はてなキーワード: 親和的とは
このタイミングで年配ロックジャーナリストみたいな人が、周回遅れの音楽等の芸術活動におけるドラッグの効用を高らかに謳いあげていて頭痛がした。勿論、そんな人の発言はその意見に親和的な人しか読まないせいだと思うが、結構賛同を集めていて、本当にどうかしている。大部分は大した作品も残せずに廃人になって、大した作品を残した人だって結構な数ドラッグでドロップアウトする事になっているのにな。
この人は知らんけど、界隈はクラブ営業の話の時「クラブは音楽を楽しむ所で、ドラッグとは無縁」とか言ってなかったか?違法ドラッグはやるけど、住宅街とかでクラブをやらせろ!って言っている人は見かけなかったぞ。
A. フェミニストの一部が女性用施設(女子トイレなど)からのトランスジェンダー女性の排除を主張してトランスジェンダー当事者や残りのフェミニストから猛反発受けてます。
A. トランスジェンダー排除の発想自体は欧米のフェミニズムに元々ある流れっぽいですし、日本語圏のウェブでも細々と論じられてはきたのですが、急に日本語圏のtwitterで流行したのは2018年下半期くらいからでしょうか。
お茶の水女子大学がトランスジェンダー女性の入学を認めたことが引き金になったっぽいですが、最初から議論の流れを追ってるわけではないので正確にはわかりません(調査不足ともいう)。
A. 女性は「女性の身体を持っている」ことで差別され性暴力の被害を受けてきたのだから、身体が男であるトランス女性は女性のための空間に入ってくるべきではない、という主張なようです(一人一派なので色んな主張が入り乱れていますが丁寧に腑分けする気力はない)。トランス女性の方が性暴力に遭う割合が高いという統計があって何度も提示されてるんですが聞く耳はなさげ。
A. 外野が見ている分には論理的にも倫理的にも反排除派の圧勝なんですが、排除派がとっくに論破された論点をゾンビのごとく引っ張り出してきて延々とエコーチェンバーの中で会話してるので一見なかなか決着がつかないように見えています。これ在日差別とか歴史修正主義とかで見たことあるやつだ。
A. トランス排斥派ラディカル・フェミニスト(Trans-Exclusionary Radical Feminist)の略ですが、要するに男性特権とか色々な理屈をつけてトランス女性を排除しようとする一部のフェミニストのことです。
シノドスから記事を削除されてた在米フェミニストの方だけでなく、配偶者を亡くして語学留学中の方、ソラノート炎上ダダ漏れ配信事件の被害者の方、ダサピンクの方、森友学園問題で名を馳せたジャーナリスト氏の性暴力疑惑のステマに巻き込まれた方など、はてなでフェミニストと名乗っていたりフェミニズムに親和的な主張をされている方々の中でも声が大きい人たちが次々と議論に参入していてはてなー的にはオールスター感謝祭です。
さらにははてな出身ではないですが、かつてまなざしライオンとして勇名を馳せた方が熱心な排除派として活動されている辺りも見どころですね。別の大物排除派は猫アイコンだし、ネコ科への熱い風評被害では。
あと、ふだんあれだけ「男性には特権がある」と主張している人たちの一部が「シスジェンダーには特権がある」と言われた途端に発狂してそんな特権ないとか言い出してる光景は見ていて呆れ返ります面白いですね。
A. トランス排除派のやべー発言で打線組んだ(「」内は全て原文ママ)。
1中 「私は女性とはセックスで決まると思っているので、最初から前提が違いますね」
2右 「特にシスヘテ女という表現は、それ自体が、女性を他者化する女性憎悪である。」
4一 「トイレで怖い目にあわされたことない人は全員黙っててよって思う。一大事やねん。人権とかで譲れる話ちゃうよ」
6二 「フェミニズムは生身の人間の血の叫びではじまってんの。暖炉の前でやるナンプレみたいな机上の空論に付き合ってられるか。」
7遊 「T者だけ批判しても、生得的女性の同性愛者はどこまでも女性専用スペースに入ってこれるんだものな。」
8捕 「ヘテロ女性にどのような脅威をもたらすかという一例。」
9投 (性被害経験を語ったトランス女性について)「草むらに引き釣りこまれるだけに終わるのが男の特権だよネ~結局ゴリラ並みの腕力で対抗できるんじゃ~ん」
A. 以下の匿名ダイアリー記事はこの論争と関係したものですね。増田だけでなくはてなブログにも関連エントリが上げられています。
愚痴。
なんか客観的じゃないから法律学は学問じゃないとか言われて納得できねーーーーーー
そりゃ厳密に現実世界とか実態の記述を行うことを目的とするなら(目的の一部とするなら)、客体と主体は分離されざるを得ないだろうし、数学みてーな解釈の余地がない言語でそれを記述するのが一番だー!って話になるだろうな。そういう目的においては、あるいはそういう前提においては、たしかに客観性は大事だろう。というよりも、そういう客観性が保たれる手法を取らなきゃ、そういう出来るだけ実態に近い実態を把握しようなんて試み自体が成立しない。だからこそ、そういう分野においては客観的なエビデンスは大事だ。めちゃ分かる。理解できる。
でも、別にそれだけが学問の目的じゃあないし、そうではない目標を掲げた分野が存在したっていいだろ?例えば俺の思う限りでは法律は国家の道具だし、その道具でどうやって社会を良くするか考えるのが法律学だろう。仮に法律学の目的がそうであるとしたら、必ずしも極めて厳密で客観的な手法が要求されるとは限らないだろ?だってそもそも目的がちげーんだから。客観性が大事なのも結局なんらかの目的が客観性を要請してるだけなんだから。学問は客観的でなければならないなんて定義してしまった時点で数学的な言語で記述できない分野は学問足り得なくなってしまう。でも学問がそうであるべきと決め打つ必然性なんてどこにもねー。ただある目的においてそういう手法が極めて有効だってだけ。百歩譲って法律が仮に学問たり得ないとしても、まさかそれで法律がいらないなんて言うわけじゃないよな???
結局、客観的じゃなければならない、っていう宗教を信じるなら、そりゃ客観的じゃないものは全部だめなものに映るんだろう。そしてそういう宗教の信者になるのは、ある目的においてはすごく大事なことだ。とてもとても大事すぎてそれが本質だと言ってもいいぐらい、大事なことだ。でも、そういう手法がとれない分野とか、そういう手法と親和的じゃない目的もあって、そういうものが必要ないとか学問足り得ないとか言われるとムカつく。その宗教の教義があらゆるときに妥当するって本気で思ってのんかよばーーーーか
でもそういう思い込みこそが彼の原動力の一つかもしれなくて、そういうものの恩恵に絶対に自分もあやかってるから、でもけどでもうーん
アメリカでMGTOW(女に関わらず男だけで楽しくやる的な意味)が流行ってるとかいう記事に
「いいじゃん、MGTOW」みたいな反応が星を集めているが、
ツイッターでハッシュタグ付きで英語のツイート検索すればわかるが、まー女を叩く叩く。
叩く内容も「女は平等でなく特権を求めてるからクソ!」「男女平等にしろと言っといて男に奢らせるからクソ!」「レイプ冤罪で人生台無しに!」「女性専用○○は男性差別!」「女は台所に行ってサンドイッチ作れ!(向こうのスラングで女への煽り)と、Google翻訳と睨めっこした結果大体日本のアンチフェミと同じようなこと言ってた
調べた所、MGTOWはそうやって女を叩き、遠ざけることを示すみたいな言葉らしい。男性中心主義とも非常に親和的。
それを知ったら「別にいいじゃん」とは呑気に言えないだろうな
一番衝撃的だったのは、向こうでは独身高齢女性は猫を飼うというステレオタイプがあるらしく、ぬこ画像が「モテなくて独身確定女乙w」って意味の煽りに使われてること
広義をとれば指すことはある。
しかし「その人固有の性格、人間的特性」くらいの意味であれば、ヤンキーに憧れるとかサッカーを始めるだとかは偶有的属性であり、
それ以前の、アウトローに格好良さを見出したり、競技を通して自己実現しようと思ったりするところまでがそうだろう。
何で「明らかに」なの?
まず、自分ならば老女ものポルノをいくら見せられようがたまたま見てしまおうが、老女を性的に好むようになったりはしない。
他者の観察経験や各種の知見からも、もともと受け手に素地が無い性的欲求を植え付けることは出来ないと考えている。
が、それにあなたが同意しないのならばそこは尊重し「明らか」は撤回する。
しかしそこを措いても、「幼児を性的に意識するから、ロリ漫画を読む」のと外形的に区別は付き難いはずであり、ロリ漫画を読むことで幼児を性的に意識するようになると考える根拠の提出は必要だろう。
(それとも「ロリ漫画を読む奴は、幼児を性的に意識したりする」は影響の因果関係ではなく単なる事実の説明なのだろうか。そうとも読めるが、それならば影響の例として挙げること自体不適当だからそれはないか)
誰もそんな事言ってないんだけど、誰と戦ってるの?
前投稿の冒頭で言ったように、多くのオタクの言う「影響」は「犯罪が増える」といったメディア悪影響論に対する反論として出てきている、ごく狭義のもの。
そしてそういう文脈のなかに割って入ってきて「影響がある」と言ってのけることはつまり、「犯罪増加として顕在化するレベルの悪影響の存在」の肯定となる。(そういう「影響」はないよ、という立場を「いやあるだろ」と否定する以上はね)
もともとアウトローやら競技やらに親和的なやつが創作物の影響で、ヤンキーを好もうが清水次郎長を好もうがサッカーを始めようが野球を始めようが、その観点では「影響」はないと言っていい。(これはショートケーキかチーズケーキかに相当する話)
「その表現物が無ければ起こすはずのなかった逸脱」を起こさせるほどのものがここでいう「影響」であり、その要因となる「その表現物が無ければ起こらなかったはずの性向の変化」が「人格的影響」と呼ぶに値する、そう自分は考える。(これが「奪ってでも手に入れる」とか「甘いもの好かないやつがスイーツ好きに」に相当)
わかりにくいようですまんね。
▼前段
・ネトフェミ=ここでは「学問として体系的にフェミニズムを学んではいないが、フェミニズム的言説に親和的でネットで発言することがある」人。つまり私
・過去のオタク絵騒動についてのスタンスでいけば、のうりんとラノベ表紙については「いやおっぱいしまいなよ」と思う。
明らかに性的な魅力を著しく誇張する狙いのイラストなので、TPOや販売レーベルを考えるべきだと思う。
・碧志摩メグについては絵自体の性的強調よりは海女さんたち本人に嫌われたことが大きいと思う。
たとえば自分が教師だとして、「黒スーツミニスカハイヒール(ちょっと乳首が浮いてるようにも見える)」ないかにも二次元女教師なイラストを職場のPRに使われたら嫌だし、納得するだけの理由が説明されなければ反対すると思う
▼キズナアイについて
・正直Vtuberという文化をよく知らないので絵だけの評価になるが、個人的にはそこまでエロ要素が強いと思わない
・ただ、同時に萌え絵っていうのはそもそも女性への性的視線をはらんで育ってきていることは否定できない
・それゆえ、「萌え絵であること」それ自体に「女性への性的蔑視」と批判されやすい文脈があるとは思う
・なんというか、「刺青を入れてる人は、反社会的であると疑われ怖がられても仕方ない」みたいなことで、「萌え絵を用いる人は女性蔑視を疑われても仕方ない」みたいな。
その感覚が正しいと私は決して思わないが、バイアスのかかりやすい表現形態であり、そこに近年の医大受験をはじめとしたマジモンの女性蔑視案件が絡んで批判が吹き出したのではないか
・おそらく女性だからというよりは「若者よりの(オタク)カルチャー」のアイコンとして選ばれていると思う
・ではなぜキズナアイが女性の形でなければいけなかったのか?と考えるとそれってオタク向けカルチャー全体の構造の話ではないか
・初音ミクもそうだけど、オタク向けカルチャーでメインを張るのは常に少女の姿だ。Vtuberもほとんどは美少女キャラだ。
・もちろん女性向けのオタクカルチャーもあり男性表象もあるけど、それは常に傍流だ
・これは、「ネット上で声が大きいのは男性オタクである」ことと同時に、「少女の表象を好むのは男性オタクだけではない」ことも影響していると思う
・萌え絵は女性への性的視線をはらんでいると書いたが、同時に萌え絵のルーツには少女漫画の絵があり、また萌え絵師には女性の描き手もすごく多い
・これはなにも矛盾することではなく、単純に、多くの女性は「性的魅力がある女性」を「美しい」と感じると思う
・ようちえんのころ読む絵本のお姫様は金髪碧眼で胸元の空いたドレスを着ていたし、男性好みだろう制服に似せたミニスカートのアイドルはかわいらしい
・それはもしかしたら「社会からの男性的価値観の刷り込み」の結果かもしれないけど、ともかく感覚として、それらを美しいと感じる人は多い
・セーラームーンはなかよしで連載された女児向けの漫画だけど、明らかに男性向けのモチーフに満ちている。彼女たちがセーラー服である必然性もあんなにもミニスカートである必然性もまったくない
(何十万年も前の前世から続く戦いでなんでセーラー服着てんねんて話である)
・確か単行本のあとがきで、この企画は男性担当者が作者に「セーラー服の女の子のヒーローものかこうよ、ぐふふ」的な持ちかけ方をしたと描いてあったと思う。あの作品の萌芽には「男性による女性への性的視線」があったし、実際にそういう消費の仕方をされまくった
・それでもセーラームーンを批判する声が少ないのは、もちろん「フェミニズム的な考え方より先に作品が浸透した」「現在の論壇の人たちが子供時代に楽しんでみていた」こともあるだろうが、セーラームーンの作品内において男性がまったく支配的でないこと(むしろ彼らは客体にしかなれなかった)、少女たちのある種ホモソーシャルな関係性が描かれていたこともおおきいだろう
・女性作家が、流麗な「女性的な」筆致で、誇りをもった存在としてセーラー戦士を描いたからあの作品は批判対象にはなりにくかったのではないか
・今、「萌え絵」と「少女漫画絵」の区別はつけにくい。もちろんどちらにも傾向はあるがネット社会において文化は常に交雑している
・萌え絵は「女性蔑視のアイコン」とされやすい文脈を持っているとかいたが、萌え絵を用いて描かれる作品の多様性にしたがって、その文脈は変化していくだろう、そうだといいな、と思う
・同時に、「男性から見た性的魅力」以外の「美しさ」も、次第に私たちの意識に浸透してきているんじゃないか
・そういう時代の変遷に希望を託しながら、なりゆきを見守っているのがいちネトフェミの現在である。
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気が付いたらブコメたくさんついてて驚いた。
1点だけ。
かき消してない、全然かき消してない。
その前段で多くの女性は「性的魅力がある女性」を「美しい」と感じる、と言ってる。
その一例としてセーラームーンの話をしている。
女性が魅力を感じる女性の表象と、男性が性的魅力を感じる表象が一致していることが現実としてある。
そして、仮に「セーラー服の女の子が戦う漫画描こうよ、ぐふふ」が萌芽にあったとしても、
現実に多くの男性に性的に消費されるキャラクターデザインであったとしても、
セーラームーンの中で確かに誇り高い女性キャラは描写され、広く女性に受け入れられた。
それは同時に起こりえることだった。
そういう話がしたかった。
セーラームーンを平気で「男の性欲が無ければ無かった存在」として扱うの、当時女児で純粋に好きだった自分としてはかなりショックなんだが。萌え絵否定のためなら女性作家や少女ファンを蔑ろにしても平気なんだね。
扱 っ て ね え よ
だめだ謝ろうかと思ったけど謝れない
もともとの文章が悪かったのかと思ったけど追記してもなおそう書くのってどういうことなんだ
ブコメだけ読まないで本文読んでください
件の表紙は、はっきり言ってどうでもいい。気持ち悪い悪くない以前にどんなものか確かめる気も起きない。まぁ大したことはないんだろう。
ゾーニングも表現の自由もはっきり言ってどうでもいい。好きにしてくれ。
何が気持ち悪いか、それは大量の大喜利ツイートにも見られる、発端のシュナムル氏に対する無数の敵意、憎しみ、嘲笑だった。シュナムル氏は前から異様な程憎まれていた。それは男性でありながら「フェミニズムに親和的だから」、もっと言うと「女の味方をする男だから」。
シュナムル氏に限らず、フェミに親和的な男は異様な程憎まれ、バッシングされる。彼らは「モテたいだけの性欲男」と言われ、「ちんぽ騎士団」「バカマッチョ」と謗られる。なぜなら彼らは、男でありながら女の味方をして自分達を撃つ「裏切り者」だからだ。はっきり言ってフェミの「名誉男性」への攻撃などメではないくらい、男性フェミへの攻撃は執拗で陰湿だ。
男性フェミの中には、子供の頃からホモソーシャルについて行けず女の子達と遊んでいたという人が多い。そんな彼らに他の男の子達は「男のくせに女なんかと遊ぶなんて」とからかってホモソーシャルから落伍した者を嘲笑う。それが大人になっても続いているのだ。
自称弱者男性のキモ金界隈は、確かに社会的にはホモソの落伍者かもしれないが、ネット上では他の男達と一緒に女を貶してホモソを築く。そしてホモソを築くことなく女性に寄り添う男性を見て、嘲笑と憎しみを向けるのだ。
あの人ってかなり疑似科学というか民間療法に親和的な人だったよね
飲尿療法とかさ
だから今回のニュース聞いて真っ先に「ちゃんと標準治療受けてたんだろうか?」って思ってしまった
当然標準治療受けてても亡くなる人はいるし、こんなのただの部外者の憶測であり余計なお世話だろうけど
思い返してみると、一番最後に読んださくらももこのエッセイはさくらももこの尊敬する絵本作家が死んじゃって、生きてるうちに彼に会おうと行動に移さなかったことを後悔したももこがその後イギリス行ったり、彼の作品のコレクターに会ったりして彼の生きた痕跡?を辿るみたいな話だった
「さるのこしかけ」「もものかんづめ」「たいのおかしら」みたいに爆笑できる箇所はほとんどなかったけど、読後感は悪くなかったような記憶
まず、前提を確認しておくと、ポリコレ的なものを支持する人達の意見は統一されていない。
そもそも、ポリコレとして議論されるトピックには色々なものが含まれている上、個別のトピックの中でも、ポリコレ支持者の中で色んな人がいる。
フェミニズムは一人一派とかいうけど、それと似たようなものだ。
なので、ポリコレ的な考えの一部を支持すするが、他は支持してない、という立場もあり得る。
また、ポリコレ的な考えを一部支持する私でも、増田のいっている「ポリコレ野郎」と考えが同じかは分からない。
(多分、考えは異なる。)
その上で、私の考えを書く。
まず、元増田は、以下のように書いている。
野郎は「レイシストが『そんな意図はなかった』と言っても、根底にそういう考え方があるのが駄目なのであって、意図のあるなしは問題にならない。それで傷つく人がいるかもしれないのであれば、二度とそういう言葉を言わないように反省すべきである」という主張をしてくる
厄介なことに
その主張は正しい。
私に言わせれば、この主張は、正しくない。
(そういう意味では、私よりも元増田の方がポリコレに親和的な部分もある。)
まず、傷付く人がいるかもしれないならその表現をさけるべき、ということを認めると、およそ一切の表現ができない。
(なお、これは根拠があるわけではないが、相手の感情を過度に重視する風潮の一部は、セクハラ関係からくるのではないかと思う。
セクハラ研修などの際に、「セクハラの意図がないからセクハラじゃないだろ」と言ってくる人に対して、「相手がセクハラだと思ったらセクハラなんですよ」というのは、正しくない[そんなセクハラの定義はない]が、分かりやすい指導の仕方だ。)
また、傷付ける意図がないからといって全てが免責されるとは限らないが、傷付ける意図があればより悪いのであり、その意図の有無は重要である。
「日本語不自由なのに凄いな」発言の是非は前後の文脈を見ないと分からない、というのが私の立場だ。
是非といっても、ほとんど好き嫌いレベルの話だし、人にあんまり強要できるものでもない、でもこっちの方が望ましくない?という提案ぐらいは良いんじゃないかと思っている。
(例えば、より誤解を招きにくい言い方を提案するとか。)
あの人、他人の弱点を攻めるのはとてもうまいけど、自分の弱点を攻められると弱い。
というかある意味では強い。だって「自分の弱点を攻められていることに気づかないふりをする」のがとてもうまいから。
例えば歴史修正主義や民族差別主義的な要素のある言動をしてそれを責められると
って言うのね。そこで示される仕事自体はよく調べられたもので、その価値を認めない人はいない。
(南京に関して、秦郁彦の旧説に最も親和的であるのをどうなんだと思う人はいても、秦旧説はちゃんと学問の範囲内にあるから
反歴史修正主義者でも東中野修道と秦郁彦を同列に並べる人はいない。秦の人格を批判しつつも一応は区別する)
でも、問題は「それとこれとは話違いますよね」ってとこで、ちゃんと証拠も添えて出てきた反論に対して
再反論ではなく自説の繰り返しと補強をするんで、そこで議論が止まっちゃうんだあの人。
上で「ふり」って書いたけど、本気で「So what?」って思ってるのかもしれない。