はてなキーワード: 王貞治とは
「清宮の90本超えは練習試合も含めているから参考にならない」と言い捨てるだけの記事を見かけたが、そういうことを書くんなら「他の高校通算本塁打数上位選手は公式戦でどのくらいホームランを打っているのか」「早実のグラウンドは広いのか」「早実は練習試合を多く組んでいるのか」「早実の対戦相手は弱いのか」あたりをきっちり調べて書いてくれ。報道に文句を言うだけなら迷惑ブログでもできるんだよ山田隆道。
http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/baseball/561901/
早実が“主戦場”とする王貞治記念グラウンドは両翼93メートル、中堅120メートル。神宮球場の両翼97・5メートル、中堅120メートルよりは小さいものの、一般的な高校が持つグラウンドとしてはかなり広い部類に入る。
昨夏甲子園4強に残った早実には、今春招待試合のオファーが殺到。いずれも地方の強豪校ばかりで、実際早実の勝率は決して高くはない。
もうひとつ言うと、リーグ戦があるプロや大学野球と違って、高校野球はほとんどがトーナメントなので、本塁打数を公式戦だけに限定すると、公式大会を勝ち進めるような強豪チームほど有利になってしまう。それはそれで不公平だろう。とりあえず「練習試合も含めているから参考にならない」ではなく「練習試合の内容がこうだったからこの選手はこうだ」と言えるようになってくれ山田隆道。
あと、いまや野球でも統計データが活用されている時代なんだから、球場の広さや相手関係を考慮に入れて、高校野球選手の成績を評価できるような指標があれば面白いんじゃないかね。
【MLB】盟友グリフィーJr.氏 イチロー日米通算記録に「“世界記録”は名案」(Full-Count)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160617-00010007-fullcount-base
多くが忘れてるが張本も日米通算で記録を抜かれた際、NPB記録はあくまで私ですからとイチローを認めていない。
あとご存じの通り彼はMLBをNPBよりクソだと思ってるから来年にはMLB単独でもイチローに安打数抜かれそうだけど、それも認めなそう。
実際問題それぞれリーグが違うのだからNPB記録は張本、MLB記録はピートローズというしかないというのが正しいかもしれない。
それにMLBはシーズン中に違うリーグ移籍すると年間成績が別々に取り扱われるくらいに記録の集計にデリケートだから、
国もリーグも違うものは尚更同じ記録扱いにされることを簡単に納得しにくいだろう。
賛否両論あれどイチローが日米両リーグに跨がって活躍したことはどちらか単独で記録を作ったのは良かったことだと思う。
イチローのようにそれぞれの国で5年から10年以上にかけて長年プレーしながら通算で記録を達成することはNPBだけもしくはMLBだけで記録を達成するより難しいことだと思われる。
日米のリーグ差の問題はあるが率や安打数においてはリーグとの相性も加味されるし、試合数の差も考えると同等程度か、レギュラーをとれる一流選手であればMLBの方が安打数は多く積み重ねやすいのではないかと思う。
イチローも言っていたがNPBだけで4256安打打つことが一番難しいかもしれない。
NPB記録保持者の張本勲が唯一の3000本以上で通算3085安打。王貞治は世界記録の868本塁打を打ったが2786安打。
755本塁打のハンク・アーロンは通算3771安打。714本塁打のベーブ・ルースは2873安打。
そのデータを見るとNPBの方が当時はより球場も狭く投手のレベルも低いのでMLbより本塁打数を重ねやすいというのは分かるものの、その点からいうと安打数においてアーロンやルースより王の方が少ないというのは少し違和感があるし、20世紀前半以前のMLB記録を抜いて考えるにしてもMLBでは3000安打達成者は最近でもジーターらを始め何人か生まれている。
MLBでは4~6番が主で、イチローのように打席が多く回りやすい1~3番の打順で試合に出ることが少なかった松井秀喜でもMLBで打率.305を記録した2005年には200本に迫る192安打を記録している。
松井は日本ではシーズン167安打が最高だったが、MLBで怪我するまでの1~3年目は全試合出場していることもあり、安打数は日本時代のキャリアハイより多い170本以上を毎年記録している。
したがって、それなりに打率を残して試合に出続けられる選手ならばMLBの方が安打数は積み重ねやすいのではないかという可能性が考えられる。
日米の単純な野球のレベル差というのも議論の余地が多少残る。本塁打は明らかに日本の方が打ちやすいことが通算上位の安打数における本塁打率の差からも分かる。
ただそれもトップ中のトップになると四球責めになりやすいNPBよりは同じ四球責めを喰らうにしてもやはり試合数が多いMLBの方が有利となるが。ソーサマグワイアやボンズが日本でやったら毎年のように60本打てたかというと四球責めで減っていただろう。
実際ボンズは476打数で73本塁打の翌年から勝負を避けられて400前後の打数で40本台に減っている。
日本だと試合数が少ないしさらに勝負を避けられて250打数で40本とかになっていたかもしれない。
また、MLBのトップなら誰でも日本でMLB時代と同等以上に成功するかというとそれも難しい所がある。
オールラウンドに打てる巧打力があればどのリーグでもそれなりの率を残せるが、得意なコースや球種に偏りがあると日本ではあまり打てないということがありうる。
現役メジャーリーガーでもパワーヒッター系よりミート力の高い中距離打者の方が日本では成功率が高い印象がある。
彼らは信じられないほどの成績を残したりもしないが失敗例は少ない。フリオ・フランコ、シェーン・マック、元西武のフェルナンデスなど。
1980~90年代は日米の年俸が近かったせいもあって意外と今よりもMLBの本当のレギュラークラスが多数来日している。
彼らは十分に日本でもレギュラーとして通用した選手が多いものの、センセーショナルな活躍をしたかというと、そういう例は少ない。
特にフランコはMLBで首位打者獲得を経験しており、全盛時に来日したMLBでもトップクラスの選手だが日本での2シーズンは.305 10本、.290 18本とさほど目立つ成績ではなかった。
本拠地が千葉マリンのロッテに所属したせいで本塁打が少なくなった影響はあるかもしれないが、ほぼMLB時代と同じくらいの成績になっている。
シェーン・マックは来日前までのMLB通算打率が.2994というバリバリの一流レギュラー選手だったが、日本では2年間で通算.284と打率を落としている。本塁打数と長打率は増やしており安定して活躍したが、NPBとMLBそれぞれの通算長打率やOPSを見てもあまり差がない。
それらの成績を見るとNPBがMLBよりレベルが遥かに劣るとは考えにくい。
また、マックは彼以外の日本で成功する外国人選手の共通点でもあるが、野球に取り組む姿勢に非常に優れていたらしい。
野球に取り組む姿勢の良さは、日本からMLBに行く日本人選手の成功と失敗を分ける要因にもなっていることがいえるように思う。
その姿勢の問題でよくネタにされるグリーンウェルもバランスのいいタイプの中距離打者だったはずだから、真面目に取り組めばNPBでも通用したと思う。
日米でも、それぞれ何故か片方で通用しながら片方では通用した選手というのがいる。
日本から帰国後にMLBで最多勝を獲ったガリクソンや帰国後にMLBで本塁打王を獲ったフィルダーなど日本で何かを掴んで覚醒して両国で活躍した選手もいたが、その逆は比較的少ない。
井口や城島、福留、西岡などは故障や衰え、メンタルの問題などでMLBを去った後も日本で活躍したといえるのだが、しかし日本での全盛時に比べると物足りない。
岡島や五十嵐などはMLBで一皮剥けて何かを掴んで帰ってきて日本でも活躍したが、大家やマック鈴木などは結局日本では殆ど活躍できなかった。
日本に出戻りではないが韓国のパク・チャンホも衰えていたとはいえ日本では通用しなかった。その後韓国でも通用しなかったようである。
あとは中島や松坂などを見ても、今はもはやアメリカ帰りが日本で簡単に活躍できる時代でもないし、MLBで1.5流程度にやれたら日本や韓国では1流以上というわけでもないようである。
今までで最も日本に衝撃を与えた外国人選手は多分ホーナーなのだろう。
マイナー経験なしでメジャーデビューしたエリートで、そのまま主軸で活躍していたメジャーリーガーが来日し、その肩書き通りに凄まじい成績を残した。
恐らく最もNPBのレベルが相対的に高かった1990~2000年前後よりさらに日米のレベル差が激しかったと目される当時(1987年)で.327 31本。
故障離脱があり93試合での成績だからかなり凄いのだが、当初は4割60本くらい打たれてしまうのではというほどの期待と恐怖があっただろうに結局はその程度の人間らしい成績に収まったともいえる。
バース、マートン、ペタジーニ、カブレラ、ラミレス、ロバート&タフィ・ローズなどMLBでは大した成績を残していないながら日本でレジェンド級の成績を残した選手が多いので日米のレベル差は激しいと考える人も多いが、
逆にMLBで彼らを遥かに上回る成績を残して日本にやってきながら日本では彼らに全く及ばない成績に終わっているメジャーリーガーも上述の打者達のように多く存在するため、レベル差というより相性の問題もかなり大きい気がする。
日本でいえばMLBでも通用した田口壮や新庄は、アメリカでさっぱりだった中村紀洋や中島裕之以上の打者といえるのか…など。
歴代最強助っ人のバースは速球が苦手で変化球が得意だったらしく、そのおかげでMLBより速球投手の少ない日本で適応して史上最高の助っ人と呼ばれるような成績を残すことになった。
一方、当時そんなバースに速球で真っ向勝負を挑んだ津田や江川の勇気と度胸が賞賛されていたみたいだが、そういう事情を考えるとむしろ速球が持ち味の投手が速球が苦手な打者に速球で挑んだのだからただのセオリー通りなのでは…という気もする。
強打者に速球は怖いという先入観から変化球勝負で逃げたつもりが逆にバースにとっては都合が良かったというのが活躍の要因かもしれない。
もっとも、日本ではバースが苦にするほどの速球を投げる投手も限られているので速球勝負でも打たれていたのだろうが。
落合はその当時ですらMLBで4番を打っていたホーナーよりMLBで実績のないバースの方がNPBにおいては成績を残せる打者だと評していたらしいが、そのあたりの本質を突ける度胸と観察眼は凄いものがある。
MLB移籍前に日本で圧倒的な成績を残していたイチローだったが、当時は日本の専門家の話でもMLBでは打率3割を打つことすら難しいとの声が多かった。
そのMLB移籍前のイチローとの対談において、落合はメジャーに行ったらどの打順を打ちたいかという話題を振ったことがあった。
その際、イチローが「メジャーに自分より凄い奴がいたら7~9番を打つ」と謙遜することを言ったのに対して、
落合は「(イチローより凄い奴はメジャーにも)いない」と突っ込んでいたのだった。
日本人や韓国人選手も今よりももっと多くの選手を輸出すれば、日本や韓国では大したことなくてもMLB で成功する打者が現れるのではないか。
既に投手はそういう例が多数あるし、打者においても韓国のチェ・ヒソプはMLBでレギュラー半でいながら2年連続15本塁打と健闘する成績を残した上でKBO(韓国)のチームに入団したが、韓国では期待に近い成績を残したのは1~2年だけで他はパッとしない成績しか残せないまま引退してしまった。MLBと比べたNPBよりもさらにレベルが低いと目されるKBOですらMLBの実績の割にKBOでパッとしない例が散見することからも、少なくとも日米韓の数字の見かけ上のレベル差はここ数十年でかなり縮まっていると思われる。
もちろん、主に内野守備や球場など、総合的なプレーのスケールや文化のレベルにおいては向こう三十年以上埋まることがないと思えるほどの差があるが。
韓国人選手はNPBで通用しなくてもMLBで通用しそうなタイプの打者が多いように感じる。
イ・スンヨプやキム・テギュンはNPBよりMLBでの方が安定して成績を残せそうなタイプに感じていた。起用してもらえたらというのと、テギュンの場合は環境への適応も課題だが。
実際に今年は韓国人野手が何人もMLBに移籍して打率の面で物足りなさはあるが長打の面では驚くくらいのレベルで健闘している。パク・ビョンホは打率は2割前後ながら既に11本塁打、イ・デホは起用が少ないながら10本塁打で打率も3割近い。怪我から復帰したカン・ジョンホも打率2割後半で9本塁打。
あとはNPBでも活躍したとはいえ、信頼感抜群のクローザーだったとまでは言い難かったオ・スンファンがMLBで奪三振率が12以上で防御率も1点台で十分通用しているのを見ても、もはや日米のレベルの差は相性と調子が一番大きな要素になる程度なのではとすら感じる。
日本でも落合や清原など外角を得意にして速球を得意にしていた打者はMLBでやっても面白かったのではないかと思う。両者の日米野球での成績は散々だが、実は松井秀喜も日米野球ではあまり打っていないながら通用したので、さほど直接的には関係しないように思う。
また、両者は飛び抜けた才能と技術の塊だから対応力があったのではないかとも思われる。特に体格的にもMLBの強打者に引けを取らない清原は何かの拍子によっては、むしろNPBで才能だけで適当に続けてしまった後の現状より成績的にも素行的にも好転していた可能性すら考えられる。実際清原が若かった頃はMLBからも注目されていたらしい。
しかし関西出身野手のアメリカ挑戦惨敗率の高さを考えると、清原もメンタル的に微妙だったかもしれない。
つまるところ、全てのリーグで活躍した選手こそ最も優れている選手といえるのであって、MLBでナンバーワンになった選手がNPBでも必ずナンバーワンかというと怪しいのである。
もしかしたらマグワイアやソーサ、ボンズらはNPBでは松井や中村紀、カブレラやローズらより打てなかったかもしれないし、松井や中村、小笠原、松中らはKBOではイ・スンヨプやイ・デホよりも打てなかったかもしれない。
最近キューバのトップクラスの打者が何人かNPBに来たがさほど凄まじい活躍をしたといえるほどでもない。
グリエルは62試合で.305 11本、デスパイネも1年目は45試合で.311 12本だから凄さを見せたといえるが、2年目は103試合で.258 18本。十分通用はしているものの目を見張るような成績ではなく、単純にこのレベルの成績の選手がMLBに行くと簡単に主軸を打てそうという想像はつかない。セペダに関しては逆に何故あそこまで打てなかったのか意味が分からないが…。
じゃあキューバの打者が大したことないのかというと、彼らとキューバ時代は同等程度の成績だったセスペデスやアブレイユらが亡命して、MLBの主軸として活躍できている。
グリエルやデスパイネの成績から考えるとキューバと日本の投手の相性があまり良くないのではないかと考えられる。つまり、MLBで3割30本近い成績を残しているセスペデスやアブレイユでも、NPBではより成績を落とす可能性が低くないと思われるし、したがって、MLBの超一流なら高確率で、NPBで同程度から同等以上の活躍ができるとは決めつけられないのではないかと考えられる。
ピート・ローズだって試合数が少ないNPBで仮にやっていたらその期間はMLBと同等以上の安打数を稼げなかったことは間違いないし、それどころか、仮に1~2年間NPBにいたとして、通用しなかったりレギュラー争いで他の選手に敗れたりして100本も打てないまま日本を去っていたかもしれない。
推測や期待はロマンがあって面白いが、実際にやって証明した例に比べてしまうと、やってない以上はやってみなければ分からない要素がかなり大きい。
だからこそ、NPBとMLB両方のリーグで実際に何年もプレーした上で、両方で歴代最高峰の実績と印象的なプレーの記憶を残したイチローは現代野球では歴史上唯一といっていいくらいケチの付け所のない世界歴代最高の選手だといえる。
また、それこそがNPB単独通算でもMLB単独通算でもない日米通算最多安打というイチローが残した実績の唯一無二の偉大さを表しているのである。
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何故俺が虎になる運命になったのか判らんと、さっきは言ったが、しかし、考えようによれば、思い当ることが全然ないでもない。
巨人に入ってからというもの、俺はつとめて威嚇的な態度をとり、桑田をはじめとする昔からの友人も遠ざけた。みんなはおれを番長だ、まるでヤクザだと言った。プライドが高すぎる、という人もいた。実は、それがほとんど羞恥心によるものだということを、みんなは知らなかった。
もちろん、かつての「王貞治を超える天才」といわれた自分に、自尊心が無かったわけはない。しかし、それは臆病な自尊心とでもいうべきものだった。おれはプロ野球史に名を成そうと思いながら、進んで先輩の教えに就いたり、求めて球友と交って切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、俺は成績は平凡でも細く長く生き残ればいい、というのも潔しとしなかった。ともに、おれの臆病な自尊心と、尊大な羞恥心とのせいだ。
俺が、「実は王さんを超えるほどの才能がないのかもしれない」ということを恐れるがゆえに、あえて刻苦して磨こうともせず、また、俺が王さんを超える天才であることを半ば信ずるがゆえに、普通の平凡な選手として生きることもできなかった。おれは次第に野球界との付き合いから離れ、人と遠ざかった。結果、イライラがたまるし、人に見られるのも恥ずかしいしで、ますます自分の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。人間は誰でも猛獣つかいであり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。俺の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。
肉体改造でゴツい体になり、毎日ぶっ倒れるまで飲み、仕事をドタキャンし、嫁と息子をほったらかして不倫し、帰ったら家中を殴ってボコボコにし、竜の刺青をし、忠告する友達を傷つけ、さらにヤクに溺れ、その果てに、俺の外形をかくの如く、内心にふさわしいものに変えてしまった。今思えば、全く、俺は、俺のもっていたわずかばかりの才能をムダにしてしまったわけだ。
「細く長い野球人生なんて退屈やで、太く短い人生のほうがかっこエエんや!」などと、口先では強がっていたが、実際のところは、才能の不足を暴露するかもしれないことが怖く、毎日苦しい練習をストイックに続けるのが嫌だった、というのが俺のすべてだった。
俺よりも遥かに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたがために、堂々たる一流選手となった奴がたくさんいる。虎と成り果てた今、俺はようやくそれに気が付いた。それを思うと、おれは今も胸をやかれるような悔いを感じる。
おれには最早人間としての生活は出来ない。たとえ、俺を監督に招聘してくれる人がいたとして、どうやってベンチで指揮をとることができるだろう。まして、おれの頭は日毎に虎に近づいて行く。どうすればいいのだ。おれの空費された過去は? 俺はたまらなくなる。そういう時、俺は、向うの山の頂の岩に上り、空に向ってほえる。この胸を焼く悲しみを誰かに訴えたいのだ。おれは昨夕も、あそこで月に向ってほえた。誰かにこの苦しみが分って貰もらえないかと。
しかし、獣どもはおれの声を聞いて、ただおそれ、ひれ伏すばかり。山も樹きも月も露も、一匹の虎が怒り狂って、たけっているとしか考えない。天に躍り地に伏して嘆いても、誰一人おれの気持を分ってくれる者はない。ちょうど、巨人で番長と言われた頃、おれの傷つきやすい内心を誰も理解してくれなかったように。俺の毛皮の濡ぬれたのは、夜露のためばかりではない。
遺族の人たち
(男 松戸市 1986)共に笑い、共に悲しめる関係を築きたいです 2年前に彼女と死別してからずっと1人きりでした。時間が経ち、少しずつ隣に誰も居ない寂しさが強くなり今回登録致しました。こんな私ですが宜しくお願いします。
(男 川口市 1966)独り身は寂しいよぉ 20年近く連れ添った家内と死別したばっかりです。毎日がむなしい・・・
(男 江別市 1958)ネクサスニャンコ 僕は空手弐段、合気道六段です!!横に居るのは妻です・・・今年の8月に天に召されました・・・・突然の死でした・・・・前の日までSEXしてました! 辛いです・・・・・理解のあるかた茶飲み友達でも良いです・・・お願いします(^^)
(女 高知市 1991)既婚済で子供5歳が居ます旦那は死別デス
(男 渋谷区 1971)よろしくお願いします 死別独身 癒しあえる時間であればよい 金品の関係は期待しないでください 癒し癒される時間
(男 大津市 1957)結婚というよりは束縛せずに楽しみたい 昨年、妻と死別しました。子供も手を離れ、そろそろ自分のために生きてみようかと思います。少し冒険もしてみたいし、自分を素直に出せる女性に巡り合いです。よろしくお願いします。
(男 文京区 1984)優しく大切に女性と接します 正確には妻とは死別です。 亡くなる直前までセックスを楽しんで、満足してもらっていました。 セックスレスの方などいましたら、満足できるセックスパートナーになれると思います。
(男 左京区 1966)やすらぎを求めて 結婚歴は一回、死別です。仕事柄電気関係にはツヨイです。 若い時にはジムやスポーツのインストラクターもやっておりました。 バーテンの経験もあるのでお話の御相手も得意な方です、聞く方が専門ですけど。 お話相手に最適です。
(男 中央市 1966)欲望解放しましょう 妻と死別、やっと前向きになれました。 最後の恋人として長く続けられるパートナー募集してます。 性欲旺盛です。
(男 鎌倉市 1960)愛のある関係を 昨年、家内と死別をしました。心身を癒して頂ける素敵な女性との巡り合いがあればと思って登録させていただきました。どうぞよろしくお願い致します。 年齢の割には硬いかもしれません。
(男 小田原市 1959)余生を楽しみたいと思います。 妻と死別し、家族がいないもので・・・ 一人であちこち出かけたりするのですがどこへ行っても単調に思えてしまいます。 一緒に笑いあえる明るい人がいたらいいな。
(男 北区 1954)よろしくお願いします 妻と死別して5年、再婚する気はありませんが、独り身が淋しく、お付き合いして頂ける女性がいると幸いです。 尚、今年60になりましたが気は40ぐらいのつもりです。 y
(男 野田市 1958)仲よくなりましょう 既婚者ですが、今年妻が死去しました 痩せ型でです 趣味は映画鑑賞、自宅でエレキギターを弾くことです 酒は普通、タバコは吸いません
(男 南区 1966)よろしくお願い申し上げます。 冬はスキー、夏はスクーバダイビング、春秋はテニスを楽しみ、年間6回は海外リゾートに出かけます。最近、伴侶と死別して共に人生を楽しむ相手を探しています。
(男 松江市 1960)優しい女性いないかな? 死別バツ独身です。息子は独立し、大阪にいるので、一人暮らしです。時間に余裕があるので、逢いやすい相手かも。休みは日曜日・祝日と月3回くらいの平日休みです。仕事は、自動車関係の部品の仕事しています。 女性の色気を、髪の毛と笑顔に感じます。そんな人いないかなぁ…。
(男 長崎市 1952)恋愛は脳萎縮を止める 記憶が陥没中の私にとって人との出会いは【ING】の現在形として強い刺激になっております。死別によって独身にさせられたわけですが、独身15年目に入った今、金木犀のように実こそつけないけれどただのあそびではない交流と交遊を楽しみましょう。 アルコール依存症のために酒は飲みません。断酒歴6年目に入ります。 いろいろな病気が断酒に入ってから、次々に発現して健康であるという思い込みと有病者であること必ずしも矛盾しないことを思い知らされました。
(男 足立区 1956)頭が薄い中年男性ですが、誠実に対応します。 妻とは死別しました。現在パートナーを探しています。自分がスリムな体型なので相手の方もスリム~グラマーな体型の女性が好みです。お互いを思いやるセックスをしたいですね。宜しくお願いします。 趣味は映画鑑賞、音楽鑑賞、読書です。
(男 栄区 1954)はじめまして こんにちは死別者の独身です もう結婚はしたくないので、既婚者との交際希望です。あなたのニーズに応えられると思います。これからの楽しいひと時を送りしょう
(男 寝屋川市 1965)前妻とは、死別、これからの連れ合い探し
(男 瀬戸市 1944)妻と死別して5年になります。毎日が味気ないので、気に入った女性との佳い時間を持ちたいです。少々年をとっていますが、元気です。
(男 大田区 1964)バツイチのバイです 大田区在住のバツイチです。妻とは20数年前に死別しました。温泉大好きなぽっちゃり体型の親父です。。
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(男 横浜市 1954)妻を癌で亡くしました。明るい女性を希望します。 時にはS、時にはM。キスが大好き!! スレンダーな人が好きかも...
(男 伊那市 1955)妻を亡くし、寂しい日々を送っています。
(男 広島市 1965)9年前に妻を亡くしずっと独り。再婚はする気がない。食事をしたりライブに行ったり生活の少しの時間だけ一緒に過ごせる素敵なレディを待
(男 船橋市 1965)妻を亡くしさみしいです
(男 名古屋市 1945)8年前に妻をガンで亡くし以来独身です スポーツが大好きで、硬式テニスを週に4~5回、ボウリングを週に一回楽しんでます。テニスは屋外なので真っ黒に日焼けしています。
(女 旭川市 1969)数年前に夫を亡くしましたが経済的にも自立しております。
(男 長野市 1989)嫁を亡くしたので淋しいです
(男 荒川区 1949)妻を亡くして(1年3月)淋しい 自分は特に特長のない人間です。
(男 安中市 1953)よろしくお願いします。 現在立派な中年ですが、妻を病気で亡くし今は独身です。自分の売りとしては、優しさと誠実さです。一緒に癒し合える関係になるといいと思っています。40~50歳前後の独身女性との出会いを希望しています。 大胆に行動する人が好きです。でも繊細な感覚も大事だと思っています。 映画とかコンサートが好きです。やはり一人より二人の方が楽しいですね。楽しみを共有できることが相手を思いも通じ楽しいかと思います。会う時は濃密に楽しみましょう。
(男 杉並区 1954)風鈴の達人を目指しています! わ こんな歳ですがセックスに目覚めました。妻を亡くしてから色々な女性と秘密で楽しい時間を過ごしたいと思うようになりました。冒険的で快楽に溺れるような刺激に満ちた大人の恋を求めています。もちろん内緒の関係で… 素敵な人生には好奇心が必要ですよね。ちょっとした冒険で愉しい日々を送りたいです。 冬はスキーを楽しんでいます。夏は?というと特にないですけど。クルマを走らせて知らない街をさまよったり、高原のワインディングロードで地球の匂いを嗅ぐのも好きだな。
(男 鹿児島市 1959)よろしくお願いします。 妻を亡くして5年がたちました。 新しい出会いも良いかな?と思い登録してみました。よろしくお願いします。
(男 八幡西区 1970)よろしくです パートナーを去年亡くしました やっと立ち直り、また人生を楽しみたいです
(女 東村山市 1983)去年夫を亡くして今は独身です。恋愛はもうできないと思って… いつかホンとの恋愛するまでの間よろしくお願いします。
(男 山形市 1947)セックスフレンド募集 一昨年妻を亡くし、一人浜松市で単身赴任中です。寂しさを素敵な貴方と過ごして楽しみたい。土日は特に暇してますから、誘ってください。 長期でセフレ希望。
(男 江戸川区 1969)よろしく 4年前に妻を亡くしてそれ以降2人の男の子との3人暮らしです。
(男 江別市 1958)SEX 私は空手と合気道の有段者です。 最近、妻を亡くして長い間SEXはご無沙汰してます! あれは妻を失神させるほど自信があります・・・どうかこの私に手をさしのべて下さい!!
(男 泉南市 1963)妻を亡くして十年、寂しい僕を慰めて!
(男 大和高田市 1958)初めまして。 私は4年前に妻を亡くし、高3の息子と二人暮らしです。職業はソーシャルワーカーです。心身ともに癒し合える女性を捜しています。どうぞ、宜しく御願い致します。
(男 世田谷区 1952)素敵な出会いを 妻を亡くしました。素敵な出会いの方がいればゴルフや旅をしましょう。
(女 札幌市 1975)平日お昼にいかがですか 趣味は読書と旅行です。 3年前に夫を亡くして、とってもさみしいです。 男の方とお話したいです。 優しくしたり、優しくされたりしたいです。
(男 川越市 1951)妻を亡くして3年。毎日が寂しい。誰か慰めて!
(男 練馬区 1947)人妻がいい 旅行と温泉が大好きです。妻を亡くし寂しい日々を送っています。
(男 富里市 1951)同年代に近い方を期待します。 妻を亡くしてはや18年になります。一緒にドライブ・温泉・旅行・食事などを楽しめればと考えています。
(男 八王子市 1940)残り少ない人生を愉しみたい 1936年生まれです、がまだ若い気持ちが溢れています。家内を亡くして4年になり寂しさが募っています。ひとときの愛で癒やし合えたらいいなと思っています。ドライブが趣味ですが一人では淋し過ぎます。付き合ってくれませんか。
(男 葛飾区 1943)レクサスとパジェロを持ち家内を亡くした71歳の年寄りです 私は、自動車の運転が米の飯より大好きですの理由で、家内が存命中は沖縄を除き、すべての都道府県の県庁所在地や有名観光地を走破しましたが、現在は孤独な年寄りです。 私は、どなた?かとドライブが出来たならば、幸せです。 敬具
(男 泉南市 1978)妻を亡くして14年、この寂しさを無くしたい! 僕は王貞治さんに良く似た顔してます。スポーツ好きで、若い時は毎日約10km走っていました。今は週3回温水プールで千メーター泳ぎ筋力トレーニングもやるので贅肉がとれ、いい体してますよ!
(男 鹿児島市 1963)よろしく 妻を亡くして5年経ち、親しく付き合ってくれる女性を探しています。一緒に楽しく食事や映画、ドライブや旅行等を楽しみましょう。
(男 市原市 1953)宜しくお願いします 私現在は一人 妻亡くしました
(男 富山市 1970)時間は自由になります。 始めまして 三年ほど前に嫁を亡くしてからは一人です‼ 小さな会社を経営してます 割と時間は自由になります。よろしくお願いします(笑) 楽しい人なら(笑) 愛犬かな(笑)
(男 青葉区 1968)出会いを求めて! 僕は冬はスキー、夏にはスクーバダイヴィングが好きな冒険家です。5年前に妻を病気で亡くしました。これから新しい出会いときめきを経験したいと思っています。
(男 尾道市 1961)夢にダッシュ 妻を数年前に亡くし、現在気ままに生活しています。生活も落ち着き何かにチャレンジしてみたくなりました。自転車とジョギングと体を動かすことがすきです。
(男 青葉区 1953)奥さんを亡くし寂しいです 目がきれいで話をしていて緊張しない人。 優しくエッチが大好きな女性を求めています
(男 鹿嶋市 1958)よろしく 最近妻を亡くして寂しいです
(女 千葉市 1977)未亡人です… 優しく、情熱的な方が好きです。 夫は腹上死でした。 お恥ずかしいお話なのですが… 私がもう少しで逝く…という時に本当に先に逝ってしまったのです。 若くして結婚致しましたので、夫以外の男性を知らぬままに未亡人になり、もう誰の事も好きになる事もなく、男の方の肌に触れる事も無いのかと思うととても淋しいのです。。。 ごめんなさい。 こんな恥ずかしい事を言ってしまいました。
国民栄誉賞を受賞しているからとこの待遇をいつまでも続けているとプロ野球界の衰退を招きかねない。
実際統一球導入や民放のプロ野球放送時間の短縮から視聴率が年々低下してるし一部の球団ではM&Aが行われたりもした。
それだけに今、バレンティンの新記録樹立を止揚もない前時代的な理由で避けようとするのは言語道断である。
四死球で逃げる事が戦術的な意味のものであったり、謙虚さは美徳であるとする日本人の気風だとかを理由にするのは如何なものか。
それならば、バットを持って来ず打席に立つといった王貞治のパフォーマンスを真似たとしても四球を投げるべきだ。
あるいはヤクルトはバレンティンを正当な理由で以って試合に出場させないべきだ。
1974年生まれぐらいの人から見て、手塚治虫ってこんな感じに見られてたなあっていう話。
僕が子供の時は各界に権威者つーか、記号みたいな人がいたのね。
美空ひばり=歌うまい、みたいな。石原裕次郎とかさ、リアルタイムじゃ「太陽にほえろ」しか知らんけど、あの固太りのおっさんのどこが恰好いいの?とか思ってても、裕次郎=二枚目、みたいな記号が権威をもってたんですよ。
いまさ、例えば歌姫って言っても、こーだくみも歌姫なら、浜崎だって歌姫でしょ。僕が子供頃だったら歌謡曲の女王ってたら美空ひばり、ミスタープロ野球ってたら長嶋茂雄、いや島倉千代子はどうなの、とか王貞治の方が記録を残してるよとか、そういう異論は通用しなかった時代なのね。
今だって神様だけどさ、もう当時はカテゴリー的には昭和天皇と同じカテゴリーなのよ。美空ひばりとか長嶋茂雄とか、石原裕次郎とかは皇室と同じポジションにいたわけ。
そういう意識を共有して、日本人は共同幻想体をシェアしてたのね。
タクシーに乗ってさ、いきなり運転手が「いやー昨日は巨人が負けて残念でしたね」って話しかけるみたいな、共同幻想ね。そこにはスワローズファンなんて存在しないの。いや、俺はホエールズファンだからなんてのはあってはならないの。石原裕次郎=二枚目ってのを受け入れるのはさ、天気の話をして場をつなぐ友好的な社交を受け入れるってのと同じことだったわけよ。
そういう仲でさ、手塚治虫=神様=天才=善人=医者、っていうさ、そういう受け入れられ方をしてたわけ。世間はアトムとジャングル大帝しか知らんから。
手塚の場合は、まあ、実際に天才だったわけだしさ、裕次郎が二枚目っていうのよりは実態があったけど、僕らの世代は実際には手塚漫画を読んでないのね。アニメは見たよ。
子供が多い時代だったから、しょっちゅうアニメは再放送されてて、「ジャングル大帝」「ふしぎなメルモ」「悟空の大冒険」「鉄腕アトム(リメイク版ね、♪ボクの腕と脚はジェットで空をとーべるー、の方)」「ジェッターマルス」とか観ていた。僕が一番好きだったのは「悟空の大冒険」だけどさ、まあ正直言って、藤子不二雄とか赤塚不二夫のアニメの方が面白かったなあ。
みたいなことを80年代に手塚は言ったらしいんだけど、晩年の手塚は権威を利用して、また新しいチャレンジをしてたね。
僕がリアルタイムで、手塚の「連載」を読んだのは「アドルフに告ぐ」なんだけど、これ、週刊文春に連載されてたんだよ。一般週刊誌だよね。週刊文春読んでる中学生もやな感じだけど、漫画が一般雑誌に掲載されたのは大昔にはあるかも知れないけど80年代の文脈で言えば手塚だけだったね。で、「火の鳥」と「ブラックジャック」がハードカヴァー版で刊行されたんだけど、漫画のハードカヴァー版も多分、手塚が最初。
権威を利用してたけどさ、最晩年の頃の手塚はむちゃくちゃ現役作家でさ、現役作家として再ブレイクしてたんだよ。ま、あの人、現役じゃなかった時代はないんだけど、藤子F先生が「ドラえもん」に専念して、赤塚先生がかろうじてコロコロとかに細々と連載してる中でさ、手塚は社会のど真ん中で新作でブレイクしたんだよ。
その最中に亡くなったんだけど、「アトム期」「レオ期」「どろろ期」「ブラックジャック期」って連続してるけど、それぞれ別の顔、別の座標軸でブレイクしてるんだよ。で80年代にもブレイクの山をもひとつこしらえたっていうかさ、死んだときは神様じゃなくて現役作家だったんだよ。
「ブラックジャック」とか「火の鳥」の名声で食ってたんじゃなくてさ、多くの読者に早く来週の掲載作品を読みたいって思われる作家だったんだよ。
まあ、おっさんのむかしばなしなんだけどね。
なんJ PRIDE : 歴代プロ野球レジェンドベスト10選ぶとしたら http://blog.livedoor.jp/rock1963roll/archives/3650792.html
この手の記事は定期的に立っては基準がわからずにいろいろ意見が出て結論が出ない。まあ、それがこの手の記事の醍醐味でもあるんだけど、俺個人としては「この人がいなかったら日本のプロ野球史は語れない」という観点で考えてみた。さほど詳しい訳ではないので、突っ込みどころありまくりだろうけど、そう言うのがあったら教えてちょ。
2006年から、将棋大賞に「名局賞」が制定された。文字通り、その年の最も素晴らしい対局に贈られる賞である。
羽生善治はこの名局賞を三年連続で受賞した。表彰されたのは、すべて羽生が負けた一局であった。
第35代横綱・双葉山の70連勝を阻止した安藝ノ海に、師である出羽海親方はこう言ったという。
米競馬に"Upset"(番狂わせ)という名前の競走馬がいた。
米競馬史上最強の一頭であるMan O' War(21戦20勝)に唯一土を付けた馬であり、この一勝とその馬名のみによって、今でも強く記憶されている。
野球の打撃"二冠王"のうち、最も稀な組み合わせは首位打者+本塁打王である(NPB史上11例、三冠王と同じ回数)。
この二冠を獲得できるくらいの打者なら、打点王も獲ってしまって当たり前だからである。
しかし王貞治はNPB史上ただひとり、この首位打者+本塁打王を3回獲得している。
直後の4番に長嶋茂雄が控えていながら、それでも敬遠され続けたがゆえの珍記録である。
システム設計という仕事は、いつからクライアント・プログラマー間で行われる伝言ゲームの伝言係になったのか。
何か俺必要ないよなー、お前らで勝手にやってくれよって気持ちになる。
今のこの案件、どうしてやる気を失ってしまったんだろう、やっぱり画面設計とシステム設計が切り離されて、裏側の動作無視して画面やデザインばっかりが進むようになったからかな。
それで俺が「なんだよこのアイコン、そんな機能聞いてないよちゃんと説明しろよ」と何度も言うことになり、じゃあお前らがプログラマーに指示出しすりゃあいいじゃん、って思うようになってしまった。
それでも「お前が望んだプログラマーだろ」って請負という名目の派遣(笑)プログラマー押し付けられて、俺はろくに使ってもいないのに「○○さん明日半日借りていいですか?」とか俺に断られてもなぁー。
その人の書いたソースコードも結局俺が直しちゃうし、なんつーんだろ、俺のやる気のなさがすべて原因なんだけれど、やっぱりやる気を削がれたってのは俺以外も悪いと思うのよ。
そもそも、案件のキックオフの時点で「システム設計は△△さん、画面設計は××さんで」とかいう話が出た時点で俺のやる気はゼロになっていたのかも。あれ、それ両方とも俺じゃなくて、そもそもシステム設計なんてできない人と社内でもそんなに評価の高くない××さんでいいの?え?それ両方とも俺がやるから俺がこの案件に必要だ、会社に残ってくれ!って話なんじゃなかったっけ。それが、プログラマーって(笑)
結局細かな動作仕様について「これどうしましょう、あれどうしましょう」って話が俺のところに飛んでくるだけで、他はなんか俺の知らないところで決まってばっかり。
「やる気がないならやめちまえ」