそのクラスの特徴と言えるのかもしれないけど、自分以外の例を見ても基本的には「攻撃する奴」「攻撃される奴」の1対1というのが多かった。いわゆる同調圧力なんかはなかったように思う。だから集団シカトとかそういった類のものは発生していなかった。他の人間はそれを積極的に止めたりもせず「あーあいつらまたやってらー」ぐらいの感じで眺めていたように思う。
そして2年生になり、ますます成績は落ちていくんだけどまったく勉強はせず学校帰りにゲーセンに寄ったりしてそれが見つかって反省文みたいなことを繰り返していた。そういえばそのころ流行っていたNBAのトレーディングカードを持っていっただけで反省文だったなぁ。
「お前は腐ったミカンだよ」
担任にそう言われたのはそんな反省文を何度目かに命じられた時だったと思う。正直その時はそれが金八で使われていたというのも知らなかったけど。金八先生のファンなんだろうかあの先生は。
そんなこんなでいろいろとやさぐれて中間試験や期末試験をさぼったりするまでになって2年の終わりに留年勧告。いや、本当のところはよくわからないけど。親が呼び出されて話をしたので。そしてそれを親が断わり自主退学。
別に自分は中学留年でもいいんじゃないかなぁとも思っていたけど、まぁどっちでもいいかと思って了承。
親の都合もあり東北地方に引っ越して3年は普通の公立中学に転入。でも3年の授業は前の学校で終わらせちゃっていて、つまらなくてほとんど寝てばっかだったとおもう。試験も相変わらずさぼったり白紙提出したり。でも公立はそれでも卒業させてくれるんだから楽なもんだよね。
試験が白紙ばかりだったんで内申点で落ちるよと担任に脅されながらも一応その地域の進学校を単願で受検。落ちたら東京にいって働くかなんてことを考えていたりした。ところが進学校のくせに倍率0.99倍とかになったせいか合格。
これを機会にやり直してみるかーと思ったのは最初だけで、燃え尽き症候群的な態度は変わらず授業は寝てばっかで試験は白紙提出を繰り返していた。(そういえば燃え尽き症候群ってのは中三のときの担任にいわれたんだったっけか)
一方そのころとあるネット上のコミュニティサイトにはまっていて。誰でも知ってるようなサイトですが。で、そこの東京でのオフに足を運ぶことになる。そうすると高校落ちていたら東京に戻るはずだったという思いが再燃してくるんですよね。2年弱東北にいたせいで東京コンプレックスみたいなのを持ち出していたんだと思う。その時に会った人にそんな自分の思いを伝えていたらじゃあ東京に出てきて単位制の学校に通ったらと勧められることに。まぁ学校に行くってのは親へのポーズであってとにかく東京にでたいんだという気持ちだったんだと思う。今思い返しみてもその時のその情熱はちょっとよく分からない。
なんとか親を説得して高校を自主退学。その単位制の学校を受験するんだけど落ちました。やっぱ都立って内申点重視するのね。で、急きょ同じ学校の通信制と他の私立の夜間定時制の学校も受験して一応合格。学校あまりいきたくないという思いもあったので通信制に入学。土曜日だけスクーリングがあったんですが、校内に生徒用の喫煙所がある変な学校でした。
で、入学して2か月ぐらい働き先を探したりもせずに彼女の家に転がりこんだりしていたら、妊娠発覚。前エントリに続くという感じです。
(学年的には2年生)とか書いていた理由も分かりましたかね。小学校4つ、中学校2つ、高校2ついったというのはちょっとした自慢だったりもします。
ときかれて
「花のお江戸に御旗を立てるんです。学校にいきながら働くつもりなんです。」
といったら
「ププッ。何かスキルでもあるの?」
「いえ…。でもプログラムをこれから勉強しようと思っています!」
「あのねぇ、そんなに簡単に世の中はいかないんだよ。まずは学校でしっかり勉強しなさい」
みたいなことをいわれた。その1年半後には400万弱の年収で子供が離乳食を食べ始めていたわけなんだが。
あれから8年、まだ御旗は立っていないけど。