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はてなキーワード: 東中野修道とは

2018-04-25

anond:20180425024744

別に山本弘名前を隠すこともないでしょう。

あの人、他人の弱点を攻めるのはとてもうまいけど、自分の弱点を攻められると弱い。

というかある意味では強い。だって自分の弱点を攻められていることに気づかないふりをする」のがとてもうまいから

例えば歴史修正主義民族差別主義的な要素のある言動をしてそれを責められると

「こういう仕事をしてきた自分差別主義者なはずがない」

って言うのね。そこで示される仕事自体はよく調べられたもので、その価値を認めない人はいない。

南京に関して、秦郁彦の旧説に最も親和的であるのをどうなんだと思う人はいても、秦旧説はちゃん学問範囲内にあるから

 反歴史修正主義者でも東中野修道秦郁彦を同列に並べる人はいない。秦の人格批判しつつも一応は区別する)

でも、問題は「それとこれとは話違いますよね」ってとこで、ちゃん証拠も添えて出てきた反論に対して

反論ではなく自説の繰り返しと補強をするんで、そこで議論が止まっちゃうんだあの人。

上で「ふり」って書いたけど、本気で「So what?」って思ってるのかもしれない。

から割とあの人、南京に関する反歴史修正主義からも嫌われてたりする。

2017-04-02

そこまで言って委員会清水潔南京事件本が取り上げられる

調査報道必要だというVTRで、清水潔氏の「南京事件調査せよ」がちらっと映る

内容に触れたわけではないけれど、たかじんが生きていた頃に、東中野修道教授南京虐殺否定本の宣伝特集をしていた番組だけにびっくりしました

2009-06-01

南京事件否定論はなぜ相手にされないのか(初心者むけ)

http://d.hatena.ne.jp/D_Amon/20090528/p1

http://d.hatena.ne.jp/a-kubota/20090530/1243663042

に便乗してみる。

分かりやすく今までのことを要約すると、

はてサid:D_Amon氏、「南京事件否定論を真に受けるのは無知だ!きちんと歴史勉強しろ!」と自分歴史学の初歩とやらのエントリーを書いてそこらじゅうに爆撃する。(正直いやがらせかと思う)

自称中立id:a-kubota氏、「中立の俺が肯定派も否定派も分かりやすく説明してやるぜ!」とかいいつつwikipediaを信用して(笑)肯定論と否定論の要約をする

はてサ諸氏、「歴史学の結果である肯定論とトンデモでしかない否定論をいっしょくたに扱うとはなにごと!ムキー!!」

ってのが今の状態。

それで中立のid:a-kubota氏が否定派と肯定派の両方を紹介してくれたので、なぜはてサ諸氏が否定論をまともに取り扱わないのか、

なぜ南京事件否定論をまともな論のように紹介したa-kubota氏がキレられているのか、説明したいと思います。

理想としては新書を一冊でいいから肯定派の本を読んで

まず「南京事件肯定派ってどんなことを肯定しているのか、そもそも肯定派の言ってる南京事件って何か」を知って、

それから有名どころの南京事件否定派の本を読んで否定論者の言ってることって根拠があるのか調べてみるってのが、理想なんだと思う。

けれども、a-kubota氏のエントリを見て満足しちゃうような人って、絶対にそんな面倒くさいことしないのね。

id:D_Amon氏が「じゃあもっと要約してみた。これを読め!!」って言ってみても、それすら読めない。

なぜかと言えば、id:D_Amon氏が信用できるか分からないので、読んでみて結局無意味だったら嫌だし。

と言うわけで、中立のid:a-kubota氏が紹介した否定論と肯定論のうちなぜ否定論がトンデモなのかを短く、めんどくさくなく説明しようと思います。

と言ってもどう短くしても内容に立ち入ると面倒なので、内容には立ち入りません。

たぶん短い。


否定論者に歴史学者がいない

藤原彰・笠原十九司・秦郁彦歴史学者ですが、東中野修道歴史学者ではありません。(政治学思想学の人)

他にも渡部昇一とか小林よしのりとか田母神さんとか否定論を唱える人はいますが、歴史学者は一人もいません。


裁判で負け続けてる

否定派VS肯定派の順で紹介していきます。

秀英裁判

松村俊夫(否定論者)VS李秀英南京事件証人

秀英の勝利。松村俊夫は「李秀英の言うことはこれこれこういう部分でおかしい。嘘っぱちだ」と言ったが、

裁判では「松村さん、あなたの言ってるこれこれこういう部分っていいがかりですよ」となって敗訴。

百人切り裁判

稲田朋美国会議員)VS本多勝一朝日新聞

稲田裁判長にほとんど相手にされずに本多勝一の勝利。本多勝一と言えば、初心者でも「胡散臭い人物」ってことは知ってると思う。

うん、そうなんだ。胡散臭い人物にも惨敗するのが否定論者なんだ。

夏淑琴裁判

東中野修道写真で有名?)VS夏淑琴南京事件証人

夏淑琴の勝利。東中野修道は「夏淑琴の言うことはこれこれこういう部分でおかしい。嘘っぱちだ」と言ったが、

裁判では「お前別に問題のない証言をわざと英語を訳し間違えて辻褄合わなくしてるだけだろ」ってなって敗訴。

東史郎南京事件で嘘の証言をしたってことで敗訴した。日本司法が嘘の証言に甘いってわけじゃない。

証言者では敗訴した人間はいるけど、敗訴するような人の証言は学者はやっぱり重く扱わないし、肯定論の学者が敗訴したことはない。

日本政府自体は肯定派

http://www.mofa.go.jp/MOFAJ/area/taisen/qa/08.html

日本政府南京大虐殺定義は「日本軍南京入城後、多くの非戦闘員の殺害や略奪行為等があったこと」でこれは事実としてる。

他にも文部科学省が「南京事件あったかどうかわかんないよ」って書いたつくる会教科書に検定意見つけて「南京事件あったよ」って書きなおさせたこともあったでしょ。



肯定論者はイデオロギーに幅広い

例えば東中野に賠償命令判決だした三代川三千代裁判官は、保守的判決出すのに有名な人だし、秦郁彦に至っては右翼、「つくる会」の会員だったこともあるくらいだから「極右」って言ってもいいかも知んない。

肯定論者は左から保守から右からいろんな人いるけど、否定論者って極右かいないよね。

どっちがイデオロギーより事実を優先しててどっちが事実よりイデオロギーを優先してるか明らかだよね。



否定論って互いに矛盾しあう

例えば、否定論の論法の一つに、

1947年東京裁判で出てくるまで、南京で虐殺が起きてるなんて話はどこにも無かった!東京裁判でいきなり話がつくられた証拠だ!だから南京大虐殺は嘘だ!」

ってのがある。さらに、

1938年に、蒋介石が『南京日本が残虐行為をしてる!』って宣伝するための証拠を捏造する部隊を作った証拠をつかんだ!だから南京大虐殺は嘘だ!」

ってのもある。ひどい時には同じ人が言ってる。

でもさ、1938年にしきりに南京大虐殺宣伝してるんなら、1946年には広く知られてるはずだよね。同じように「南京事件を起こしたのは朝鮮人だった説」とか「便衣兵の処刑を大げさに言った説」とか互いに矛盾しあう説がいろいろあるって言うか、

南京大虐殺」を捏造した勢力も捏造した理由も違いまくるのに、なぜか喧嘩せずにお互いに褒めあってるよね。

おかしくね?

 対して肯定論者って、細かいことでも主張が違うと議論しまくる。

有名な例でいくと笠原VS秦とか。

お互いに「南京事件あった」って言ってることは同じで、南京事件の中身でも幕府山で起こったこと、下関で起こったこと、安全区内で起こったこと、新口路で起こったこと、大まかには同じこと言ってるのに、それでも例えば幕府山事件の詳細で細かい違いがあっただけでも喧嘩しまくる。

なぜかと言えば真理を求めてるからに他ならないと思うわけ。

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最後の方は「初心者へ」って感じじゃなくなっちゃったかも知れないけど、「大まかに信じれることを知りたい」って人には参考になったと思う。

これを見ても、

日本以外のすべての国と日本政府日本司法自民党の大半と民主党のほとんどと公明党共産党社民党全員とマスコミが間違っている!俺が正しい!」

って言う人もいるだろうけど、そういう人は「初心者」では絶対にありえないからいいや。

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後日追加。

おまけとして、これを紹介しておこう。

否定派のサイトだけど、第一話を読めば南京事件が大体どういうものか分かるんじゃないかと思う。

id:D_Amon氏のやつは文章がいっぱいで読めないって人向け。

http://beauty.geocities.jp/nankingharuhi/

2009-02-22

南京大虐殺」論争を理解するためのたった一つの真実



いわゆる南京大虐殺とか、南京事件とか言われるものについて。

世の中には、1930年から1945年までの日本を悪く言える可能性のある噂話があったら、本当の真実がどうであろうと

最大限にその噂話を肯定する勢力がいる。

そのとき実際に起きた事実なんて全く興味ない。

とにかく自分の耳に都合のいい事実は全肯定する。

その人たちはいわゆる左翼と呼ばれることが多いけど、本来の意味とは違う気がするのだがこの際あんまり気にしないことにする。

世の中には、1930年から1945年までの日本を良く言える可能性のある噂話があったら、本当の真実がどうであろうと

最大限にその噂話を肯定する勢力がいる。

そのとき実際に起きた事実なんて全く興味ない。

とにかく自分の耳に都合のいい事実は全肯定する。

その人たちはいわゆる右翼と呼ばれることが多いけど、本来の意味とは違う気がするのだがこの際あんまり気にしないことにする。




さて、ここに「南京大虐殺」という話がある。

上の人たちはどう反応するか。


左翼と呼ばれる人たちはもちろん「事実だ」という。

なぜから、事実である方が自分の思い込みに合致するから。

だけどもそんな理由では皆が納得しないから根拠をでっちあげる。

アイリス・チャン本多勝一が調べた」って。


右翼と呼ばれる人たちはもちろん「事実でない」という。

なぜから、事実でない方が自分の思い込みに合致するから。

だけどもそんな理由では皆が納得しないから根拠をでっちあげる。

田中正明や東中野修道が調べた」って。




それで、南京大虐殺の場合は、左翼側が正しい。

まともな歴史学者なら全員南京大虐殺事実を認めている。

だけど、だからと言って左翼の主張の根拠が正しいわけではない。

彼らは、南京大虐殺があってもなくても「南京大虐殺はあった」と言うから。

自分の信じる結論が欲しいだけだから。


右翼側は正しくない。

けれども、右翼側はこれからも支持を減らすことはないだろう。

田中正明が松井石根日記を改竄して恥をさらしたり、東中野修道が資料を捏造して裁判フルボッコにされても、

右翼は彼らを支持し続ける。

彼らには、南京大虐殺を否定する根拠なんてもとから関係がないのだから。

その根拠がいくら崩されようと彼らには興味がない。

自分の信じる結論が欲しいだけだから。

2008-01-10

○○なんてまだ信じてるの?

ふと思った。

「○○なんてまだ信じてるの?」という表現がフックになっているのなら、「南京大虐殺がなかったなんてまだ信じてるの?」というキャッチで返すのが案外この手の真のメディアリテラシーのない層(でも本人達はあると思っている層)には効くんじゃないだろうか?

http://anond.hatelabo.jp/20080108182807

知り合いに「南京事件があったなんてまだ信じてるの?中共プロパガンダに踊らされるのはバカだよ。ちゃんとしたメディアリテラシーを持たなきゃだめだよ」と豪語する30代男性(一流理系大卒公務員)がいるのだけれど、「南京事件がなかったと考える根拠は?」とたずねてみたら、東中野修道氏の本すら読んだわけでもなく、もっと言えば小林よしのり本すら読んだわけでもなく(彼には本を読む習慣がないため)、「ネットで、南京事件があったなんてまだ信じてるの?っていうコメントをいろんなところで見かけたから」というのがその理由だった。

どうやら「○○なんてまだ信じてるの?」という表現がフックになってるようで、一般に流布している説に疑いを持つ=メディアリテラシーだと思ってるみたいだ。

どんな言説に対しても等しく「まず疑ってかかれ」という姿勢自体は正しいと思うんだけど、そこから先を判断するやり方ってのは、考えてみればあまり語られることはないような気がする。

トンデモな言説も数にあたれば、なんとなく傾向のようなものが見えてきて「これ怪しい」っていう嗅覚のようなものが働くようになると思うんだけど(そしてある意味彼はサヨク的なものに対する嗅覚はあってサヨク的な文脈で南京大虐殺存在が肯定されてるからそれはプロパガンダだと認識しているのではないかと思う)、よく考えたら普通の人はトンデモな言説の数にあたるっていう体験があまりないんじゃないかという気がしてきた。

トンデモな言説ってことオカルト系にあふれているけど、好事家じゃないとそういう文献をわざわざ読まないだろう。

だから、そういうのに晒されてこなかった人たちがネットで初めて目にすることによってうっかり引っかかっちゃうんじゃないかなーとか。

言説の妥当性について判断するポイントとかうまくまとめたものってないのかな。

2008-01-08

リテラシーってなんだろう

知り合いに「南京事件があったなんてまだ信じてるの?中共プロパガンダに踊らされるのはバカだよ。ちゃんとしたメディアリテラシーを持たなきゃだめだよ」と豪語する30代男性(一流理系大卒公務員)がいるのだけれど、「南京事件がなかったと考える根拠は?」とたずねてみたら、東中野修道氏の本すら読んだわけでもなく、もっと言えば小林よしのり本すら読んだわけでもなく(彼には本を読む習慣がないため)、「ネットで、南京事件があったなんてまだ信じてるの?っていうコメントをいろんなところで見かけたから」というのがその理由だった。

どうやら「○○なんてまだ信じてるの?」という表現がフックになってるようで、一般に流布している説に疑いを持つ=メディアリテラシーだと思ってるみたいだ。

どんな言説に対しても等しく「まず疑ってかかれ」という姿勢自体は正しいと思うんだけど、そこから先を判断するやり方ってのは、考えてみればあまり語られることはないような気がする。

トンデモな言説も数にあたれば、なんとなく傾向のようなものが見えてきて「これ怪しい」っていう嗅覚のようなものが働くようになると思うんだけど(そしてある意味彼はサヨク的なものに対する嗅覚はあってサヨク的な文脈で南京大虐殺存在が肯定されてるからそれはプロパガンダだと認識しているのではないかと思う)、よく考えたら普通の人はトンデモな言説の数にあたるっていう体験があまりないんじゃないかという気がしてきた。

トンデモな言説ってことオカルト系にあふれているけど、好事家じゃないとそういう文献をわざわざ読まないだろう。

だから、そういうのに晒されてこなかった人たちがネットで初めて目にすることによってうっかり引っかかっちゃうんじゃないかなーとか。

言説の妥当性について判断するポイントとかうまくまとめたものってないのかな。

 
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