はてなキーワード: 末裔とは
iモードがはじまってから、すぐにスパムメールの受信料が問題になった。
今の若い子は信じられないと思うが、昔はメールを受信するたびに、
そもそもメールアドレスが携帯の電話番号@docomo.ne.jpだけだったので、
スパムを送る方は送りたい放題ということもあった。
動物占いで「狼」だった私は取得できる時間になるや否や「wolf」という
アカウントを取得した。
しばらくは快適だった。
2日経ってから「wolf2@doco...」という人からメールが来た。
内容は、「wolf@doco...」というアドレスをオレにくれと。
無視をした。
3日経ってから「wolf3@doco...」という別人物からメールが来た。
内容は「わたしは狼の末裔で人目を偲んで生きています…一族の復活の為にもwolf@doco...」を
当然無視をした。
そうこうしている数日間、wolfなんとかさんから続々とメールが来た。
皆一様に「wolf@doco...」を譲ってくれという内容だった。
中にはオモシロイものもあったが、基本的には無駄に偉そうな内容だった。
そうして、結局、新たなスパムメールを受け続け、心が折れかけていた時に、
wolfstar@doco...から「吾輩にメールを譲るのだ、さすれば許してやろう、譲らなければお前を見つけて食べてやる」
みたいな内容のメールを、1時間おきに送り続けてきた。世にいうリアル狂人だった。
これがきっかけで「wolf@doco...」の中の人を辞めることにした。
たぶん、誰かが2代目wolfとなってくれただろう。
腸内環境の研究で寄生虫を腸内で飼っていたことで有名な某教授が
「シリカ入りの天然水が腸内環境に良い」と言っていて、俺はいつもの「○○水詐欺」だろうとバカにしていた。
そもそも、シリカってケイ素(シリコン)のことだ。なぜ電子部品に使われるような元素が健康に良いのだろう。
大学教授という肩書を使ってセコいビジネスしやがって、と義憤すら感じていた。
ところが、後日その発言に医学的根拠があることを偶然に知った。
植物は土壌から水を吸収する際にミネラル分も同時に吸収し、その一部が食物繊維の原材料となる。
以前から腸内細菌(善玉菌)が食物繊維をエサに成長することが知られていたが、
実は食物繊維に含まれるケイ素こそがエサになっているのだという。
というのも、腸内細菌は大気に酸素が満ちる前の原始環境に誕生した嫌気性菌の末裔であり、
その時代から岩石に含まれていたケイ素といったミネラルを養分としていたからだ。
つまり、シリカ入りの天然水は腸内細菌のエサになるということであり、プレバイオティクスの効果が期待できるというわけだ。
(アメリカでは水溶性シリカをサプリメントとして摂ることもあるらしい。効果があるのかどうかは知らんが)
「富士通を退職した話」を読んで、20年近く努めている側からの感想と疑問について書いてみたいと思います。
私も、情報科学を大学時代専攻した後、新人で山奥というかむしろ雲の上にある天空の工場に勤務してメインフレーム関連の仕事をしていました。
その工場に配属される新人は(希望すれば)寮に入るわけですが、高専卒は工場の敷地内にある山頂の寮で二人部屋、学士卒は山の5合目にあるアパートの一人部屋、修士とドクターは街中にあるマンションという感じでした。
街中の下界から工場がある天上界への通勤はバスで移動することになるのですが、わたしは、バスのディーゼルエンジンの排気ガスが苦手なので、頼み込んで工場の敷地内にある寮にしてほしいと願い出て、山頂の寮に特別に入れてもらいました。そもそもが2人で一部屋なのですが、学歴の関係か私は一人で2人部屋を使わせてもらっていたため、ものすごく広々と部屋が使えました。
わりと頼み込めば、人事や勤労も柔軟に対応してくれる会社という印象です。
20年前でさえ、メインフレームは古いというイメージがありました。
ただ、私は古臭い部署に配属されたことは不幸とは思いませんでした。電話からスーパーコンピュータまで幅広く扱っている世界でも稀な会社に入ったからには、いろんなことを経験してみたい。
そのためには、そろそろ絶滅してしまいそうなメインフレームを今経験せずにいつ経験出来るのか?くらいな感じでむしろラッキーくらいに考えていました。
最新の流行を追いかけるのもそれはそれで面白いが、そういったものは出来合いのライブラリを組み合わせて流行を少し遅れて追っていく2位集団であるし、やりたければ個人で家でも出来るじゃないか程度の感覚です。
ただ、せっかくメインフレームの部署に来たのですが、私の担当はワークステーションで動作するUNIXやPCでの開発が主体でした。
そもそもが、メインフレームを扱っていた部署ですから、先輩の人達はあまりUNIXやPCに詳しくなかったので、大学でUNIXやPCを経験した新人が入ってきたことは非常に重宝されました。
その部署では開発言語は、社内の独自の言語(Cよりもさらに機械語に近い言語をマウスでグラフィカルに操作してコーディングする言語)を使っていました。もともとはメインフレーム用の言語なのですが、UNIXワークステーションやPC用にも
その言語コンパイラはあり、あわやその言語でUNIXの開発する羽目になりそうだったのですが、私は猛烈に反対して自分の意見を通しました。当時はJavaやRubyなどの言語は無くCが全盛でしたが、
その部署の開発メンバーはCをほとんど知らなかったのです。そこで、社内のカイゼン活動として、C言語の勉強会を開くことを提案し私が講師になってC言語をメンバーに習得してもらい、
PCやUNIXでの開発は独自言語ではなくC言語を利用することを認めさせました。
元の増田の方は、自分はエクセルのVBAソースが見れない立場のようだと言っていましたが、ソースをみようとしたらシートにロックがかかっていたのを見て諦めてしまったのではないでしょうか?
元のEXCELを使った業務が非効率であるならば、業務の改善活動として提案すれば、それを拒む上司というのはちょっと考えにくいです。
忙しい部署にも、改善活動のノルマが課せられるのですが、先輩はそういったことに関わっている時間が中々取れないので新人がそういった仕事をやると宣言しても拒むのはまずありえません。
下請けのプログラマーからみると富士通のような会社は中間搾取していて高給をとっているのに、仕事は丸投げという印象があるでしょうが、実際やってみると案外大変です。
私は、富士通本社のSE的な立場、グループ孫会社に出向して、そこから顧客先に派遣される4次受け5次受けのプログラマ両方を経験しましたが、はっきりと下請けの方が精神的に楽と感じました。
客商売や、自分でやっているわけではない人に依頼した仕事について、責任をとるのは非常に苦しいものがあります。そもそもプログラミングはとても楽しいというのもありますが。
私見ている範囲では違う部署に異動したいという希望は100%通りました。異動を希望しているのにその部が解散するまでその部署にいる羽目になった人など見たことがないです。
もちろん、「プロジェクトが佳境で君に今抜けてしまわれては困る」というケースはあるのですが、IT業界のプロジェクトの開発周期は年々短くなる一方ですから、割と早い段階で異動の希望は通る感じです。
もとの増田の方は巨大プロジェクトだったので大量の人がいるわけですが、こういった部署は異動の希望は通りやすいです。
なぜなら、新規プロジェクトで最も忙しいときは大量の人員を動員しているわけですが、バージョン2、バージョン3あるいはメンテナンスのフェーズに入ればそんなに大量の人員は必要がないので、会社としてもその部署の人員を異動させたいわけです。
けれど、プロジェクトで中核の技術を担っているようなメンバー、マイホームを天上界に立ててしまったメンバー、新しい仕事に対応しにくい高齢のメンバーは異動させにくいので、
EXCELをいじっているだけのような新人は異動の希望が通りやすいのです。
もとの増田も、もう少し我慢していれば希望が通った可能性は極めて高いですが、プロジェクトが佳境でまだ新人で入ったばかりといった状態では、もう少しその部署で頑張れと言われるだろうと思います。
ただし、異動先の都合もありますので、ここから出たいはほぼ100%通りますが、あそこに行きたいは必ずしも通りません。
今更「京」のスーパーコンピュータをやりたいといっても、人気部署ですし、プロジェクトの最盛期は過ぎているのでその希望が通る可能性は低いでしょう。
色々な部署がある大きな会社では、管理職クラスは頻繁に異動が起こりますから、嫌いな上司はわりと直ぐにいなくなります。小さい会社だとそもそも部署が開発部と人事部と営業部しかないというかんじなので、上司がやめるか自分が辞めるまで、嫌な上司と付き合う羽目になりがちです。
新人研修期間が終わった後、人事の面談のチャンスがあるのですが、そこにはコツがあります。
「おおざっぱにはっきりと希望を言うこと」です。
いちばん最悪なのが、大学での研究を話し、それを活かせる部署に行きたいと話すことです。
人事の人は技術には詳しくないですから、研究内容が最先端であればあるほど、人事の人には通じないです。
キャッシュコヒーレンシが。。とか話すと、「よくわからないけどこの人は基本ソフトウェアに向いているのかな?だったら、自社でOSを開発しているメインフレーム回そう」という感じになってしまいます。
それよりは、人事の人が、会社組織のどの部署に配属すればいいかわかりやすいように、おおざっぱに希望をいうことです。
例えば、
上記のことを強い口調ではっきりというのが良いと思います。
そのうえで、できれば○○製品をやりたいだとか、こういった業種のSEをやりたい等の希望だすと、どの部署に配属すればいいか相手にも伝わり希望が通りやすくなります。
私の同期で入社して新人研修で山奥に配属されたバブル時代の末裔のようなおねーちゃんとか、数人は、割とはっきり希望をいって、下界に戻っていきました。
先生 っていったら言ってる側からみて 先んじて生を経験しているもの その分知識があるだろう事
学者 は学ぶもの それ専門にやってる人を学者と呼ぶのは呼ぶ人間がやってると評価していればだれでも学者
評論してもらうために呼んだら紹介するときは評論家の で問題ない
主観的に本人がそう名乗る場合は 局面を選ばず 呼ぶ側の方が候補を探すときのための自称
肩書きに頼りやがって とか偉そうな肩書きだけでとか 肩書きなんかに何の意味が などと思った時点で
その肩書きの術中にはまってる
相関関係の中に入り込んだ気になってる
番組が マスメディアが とか それはそのガラスのむこうの箱のなかの話
気持ちだけその向こうに入り込んだりする感受性の高さは否定的に捉えたりはしはないが 過度なものは感心しかねる
夜のお店で社長やら部長やら呼ばれている人がいることを知らないか
相関関係において相手と自分の関係と立場を言葉で示すのがそれで
本気にしてしまう 他者の分類にのめり込む というのはいささか精神的に健康ではない様子とうけとれる
自分が相関関係のみを頼りに情報の信憑性を求めたりしない場合 学者や先生で情報を検索しないだろう
有名な情報的強者を個人名で特定しそこから情報を得ようとするのではないか
それを相関関係として自分にとって何かを説明するとき 「人生の師匠だ」といった具合に呼称を追加表現することはあれど聴き手にとっては伝聞と他者の評価でしかない
自分の考えたすごい人たちの輪の中に入った気持ちに浸るのはいいけれど それを人に伝えようとしても無理がある
相関関係を上から見た風に語ると 友達の輪の関係を遠目にみつめる孤独な少年のような作風になる
結論として 相関関係を関係ない人間がイメージだけで語るのはふつうにきもい
魔王の血筋で 神の力をもつ少年と 天使の末裔が みたいな 相関関係だけで実態のない展開を第三者的におしすすめる
そういうものを楽しむにとどめておいたほうがいい
テレビを見ながら愚痴ばかりいう人間になると 付近にいる人間は その姿をすごく気持ちわるいと感じる
本人は 語ってるオレかっけえ と思う以外に気づくことがまったくないのが 救えない
そうなるまえに こころの逃げ場を みつけてほしい
http://documentary.nicovideo.jp/
http://blogos.com/article/122730/
TVでは放送出来ないタブーをネットで放送しようという試みだ。
田原総一朗さんがまだ元気だった頃は朝生でタブーを知れたが今は朝ナマも機能せず。
田原さん亡き後次世代は池上彰さんに頼るしか無いかと思っていたが
ニコ生がこういう試みを始めたのでありがたい。
ついこの間までは言われていたが
「タイズ・ザット・バインド ~ジャパン・アンド・コリア~エピソード1」
http://live.nicovideo.jp/watch/lv227557733
「著作:ドワンゴ / 制作:Blakeway Productions / 配給:BBCワールドワイド」
って発注してBBCがBlakeway Productionsに作らせてドワンゴに映像を渡したってこと?
で、その中身ですが、
朝鮮と日本の関係を豊臣秀吉の朝鮮出兵から語った視点は面白かった。
耳や鼻を戦利品で持って帰ってくるというISISばりの頭のおかしい日本人達の話は初めて知って驚いた。
隠されているわけでもないのにこの史実を自分が知らないということはどういうことなんだろう?
と考えさせられた。
相変わらず簡単に洗脳され情報操作に踊らされてしまうんだなと思い知らされた。
ほとんど私の知った情報でしかなかったので特に驚きはなかった。
なんかやたら川上さんは韓国寄りに見えるかもしれないがこれが現実だ!的に言っていたが
個人的にはどっちに偏っているとも思わなかった。
個人的には凄く胡散臭く思っている。
ぶっちゃけ私はそんなことに興味が無い。
理由①戦後に生まれた私には史実が正しいかどうかなどもう確認するすべがないのでどうしようもないから。
理由②韓国人だろうが日本人だろうがアメリカ人だろうが黒人だろうが全部同じ人間。
環境や生まれで誰しもが加害者になり被害者になる可能性があるというだけ。
理由③私が韓国人に何かしたわけでもないし祖先の責任を感じろと言われても実感的に無理だから。
私は今日本が一番仲良くなり近い存在にならなければならない相手こそ韓国だと思っている。
何かあって困れば一番最初に助けに来てもらえるし
交通・流通・時間の面でも一番効率よくなんでもできる相手が隣国である。
逆に仲悪くなれば一番めんどくさくて大変なことになる相手である。
お隣さんと仲良くならないでまともな生活などできるわけがない。
でも近すぎる相手だからこそ掌握したくて日本は上から目線で力で相手を制圧しようとした。
愚かである。
流石耳や鼻を持ち帰って自慢したがる頭のおかしい種族の末裔だけのことはある。
なんでこんなにいがみ合って自分の足引っ張ってんだろう?って感じである。
当時を実際に経験して苦い思い出がある高齢の方達にとっては
私とは違い実感のある重い問題だとは思う。
でも私には関係ない。
多分多くの戦後生まれの人達はこんな感情なんじゃないだろうか?
しかしそれに反して世間ではやたら大きな問題として取り扱われる。
凄く違和感。
余計なことを荒立てて炎上商法で金儲けしようとしているという穿った見たかもできなくはない。
ぶっちゃけもう当時を知らない人間が戦後責任だなんだかんだ言っても
誰があー言ってたこー言ってた、
とかそんなお粗末な話にかならないのは目に見えている。
そんなくだらないことに時間と労力をかけている暇があったら、
いがみ合いは年寄り連中だけでやっててくれ。
正に老害。
東アジアここにあり!と隣国と手を取り合って世界に発信したい。
私利私欲のためではなく欧米の侵略からアジアを守ろうとしたという論説をよく聞くが
今度は力で相手を制するのではなく
文化と知恵で共に手を取りみんなでアジアを繁栄させて行きたい。
そのためには、
何かの利害関係で政治的・商業的に日韓問題を利用しようとしている人達は無視し
それに踊らされずに
そんなことにこだわりを持たない層で
3)2に加えて吉祥寺などは都会に含む――上京者。過去を振り切るように田舎者弾圧をする。
4)2に加えて銀座有楽町からお台場あたりのウォーターフロントは都会――トレンディドラマの亡霊。月9好き。
6)5に加えて浅草中心史観――急進的江戸教徒。隅田川文化を喧伝して上京者に優しくすることで優越感を得る。
7)環八の内側は都心部――マイホーム購入族及びその末裔。いいようのない不安感にさいなまれている。
8)山手線に1時間で接続できるのは首都圏――大宮や赤羽、我孫子などをふくむ。若年層は地元アイデンティティが薄く自分を首都圏民という奇妙な生き物だとみなす。
9)帝都北方の武――具体的には北区と足立区の住民。武力と都会度の区別がついていない。
a)地方の大都会で疲弊してる人お疲れやす――京都民。東京方面に住んでいるやつはみんな坂東の田舎侍。馬でも育ててるんだっけ?
趣味つながりの友人?で、元上級公務員の昭和ヒトケタ生まれの男性がいる。
先日趣味の集まりの後でちょっと飲んでたのだが、昨今の一部の公務員や自民の政治家の極右化はバランス感覚がなさすぎて恐いという話になった。
インターネットでささやかれているような極右のバックグラウンドになってる宗教法人の話なども。
オジサマ曰く、ぼくらのような戦前生まれは、たまに「紘」の字が付く名前の人がいるが、自分たちが学び仕事につく時期は戦後民主主義化であったこともあって、
某「紘一」さんなどは、「八紘一宇」から取られた紘一という自分の名を「いやお恥ずかしい名前で」と自己紹介するようなこともあったらしい。
それを昭和ヒトケタの友人は、「まだ客観性やバランス力が残っていた頃」と言っていた。
それが、なぜいつの間にこんなにガツガツと極右化しているのか。
保守層というのは、身も蓋もないいい方をすれば戦前から既に豊かだった人が大半だろうと思うが、
揺らがない豊かさを背景に、鷹揚に、時代の変化を気にせずにいられたのだろう、と。その前提が崩れつつあるのかも、という話が面白かった。
彼らの多くはもうずっと都会者のような顔をして東京で暮らしては居ても地盤は地方であることが多い。
彼らの現在の金と地位の源泉は地方にある。「地元の名士」「郷土の誇り」「名家の末裔」だったりするからだ。
地方が衰退することで、この源泉が揺らぐ。
例えば、彼らの子供や孫が、自分たちの家業(政治や行政、地元企業等)に興味を持ってくれない、という形で「時代の変化」が突然具現化したりする。
もう一つ、目に見えて彼らの危機感を煽るものは、祭りの寄付金らしい。
地元の神社の祭りの寄付金を集めるのが大変だ、大口の寄付を出してくれていた名士や名家が居なくなる、法人化してつながりが薄れる。
当たり前のように、神社(場所によっては寺)などを求心力の中心として行われてきた地元の祭りが、「町おこしのイベント」のようになる。
この流れには問題が隠れていて、要するに地元の神社の後継者や維持管理の問題があるらしい。
ここで出てくるのが神社本庁である。宗教法人神社本庁については、興味があるならググっていただければ何となく雰囲気がわかるかもしれないが、ちょっと怪しい宗教法人という側面がある。
インチキな壺を何百万で善良な呆け老人に売りつけて、という危うさでは全然ないのだが、例えば天理教は胡散臭いと思う人がいるなら、歴史の長さはその辺の明治新宗教と実質大して変わらない。
まぁそれはともかく、明治時代に神社庁という公の役割を持ったという経緯もあって、地方の後継者難の神社は、宗教法人神社本庁にお願いして後継者を探してもらったりすることもあるらしい。
その土地に根を張って仕事をしている人たちにとっては、「神社がすたれる」というのは、割と心に重くのしかかる事実らしく、
その辺りから、バランスを失って極の方に取り込まれていくのでは、というのが、私と趣味友のオジサマが、酒飲み話で適当に出した結論だった。
別の話っぽい、地方衰退と政治・行政組織の右傾化が繋がったのが、酔っ払いどものたわごととはいえちょっと面白かったので、メモ代わりに増田に。