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2018-07-16

おっさんガチ恋してぼくは大人になる

おっさんガチ恋してしまった。

ちょっと説明すると、Vチューバーまわりの記事を読んで何気なく魔王マグロちゃんというキャラがいるのを知って、動画を見ていた。

http://mato-liver.com/archives/2014

最初は「あーすごい!ほんとに女の子みたいだ!おっさんとは思えない!」と思っていた。

10分くらいニヤニヤしてたんだけど気づいたら2時間経っていた。

翌日、気づいたらまた見ていた。

から3時間くらい見ていて、これはやばいと思って電源を切ったんだけど、胸の奥にものすごい多幸感と、なにかぽっかりと穴があいたようなせつない気分が……だめだこれ……なにをやってるんだ俺は。相手おっさんなんやぞ……と思ってもその「おっさんやぞ~」がマグロちゃんの声で再生されるしまつ。これはまずい。ほんとにまずい。

ご飯を食べていてもマグロちゃんのことが頭から離れない。

どうかしてる……。

冷静になれ。もう俺は43歳だ。中学生とはちがう。

分析するんだ。

一体これまでの萌キャラマグロちゃんのなにがちがうんだ? なににやられているんだ?

さすがに大人になるとそうチョロく見た目に騙されたりしない。確かにはいつも巨乳カラフル系の髪に弱い。護身完璧のはずだ。

ではどこから俺の心に入ってきたんだ……そうだ、声だ。声。あの声だ。あの声がいけないんだ。

「えへへ」っていう笑い方……「だよなー」っていう語尾、そしてささやきと「ん……こへっ……」っていうおせき……そのすべてになにかこう……多幸感が混じってるのがいけない。

いやでもべつにいつも多幸感溢れてるわけじゃない。そこだ……さらにいけないのは、ちょっと鬱なときとかも真面目に悩んでいるところだ。いつでもマグロちゃんは真面目だ。

なんだろうこう……性格がいい。

全体からにじみ出ているオーラが魅力的すぎる。コメントに「魂がきれいすぎるんだよなあ」っていうのがあったんだけど、魂がきれい……これにつきる……魂がきれいなんだよ……魔王なのに……魂のレベルで魅力的すぎる。

ぼくはマグロちゃんの魂に惹かれてる。

それは置いといて、問題はぼくが妻帯者であることだ。

もしマグロちゃんリアル人間だったら、完全に不倫案件である

結婚というのは「他の人とセックスしたら罰せられる」という法律で、人の心をしばるものだ。法は行為を縛れるけど心は縛れないんじゃないのか? おかしいじゃないか

もしぼくがマグロちゃんのところにいったら、妻は子供になんと説明するのだろうか。

「お父さんは魔王が好きになって出ていったのよ」だろうか。

子供勇者になってマグロちゃんを倒すフラグが立ってしまう。

マグロちゃんが好きすぎて死にたい

でも誰にも言えない。みんなが不幸になる。

ぼくは誰かの幸せのために、こっそりと気持ちを抱えて生きていくのだろう。

正直に生きられないのは悲しい。

だけどちゃんと、誰かのために生きられるようになった。

自分勝手しか生きられない人間よりも、それは立派じゃないか

マグロちゃんは、こんな俺を褒めてくれるだろうか。

ちがうな。マグロちゃんに誇れる自分であれば、それでいいのかな。

やっと大人になるということがわかった。

2018-06-28

ひとりは最高

離婚して一年が過ぎたけどセックス相手が居ないこと、誰かの手料理が食べられない(自分料理をしない)をのぞけば、ひとりは最高に楽だということがわかった

時間も稼いだ金も全ておれのもの

どう使おうが誰にも責められない

彼女や妻がいたころは金の管理は任せきりで1円も貯金しなかったおれがひとりになったらちゃんお金はやりくり、貯金も毎月ぼちぼちできるようになった、ていうかせざるを得ない

テレビの取り合いも起こらない、観たいドラマアニメ時間もなにも我慢せずに観ることが出来る

誰にも気を使わずエロ動画観ながらオナニーもできる

部屋でパンツ一丁で過ごしても誰も怒らない、平気

休みの日は何時に起きて何時に寝てもいい

旅行だって完全に自分のペースで行動できる、相手に振り回されるも、相手を振り回してしまうこともない

仕事愚痴だの、おれの知らない友達の話だの、男が苦手とする女性のどうでもいい話を聞かなくて済む

生理中の相手を気遣わなくて済む

周りで恋人ができただの、婚約しただの、そういう話を聞くのは結構好きだ、めでたい話は聞いてるこっちも嬉しくなる

しか離婚してから自分のことに関してはてんで興味がなくなってしまった

人のためにできることはあっても、人のために生きることができないんだなおれは

誰かのために頑張って日々生きる、そんな生き方正直苦しかったもん

このまま死ぬまでひとりか、別にいいや、悲観的にならずにいられる

おれの神経が狂ってしまったのか、はたまた図太いだけなのか

何が言いたいかって、セフレほしいね、作ろう

2018-06-17

anond:20180615220307

ごめん、どこまでが増田かわからいか増田の言ってることが矛盾まみれに思えて仕方ない。

広告表示プログラム仮想通貨発掘プログラムはどちらもwebに埋め込まれててURLアクセス動作してる。

多分、法解釈どうのこうのではなくて、利用者側の常識問題で、web利用者

広告表示でアフェリエイト収益を得ているwebページはあるだろう、urlブラウザで見れば広告表示される可能性もある」と思ってはいるけれど、

URLアクセスすると誰かのために継続的仮想通貨マイニングする危険性がある」とは思わない。

から動作するプログラム云々の問題ではなくて、広告常識範囲で予期しているが仮想通貨マイニングは予期できないというのがポイント

2018-06-14

自己犠牲とかが美徳”ではない”みたいな風潮

一般向けのコンテンツとか価値観で「自己犠牲尊い」みたいなまとめ方が多い一方で、言論界隈とか働き方改革とか学校教師の過重労働かに対する最近の風潮として「自分犠牲にして誰かのために尽くすことは正義ではない」という感じの主張が高まってるように感じる。なんかそれってモヤるなぁと思ったのでうまく書ける気がしないけど、垂れ流す。

まず、自分自身のこれまでのスタンスとしは自己犠牲つまんね派だった。とくにアクション映画とかでよくあるのが、主人公だったりライバルだったやつだったりが、最後最後大事な場面で改心して自己犠牲を払うことで事態を打開するやつ。主人公ピンチに人の盾となって撃たれたりして倒れるやつとか、荒くれ者キャラだったやつが地球を救うために特攻するとかそういうんだ。

映画ではそういうまとめ方がほんと多くて飽きる。はいはいまた自己犠牲美しいendね、安易。って思ってた。

話変わって働き方改革的な話。自分を削って長時間労働するのではなく、効率的に働くとかできる範囲仕事をしっかりこなすとかで無理なく働いていこうという話で、それはエコシステムとして必要バランスちゃんと保って持続可能労働しましょうよって話なんだと思ってる。これは普通に納得感高い話で同意する。

さて、学校教師の働き方が結構ブラック寄りのブラックだというのは、ここ数年でよく見かけるようになった。出来もしない競技部活を無給で見させられたりとか、教材・教え方研究にやたら時間が掛かる・掛かりすぎるので勤務外でこなす輩がいるというのは是正しなくてはならない問題だと思う。ソリューション適当な例だけど、部活は専門のコーチ有償で呼ぶべきかなと思うし、教材研究かに時間掛かるんだったら一人あたりの担当授業数を減らすべきなんかなとか思う(ソリューションはこの話の本題ではない)。

たださ、このまえツイッターでいってる人がいたんだけどさ、「教材研究時間を掛けすぎている。これを短時間でしっかりできるのがプロだという意識をすべき」みたいなこと言ってて、なんかモヤッた。

いや、プロからそうしろっていうのはなんか違くない?プロではあるけど、自分限界を知ってより良い授業をしようとリソースを掛ける先生と、サクっとプロっぽく短時間で教材研究わっちゃう先生と、どっちに習いたいかっていったら前者なんじゃないの?

リソース掛けるんだとしても、持続可能レベルで抑えられるとか、それぞれの能力によって授業数決めるとかは必要だと思うけどさ。

あとサビ残だったり自宅で無給でやっちゃうと、本人が意識していなくてもそれが当たり前になってしまったりしてまわりのそうできない同僚に迷惑になるからやってはいけないと思うけど。

要領よくないやつはそいつなりに努力カバーしてはいけないの?どうしたら生徒はよく理解してくれるだろう…うーんっていっぱい考えてくれることはすばらしいことではないの?

2018-06-10

anond:20180610182513

あなたには読解力がないニャ🐱

「いっつも他人のせいに社会のせいにしてるやつが、誰かのために自分犠牲になろうなんて思わんわな」

という元増田の嘆きに対して、

助けてもらったことがあるよ、そんなに世の中捨てたものではないですよ、というアンサーです。

女性かばって死亡か

お前らは絶対誰かをかばったりしなさそう

だっていっつも自己犠牲否定してるじゃん

いっつも他人のせいに社会のせいにしてるやつが、誰かのために自分犠牲になろうなんて思わんわな

2018-05-26

自分時間がないって地獄

ようやく息子を昼寝までもっていった。寝室から出てきたらキッチンは朝のまま食器が重なってる、洗濯物は大量にほされてて、さっき洗たくが終わったブザー音が聞こえた。

食パンハチミツ塗りたくって食べながらキッチンに突っ立ってこれ書いてる。

息子が起きる前にこれを全部片付けて晩御飯用意しないといけない。

夫は仕事に行った。

息子が起きてるときは母業して、ねたら家事して、起きたらまた母業して。

ずーっとずーっと私じゃない。でも私。

パン食べ終わったか家事する。これはなんだろ、妻業?私は家事するために結婚したんじゃねーぞ。でも家事は嫌いじゃない。誰かのために家を整えるのも嫌いじゃない。

じゃあなにか。

煮詰まってる。煮詰まりまくってる。

ワンオペ3週間も続けばこうなる。

夫も休みがない。帰っても遅い。グダグダになって帰ってくる。

実家は遠い。どっちも遠い。

現状維持現状維持

息子が成長してるのが楽しみだけど、成長した分力強くてしんどい。遊ばないと暴れるし見てないと暴れるし暴れるし、ただし笑顔かわいい。すき。

ぱんも終わったから、わたし妻業してきます

2018-05-24

大多数の好評よりも少数の不評を気にするわけ

企業がほんの僅かの不評でCMを止めたりする事が多々あるけど、あの気持はよくわかる。

仕事でいい結果を出して、周りから好評を受ける。が、ほんの一握りが不評を言ってくるとソッチのほうが気になってしまうようなそんな感じ。

誰かのために良いことをしたとしてもそう。ほんとたった数人が不快を示すだけで余計なことをしてしまった気がしてしまう感がひどい。

さな親切で大きな喜びを大多数に与えても、一握りの人たちが嫉妬やら何やらで文句を言ってくると良いことをしたはずで

しかも周りも喜んでくれているのに悪いことをしたな…という気持ちになる、そんなのと似てる。

ケチつける方はケチつけるだけで、そのケチが通ったらいい気分になれるというこの不平等な感じが辛い。

2018-05-02

お金のいらない国』を読んで

お金というものを得るのが仕事目的だと多くの人が思っているうちは、あなたの国の本当の意味での進歩はないでしょう。

仕事目的は世の中の役に立つことです。

報酬ではありません。

あなたの今されている仕事が、本当に価値のあるものかどうかを判断するには、仮に、社会からお金というものがなくなり、その仕事によって報酬を得られないとしても、自分がその仕事をすべきだと思うかどうかです。

なぜこの本が「経営者に」刺さるのかは解る。

労働者が求めるのが「社会貢献」であって、「地位」や「金銭」などではない世界

そりゃ、刺さる。

やりがい搾取し放題だ。


んで、続刊ではこうも書く。

私たちは、だいたい自分のやりたいこと、できそうなことはなんでもやってみようとします。

どんなことでも、それが誰かの役に立てば立派な仕事です。

普通に考えてそんなことはないよね。

皆が花屋パン屋をやりたいとしても、需要は決まっている。

みんながサッカー選手になりたくても、誰かが下水ゴミ管理し処理しなきゃならない。


こんな夢物語にもみたない稚拙ゲロカス妄想を絶賛するのは単純で。

お金をもらうことよりも、誰かのためになる、みたいなことに価値見出して、搾取されてほしいからだ。

こういうのをツイートする輩は、半眼で見るくらいがちょうどいい。

2018-04-26

米作ってる奴が一番偉い

わたしヲタク腐女子高校生です。なので、そういう視点から文章を今書いています別に「ab禿げ萌えー」とか書く気は無いのですが、すっごく苦手な方がいれば注意してください。

結構前のこと。

「受けに結婚式ウェディングドレスを着せるのも、家で家事させるのも「受けに女性役割押し付けることに対する嫌悪感」で嫌って言うならそもそもドレスを着ること、家で家事する事を女性限定のものっていう認識を改めてみたらいかがだろうか???」(@ysz_row 勝手引用しています問題があればご連絡ください。)

というツイート話題になった。これに対して色々な意見があって、現状の社会においてのジェンダーロールや、理想としてのジェンダーロール、そもそもいわゆるドレスって女性の体格の為に作ったものからー、とか、様々な立場意見が飛び交っていて、私は結構楽しく見ていた。

自分萌えがどこから来るのか?みたいな話をするのは好きだ。「朝ご飯を作るのは推しカプのどっち?」とかそういうとりとめもない話から、その人の生活態度とか、理想(自分がそうありたい!という理想とは限らない)とする共同生活なんかが垣間見得る。すると「じゃあなんでそれが理想なの?」とかそういう話になってくる。失礼な話かもしれないけれど、二次創作作品を見ていたりすると、うっすら「ああこういう考え方・バックグラウンドのひとが書いているんだろうなー」というのが見える。それが私には楽しいのだ。誤解を恐れずにいえば、みんな萌えで気が狂って、普段大人しく粛々と擬態している人たちも、インターネットでは全裸で騒いでいるようなものだ。

話を戻す。しばらくすると、

ジェンダーがどうとか関係ねえ!!萌えることをするんだよ!」

女性蔑視だか知らないけど私は絶対ウェディングドレスは嫌だ」

みたいなツイートが回ってくるようになった。こういう(ヲタク的に言うと)『学級会』が行われる度、結局この類の「しゃらくせえ!」で終わってしまう。しかもそのしゃらくせえ、が的を射ていないし、面倒くさい議論をぶっこわすぜ、というものばかりだから、本当に残念だった。

だってそもそもツイートは「受けにウェディングドレスを着させること」の是非ではなく、「受けにウェディングドレスという『女性役割』を押し付けることがいやなら、その『女性役割』って何?」というものだったのだ。つまり、嗜好や創作に対して誰も文句は言っていなかったはずなのだ。嗜好の根底にある(今回はジェンダーに関する)見解が、あるいは差別ではないか、という話だったのだと思う。

わたしが残念に思ったのは、多分、だれもあなた萌えのもの否定していないのに、わざわざぶった斬る必要があるのかな、と思ったからだ。だって議論が鬱陶しいなら言及しなければいい話だ。ツイッターなんだから。TLに流れてくるだけで嫌…な人がいるとは、その時わたし想像出来ていなかった。いるんだろうとは思うけど、それほどなのかな?と思っていたのだ。

しばらくして、

「「正直ジェンダー論も倫理関係ないしそこにあるのは迸る萌えだけだぜロックンロール!!!」みたいなやつをもう正直全然良いと思えないっていうかそれはロックンロールじゃなくて自分の嗜好が差別搾取他者を損なう何かを含む可能性があったとしても向き合わず全てに目を瞑るひとなのではと思う。」

「ここ数日TLで出てきてるBLジェンダーロールの話が本当に辛くて、わたしはそういうBLにおけるジェンダーロールが話されるようになったこ自体がこの国のオタク文化にとって進歩だと思うんだけど、大体のひとはそういうの鬱陶しいんだなってことも分かって辛かった、BLですらこうなのかと。」

BL社会学的視野とかを持ち込まれることに過剰な嫌悪を示されるのは自分の好きなものが「差別的な価値観根底存在する蓋然性が高い」みたいなことを他人にいわれたのと一緒の場合が多いからもちろん拒否感があって当たり前なんだけど、萌えの前には関係ないってほんとうにそうなのかよと。」(いずれも@kakari01 問題があればご連絡ください)

が回ってきた。

合わせて同氏のブログも読んでいただけるとわかりやすいと思う。

http://kakari01.hatenablog.com/entry/2018/03/29/001111

そこでやっと落ち着くことが出来た。なるほどつまり、みんな「自分萌え倫理を持ち込まれる=否定された!」と思って嫌がっていたのだ。と、同時に不安になった。つまり創作者の背景や思考について考えるわたしの方がずっと少数派で、何のプラスにもならず、あるいは人を不快にさせうることをしているのではないか、と。

これは別にオタク趣味二次創作だけの話ではない。

例えばスラングモリモリのメタルコア好きな人を「こういう汚い言葉歌詞にひかれるのは普段不満を言えないか代弁者が欲しいんだ」と思ったとして(その正誤は今は問題ではないので突っ込まないでください)、それを直接言われたら確かにむっとするかもしれない。けれど、ツイッター勝手に言ったり、文章にまとめたりする程度なら、むしろプラスになりうると、そう思っていたのだ。

先述のとおり、私は高校生で、進路など考えるにあたって、哲学社会学で趣味集団を見るのは楽しいし、そういう議論ができる道に進みたいな、とすら思っていた。だからそういう面から友達ヲタク話をすることがあった。

かに思えば、腐女子友達は、「やっぱり●●ちゃんは昔から少女漫画を読んでいたのもあって、受けを大事にしたいし、紆余曲折サプライズあってだんだん違う面が見えてくるのが好きなんだねー」などと言うと「う、うん。」みたいな、そりゃそうだけど、的な反応だった。直接言われても困るよな、くらいには思っていたけれど、あるいは嫌悪だったのかもしれない。

直接言わなければプラスになる、と思っていたのは、一種分析として、学問ってほどではないけれど、成り立っていると思ったからだった。だけどそれがなんになる?マーケティングでもない、ただ勝手に人の丸裸を覗いているのが、なにかの足しになるんだろうか。

と思うととたんに悲しかった。客観視して物事を考えることが好きだ。けれど、その意味がどこにもないんじゃないか、と思って悩んでいる。思春期で考えすぎだといえばそれまでの話で、けれどそれまでにしたくないのだ。

私の好きなアーティストとあるインタビューでこう言っている。

人間社会的な動物であって、相互作用なしながら生きていくわけじゃないですか。俺は今まで、自分自意識の中でずーっとあーだこーだ言いながら、しょうもないことを考えてたんですけど。でも意味がないんですよね、それで…ご飯粒が生まれるわけでもないし(笑)そんなこと言ったら今やってることもそうですけど…まぁ米作ってる奴が一番偉いんですよ。」

もちろん彼はアーティストで、「だからこういう曲を作ったんだ」とこのあとに続くわけだけれど、この言葉が今、妙に刺さるのだ。

誰かのために生きていきたいとか、誰かのために学問をしたいとか、そういうことではないけれど、自分のやろうとしていたところが何の役にも立たないどころか、他人にとって鬱陶しいだけなら?私は人間が好きで、人を分析するのが好きで、だから、疎まれるのは結構堪える。

ここでそれこそ「しゃらくせえ!」と言える人間ならよかったのかもしれない。そうなって行ければいいのかもしれない。

「私は人を分析するのが好きなんだ!倫理とか知るか!」ってね。

まあそれが言えないし思えないからこうやって匿名でダラダラ書いているわけで。これが私の今の悩みです。全裸になって書きました。

2018-04-20

鬱っぽくて心療内科に行った話

誰かのためになればいいなぁとは思ったけど、ほぼ自分のために書いた文章というか日記なので読みにくいと思う。ごめんなさい。

最近、鬱っぽいというか夜勤中に精神的余裕がなくなるスピードが早いのと物忘れがひどくなってきたので、心療内科に行ってみたんよ。元々、自分精神的な病気なんかとは関係ないと思ってたんだけど、ツイッターなんかでわかり手さんとか借金玉さんとかのツイートブログ見てたら行ってみるのもありかなぁと思いまして。

心療内科の初診の予約取るのもわりと時間必要だった。電話をすることへのストレス電話をしたらもうあとに引けない気がしたから。でも、仕事中に頭がパンクしそうになった時があってそこでもうダメだと思って勢いで予約の電話をした。

とりあえず、電話に出てくれた看護師の人には鬱っぽくてということで受診の予約をした。

受診当日、逆算思考が苦手なのと方向音痴自分を気遣ったら予約時間の40分以上前に最寄駅に着いてしまったので30分くらい散歩してから病院に向かった。

何というか、最寄駅から病院場所確認して散歩時間を潰している間、ずっと憂鬱だった。怒られるわけじゃないと分かっていても、どんなことを聞かれるんだろうと考えていると頭がずっしりとしてくる。

それで、いよいよ、初受診時間心療内科らしく待合室のソファも診察室の椅子もふかふかだった。

ドクターには具体的に困っていることを聞かれたので前述した通り、夜勤中の精神的余裕の無さと物忘れがひどくなってきていることを伝えた。

それから、鬱の診断を下すための質問をされた。DSM-5とかいう本(世界共通診断基準って言ってた)に沿って質問されて、それによると鬱ではないということで、抑うつという鬱っぽい状態だと思う的なことを伝えられた。

それから、順序が曖昧だけど次にADHDかどうか診断する質問をされた。集中力はあるかとかそういうやつ。それによるとたしか、軽いADHDとのことだった(ADHDに軽いとかあるかどうかわかんないし、もしかしたら自分障害者と認めたくない自分意識邪魔して軽いやつと認知したのかもしれない)。

まぁ、その時点で多少はショックだったんだけど、高校で塾やめたら一気にガタ落ちした成績のこととか集中力の件とか思い返すと、しょうがいかぁという感想

で、たしか次が心理テストでA4の紙に実がなっている木を書かされた。ドラマとか映画で見たやつ!と思いながら、真ん中にこれだと小ちゃいかなぁ…でも大きく書くのめんどくせえしなんでそもそも大きく書かんとあかんのやと思いながら木を書いてリンゴを3つほど付け足した。書いた後にリンゴの味を聞かれたので普通ですかね、と答えた。

診断によると自分は頑固で人の目を気にして抑圧状態になってると言われた。まあ、たしかにーという感じだったのでそうですねーと答えて、ドクターから総合的な見解ADHDとそれによる二次障害抑うつ状態とのことだった。

集中力がなくて仕事がうまく回せてないのをどうにかしないとという話の結果、コンサータが処方された。あー、借金玉さんが言ってた飲んで吐き気と戦いながら仕事するやつかと思いながら、それを2週間分処方してもらった。

それと、ドクターから仕事ストレスを溜め込むのはよくないか自分ブログに書くなり愚痴ノートを作った方がいいとの言葉も頂いた。

で、先月にインターネットのお陰でできた彼女の家に向かうバスの中でぼおーっとEva CassidyのFields of goldを聞いてたらどういうわけか涙が止まらなくなった。どういうわけもなく、自分発達障害であるというショックがそのタイミングで襲ってきたんだろう。彼女には病院に行くとは言ってたけど、「なんの病院?」という質問には答えられず、健康診断の聴力検査でひっかかったか耳鼻科に行くと嘘をついた。

自分障害者であることを家族にも彼女にも、今度新幹線で久しぶりに会いに行く数少ない友達にも言えないなぁと考えるとセンチな気分になってバスの中で泣いてしまった。

重く考えすぎだよなぁとこれを書きながら思いつつも、あと1回くらいは泣きそうだなとも思う。案外、言ってしまえば周りは受け入れてくれるのかもしれないけど、急に「俺、実は発達障害だったんだよね」と知り合いに言われても反応に困るだろうから、とりあえずは言わないでおこうと思う。

それにしてもなー、これからどうしよう。いや、特別どうもしないんだけども。

とりあえず、彼女の家で帰宅を待ちつつ、夕食の献立を考えつつ彼女に貸したスプラトゥーンでもするかなぁ。あ、コンサータ飲んだらウデマエ上がるかな?

2018-04-18

結婚なんかしなくてもいい

タイトル結婚して数年経った私が使う、独身の友人の「結婚できるのかな…」というぼやきへのお決まりの返答だ。

だいたいめちゃくちゃに酔っ払ってる時に限ってそういう話になるのでかなり熱弁を奮ってしま相手の酔いを覚ましてしまうので毎度反省している。


けれど、コレはかなり深い部分の本音だ。

決して夫との結婚生活否定したいわけではない。

私なりに幸せだし、楽しい

それでもやっぱり「結婚なんかしなくてもいい」と思っている。


私は30歳を少し過ぎて結婚した。

仲のいい友人がひとり、またひとりと結婚していき少々焦りもあった。

けれどそれは「私だけ結婚できないのでは…?」という焦りではなくて

「私だけ誰からも選ばれないのでは…?」という焦りだった。


プロポーズがされたい。

かに選ばれた証明がほしい。

誰かのたった一人に選ばれたい。


独身の私は自分の言っている「結婚したい」という願望は「プロポーズされたい」のルビが振られているのに婚約直前に気づいた。

私は、プロポーズされることで自分承認欲求を満たしたかったのだ。


当時5年近く付き合って結婚の話も出ているのにプロポーズをしてこない彼(現夫)にちょっとイライラして、

結婚するの?しないの?」と詰め寄った事があるが「そうだね~」と軽く流された。

別に結婚する気がない」って言われたらその場で別れるとかそういうつもりはなかった。

ただ、「結婚する気がない人と付き合ってる」という心の準備が必要からはっきりしてほしかった。

彼にもそう伝えたが、今思えば強がりウソと思われていたかもしれない。


でも、結婚する気がある彼と付き合っていてプロポーズされないのと、結婚する気がない彼からプロポーズされない

のでは天と地ほどに差がある。

そもそも誰も選ぶ気がないのであれば選ばれないのも当然で、自分に否があるわけじゃない。

自分だけ誰からも選ばれなくても言い訳ができる。

結局彼は誰かを選びたい人だったので、うだうだ待つのもめんどくさいからと半ば強引に入籍したのだ。

(選ぶ選ばない、という言葉を使っているがそれは私が結婚に対して「承認欲求をみたしたい」という願望が

あったためで、決して結婚は男が女を選んでするものだなんて思っていないことは付け加えておく。)


仕事趣味で認められていたら彼に「結婚は?」詰め寄ることもなかったかもしれない。

けれど、仕事能力も並で特別「私でなければならないこと」はなかったし、趣味ほとんど無趣味に近いし趣味の友人なんていなかった。

その点、結婚日本では1人としかできない。彼が選ぶのはたった一人。

から結婚たかった。


要は私は承認欲求が満たされれば結婚しなくても良かったのだ。


それが自分の中で分かった時、すごく楽になった。スッキリした。

すでに結婚は決まっていたし後悔もしていなかったけど、なんだか「な~んだ、私、誰かに認められたかったのか」と

自分の中にあったドロドロとした焦りの正体が分かって晴れやかな気持ちだった。


そこで周りを見渡してみると「結婚したい」と酒を飲み、酔っている友人たち。

彼女たちはなんで結婚したいんだろう。

軽い気持ちで聞いてみるとざっくりと「いい歳だから」「子供が欲しい」「親を安心させたい」というような理由が多いようだ。


いい歳、と言うけれど晩婚化が話題になっているし60代で初婚という話も最近割とよく聞く気がする。

そもそもいい歳、というと結婚しても専業主婦になる女性が少なくなっている現代。働き続ける女性にとって

いわゆる結婚適齢期というのは仕事にとっても「いい歳」だ。


結婚すると女性はい妊娠し育休に入るかずっと上司たちに気にされ続ける。

最近よく記事で読むような「結婚して子供を産んでも変わらずキャリアを積んでいます」という美談

あんなのほとんどの会社では叶えられない。

一応私は大手企業に属しているが組合が強く、女性社員の活躍がうたわれており組合が強いだけあって実際色んな制度も充実している。

だが、女性管理職は少なく、その中で既婚の女性管理職もっと少ない、

さらに言えば子供がいる女性管理職はいない。

でも、結婚している人や子供を産んだ一般女性社員は山のようにいる。

彼女たちは結婚し、子供ができれば産休・育休をとり、子供が小さければ時短勤務だ。

仕事だってそれなりにできる彼女たち。未婚の管理職と同じくらいの年数働いているのに管理職はこの中にはいない。

この現実をみてると、仕事を頑張りたい・いつか管理職になりたいという女性社員にとっては結婚は足かせなのではないかと思ってしまう。


子供だって自分自身の覚悟があり、きちんと将来的に子供を納得させられる理由があれば未婚の母を選択して育てることは十分可能なのではないだろうか。

両親揃っていることが好ましい、そりゃ1人を人間を1人で育てるよりも誰かと分かち合った方が楽だし、子供にとっても頼れる相手が1人でも多い方が幸せだろう。

だけど、その分かち合う相手子供が頼る相手結婚相手じゃなくてもよいのではないだろうか。

自分の親兄弟でもいいし、信頼できる親友だっていいんじゃないかな。

同じような考えの人達でも良いかもしれない。

血がつながってなくてはいけない理由も、同じ戸籍に入ってなければいけない理由もない。


ただ、親を安心させたい気持ちはよく分かる。

親に花嫁姿見せたいよね、一生添い遂げるパートナーを紹介して安心して老後過ごしてもらいたいよね。

本当によく分かる。

世代祖父世代は、子供結婚するということに大変な安心感を覚えるのは自分の両親を見ていてわかった。

本当に子供から手が離れた瞬間だったんだと思う。自分以上に両親が幸せそうだった。

でもそれは、それ以外のことでカバーできると思う。

子供が本当に不幸でないことが、親にとって1番必要なことで、それには結婚絶対条件ではない。

結婚しても不幸になるし、しなくても不幸になる。

結婚という要素の1つだけが、その人の人生幸せ全てを左右するものではないと思う。


でも、結婚しないという生き方には結構勇気がいる。


いまだに男女ともに「結婚して一人前」という意識が根強い社会だ。

ずっと「結婚したいと思わないの?」とか「なんで結婚しないの?」という質問を受け続けるし、そのうちそんな質問もされなくなって周囲の結婚話題の際に気まずい空気を作り出す原因になるかもしれない。


それに、年老いからの1人はなかなか大変だろう。

結婚していればお互いでどうにか助け合えるかもしれないし、子供がいれば施設に入れるくらいしてくれるかもしれない。

でも1人だと、全部自分でやらなければいけない。

ならいい、若いうちなら体調が悪ければ病院に1人で行けるし、病状もうまく説明できるだろう。

施設だって自分希望にあった場所を探しせるし、空きがなければ他の施設も探せるだろう。

けれど、老い私たちに優しくない。

自分だけで移動できる距離時間は限られてくるし、病状もうまく言葉が出てこないせいでうまく伝えられない。

運良く施設を見つけられても、諸々の手続き老い自分が1人でできるだろうか。


なにより、死んだ後だ。

運が良ければ病院死ねるだろう。

けど、死んだらその入院はいつ誰がはらってくれるんだろう。

火葬や納骨の手続きは死んだ自分にはできない。

誰かを頼らなざるを得ないときがくる。


でも、社会とのすり合わせも、老後も自分が納得・始末できればそれでいいんじゃないだろうか。

1人で生きていくと決めたなら早め早めに準備すればいいだけだ。

元気なうちに色々準備してしまえばいい。

自分のことだけでいいんだから比較的身軽なはずだ。


私は結婚を後悔なんてしたことありません!なんてきれいごと絶対に言えない。週に3回は後悔してる。

お金スケジュール自分ひとりの判断では決められなくなったし、別にこっちは気にしてないのに「夜の飲み会旦那さんに悪いから」という気遣いで呼ばれなくなった集まりもある。


反対に結婚していないとできないことってとっても少ない。

生活ほとんどは、ひとりの方が都合がいい。

そんなの分かっていて、わざわざ他人との人生を選ぶ。

世の中には私も含めて物好きが多いな。


結婚はただの契約だ。

婚姻届をもって他人家族になります裏切りません。相手人生にも責任を持ちます

という内容の契約


そして、結婚呪いだ。

ひとりでも楽しく生きていける時代なのに、男女ともに結婚をしていないと一人前に扱われない。

結婚していないと性格に難があるんじゃないか邪推される。

結婚じゃないと承認欲求が満たされない。

どんどん結婚という言葉人生を縛られていく。


から言いたい。


いいんだよ、結婚なんかしなくて。

結婚はうまくいけば確かに幸せだ。

けれど、それはひとりでいたら得られる幸せを捨てることだ。


どっちの幸せを捨てるか。

それを選ぶ自由が、現代では生まれつつある。

前述したように、まだまだ結婚したら一人前という社会ではあるけれども、若い子たちはそうでもないんじゃないだろうか。

これから私達が生きるのは未来だ。口うるさい人たちはきっと私達より先に死ぬ


そう思えば、どちらの幸せを選んだっていい。

ひとりの生活楽しいなら、結婚なんかしなくてもいい。

誰かのために」なら、結婚なんかしなくてもいい。


それが選べる友人たちが少しうらやましい。

2018-04-09

anond:20180409020952

難しく考えすぎでは

誰かのために命を捨てていい境地に至ったのは子供を産んで初めての事だったし

2018-04-07

「産めない男」の代替行為

ふと思ったことをダラダラ書いた駄文であるから

もし読む人がいるとしたらそういうつもりで読んでいただきたい。

あと多分だけど妊娠中の人は読まない方がよいと思う。

通勤電車に乗りながら「贖罪」について考えていて、

要するにsacrificeである

要するにというかそのままなんですが。

誰かのために死ぬことです。自己犠牲のことです。

で、この自己犠牲というのはとても男性的というか、逆に女性的というか、

女性の体の仕組みとして実に自己犠牲であるのかなと思ったというのは、

要するに(時に命を賭して)子供を産むということです。

種を生かすための仕組みが個体を殺すことがあるってどうなんだろ。

で、その仕組みを体に持たない男性主語が非常に大きいがここはあくまで体の仕組みのあるなしの話なのでご容赦いただきたいし、女性であるがそういう仕組みがそもそもない、あるいはもはやない人についてははしょらせていただきたいし、あとそんな難しく考えられない)は、なんというか反動的女性性に対してそういったものを求めてしまいがちなのかなと思ったわけです。

んでこう、求めるというのは押し付けがちということなんですけど、

まぁ三歩下がってなんたらとかね、奥さんは家に入ってなんたらとかね、

特に日本ありがちなんだろうかこう(他の国を知らないだけだが)、

女性に対して自己犠牲を強いるというのはつまりそういうことなのかなぁと思ったわけだが、

基本それは女の人が我慢してるわけじゃん、いやいややってるわけですよね。

でもなんかそういったことを強いる側の人間

まり自己犠牲の仕組みを持たない男」は、

そういう女性の行動について「愛情かな?」みたく思ってんじゃねーのかと思ったわけです。

(思ってるのかな? と思う理由も考えたりしたけどはしょります

しかもそれは尊い、すげぇ尊いと「自己〜略〜男」は多分思ってて、

愛情だと思ってるから女の人が我慢してるなんて全然思ってないか

(そぶりを見せてもそぶりだけだと思ってて)

なんかもうそれでよし! ウィンウィン! とか思ってんじゃないかと思ってて。

で、これが一番言いたいんだけど、

その「尊さ」に憧れるあまり気持ちの具現化がつまり切腹」なのかなって思ったんですよ。

あれはつまり自分の腹に「女性器」のようなものをつくって、

そこからピンキーなのをドバドバと、つまり「産む」ことの模倣なのかなって。

憧れるあまり「それになりたい」と、

自己犠牲の仕組みを持たない男」が「自己犠牲の仕組み」を、

無理やり自分の体に作り出す行為なのかなって。

なんか男ってバカだな…と思いました。朝の通勤電車で。

おしまい


【番外編】先回りのQ&A(という形式自分対話

Q.切腹なんてしたくてしてたやつがいると思う?

A.いないと思います

いないとは思うけど「やんなきゃいけない! おれ死なないといけなくなった!」てなった時に、

じゃあどういう形で死にますかっていろいろあったうえであの形になっているのは、

なにかしらの意味というか理由というか紆余曲折があってのあれなのかなと思うと、

そこにあてはまる話が今回書いたようなことなのかなと思いました。

思っただけだから特に調べたりとかしてない。

Q.なぜ「産む」行為が「死」に直結する行為になる?

A.死なないと「自己犠牲」にはならないからねぇ。

この場合自己〜略〜男」にとって「自己〜略〜女」は、

「産める生物」というよりも「自己犠牲できる生物」という点で憧れの対象ということでは。

となると逆に「産む仕組みを持った生物」としての女性について、

「産む仕組みを持たない生物であるところの男性が、

そもそも憧れているのか? どう思っているのかもわからないけど、

どういうふうに感じていて、それをどう表現しているのか、

というのは考えてみるのもおもしろいでしょうな。全然思いつかないけど。

単純に「神様」に昇華してんのかな、やっぱり。

となるとそこで「生」と「死」が繋がるわけかね。知らんけど。

2018-03-30

わたしカメレオン

ファンタジックな内容でもなく自分語り愚痴暗いです。

こういう人間もいるんだよ的な。

わたしカメレオン

基本誰にでも合わせられる

その人が求めてるものがわかるから、その人の前ではそういう自分になる

年上の前では妹キャラ

年下の前では姉キャラ

うるさい子の前では話聞くキャラ

おとなしい人たちが集まると率先して明るい元気キャラをやる

キャラは作ってる訳ではなく

ただ自分の中に妹も姉も話聞くキャラも元気キャラ10%ずつ持っていて

それをただ増幅させてる感覚に近い

から嘘のわたしじゃない

自分の周りにいる人のことはすきだ

からその人の通りにしてあげたいとおもう

これは別に誰かのためになってるわたしドヤでもなく、そうしないと嫌われるとかそんな恐怖でもなく

(昔はそれあったからまだ残っているのかな)

その人への思いやりだと思っている

この人今話聞いてほしいんだなと思うと聞いてあげたい。偽善なんだろうか。

わたしの周りにはいろんな人がいて

それぞれ凹んでるところも素敵なところもあって

不器用なところがいとおしかったりもして

ちいさな子も同い年も年上も一回りくらい上もいろんな人間が周りにいてくれてすごく楽しい

愛されているほうではあるとおもう。

こうやって自己肯定感みたいなのをみんなに貰った。親とか幼少期にはなかったもの

優劣は特につけてない。

それぞれ平等にすき。

いろんなコミュニティにいられてほんとうにしあわせ。

多いときは週に3回くらい飲みに行く。

それでもすこし

胸がちくりと痛む日々が続いて

もっと我儘を言いたい

言ってないわけじゃない

思ってることは割とすぐ言うようにしているし

不満はなるべく溜め込まないようにする

妹キャラときは甘えただったりもする

でもそれはわたしのほんとに甘えたいことではない

わたしのほんとに言いたい我儘は

もっとほんとのわたしを見てほしいってことなのかな

男の人といて

この人わたしのことすきなのかな、狙ってたりとかすんのかな

と思うと、性的気持ち悪いと同時に

わたしの表面に惹かれているんだなと思うと悲しくなって拒絶してしま

向こうからしたらえ!?て感じなんだろうけど。

付き合ったことはあるけど

今思えば全部合わせていたな

セックスデートもいっしょに部屋にいてもわたしと向き合ってくれてたのかな

いつも一方的に言われるだけだった

そんな日々が過ぎて、

いつしかだいすきなのに周りにイライラする

表面的なわたししか

あなたに合わせたわたししかあなたは知らないだろと言いたくなる

たまにイライラもする

あなた存在しているだけで

こういう人に合わせてしまうようなわたしみたいな人間には負担なんだよ、と

どうしてそんな自己中に生きていられるの

言わないわたしが悪いとは思う

でも、わかろうとしてほしい

みんな解決してくれようとはする

だって聞いてくれる

でもわたしのことをわかろうとはしてくれない

もっと話したい

あなたが何を考えているか

どんなものがすきでどんなものが嫌いで

知りたい、知ってほしい

向き合ってほしい

話し合いたい。

甘えられない

ほんとうに辛いことは話さな

話せないのか。話さないのか。

話したらきっと聞いてくれるんだろう

けどそれは、わたしに寄り添ったものじゃなくてみんなそれぞれの思う解決方法

そんなものいらないから言いたくない

けど言わなかったら言わなかったで

頼ってくれないのは悲しいって顔をされる

それはそれで悲しい。じゃあどーすりゃいいんだよ。

結構しんどいんだな。日々。

みんなのことすきだからこそ、つらいのかな。

じゃあカメレオンやめりゃいいじゃん、と自分でも思うのだが難しい

勝手にやりたくてやってるのにそれでストレス溜めるとかおかど違いだしバカみたいだね

わたしコミュ障ではない。

しろコミュ力はかなり高い部類だと思う

それでもこうして辛かったりもするんだよ。

贅沢な悩みだな。ごめんなさい。

にたような人といっしょにいるととても楽だったりもする

長くてすみません。読んでくれた人ありがとう

2018-03-29

T.M.Revolutionの「HIGH PRESSURE」を空で歌おうとするといつのまにか「Get Wild」になってしま

多分こんなの俺だけだと思うんだけどすごくもやもやしている。

試しに一回鼻歌歌詞を書き起こしてやる

カラダを夏にして カゲキに最高

夏を制するものけが

恋を制する もう覚悟を決めちゃって

せめて前向きに生きたいと

夜型の生活を変えてる

空調の効き過ぎたこの部屋じゃ

発情を逃していくよ

it's your pain or my pain or somebody's pain

誰かのために生きられるなら…



こんな具合に「Get Wild」に引きずり込まれしまう。

もしやこれはひとりでは解けない愛のパズルなのだろうか?

いやはや

2018-03-09

結婚人生墓場だとも男はATMともいわれている

でもそれをまるで絶対正しいことのように捉えると、この一発当てるのが日に日に難しくなっていく世の中で男は、少なくとも男らしくありたい者は、一体何を希望に、何を努力して生きればよいのだ 正直絶望で死にたくなる

しろいさぎよくATMであることを受け入れて、生命保険自分に数千万価値を出し、死んでも誰かのためになる環境で生きた方がまだ幸せなのでは?

2018-02-26

とりかかっていたことがようやく今できる最終段階をこえた。

なんか、めちゃくちゃ悩んだけど、悩まなくていいことも悩んだ気がするけど、

なんだろう、自分が今一番顔を向けるべき人にちゃんと顔向けできたことが嬉しい。

頑張ろう。あの人たちに恥じないように。あの人たちに悲しい思いをさせないように。

誰かのために頑張れることは、きっと素敵なことだと思うから

2018-02-07

献血に行きたい

一度も献血したことがない

でも昔から献血には興味があった

池袋とか新宿歩いてると、いつも献血の人が立っていて、血が足りてませんって呼びかけてくる

そのたびに献血したいと思っていた

でもなぜか建物に足が向かわな

注射が怖いわけではない

病気持ってないし、いわゆる健康体の私はうってつけの存在ではあると思う

とっても歓迎されて、おかしも食べれて、ゆっくり本を読むことができる環境があるのも知ってる

あと少しで、私が誰かのために役に立つことができる

なぜだろう、なぜだろう

なにが不安なんだろう

行動に移せないのが苛立たしい

2018-02-03

フォロワーや知り合いのことを気にすると絵が描けなくなる

自分世界の中にだけ閉じこもって描かないと描けない。

から出来るだけ多く絵を上げるべきとかツイッターに常駐する方が良いとか

そっちの方が多くの人に見てもらえるのは分かるんだけど

そういう外部からの刺激を全部閉じないと描けない。

誰かのために、人のために、褒めてもらうために、見てもらうために描いた絵は全部スランプになりながら描いてるような・・・

気に入った絵は描けない。

自分のためだけに絵を描きたい。

でも出来上がったものは人に見て欲しいかネットに上げるけど。感想だって来たら嬉しいけど。

二次創作漫画も描くしイベントにも出る。

イベント感想もらうと涙が出るほど嬉しいけど、そのあとはしばらくスランプになる。

人の世界が入ってきちゃうから

絵を描く→絵を上げる→反応を見る→嬉しいけどスランプになる

このループから抜けられない。

たまに、人とコミュニケーションをとるために絵を描くという人がいるけど信じられない。

他人の目があると駄目だどうしても。

からもう本当に描くのが遅いし、いつまでたってもフォロワー数なんて増えないし、でもでもだって・・・

人がいたって誰かに見られたってどんな意見を貰ったってブレずに自分を貫ける人間なら良かったのに

2018-01-16

誰かのために脇役にされること

小学生の頃、私は信じられないほど足が遅かった。体はぽっちゃりぎみ、本を読むのが好きで運動からきしだった。鬼ごっこで逃げきれた試しなどない。中休みに外に出るのが辛くて仕方なかった。

私の通っていた小学校児童数が少なくて、一クラス20人ほど。体育の時間は一人一人が全員の前でやることが多く(実際にその時間をとることが容易だったから)、私には酷く苦痛時間だった。

小学校5年生の体育の授業で、リレー選手を選ぶために、80メートル走を二人組でやることになった。私と走ることになったのは少し知的障害ぎみで援護学級にも通っている体の大きな男の子だった。その子もあまり運動が得意ではなかったと思う。

先生の合図で走り始めて、みんなが私に注目する。それだけで嫌で嫌で仕方ないのに、隣の男の子とほぼ同列で走りながら私はびっくりした。

「〇〇(男の子名前)〜!!がんばれ〜!!」

「すごい〇〇!!勝てるかも!!」

クラスの子達が、目を輝かせて、大きな声で相手男の子応援していた。その中にはなんと、担任先生の姿もあった。ただでさえ動きにくい足が、ずんっと重くなったような気がした。

そのままずるずると遅れていって、結局リレーは負けた。クラスメイトその男の子の周りに集まって、「頑張ったね」「すごいね」と褒めている。担任先生も嬉しそうな顔でその輪の中にいた。

その日のヒーローその男の子だった。私はヒーローをつくるために脇役になった。脇役にさせられた。

家に帰ってから初めて涙が出た。正しく美談であるはずなのに、その輪の中に入れない自分が悲しくて仕方なかった。

先生はきっと、クラスの子達に「弱い子を理解し、応援する素晴らしさ」を教えたかったんだと思う。それでも、その犠牲なる子存在を、もっと意識して欲しかったと思う。

2018-01-13

anond:20180112231046

照れ隠しにやたら謙遜してる(感謝されたいとか)けれど、増田さんは良いことしています

自分お年玉6万も、誰かのためにポンと出してきたんだから

何も言わずお金だけ置いて来てもという気はするけれど、訪問してあげてるほうが、安心感ある。

確実に記録にも残るだろうし(匿名しろ)きっと施設の子達に、いつもより何か+αがあるのではとおもいます

2018-01-02

anond:20180102034119

そうなんですか。人の心を読めるは私の父に対してですからあなたの心は読めないです。

わりといい線まで察することが出来ますが、あなたは予想をはるかに超えているので。

意中の人がいないなら、将来の誰かのために練習たかったんですか。趣味が悪いです。

私も人間なので、耐えられないこともありまして。

2017-12-19

私とゴリラ

家に帰ったらゴリラがいた。

生きているゴリラを見るのは久しぶりだった。

とりあえずバナナを買っていたので一房あげたら懐かれた。

ゴリラは少し震えていた。本来は熱帯に住むので、寒いのは苦手らしい。仕方がないので近所の店に行って、コタツとベッド一式を買った。それ以来、ゴリラは私の部屋に住むようになった。

それから毎晩、私とゴリラは隣り合わせのベッドで眠っている。気持ちよさそうに眠るゴリラ長大なイビキを聞きながら、私は眠れない夜を過ごしている。おかげで寝不足気味だが、不思議と不満はない。

私が仕事から帰ってくると、決まってゴリラコタツでボーッと暖かそうにしている。私が「ただいま」と言うと少し嬉しそうにする。おかえりとは決して言わない。ただ嬉しそうな表情をする。

ゴリラは私が作った食事をとても美味しそうに食べる。コタツの対面に座って夕食を頬張るゴリラを見ていると、二人で暮らしているという実感がある。

ずっと一人で暮らしてきたので、誰かのために食事を作るということがこれほど楽しく満たされるものだということを、私は初めて知った。そのことを教えてくれたゴリラにはとても感謝している。

最近、ベッドに入ってからゴリラについて色々と考えるようになった。どこからやってきたのか、なぜウチに来たのか、そしてどこへ行くのか。

ある日突然家に来たように、また忽然と居なくなってしまうのではないか最近の私はそんなことをよく考える。

もしゴリラがいなくなってしまったら、私はどうなるのだろう。

ある日、仕事から帰ると、コタツはもぬけの殻で、部屋のどこを探してもゴリラはいない。一緒に暮らしていた痕跡さえ見つからない。私はとても悲しむだろう。

そして一人暮らしに戻った私は、しかしもう以前の私ではない。ゴリラとの、あの満ち足りた日々を過ごしたことのある私なのだ

一人になった私はきっと、その寂しさに耐えかねて一緒に夕食を食べてくれるものを探すだろう。

それが今度は孔雀であれ、キリンであれ、またはただの人間であっても、私はゴリラ暮らしていた時と同じように、帰宅して「ただいま」と言い、夕食を作る。そして心が満たされる。

それが、私とゴリラが確かに暮らしていた証拠になるのだ。ゴリラがいなくなっても、私の心の中にゴリラは確かに存在しつづけるのだろう。きっとそうに違いない。

ただ、願うことなら、このゴリラがずっと家にいてくれればいいのに、と思っている。

眠れない夜に、隣のベッドから聞こえる大きなイビキを聞きながら、そんなことを考えている。

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