はてなキーワード: キングとは
将棋ファンなら知っているであろう升田がGHQに乗り込んで論破したって有名なエピソードがあります。
Wikipediaにも載っていた。
終戦直後、日本を統治していたGHQが、「将棋は相手から奪った駒を味方として使うことができるが、これは捕虜虐待の思想に繋がる野蛮なゲームである」として禁止しようとした。将棋連盟の代表としてGHQと相対した升田は「将棋は人材を有効に活用する合理的なゲームである。チェスは取った駒を殺すが、これこそ捕虜の虐待ではないか。キングは危なくなるとクイーンを盾にしてまで逃げるが、これは貴殿の民主主義やレディーファーストの思想に反するではないか」と反論した。
升田といえばショーマンシップ溢れる男だったから、「白髪三千丈」的な誇張されたエピソードに過ぎないのかもしれない。
ソース知ってる方いたら教えてけろ。
50のオッサンだけど、昔、「マイケルジャクソンの新作PV出たよ」とかいう話を聞いて、実際に見ると
うぉーすげー!ってなった。「ナウシカみた?」とか友達に聞かれたような映画をみるとそれなりに面白かったし、共感できた。
トムクランシーやスティーブンキングの新作が翻訳されたらたいてい買ったし、トムハンクスの映画も大体見て面白いなと思った。
大きくは「銀葉種」と「緑葉種」に分かれるらしいけれど
銀葉の方が、強い光に耐性があります。原産地だと、樹冠などの明るい場所に着生している事が多い品種たちです。
緑葉は、薄暗い森の中…なイメージです。
エアープランツは実は水をかなり好む。
そうなんです。原産地だと、たとえば朝必ず霧がかかる土地だったり、森の中で水滴が樹の葉などから落ちてきたり、着生している木に垂れる水とかを吸い上げたりして、水を集めて生きていますので。
基本的なメカニズムとして、表面が濡れて乾く…このプロセス中に、植物体内に水分が取り込まれます。
表面に、白っぽいカサカサした物がありますよね。これはトリコーム(trichome)と呼ばれる物なのですが、通常乾いている時は、深皿のように周囲が持ち上がった状態になっているんですね。
なので、透明ではあるのですが、光を乱反射して白く見える。
水をやると、トリコーム内部にも水が入って、平べったい形になります。それで、光が透過しやすくなって、葉の緑色が強調して見えます。
その後、表面の水分が乾き始めると、トリコームがまた元の形に戻ろうとする動きが起き、その形状変化に伴って、植物内に水分を押し込む…という働きをしています。
なので、濡らす→風などで表面が乾く、というプロセスが重要なんです。
このパターンでたまに原因としてあるのは、湿った環境で、葉の集まった中心部に水がずっと溜まっていて、そこから腐っちゃうパターンです。
なので、特に気温の低い季節や、風通しの悪いところなどでは、葉の中心部には水がたまらないように、ソーキング後に軽く水を振り落としてあげてください。
エアープランツを知っているだろうか? 土がなくても育つという植物で、おしゃれインテリアアイテムとして人気である。チランジアやティランジアとも呼ばれる。少し大きなホームセンターに行けば売られているし、ダイソーで見かけたことのある人も多いかもしれない。
私は激怒した。エアープランツの間違った育て方がネット上に氾濫しているからである。検索をかけるとおおよそ植物系のキュレーションメディアみたいなサイトが上位を占めることとなっているが、だいたい間違えている。Googleも植物の育て方についての真偽を見抜く力はないようだ。
間違った知識を基に植物を過酷な環境で育てて枯らせてしまっても有罪ではない。なぜなら植物には脳がないからである。我々が植物に同情したり、罪悪感を抱いたりする必要はどこにもない。
だけど、どうせなら元気に育てたいじゃない。
本稿では、巷に溢れるエアープランツの間違った育て方をあげつらって批評し、なるべく元気な育て方を提案するものである。
あらゆる植物を育てるにあたって、問題となるのは水やりの頻度である。
「とりあえず土を常に濡らしておけばいい」というお手軽な植物は問題ない。何も考えずに朝晩に水をあげればいい。
ところが、サボテンや多肉植物のように「水をあげすぎると根腐れする」という植物に直面したとき、我々は混乱する。誰でも植物に水をあげたいという衝動を持っているが、それを抑制しろとサボテンや多肉植物は言っているのである。それは「困っているぽい人がいても助けるな」と言われているのと同義であり、我々の本能・善意・優しさが激しく揺らぐ。
で、エアープランツである。奴らはそもそも土に植えて育てるものではないので、この混乱は虚無へと昇華され、思考が完全に停止する。そして、キュレーションメディアに書いてある通りに3日に1度霧吹きで雀の涙程度の水を与えて、やがてその植物は枯れさらばえる。
エアープランツは実は水をかなり好む。だから、毎日たくさん与えて良い。水の冷たい冬以外は、キッチンの水道水を直接じゃぶじゃぶかけても良いし、数が多いなら浴室においてシャワーでざぶっと水をかけても良いし、究極、溜めた水の中にドボンと数時間くらい漬け込んでも良い(これをソーキングという。毎日は非推奨)。
「水をあまり与えなくて良い」という言説は「乾燥に強い」を履き違えた誤謬である。これら二つの言説はこの場合、両立しない。
私は昨年のあの猛暑の一番暑いときに家を3日間空けた。ベランダの日陰にエアープランツを残して。それでも奴らは、ある程度の傷みこそあったものの枯れなかった。だから、乾燥には強い。だけど、それは水をあげなくて良いということではないのだ。
某フリマアプリにおいてこう記述されているのが目についた。何を根拠に言っているのかわからない。
日本の夏は蒸し暑く、湿度が70%を超えるという。それでも水やりをしなくて良いと言うのか。先述の私が真夏に3日間家を空けたケースで言えば、3日間水やりをされなかったエアープランツたちは「元気」というよりは「耐えた」という有様であった。先程は書かなかったが、乾燥に弱い1品種は完全に枯れていた。
エアープランツはある程度の湿度があっても水やりの必要はある。私は梅雨でも秋の長雨でも構わず水をやっている。
玉村豊男『料理の四面体』では、調理法を「火」「水」「空気」「油」の四要素に解体・再構築することで、すべての料理の作られ方を普遍という名の白日のもとに晒した名著であると私は考えている。この考え方を応用すれば、私は「植物の四面体」として植物の育て方を「光」「水」「風」「気温」の四要素に解体できるのではないかと考えている。
例えば、サボテンが健全に生育するには「光」「風」「気温」が必要だ。森の奥深くに茂っているシダ植物などは殆ど「水」だけが必要だ。
このように考えると、エアープランツに必要なのは「水」「光」「風」である。「水」は先に述べた。「風」は後に述べる。
「光」である。エアープランツは明るい場所を好む。真夏の直射日光ではさすがに葉焼けしてしまうが、春の柔らかな光くらいならむしろ直射で育てたいくらいである。
エアープランツはおしゃれアイテムとして認識されており、いろいろなウェブサイトにおいて室内でのかわいい飾り方が提案されているが、正直、室内だと光が弱すぎると個人的には思う。光が弱すぎると成長することができず、そのまま萎れてしまうか、蒸れてある日突然バラバラになる。
南向きの窓辺ならギリ大丈夫かと思われるが、できればベランダの明るい日陰で育ててほしいところである。木漏れ日のように時々陽が当たるとなお良い。ある程度の光量があるならずっと濡れっぱなしでも構わないのではないかという仮説もあるくらいである(室内の暗い場所で濡れっぱなしだと十中八九腐ってしまう)。
私がエアープランツ初心者だった頃、室内で育てていたのだがなぜかうまく行かず、すぐに枯れてしまう(バラバラになる)のだった。そこで、思い切ってベランダに出してみたところ、そこからは殆ど枯れることはなくなった。「光」と「風」のおかげであると思われる。室内の明るい場所だとしても、屋外の日陰に比べたら光量は全然足りないのである。
言語道断である。私の知る限り瓶に詰めて元気に育つのは苔くらいである。
上で「水」「光」と述べてきた。落とし穴的な存在なのが「風」である。意外と思われるかもしれないが、植物の健全な育成には空気の流れ、すなわち「風」が重要な要素になる。
エアープランツにおいてなぜ「風」が肝要かと言うと、あげた水をなるべく早く乾かすためである。エアープランツは水を愛しているが、その水がずっと乾かずに停滞してしまうと傷んだり、最悪、腐ってしまうのである。
なので、最も適切な場所は屋外であり、屋外が難しいなら室内の明るくて風通しの良い場所となる。扇風機などで送風して、空気が停滞しないようにするのも良い。エアープランツの生産者さんは、ハウスの中で常に高湿度を保ちながら、大型の扇風機で送風している。
水→エアープランツは水が大好き。ジャブジャブとあげて良い。水やりのコツは、あげた水が完全に乾いてから次の水やりを行うということだ。これを守れば一日に何回でも水やりをして構わない。
光→エアープランツは明るい場所が好き。できれば屋外、難しいならかなり明るい窓際で育てよう。
風→空気が停滞しているとあげた水が乾かず、腐りやすくなってしまう。盲点だけど通風にも気を払おう。
私はズボラである。面倒くさがりである。シンクに数日間皿を溜めてしまうことはザラだし、掃除は苦手だし、ペットを飼うのにも向いていない。だけど、エアープランツは育てることができる。つまり、コツさえ掴んでしまえば難しくないということだ。
(春〜秋)ベランダの日陰になる場所に吊るしている。数が多いので100均のワイヤーネットに大量に吊るしている。水やりは朝晩の2回。いずれも滴るくらいにたっぷりと与えている。朝昼夕晩の4回くらい与えても問題ない。
(冬)最低気温が5℃を下回るようなら室内に取り込む。北関東に住んでいるので、冬はおおよそ寒い夜は室内、暖かい昼は屋外で直射日光に当てるというサイクルになる。水やりは変わらず朝晩2〜4回くらい。
スペースの関係で吊るせないエアープランツは、100均で売っている網状の書類入れや雑貨入れに並べている。網状なのは当然ながら、通風を良くしてあげた水を停滞させないためだ。管理は上述と同じ。
*
たったこれだけ。明るくて風通しの良い場所で管理して、朝晩に水をやるだけ。乾燥に強いので数日は水やりを忘れても大丈夫。ね、簡単でしょ?
とはいえ、コツを掴むまでが難しいんだ。少なくとも「室内で瓶詰めにしておしゃれに育てる」という類の植物ではないかな。エアープランツは最初は誰もが失敗するに違いなけれど(私もだいぶ枯らせた)、コツを掴んでしまえば簡単に育てることができる。
土がいらないので虫が湧くこともないし、省スペースで園芸を楽しむことができる。エアープランツの魅力を伝えたくて本稿を書いた。
枯らせてしまっても大丈夫だ。なぜなら植物には脳がないからだ。エアープランツは君を呪わない。何度もトライアンドエラーを繰り返して、より良い植物ライフを!
エアープランツにはいろいろな種類があるが、本稿では「エアープランツ」と十把一絡げにして取り扱った。大きくは「銀葉種」と「緑葉種」に分かれるらしいけれど、それはあまり問題ではない。うちのエアープランツは銀葉種だろうが緑葉種だろうが全て上記の要領で管理している。ホームセンターやダイソーで売られている普及種はどれも比較的に丈夫なので、細かいことは気にしなくて大丈夫だ。
エアープランツは葉から水分を吸収するという不思議な植物である。だけど、根が生えないわけではない。おおよそ春頃、状態が良いと根が生えてくる。自生地では大樹の幹などに根を張って成長している。蘭などと同じ着生植物というやつである。「土が要らない」というのは「自生地では木などに着生している」という意味である。
なので、最も良い育て方は、流木・コルク・木片などに針金やテグスでエアープランツを固定するというものである。そうするとそのうち根が出てきて、その木片などに着生する。着生するとより元気に育つと言われている。
本文であえてそれを書かなかったのは、育てるにあたっての敷居を高くしたくなかったからだ。着生させなくてもきちんと育つ。慣れてきたら着生にも挑戦されたし。
私が最近、余って置き場所に困っているエアープランツに対して行っている育て方は、上述の100均の書類入れで管理し、
朝:室内に取り込んで南向きの窓辺に置く
ここから察するに、エアープランツにとって最重要なのは「風通しの良い場所で水をやる」ということなのではないかと推測される。もちろん明るさも大事だけれど、それと同じかそれ以上に。
正解は一つじゃない。私も未だにいろいろと試行錯誤している。居住環境や生活スタイルは人それぞれだから、それぞれの人にあった元気な育て方を見つけてほしいと思って追記した。
・葉先から枯れていく
「葉先から枯れていく」のは水が足りない証拠である。水やり量や頻度を増やすことが推奨される。また、上に挙げたソーキング(溜めた水に数時間浸ける)をすると一気にハリが出る。ソーキング後は風通しを良くすることを忘れずに。
「中心部がスカスカになりバラバラになる」場合、光量や通風が足りないと思われる。暗い室内で管理していると結構な確率でこうなる。はい、私もよくバラバラにしました。置き場所や環境を工夫することで回避できる。
ツイッターでは史上最高のゴジラ映画と絶賛してる人も多いので期待して見にいった
確かに悪くはない。それなりには楽しめた。
一方で、この映画はハリウッドの娯楽映画のフォーマットに完璧に則りすぎていた
1.身の回りに問題を抱えたクローズドなコミュニティがある(今回は家族)
3.1のコミュニティ構成員が2の災害に巻き込まれて、立ち向かう側になる
4.人類押されまくりで滅亡かもってとこまで追い込まれるも、主人公たちの頑張りで押し返す
5.主人公たちが脅威を打ち倒すと共に、1の問題も解決に向かう
アルマゲドンなら隕石だし、デイアフタートゥモローなら大寒波だし、
まあとにかくハリウッド娯楽映画はほとんどこの構成であり、今回のKoMも全くもってこのフォーマット通りの映画だった。
映画の当初、暴れまわる怪獣の迫力に打ち震えていた俺だが、映画が終盤に向かうにつれて、なんだから白けてしまった。
ハリウッドが導き出した必勝パターン、絶対受ける映画の構成なのだろうが、
小学校の高学年の時、クラスメートに一人、すこぶる不気味な男の子がいたのだ。
みんなでワイワイ一緒に遊んだりはしない、クラスの人気者枠ではない、群れてない、かといっていじめられっ子だったわけじゃなく、別の男の子と2人でいることが多かったように思う。目立つタイプではなかったけど無口というわけでもなく、誰ともしゃべらないということでもなく。スポーツはあんまり記憶がなく(ということは特に目覚ましく運動神経が良いわけではなかったんかな)、勉強は出来る子の部類だったんじゃないかなと思う。
その子が私に向かってたまに敵意を感じる言葉をぶつけてきた。学校からの帰り道、私が友達たちと別れてひとりになった後で。とはいえ「いじめっ子」というのとも違う。何ていうか、意味不明な言葉をさも罵倒っぽく投げつけてくるのだ。
当時の我が家は一戸建の家の前にカーポートがあり自家用車を置いていた。某スポーツタイプセダン。その車の車種名を何故か私に向かって投げつける。大声で、時には走り寄ってきて追い抜きざまに小声で。「ばーか!ばーか!」みたいな口調で、車種名を。
最初は、まさか車種を大声で叫ばれてると思わないから「?(野良猫でも見つけて喜んでるのかな)」ぐらいに思って私に向かってる言葉だと気づかなかった。ある時、追い抜きざまに我が家の車を指さして「(車種名)!笑笑笑」と嘲り笑いをして去って行ったので、何?車がどうしたの?と。小学生女子それも大してメカに興味があったわけでもないので自家用車の車種名なんてぼんやりとしか知らず、ああそういえばうちの車そんな名前だったかもなぁ。と思う。そして嘲り笑いへの強い不快感。
家に入って兄に「うちの車って変なの?」と聞いた。今思えばごく普通のファミリーセダンだ。ノーマル派の父が珍しくホイール変えた位で他は純正。ホント没個性の普通の車だったのだが、笑われるのは辛い。
同級生に笑われたの…と話をしたら、兄(やさしい)は心配してくれて、イヤなら反撃しろ、反撃できないなら帰る時間をずらすとか、友達についてきてもらえ、ついでに家でみんなでマリカーでもやりゃいいじゃんと言われた。みんなでマリカーやるのはすごく良いなと思ったので、一緒に帰っている仲のいい友達を誘ってマリカー大会をやった。兄(3つ上、やさしい)が謎のマリカーキングでアホみたいに上手かったので、兄がいるときはたまに混ざってくれた。「○○の兄ちゃんの神技見よう」みたいなノリで我が家がたまり場になった。
楽しかったのは良いのだが、毎日みんなが集まってくれるわけはない、せいぜい週に1回。当然ひとりで帰る時が大半で、なるべく時間をずらして後ろからついてこられないようにしようと思ってはいてもいつの間にか後ろにつかれ近付かれて追い越して振り向きざまにギロッと睨まれたり、思い出したように車種名を叫ばれたりしていた。本当に気持ちが悪かった。
マリカー大会仲間のなかの男の子2人とマリカー以外でも仲良くなって、いつの間にか3人の家を行き来したり、3人でどっかちょっと遠くの公園まで遊びに行ったりするようになった。たまには大勢でマリカー大会やりつつ、男の子の行動半径の広さ(私は割と引っ込み思案なタイプだったので)に引っ張られていくうちにだんだん楽しくなってその不気味な男の子の嫌がらせもどうでも良くなった。たまに睨まれたりされてもそんなに気にならなくなった。そのまま小学校は卒業。卒業するまでの間、散発的にその男の子の言ってくることやってくることで嫌な気持ちになることはあったような気がするが、まぁどうでもいいやという感じになっていた。マリカー大会から私は、女の子も男の子も含めて友達が一気に増えたこともあって、すっかり引っ込み思案じゃなくなった。
中学受験とか公立の学区違いとか引越しとかで、小学校の友達は割とバラバラになり、特に仲のいい数人以外とは日常的な交流はなくなるが、それでも「ジモト」だから色々彼らの消息は伝わってくる。大人になって「私に向かって車種を叫んでくる彼」の消息があまり幸せそうだとは言えないようなのが、なんとなく心に刺さったとげのような気持ちになっていた。
他の子たちは、私立中・高→いい大学→いいところにお勤め&美人と結婚みたいなエリート人生まっしぐらな子から、公立のいい高校行ったのに放浪→自称クリエイター実態は奥さんが養ってる、とか、保育士(男)とか、ホテルマンとか、子供3人育てて町内会の仕切りしてと忙しそうなお母さんとか、中学出たら実家の料理屋さんを継ぐために修行、今は板前さん、みたいな子まで色々いる。実家を継いで板前さんになった子以外はみんな実家は出ている。私は中高出て大学行って会社に入りワーカホリックになりアイツこのまま結婚しないのかと言われてたけどかなり遅くにウッカリ結婚した。
その「例の彼」は、私の母いわくずっと実家にいる。同じクラスでご近所だったから彼の母親と私の母親はご近所づきあいをしているのだが、彼の母親から聞く話が割と辛い話が多いようなのだ。母は私にその詳細は言ったことはないが「あなた実家帰ってきたならたまには地元の飲み会(年に1度、年末に帰省して顔出せそうな子が板前になった子の家に集まって飲む)に誘ってあげたら?」と言ってくる。私はそうねー幹事くんに言っとくねーと言ってお茶を濁す。一度は幹事に誘ったら?と言ったがその年の飲み会には来ておらず申し訳ないがホッとした。いつもつるんでた悪友男子2人からは「あいつはお前のことが好きだったんだから放っておけ」と言われた。もちろんこちらも深入りするつもりは100%ない。当たり前だ。中年に差し掛かった今でも鮮明に思い出せるほど不気味だったんだから本当に。もしアレが好きな気持ちの表現だったとしても、そんなもん受け入れられるわけがない。
実家で暮らしている私の母は、日課である朝の散歩の時に出勤中らしき「例の彼」とすれ違うと言っていた。気が付いた当初はあらおはようなどと声をかけていたのが彼からリアクションがゼロで、ひょっとして人違い?と心配し彼の母との井戸端会議にて確認を取ったところやっぱり本人よね?となり再度あいさつや会釈を試みたもののノーリアクションで、ついに先月、なんか気まずいから散歩コースを変えることにしたと言っていた。
小学校の高学年の時、クラスメートに一人、すこぶる不気味な男の子がいたのだ。
みんなでワイワイ一緒に遊んだりはしない、クラスの人気者枠ではない、群れてない、かといっていじめられっ子だったわけじゃなく、別の男の子と2人でいることが多かったように思う。目立つタイプではなかったけど無口というわけでもなく、誰ともしゃべらないということでもなく。スポーツはあんまり記憶がなく(ということは特に目覚ましく運動神経が良いわけではなかったんかな)、勉強は出来る子の部類だったんじゃないかなと思う。
その子が私に向かってたまに敵意を感じる言葉をぶつけてきた。学校からの帰り道、私が友達たちと別れてひとりになった後で。とはいえ「いじめっ子」というのとも違う。何ていうか、意味不明な言葉をさも罵倒っぽく投げつけてくるのだ。
当時の我が家は一戸建の家の前にカーポートがあり自家用車を置いていた。某スポーツタイプセダン。その車の車種名を何故か私に向かって投げつける。大声で、時には走り寄ってきて追い抜きざまに小声で。「ばーか!ばーか!」みたいな口調で、車種名を。
最初は、まさか車種を大声で叫ばれてると思わないから「?(野良猫でも見つけて喜んでるのかな)」ぐらいに思って私に向かってる言葉だと気づかなかった。ある時、追い抜きざまに我が家の車を指さして「(車種名)!笑笑笑」と嘲り笑いをして去って行ったので、何?車がどうしたの?と。小学生女子それも大してメカに興味があったわけでもないので自家用車の車種名なんてぼんやりとしか知らず、ああそういえばうちの車そんな名前だったかもなぁ。と思う。そして嘲り笑いへの強い不快感。
家に入って兄に「うちの車って変なの?」と聞いた。今思えばごく普通のファミリーセダンだ。ノーマル派の父が珍しくホイール変えた位で他は純正。ホント没個性の普通の車だったのだが、笑われるのは辛い。
同級生に笑われたの…と話をしたら、兄(やさしい)は心配してくれて、イヤなら反撃しろ、反撃できないなら帰る時間をずらすとか、友達についてきてもらえ、ついでに家でみんなでマリカーでもやりゃいいじゃんと言われた。みんなでマリカーやるのはすごく良いなと思ったので、一緒に帰っている仲のいい友達を誘ってマリカー大会をやった。兄(3つ上、やさしい)が謎のマリカーキングでアホみたいに上手かったので、兄がいるときはたまに混ざってくれた。「○○の兄ちゃんの神技見よう」みたいなノリで我が家がたまり場になった。
楽しかったのは良いのだが、毎日みんなが集まってくれるわけはない、せいぜい週に1回。当然ひとりで帰る時が大半で、なるべく時間をずらして後ろからついてこられないようにしようと思ってはいてもいつの間にか後ろにつかれ近付かれて追い越して振り向きざまにギロッと睨まれたり、思い出したように車種名を叫ばれたりしていた。本当に気持ちが悪かった。
マリカー大会仲間のなかの男の子2人とマリカー以外でも仲良くなって、いつの間にか3人の家を行き来したり、3人でどっかちょっと遠くの公園まで遊びに行ったりするようになった。たまには大勢でマリカー大会やりつつ、男の子の行動半径の広さ(私は割と引っ込み思案なタイプだったので)に引っ張られていくうちにだんだん楽しくなってその不気味な男の子の嫌がらせもどうでも良くなった。たまに睨まれたりされてもそんなに気にならなくなった。そのまま小学校は卒業。卒業するまでの間、散発的にその男の子の言ってくることやってくることで嫌な気持ちになることはあったような気がするが、まぁどうでもいいやという感じになっていた。マリカー大会から私は、女の子も男の子も含めて友達が一気に増えたこともあって、すっかり引っ込み思案じゃなくなった。
中学受験とか公立の学区違いとか引越しとかで、小学校の友達は割とバラバラになり、特に仲のいい数人以外とは日常的な交流はなくなるが、それでも「ジモト」だから色々彼らの消息は伝わってくる。大人になって「私に向かって車種を叫んでくる彼」の消息があまり幸せそうだとは言えないようなのが、なんとなく心に刺さったとげのような気持ちになっていた。
他の子たちは、私立中・高→いい大学→いいところにお勤め&美人と結婚みたいなエリート人生まっしぐらな子から、公立のいい高校行ったのに放浪→自称クリエイター実態は奥さんが養ってる、とか、保育士(男)とか、ホテルマンとか、子供3人育てて町内会の仕切りしてと忙しそうなお母さんとか、中学出たら実家の料理屋さんを継ぐために修行、今は板前さん、みたいな子まで色々いる。実家を継いで板前さんになった子以外はみんな実家は出ている。私は中高出て大学行って会社に入りワーカホリックになりアイツこのまま結婚しないのかと言われてたけどかなり遅くにウッカリ結婚した。
その「例の彼」は、私の母いわくずっと実家にいる。同じクラスでご近所だったから彼の母親と私の母親はご近所づきあいをしているのだが、彼の母親から聞く話が割と辛い話が多いようなのだ。母は私にその詳細は言ったことはないが「あなた実家帰ってきたならたまには地元の飲み会(年に1度、年末に帰省して顔出せそうな子が板前になった子の家に集まって飲む)に誘ってあげたら?」と言ってくる。私はそうねー幹事くんに言っとくねーと言ってお茶を濁す。一度は幹事に誘ったら?と言ったがその年の飲み会には来ておらず申し訳ないがホッとした。いつもつるんでた悪友男子2人からは「あいつはお前のことが好きだったんだから放っておけ」と言われた。もちろんこちらも深入りするつもりは100%ない。当たり前だ。中年に差し掛かった今でも鮮明に思い出せるほど不気味だったんだから本当に。もしアレが好きな気持ちの表現だったとしても、そんなもん受け入れられるわけがない。
実家で暮らしている私の母は、日課である朝の散歩の時に出勤中らしき「例の彼」とすれ違うと言っていた。気が付いた当初はあらおはようなどと声をかけていたのが彼からリアクションがゼロで、ひょっとして人違い?と心配し彼の母との井戸端会議にて確認を取ったところやっぱり本人よね?となり再度あいさつや会釈を試みたもののノーリアクションで、ついに先月、なんか気まずいから散歩コースを変えることにしたと言っていた。
結構長いこと友達をしてたんだけど、自分本位なところがあって自分が精神を病んだ時に話をしててすごい辛かったので3年くらい距離を置いてる友達がいる。
だいぶ自分の気持ちは持ち直したけど、その子の話題がでると脂汗がでてくるのでもうちょっと会えないなって思ってしまう(辛いことをフラッシュバックがする)
友達は合理的な思考をしてて本人は工夫してショートカットをしてるつもりなんだろうし、たぶんそれで友達を減らしているようなところがあると思ってる。
そういうところ本人もわかってて治したいと思ってるぽいんだけど出来ないらしい。
プレゼント入れてた袋はともかく包装紙、ビニールのパッキング、プレゼントが入ってた箱とかできる限り捨てていく。
(カフェとかで渡したら)お店に迷惑じゃない?ってやんわり言っても治らなかった。
確かに受け取った時点で本人のものだけど、ハンドメイド品とかをもう利用しないから捨てたって挙げた人の見える所でツイートする。
結構重い本を持っていき、ファミレス等で見たいページを読んだらもう必要ないし家に持って帰るの重いからと言われたけど、その重たいものを持ってきたのは私なんだが。
・物の受け取りをお互いの帰り道の中間でしようと提案するが、私の会社まで取りにくる(同僚のうろうろしている道で物々交換はしたくなかったという意見は却下)
・一日一緒に行動する際に体調不良や機嫌が悪いことを言わないが表に出す。(態度に反映されるので実害があるので、正直に言ってほしい。)
基本的に友達に不利な提案であっても、彼女の意見以外は聞いてもらえない。
自分を優先してないのでいいだろうと思っているっぽいのだが、自分本位な意見を最初から言われたほうがうまくいく場合が多い。
・体調不良っぽい→痛止、胃薬、風邪薬(即効性のと、漢方)と水を持ち歩いてた
・借りたいって言われそうな本の興味ありそうなページ→好きだったよね?っていって写メで送る。
・プレゼント→過剰包装じゃなくて、すぐに身に着けられるものや消耗品
・機嫌悪そう→飴、ガム、チョコを持ち歩き(だいたい食べてなくて低血糖が原因)
そういうことをするのは好きだったし、負担でもなかったんだけど精神を病んだ時に全く出来なくなった。当たり前だよね、着替えるのでさえ気合をいれないと出来ない状態でそういう気遣いできなかったんだよね。
そういう時に、「増田って気遣い出来ないよね、自分本位だし」って言われて、なんか上手く呼吸が出来なくなったんだよね。そこから距離を置いてる。
嫌いになったわけじゃないし、元気かな?とは思う。
楽しいこともいっぱいあったからまた遊べたらいいなあって思うよ。
友達のことを書いたけど私にももちろん悪いところもあってお互いに助け合うってことがある前提での話です。
あと、ここで例にあげたのは私とのやりとりが中心なんだけど、同じことを他の友達にもしてて、そのたびに怒られてた。
物事が終わってから、ここが悪かったって言われると理解するし指摘しなくても気づきがあるみたいなんだけど、
始める前にそうならないように指摘しても理解できないみたい。
友達自身『自分は凄く気遣いをしているつもりなのに結果的に自分勝手になる』って状況に疲弊してるんだと思う。
何回も何十回も私も周りの友達も彼女に対して「したいことをはっきり言ってその上でできるかどうか話し合おう」って
言ってるんだけど必ず遠慮をするんだよね。
例えば上で出した「家まで送迎するといえば、車を止めにくい場所を指定される。」を例にだすと、
そういう障害なのではということも含めてこの辺は私も他の友人たちも理解しているところだよ。
全く気付かないとか、私を利用してやろうとかの悪意があるとかならもっと早くに友達を辞めたりできたんだろうけど、
友達自身には気づきがあって苦しんでるみたいだからそれなりに上手く付き合える距離を図ってる。
なんで友達にこうまでするのか?というと私自身にも友達と似たよう思考することがあって、
気遣いしてるつもりで気遣いできてなかったこととか周りに対して言い過ぎたって思うこととかあるし
周りの影響でそういうところを直したり、マシになるようにしてきたところがあるので
馬名 | 父 | 父父 |
---|---|---|
ロジャーバローズ | ディープインパクト | サンデーサイレンス |
サトノルークス | ディープインパクト | サンデーサイレンス |
ダノンキングリー | ディープインパクト | サンデーサイレンス |
メイショウテンゲン | ディープインパクト | サンデーサイレンス |
ナイママ | ダノンバラード | ディープインパクト |
クラージュゲリエ | キングカメハメハ | キングマンボ |
レッドジェニアル | キングカメハメハ | キングマンボ |
ランフォザローゼス | キングカメハメハ | キングマンボ |
サートゥルナーリア | ロードカナロア | キングカメハメハ |
リオンリオン | ルーラーシップ | キングカメハメハ |
シュヴァルツリーゼ | ハーツクライ | サンデーサイレンス |
アドマイヤジャスタ | ジャスタウェイ | ハーツクライ |
ヴェロックス | ジャスタウェイ | ハーツクライ |
タガノディアマンテ | オルフェーヴル | ステイゴールド |
エメラルファイト | クロフネ | フレンチデピュティ |
ヴィント | モンテロッソ | ドバウィ |
マイネルサーパス | アイルハヴアナザー | フラワーアレイ |
ニシノデイジー | ハービンジャー | ダンシリ |
来年に自分が自分であるために、自分が自分を認められるために書いてみようと思った。自己満足?その通りです。これはこうでしょ!みたいなものでもなく曖昧で漠然としているものだけど。
高3生です。受験生です。
社会人か主婦か色々な人がひしめくなか、クソガキが書いてる時点でまともな人間じゃないのは察してください。普通の高校生ならこんなとこ(たぶん)いない、はず…
本題に入ります。
自分は小学生から手のつけられないクソガキでカッとしたら悪口の前に周りに暴力を振るったり、その度に親に迷惑をかけたりしていました。そのせいで、とあること(事情があって詳しくは匿名でも書けません、相手にバレたらヤバいので)が起きてしまい、それは小学生に重大に追及するほどのことではないはずだったのですが、相手の親がモンスターペアレンツで厄介なことになってしまいました。面会かを何かした時、相手の親に暴言吐かれまくってしばらくトラウマでした。
そのこともあり、地元の公立中学だけは死んでも行きたくなかったので、以前から取り組んでいた中学受験に本格的に取り組みました。
結果として、第1志望は落ちましたが、それ以外は受かりました。志望校コース的なとこ一緒に通ってた友達は受かってたけどそこまで苦しくなかった。試験受け終わってこれダメだな、ってなってたから。でも辛かった。同じクラスで自分だけが第1志望に受からず(恐らく)、塾の卒業パーティーは行かなかった。
そして中学入ってからも暴力の癖は直らず、周りに迷惑をかけ続けた。そして、中学3年間を最悪にした一番の原因の先生に出会う。(担任になる)
その先生は典型的な熱血系の先生で、当時本当に辛くて記憶から大半が抹消されてるんだけど、まあとにかく死んでくれと思っていた。
どれくらい酷かったかというと、中1の終わりに、『今日誰とも話さなかった!』とか思ってたこととかですかね。精神障害者かよ。
中2になると、先生はまともになったが、今度はガイジクラスの一員(ほかの学校は知らないけど、自分の学校は問題児を固める傾向にある)になってしまった。たぶん中1の担任のせい。〇ね。
いい人もいたが、半数ぐらいは相性が悪く、しょっちゅう喧嘩だったりを繰り返してた。このころも同じように記憶にあまりない。そして、原因も忘れ去ってしまったが、半年くらい不登校になった。
ここまで書いてなかったが、自分はゲームが好きで、親に妥協してもらって買ってもらったiPodで遊びまくってた。異常なレベルで。そして不登校近く?から数年ドハマり続けるゲーム(ソシャゲ)に出会ってしまった。
(この書き込みの趣旨とあまり関係ないので、詳しくは控えますが、そのゲームは後々また出てきます。)
いつ行ったかすら覚えてないが、精神科にある程度行った。鬱みたいな症状診断されたっけな。たぶん。
不登校はとりあえず切り抜けて(どうやったかすら覚えてない)、中3になった。
この頃くらいにようやく暴力の癖が抜けて(どうやったか覚えてない)現実にようやく少し溶け込めるようになったが、問題が。
クラスに余計なことをしたり、自分がしないでと言ったことを勝手にやって『お前が悪い』みたいな態度でいたり、ただただ嫌だった。最後は勝手に向こうが呆れて干渉しなくなった。そのくせに某行事では自分のグループを受け持ってきたり、精神が壊れそうだった。
その中、唯一の楽しみが先程話題に出したゲームだ。ハマりにハマっていわゆるトップランカーのレベルまでなった。
そのゲームは続けつつ、高1になった。
ここからクラスにも教員にも、相当マシな人間が多く、気分は楽だったが、ここまでクソッタレな人生だった自分には、友達は誰一人いなかった。みんなしょうがなく関わってるか、興味がないだけだった。現状を打破しようとしても時間が浪費され、その鬱憤をゲームで晴らしていただけだった。
でもその興味がないなりに気遣ってくれて、嬉しかった。
高1の夏休み、ゲームで、人間関係でこじれてしまい、ゲームを辞めてしまった。Twitterなども人間関係も全部なくした。そのとき何故かわからないが、自分は壊れてしまったのだと思う。
夏休みが終わってから、なぜ思ったかはわからないが、リアルに向き合おうと、できることをやった。
全く意味のない授業の板書、人間関係、その他もろもろ、やっていたんだと思う。だが少しだけ前のゲームをやっていたりした。
そして高2になり、覚悟を決めて、そのゲームをまた辞めて、受験に向き合うことにした。(当時偏差値40くらいかな、やばいでしょ)
あとは高2は勉強だらけだから略。人間関係もマシにはなったが中1のころの遺産があった程度。
そして高3になり今に至る。
受験は自分の存在証明みたいなスタンスで、受からなかったらセンター改革の件もあるからヤバいが、なんだかんだ楽しくやれている。
周りは某大学志望だらけなので、そこはやめて成績的に自分が有利な大学にした。
友達もいるが、心の奥底で誰も信用できないし、からっぽな自分がそこにいるだけ。
親は中1から中3あたりは本当に酷かったが、高1で自分でどうにかした。どうしたかは覚えてない。
勉強出来なきゃ本当に人生終わりそうなので、勉強を頑張りたい。だから明日からスマホを、最近話題になったタイムロッキングコンテナを使って自制してみようと思う。
だけど人間性は残ってるから、少しだけ人に認められたかった。自分は自分に、受験に受かってようやくスタートラインとしか評価できない。
まとめ
これだけ騒いでこれで終わり?
メッセージは何なの?
まー最初に言いたいのは、怪獣でブンドドしたいのか、何か意味深な話がしたいのか、人間ドラマを描きたいのか、どれかに絞れよってことです。
包み隠さずに言えばマクガフィンとメアリー・スーを悪魔合体させた環境テロババアを暴れさせたのがただの舞台装置でしかないからもっと手短にやれ。違うというなら単なる仲直りじゃなくてしっかり描けってことです。
主人公気取りのオルカ一家が丸ごと不要だったとすら言えますね。ガメラシリーズやゴジラシリーズにはちょくちょくああいう家族が出てくることは確かにあるんですけど、それは怪獣映画が子供向けであるが故になんか道徳的なシーン入れないと見せに来た親御さんがモニョるよねって要素の解消としての装置なわけでして、単におっさんオタクがうおおおおするだけのモンスタープロレスでしかないならいらんのですよ。
ドラえもんでもなきゃクレヨンしんちゃんでもないんだから、ただただ怪獣が暴れてりゃいいんですよ。
あの一家がテロリスト活動を通じて何かを取り戻す過程なんてのは、映すにしても映像感をつなぐための接着剤として割り切って10分ぐらいでいいんですよ。
マジでね。
ババアいらね。
娘もいらね。
親父もいらね。
んでまあ次に言いたいのはね、オチショボくねってことです。
ギガデストロイヤーと戦ってるわけでもないのにバーニングしだしたのはビックリしましたけどね。
でもそれやるならもうギガデストロイヤーやスペースゴジラと戦えよって話ですよ。
キングギドラが怪獣として最高なのは確かでしょうけども、この令和の時代に世界中の怪獣をキングコングまで含めて叩き起こしてまで倒す相手としてはちょっとまだ足りないです。
結局はオーバーキルであっさり終わってましたし。
最後にチラっとそんなシーンがありましたけど、あそこまでを開始1時間15分でやって、そんで最後にバーニングしてたら最高だったんすよ。
ゴジラとギドラ死んだ→メカキングギドラ登場人類終わった→実はメカゴジラ作ってた→やっぱ勝てねえ→芹沢とキングコングが犠牲になりゴジラ復活→メカキングギドラ+ファイヤーラドンvsバーニングゴジラ+モスラ+ガメラ
ぐらいのやりすぎ座組でやってこそのKoMでしょう。
怪獣大決戦にスタースクリームと化したラドンおまけしただけの話で終わられちゃ消化不良なんですよ。
そんでまあなんでこの映画が尺とスケールの割にオチがショボかったのかというと、ひたすら人間ドラマやってたからです。
それもまあ怪獣との共存とか未知との遭遇とか科学兵器開発とかよりもメインは、どっかの被災者家族が、頭おかしくなって暴れまわって娘がそれに振り回されてるうちになんかスッキリして和解、っていうただそれだけの話に尺を使いまくったからです。
なんですかコレ?
我々が映画館に払った2800円(3Dメガネ込み)は超弩級の怪獣プロレスを見るための値段なんですよ。
突然リングに上がり込んできた裏方スタッフによる家族への手紙朗読会をブックと言い張って見せられても困るんすよ。
その時間があるなら話をもう一回り回転させろよってことです。
最高クラスの映像も、重量感も4DXとの完璧な相性も、原爆とゴジラの関係性へのリスペクトも、最高すぎるメインテーマアレンジや、しみったれた自衛隊なんてテーマソングすら関わらせてやらねえという割り切り方も、中学生が教室でするような妄想を幼稚園児がクレヨンでコンテにしたためたようなジャンクさも、全部、全部、この勿体なさが台無しにするんですよ。
なんで?なんでこんな素晴らしい映像を作れるのに安っぽい環境テロリストとヒスババアによるくだらん終末論が物語の柱として居座ってるの?となってしまうんですよ!!
テロババアによる凶行なんてのは最初の1時間でかたをつけて残りは全部怪獣と科学者による殺戮パーティーであるべきだったんですよ。
必要ないんです。
世界を滅ぼしたいテロリストはまだしも、愛を叫びながら地球を滅ぼしたがる頭お花畑のおばちゃんも、後悔することが仕事みたいな面した陰気なおっちゃんもいらないんですよ!
結論!
映像 最高!
座組 おしい!
重量感 最高!
4DX 超最高!
リスペクト 最高!
ストーリー 💩💩💩
キャラ まあまあの💩