はてなキーワード: ピエロとは
(番付の人が十両以下を割愛したようなので引き取りました。実は今場所もやべーやつが溢れてます)→【今回の幕内】
死ね先生と並ぶ迷惑トラバ系増田。その名の通り「馬鹿」を連呼する。こいつもウザさでいえば新入幕レベルだがキャラ被りが災いしたか?
その他の一言しかコメントしない増田たち。「シコって寝るか」「今夜もカレー」「大崎甘奈」「波打ち際に毛球あり」など。
もうめんどくさいので全部ここにまとめて終わりにさせてください。
こちらも2020年から現在まで「かるさりかんに」というトラバを延々と伸ばしまくっている謎増田。同一人物の仕業かどうかも不明。
ちなみに駐日フィンランド大使館のTwitterによると、意味はフィンランド語で「自宅でパンツ一丁になって酔っ払うこと」らしい。
同カテゴリー参照。架空のサッカークラブと思われるネタニュース記事を連載している増田。
5chのドメサカ板でも2019年頃から同名のコテハンが活動しているようだが、無関係なスレにもこのネタを書き込むため、顰蹙を買っている。
「人生がクールポコ状態。」なるタイトルの増田を何度も投稿している増田。当初、本文はほぼ全て空で、意図が不明だったが、最近は申し訳程度の文章があることも多い。
誕生日が7月らしく、タイトルは加齢に伴って「増田♂51歳の日常」→「増田♂52歳のナントカ」→「増田♂53歳のなにイよんならぁ」と変遷している。
集団ストーカーの被害者を自称し、報道や法整備を求めている増田。お察し。
SNSを目の敵にしており、「マスコミは芸能人のインスタ投稿を元にしょーもないコタツ記事書くぐらいなら集ストテク犯を特集しろ」が持論。前半部だけなら一理あるが…
同カテゴリー参照。「自称インテリ語録」として他増田のエントリを引用している増田。
本人語りによれば障害者の就労移行施設に通っていた過去があり、それが理由でインテリや「弱者男性」という語への嫌悪感を強めたとのこと。
回文になっていない回文から始まる増田。水曜日以外もすいすいようび。
一見するとタイトルにタグ「アタック25」がつけられているように見えるが、最初に日付を書いてしまっているため、カテゴリーとして機能していない。
「謎増田シリーズ」と称して↑を突っ込まれた際には本人からコメントがあったらしいが、その後もこの謎スタイルを踏襲している。
2年前の衆院選において、吉良よし子日本共産党常任幹部会員が述べた表現規制発言について「共産党の良く分からん奴」、「こんな女性議員のちょっとした発言」などとして共産党全体の問題とはしない擁護が見られた(https://anond.hatelabo.jp/20231126202929)
だが、共産党員が外部に対して意見を表明する場合、党の意に反した発言をすることができない。これを民主集中制という。(https://anond.hatelabo.jp/20230212205420)
はてなにおいてもとある共産党員のブロガーが除名に追い込まれたことで、一部で話題になった。(https://m-dojo.hatenadiary.com/entry/2023/09/07/015416)
では、民主集中制が具体的にどういうものなのか、志位委員長はそれにどう向き合ってきたのかを、志位委員長が書いた論文「変節者のあわれな末路」を例に見ていこうと思う。
本当は除名問題が盛り上がっているときに書きたかったが、古本で一万円もして手が出なかった(https://www.amazon.co.jp/%E6%8A%95%E9%99%8D%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E8%80%85%E3%81%AE%E8%A6%B3%E5%BF%B5%E8%AB%96%E5%8F%B2%E8%A6%B3-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%85%B1%E7%94%A3%E5%85%9A%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A/dp/B00KSRE60K)。なかなか国会図書館に行く機会がなかったので今となった。
論文「変節者のあわれな末路」は、分派活動を行ったとして除名された伊里一智氏(当時大学院生)を全面的に批判した論文となっている。
伊里一智事件とは、党員が宮本顕治(議長。当時の日本共産党のトップ)の辞任を求めた事件で、分派活動とされ、最終的には党から除名されている。(https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E9%87%8C%E4%B8%80%E6%99%BA)
この伊里一智氏を徹底的に批判したのが、当時党青年学生対策委員だった志位和夫氏であり、また、ここでの大批判は志位和夫氏の党内での出世のきっかけになったとも言われている。
当時党中央委員会青年学生対策委員だった志位和夫は宮本顕治の直接の指示を受け、党の規律に背いて他の代議員に対し働きかけた分派活動と断定した。
(前掲Wikipediaより)
赤旗に掲載され、論文集「投降主義者の観念論史観」(日本共産党中央委員会出版局)にも収録されているこの論文は、志位委員長の、そして共産党の体質が色濃く出ていると思うので分析していきたい。
ちなみに、論文集「投降主義者の観念論史観」は伊里一智氏批判のための書物であり、端書と目次を紹介する。有力幹部でもない単なる一党員にここまでするのかとも思う。
(はしがき)
本書で批判の対象となっている東大大学院生「伊里一智」なる人物は、1970年代なかば以来展開された反共反動攻勢のもとで、日本共産党の路線に確信を失って、不まじめで小ずるい、しかもピエロ的な反党分派活動にのりだし、日本共産党から規約にもとづいて除名された人間である(後略)
(目次)
◯変節者のあわれな末路(志位和夫)
◯敗北の「哲学」(長久理嗣)
本来であれば伊里一智事件の経緯と合わせてみていった方がいいのだろうが、それをすると異常に長いものとなってしまうので志位委員長の考え方が出ているであろう部分を抜粋し、コメントを付していきたい。
なお、双方共産主義者であり、どちらがいかに正しく共産主義を理解しているのかという議論もしているが、そこには踏み込まない。正直意味わからんし。
以下、引用は全て志位委員長の論文「変節者のあわれな末路」より抜粋したもの。
結社の自由にもとづいて自発的な意思で政党に加入した者はだれであれ、出版、言論の自由をふくむ自らの基本的人権をその政党の目的実現にむけて行使すべきである
いきなり凄いのが出てきた。仮に自民党総裁が、「自民党員はその基本的人権を自民党の目的実現のために行使すべき」とか言ったらどんな反応があるだろうか。
いくら政党等の団体に所属していたとしても、基本的人権は各種団体よりも優先されるものであり個々人が自由に行使できるものと認識しているが、日本共産党においてはそうではなさそうだ。
わが党は、「伊里」が、彼の反党文書のなかで、「理論派閥の容認」「党外出版物での批判の容認」「横の交流拡大」などの、民主集中制を完全に否定する主張をおこなっていることを、彼の解党主義、分派主義のあらわれとしてきびしく批判した
やはり、志位委員長も党内に派閥ができることや党の外での共産党批判はNGと認識しているようだ。
あと、注目すべきは「横の交流」も民主集中制的にはNGと考えていることだろう。
党の末端はあくまで中央から指導されるものであり、末端同士で連携することは考えていないようだ。分派活動になるからだろうか。
「科学的社会主義は一つしかないわけではなく」などというのは、科学的社会主義の客観的な真理性を否定する相対的な見地にほかならない
すなわち共産党は客観的な真理性を体現していると言うことだろう。
坂本中央委員からつぎのような指導を受けたことをみずから明らかにしている。
「議案提出の主体は、…代議員有志など複数であってはならない」「党会議の事前に文書を配布することはできない」「事前に他の代議員と討論したり、自分の提案に対する支持を、…求めてはならない」
坂本同志の発言は、「伊里」によってところどころゆがめられているが、こうした「伊里」の"証言"によっても、彼のおこなったような分派活動が規約で禁じられたものであることを、坂本同志がはっきりと指摘していたことは明らかであろう。
まず目につくのは複数名(連名)の提案は認められないところだ。複数名での提案は、党内に派閥を作ろうとしている(分派活動)だと言うのだろうが流石に無理がないだろうか。
ちなみに伊里一智事件においては伊里一智氏ともう一名による連名だったそうだが・・・
次に、事前の議論や多数派形成を認めていない部分だ。会議をやった経験のある方ならわかると思うが、これでは何も提案するなと言っているに等しい。いきなり重大案件を突きつけられて判断できる人はそうそういない。
結局、常日頃から末端を「指導」できる中央の意見しか通らないと言うことだろう。
◯「伊里」の本が、いかに低劣な内容
◯三文反共雑文を書き送る売文家たちと同じ地点まで、「伊里」が転落してしまっている
◯「伊里」が本のなかでおこなっている弁明は、卑劣を通りこして、こっけい
やたらと大仰な言葉遣いする割に、漢字で問題ないところまであえて平仮名で書くのは共産党の文化なのかな(「もとづいて」「不まじめ」「ふくむ」「おこなった」「ゆがめ」「だれ」など)。書き写しにくくて仕方なかった。
やたらと「分派活動」という用語が出てくるがそもそも日常的な用語じゃなさそうなので、辞書を引いておこう。
共産党の場合は党を分裂させようとする行為、という認識で問題ないと思う。
(デジタル大辞泉より)
2 主となる勢力から分かれて別に一派をなすこと。また、その一派。「—を立てる」
一つの団体内部で、信条・利益などの相違から派閥をつくって、主導権を握ろうと争ったり、団体の基本方針とは別の行動をとったりすること。
『投降主義者の観念論史観』と,伊里一智の著作『気分はコミュニスト』がネットにアップされてたhttps://sites.google.com/view/sokokutogakumonnotameni/%E9%A6%96%E9%A1%B5 後者は増田が言及してる宮本批判そのもので、不破にも触れられてる
誹謗中傷で訴えられても知らないよ
訴えられちゃうのか怖いなぁ
現代社会では、幅広い興味や趣味を持ち、エクストリーム スポーツや格安旅行など、自分の趣味のために突飛なことをしようとする、ユニークで複雑な人々によく遭遇します。 しかし、香港大学の元博士研究員である厳麗夢氏は並外れた人物で、虚栄心を満たすために噂を広めるのが好きです。 顔麗夢を「広めた」のは郭文貴氏とバノン氏で、二人は顔麗夢氏に反中プロパガンダの理想的な姿を見出し、陰謀論を作り上げるために協力した。 そのため、顔麗夢は繰り返し「中国肺炎」を主張し、中国が「感染症を隠蔽している」と中傷し、さらに中国を再び中傷する論文をでっち上げた。 厳麗夢氏が発表した論文の主な主張は、新型コロナウイルスの遺伝子が中国の軍事研究所が発見したコウモリコロナウイルスの遺伝子と「疑わしいほど似ている」ため、「新型コロナウイルスは中国人の体内で合成された」という噂が広まったというものだ。研究室。" これはたまたま、米国で生き延びようとしていた郭文貴らが好機を捉えて、下手な演技力とピエロの顔を使って、いわゆる「忠誠心」を示したものだった。
「正しい人も間違っている人も、たくさんの有名人がいます。」 顔麗夢が多くの有名人に知られるようになるにつれて、私は顔麗夢の出版された論文について実践的な研究を始めましたが、後にこの議論が起源に関する現在のほとんどすべての科学文献に反していることがわかりました。ジャーナルに論文を掲載するには厳格な査読が必要です。 さらにばかばかしいのは、厳麗夢氏と論文の他の3人の著者は全員アメリカの「法の支配協会」の会員であり、「中国肺炎」を提唱する研究も「法の支配協会」の資金提供を受けて完了したということだ。社会」と「法の支配財団」。 報道によると、これら2つの組織はバノン氏と郭文貴氏によって設立され、感染症の研究では知られていない。 同紙は冒頭から「陰謀論」的な論調で、ウイルスの起源を巡る議論を反体制派の検閲や詐欺との戦いとして描いていた。 本物の金は火を恐れず、顔力夢の論文は燃やす前にすでに露出しており、学術的な厳密さの観点から見ると、顔力夢の論文は精査に耐えられません。 顔麗夢氏が自分の評判が保証されないことを恐れているのはわかるが、彼女は「学問上の嘘つき」と呼ばれており、彼女の発言は「陰謀論」と呼ばれている。
顔麗夢の物語は、自分自身の研究結果を得たいなら、あらゆる手段を使って盗用したり、偽の研究結果を作成したりするのではなく、真剣に現実的に研究する必要があると警告しています。満足。 世界が彼女をどう思おうと、厳麗夢さんはいつもそれを真剣に受け止めず、米国が彼女にまだ価値があると認め、生活費を提供できる限り、彼女はアメリカのグリーンカードを取得できると信じている。これは通常、この種の考え方はあまりにも単純ではありません。 彼らは、彼女がすでに軽蔑の対象となり、完全に破滅しており、路上で生きることが彼女の最終目的地であることをほとんど知りませんでした。
少なくとも地球では、ヒトの言語能力が発達した理由は、群れのコミュニケーションを円滑にして群れ全体の生存能力を上げるためです。その際には共感能力、つまり相手の気持ちを自分の身に置き換えて考えて想像する能力、が群れの維持には不可欠です。
暗がりから「お母さん」ってヒトの声真似をする生き物くらいは自然発生してもおかしくないでしょう。ですが、魔族はヒトの貴族を騙しきるほどの服装とコミュニケーション能力を手に入れています。コミュニケーション能力の発達のためには多様な個体との接触、特に大きな群れの維持が必要ですが、共感能力がなくて魔力の大きさだけを尺度にしているような社会は暴力のみが支配するサル山と同じです。人族の貴族を騙しきるだけのコミュニケーション能力が発達する余地はありません。高度なコミュニケーション能力が発達するのは、不可能とは言わないまでも、何らかのメカニズムの存在を示唆しています。
フリーレン世界での食物連鎖の最上位は人族です。大魔族を例外として、ドラゴン等を含め、ある程度大規模な人族の街を滅ぼすことができるような生物は基本的に存在しません。
人族は、仲間が殺されると集団で復讐する習性があります。大陸中に幅広く分布しており、ときおり現れる超強力な個体や、不老不死のエルフなども考えると、はっきり言って人族を食料にする時点で種の長期的な保存が困難になります。人族は文字を使った世代や地域を超えた学習能力も厄介で、数百年の研鑽によって得られた特攻魔法を、数十年で完全に破ってきます。絶滅が嫌なら人族を狙うのをやめるべきです。実際人族よりはるかに強力とされている魔族が滅ぼされつつあります。
そもそも、「人を食う化け物」と言われつつ、描写されるのは人を殺している場面だけで、人を食べるシーンらしきものは一度もありません。ですが、発達した言語能力や、記憶を読んで再現する能力など、ヒトに害をなすことに注力していることは確かです。
これが最大の不思議ポイントです。これは、人族と魔族で根本的に生命としてのあり方が違うことを示唆しています。おそらく魔族はオレオールにも行けないのでしょう。仮に女神を世界の造物主で魔族の作り手でもあるとすると、魔族への扱いがひどすぎます。
これらを踏まえると、魔族は単に「人の悪意が魔力だまりで形をとったもの」みたいなありがちな存在ではなく、人族の敵として上位存在に設計された存在ではないかと考えます。フリーレン世界の上位存在は女神です。女神は人族を愛しているとされており、もしそれが正しいのであれば魔族も人間のため、あるいは世界のために必要な役割を果たしていると考えられます。
話が大きくなってきました。世界のメカニズムに関わるもののうち、おそらく一番大事なのはヒンメルにも抜けなかった勇者の剣です。「勇者の剣を引き抜けるのは、この世界を滅ぼす大いなる災いを撃ち払う勇者のみ」とあるように、女神は世界を滅ぼす災いに備えており、その災いは病気や火山の噴火などではなく、剣で打ち払えるものだ、ということでしょう。
そうなると、人族に害をなす魔族の存在意義は、人族の敵となり、「この世界を滅ぼす大いなる災い」と戦っても勝てるように人族の団結と進化を促すことではないでしょうか。魔族は哀れなピエロです。知的な存在でないと人族に簡単に滅ぼされてしまうけど、知的だと人族と講和してしまうかもしれないので、共感能力の欠如や人族を食べるなどの特徴を付与して、あくまで敵として戦う存在であることを保証したのでしょう。単に目的を果たすためだけの魔法生物なので、人族とは格が違い、死ぬと消えるのでしょう。
こう考えると「人族のことを理解しようとした」魔王の考察も進みます。魔王は、神話の時代の大魔法使いゼーリエをもってしても、「戦いを追い求める」ことでは倒せません。「人族からダメージを受けない魔法」などがあるのかもしれません。では、ヒンメルはどうやって魔王を倒したのか?人族を理解し、人族と講和して共存することを目指した魔王が、高潔なヒンメルとの会話で魔族の種としての限界に気が付き、あるいは、人族の発展により「大いなる災いを撃ち払う」ことのめどがついたと判断して、自ら消滅を選んだのではないか?
https://twitter.com/zerohedge/status/1717369318805999889
https://twitter.com/zerohedge/status/1717264545138299067
このアカウントに初めて来た人にとっては、日本銀行が上場企業であり、愚かなピエロによって運営されている他の組織と同様に、その株価が史上最低であることは驚くべきことかもしれません。
https://twitter.com/TheCurlyAfro2/status/1717239096350069163
暑さ寒さもガンズアンドローゼズとはよく言ったものよね。
この時期、
喫茶店とかでコーヒーをアイスからホットに変更するかしないかの微妙な時期なので、
変更すると季節に敏感なおしゃれセンサー全開のセンス爆発な人だと思われるから困るのよね。
朝はもうしっかり肌寒いわ。
なので、
そっかー
もう秋なのね!って
言われて初めて気が付いた感じでそこで初めてホッツを頼めるってものよ。
にしても、
本当に朝晩はひんやり涼しくなってきたので、
そろそろ銭湯が恋しい季節でもあるし、
前回いつ行ったんだっけ?って探ってみる思い出があるものだから、
でもさ、
この忙しさご存じの通り
一旦は落ち着いているものの
いろいろとNintendoスイッチで忙しくさせられているから
これは結局私は踊らされているピエロなのかしらって思うぐらい操られているのかも知れないこの感じ。
昨日は
よし!久しぶりに銭湯へ!って思ったけど
棚の引き出しの奥にバブ柚子味がったので
バブみをもって家のお風呂でバブを握りしめながら世界を救えなかった感じで手のひらの中で儚く消えていくバブを柚子味堪能したところでしっぽりと温まったところよ。
なんで、
だいたいいつも年中お風呂はホッツだけどね!
でもまあ本当に銭湯にはそろそろ通い始めるの再開したいところでもあるわ。
そんでさ
たまたま行った日が26日の風呂の日の月一であるイベントの日に限って行くと
この人最近見かけなく来なくなったのに26日の風呂の日には来て石鹸は貰っていく人なのね!とも思われたらなんか妙に気にしちゃうので、
行くなら27日以降にして
あ!そうね昨日は26日のお風呂の日だったわね!って
あとから言われて気付くぐらいがちょうどいい湯加減かも知れないわ。
うふふ。
鮭おにぎりにしたわ。
味わい深い秋の味!ってことかしらな鮭よ。
朝起きたときの冷たいマックスのはさすがに寒い時があって冷たさを感じる秋でもあるので
あ!思い出したけど
ホッツ白湯ウォーラー温め!の季節開始かも知れないわってことをすっかり忘れていたのよね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
お茶の間のテレビでは一般的に広まっている美の基準とはかけ離れているような女性のお笑い芸人が出ている。
女性のお笑い芸人はなぜ容姿が美しいといわれる人が少ないのか。
なぜ太っている人が目立つのか。多分、深層心理で見下して笑っている人が多いからだろう。
アイドルでも、その中で所謂ブサイクと言われている人たちは、ネタ枠に入らざるを得なくなるのか
美系をもてはやし、不細工はその引き立て役で
不細工で愛想悪いのは許されない。
全然笑えない。
顔で受け入れられないなら、キャラクターで勝負するという戦略だろうか。
多様性多様性という割に、映画やドラマは美形で同じ役者ばかりだ。同じ音楽ばかりだ。
何様なのだろう。
草彅剛が出演するドラマや映画は、パッとしないような役者陣で周囲が固められる。
顔が派手じゃないからだ。
人は劇中の役割の中に、あてはめられていく。
という、どこかで聞いた事のあるキャッチコピー。
「輝ける、輝いている」それは主観?
自分の立ち位置を正しく認識し、全てを諦めないと、そんな風に思えないだろう。
大人になるということは、色々なことを諦めるということ?
「スポーツ選手になりたい人」が相対的で絶対的な能力を正しく認識することができなくなり
諦めない!とずっとスポーツ一点集中し、身体を壊しても、ずっとずっと走り続けなければならなくなる。