はてなキーワード: 理系学部とは
小さい頃から小太りで内気で一重の私と、華奢で活発な二重の姉。どちらが人に好かれやすいかなど、言うまでもなかった。
姉はよく笑う愛嬌のある女性で、高校・短大と合コンなどで知り合った男と付き合っては別れてを繰り返していた。早く結婚したい、いい人が見つかるといいな、そんなことをよく私にこぼしていた。私自身に小さなコンプレックスはあるものの、姉妹での仲は割と良かったし、明るく人気者な姉は私の自慢だった。
そんな姉が先月、24歳の若さで結婚式を挙げた。お相手は3歳年上の笑顔が素敵なスポーツマン。アウトドア派な2人にはお似合いだ。私は一人暮らし中の遠方から結婚式に駆けつけ、心から祝福した。酒豪で声の大きい姉の旦那は私には苦手なタイプだったが、姉が選んだ人なのだから、きっといい人なのだろう。
結婚式を終えたあと、親戚の集まりで、皆がこぞって私に言ってきた。「次は妹ちゃんの番ね」「妹ちゃんの彼氏はどんな人?」「妹ちゃんも早く良い人に出会えるといいわね」
私には、親戚がこう言っている気がしてならなかった。
結婚しない女は罪人だ…と。
私は友達が少ないぶん、青春を勉強に充てた人生を送ってきた。生まれ育った田舎を高校卒業とともに出て上京し、現在、某国立大学の理系学部の4年生。大学院への進学が内定している22歳である。
所属する大学の研究室は基本的に対人関係が乏しい。一人で作業する環境は、私にとっては居心地が良いのだが、異性との出会いが全くないのが難点とも言える。バイト先はオンラインの家庭教師で、コロナ禍でのサークル活動自粛も重なり、本当に誰とも出会いがない。合コンなどもちろん行ったことがない処女である。
活発な子どもではなかったぶん、勉強を頑張った。すると大人が褒めてくれた……。それだけを糧に今まで生きてきたが、現実はどうも違うらしい。疎い私に現実が突きつけられた。人生における『良い子』とは、クラスで1位の成績を納める子ではなく、早く結婚し子どもを産み、孫の顔を見せる子なのだと。
もちろん、そんなのは断じて違うと信じたい。フェミニストになる気はないが、一人で生きていけるだけの知識と職さえ持てれば、結婚なんてしなくてもいいと思っていた。だが、私の育った田舎の慣習が空気が、結婚式の時に無言で訴えかけてきた。そんな考えは間違っている…と。
さて、私には50歳の叔母がいる。叔母は人生を勉学に捧げた女で、今や大学の教授にまで上り詰めた強かな人間だ。ただし、独身。
私はそんな叔母の人生も素晴らしいと思っていたし、いくつもの論文に名を残す彼女を尊敬していた。しかし、結婚式も親戚の集まりもひと段落し、東京に戻るための新幹線のホームにて。見送りに来てくれた叔母の妹、すなわち私の母がこう言ったのだ。「あなたも誰かいい人を見つけないと、叔母みたいに寂しい人生を送る羽目になるわよ」……と。
母からそんな言葉は聞きたくなかった。私がテストで高得点を取るたびに褒めてくれて、受験の時は親身に寄り添って相談に乗ってくれた優しい母。今も仕送りで大学生活の支援をしてくれているし、時々食糧や日用品などを送ってきてくれる。そんな母が、まさかそんなことを言うなんて。
私はぎこちない笑顔で「うん」とだけ答え、足早に母と別れ、新幹線に飛び乗った。東京に向かう車内にて、マスクの下を涙と鼻水でぐしょぐしょに濡らしながら、マッチングアプリをインストールした。
真面目に出会いたい人が多数登録、と謳う某マッチングアプリでは、私と同じ状況の男性と見事マッチした。彼も理系大学の4年生で、来年は院に進学するのだそう。つい先日、そんな彼と初めて出会った。プロフィール写真の通り、さほど格好良くは無いものの、真面目で物静かな男性だった。互いに卒研が大変だね、だなんて談笑しつつ、イルミネーションの綺麗なデートスポットを散歩するという典型的なデートをし、そのままお互いに帰宅した。次に会う約束を彼の方から提案してくれた。
多忙な大学の授業と貧乏生活による質素な自炊があいまって、気付けば私は高校時代より10キロほど痩せていた。ただ痩せるだけでどんな服もある程度は似合うことが分かり、安物を古着屋で掘り出してコーディネートを楽しむ趣味ができた。都会に揉まれて生きてく中で、一重の目など化粧でどうとでもなることを学んだ。
今では姉にそっくりだと言われるようになった私は、幸いにもマッチングアプリで出会ったこの男性に好印象を与えられたのだろうか。しかしこの先、どのような関係が発展するのかなど、喪女の私に分かるわけがない。
いずれ私は結婚するのだろうか、しなければいけないのだろうか、できるのだろうか。
最近はそんなことばかりを考えながら、試験管と睨めっこする日々を送っている。
明るい姉が好きだ。優しい母が好きだ。そして田舎ながら自然豊かな地元が好きだ。昔からその気持ちは変わらないはずなのに、今年の年末年始に帰省するのだと思うと、どうも憂鬱になる。話のベクトルがまるで違う姉の旦那への挨拶文を考えるのは、データ解析のプログラミングを書くよりも難解である。
年末の帰省の際に彼氏が出来たとでも言えば、姉や両親は喜ぶのだろうか。そんなことを考えながら、私は今も件の男性と中身の薄いメッセージをやり取りしている。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/SENA032040/status/1594615442361921536
この件はセクハラ的観点だから明確にダメだろうけど、特に何かに記載されていたわけでもない非公式な状態で「男女平等の観点で女性も入れたいからあなたは決まり」と口頭で言われて、選考で女性優先されてた理系学部のゼミがあったことは聞いたことがある。(それを言われた女性本人が教えてくれた)
当時は男女平等の観点ならそういうもんか、と思ったけど、やっぱりそうであっても非公式で差をつけるのはまずくないか?
賛否はあるとしてもアファーマティブ・アクションが一概に否定されるとは思わないけど、それを非公式にやってしまうのはやはり違う気がする。
やるならやるで公式にアファーマティブ・アクションをやると宣言すべきであって、そうでないとその施策の効果も検証も見えなくなってしまう。
地方旧帝大理系学部卒 → そのままその地方の大企業に就職したワイ女(20代)気づいた。
つまり、私は昇進できなければ、
「××さんって、××大学出てるのに昇進できてないの?」と、心ないことを言われ続けるのだ。
田舎だしね。
昇進するには?
モリモリ仕事を頑張るのが1番良いと思う。
しかし?
「頭いい女はちょっとね〜」
など言われる。田舎だしね(2回目)。
「子供作らないの?なんで?」
めんどくせー。
といった感じでまあ面倒なことが予想される。
②の場合は、結婚相手が子供を望む場合、離婚理由にもなりかねない。
と思うかもしれないが、
子供作った時点で女が仕事に頑張れる環境なんてどこにもないのだ。
育休産休とっても昇進できます、というのは幻想です。そんな都合のいい会社ないよ。
時短勤務とかやってたら昇進できません。
とまあ、どのルート通っても高学歴女は不幸になるしかありません。
世の中のいわゆる「普通」にならないと、
今はただ、大学なんて行かなければよかったと思っている。
(ここでは親に学費出してもらっておいて何言ってるの?というのはナシにしてください)
----------------------------------------------
①両親はどちらも高卒です。幼い頃から虐待が続いていたので就職を機に縁を切りました。
親戚にも大卒がいないので、大卒の人の「普通」の人生がわかりません。
②親は、私の幼い頃から「お前は(県1番の進学校)高校に行って、(地元の旧帝)大学に行くんだよ」と
毎日呪詛を唱えていました。私は、夢も目標もないくせに、たまたま地頭はあったのでその通りにしました。
しかしお察しの通り私は能力はなかったので、大学院への進学をせず(できず)、研究室の教授のおかげ(要するにコネ入社ですよね)で、今の会社に就職しました。
③私の会社は技術屋・事務屋にすっぱりわかれています。私は技術屋です。事務屋は女もそれなりにいますが、技術屋は女はいません。技術屋は、3,4年くらい前からほ〜〜〜んのちょっとずつ女をとるようになりました。
会社の管理職の男女比率のデータをこっそり見せてもらったことがありますが、ハハ……と笑ってしまうくらい女性の割合は低いです。
事務屋も技術屋も、上層部〜…〜現場のヒエラルキーがしっかりしていて、上層部は大卒・院卒まみれ(余程優秀だと高卒もいます)、現場は高卒しかいません。本社は私の大学の人がたくさんいるそうです。学歴問わず、スタート(入社)は皆現場ですが、いつまで経っても大卒が現場にいると、問題があるのだろうと言う目で見られます。
④東京に出たら?と言う声
ただ、私には能力がないので、地元で泣いてるしか出来ないのです。いや、それ以外やろうとしないんですね。分かってます。現状を打開するのってエネルギー使いますよね(言い訳なのは分かってますよ)。自分が愚か者であることはよく分かってます。
⑤増田は何がしたいの?と言う声
私だってわかりません。親の呪縛を絶ってやっと自分の意思で生きられるようになったのがつい最近なので、どうしたらいいのかわからないのです。自分のやりたいことのために生きる、ということがわかりません。
また、ASD持ちなのもあり、周りに馴染めず幼い頃からいじめられて生きてきたので、これ以上悪口を言われたくないと思っています。これは悪いことなのでしょうか。
⑥専業主夫もらったら?と言う声
そもそも子供を産むのは女(わたし)なので、産休からは逃れられないですよね?(産休って義務ですよね?たしか)
産休取った時点でゲームオーバーですので、解決には至らないかと。
----------------------------------------------
自分と違う考え方もあって面白いな〜と読ませてもらってます、皆さんありがとう。
別に昇進したいわけじゃないんです。
仮に、どんな学歴・性別でもフラットに見てくれる会社にいるとしたら、
何も考えずに出身大学のカードぶらさげて今の会社に来てしまい、
「あ、昇進しないと変な目で見られるのでは……?」と、
入社してちょっと経った今それに気づき冷や汗ダラダラになっています。
今の会社選んだ理由も、予期せぬことで変な時期に就活が突然始まってしまい、選択肢がそれしかなかった(重要な選択 の仕方がわからないので選択肢がなかったことはまあ助かったかなとは思っている)ことと、
うちの会社は一応安定してるので、まあ60歳まではとりあえずは生きていけるな、と思ったからです。
例えば私が男性だとして、結婚する女の人のお父さんに「××に勤めています」といえば、
そのお父さんは二つ返事で了承してくれるような会社です。
働きたい・働かない の話ですが、
昇進できなくても、余裕を持った生活のできるお金はもらえますので……。
毒親育ちなのもあり、「家庭」に憧れがないというか、ないものを想像しろと言われてもわからないので、
女ばっかり痛くて苦しいし。
そんな時も旦那は寄り添ってくれない!みたいな話はインターネットにいっぱい転がってるし。
また、私みたいな産まれたことを呪う人間をこの世に増やしたくないです。
毒親は連鎖するというので、私が毒親にならないよう努力しても、毒親になってしまうのでは、という恐怖があります。
同じ会社の人と結婚して子なしで共働きが理想です。でも、田舎なのでなんやかんや言われます。
それが嫌なんです。
人にあーだこーだ悪口言われるのは疲れました。
だから皆さん東京に出ろ、とおっしゃっているんですよね。わかります。
もしどうしても子供作るルートに入るのであれば、いわゆる下方婚でも全然構いませんというか、専業主夫の方と結婚しても構わないと言いますか、ぜひそうしたいです。
で、夫には家庭に入るか時短勤務にしてもらって、家庭のことをやっていただきたいです。
(もちろん全部やれとは言いませんよ、自分の家のことですから)
奨学金の制度でこんなに困窮している人が!公的支援が不足している!国は何をやっているんだ!
特に気になったのは以下の3点。
例えば計400万円を機構から借りて私立大に進学し、教員免許をとった女性(25)。
(途中省略)
4人きょうだいなのに、私立大学に行くって時点で見通しが甘いと言わざるを得ない。
国立と私立とでは学費の面で4年間の合計金額にかなりの違いが出てくる。(文系なら150万円程度、理系なら350万円程度)
年間授業料と入学料の合計平均(16年度)は、国立が約82万円、私立は約113万円。30年間で国立は2倍、私立は1.5倍になった。
この数字だけを見ると国立大学の学費が私立大学に近づいているように見えて、国が教育への投資を大幅に削り、格差拡大を煽っているかのように見える。
しかし、私立大学に進んだ際に授業料と同様に支払う必要がある「施設使用料」(大学によって呼び名は異なる)や、主に理系学部において徴収される「実験実習料」が含まれていないのはアンフェアである。(医歯薬学系学部の各種費用を含めろとは言わんが)
例えば日本大学の理工学部の場合、授業料115万円のほかに実験実習料10万円、施設設備資金22万円が必要で合計147万円。(いずれも年間)
そもそも日本学生支援機構は独立行政法人であり、金融機関ではない。
それは奨学金の利率を見ても明らか。
試しにみずほ銀行の教育ローンを見てみると、変動金利年3.475%、固定金利年4.500%だった。
日本学生支援機構の 貸与利率利率見直し方式:0.040%、利率固定方式年0.537%。
明らかに奨学金の利率の方が低く、利息で利益を出すようなビジネスモデルではない。
にも拘らず金融機関としての振る舞いを求めるのなら、金利も金融機関並みにしろとでも言うのだろうか?
奨学金で助かっている人の声は紹介せずに、批判の声だけを掬い取る。
偏向報道なことで。
最近の某事件の犯人が、某私大の理系学部を経済的理由から中退していた、とネットの記事で知りました。
私も犯人と同年代で、同じような経験をしています。同様の境遇の若い人たちに、何とかなるかもしれないと思って欲しくて、私の体験した私大生活や修士号取得について書きます。
なお、犯人が起こした事件は決して許されるものではないと思っており、犯人を擁護する意図はありません。
私は高校時代、恥ずかしながらセンター模試の結果がいつもボロボロでした。中でも古文漢文や歴史、化学などの科目がひどい出来でした。
一方で、得意科目の物理や数学が大きく評価される私大模試では、いつもなかなかの偏差値でした。
結果、センター試験は本番でもボロボロでしたが、早慶や関関同立といった私大の理系学部に合格しました。
それまでも職を転々としているような父で、実家には大した預金もなかったようです。
入学式を迎えたものの、いつ授業料が払えなくなるか分からない状態でした。
大学の事務室で授業料について相談し、入学直後に募集のあった大学オフィシャルの奨学金に申込みました。
家庭の収入を証明する書類や推薦状など揃えなければいけない書類が多く、なかなか大変な手続きでした。
親の都合なのになんで私が…と思いながら手続きしたことを覚えています。今思えばバチ当たりな考えですね。
無事に奨学金の審査に通り、私の場合は年間およそ100万円の授業料が免除されました。
ただし、年間50万円ほどの施設利用料は支払う必要があり、こちらは母が支払ってくれました。
奨学金の審査は毎年ありましたが、幸い三年間、連続で採用されました。
この間、奨学生になるために成績だけは学科タップをとり続けていました。
だからといって勉強漬けではなく、アルバイトで飲み代を稼いで、サークル活動も楽しんでいました。
大学3年生になると、理系学生は院進学について決めなければなりません。
私は進学してもう少し勉強したい気持ちがありましたが、来年、さらに修士課程でも奨学生になれるとは限らない。
大学3年生で4年生と共に試験を受け、合格すれば来春から一年早く修士課程に入学できるのです。
もちろん入試を受けました。
志望先の研究室の学生にコンタクトを取り、院試面談に関するアドバイスをもらって無事合格。
おまけに特待生として修士課程二年間の授業料免除もゲットしました。
さらに無利子の奨学金で月7万円を頂くことができ、激安の学生寮にも入れたので、修士課程はバイトなしで生活できました。
ときどき研究室の先生にTAをさせてもらい、お金を貯めて研究室旅行にも行くことができました。
大学院での研究は、周囲と比べると卒論を書いていないという負い目もありましたが、先生には分け隔てなく指導いただきました。
また、リーマンショック前の売り手市場だったこともあり、就活では複数の大手企業に内定をもらいました。
さらにラッキーなことに、そこそこの成績だったようで奨学金の返済が半額免除になりました。
結局、学部時代から約50万円プラス生活費で修士号を取得することができました。
その後、就職してから数十年。すでに奨学金も返し終わっています。
それが何だと思われるかもしれませんが、東大生人気ランキングに入るような会社で、そこそこお給料もいただいています。
自分の子供には幅広い選択肢の中から進路を決めてほしいと考えていて、日々子供のために頑張って働いています。
あのとき、奨学金制度を教えてくれた方や、採用して下さった方々のおかげで、今があります。
経済的な理由から学びを諦めそうになっている学生の方へ。何か方法がないか、周囲の大人に相談したり、裏技がないか調べてみてください。
学ぶ意欲のある人には、どこかで誰かが味方がついてくれると思います。
どうか諦めないで。
・理科2科目+数3必須は相当キツい。早慶理工がいかに難しいかよくわかった。
私立理系でこの科目負担を必須にしているのは早慶くらいしかない。
英語、数3なし、理科1科目という入試科目がデフォな有名私大理系学部すらめちゃくちゃあるとわかってビビった。
・理科アレルギーの自分ですら化学はサックサク終わらせられた。力学と原子以外の物理はひたすら地獄だった。初歩レベルでとにかく苦しみ抜いた。
「理解はほどほどに流し、暗記で対応できるものは全部丸暗記してしまおう」
という、科学に対する知的好奇心溢れる受験生が蛇蝎の如く嫌う、学問的態度が極めて不誠実な受験特化戦略をとったとしても、
A4両面印刷15枚程度の情報量で大学受験範囲は網羅できてしまう(日本史や世界史だとマジで100枚じゃきかない)。
そのくらいのちょびっとの暗記量にもかかわらず死にそうになってる人はかなりいた。
・物理化学ともに全統記述で偏差値65以上、共通テストで9割以上レベルの学力を身につけたところでサイエンス系の時事ニュースへの理解度は
「何言ってんのか全然わかんねえ」
程度にとどまる。
下手すりゃちんぷんかんぷん度合いは私文時代となんら変わらない。雑誌のNewtonとかまず理解できない。
ウン年前に東京の女子御三家に通ってた理系大学進学者だけど、勝負強さというよりは単純に中高一貫校のカリキュラムの問題だと思う。
追記:数学の定期テストで1度も50点以上を取ったことがない(というかだいたい30点台を低空飛行していた)ので、落ちこぼれとはまではいかないけどまあ底辺から見た感想です。その点数でなぜか理系を受験する気になったのは今思うと肝が冷える。親もよく許したな。
自分のころは、
うちの高校は2年生で文理選択させられる。それまでは芸術しか選択科目がなかった。
で、高校1年生の夏休み以降はひたすら数学の演習を繰り返す。数IAや数IIBで中学のカリキュラムと被っている部分は飛ばすので効率よく勉強を進められる。
英語は得意だったので学校のカリキュラムはあまり覚えていないが……高1時点で高校レベルの文法学習は終わっていたと思う。自分は高校時代の単語帳だけでTOEIC900点とれたので(過去問演習はもちろんした)、単語帳もなにかいいものを使っていたはず。
高2までは古文のテキストを全文ノートに写して品詞分解したものを提出させられたり、世界史や地理でみっちり暗記させられた記憶がある。
特に中1時点で百人一首をすべて暗記させられた古文は役に立った。センター試験の古文は単語を覚えただけでほぼ満点が取れた覚えがある。
また、国公立大学の理系学部受験者がほとんどセンター試験で倫理を選択していたのだが、世界史のおかげで倫理の流れはすごく頭に入りやすかった。
大学時代に家庭教師のバイトをしてみてはじめてわかったが、公立中学・高校で漢検・英検を受験するのは、少なくない生徒にとって時間の無駄であって、自分で100%勉強できるのならよいが、特に中学生は、まだ学習のリズムも整っていないのに、受験すると内申点が上がる?からといって、わざわざ塾で補修を受けたりする。
何しろ問題形式や内容が高校・大学受験と大きく異なるので、せっかくの勉強を受験に生かせない。漢検はまだ少し役に立つかもしれないが。
で、試験が終わればせっかく覚えた英単語なんかは一瞬ですっぽ抜けていく。場当たり的なリスニング対策をするよりは毎日5分ずつでもディクテーションをしたほうがなんぼかましだ。
だいたい、難関私立中学を受験する子供は小学生のうちに漢検英検を受けているものである……というのは偏見だろうか。
高3の最初の化学の授業で先生が一言「センター試験では90点以上取るのが当たり前です」。実際物理化学は満点付近を取るのが当たり前。
今でもよく覚えているが、センター試験の英語記述で200点中198点取れたと喜んでいたら、その年、うちの生徒のほとんどが190点以上取ったらしい。ぬか喜びである。
これについては説明するのが面倒だし、自分は中1の途中で挫折したので気になった方は各自調べてみてほしい。
書いている途中から飽きていったのが伝わる文章ですまない。あと科目選択の話とか受験校選択の話とかいろいろあるがそこらへんを細かく書くと身バレしそうなのでやめておく。
理系学部卒なのに、まともにレポートや論文を書いた記憶がない。
レポートは指定された参考文献からいくつか引用して、何かコメントつけて提出しただけ。
卒論は「こんな実験しましたけどデータめちゃくちゃですわけがわかりません」という内容で提出。
なぜ単位が取れたのか、なぜ卒業できたのか本気でよくわからない。
(卒論に関しては、リーマンショック世代だけど就職先が決まっていたので、教授の温情があったのかもしれない)
もう30半ばだけど、他に趣味もないしレポート書く練習でもしようかな。
書き方がわからないので、レポートの書き方本を探すところからになるけど。
大学時代、遊んでたわけでもないのに何をやっていたんだろう…勿体ないことをした。