つまり2004年頃から議論になってる自己責任論はリバタリアンとリベラルの思想闘争というか。
どこまで国家が国民(つまり日本国籍を持ってる人)を助けるべきか?
という話に過ぎない。
重要なのは「自己責任論」という言葉に踊らされすぎて具体論まで落とし込めてないことだと思う。
「自己責任」という用語で議論される範囲があまりにもでかすぎる。
例えば、俺は生活保護費を受けざるを得なかった人をことさらに責めるべき
と言われると同意できない。
もちろん、嘘をついていたとかなら別だけど。
本来であればそういう個別具体的な文脈と経緯に基づく詳細な議論が必要なはず。
であるならば、今回議論しなきゃならないのは「自己責任論」じゃなくて
の話なわけでしょ?
もし、以前と同じようにあらゆる事象をごたまぜにしてメディアや市民が
「自己責任論は~」
っていう風に曖昧模糊とした用語で議論した場合以前と同じように何の結論もでないよ。
両者の溝は縮むことも離れることもなくただの平行線でずーっと進むだけ。