2017-02-09

天皇制教育をしてもグローバル社会()対応できないと思う

先に言うと天皇制の是非についてはネトウヨネトサヨに任せるんで興味なし。

ただ今後グローバル人材()を育成するということで教育面への影響を考えた話。

キリスト教イスラム教宗派の違いはあれど国境を超えてもその人の信仰ということで一生もの道徳律として作用する。

だけど天皇制にはそれはない。

神道天皇制を同一にしようとする動きもまあ戦前に色々あって出雲大社分家作って新興宗教化するくらい反発もあったけど、今になるとそのへんの境界曖昧になってる。

てかネトウヨ含むほとんどの人がそういうの知らない。

キリスト教イスラム教は、神と人という哲学的倫理観を(是非はともかく)含むものであるけれども、かつて「現人神」なんてくだらない幻想を作り上げた歴史のある日本においてはそうした哲学は全くない。

象徴天皇として「高貴な存在」として崇めている人はいるだろうけど、その役割災害なんかで悲しい目にあった人にたいしてお慰めをするというところにとどまっている。

キリスト教イスラム教みたいに「XXをしたら神に認められる!」という積極的ものじゃない。

今日本の富裕層として財界政界活動している連中の中で、「天皇陛下に認められるためにやっている」と思っている人はゼロだろう。

まり何か行動を起こす時に「天から自分の行動の良し悪しを判定してくれる大きな存在」がいないのだ。

からこれからの子供に「天皇を敬いなさい。日本の象徴なのよ」といくら洗脳教育をしてもそれはグローバル人材にはならない。

せいぜい狭い島国日本国内でおとなしく親の言うことを聞き、平凡が幸せと感じる自称中流を量産することにしか役に立たない。

天皇制があるから国際社会で立派に見られるとかそういう意見は聞き飽きた。

問題はこれから次世代メンタルをどうしていくかの方なのだということにいい加減気づく知識人がいてもいいと思う。

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