はてなキーワード: リバタリアンとは
でもさぁ実際問題、政権をとれば「やる」と言ったことはなんでも達成できる権限を持てるか、っていうと全然そうじゃないだろ?
野党に足をひっぱられたり、官僚が言う事聞かなかったり、いろいろでさ。
よっぽど政治マニアの人でないと、「やらなかった」のか「やれなかった」のかは判別できない部分もあると思うんだよね。
だから俺は結局のところ、政党の(特に中枢部の人たちの)政治思想だけを信じるね。
成果に注目してたら一生腰は据わらないと思う。思想がまともであれば、成果はそのうちついてくる。成果に対する目はアバウトでいいんだよ。
だからリバタリアン・パターナリスト(矛盾するようだがそう表現するしかない)な俺はいまんとこ自由党を支持してる。次点で立民だね。
つまり2004年頃から議論になってる自己責任論はリバタリアンとリベラルの思想闘争というか。
どこまで国家が国民(つまり日本国籍を持ってる人)を助けるべきか?
という話に過ぎない。
重要なのは「自己責任論」という言葉に踊らされすぎて具体論まで落とし込めてないことだと思う。
「自己責任」という用語で議論される範囲があまりにもでかすぎる。
例えば、俺は生活保護費を受けざるを得なかった人をことさらに責めるべき
と言われると同意できない。
もちろん、嘘をついていたとかなら別だけど。
本来であればそういう個別具体的な文脈と経緯に基づく詳細な議論が必要なはず。
であるならば、今回議論しなきゃならないのは「自己責任論」じゃなくて
の話なわけでしょ?
もし、以前と同じようにあらゆる事象をごたまぜにしてメディアや市民が
「自己責任論は~」
っていう風に曖昧模糊とした用語で議論した場合以前と同じように何の結論もでないよ。
両者の溝は縮むことも離れることもなくただの平行線でずーっと進むだけ。
労働生産性によって賃金や採用を決めるのに正当性があるとか笑うしかない。そういう資本主義的マッチョイムズでアメリカがどうなってるか知らないのかよ。ウォールストリートでデモが連日起きてアメリカの人口の1%が90%の富を持っているってそれでいいのか労働生産性を正義だと思ってるリバタリアンどもは。
完全に自由に資本主義が流れたら格差が莫大に広がって社会不安がつのり貧困者が増えて最大少数の最大幸福になるけどそれでいいの?喫煙者の生産性wwwて言ってるリバタリアンは。
しかもいま社会で流通してる生産性って人間の生産性じゃなくてプログラムの生産性のほう。Googleやfacebook、yahooが生産性が高いって言われてるのは人間じゃなくて機械を働かせてるから生産性が高いわけで人間の生産性を論じている時点でもう、笑うしかないでしょ。現実に起きているのは職種別の生産性であってそこに抗するのが社会や公的理念のある企業、政府のあるべき姿だろ。
先端的な取り組みだとか言って昭和的労働観(人間の生産性)を持ち出して正当性があるとか考えてる現実が見えていない無能経営者はもう笑うしかないwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
交友関係にリバタリアンかガチモンの権威主義者(ソ連シンパやアサド政権シンパ)ばっかりなんで、ネトウヨだのパヨクだのの実態がつかめないんよね。大衆のお気持ちはよくわからんなあ
そう読んだとしたら、申し訳ないが誤読としか言いようがない。三段落で私は、いま弱者とされている人の生きづらさを解消することが社会全体にとって「利」なのだ、という話をしている。福祉行政の目的、そして、私がLGBTの権利主張に同調するのは、それが「社会全体にとって利があるから」=公益のためだ。
そもそも福祉は「かわいそうな人のためにみんなが損をして『あげる』」ために行うのではなく、社会全体に安心(セーフティ・ネット)を与え、無意味な偏見を取り除いて社会の風通しを良くするために行われる。それに対して、既存の社会のありようをただ守りたいというノスタルジーから反対する(つまり偏見に基づく差別を肯定する)のは、率直に言って社会悪だ、と私は述べている。そこでは主に保守主義的な立場からの批判に対する意見として述べたわけだが、仮にあなたの立ち位置がリバタリアニズムにあるのだとしたらもう少し違った説明をした方がいいかもしれない。
あなたの「弱者の側が社会に損させてでも自分の利益だけを求める」という捉え方、言い換えれば「福祉は『お上から下される憐憫』」的な捉え方に基づけば彼らへの支出を絞るのが「公益」となるのだろう。だが、政治・行政とは慈悲ではなく現実に即して行われている。社会的弱者へのセーフティネットもLGBT支援も、徹底的に「公益」に適う視点で行われているのだ。
もちろん、社会的弱者に手をさしのべることが公益となる根底には、人間の他者への想像力、同情、などの心情が働いていることは否定しない。それはたとえば、孤島に流れ着いた10人の集団が生き延びようと努力するとき、怪我をした1人の仲間をどう扱うか、という問題に似ている。あなた、あるいはリバタリアンは「安い同情はやめろ。こいつはもう歩けるようにならない。ただの足手まといだ。せめて崖から突き落としてやるのが慈悲だ。」と主張するかもしれないが、リーダーがそのように振る舞えば、そこは弱肉強食のバトルロワイヤルの舞台と化すだろう。だがもし「歩けなくても、可能な範囲でこいつにできる仕事を回して、協力して生きのびよう」という意見を述べるリーダーがいたら? そこでは弱い人間も安心して社会の維持に協力できるし強い人間も周囲との競争にリソースを裂くことなく社会全体に貢献できる。バトロワ化した集団と後者の社会、どちらがサバイバルに有利かは明白ではないか。
「福祉とは公益に適う視点で実施されているのであり、それに反する意見は端的に言って社会悪である」というのはつまりそういうことだ。後者のリーダーの下で我々が安心して働けるのは、確かに我々が想像力を駆使しているためではある。また、そのような想像力の働きは「同情」という形で現れるかもしれない。しかしながら、人間がそういう生き物である以上、それを前提に社会制度は設計されなくてはならない。福祉が実施されなくてはならないのは、先のように社会を一つにするための徹底的にリアルな「公益」に基づいている。このような認識に立つとき…つまり「個人の善意などには信頼したり頼ったりしない」という冷徹な立場の上に、福祉は実施されるべきである、というリベラリズムが成立しているのである。
もう少し言えば、「同情」という心情が生き物としての我々の「心」にセットされているのは、おそらくそれが生存に有利だったからだろう、ということもたやすく想像できる。ほ乳類が進化していく過程のどこかで「同情」という心性が生まれ、特に集団を形成するタイプの生き物の中で生存に有利に働いた。たとえば犬、ウマなどは「同情」するし、サルはもちろん深く「同情」する生き物である。そのように私たちは「同情」する生き物なのだ。「同情」によって数百万年の間、過酷な自然を生存してきた生き物なのだ。思想や理論に偏らず、このように人間という生き物そのものの性質を踏まえた上でなければ、現実に生きて働く政治を形成することはできない。
元ツイ
https://togetter.com/li/1263573
初めに言っておくと、私は最初から青識側が正しい気がしていて、今も変わっていない。したがって青識氏が正しい理由を探してるだけかもしれない。
さて、この論争で問題になっているポイントがようやくわかったので独り言をする。
ここにたどり着くために、大いに参考になったブログ記事は、
これを読めば、小宮-青識論争に最短で追いつける - noumos blog[2]
http://noumos.hatenablog.com/entry/2018/09/10/053458
http://yonosuke.net/eguchi/archives/8995
の2つ。それに、
@deadletterjp[3]の
https://twitter.com/deadletterjp/status/1038174816354746368
http://www.twitlonger.com/show/n_1sqlcluhttp://www.twitlonger.com/show/n_1sqlclu
の小宮氏によるまとめ[4]。
理解の手順としては上2つのブログを順に読んでから下のツイートを見て理解した感じ。
私の考えとしては、[1]に書いてあることにほぼ等しい。
「先にも指摘したように、これが侮辱であるためには、…関係する女性が性的に活発だという含みのことを言われたらすべて侮辱されていると解釈するべきだ、ぐらいの判断が裏にないと正当化されないが、…少なくともセックスリバタリアン的な傾向のフェミニズムとは相性が悪いのは意識するべきだろう。
「誰かを尻軽(slutty)であると指摘することはふつう悪口であり、これはフェミニズムとは関係なく悪口である。」
「さらに、…という考え方は保守的な「名誉の文化」では非常に重要な発想だろうと思うけど、これはフェミニズムとはあいいれない側面が大きいと思う。」
「フェミニズムは…その性役割規範から解放する、ってなことが主張されていたわけなので、男は女性のナイトであるべきだという発想とはあいいれない側面が大きいと思う。」
元ツイ主の友人の発言はおそらく侮辱であることは、一般に正しいと思われるが、その解釈はフェミニズムと相性が悪い。その発言を前提としたjiji氏の「あなた自身が馬鹿にされてる」という発言はフェミニズムと相性が悪い認識を前提としているから、そこを突いたのが青識氏の発言であるのだろう。これは論理として妥当に見える。
代わる解釈として示されているのが、[4]にある「Jのツイートの趣旨は『セクシズムなりレイシズムなりに乗るな』である」である。この解釈を最初私は理解できなかった。
通常、皮肉のように間接的な侮辱の表現を理解していない人に対してその正しい意味を伝えることは、何らかのアクションをするように求める、あるいは提案していると解釈される。侮辱されていることを伝えるのは相手に不快感を与えることであり、気づかないに越したことはない。あえて伝えるなら、相手を不快にさせる以上のメリット、つまり「喧嘩を売っているのと同義」「怒るべき」「(侮辱に対抗できるよう)強くあるべきだ」という侮辱に対する反抗、あるいは「侮辱してくる相手とは距離をおこう」という回避行動といった、何らかの(将来の)アクションを求めていることは明らかだろう。
「あなたと関係する女性が性的に活発だ」という発言が侮辱であることは当然推測できるのだが、元ツイ主はそのような推測をせず、文面通りに"日本人女性に対する"意見(あるいは苦言)として解釈した。その結果として、その意見を日本人女性に知らしめ注意を促すために行動した、と解釈できる。つまり、文面通りに解釈することはフェミニズムが求めることで、日本人女性に知らしめようとすることはフェミニズムに反することだろう。この場合フェミニズムの観点から批判されるべきは貞操観念を女性に求めたことである。一方、文面通りに解釈した上で「それをなぜ女性でない私に言うのか?」という返答も可能であり、むしろフェミニズムが求める返答はそちらではないのかとさえ思える。したがってjiji氏が伝えるべきは少なくとも「あなたが馬鹿にされてる」ことではなく、「日本人女性に対する意見をやめろ」というニュアンスのみである。実際、小宮氏は[4]において「…Sは…少なくとも「貞操観念を持ちましょう」という自分の発言も性差別的だと理解して取り下げること、すなわち「Fの性差別に乗るのをやめる」ことです。」と述べている。
つまり、jiji氏は"将来に"何らかのアクションを求めていることを伝えているのは明らかであるにもかかわらず、小宮氏の解釈は「セクシズムなりレイシズムなりに乗るな」という、"過去"の行動に対する反省を求めるものとなっている。この点が理解できなかった。
この点について小宮氏は、jiji氏は元ツイ主に「発言の理解を正す」ためだと述べている。しかし上で述べたように、侮辱されていると伝えることは、過去の行動に対する反省、また今後の"理解"を求めるものとは到底言えない。だいたい、理解を求めるだけなら理解を求めればいいのであって、「そう言うことは女性に言っちゃいけないんだよ」だけを伝え、侮辱されていることを伝える必要は必ずしもない。あえて伝えるならば、アクションを起こしてほしいというニュアンスが加わることは一般に当然だろう。
さて、私が見逃していたのは何だったのだろうか?それが[3]に示されていた。
それは、「あなた自身が馬鹿にされてるんだよ」という発言が"カウンター"である、という解釈であり、知識だった。
つまり、侮辱されていると伝えることは、女性に対して貞操を求めるという女性差別(あるいは「ピントのずれ」)に対する怒りの表れであり、元ツイ主と友人間だけの問題なんだからこっちに女性差別を素通ししてくるんじゃねえという意思表示である、ということだ。
これで「なぜ侮辱をあえて相手に伝えるのか」という疑問が解ける。元ツイ主の友人の差別発言をこっちに流してくるな、"打ち返してやる"というカウンターで、先に不快にさせたのは相手なのだから結果として相手が不快になろうが関係ない、という理屈である。これを踏まえれば小宮氏の解釈も論理的である。実際、小宮氏は別のツイート[5]でこう述べている。
https://twitter.com/frroots/status/1036515588355444737
「性道徳の二重規準の差別性に関してはフェミニズムの中で一定の議論があるという事実を知っていたら、やはり元ツイートが「差別的な価値観に乗るな」という趣旨で言われている可能性に思い至ることはできたはずだろうと思います。」
さて、青識氏と小宮氏がともに論理的な理解をしている(と私は思う)解釈ができたところで、私自身の意見を述べる。
私は"カウンター"というフェミニズムの文化を(暗黙的に)前提としている小宮氏の論に同意できない。
相手に不快にされたから、その反論で相手を不快にし返そうという手法は、現実には必要なツールであろうということは容易に想像できる。売られた喧嘩は買うべきという論は相手と同等の地位を維持するために有用である。しかし、それをフェミニストでない人との議論で用いるのは不適切だと思う。カウンターはあくまで相手と対等になるために必要な"銃"のようなもので、議論の最中に持ち出していいものではない。また、フェミニスト間のみで通じる理論を用いるのは混乱をまねく。
また、この論点はカウンターという過激な思想を持ちだす場面ではない。「女性に貞操観念を持つように伝える」人間はミソジニストではない。ただのフェミニズムに反する観念を持っている人間であり、過激な"銃"を持つ人間ではないのだ。
最後に、この論はカウンターという小宮氏が一回も述べていないツールを用いた解釈を述べている。この論は小宮氏の解釈と違っているかもしれないが、カウンターという概念以外に「相手を不快にさせる」ことを正当化させる手法が思いつかない。
いや、もしかしたら侮辱されていると相手に伝えることは、相手を不快にさせないと思っているのかもしれない。それはそれでいいと思う。
おかしくはないよ。
リバタリアン的な思考だと、結婚も恋人関係と同じように習俗上のものだけにして、役所に申請なんてしなくても個人間の同意だけで成り立つものであればいいとなる。
でも実際には、国に届け出て、受理され、把握・管理されるという形で、国家による干渉を受けている。
要は、「国が定める『家族』のあり方に従ったな。ご褒美に税制優遇してやろう。」ということだ。
子供を作らなくても、とにかく国は国民につがいになってほしい。それが国のためになるから。その意図に従ってあげた当然の報いだよ。
ほとんどの人は自然と異性を好きになるし、結婚するときに国へ届けを出すことを無意識にやる。だから自分のした悪魔の契約に気づいていないだけだ。
みたいな話がある。
ただ、最近の流れを見るとブロッキングしてもええやろ派も割と大きくなってきたのでどっちがいいのか個人的に悩み中。
EUのGDPRを見てもどうにもグローバルな流れの中では金盾のような仕組みに傾きつつあるようにも見える。
という考え方は俺は正しいとと思ってる。
ネットの仕組み上ブロッキングなどの概念上の国境を作る以外で他国の文化の流入は避けられない。
逃げていないのであれば
・実は超絶なリバタリアンで、国家による介入などしちゃだめで海外のコンテンツ・文化は全て流入しても構わないと思っている。
・ブロッキングなどしなくても(何かを)徹底すれば犯罪は全て収まると考えている。
・曖昧なままでよくて、国家が統制できない犯罪の流入は仕方ないと考えている。
のどれかってことなのかな。
政治的左派、経済的右派に属するとされるリバタリアンと自称する私ですが、
・日本の左派政党はどいつもこいつも経済格差是正・社会福祉重視野郎ばっかりでクソだし、
・日本の右派政党は個人の自由より国家だとか明治以降の薄っぺらい伝統への服属を要求するクズしかいない。
んでもってどっちも憲法をないがしろにしたバカ議員ばかりでつらい。
・法人減税賛成
・消費増税賛成
・働き方改革賛成
・雇用流動化促進賛成
・放送法改革賛成(放送に政治中立不要、一方でベンチャーが放送に参入できる道筋を開いて)
・外国人参政権賛成
・大阪都構想賛成
・ふるさと納税反対
こんな感じの政党がほしいです。
せっかく憲法の日だし、自民党の4つの改憲論点でいうとこんな感じ。
・自衛隊合憲化・・・○(憲法に規定されない実力部隊がある方がおかしい。解体するか合憲化するかの二択だと思うので、どちらかといえば合憲化やむなし。)
・緊急事態条項・・・×最低(緊急事態宣言に賛成票を投じた政治家とその親族は4年後に自動的に死刑になるなら許容できる。それくらいの気合を入れて決議するならよかろう)
・合区解消・・・×最低(日本経済を苦しめる地方に票をやる必要がどこにあるんだ。これが通ったら東京都を100分割くらいすればいい)
なんていうか、投票先がないねん。自分はやや政治的左派のほうが強いから「もっともマシな政党に入れろ」の信条に従って過去の投票履歴は、みんなの党に一回入れた以外は民主党系に入れてるけど経済政策に不満たらたら。
DNSブロッキングってもしかしてもう始まってるのだろうか。生憎(一般コミック)に興味がないので、例の3サイトやらは使ってないから分からないが。そうだとしても、DNSが塞がれただけならIPアドレスを直打ちするか、hostsファイルを弄って正しい名前解決をさせればいいだけじゃないかなと思う。
ところで、そういう発想がポンと出てこないような低リテラシーなというか、情報弱者層がよく分からないままアホな事してるのを止めたい、ってパターナリズムは少し分かるところがある。何か高度なことをしようと思ったら、それ相応の学習をしなければならない。それが民主的な社会を維持するためには必須だから。人民が賢くあろうとしないと判断能力すら育たない。でも学んだ人間が、意思と思想をもってあえてルールを破ろうとする余地が一切残されていない社会は健全とは言い難い。もしこうしたブロッキングが進んで、そういう余地が残されなくなってしまったら、本格的に日本は社会主義国家とみなされるだろう。
私は、違法行為がなんの知識も思想もない人間の手の届くところまで降りてきていることが真の問題だと思っている。昔を思い返せば、マジコンにしろ、怪しげな中国企業が提供していた無料音楽アプリにしろ、漫画村にしろ、ああいうものを利用していたのは無知蒙昧な一般人層だ。本当のギークは、そんな二次三次放流の広告つきサービスなんかには目もくれず、WinMXだとか、Winnyだとか、今だとtorrentだとかのP2Pソフト、あるいはMegaやRapidgatorのような海外アップローダーだとか、そういう所で割れにリーチし、海外のなんちゃらHentaiやら、なんちゃらSharingやら、なんちゃらSubsのような、特に広告があるわけでもない、ガイジン有志の熱意と寄付で運営されている海外フォーラムやサイトを英語にめげずに巡回していたはずだ。そうしたサイト上で形成されたコミュニティーでは、同好の士が独自のポリシーを持って勝手にアニメカルチャーを広めている。功罪あれど、役人たちがクールジャパンと呼ぶものの実態はそうした活動によって広まっていった側面が決して小さくない。例えばアニメについてはrawはブラックだろうが、そもそも日本のアニメがきちんと海外配信に向き合ってこなかったこと、字幕を機敏につけられる体制がなくファンによる違法subに頼るしかない状態が続いていることが元凶になっている。ゲームのROMのような権利的に完全にアウトではあるがハッキングコミュニティと繋がっているものもあり、また海外のポルノ投稿サイトが最もブラウザの脆弱性を知り尽くし裏をかいて広告を表示させる技術力を持っていたりするのもそうだが、大きく捉えればコンピュータ技術の発展とウェブのアンダーグラウンドは切り離せない。そうした繋がりをパターナリズムによって断絶させようとするのなら、人間は健全な消費者になるどころか、ますます愚かで思想を持たない一般人で埋め尽くされるようになるだろう。低い者に合わせようとした結果だ。
そして、そうなった時代にコンテンツの未来はどうなるかというと、すべてが同人活動になっていくだろう。既に絵や漫画はtwitterやpixivを漁れば十分な量の娯楽が、絵師さんたちの手で自ら無料で公開されている。そこで絵師さんたちが求めているのは共感や評価であって、貨幣ではない。その傾向が加速して、コンテンツに対価を払うとか面倒くさいことは避けて、自給自足で楽しみ合おうじゃないか、という世界になるだろう。動画制作も、ゲーム制作も、より誰でも手軽に十分な品質のものが作れる環境が急速に整ってくるだろう。Vtuberの人気もそのコンテキストで見ることができる。技術環境さえ整って個人Vtuberがリッチな絵面になれば、より自由度の高い個人の方が強くなってくる。そして広告案件すらださずに伸び伸びと演じるキャラクターの方が好かれるようになってくる。そうやって貨幣でない評価基準に価値を見出し、「足るを知」った人たちによる狭小住宅ならぬ狭小エコノミーが多数派になる。経済的にみると泡沫のようなものが多種多様に出てくるだけだ。そこには国家が望むような経済的成長はないだろう。
気持ちはわかる。
俺はリバタリアンじゃなくて社会自由主義で、日本の政府はもっと大きくてもいいと思ってるけど、反差別のリベラルは賭博の自由にも厳しいし表現の自由にも厳しいし、えっふだん同性婚の自由とか苗字を選ぶ自由とか言ってるのは何だったの……って常々思ってる。
セーフティネットや福祉がないと怖いから社会自由主義支持だけど、根本が自由主義だから二番目に支持してるのはリバタリアニズム。
でもこの社会自由主義を徹底してくれる政治勢力が弱すぎてなぁ。カジノ法案はほんと絶望です。国籍によって賭博の自由を制限するという反自由主義的で差別的な立法に、生温い! もっと規制しろ! なんて声が飛び交ってるんだもの。世も末ですわ。