はてなキーワード: 現人神とは
教育勅語は、過去の歴史的においては、日本の近代化に一定の役割があったと考えられるが、時代を経るについて、その位置づけが変わっており、どの視点に立つかによって評価が変わってシマウマ。
江戸時代以前、幕藩体制下においては、人々は藩(クニ)というコミュニティへの帰属意識はあったが、日本という統一された国家への帰属意識は存在しなかった。しかし、欧米列強のアジア進出に直面し、明治国家は統一された近代的な「国民」を創出する必要性に駆られた。そこで、井上毅が中心になって起草されたのが教育勅語である。
江戸以前の封建社会では、お殿様がいて、家来衆がいて、そのまた家来がいて、農民・商人・工人がいて・・・と、多層的な社会構成となっていた。欧米を直接視察した当時の指導者たちは、このまま身分により分裂した社会では、我が国が近代化を成し遂げて欧米に伍してゆくことは難しいと考えた。そこで、表向きは日本人に馴染みのある儒教的な用語を使いつつも、勤勉であれというプロテスタンティズムの精神を注入したものが教育勅語である。(米英独における近代資本主義の形成にプロテスタンティズムが果たした役割についてはマックス・ウェーバーの説に譲る)
教育勅語の登場により、日本人の中にプロテスタンティズム的な精神が形成され、曲がりなりにも、なんとか我が国は近代国民国家を創りだすことに成功した。また、一番問題になっている「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ・・・」の文言についても、歴史的には欧米の「国民軍」形成の流れと相似をなすものであると位置づけられる。(というのも、それ以前は武士階級のみが軍事に専念して、一般市民にとっては軍事は全くの埒外であった。このままの意識が続いていたとしたら、本邦は他のアジア国家と同様に、欧米の植民地となっていたであろう)
ただし、時代を経て昭和の激動期に入ると、明治憲法と同じく、長所よりも欠点が目立ち始める。
欠点の第一要因は、明治憲法や教育勅語が、現人神である天皇から臣民に下されたもの(実際は、明治の元勲が起草したものだが)という形式を取ったことであろう。明治憲法も、首相の権限が明記されておらず、その基盤が弱小である等の問題をはらみつつも、「不磨の大典」化してしまったため、政治家が軍事官僚を縛ることすらできなくなってしまった。教育勅語も時代に即して改定を行う動きもあったものの、やはり天皇から下された「聖典」という位置づけから改定ができなくなり、戦時下においては国民を総動員する装置となってしまった。
以上を踏まえると、教育勅語は日本の近代化を推し進めた功績があり、現代資本主義社会においても引き継がれる価値観を含有するという点では一定の「普遍性」を持つ一方で、戦時下においては国民を動員する装置となったという点で「負の側面」も多く有するという、なんとも白黒つけがたい存在であると評価できる。
なお、現代では教育勅語は、その歴史的役割をすっかり終えており、今さら道徳のために引っ張り出してくる必要性は無いという私見を最後に付け加えておく。
お前、どうしても「教育勅語反対 = 軍国主義復活反対」に結び付けたいみたいだな。
そんな事どこにも書いてないのに。
人の話を聞かないって、お父さんお母さんに注意された事ない?
ほれ、「父母ニ孝」だよ。「父母ニ孝」。
それとも、お父さんお母さんもお前と同じく教育勅語大好き派かな?
まあそんな事はどうでもいいとして、
物分かりの悪いお前にもわかるように言うと、俺は教育勅語を復活させた所で軍国主義が復活するなんて思ってないし、
勝てない相手との戦争を回避できなかったのは馬鹿だし、そもそも軍が統帥権干犯を楯に政府の外交を邪魔したのは問題外だとは思ってるが、
帝国主義自体は当時どこの国でも普通だったから非難される謂れはないと思っている。
嫌なのは、責任も取れない卑怯者を現人神として崇め奉った挙句、そんなやつの言葉を陛下の言葉などと権威付けしてバイブル扱いした事だ。
この作品はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
The persons and events in this motion picture are fictitious. Any similarity to actual persons or events is unintentional.
現代の日本で戦後レジームの意味するところは主に、第二次世界大戦での日本の降伏後、GHQによる占領下で出来上がった日本国憲法を始めとする憲法や法令、テレビや新聞などのマスコミ、経済や金融では通貨発行権や通貨管理権の所在を意味する言葉として使われている。
突然、天から神が降りてきた。神は彼に向かってこういった。
アビラケツとは、彼の初めて聞く言葉であった。彼は、サンスクリットを教えている人を訪ねた。
すると、アビラケツとは、地水火空の意味で、アビラケツノミコトとは、「神軍を率いる光の命」、戦いの中心となる者と判明したのである。
彼は、天から降りてきた神によって、西暦2100年から2200年頃にシャンバラが登場することを知り、それまでアラビケツノミコトとして戦うように命じられたのである。
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高潔なる天皇家を認めることは、当然その対極に、穢れたる存在を生み出す。
天皇や皇族を、家柄や血統が良いとして崇める事は、構造的に部落民を差別する事と一緒である。
天皇が聖性を家柄・血統として、代々伝えることを認めるならば、部落民の賤性もまた、家柄・血統として代々伝えられることを認めることになるのである。
また、賤であり穢れた存在を置くことは、天皇自らの聖性・浄性を相対的に高めるという効果がある。
天皇家にゆかりがある関西や、大和朝廷と関係がある地域と思われる福岡・熊本・大分に被差別部落が多いのは、おそらく古代・中世期に天皇制権力が賤民や部落民の原形を作り上げたからではないかと考える。
天皇が聖性を家柄・血統として代々伝えることを認めるならば、部落民も当然その賤性を代々伝えていくことまで認めることになるのである。
天皇家は天照大神から万世一系に繋がっていると信じさせている。何が万世一系と見なされているのか。
一つ目は、三種の神器の継承、である。これは天照大神の時代から代々伝わっているとされている。
二つ目は、霊が繋がっている、とされている。大嘗祭は、収穫を祝う祭であるが、それだけでなく、現在の天皇が旧天皇の死体と共に寝るという儀式もある。これによって、先帝の天皇霊が新天皇の身体に憑くのである。したがって、天皇は天照大神と霊的につながっている現人神とされたのである。
三つ目は、血が連続している、とされている。皇位の根拠が古代以来連続してきた血統にあるとされた。
そしてこの連続性は当然今後も継続することが当たり前であるということを正当化させる。こうした天皇の万世一系性は、あらゆる家系に優越し超越する天皇家の家系を強調し、皇位の不動性をわれわれに当然のものとして受け取らせるのである。
万世一系を唱えることのメリットとしては、天皇の宗教的権威や統治権の絶対性、さらには身分と地位の永続性が担保されるということが考えられる。
奈良・平安時代などは、天皇や皇族の後ろ盾にいる各豪族の抗争次第で、皇位は血統原理と関係なく移動したのである。
例えば、聖徳太子は、血統原理から言えば正統な皇位継承者だったのだが、結局天皇にはなれなかった。また672年に起きた壬申の乱では、天皇と名乗る大友皇子(天智天皇の子)を大海人皇子が武力で倒し自らが天皇になった。
又、天皇家は、万世多系であった。桓武天皇の母親は朝鮮からきた人というのは有名な話である。また皇室には代々側室なるものが存在し、その側室は平民から選ばれたのである。明治天皇や大正天皇は側室の子供である。(明治天皇の側室で大正天皇の生母であった柳原愛子さんは大正天皇が知的障害者であったことの責任をなすりつけられたそうである)そのことは皇室の家系図には書かれておらず、あたかも天皇が一人で子供を産んだように書かれており、見る人に天皇家は万世一系につながっていると思い込ませているのである。
更に、現在の天皇家は足利尊氏が無理矢理作り出した北朝の子孫であることである。血統原理でいくならば、正統な皇位継承権は南朝にあるのである。(南朝の子孫とされる熊沢という人が大東亜戦争後に、皇位継承権は自分にある。と訴えた話は有名である)
天皇陛下はいつも国民のことを考えておられる。福祉にも御興味をもたれ、障害者にも優しいお方である。などと思っている人の何と多いことであろう。しかし天皇家は実は思いっきり穢れた家柄・血統の人間を差別しているのである。
天皇・皇族の部落民に対する差別事例をここでいくつか挙げてみる。
1868年に制定された『法令全書』の第1巻686号には、天皇が巡幸する際に穢れ多い部落が見えないように部落を筵で隠すべきということが書いてある。
そのことの事例として、1922年に起きた大分県の的が浜地区焼き討ち事件、がある。事件のあらましは、皇族が列車で巡幸する際、沿道沿いにある、的が浜スラム地区、が皇族の目に触れないように、その地区を警官が焼き討ちした、という事件である。的が浜地区は正確には被差別部落ではないが、非人系の部落民や、ハンセン病者や、浮浪者が多数居住していたスラム地区であった。
これは大正年代の出来事だが、奈良県の畝傍山のふもとにあった洞(ほうら)部落が、その下にある神武天皇陵を見下ろす位置にあるとして、行政側は1917年にその部落の強制移転を求め、20年にそれを強制執行した。その際、洞部落の部落民の遺骨も穢れているとして、徹底的に取り除かせた。
例えば、宮中の賢所に使える女官を選ぶ基準は血統・血筋である。穢れも未だに重視しており、彼女らが月経のとき、お下り、といって強制的に休ませている。月経が終わっても穢れを祓う儀式をしないと元の仕事に戻れないそうだ。
そして最も重大なのが、結婚相手の調査を正々堂々としているということである。
1993年1月5日付け読売新聞朝刊の一面によると、宮内庁は、皇太子妃候補の身元調査を大手興信所に頼んだとのことである。そこには皇室専門の興信所員がいるとのことである。そして直系は4代先まで溯り、大祖父、祖父のきょうだいまで徹底的に調べたそうである。そして雅子さんが優秀な家系で驚いたなどと興信所は言ったそうである。皇室は差別主義に凝り固まっていると言える。
天皇制擁護者の大多数は、天皇・皇室は日本の伝統だ。という理由で賛成していることだろう。しかし天皇制は日本オリジナルではない。天皇という概念は、中国における道教の最高の信仰対象であった天皇大帝から来ているのだ。
天皇家は、伊勢神宮か京都御所で儀式とか神主でもやるべきだ。もちろん、その際でも、天皇・皇族も国民という立場で勤労・納税の義務を負い、また参政権を含めた基本的人権を有する立場に置かれるべきだ。
休職中につき暇なので耳かきボイスについて語る。耳かきボイスが何か知らない人はとりあえず以下の動画を見て(聴いて)ほしい。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm28975957
この動画の少女は俗に炭酸ちゃんと呼ばれていて、とみみ作品の中でも随一の人気を誇っているのだがそれは置いておく。
一度体感してもらえばわかると信じているのだが、耳かきボイスを聴くということは単なる耳かきの疑似体験では決してなく、「バイノーラル録音された耳かきの振動と女性(男性)の囁き声による振動を脳に染み渡らせる」という唯一無二のエンターテインメントなのである。
さて、ここで俺のおすすめ耳かきボイスをいくつか紹介したい。今調べたらiTunesの耳かき関連項目が1297あった。買いすぎだろ。なお今回は18禁は意図的に外したのであしからず。
http://www.dlsite.com/home/work/=/product_id/RJ150001.html
とみみという人物は上記の動画のように高クオリティの耳かきボイスを40以上もニコ動に投稿している現人神のような存在なのだが、DLsiteでの販売作品も複数ある。その全作品がクオリティ・価格共に最高レベルであり「現人神のようなというより実際に神なのではないか?」という疑いが拭い去れない。そんな作品群から俺がひとつ推すとしたら本作になる。バイノーラル録音の心地良さをこれでもかと感じられることは間違いない。たっぷり1時間収録で216円という価格はもう他のサークルを殺しにかかっているとしか思えない。耳かきボイス界では有名な声優「かの仔」が珍しく少年っぽい声を演じている点も◎。なお耳かきシーンは存在しないがそんなことはどうでも良い。
http://www.dlsite.com/home/work/=/product_id/RJ146114.html
先に述べた「かの仔」が主催するサークルの作品からはこれを。1月から12月までの全12トラック、それぞれ季節感のあるエピソードを体験できる。ひとつひとつのトラックが短めなのでとても聴きやすく、耳かきボイス初心者にはうってつけではないかと思う。驚きなのは、全トラックで使用している耳かき道具が異なるというこだわり。そして注意書きには「リアルな音、リアルではないけど気持ちいいと思う音を収録しました。」の文字。これだよこれ。リアルかどうかとはあまり関係ない部分に耳かきボイスの真骨頂があると言っても過言ではない。あと音撫屋といえば耳ふー(耳に息を吹きかけるやつ)が最高オブ最高なので一度体験しろ。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm31249602
http://www.dlsite.com/home/work/=/product_id/RJ174597.html
このサークルはドラマCD寄りの作品が多いのだが、中でも本作はCV:浅見ゆいの癒やしパワーが全開になった傑作。それはもちろんシナリオの良さが故。綾辻さんという旅館女将のおっとりしたキャラクターが抜群で、更にいえばちょっとえっちい展開なのも最高である。個人的にはやはりタイトル通り添い寝のシークエンスが抜群に心地良かった。架空のキャラにうっとり恋してしまいそうになる危険な作品。
http://www.dlsite.com/maniax/work/=/product_id/RJ180495.html
音質の驚異的な高さという暴力でリスナーを殴りつけてくるサークルといえば桃色CODEである。本作でもそれは健在で、ラムネを開けるシュワッとした音、肩たたきのトントンという振動感、飲み会での盃を躱す音、全てが絶品という他ない。更にはBGM的にずっと聞こえている田舎の昼/夜らしい音、どう考えても実際に録音してきたとしか思えない。手間のかかり方が半端ではないのだ。更に本作ではなんとガチの怪談が3つも収録されている。稲川淳二よろしく語りかけるそれらは本当に背筋がゾクッとなるクオリティ。あまりに隙がなさすぎる。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm28771395
最後はニコ動の投稿から。たったの7分半ながらこの破壊力はヤバすぎる。甘々な恋人どうしの空気が全編に濃厚に漂っていて打ちのめされること請け合い。俺は「フヒヒッ」って笑うところで死にました。バイノーラルの音も申し分なし。珍しく流れているBGMも良く合っている。ところで投稿者のコメントによれば「個人的に頂いた音声ですが一人で聞いていると発狂しそうなので泣く泣くアップしました。」とのことで、もうさあ、もう!(発狂)
というわけで終わりだ。え? 有名所だけじゃねえかって? しかたねえだろ! 定番サークルだけでも聴ききれないくらいガンガン発売されてるんだからさあ! いやほんと、すみません。他におすすめあったら教えて。
先に言うと天皇制の是非についてはネトウヨとネトサヨに任せるんで興味なし。
ただ今後グローバル人材()を育成するということで教育面への影響を考えた話。
キリスト教やイスラム教は宗派の違いはあれど国境を超えてもその人の信仰ということで一生ものの道徳律として作用する。
だけど天皇制にはそれはない。
神道と天皇制を同一にしようとする動きもまあ戦前に色々あって出雲大社が分家作って新興宗教化するくらい反発もあったけど、今になるとそのへんの境界も曖昧になってる。
キリスト教やイスラム教は、神と人という哲学的な倫理観を(是非はともかく)含むものであるけれども、かつて「現人神」なんてくだらない幻想を作り上げた歴史のある日本においてはそうした哲学は全くない。
象徴天皇として「高貴な存在」として崇めている人はいるだろうけど、その役割は災害なんかで悲しい目にあった人にたいしてお慰めをするというところにとどまっている。
キリスト教やイスラム教みたいに「XXをしたら神に認められる!」という積極的なものじゃない。
今日本の富裕層として財界や政界で活動している連中の中で、「天皇陛下に認められるためにやっている」と思っている人はゼロだろう。
つまり何か行動を起こす時に「天から自分の行動の良し悪しを判定してくれる大きな存在」がいないのだ。
だからこれからの子供に「天皇を敬いなさい。日本の象徴なのよ」といくら洗脳教育をしてもそれはグローバル人材にはならない。
せいぜい狭い島国日本国内でおとなしく親の言うことを聞き、平凡が幸せと感じる自称中流を量産することにしか役に立たない。
てか80超えて月に27日働いてる人がいたらが誰か教えてくれよマジでwいるのこの世に?まァじでw
もしこれ90超えてやってたらねえ、ほんとにやばいよ?心配したほうがいいよ国の将来ほんとにw
俺なんかもう普段は人々の傍らに立ちその声に耳を傾け思いに寄り添ってきたけど、友達じゃないから、アナタとは
ほんとにぃ、考えたほうがいい、ほんとにw
老人を死ぬまで公務させるとか、どwどう生きたらそうなるの?っていう
戦前だったらいいよ?戦前だったら俺もそういうくだらない、俺の先祖現人神とかいってたから
戦中だったらあのーこれから歴史色々あるよ、ABCD包囲網とかあってぇ、まあなんだし、
そういうことしてたらいじめられるよ ってー まあまあまあ 戦中だったらね
基本的人権が日本の風土に合わないとか言って憲法草案作ってる国に、何かいおうって言う国がそもそも周りにいない、そんなこと二十世紀超えて言ってたら