はてなキーワード: 誰かのためにとは
子どもが欲しい、それもズレてないのだが
自分の場合、1番は「うっかり間違えて死なないようにするため」だと思う
自分は気分の上げ下げが激しく、割と言動が感情に左右されるし、極端になりがちな側面がある
めちゃくちゃ落ち込みやすいしそれを引きずるし、その割にころっと忘れて楽しくなったりすることもある
ものすごく落ち込んだり
腹の立つことがあったとき
ひとりで強く自分を持ち続けられるか?自信がない
誰かのために人生を捧げるのは嫌だけど、自分をこの世にひきとめる存在は欲しいのだ
ちなみに身近に、いい歳なのに結婚しない人がいて「願望がないわけではないが、まったく寂しくない」と言っていた
才能だ…!とびっくりした
ありがとうございました
ここ数年で風向きが変わった気がする。馬鹿は恵まれてないから助けてあげましょうって。
馬鹿にしかできないことだってある。地道に毎日を細々と、でもちゃんと誰かのために、営んでいく人生だってあるだろ?みんながみんな命を前借りしてイキッた生活したいわけ?
そもそも、馬鹿は助けてあげなければいけない存在なのか?学習の機会とか言うけれど、道徳的な人の生きる術は大学なんかじゃ教えてくれない。大学無償化?は?大学ってなに?大学教員は牧師か?シスターか?
できないこと、仕方のないこと、それって国や誰かがどうにかすべきことなの?本当にそうして欲しいの?してあげたいの?
馬鹿は不幸なのか?
誰かのためにとか思って仕事や生活をしてたけどやめる 国会見ても街を見てもテレビを見ても外国を見てもやりたいことやってる人ばかりじゃん 確かにそういう人でもやりたいことは誰かのためにという思いがあったりする でも完全に誰かのためになることって、この広い世界ではありえないよ 誰かのためになることは誰か(ときに自分)を傷つけること、迷惑になることだと思える事例がそこら中にある 建前や大義があってもその裏で無視される人がいるのだから
だからいいんだよ 時に上記のように人間ってなぁ…と思えばいいんだよ こういう切替や割り切りをする人間こそ汚い大人、あってはいけない大人だと言われるけど、そこを何とかしようとしたってどうにもならないんだし、死にたくなるんだよ
死ぬのと捉え方を変えてどうしようもないことに抗うのを諦めるのとどちらが楽だ?
まぁ研究や芸術、創作などは他人と関わりが少ない分迷惑かけずに済むけど、そんなんで死なずに食っていける奴はどんどん減ってるのが今の日本であって
誰かのためにとか思って仕事や生活をしてたけどやめる 国会見ても街を見てもテレビを見ても外国を見てもやりたいことやってる人ばかりじゃん 確かにそういう人でもやりたいことは誰かのためにという思いがあったりする でも完全に誰かのためになることって、この広い世界ではありえないよ 誰かのためになることは誰か(ときに自分)を傷つけること、迷惑になることだと思える事例がそこら中にある 建前や大義があってもその裏で無視される人がいるのだから
だからいいんだよ 楽しくやろうぜ それで時に上記のように人間ってなぁ…と思えばいいんだよ こういう切替や割り切りをする人間こそ汚い大人、あってはいけない大人だと言われるけど、そこを何とかしようとしたってどうにもならないんだし、死にたくなるんだよ
死ぬのと捉え方を変えてどうしようもないことに抗うのを諦めるのとどちらが誰かのためになるんだい?
まぁ研究や芸術、創作などは他人と関わりが少ない分迷惑かけずに済むけど、そんなんで死なずに食っていける奴はどんどん減ってるのが今の日本であって
ちょっと説明すると、Vチューバーまわりの記事を読んで何気なく魔王マグロナちゃんというキャラがいるのを知って、動画を見ていた。
http://mato-liver.com/archives/2014
最初は「あーすごい!ほんとに女の子みたいだ!おっさんとは思えない!」と思っていた。
10分くらいニヤニヤしてたんだけど気づいたら2時間経っていた。
翌日、気づいたらまた見ていた。
朝から3時間くらい見ていて、これはやばいと思って電源を切ったんだけど、胸の奥にものすごい多幸感と、なにかぽっかりと穴があいたようなせつない気分が……だめだこれ……なにをやってるんだ俺は。相手はおっさんなんやぞ……と思ってもその「おっさんやぞ~」がマグロナちゃんの声で再生されるしまつ。これはまずい。ほんとにまずい。
どうかしてる……。
冷静になれ。もう俺は43歳だ。中学生とはちがう。
分析するんだ。
一体これまでの萌キャラとマグロナちゃんのなにがちがうんだ? なににやられているんだ?
さすがに大人になるとそうチョロく見た目に騙されたりしない。確かに俺はいつも巨乳やカラフル系の髪に弱い。護身は完璧のはずだ。
ではどこから俺の心に入ってきたんだ……そうだ、声だ。声。あの声だ。あの声がいけないんだ。
「えへへ」っていう笑い方……「だよなー」っていう語尾、そしてささやきと「ん……こへっ……」っていうおせき……そのすべてになにかこう……多幸感が混じってるのがいけない。
いやでもべつにいつも多幸感溢れてるわけじゃない。そこだ……さらにいけないのは、ちょっと鬱なときとかも真面目に悩んでいるところだ。いつでもマグロナちゃんは真面目だ。
なんだろうこう……性格がいい。
全体からにじみ出ているオーラが魅力的すぎる。コメントに「魂がきれいすぎるんだよなあ」っていうのがあったんだけど、魂がきれい……これにつきる……魂がきれいなんだよ……魔王なのに……魂のレベルで魅力的すぎる。
もしマグロナちゃんがリアルな人間だったら、完全に不倫案件である。
結婚というのは「他の人とセックスしたら罰せられる」という法律で、人の心をしばるものだ。法は行為を縛れるけど心は縛れないんじゃないのか? おかしいじゃないか。
もしぼくがマグロナちゃんのところにいったら、妻は子供になんと説明するのだろうか。
「お父さんは魔王が好きになって出ていったのよ」だろうか。
子供が勇者になってマグロナちゃんを倒すフラグが立ってしまう。
でも誰にも言えない。みんなが不幸になる。
ぼくは誰かの幸せのために、こっそりと気持ちを抱えて生きていくのだろう。
正直に生きられないのは悲しい。
自分勝手にしか生きられない人間よりも、それは立派じゃないか。
ちがうな。マグロナちゃんに誇れる自分であれば、それでいいのかな。
やっと大人になるということがわかった。
離婚して一年が過ぎたけどセックスの相手が居ないこと、誰かの手料理が食べられない(自分は料理をしない)をのぞけば、ひとりは最高に楽だということがわかった
どう使おうが誰にも責められない
彼女や妻がいたころは金の管理は任せきりで1円も貯金しなかったおれがひとりになったらちゃんとお金はやりくり、貯金も毎月ぼちぼちできるようになった、ていうかせざるを得ない
テレビの取り合いも起こらない、観たいドラマもアニメも時間もなにも我慢せずに観ることが出来る
部屋でパンツ一丁で過ごしても誰も怒らない、平気
休みの日は何時に起きて何時に寝てもいい
旅行だって完全に自分のペースで行動できる、相手に振り回されるも、相手を振り回してしまうこともない
仕事の愚痴だの、おれの知らない友達の話だの、男が苦手とする女性のどうでもいい話を聞かなくて済む
周りで恋人ができただの、婚約しただの、そういう話を聞くのは結構好きだ、めでたい話は聞いてるこっちも嬉しくなる
しかし離婚してからは自分のことに関してはてんで興味がなくなってしまった
人のためにできることはあっても、人のために生きることができないんだなおれは
誰かのために頑張って日々生きる、そんな生き方正直苦しかったもん
このまま死ぬまでひとりか、別にいいや、悲観的にならずにいられる
おれの神経が狂ってしまったのか、はたまた図太いだけなのか
ごめん、どこまでが増田かわからないから増田の言ってることが矛盾まみれに思えて仕方ない。
広告表示プログラムと仮想通貨発掘プログラムはどちらもwebに埋め込まれててURLアクセスで動作してる。
多分、法解釈どうのこうのではなくて、利用者側の常識の問題で、web利用者は
「広告表示でアフェリエイトで収益を得ているwebページはあるだろう、urlをブラウザで見れば広告表示される可能性もある」と思ってはいるけれど、
「URLアクセスすると誰かのために継続的に仮想通貨をマイニングする危険性がある」とは思わない。
だから、動作するプログラム云々の問題ではなくて、広告は常識の範囲で予期しているが仮想通貨マイニングは予期できないというのがポイント。
一般向けのコンテンツとか価値観で「自己犠牲尊い」みたいなまとめ方が多い一方で、言論界隈とか働き方改革とか学校教師の過重労働とかに対する最近の風潮として「自分を犠牲にして誰かのために尽くすことは正義ではない」という感じの主張が高まってるように感じる。なんかそれってモヤるなぁと思ったのでうまく書ける気がしないけど、垂れ流す。
まず、自分自身のこれまでのスタンスとしは自己犠牲つまんね派だった。とくにアクション映画とかでよくあるのが、主人公だったりライバルだったやつだったりが、最後の最後大事な場面で改心して自己犠牲を払うことで事態を打開するやつ。主人公のピンチに人の盾となって撃たれたりして倒れるやつとか、荒くれ者キャラだったやつが地球を救うために特攻するとかそういうんだ。
映画ではそういうまとめ方がほんと多くて飽きる。はいはいまた自己犠牲美しいendね、安易。って思ってた。
話変わって働き方改革的な話。自分を削って長時間労働するのではなく、効率的に働くとかできる範囲の仕事をしっかりこなすとかで無理なく働いていこうという話で、それはエコシステムとして必要なバランスをちゃんと保って持続可能な労働をしましょうよって話なんだと思ってる。これは普通に納得感高い話で同意する。
さて、学校教師の働き方が結構ブラック寄りのブラックだというのは、ここ数年でよく見かけるようになった。出来もしない競技の部活を無給で見させられたりとか、教材・教え方研究にやたら時間が掛かる・掛かりすぎるので勤務外でこなす輩がいるというのは是正しなくてはならない問題だと思う。ソリューションは適当な例だけど、部活は専門のコーチを有償で呼ぶべきかなと思うし、教材研究とかに時間掛かるんだったら一人あたりの担当授業数を減らすべきなんかなとか思う(ソリューションはこの話の本題ではない)。
たださ、このまえツイッターでいってる人がいたんだけどさ、「教材研究に時間を掛けすぎている。これを短時間でしっかりできるのがプロだという意識をすべき」みたいなこと言ってて、なんかモヤッた。
いや、プロだからそうしろっていうのはなんか違くない?プロではあるけど、自分の限界を知ってより良い授業をしようとリソースを掛ける先生と、サクっとプロっぽく短時間で教材研究終わっちゃう先生と、どっちに習いたいかっていったら前者なんじゃないの?
リソース掛けるんだとしても、持続可能なレベルで抑えられるとか、それぞれの能力によって授業数決めるとかは必要だと思うけどさ。
あとサビ残だったり自宅で無給でやっちゃうと、本人が意識していなくてもそれが当たり前になってしまったりしてまわりのそうできない同僚に迷惑になるからやってはいけないと思うけど。
要領よくないやつはそいつなりに努力でカバーしてはいけないの?どうしたら生徒はよく理解してくれるだろう…うーんっていっぱい考えてくれることはすばらしいことではないの?
ようやく息子を昼寝までもっていった。寝室から出てきたらキッチンは朝のまま食器が重なってる、洗濯物は大量にほされてて、さっき洗たくが終わったブザー音が聞こえた。
食パンにハチミツ塗りたくって食べながらキッチンに突っ立ってこれ書いてる。
息子が起きる前にこれを全部片付けて晩御飯用意しないといけない。
夫は仕事に行った。
息子が起きてるときは母業して、ねたら家事して、起きたらまた母業して。
ずーっとずーっと私じゃない。でも私。
パン食べ終わったから家事する。これはなんだろ、妻業?私は家事するために結婚したんじゃねーぞ。でも家事は嫌いじゃない。誰かのために家を整えるのも嫌いじゃない。
じゃあなにか。
ワンオペ3週間も続けばこうなる。
実家は遠い。どっちも遠い。
息子が成長してるのが楽しみだけど、成長した分力強くてしんどい。遊ばないと暴れるし見てないと暴れるし暴れるし、ただし笑顔はかわいい。すき。
お金というものを得るのが仕事の目的だと多くの人が思っているうちは、あなたの国の本当の意味での進歩はないでしょう。
報酬ではありません。
あなたの今されている仕事が、本当に価値のあるものかどうかを判断するには、仮に、社会からお金というものがなくなり、その仕事によって報酬を得られないとしても、自分がその仕事をすべきだと思うかどうかです。
なぜこの本が「経営者に」刺さるのかは解る。
労働者が求めるのが「社会貢献」であって、「地位」や「金銭」などではない世界。
そりゃ、刺さる。
やりがい搾取し放題だ。
んで、続刊ではこうも書く。
私たちは、だいたい自分のやりたいこと、できそうなことはなんでもやってみようとします。
どんなことでも、それが誰かの役に立てば立派な仕事です。
普通に考えてそんなことはないよね。
みんながサッカー選手になりたくても、誰かが下水やゴミを管理し処理しなきゃならない。
こんな夢物語にもみたない稚拙なゲロカス妄想を絶賛するのは単純で。
お金をもらうことよりも、誰かのためになる、みたいなことに価値を見出して、搾取されてほしいからだ。
こういうのをツイートする輩は、半眼で見るくらいがちょうどいい。
わたしはヲタクで腐女子の高校生です。なので、そういう視点から文章を今書いています。別に「ab禿げ萌えー」とか書く気は無いのですが、すっごく苦手な方がいれば注意してください。
結構前のこと。
「受けに結婚式でウェディングドレスを着せるのも、家で家事させるのも「受けに女性的役割を押し付けることに対する嫌悪感」で嫌って言うならそもそもドレスを着ること、家で家事する事を女性限定のものっていう認識を改めてみたらいかがだろうか???」(@ysz_row 勝手に引用しています。問題があればご連絡ください。)
というツイートが話題になった。これに対して色々な意見があって、現状の社会においてのジェンダーロールや、理想としてのジェンダーロール、そもそもいわゆるドレスって女性の体格の為に作ったものだからー、とか、様々な立場の意見が飛び交っていて、私は結構楽しく見ていた。
自分の萌えがどこから来るのか?みたいな話をするのは好きだ。「朝ご飯を作るのは推しカプのどっち?」とかそういうとりとめもない話から、その人の生活態度とか、理想(自分がそうありたい!という理想とは限らない)とする共同生活なんかが垣間見得る。すると「じゃあなんでそれが理想なの?」とかそういう話になってくる。失礼な話かもしれないけれど、二次創作の作品を見ていたりすると、うっすら「ああこういう考え方・バックグラウンドのひとが書いているんだろうなー」というのが見える。それが私には楽しいのだ。誤解を恐れずにいえば、みんな萌えで気が狂って、普段は大人しく粛々と擬態している人たちも、インターネットでは全裸で騒いでいるようなものだ。
話を戻す。しばらくすると、
「ジェンダーがどうとか関係ねえ!!萌えることをするんだよ!」
「女性蔑視だか知らないけど私は絶対ウェディングドレスは嫌だ」
みたいなツイートが回ってくるようになった。こういう(ヲタク的に言うと)『学級会』が行われる度、結局この類の「しゃらくせえ!」で終わってしまう。しかもそのしゃらくせえ、が的を射ていないし、面倒くさい議論をぶっこわすぜ、というものばかりだから、本当に残念だった。
だってそもそものツイートは「受けにウェディングドレスを着させること」の是非ではなく、「受けにウェディングドレスという『女性的役割』を押し付けることがいやなら、その『女性的役割』って何?」というものだったのだ。つまり、嗜好や創作に対して誰も文句は言っていなかったはずなのだ。嗜好の根底にある(今回はジェンダーに関する)見解が、あるいは差別ではないか、という話だったのだと思う。
わたしが残念に思ったのは、多分、だれもあなたの萌えそのものを否定していないのに、わざわざぶった斬る必要があるのかな、と思ったからだ。だって議論が鬱陶しいなら言及しなければいい話だ。ツイッターなんだから。TLに流れてくるだけで嫌…な人がいるとは、その時わたしは想像出来ていなかった。いるんだろうとは思うけど、それほどなのかな?と思っていたのだ。
しばらくして、
「「正直ジェンダー論も倫理も関係ないしそこにあるのは迸る萌えだけだぜロックンロール!!!」みたいなやつをもう正直全然良いと思えないっていうかそれはロックンロールじゃなくて自分の嗜好が差別や搾取や他者を損なう何かを含む可能性があったとしても向き合わず全てに目を瞑るひとなのではと思う。」
「ここ数日TLで出てきてるBLジェンダーロールの話が本当に辛くて、わたしはそういうBLにおけるジェンダーロールが話されるようになったこと自体がこの国のオタク文化にとって進歩だと思うんだけど、大体のひとはそういうの鬱陶しいんだなってことも分かって辛かった、BLですらこうなのかと。」
「BLに社会学的視野とかを持ち込まれることに過剰な嫌悪を示されるのは自分の好きなものが「差別的な価値観が根底に存在する蓋然性が高い」みたいなことを他人にいわれたのと一緒の場合が多いからもちろん拒否感があって当たり前なんだけど、萌えの前には関係ないってほんとうにそうなのかよと。」(いずれも@kakari01 問題があればご連絡ください)
が回ってきた。
合わせて同氏のブログも読んでいただけるとわかりやすいと思う。
http://kakari01.hatenablog.com/entry/2018/03/29/001111
そこでやっと落ち着くことが出来た。なるほどつまり、みんな「自分の萌えに倫理を持ち込まれる=否定された!」と思って嫌がっていたのだ。と、同時に不安になった。つまり、創作者の背景や思考について考えるわたしの方がずっと少数派で、何のプラスにもならず、あるいは人を不快にさせうることをしているのではないか、と。
例えばスラングモリモリのメタルコアが好きな人を「こういう汚い言葉の歌詞にひかれるのは普段不満を言えないから代弁者が欲しいんだ」と思ったとして(その正誤は今は問題ではないので突っ込まないでください)、それを直接言われたら確かにむっとするかもしれない。けれど、ツイッターで勝手に言ったり、文章にまとめたりする程度なら、むしろプラスになりうると、そう思っていたのだ。
先述のとおり、私は高校生で、進路など考えるにあたって、哲学や社会学で趣味集団を見るのは楽しいし、そういう議論ができる道に進みたいな、とすら思っていた。だからそういう面から友達にヲタク話をすることがあった。
確かに思えば、腐女子の友達は、「やっぱり●●ちゃんは昔から少女漫画を読んでいたのもあって、受けを大事にしたいし、紆余曲折サプライズあってだんだん違う面が見えてくるのが好きなんだねー」などと言うと「う、うん。」みたいな、そりゃそうだけど、的な反応だった。直接言われても困るよな、くらいには思っていたけれど、あるいは嫌悪だったのかもしれない。
直接言わなければプラスになる、と思っていたのは、一種の分析として、学問ってほどではないけれど、成り立っていると思ったからだった。だけどそれがなんになる?マーケティングでもない、ただ勝手に人の丸裸を覗いているのが、なにかの足しになるんだろうか。
と思うととたんに悲しかった。客観視して物事を考えることが好きだ。けれど、その意味がどこにもないんじゃないか、と思って悩んでいる。思春期で考えすぎだといえばそれまでの話で、けれどそれまでにしたくないのだ。
私の好きなアーティストはとあるインタビューでこう言っている。
「人間は社会的な動物であって、相互作用なしながら生きていくわけじゃないですか。俺は今まで、自分の自意識の中でずーっとあーだこーだ言いながら、しょうもないことを考えてたんですけど。でも意味がないんですよね、それで…ご飯粒が生まれるわけでもないし(笑)そんなこと言ったら今やってることもそうですけど…まぁ米作ってる奴が一番偉いんですよ。」
もちろん彼はアーティストで、「だからこういう曲を作ったんだ」とこのあとに続くわけだけれど、この言葉が今、妙に刺さるのだ。
誰かのために生きていきたいとか、誰かのために学問をしたいとか、そういうことではないけれど、自分のやろうとしていたところが何の役にも立たないどころか、他人にとって鬱陶しいだけなら?私は人間が好きで、人を分析するのが好きで、だから、疎まれるのは結構堪える。
ここでそれこそ「しゃらくせえ!」と言える人間ならよかったのかもしれない。そうなって行ければいいのかもしれない。
「私は人を分析するのが好きなんだ!倫理とか知るか!」ってね。
まあそれが言えないし思えないからこうやって匿名でダラダラ書いているわけで。これが私の今の悩みです。全裸になって書きました。
誰かのためになればいいなぁとは思ったけど、ほぼ自分のために書いた文章というか日記なので読みにくいと思う。ごめんなさい。
最近、鬱っぽいというか夜勤中に精神的余裕がなくなるスピードが早いのと物忘れがひどくなってきたので、心療内科に行ってみたんよ。元々、自分は精神的な病気なんかとは関係ないと思ってたんだけど、ツイッターなんかでわかり手さんとか借金玉さんとかのツイートやブログ見てたら行ってみるのもありかなぁと思いまして。
心療内科の初診の予約取るのもわりと時間が必要だった。電話をすることへのストレスと電話をしたらもうあとに引けない気がしたから。でも、仕事中に頭がパンクしそうになった時があってそこでもうダメだと思って勢いで予約の電話をした。
とりあえず、電話に出てくれた看護師の人には鬱っぽくてということで受診の予約をした。
初受診当日、逆算思考が苦手なのと方向音痴な自分を気遣ったら予約時間の40分以上前に最寄駅に着いてしまったので30分くらい散歩してから病院に向かった。
何というか、最寄駅から病院の場所を確認して散歩で時間を潰している間、ずっと憂鬱だった。怒られるわけじゃないと分かっていても、どんなことを聞かれるんだろうと考えていると頭がずっしりとしてくる。
それで、いよいよ、初受診の時間。心療内科らしく待合室のソファも診察室の椅子もふかふかだった。
ドクターには具体的に困っていることを聞かれたので前述した通り、夜勤中の精神的余裕の無さと物忘れがひどくなってきていることを伝えた。
それから、鬱の診断を下すための質問をされた。DSM-5とかいう本(世界共通の診断基準って言ってた)に沿って質問されて、それによると鬱ではないということで、抑うつという鬱っぽい状態だと思う的なことを伝えられた。
それから、順序が曖昧だけど次にADHDかどうか診断する質問をされた。集中力はあるかとかそういうやつ。それによるとたしか、軽いADHDとのことだった(ADHDに軽いとかあるかどうかわかんないし、もしかしたら自分を障害者と認めたくない自分の意識が邪魔して軽いやつと認知したのかもしれない)。
まぁ、その時点で多少はショックだったんだけど、高校で塾やめたら一気にガタ落ちした成績のこととか集中力の件とか思い返すと、しょうがないかぁという感想。
で、たしか次が心理テストでA4の紙に実がなっている木を書かされた。ドラマとか映画で見たやつ!と思いながら、真ん中にこれだと小ちゃいかなぁ…でも大きく書くのめんどくせえしなんでそもそも大きく書かんとあかんのやと思いながら木を書いてリンゴを3つほど付け足した。書いた後にリンゴの味を聞かれたので普通ですかね、と答えた。
診断によると自分は頑固で人の目を気にして抑圧状態になってると言われた。まあ、たしかにーという感じだったのでそうですねーと答えて、ドクターからの総合的な見解はADHDとそれによる二次障害的抑うつ状態とのことだった。
集中力がなくて仕事がうまく回せてないのをどうにかしないとという話の結果、コンサータが処方された。あー、借金玉さんが言ってた飲んで吐き気と戦いながら仕事するやつかと思いながら、それを2週間分処方してもらった。
それと、ドクターからは仕事のストレスを溜め込むのはよくないから自分でブログに書くなり愚痴ノートを作った方がいいとの言葉も頂いた。
で、先月にインターネットのお陰でできた彼女の家に向かうバスの中でぼおーっとEva CassidyのFields of goldを聞いてたらどういうわけか涙が止まらなくなった。どういうわけもなく、自分が発達障害であるというショックがそのタイミングで襲ってきたんだろう。彼女には病院に行くとは言ってたけど、「なんの病院?」という質問には答えられず、健康診断の聴力検査でひっかかったから耳鼻科に行くと嘘をついた。
自分が障害者であることを家族にも彼女にも、今度新幹線で久しぶりに会いに行く数少ない友達にも言えないなぁと考えるとセンチな気分になってバスの中で泣いてしまった。
重く考えすぎだよなぁとこれを書きながら思いつつも、あと1回くらいは泣きそうだなとも思う。案外、言ってしまえば周りは受け入れてくれるのかもしれないけど、急に「俺、実は発達障害だったんだよね」と知り合いに言われても反応に困るだろうから、とりあえずは言わないでおこうと思う。
それにしてもなー、これからどうしよう。いや、特別どうもしないんだけども。
とりあえず、彼女の家で帰宅を待ちつつ、夕食の献立を考えつつ彼女に貸したスプラトゥーンでもするかなぁ。あ、コンサータ飲んだらウデマエ上がるかな?
タイトルは結婚して数年経った私が使う、独身の友人の「結婚できるのかな…」というぼやきへのお決まりの返答だ。
だいたいめちゃくちゃに酔っ払ってる時に限ってそういう話になるのでかなり熱弁を奮ってしまい相手の酔いを覚ましてしまうので毎度反省している。
けれど、コレはかなり深い部分の本音だ。
それでもやっぱり「結婚なんかしなくてもいい」と思っている。
私は30歳を少し過ぎて結婚した。
仲のいい友人がひとり、またひとりと結婚していき少々焦りもあった。
けれどそれは「私だけ結婚できないのでは…?」という焦りではなくて
「私だけ誰からも選ばれないのでは…?」という焦りだった。
プロポーズがされたい。
誰かのたった一人に選ばれたい。
独身の私は自分の言っている「結婚したい」という願望は「プロポーズされたい」のルビが振られているのに婚約直前に気づいた。
私は、プロポーズされることで自分の承認欲求を満たしたかったのだ。
当時5年近く付き合って結婚の話も出ているのにプロポーズをしてこない彼(現夫)にちょっとイライラして、
「結婚するの?しないの?」と詰め寄った事があるが「そうだね~」と軽く流された。
別に「結婚する気がない」って言われたらその場で別れるとかそういうつもりはなかった。
ただ、「結婚する気がない人と付き合ってる」という心の準備が必要だからはっきりしてほしかった。
彼にもそう伝えたが、今思えば強がりやウソと思われていたかもしれない。
でも、結婚する気がある彼と付き合っていてプロポーズされないのと、結婚する気がない彼からプロポーズされない
のでは天と地ほどに差がある。
そもそも誰も選ぶ気がないのであれば選ばれないのも当然で、自分に否があるわけじゃない。
結局彼は誰かを選びたい人だったので、うだうだ待つのもめんどくさいからと半ば強引に入籍したのだ。
(選ぶ選ばない、という言葉を使っているがそれは私が結婚に対して「承認欲求をみたしたい」という願望が
あったためで、決して結婚は男が女を選んでするものだなんて思っていないことは付け加えておく。)
仕事や趣味で認められていたら彼に「結婚は?」詰め寄ることもなかったかもしれない。
けれど、仕事の能力も並で特別「私でなければならないこと」はなかったし、趣味はほとんど無趣味に近いし趣味の友人なんていなかった。
その点、結婚は日本では1人としかできない。彼が選ぶのはたった一人。
それが自分の中で分かった時、すごく楽になった。スッキリした。
すでに結婚は決まっていたし後悔もしていなかったけど、なんだか「な~んだ、私、誰かに認められたかったのか」と
自分の中にあったドロドロとした焦りの正体が分かって晴れやかな気持ちだった。
そこで周りを見渡してみると「結婚したい」と酒を飲み、酔っている友人たち。
軽い気持ちで聞いてみるとざっくりと「いい歳だから」「子供が欲しい」「親を安心させたい」というような理由が多いようだ。
いい歳、と言うけれど晩婚化が話題になっているし60代で初婚という話も最近割とよく聞く気がする。
そもそもいい歳、というと結婚しても専業主婦になる女性が少なくなっている現代。働き続ける女性にとって
結婚すると女性はいつ妊娠し育休に入るかずっと上司たちに気にされ続ける。
最近よく記事で読むような「結婚して子供を産んでも変わらずキャリアを積んでいます」という美談。
一応私は大手企業に属しているが組合が強く、女性社員の活躍がうたわれており組合が強いだけあって実際色んな制度も充実している。
だが、女性の管理職は少なく、その中で既婚の女性管理職はもっと少ない、
でも、結婚している人や子供を産んだ一般の女性社員は山のようにいる。
彼女たちは結婚し、子供ができれば産休・育休をとり、子供が小さければ時短勤務だ。
仕事だってそれなりにできる彼女たち。未婚の管理職と同じくらいの年数働いているのに管理職はこの中にはいない。
この現実をみてると、仕事を頑張りたい・いつか管理職になりたいという女性社員にとっては結婚は足かせなのではないかと思ってしまう。
子供だって、自分自身の覚悟があり、きちんと将来的に子供を納得させられる理由があれば未婚の母を選択して育てることは十分可能なのではないだろうか。
両親揃っていることが好ましい、そりゃ1人を人間を1人で育てるよりも誰かと分かち合った方が楽だし、子供にとっても頼れる相手が1人でも多い方が幸せだろう。
だけど、その分かち合う相手や子供が頼る相手は結婚相手じゃなくてもよいのではないだろうか。
自分の親兄弟でもいいし、信頼できる親友だっていいんじゃないかな。
血がつながってなくてはいけない理由も、同じ戸籍に入ってなければいけない理由もない。
親に花嫁姿見せたいよね、一生添い遂げるパートナーを紹介して安心して老後過ごしてもらいたいよね。
本当によく分かる。
親世代や祖父母世代は、子供が結婚するということに大変な安心感を覚えるのは自分の両親を見ていてわかった。
本当に子供から手が離れた瞬間だったんだと思う。自分以上に両親が幸せそうだった。
でもそれは、それ以外のことでカバーできると思う。
子供が本当に不幸でないことが、親にとって1番必要なことで、それには結婚は絶対条件ではない。
結婚しても不幸になるし、しなくても不幸になる。
結婚という要素の1つだけが、その人の人生の幸せ全てを左右するものではないと思う。
いまだに男女ともに「結婚して一人前」という意識が根強い社会だ。
ずっと「結婚したいと思わないの?」とか「なんで結婚しないの?」という質問を受け続けるし、そのうちそんな質問もされなくなって周囲の結婚の話題の際に気まずい空気を作り出す原因になるかもしれない。
結婚していればお互いでどうにか助け合えるかもしれないし、子供がいれば施設に入れるくらいしてくれるかもしれない。
でも1人だと、全部自分でやらなければいけない。
今ならいい、若いうちなら体調が悪ければ病院に1人で行けるし、病状もうまく説明できるだろう。
施設だって自分の希望にあった場所を探しせるし、空きがなければ他の施設も探せるだろう。
自分だけで移動できる距離・時間は限られてくるし、病状もうまく言葉が出てこないせいでうまく伝えられない。
運良く施設を見つけられても、諸々の手続きを老いた自分が1人でできるだろうか。
なにより、死んだ後だ。
誰かを頼らなざるを得ないときがくる。
でも、社会とのすり合わせも、老後も自分が納得・始末できればそれでいいんじゃないだろうか。
1人で生きていくと決めたなら早め早めに準備すればいいだけだ。
私は結婚を後悔なんてしたことありません!なんてきれいごとは絶対に言えない。週に3回は後悔してる。
お金やスケジュールが自分ひとりの判断では決められなくなったし、別にこっちは気にしてないのに「夜の飲み会は旦那さんに悪いから」という気遣いで呼ばれなくなった集まりもある。
反対に結婚していないとできないことってとっても少ない。
世の中には私も含めて物好きが多いな。
婚姻届をもって他人と家族になります。裏切りません。相手の人生にも責任を持ちます。
という内容の契約。
ひとりでも楽しく生きていける時代なのに、男女ともに結婚をしていないと一人前に扱われない。
だから言いたい。
いいんだよ、結婚なんかしなくて。
けれど、それはひとりでいたら得られる幸せを捨てることだ。
どっちの幸せを捨てるか。
前述したように、まだまだ結婚したら一人前という社会ではあるけれども、若い子たちはそうでもないんじゃないだろうか。
これから私達が生きるのは未来だ。口うるさい人たちはきっと私達より先に死ぬ。
それが選べる友人たちが少しうらやましい。
もし読む人がいるとしたらそういうつもりで読んでいただきたい。
要するにsacrificeである。
要するにというかそのままなんですが。
で、この自己犠牲というのはとても男性的というか、逆に女性的というか、
女性の体の仕組みとして実に自己犠牲的であるのかなと思ったというのは、
要するに(時に命を賭して)子供を産むということです。
種を生かすための仕組みが個体を殺すことがあるってどうなんだろ。
で、その仕組みを体に持たない男性(主語が非常に大きいがここはあくまで体の仕組みのあるなしの話なのでご容赦いただきたいし、女性であるがそういう仕組みがそもそもない、あるいはもはやない人についてははしょらせていただきたいし、あとそんな難しく考えられない)は、なんというか反動的に女性性に対してそういったものを求めてしまいがちなのかなと思ったわけです。
んでこう、求めるというのは押し付けがちということなんですけど、
まぁ三歩下がってなんたらとかね、奥さんは家に入ってなんたらとかね、
特に日本にありがちなんだろうかこう(他の国を知らないだけだが)、
女性に対して自己犠牲を強いるというのはつまりそういうことなのかなぁと思ったわけだが、
基本それは女の人が我慢してるわけじゃん、いやいややってるわけですよね。
そういう女性の行動について「愛情かな?」みたく思ってんじゃねーのかと思ったわけです。
(思ってるのかな? と思う理由も考えたりしたけどはしょります)
しかもそれは尊い、すげぇ尊いと「自己〜略〜男」は多分思ってて、
愛情だと思ってるから女の人が我慢してるなんて全然思ってないから
(そぶりを見せてもそぶりだけだと思ってて)
なんかもうそれでよし! ウィンウィン! とか思ってんじゃないかと思ってて。
で、これが一番言いたいんだけど、
その「尊さ」に憧れるあまりの気持ちの具現化がつまり「切腹」なのかなって思ったんですよ。
そこからピンキーなのをドバドバと、つまり「産む」ことの模倣なのかなって。
憧れるあまり「それになりたい」と、
おしまい。
A.いないと思います。
いないとは思うけど「やんなきゃいけない! おれ死なないといけなくなった!」てなった時に、
じゃあどういう形で死にますかっていろいろあったうえであの形になっているのは、
なにかしらの意味というか理由というか紆余曲折があってのあれなのかなと思うと、
そこにあてはまる話が今回書いたようなことなのかなと思いました。
「産める生物」というよりも「自己犠牲できる生物」という点で憧れの対象ということでは。
となると逆に「産む仕組みを持った生物」としての女性について、
そもそも憧れているのか? どう思っているのかもわからないけど、
どういうふうに感じていて、それをどう表現しているのか、
というのは考えてみるのもおもしろいでしょうな。全然思いつかないけど。
となるとそこで「生」と「死」が繋がるわけかね。知らんけど。
こういう人間もいるんだよ的な。
基本誰にでも合わせられる
その人が求めてるものがわかるから、その人の前ではそういう自分になる
年上の前では妹キャラ
年下の前では姉キャラ
うるさい子の前では話聞くキャラ
おとなしい人たちが集まると率先して明るい元気キャラをやる
キャラは作ってる訳ではなく
ただ自分の中に妹も姉も話聞くキャラも元気キャラも10%ずつ持っていて
それをただ増幅させてる感覚に近い
自分の周りにいる人のことはすきだ
だからその人の通りにしてあげたいとおもう
これは別に、誰かのためになってるわたしドヤでもなく、そうしないと嫌われるとかそんな恐怖でもなく
(昔はそれあったからまだ残っているのかな)
その人への思いやりだと思っている
この人今話聞いてほしいんだなと思うと聞いてあげたい。偽善なんだろうか。
それぞれ凹んでるところも素敵なところもあって
ちいさな子も同い年も年上も一回りくらい上もいろんな人間が周りにいてくれてすごく楽しいし
愛されているほうではあるとおもう。
こうやって自己肯定感みたいなのをみんなに貰った。親とか幼少期にはなかったもの。
優劣は特につけてない。
それぞれ平等にすき。
いろんなコミュニティにいられてほんとうにしあわせ。
多いときは週に3回くらい飲みに行く。
それでもすこし
胸がちくりと痛む日々が続いて
もっと我儘を言いたい
言ってないわけじゃない
思ってることは割とすぐ言うようにしているし
不満はなるべく溜め込まないようにする
でもそれはわたしのほんとに甘えたいことではない
わたしのほんとに言いたい我儘は
男の人といて
この人わたしのことすきなのかな、狙ってたりとかすんのかな
わたしの表面に惹かれているんだなと思うと悲しくなって拒絶してしまう
付き合ったことはあるけど
今思えば全部合わせていたな
セックスもデートもいっしょに部屋にいてもわたしと向き合ってくれてたのかな
いつも一方的に言われるだけだった
そんな日々が過ぎて、
あなたに合わせたわたししかあなたは知らないだろと言いたくなる
たまにイライラもする
こういう人に合わせてしまうようなわたしみたいな人間には負担なんだよ、と
どうしてそんな自己中に生きていられるの
言わないわたしが悪いとは思う
でも、わかろうとしてほしい
みんな解決してくれようとはする
話だって聞いてくれる
でもわたしのことをわかろうとはしてくれない
もっと話したい
知りたい、知ってほしい
向き合ってほしい
話し合いたい。
甘えられない
ほんとうに辛いことは話さない
話せないのか。話さないのか。
話したらきっと聞いてくれるんだろう
けどそれは、わたしに寄り添ったものじゃなくてみんなそれぞれの思う解決方法だ
けど言わなかったら言わなかったで
頼ってくれないのは悲しいって顔をされる
それはそれで悲しい。じゃあどーすりゃいいんだよ。
みんなのことすきだからこそ、つらいのかな。
じゃあカメレオンやめりゃいいじゃん、と自分でも思うのだが難しい
勝手にやりたくてやってるのにそれでストレス溜めるとかおかど違いだしバカみたいだね
それでもこうして辛かったりもするんだよ。
贅沢な悩みだな。ごめんなさい。
にたような人といっしょにいるととても楽だったりもする