元ツイ
https://togetter.com/li/1263573
初めに言っておくと、私は最初から青識側が正しい気がしていて、今も変わっていない。したがって青識氏が正しい理由を探してるだけかもしれない。
さて、この論争で問題になっているポイントがようやくわかったので独り言をする。
ここにたどり着くために、大いに参考になったブログ記事は、
これを読めば、小宮-青識論争に最短で追いつける - noumos blog[2]
http://noumos.hatenablog.com/entry/2018/09/10/053458
http://yonosuke.net/eguchi/archives/8995
の2つ。それに、
@deadletterjp[3]の
https://twitter.com/deadletterjp/status/1038174816354746368
http://www.twitlonger.com/show/n_1sqlcluhttp://www.twitlonger.com/show/n_1sqlclu
の小宮氏によるまとめ[4]。
理解の手順としては上2つのブログを順に読んでから下のツイートを見て理解した感じ。
私の考えとしては、[1]に書いてあることにほぼ等しい。
「先にも指摘したように、これが侮辱であるためには、…関係する女性が性的に活発だという含みのことを言われたらすべて侮辱されていると解釈するべきだ、ぐらいの判断が裏にないと正当化されないが、…少なくともセックスリバタリアン的な傾向のフェミニズムとは相性が悪いのは意識するべきだろう。
「誰かを尻軽(slutty)であると指摘することはふつう悪口であり、これはフェミニズムとは関係なく悪口である。」
「さらに、…という考え方は保守的な「名誉の文化」では非常に重要な発想だろうと思うけど、これはフェミニズムとはあいいれない側面が大きいと思う。」
「フェミニズムは…その性役割規範から解放する、ってなことが主張されていたわけなので、男は女性のナイトであるべきだという発想とはあいいれない側面が大きいと思う。」
元ツイ主の友人の発言はおそらく侮辱であることは、一般に正しいと思われるが、その解釈はフェミニズムと相性が悪い。その発言を前提としたjiji氏の「あなた自身が馬鹿にされてる」という発言はフェミニズムと相性が悪い認識を前提としているから、そこを突いたのが青識氏の発言であるのだろう。これは論理として妥当に見える。
代わる解釈として示されているのが、[4]にある「Jのツイートの趣旨は『セクシズムなりレイシズムなりに乗るな』である」である。この解釈を最初私は理解できなかった。
通常、皮肉のように間接的な侮辱の表現を理解していない人に対してその正しい意味を伝えることは、何らかのアクションをするように求める、あるいは提案していると解釈される。侮辱されていることを伝えるのは相手に不快感を与えることであり、気づかないに越したことはない。あえて伝えるなら、相手を不快にさせる以上のメリット、つまり「喧嘩を売っているのと同義」「怒るべき」「(侮辱に対抗できるよう)強くあるべきだ」という侮辱に対する反抗、あるいは「侮辱してくる相手とは距離をおこう」という回避行動といった、何らかの(将来の)アクションを求めていることは明らかだろう。
「あなたと関係する女性が性的に活発だ」という発言が侮辱であることは当然推測できるのだが、元ツイ主はそのような推測をせず、文面通りに"日本人女性に対する"意見(あるいは苦言)として解釈した。その結果として、その意見を日本人女性に知らしめ注意を促すために行動した、と解釈できる。つまり、文面通りに解釈することはフェミニズムが求めることで、日本人女性に知らしめようとすることはフェミニズムに反することだろう。この場合フェミニズムの観点から批判されるべきは貞操観念を女性に求めたことである。一方、文面通りに解釈した上で「それをなぜ女性でない私に言うのか?」という返答も可能であり、むしろフェミニズムが求める返答はそちらではないのかとさえ思える。したがってjiji氏が伝えるべきは少なくとも「あなたが馬鹿にされてる」ことではなく、「日本人女性に対する意見をやめろ」というニュアンスのみである。実際、小宮氏は[4]において「…Sは…少なくとも「貞操観念を持ちましょう」という自分の発言も性差別的だと理解して取り下げること、すなわち「Fの性差別に乗るのをやめる」ことです。」と述べている。
つまり、jiji氏は"将来に"何らかのアクションを求めていることを伝えているのは明らかであるにもかかわらず、小宮氏の解釈は「セクシズムなりレイシズムなりに乗るな」という、"過去"の行動に対する反省を求めるものとなっている。この点が理解できなかった。
この点について小宮氏は、jiji氏は元ツイ主に「発言の理解を正す」ためだと述べている。しかし上で述べたように、侮辱されていると伝えることは、過去の行動に対する反省、また今後の"理解"を求めるものとは到底言えない。だいたい、理解を求めるだけなら理解を求めればいいのであって、「そう言うことは女性に言っちゃいけないんだよ」だけを伝え、侮辱されていることを伝える必要は必ずしもない。あえて伝えるならば、アクションを起こしてほしいというニュアンスが加わることは一般に当然だろう。
さて、私が見逃していたのは何だったのだろうか?それが[3]に示されていた。
それは、「あなた自身が馬鹿にされてるんだよ」という発言が"カウンター"である、という解釈であり、知識だった。
つまり、侮辱されていると伝えることは、女性に対して貞操を求めるという女性差別(あるいは「ピントのずれ」)に対する怒りの表れであり、元ツイ主と友人間だけの問題なんだからこっちに女性差別を素通ししてくるんじゃねえという意思表示である、ということだ。
これで「なぜ侮辱をあえて相手に伝えるのか」という疑問が解ける。元ツイ主の友人の差別発言をこっちに流してくるな、"打ち返してやる"というカウンターで、先に不快にさせたのは相手なのだから結果として相手が不快になろうが関係ない、という理屈である。これを踏まえれば小宮氏の解釈も論理的である。実際、小宮氏は別のツイート[5]でこう述べている。
https://twitter.com/frroots/status/1036515588355444737
「性道徳の二重規準の差別性に関してはフェミニズムの中で一定の議論があるという事実を知っていたら、やはり元ツイートが「差別的な価値観に乗るな」という趣旨で言われている可能性に思い至ることはできたはずだろうと思います。」
さて、青識氏と小宮氏がともに論理的な理解をしている(と私は思う)解釈ができたところで、私自身の意見を述べる。
私は"カウンター"というフェミニズムの文化を(暗黙的に)前提としている小宮氏の論に同意できない。
相手に不快にされたから、その反論で相手を不快にし返そうという手法は、現実には必要なツールであろうということは容易に想像できる。売られた喧嘩は買うべきという論は相手と同等の地位を維持するために有用である。しかし、それをフェミニストでない人との議論で用いるのは不適切だと思う。カウンターはあくまで相手と対等になるために必要な"銃"のようなもので、議論の最中に持ち出していいものではない。また、フェミニスト間のみで通じる理論を用いるのは混乱をまねく。
また、この論点はカウンターという過激な思想を持ちだす場面ではない。「女性に貞操観念を持つように伝える」人間はミソジニストではない。ただのフェミニズムに反する観念を持っている人間であり、過激な"銃"を持つ人間ではないのだ。
最後に、この論はカウンターという小宮氏が一回も述べていないツールを用いた解釈を述べている。この論は小宮氏の解釈と違っているかもしれないが、カウンターという概念以外に「相手を不快にさせる」ことを正当化させる手法が思いつかない。
いや、もしかしたら侮辱されていると相手に伝えることは、相手を不快にさせないと思っているのかもしれない。それはそれでいいと思う。