はてなキーワード: ナースとは
2月からどんどん制限が強まっている。患者に触れる職種は基本的に階をまたいで移動するのは極力控えること(行くなと言われている)
職員食堂を閉鎖したところで昼食時にマスクを外すため感染リスクは減らせないからそこは続けられている。感染対策優先で日中は窓全開にするから4月も終わりだがとても寒い。マスクは職種によって3日~1週間に1回交換だったりしたが、患者に触れる職種のみがサージカルマスクを使うことになった。アルコールも入荷が絶えて久しい。フェイスシールドはラミネートフィルムを使って手作りだ。入院患者の8割が80代を越えているから当たり前だが院内感染でも起きようものなら大変だ。だからすさまじい勢いで対策がとられている。こちらでこの状態なのだから特定警戒地域の医療従事者の疲弊は尋常ではないものだろう。
コロナが流行ったから病院が大変なのではない。入院を請け負う病院は元々大変なところだ。認知症が強く叫ぶ人、色鉛筆で看護師を刺しに来る人、元々人数が少ない準夜・夜勤帯にナースコールを連打する人。急変。人手不足。夜勤ができる人がいない。医療報酬改定もありストレス状態はひどい。
STAY HOMEが叫ばれて長いが今は病院に入院しないほうがいい。
大抵の病院は面会禁止になっているからコロナウィルス絡みの入院でなくても誰とも会うことはできない。急変時でもどの程度配慮されるのか分からない。
先ほどどんどん制限が強まっていると書いたがあれは職員だけではなく患者にも適用される。換気で寒い。洗濯物を自宅へ持ち帰ることができず病院洗濯になるかもしれない。病院洗濯というのはどういうわけか服が傷みやすい。そして名前を油性のマジックで書かれる。
最悪入浴ができずに入院期間を過ごすことになる可能性がある。勤務先の病院は一部の入浴が中止になっている。
若年層は我慢を強いられるだけだが高齢者は認知症が一気に進行する恐れがある。
今はとにかくご自愛ください。
うちはそこそこでかい病院。1000床ほど。コロナ患者も受け入れている。
僕は、そこでレセプト計算などの事務をやっている。そう、ただの事務職だ。
うちの病院の外来で、患者に対して発熱がないか等の問診を始めるときいたときも、それを事務がやると聞いた時も納得していた。
ドクターナースコメディカルの皆さんに無事でいてもらわないといけない。
納得していたけれど、まさか1週間使い古したマスクだけで、身一つで放り出されると思ってなかった。
ちゃんと防護服貸してくれたり、せめて衝立くらいあると思ってた。
いざ現場に立ってみると、患者とふつうに対面して「渡航歴は?」とか答えさせた上に熱も図らされて、いやこれうつるだろ、濃厚接触だろ、と戦々恐々としている。
しかもこれのせいで混んで人だかりができてる。なんだこれ。なんでこんなん許されてるの?
うちの病院は研究もしてるし、テレビで解説とかしてる医者もいるくらいにはでかい病院なんだが、そしてそれを誇らしくおもっていたのだが、これでいいって判断なの?
事務局長は「医療職はもっとキツい」という。わかる、わかるよ。もしこれで我々事務が肉の壁となり、医療職を守れるならまだ涙を飲もう。僕の命が軽視されているショックにも目をつぶろう。
でもこれ院内に知らずに持ち込んで院内感染いっぱつアウトじゃないの!?!? ふつうにドクターと業務的な話したりするけど大丈夫なの!?!?
って訴えようものなら「また、たかが事務が文句言ってる」って白い目で見られる空気しかない。
医クラの方、おたくの病院どうですか?これあってるの!?!?ほんとに!?!?!?
ブコメ返信
id:surunpashi 医療機関の名前も出して書いた方が良いと思ったけど、そうすると色々問題あるんだろうな。
→書きたくてたまらないけどまだ我慢する。変わらなければ名前を書く。大学病院です。
id:dAbruzzo もちろん屋外でやってるんだよな?そうでないとしたらもう医療崩壊なんて時間の問題じゃん.
→当たり前に屋内です。意味わからんよな。クラスター源になってもせめて責めないでほしいよ。
id:dc42jk マジで?うちの病院は玄関で看護師長クラスがスクリーニングして、引っかかったら別室で診察になる。大病院なら必ず感染制御室があるはずだけど、感染制御室はそのことちゃんと把握してんのかな。
→うらやましすぎるわ。うちもあるよ感染制御。会議室を一室かりきって毎日会議だけどなにしてんだろうな。
id:zataku 病院内は医療職以外の人の方がノーガード戦法させられる。事務方に限らず。結論、逃げて。
→逃げ出したい。同僚は鬱になりかけて本気で退職を考えてる。当たり前だ。
id:ljjhg 全く同じ状況。事務は死んでもいいのか。本当に苦しい。医療を支える一員だと思ったらただの肉の壁だった。
id:kuriimusooda 同じく病院事務(経営系)。事務は真っ先にマスクと消毒液を取り上げられたままなんだけど、医療事務は増田と似たようなことしてるっぽい。妊娠中なのでこっちまで話が来る前に申し訳ないけど辞めました
→me too!!事務からマスクと消毒液を取り上げるスピードやばかったな。まあ納得したけどさ。だってドクターとナースでさえマスク一週間で3枚だもん。そりゃあ事務にはまわしてらんないよな。だからって肉の壁やらされるのは納得いかない。妊娠中なら辞めて大正解だと思う。
id:bounoplagia 肉の壁ですらないじゃん
→それが悲しいよ。せめて役に立ってるなら納得するのに。
id:Gondwana 報道関係者の目に届くよう支援ブクマするくらいしかできない。申し訳ない…
→ありがとう。正直すごく助かる。その心がうれしいし。
親は地方議員 宗教三世 いじめられてた中学時代 大嫌いな地元 大学進学を機に上京 悠々自適の仕送り生活 バイトで荒稼ぎ キャバクラとガールズバー 軽音サークル うまれてはじめての信頼できる友達 先輩 後輩 1個上の彼氏と婚約 12月4日 誕生日にもらった指輪 就活とは無縁 セフレ三昧 座位のしすぎで腰痛 大学卒業 セフレも卒業 黒レース振袖 ゼミのカラオケ 歌わされたやくしまるえつこ 同棲開始 他人の金で生活 と同時に発覚 婚約者のDV 灰皿投げるのやめて なぐらないで 蹴らないで あざ消えないよ たっくん やめて おねがい たすけて たえられない 置き手紙残して 実家へかえります ぶりかえす病気 大量の錠剤 とまらない涙 眠れない夜 お兄ちゃんのインスタストーリー お姉ちゃんの名刺 ださすぎる源氏名 婚約破棄 地元で昼職 高島屋 職場のやつらは全員クソ 仕事中に号泣 早退 体調不良で当欠連発 気遣いされるの心底うざい 婚約破棄から半年もたたず できた すきなひと デートのために何度も上京 品川駅 同棲開始 ニトリは天国 蒲田は地獄 彼氏の実家へ挨拶 彼氏のお母さんがくれたCOACH だいすき ずっと一緒にいたい はやく会いたい 東京の職場も全員クソみたい FLO はやく会いたい 出張はやく帰ってきて お土産買ってきて 競馬もパチンコも麻雀もいかないで あと競艇もいかないで ずっと一緒にいて 熱出すから どこにもいかないで こどもができるまでは働くね 渋谷いちまるきゅー お姉ちゃんとプリクラ 寝るときはだきしめてね ふわふわの部屋着きるね 遊園地いこうね すきなひとのたばこ めがね こたつ PS4 ストロングゼロ 灰皿 アコギ SMラブホ 腕についた鎖の跡 8月6日 職場から持って帰ってきたケーキ 誕生日にふたりで食べようね ずっと一緒にいてね はやく帰ってきてね またみんなでドライブしようね 飲みいこうね 絶望 おばあちゃんが死んだ あのヤブ医者が殺した お母さんが殺した おばあちゃんを殺した 最新医療なんて大嘘 国の金でおばあちゃんをモルモットにしやがって 嘘つき おばあちゃんは殺された あのヤブ医者に お母さんに 葬儀会社のひとがとめるまで おばあちゃんに抱きついた 泣き続けた それなのに それなのに 大切なひと いつか みんないなくなる あたまではわかる わかるけど わたしがおばあちゃんだったら 死にかけの姿も死に顔も 孫にみせたくないな かなしい 許せない かなしい 同棲してなかったら 自殺しちゃってたとおもう 同棲しててよかった けど 抱きしめられて眠ったって こわいものはこわい 薬がないと眠れない わかってるけど 全員死ね 幸せアピールうぜえんだよ 妊活してんじゃねえよ セックスだろただの 友だちなんていらない死ね リプもLINEも心底うざい それから 記憶がない 気づいたらベッドの上 牧田総合病院 ごはんいらない コーラとお菓子だけでいい 無数の浅いリスカ跡 バカみたいに細くてアホみたいに薄い首吊り跡 笑える 夢の中 ナースコールさがしてた スマホ取るのにモゾモゾしただけでおこられた 看護師うぜえ死ね 精神病棟の看護師あたり強すぎだろ死ね 退院 わたしが原因だけど 確実にわたしが原因だけど 人生ではじめて こんなにつらい失恋 加藤ミリヤ またあした行くんだ 病院 普通のふりなんてできないし また入院になったら やだな 薬だけくれ 眠れないから ビニールテープとドアノブじゃ死ねないから 今度はメディキュットにしよ 死にたいほどつらい失恋 わたしが原因だけど だって 家事はしないのに浮気はするんだもんね 居場所だけがないね 3月14日 退院だから 名古屋にいるひと会おうね
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/35910.html
「15日連続で勤務を続け、今、疲れて何がなんだかわかりません。若い看護師らが気の毒で、できれば追加勤務をさせないようにしていますが…家に帰って横になった瞬間、爆睡ですからね」
2日、大邱(テグ)のある選別診療所で働く看護師のキム・ジュヒョンさん(仮名・48)は「問い合わせの電話が殺到し、なかなか電話がつながらず、直接訪ねてきたり、病床不足で入院できない患者さんを見るのが残念でならない」としながら、このように述べた。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)への対応で目が回るほど忙しく、大変な現場で働いているが、いつも超緊張状態を維持しなければならないせいか、「事態が収束したら疲労で倒れるかもしれない」と話した。
先月18日、新天地大邱教会で始まった「スーパースプレッディング」事件で、大邱・慶尚北道地域にCOVID-19の感染者が急増してから2週間近く経ち、同地域の医療陣の疲労も限界に達している。新天地大邱教会の信者の全数調査を進める選別診療所はもちろん、一般病棟に比べて業務量が2倍の隔離病棟で勤務する看護士たちも、医療陣1人が担当しなければならない患者数が大幅に増え、倒れる寸前だと訴える。
感染者90人以上が入院した大邱カトリック大学病院隔離病棟で勤務する看護士のユン・ジュヨンさん(仮名・33)は1日午後病院に出勤し、夜の12時頃に勤務を終えるまで、食事をとる時間以外は座ることすらできなかった。先月26日、COVID-19感染者の入院のため、病床100床を追加で設けたことで、隔離病棟で看護士1人に任せられる患者数は6人から10人に増えた。彼女は感染予防のため「歩くだけで汗だくになる」レベルDの全身防護服を着用し、保護者と看病人の代わりに患者の食事をはじめ、高齢患者のオムツ替えまで行っている。ユンさんは「レベルDを着ると、動きづらく、普段より仕事の効率も落ちるのに、不安がる患者さんたちが頻繁にナースコールを押す。一部の保護者は患者との接触を最小化した回診方式に不満を抱いて、暴言を吐くこともある」とし、「疲れた同僚たちが『疲れて動けない』『もう限界だ』と訴えるが、自分が辞めると残っている同僚たちがさらに大変だから、どうすることもできない状況」だと打ち明けた。
医療装備まで枯渇していく状況で、医療陣はさらに追い込まれている。ユンさんは「休憩を取ってまた病棟に入る時は、新しい防護服に着替えなければならないが、レベルD不足で、なかなか病室から出られない」とし、「交代勤務者が着る防護服がなく、他の病院から送られるまで待たされる場合もある」と伝えた。
医療陣の厳しい状況を踏まえ、韓国政府は遅ればせながら支援対策を打ち出している。キム・ガンリプ中央災難安全対策本部(中対本)第1総括調整官は2日、「医療陣の肉体的・精神的疲労度が高いため、追加の医療関係者を確保し、現場医療陣の十分な休憩時間を保障する案を探す」と話した。
政府は国家感染病専門病院に指定された国軍大邱病院に、軍の医療関係者を中心に医師と看護士111人を追加で投入することにした。国防部はまた、今年新規任用予定の公衆保健医(入隊対象者で軍服務の代わりに公衆保健業務に従事する医師)750人の4週間の軍事訓練を延期し、5日から現場に送る方針だ。これに加え、野戦部隊を除いた病院医療関係者327人も、COVID-19の対応に投入することにした。
保健当局は大韓看護協会などと共に大邱・慶尚北道の医療現場で働く医療陣を募集している。大韓看護協会に大邱・慶北行きを希望した看護士が1日で510人と集計されるなど、これまで同地域で勤務する意向を示した看護士は合わせて約1300人に達するという。大邱市医師会は現在、医師約300人が大邱・慶尚北道地域でCOVID-19感染者のための医療ボランティア活動を行っていると発表した。このうち、大邱・慶北以外の地域から来た人たちは10%程度だという。
昨年、2度目の流産をした。
ショックだったけど、妊娠して間もない頃で、正直子供の形なんてないし、
体もまだ変わり始めだったので、回復も早かった。
22週以降は、基本的に中絶も禁止。早期でも出産し生きている人も沢山いる。
一般的に15週から安定期に入る時期だったが、私の場合はひたすら辛いまま終わった。
12週以降は、出産と同じ手順で死んだものを生まないといけない。
お金も同じようにかかる。死んでるから、死産届も出さないといけない。火葬も必要。
誰にも祝福されなくて、痛みとダメージだけで何も残らない。
そんなこと、どこ調べてもあまり出てこなくて、実際はショックばかり。
そもそも誰もしらないし、経験者は辛くて思い出したくないことだからなのかもしれないけど。
無理しすぎは禁物だが、どうか妊娠中の人は自分を責めないでほしい。
私は、義母に無理しすぎたから流産したんだとか、職場で唯一相談せざるを得なかった子育て中の人に後悔するから休んだ方がいいと言われたけれど、正直傷ついただけ。
実際、流産後に遺伝子検査して、胎児側の原因であることが判明した。
そもそも歳をとるとそういう確率がぐんと上がるのは承知のこと。
色んな理由はあれど、自己責任だし、そうなってしまった以上時間は戻せないし、不運としか言いようのないことで、現実の運命を受け入れるしかない。
だから、周りの人は、安易に自分の意見を押し付けるのは気を付けてほしい。
9~10週頃に、出産する病院を決めて近所に移った。そこで育ちが悪いと言われる。
年齢的に心配だったこともあり、胎児専門の病院にも行って、似たようなことを言われた。
トリソミーなどでよくある形状の異常は見られないけれど、小さいと。
(首の付け根の厚みなどで、その兆候が初期に出たりする)
原因不明で、あまり見ない症例だということで、そこにはその後も何度も通った。
毎日毎日しんどすぎて、びっくりであった。ホルモンバランスの変化のきつさ。
口にするにも、ジュース飲みたくなったり、パスタ食べたくなったり、偏食になってしまった。
妊婦は生ものNG。ってことで、気を使うと食べられるもんが少ない。
<血流1.5倍>
血流が1.5倍になるって知ってた?妊娠してから知ったんだけど、1.5倍って!マジきつい。
例の胎嚢で栄養やっているうちはいいんだけど、胎盤ができてきて子供とつながっていき、血液から栄養送らないといけなくなる。
それは知識では知ってるけど、こんなに母体に負荷がかかるとは。身を持って実感した。
まず階段しんどすぎて、登れない。いつもさっさと歩いていた坂だって、途中休み休み。
電車もバスも立つのは本当にきつくて、息切れして心臓バクバク。人混みもすぐ酔うし、休み休み。
<頻尿>
お腹が大きくなるにつれ、それはそれは頻尿で参った。打ち合わせなどで事前に行っても、終わる頃にはギリギリ。客先などで苦労した。
<免疫低下と持病いろいろ>
赤ちゃんを異物とみなさないよう、妊婦は免疫が低下するらしい。知らなかった、、、、
だから、何年かに一度、弱っているときになるような病気がいっぺんにきた。
むせ返る止められない咳がきつくて、お腹にも力入るし、ハラハラだった。
それによりヘルニアが再発して、咳すると激痛走って痛い痛い。
さらにお腹がくるしくて前屈みになるから、腰が痛い。ヘルニアがいっそうきつくなる。
肌の痒みもすごくて、寝ているときに掻きむしってしまい手足がボロボロに。血だらけ。
目は結膜炎やらものもらいやらを左右繰り返し、まぶたの痒みはまだ残っている。
<不眠>
体調が悪くて寝付けなかったり、夜中に起きてしまって苦しくてもがいたり。
とにかく夜中に睡眠から覚めるのが毎日で、しんどすぎた。トイレも近いので夜中に何度も。
夜中に目が覚めてしまうと、色んな不安が吹き出すのも困った。このときスマホは悪の味方。
病院で言われたことや、言われなかったことや、とにかく育ちが悪かったせいもあって色々調べてしまった。
<むくみ>
色々辛かったけど、一番はこれかも。
もともと浮腫みやすい体質なんだけど、無理をするとお腹がパンパンに張ってしまい苦しくて気持ち悪くて動けなくなる。
職場ではヘルニアが出てしまい、と誤魔化していたが本当に辛かった。(実際それも出ていた)
下痢や便秘なども色々あったけど、上記色々が辛すぎたので記憶から薄れている。
つわりの気持ち悪さと、お腹が張って気持ち悪いのと。数ヶ月ほとんどずっと。
仕事もあるから寝ているわけにもいかないし、どうにもこうにも辛かった。
仕事は人に任せられないものも多く、立場的なこともあり部下の手前、がっつり働いていた。
頭の回転も悪いし、パフォーマンス落ちていたと思うが、何せ流産するかもしれないから妊娠も伝えられないため、頑張るしかなかった。
義父義母は近くに住んでいることもあり、夫経由で伝わってしまい、何度かお食事などもした。
自分の親は、少し離れていることもあり、育ちが不安定と言われている以上、言うに言えず。
流産の時は、母が子宮一部摘出手術になってると聞き、自分のことは言えず仕舞いになってしまった。
まだ伝えられていない。
いや、一応、ゆっくりとは育っていた。けれど、一般的な胎児成長曲線からは外れてしまっていた。
1W遅れくらいの大きさだ、と言われていたものが、14~15週にはそれ以上の開きが出てしまっていた。
普通だったら安定期に入るころ。一番楽しい時よと言われていたころ。
知らないことばかりだが、妊娠初期からこの辺までの成長ペースは、どんな人も大差ないらしい。大きさに差が出るのは、もっと何ヶ月も経ってから。
ネットで調べても、生理日や受精着床日が曖昧であることによる妊娠週数のずれ、というのがよくある話らしいが、こちらは不妊治療で病院に通っての妊娠なので、ずれはない。
病院では二箇所とも、原因不明と言われていた。胎児専門の病院では、万が一このまま育っても、低体重で生まれたり、障害を負うリスクが高いと言われた。
中絶も勧められた。産むとしても、NICUなど施設が整っているところでないとまずNGだとも言われた。
2人目、3人目だったら諦めたかもしれないけど、私には諦められず、悩む日々。
親から1本ずつもらって2本のペアになった遺伝子は、全部で22対に加えてXYの46本。
数が欠けても多くてもだめなこと。数が合っていても、どれか1本でも短かったり欠けていても駄目なこと。
例えばダウン症は21トリソミー、21番目の染色体が3本あることで起こる、一般的な障害だ。
私の胎児は結果として6番目の染色体が少しだけ欠けていたことが、死後の精密検査でわかった。
話を戻す。中絶する?しない?など悩みながらも、22週を越えれば出産している人も世の中にはいて、育っている人もいるという希望のもと、胎児がまだ生きたいと育つのなら、覚悟を持って産む選択をしたいとも考えていた。
しかし、育ちが悪いと言うことは、低体重児以前にそもそもまだ外では生きていけない大きさなわけで。
いずれにしてもリスクがあるので、紹介された病院に一時変えることになり、初診察の矢先。
こうなることも想定内ではあったんだけど。やっぱりショックで。わかりました、と言って涙を堪えるのがやっとだった。
夫はずっと仕事で忙しく、やっと同行してもらえたんだけど、動いている様子を一緒に見ることはなく終わった。(その前に録画した映像は見せたけど。)
超音波検査の後に、別の部屋で、今後について話があった。
頭ではわかっていて、話もちゃんと聞いているんだけど、目からは涙がぼろぼろ止まらなかった。
すぐに処置したほうがいいということだったんだけど、仕事があったり、先生の予定が合わなかったりで、入院は10日以上先になってしまった。
体がなぜか楽になった矢先だったので、やっぱりそういうことなんだ、と思った。
妊娠19週。5ヶ月が終わる頃。
初期の流産の時は、静脈麻酔で寝ている間に掻き出されて終わった。
1日の入院なので、日帰り。
鈍痛はあったけど、お腹も大きくなっていないし、なんてことなかった。
だから、分娩なの。
キラキラしたし新米ママのいる場所で、新生児の声が聞こえる場所で、自分は死と向き合う。
そんなところで、陣痛を起こして、産まないといけない。死んでるのに。
生まれてくるものでないものを生むように仕向けるわけだから、前段階の処理もきつい。
お金も、出産と一緒の金額がっつりかかる。もう生きてないのに…
初期流産と違って、この数ヶ月、育っていたことを実感していて、胎動と思われるようなものも感じていて、一人じゃない日々を過ごしていたから、本当にショックで。
理不尽に酷い仕打ちに、痛みも恐怖もすごいし、辛すぎて、前世で何か悪いことしたのかな?と思ったりもした。
<入院1日目>
朝から荷物持って入院先へ。当初は個室なんて贅沢言ってられないと思っていた。
聞くと、普通に出産する、し終えた、お母さん方と一緒だという。
赤ちゃんは別部屋だが、見ることもあるという。
個室は高すぎるので、せめて1日1万少々プラスの2人部屋を希望。
他の妊婦がいつ入るかはわからないが、幸い今日はいないと言う。
2人部屋へ案内され、奥のベッドで荷物を整え、1日目の処置へ。
子宮口を広げる処置。何か棒を何棒も入れられて。そのままにされるので、痛いったら。
体が拒絶しているんだろうか。
この時から基本的にずっと点滴。この日は栄養や水分を入れるため、その後は薬を入れるなど。手が穴と痣だらけに。
<入院2日目>
しかしこれが、意識が完全に落ちず、悪趣味な映画みたいな幻覚が見えて辛すぎた。
吐くのはおさまってきたけど痛みがずっとあって寝てるしかない。寝てても辛い。
翌日の処置も怖くて寝るに寝れない。
<入院3日目>
分娩台へ移動。なぜか色んな不安とか悲しみとか?で涙がボロボロ出てしまった。
猫のように丸まるように言われる。
背骨横に刺して麻酔を入れるんだけど、ヘルニアせいかうまく入らず、激痛。全身ビックン!!てなるくらいの痛み。
位置を変えてもらい、3~4回目でなんとか成功。仰向けになる。
陣痛の促進はどうやったか忘れたけど、麻酔が切れたあたりで周りに誰もいなくて、言うに言えず結局30分くらい陣痛くらってたのが辛かった。
ずーーーーーんという痛みの大きな波が、やってきては引いていきまた来る〜!というのを繰り返していた。
これが陣痛か、、、と思った。
やっと先生が見に来て、もうきてるね、となって、掻き出されると言うか引っ張り出されると言うか。
どろどろにゅるにゅるしたあったかいものが出て行き、どうやら出産したようだった。時間を記録される。
残りのものを掻き出す処理。これをきちんとしないと、後々いけないらしい。
その後、意識は戻ったものの体がまだちゃんと動かないため、ナースセンター裏あたりで寝かされることしばらく。
やっと昼すぎに、自分のベッドへ戻る。
あらかじめどうするか聞かれるんだけど、長く死んだままお腹に起きっぱなしだったし、そもそも未成熟な状態かつ人間の死体は、見てしまったらそれが呪いのように忘れられなくなりそうで、怖かった。
でも、ごめんね、って気持ちは今もあって、向き合えなかったことも、やっぱり辛い。
子供の名前は?火葬場はどこにるすか?火葬はいつにするか?遺体はいつ運ぶか?立ち会うか?骨壺はこれでいいか?一緒に入れたいものはないか?お骨は引き取らなくていいか?
などなど。
まだ出産直後でぐったりしていて、恐怖と痛みの感覚が残る茫然自失のところ、言われる。
名前なんてないよ!色々考えてたけどないよそんなの!入れるものだって、その子のためになんか用意したら思い出や思い入れ増えてもっと辛くなるじゃん!だから用意なんてできなかったよ!
そんな色んな気持ちがぐちゃぐちゃにあるんだけど冷静に言葉にできないから、涙がぼろぼろでて、たった一言ずつ、「ないです」とか、用件だけ答えるのがやっとだった。葬儀屋さんも別に悪気あってでもなく、人の良さそうなおじさんで、一緒に涙されてしまって、仕事だから必要なこと聞いてるのわかるんだけど、でもこの仕打ちは、死産後直後の女性には辛すぎる。
市町村への提出、代理で行ってもらうようにはしたんだけど、そもそもこれなんとかならないのだろうか。
若くて可愛らしい、女の子らしい妊婦が、夫に甘えながらやってきた。
夫は、夜八時の面会時間MAXまでいて、翌日も朝からきていた。
赤ちゃんの心音チェックや、夫へ甘えられる状況、すべてが羨ましく見えて辛かった。
<4日目、退院>
朝事務が動き出したら手続きしてすぐ出た。休み休み帰り、自宅で仕事など少々。
夫は仕事で忙しいこともあって、自分もそっちを優先すべきだと思い、死産のためにわざわざ来てもらうこともないと一人で頑張ったけど、これを見た男性は、女性が遠慮してもぜひ付き添ってあげてほしい。精神的にも、入院荷物運びで体力的にも、きつい。
帰路は、お腹の中が空っぽになり、心も何か穴が開いたような気持ちだった。
ただ、疲れやすくて夕方にはぐったりする日々はしばらく続いた。
何せホルモンバランスが一気に戻ろうとするため、なんか色々ぐったり。
骨盤や内臓の位置?もきっと戻ろうとしていたんだろう。なんかあちこち痛かった。
妊娠中運動もまともにできない辛さだったので筋力も体力もぐんと落ちてしまった。
一週間はほんとぐったりしていて、夜もすぐ寝て休みも寝ていた。
二週間目くらいから、アルコールも美味しいと思えるようになって、仕事外で人とも会えるくらいになっていった。
階段や坂も、徐々に登れるようになった。
しかし骨盤のあたりが痛い、というのはしばらく続いた。1ヶ月以上。
休み休み動いていたせいで驚くほど下がっていたヒップも、日常生活で2ヶ月後には大分戻ってきた。
<安置されたお寺へ>
1ヶ月半ほどして、お骨があるお寺に顔を出した。やや緊張しつつ。
本当は行かないつもりでいたけれど、それではあまりにも可哀想だと思って。
夫と一緒に足を運んだ小さなお寺では、本堂の仏さんの横らへんに、大切そうに小さな骨壺たちが沢山並んでいた。お人形やらぬいぐるみやらと一緒に。
それを見たら、涙が出た。手を合わせる。
家に引き取られなかったものたちを、大事に祀ってくれていたお寺に感謝の気持ちしかなかった。
天国でお友達ができてるといいな。ここでは1〜2年安置していただいたあと、供養となる。
結果が出るまで1ヶ月以上かかった。
結果、6番目の遺伝子がほんの少しだけ欠けていたそうだ。
身体形状の異常は全くなく、指先も鼻も、内臓も、体はきれいに作られていたのにな。
結局、今回の入院だけで全部で100万以上。入院費や葬儀屋代、無痛分娩や、染色体の遺伝子精密検査も含んで。
出産一時金で40万ほど戻ったけど、それでも痛い出費となった。それ以外に、事前に検査も色々したし事後も病院に数回通った。
これを書いてみたら色々思い出して涙が出た。普段もふと、思い出して一人涙が出るときもある。
何も残らなかったけど、経産婦になってしまい、心も体もめっちゃ痛めた。
友達の幸せそうな出産記録や子育て記録などを見かけると、ああ、あの子も同級生になるはずだったんだよなあ、と、思ったりする。
まずぜひ、みんな妊婦には優しくしてあげてほしい。
席を譲られたことはほぼなく、幸い座れた時に妊婦マークをつけておくことで高齢者の譲ってくれアピールには効果ありだった。
おばさんが譲ってくれたことが2回ある。流産しそうだったし、殆ど誰にも打ち明けられない状態だったから、妊婦として優しくされたことに、泣きそうになってしまった。
お腹大きく見えない頃こそ、心身共にしんどかったりする。男性が譲ってくれたことはない。
無事出産した人は、どんなに辛くても、そこまでいけなかった人もいることを知っておいてほしい。
本当に意味不明に辛くて、本人も理解できない状態だったりするから、一番近くにいる人が、一番大切にしてあげてほしい。
過剰なくらいで丁度いいし、どんな用事よりも優先してなるべく付き添ってあげてほしい。
最後に、お金めちゃちゃかかることや、精神的にも身体的にもダメージ大きいことが、誰にも知られず女性一人辛い思いして終わっている事実が、もう少し何とかなっていったらいいなと思う。
悩んでいる妊婦は、どう転んでも現実は一つだから、勇気持って受け入れて、前向きに生きてほしい。
体調悪いのしんどいと思うけど、頑張って。