はてなキーワード: 従軍慰安婦問題とは
(統一教会が背後にいることは知ってたけれども、
反共こそが最重要なので、そこは重要なものではなかったのでしょう)
「保守」の面々は勝共連合を活動の舞台の一つとして定着してたので
(靖国問題等も共産主義者の仕組んだものだとみなせば反共という点で変りません)
このあたりで関係を切っとけば良かったんでしょうが、その後も関係は続きました
靖国参拝問題その他は韓国民主化後は韓国も日本批判の声が大きくなりました
日本の「保守」は韓国のこのような主張に対して友好的ではありません
そんで日本の「保守」と相反する統一教会と、日本の「保守」が集結する勝共連合という
当然この問題を日本の「保守」は認識してたはずですが、不思議といえば不思議ですけど
雑語りをすると日本を左右に分断するイデオロギーの壁のようなものがあって、各世代ごとにホットなテーマがある
日米安保、学生運動、先の大戦による被害に対するアジア諸国への謝罪、従軍慰安婦問題、歴史教科書問題、日の丸君が代強制問題、自衛隊イラク派遣、少年法改正、派遣労働、etc.
そのどれかに強い関心を持ち、左右のどちらかに帰依してしまうとだいたい他のテーマも同じ方を支持するようになる傾向がある
左翼が騒ぐせいで電気料金が無駄に上がる、という認識というか本音はわりと多くの国民が持ってると思うから、しばらくは左翼政党は低調だと思う
それはそれとして昔、バブルが崩壊した後に銀行を救済するための法案をいわゆる右派政党である自民党が出したけど、それはモラルハザードを齎すといって左派の野党が反対した
そのうえ銀行による貸しはがしを問題視してくるし、とにかく人員整理をして自分の会社の経営を立て直さなきゃいけないのに雇用を守れといい、派遣労働改正にも抵抗してくる
慰安婦問題について強制性がなかったことをいくら述べて根拠を示してもネトウヨの戯言とし、時の政権が不可逆に解決としてもネトウヨ内閣として否定した。
一時は解決に向かったかと思ったが、結局まだまだ「ロビー活動」により問題解決を許さず、表現の不自由として表現問題にすり替えつつ世間にまた被害者であるという印象を刷り込む。韓国メディアは「右翼の抗議で」とまた印象操作。http://japan.hani.co.kr/arti/culture/40489.html
統一教会の合同結婚式は慰安婦問題への日本女性の贖罪なんだって?あのとき慰安婦問題がキッチリ解决されていればこんなことにならなかったのでは?
2021/12/04に『映画秘宝編集部とオフィス秘宝、悪質なのはどちらか』と題する文章https://anond.hatelabo.jp/20211204193505
が、はてな匿名ダイアリーに投稿されました。その内容を要約すると「旧体制『映画秘宝』主要メンバーであった町山・柳下・高橋・てらさわは誠実に動いていた。一方それに対して、造反組の岡本・奈良・ギンティ・市川は誠実に動いていなかった」と主張する内容です。
この内容は、一般人女性に対するDM恫喝事件の余波が未だ冷めやらぬ2021/3/18、元『映画秘宝』編集部員かつ高橋ヨシキらのシンパの秋山直斗という人物がNoteに投稿した、文章の焼き直しです。そのため、はてなユーザーの中には「この増田は秋山直斗なのではないか?」と推測する人もいるようです。私個人も同じことを疑いましたが、しかし、増田の正体が秋山であるか否かは確認する術もありません。
しかしこれも機会ですので、秋山直斗の文章から私が感じ取ったことを述べます。
まず、2021/3/18に秋山がNoteに投稿した文章から、一部を引用します。
23時ごろ(※引用者注:元『映画秘宝』編集長の岩田によるDM恫喝行為が発覚し、その対応に追われていた2021/01/25のこと)から柳下氏、高橋氏と共にオンライン会議を行い、上記の考えを伝えました。なお、18時ごろに状況確認のため高橋氏に連絡をしてきていた、てらさわホーク氏も会議に加わっています。3氏ともに、謝罪の必要を認識しており、私は実現のために実務を担うことになりました。
23時09分に、編集部メンバー4名(田野辺氏・岡本氏・奈良氏・ギンティ小林氏)に対し、「新たな謝罪文」作成の必要性をメールにて伝えました。早急には対応しないでおこうといった内容の返信があり、これは私の主観的意見にすぎないものの、主体的に事態収拾に乗り出す意思が感じられませんでした。
=引用その1・ここまで=
上に引用したNoteの文章は「誠実だったのは旧体制側。それに比べて新体制側は不誠実だった」というイメージを読者に植え付けたいと、秋山が考えていることをよく表す部分です。
では次に『〜悪質なのはどちらか』と題する文章がはてな匿名ダイアリーに投稿される2日前、2021/12/02に秋山直斗(アカウントSquids_squib)がTwitterに投稿した内容を引用します。
映画秘宝前編集長が送ったDMについては被害者の人とは和解してるわけでしょ? 当事者同士で解決したのだから、これ以上蒸し返す必要はないというオフィス秘宝と双葉社の判断が、被害者に対して不誠実なものだとは思わないけど。
=引用その2・ここまで=
私は、この秋山のツイートにある"蒸し返す"という表現から、秋山直斗の本心が読み取れるように感じます。恫喝DM事件及びその被害者に対して、秋山直斗が本心ではどのように考えているのか、端的に言えば「馬脚を露わした」のです。
DM恫喝事件の被害者は「雑誌『映画秘宝』の誌面上で何かしら掲載されることを期待していた」とする内容のツイートをしていらっしゃいます。ということは、被害者に対して『映画秘宝』側が示すべきであった誠実さとは、誌面の上というオープンな場で総括を行うことだったと考えるのは当然のことです。だとするならば、双葉社に対して「誌面上での総括を行うことを認めて欲しい」と、被害者の要望に沿うように求め続けていた新体制『映画秘宝』の中心メンバーが、被害者の要望に応えられなかった能力不足を批判されるならばまだしも、要望に応えようとした姿勢そのものを批判される謂れは無いと私は思います。
しかし、秋山直斗は「これ以上"蒸し返す"必要はない」と表現して、被害者の要望に応えようとしていた造反組4人の姿勢をこそ批判するのです。実に奇妙です。以前は「謝罪のために主体的に動いていなかった。不誠実だ」と批判した人間たちを、今度は「和解も済んだのに、わざわざ"蒸し返す"ようなことをするな」と批判するのですから、矛盾しているとしか言えません。
では最後に、さらに遡って2021/1/26付で秋山直斗のTwitterアカウントのツイートから引用します。
『秘宝』は映画を軸に、社会の不正義・不公正と闘う雑誌だと思っています。つまり、綺麗事こそ重要だという雑誌です。
=引用その3・ここまで=
これまで私は、古株の元『映画秘宝』読者の一人として、はてな匿名ダイアリーに『映画秘宝の記憶』と題する一連の文章を投稿して続けてきました。
過去のバックナンバーや『ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判』等の『映画秘宝』関連の単行本を一読すれば、誰にでも直ぐに分かるとおり、雑誌『映画秘宝』はこれまでに女性、同性愛者、非・都市部居住者、非・富裕層、高等教育から疎外された人間etc.に対して、頻繁に、且つ執拗に差別発言を行い続けてきた雑誌です。それらの差別的な言動の実例を、引用によって具体的に私は示してきました。
秋山直斗が語る、美化された『映画秘宝』像は、虚偽以外の何物でもありません。したがって、秋山直斗の言う「『映画秘宝』を読むことを通じて、自分(秋山)は社会の不正義・不公正と闘うことを学んだ」という主張もまた、やはり虚偽以外の何物でもありません。つまり、秋山直斗は『映画秘宝』と同時に彼自身を美化しているのです。
近年の町山智浩、高橋ヨシキらは、人権尊重や差別反対のような言動を繰り返していますが、自分たち自身が女性や同性愛者に対して行ってきた差別に関しては全く総括していません。本当に「誠実な人間」であれば、己自身の罪や過ちとも真摯に向き合うはずです。しかし、そのような誠実さを町山や高橋が示したことはないのです。
元『映画秘宝』編集長・岩田による一般人女性へのDM恫喝事件を産んだ要因には、長年に渡って同誌内部に根深く蔓延っていた女性蔑視の思想があると私は考えています。そして、そのような女性蔑視の思想を『映画秘宝』に植え付け続けてきた張本人は、町山や高橋ら旧体制の人間なのです。繰り返しになりますが、本当に誠実な人間ならば、自分たちが女性への理不尽な攻撃の手本を示して、岩田のような人間に対して誤った教育や影響を与えたことを反省するべきでしょう。
町山智浩や高橋ヨシキの信者を今でも続けているような人間たちは「昔のことを"蒸し返すな"」と、愚にもつかない、擁護にもならない言い訳をします。そうです、秋山直斗と同じ"蒸し返すな"という言い回しです。この"蒸し返すな"という言い回しは、例えば関東大震災当時の在日朝鮮人虐殺事件や、日中戦争当時の南京虐殺、従軍慰安婦問題などについて「済んだ話を"蒸し返すな"」と言うネトウヨの言い回しと瓜二つです。秋山直斗が『映画秘宝』を読んで学んだ、社会の不正義・不公正と闘う姿勢とは「済んだ話を"蒸し返すな"」と言うことなのでしょうか?
そのような秋山直斗や、彼の同類の人間が言う「誠実さ」など、薄っぺらい虚飾に過ぎないというのが私の見解です。
「どちらが悪質か」などという無意味な比較と詭弁によって、旧体制『映画秘宝』を美化するのは、歴史修正主義者のネトウヨと同レベルと言うべきでしょう。
この投稿は以上です。
私は、歴史の専門家ではない一般人です。まず前提として、戦前・戦時中のアジア諸国へ与えた被害、南京虐殺や従軍慰安婦問題、米国人をはじめとする敵国捕虜に対する非人道的行為等々について、日本に責任が有ると考えている者です。
フィリップK.ディックというアメリカのSF作家の小説に『高い城の男』という作品があります。貴方は、これを読まれたことはありますか?もし無ければ、今から粗筋を紹介します。もし、既に読まれたことが有るならば、私が以下に書くことは釈迦に説法ですから、無視して貰って構いません。
= 粗筋ここから =
第二次世界大戦は、枢軸国側の勝利に終わった。世界は、ドイツ第三帝国と大日本帝国という2つの大国に支配され、アメリカも日独による占領・分割統治の下に置かれている(西海岸側が日本により占領されている)。
作中では、大戦終了直前にアメリカが、不利な戦況を覆す為に、非人道的戦術を用いたり、残虐な行為に走ったことなども語られる。しかし、そこまでしても敗戦に終わったことから、アメリカ国民の誇りは打ち砕かれている。西海岸で日本人相手に商売をしているアメリカ人は、敗戦国の人間として戦勝国(日本)に対する強い劣等感を抱いている。
戦勝国となったドイツと日本は、いまだ表面上は友好関係を保ってはいるが、アーリア人種至上主義の国と黄色人種の国は呉越同舟である。ドイツは密かに日本殲滅計画を目論み、日本もまたドイツに対して不信感を抱くようになりつつある。遠くない未来には、2つの大国は衝突を避けられないだろう。
このように敗戦国の人間も戦勝国の人間も等しく、将来に対して不安を抱いて生活しているアメリカでは、奇妙な流行が2つある。
1つは「当たるも八卦当たらぬも八卦」で有名な、古代中国の書『易経』に基づく占いである。物語の登場人物たちは、何か不安に駆られる度にコインを用いた占い(※本来は筮竹を使うが、陰陽2つの組み合わせで占うので、コインでも代用できる)によって『易経』の宣託に頼ろうとする。
もう1つの流行は、地下出版により流通する『イナゴ身重く横たわる』と題された1冊の本である。占領国の官憲により発禁本の指定を受けながらも、アメリカ国民は(そして、取り締まる側のドイツ人や日本人も)厳しい監視の目を逃れて、密かにその本を読み耽る。その本には「本当の歴史」が記されているのだという。「枢軸国側が敗戦国になり、連合国側が戦勝国になった歴史」が。
この本を執筆した作家を暗殺する為に、ドイツ当局の手の者が動き出す。また、この本に書かれたことは「本当の歴史」なのか?だとすれば、如何にして作家はそれを知って執筆したのか?それを確かめる為に、一人のアメリカ人女性も作家の下へ向かう。
「高い城」に居ると噂される作家の下へ。
= 粗筋ここまで =
私が知る限りでは、ディックが本物の日本人と実際に交友関係があったという形跡は有りません。しかしディックは、優れた作家が持つイマジネーションの力だけで、敗戦国の日本人の心情を見事に描き出します。「敗戦国の国民となって、戦勝国の日本人に対する劣等感を抱いているアメリカ人」の姿というパロディによって。
『高い城の男』の描く、敗戦国となったアメリカの人々は『イナゴ身重く横たわる』を読みながら夢想します。「非人道的な残虐行為を行わなかったはずの、汚れていないアメリカの姿」や「輝かしい戦勝国となったはずのアメリカ」という「本当の歴史」を。
これらのモチーフや描写を現代の我々が読むと、執筆当時のディックによる意図を超えて、南京虐殺否定論やショア(ホロコースト)否定論に嵌まる人間を傍から見た姿を描く形になっています。
最初に書いたとおり、私は戦前・戦時中の日本による蛮行については、日本に責任が有ると考えています。しかし、日本による南京虐殺等を否定する説や、ドイツによるショア(ホロコースト)等を否定する説を信じる人たちの、それを信じたくなる心情も、『高い城の男』を読んだ私には何となく少しだけ理解できる気もするのです。人間は、弱くて愚かです。ちょうど犯罪加害者の家族が「自分の家族が、そんな酷いことをするはずがない。何かの間違いだ!デッチ上げだ!冤罪だ!」と言いたくなるのと似たような心理なのではないでしょうか。誰でも大なり小なり「祖国に対する愛着の心」が有り、その祖国が過去の歴史の中で蛮行を働いたという記憶は、犯罪加害者の家族の場合と同様「耐え難い現実」であり、可能ならば「違った未来」が実現して欲しかった、「デッチ上げによる冤罪」であって欲しかったという思いを抱かせるのでしょう。
『高い城の男』の詳細と結末については、実際に読んでもらうしかありませんが、それについて少し書きます。ネタバレされるのがイヤな場合、以下の記述を読まないで、書店に向かってハヤカワSF文庫の『高い城の男』をお買い求め下さい。
【【【注意!ネタバレ有り!】】】
↓
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実は『イナゴ身重く横たわる』に書かれた「本当の歴史」は「『高い城の男』を読む我々の存在する現実世界の歴史」ではありません。連合国側が勝利する歴史ではあっても、現実の歴史とは食い違う記述が有ります。つまり、本作の中で『イナゴ身重く横たわる』を読み耽るアメリカ人たちが夢想している「あり得たはずのアメリカ」は「無い」のです。
SF論としては、作家フィリップK.ディックは「本物と偽物」「現実と虚構」というモチーフを書くことに取り憑かれ続けた生涯で云々と話を展開するところでしょうが、ここでは南京虐殺の否定論やショア(ホロコースト)の否定論に絡めて『高い城の男』の話を持ち出したので、別のことを書きます。
心情的には、否定論にすがる人たちの気持ちも分かるような気がすると、私は書きました。
しかし、南京虐殺否定論やショア(ホロコースト)否定論にすがる人たちの「間違いを犯さなかった、こんな歴史であって欲しかった」と夢想する歴史も、結局は『イナゴ身重く横たわる』の記す歴史と同じく「無い」のです。『高い城の男』は第二次世界大戦を下敷きにしていますが、ベトナム戦争のアメリカをはじめ、おそらく何処の国であっても大なり小なり「別の歴史があって欲しかった」という事は有ることでしょう。しかし、勿論それも日本やドイツと同様に「無い」のです。
では、我々は、どうすれば良いのでしょうか?実は、それを示唆する内容が『高い城の男』には書かれています。
『高い城の男』には、占領軍の日本人将校を相手に「アメリカの骨董品」の贋作を作って売るビジネスに関わるアメリカ人が出てきます。しかし物語の終盤に至ると、彼は「偽の歴史を付与した贋作の骨董品」を作って売るのではなく、新たなオリジナルの創作物を作って売ることを決意します。
『高い城の男』は教訓を学ばせる目的で書かれたとは思いませんが、それでも私は、このくだりを読んで思ったのです。「在って欲しかった歴史」「我々の願望を満たしてくれる、都合の良い現実」など有りはしない。どれほど不条理に感じても、動かし難く消し去ることのできない過去を「我々の現実」として引き受けるところから始めるしか他にないのだ、と。
私は、歴史の専門家ではない一般人です。まず前提として、戦前・戦時中のアジア諸国へ与えた被害、南京虐殺や従軍慰安婦問題、米国人をはじめとする敵国捕虜に対する非人道的行為等々について、日本に責任が有ると考えている者です。
フィリップK.ディックというアメリカのSF作家の小説に『高い城の男』という作品があります。貴方は、これを読まれたことはありますか?もし無ければ、今から粗筋を紹介します。もし、既に読まれたことが有るならば、私が以下に書くことは釈迦に説法ですから、無視して貰って構いません。
= 粗筋ここから =
第二次世界大戦は、枢軸国側の勝利に終わった。世界は、ドイツ第三帝国と大日本帝国という2つの大国に支配され、アメリカも日独による占領・分割統治の下に置かれている(西海岸側が日本により占領されている)。
作中では、大戦終了直前にアメリカが、不利な戦況を覆す為に、非人道的戦術を用いたり、残虐な行為に走ったことなども語られる。しかし、そこまでしても敗戦に終わったことから、アメリカ国民の誇りは打ち砕かれている。西海岸で日本人相手に商売をしているアメリカ人は、敗戦国の人間として戦勝国(日本)に対する強い劣等感を抱いている。
戦勝国となったドイツと日本は、いまだ表面上は友好関係を保ってはいるが、アーリア人種至上主義の国と黄色人種の国は呉越同舟である。ドイツは密かに日本殲滅計画を目論み、日本もまたドイツに対して不信感を抱くようになりつつある。遠くない未来には、2つの大国は衝突を避けられないだろう。
このように敗戦国の人間も戦勝国の人間も等しく、将来に対して不安を抱いて生活しているアメリカでは、奇妙な流行が2つある。
1つは「当たるも八卦当たらぬも八卦」で有名な、古代中国の書『易経』に基づく占いである。物語の登場人物たちは、何か不安に駆られる度にコインを用いた占い(※本来は筮竹を使うが、陰陽2つの組み合わせで占うので、コインでも代用できる)によって『易経』の宣託に頼ろうとする。
もう1つの流行は、地下出版により流通する『イナゴ身重く横たわる』と題された1冊の本である。占領国の官憲により発禁本の指定を受けながらも、アメリカ国民は(そして、取り締まる側のドイツ人や日本人も)厳しい監視の目を逃れて、密かにその本を読み耽る。その本には「本当の歴史」が記されているのだという。「枢軸国側が敗戦国になり、連合国側が戦勝国になった歴史」が。
この本を執筆した作家を暗殺する為に、ドイツ当局の手の者が動き出す。また、この本に書かれたことは「本当の歴史」なのか?だとすれば、如何にして作家はそれを知って執筆したのか?それを確かめる為に、一人のアメリカ人女性も作家の下へ向かう。
「高い城」に居ると噂される作家の下へ。
= 粗筋ここまで =
私が知る限りでは、ディックが本物の日本人と実際に交友関係があったという形跡は有りません。しかしディックは、優れた作家が持つイマジネーションの力だけで、敗戦国の日本人の心情を見事に描き出します。「敗戦国の国民となって、戦勝国の日本人に対する劣等感を抱いているアメリカ人」の姿というパロディによって。
『高い城の男』の描く、敗戦国となったアメリカの人々は『イナゴ身重く横たわる』を読みながら夢想します。「非人道的な残虐行為を行わなかったはずの、汚れていないアメリカの姿」や「輝かしい戦勝国となったはずのアメリカ」という「本当の歴史」を。
これらのモチーフや描写を現代の我々が読むと、執筆当時のディックによる意図を超えて、南京虐殺否定論やショア(ホロコースト)否定論に嵌まる人間を傍から見た姿を描く形になっています。
最初に書いたとおり、私は戦前・戦時中の日本による蛮行については、日本に責任が有ると考えています。しかし、日本による南京虐殺等を否定する説や、ドイツによるショア(ホロコースト)等を否定する説を信じる人たちの、それを信じたくなる心情も、『高い城の男』を読んだ私には何となく少しだけ理解できる気もするのです。人間は、弱くて愚かです。ちょうど犯罪加害者の家族が「自分の家族が、そんな酷いことをするはずがない。何かの間違いだ!デッチ上げだ!冤罪だ!」と言いたくなるのと似たような心理なのではないでしょうか。誰でも大なり小なり「祖国に対する愛着の心」が有り、その祖国が過去の歴史の中で蛮行を働いたという記憶は、犯罪加害者の家族の場合と同様「耐え難い現実」であり、可能ならば「違った未来」が実現して欲しかった、「デッチ上げによる冤罪」であって欲しかったという思いを抱かせるのでしょう。
『高い城の男』の詳細と結末については、実際に読んでもらうしかありませんが、それについて少し書きます。ネタバレされるのがイヤな場合、以下の記述を読まないで、書店に向かってハヤカワSF文庫の『高い城の男』をお買い求め下さい。
【【【注意!ネタバレ有り!】】】
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実は『イナゴ身重く横たわる』に書かれた「本当の歴史」は「『高い城の男』を読む我々の存在する現実世界の歴史」ではありません。連合国側が勝利する歴史ではあっても、現実の歴史とは食い違う記述が有ります。つまり、本作の中で『イナゴ身重く横たわる』を読み耽るアメリカ人たちが夢想している「あり得たはずのアメリカ」は「無い」のです。
SF論としては、作家フィリップK.ディックは「本物と偽物」「現実と虚構」というモチーフを書くことに取り憑かれ続けた生涯で云々と話を展開するところでしょうが、ここでは南京虐殺の否定論やショア(ホロコースト)の否定論に絡めて『高い城の男』の話を持ち出したので、別のことを書きます。
心情的には、否定論にすがる人たちの気持ちも分かるような気がすると、私は書きました。
しかし、南京虐殺否定論やショア(ホロコースト)否定論にすがる人たちの「間違いを犯さなかった、こんな歴史であって欲しかった」と夢想する歴史も、結局は『イナゴ身重く横たわる』の記す歴史と同じく「無い」のです。『高い城の男』は第二次世界大戦を下敷きにしていますが、ベトナム戦争のアメリカをはじめ、おそらく何処の国であっても大なり小なり「別の歴史があって欲しかった」という事は有ることでしょう。しかし、勿論それも日本やドイツと同様に「無い」のです。
では、我々は、どうすれば良いのでしょうか?実は、それを示唆する内容が『高い城の男』には書かれています。
『高い城の男』には、占領軍の日本人将校を相手に「アメリカの骨董品」の贋作を作って売るビジネスに関わるアメリカ人が出てきます。しかし物語の終盤に至ると、彼は「偽の歴史を付与した贋作の骨董品」を作って売るのではなく、新たなオリジナルの創作物を作って売ることを決意します。
『高い城の男』は教訓を学ばせる目的で書かれたとは思いませんが、それでも私は、このくだりを読んで思ったのです。「在って欲しかった歴史」「我々の願望を満たしてくれる、都合の良い現実」など有りはしない。どれほど不条理に感じても、動かし難く消し去ることのできない過去を「我々の現実」として引き受けるところから始めるしか他にないのだ、と。
ツリーが伸びたら読まない人もいるので、投稿番号(31)で「興味がある論法」「なぜ『映画秘宝』ばかり批判するのか論法」「『映画秘宝』や町山智浩らに影響力は無い論法」を言い出した人に対する返答を、ここに転載します。【※2021/04/10さらに追記】島田紳助一派の悪行を告発した女性に対して「なぜ今ごろになって言い出すのか、その動機の方が気になる」と言う人間たちがいますが、ここでの「貴方」も同類だと私は思います。
=以下、転載=
【貴方】私の考える「面白い」というのは、興味関心を広げてくれる、新たな知見を得られるというものです。
【私】それは、差別的な言動、セクハラ・パワハラ的な言動の被害者の存在が「貴方の関心対象ではない」ことの証左でしょう。もっと言えば「町山智浩らの差別的な言動やセクハラについて、世間の人に関心を抱いて欲しくない」と貴方が考えているからこそ「興味関心を広げる」という欺瞞的な表現を用いて「世間の注目を逸らそうとしている」と私は解釈しています。
【貴方】端的に言えば、はてなの匿名ダイアリーで町山智浩氏をはじめとする映画秘宝関係者の過去発言をあげつらうことが、どのように差別やセクハラの解消に寄与するのかということです。
【私】端的に言えば「そもそも町山智浩らの差別発言やセクハラの事実を知らなかった人間が、多数存在する」からです。私の投稿は、そのような人たちに向けて書いています。問題を解決する第一歩は、問題(の存在)について知ることです。
「あげつらう」という表現を用いていることからも、この人物が、表面的には差別発言やセクハラ・パワハラの被害者のことを考えているように装いながら、本心では加害者の側に立っていることは明白です。
これを「馬脚を顕す」と言わずして何と言うのでしょうか?
=追記ここまで=
【貴方】町山氏の差別体質が現在進行形で問題とするなら、本人のTwitterや、あるいはTBSラジオ、週刊文春等も糾弾するべきでは?(すでに実行されているなら申し訳ありません)
【私】「女が突然マニアックなことを言い出したら男の影響」発言、『ボヘミアン・ラプソディ』に関するペニスリング発言、他人に対して同性愛者とカミングアウトするように迫る発言などを批判しています。と言うか、そんなことも知らずに(つまり、これまでの投稿をろくに読まずに)批判しているのですか?手抜きですか?
【貴方】そうでないなら、「映画秘宝」誌の炎上騒ぎに乗じて「おれも町山、ヨシキに言ってやるぜ」と個人的な留飲を下げる行為ではないのか?
【私】おそらく貴方は、他の社会問題が批判の俎上に上がった時にも、批判者たちに対して「個人的な溜飲を下げる行為ではないか」と言うのでしょうね。
【貴方】キャンセルカルチャー、コールアウトカルチャーではないのか?という疑念を持つのです。
【私】私自身は「キャンセルカルチャーではない」と考えますが、その理由も投稿済みです。手抜きをせずに読んで下さい。
【貴方】差別やハラスメントをなくしたい、その道筋を考えたいという問題意識は共有したいと思います。
しかしそれは表面的な態度をけしからんと言い募るだけで解決するのでしょうか?
現実には差別やハラスメントを糾弾すべき聖職者が実は悪質なセクハラ犯罪者だったという例もあるわけでしょう
【私】「表面的な態度がけしからん」については、話が全くの逆です。私は「町山智浩や高橋ヨシキが、自分たち自身が同性愛者差別やセクハラ・パワハラを行う加害者であることを『隠して』、差別や不公正と戦う人間であるかのように『偽装』している」と指摘しているのです。私は「『実は悪質なセクハラをしていた人間』とは町山智浩や高橋ヨシキである」と言っているのに、貴方は何を頓珍漢なことを言っているのでしょうか?
【貴方】私に「差別やセクハラの被害者に対する想像力」が欠如しているというご批判は当を得ているかもしれません。
【私】自分でも分かっているなら、何とかした方が良いと思いますよ。
【貴方】現実に「差別やセクハラの被害を受けた人やそれを目撃した人が抗議したり批判する場面に遭遇」したら、実際に問題解決のために協力できることがあるのかものすごく悩むと思います。
【私】「FBBは問題発言するためのユニット『だから』」と言うような人間にそんなことを言われて真に受けるほど、私はお人好しではありません。たぶん貴方は、現実の貴方の身の回りで起きた差別やセクハラ(の被害を訴える人間)に遭遇しても「あの人(=加害者)は、ああいう人『だから』」「もっと面白い、興味関心を広げてくれる話を聞きたいな」と言って済ませて、悩みもしないのではないでしょうか?
もしも今、貴方が悩んでいるとすれば「如何にしたら、町山智浩らに対する私の批判を止めさせられるか?」についてでしょう。
【貴方】ですから、はてなの匿名ダイアリーで告発しようという発想にはたどりつきそうにありません。それは私にとっては興味深い、「面白い論点」です。
【私】恫喝DM攻撃、個人情報漏洩をするような人間や集団を批判するならば、批判の手段も匿名化せざるを得ませんね。
【貴方】最初に述べたように、どのように差別やセクハラの解消に寄与するのか、ぜひ知見を賜りたい。
【私】上で述べたように、問題を解決する第一歩は、問題(の存在)について知ることです。それを理解できない人間が、いくら「知見」を求めたところで「豚に真珠」で「無駄」じゃないでしょうか。
【貴方】「別の論点」に関して言えば、数あるメディアの中でなぜ「映画秘宝」誌にこだわるのかということがあります。
差別発言やセクハラ発言を問題とするなら、他メディアと比べてそんなに違いや影響力があるのか、そういった論点も交えると増田の告発も説得力を持つのではないかと愚考するものです。
【私】たぶん貴方は、戦前・戦時中の日本の過ち(関東大震災当時の在日朝鮮人虐殺、アジア地域への侵出、南京虐殺、従軍慰安婦問題、戦時性暴力犯罪など)を批判する人間に対しても「他の国々も過去の歴史で過ちを犯しているのに、何故、日本のことばかりを批判するのか?何故、日本にばかり拘るのか?他の国々も批判すれば説得力が増すのに」と『反論』するタイプなのでしょう。
「大した影響力が無い」という馬鹿な言い訳を許して、見過ごし続けてきたことこそが『映画秘宝』内部でホモソーシャル集団的な病理を育み、差別的・セクハラ的・パワハラ的な言動を野放図に仕出かす人間たちを生む原因となったと、私は考えています。ここで「『映画秘宝』や町山智浩らは大した影響力を持たないの『だから』批判を止めろ」と言い出す人間は、端的に言えば『共犯者』に等しいと思いますよ。中小・零細企業で発生したパワハラやセクハラを、貴方は「大企業で起きた話じゃないから世間への影響は小さい」とか言うんですか?
【貴方】もし増田が実際に「映画秘宝」による差別やハラスメントを被った当事者なのでしたら、非礼をお詫びして、私にできることであれば協力するにやぶさかではありません。
【私】要するに貴方は「被害を受けた当事者でもない人間が批判をするな」と言っているのだと私は解釈しました。また、既に述べたように、貴方が被害者に協力的な人間だとはとても思えません。したがって、貴方の「協力するにやぶさかではない」という言葉も全く信用できませんのでお引取り下さい。それとも、もしかして「個人特定」を試みようとしているのでしょうか?
【貴方】さて、町山氏の活動でもファビュラス・バーカー・ボーイズはとりわけ露悪的な装いの表現と思いますが、
私の感想は「こんなこと言っていいの?でもなかったことにするのも違う気がする」というようなものです。
少なくともこの本を読んだ後では映画も素直に楽しんでいいのか?作品とプライベートの距離感とは?等々もやもやを抱えるようになりました。
しかし、差別やハラスメントの問題を考えるうえで一概に否定するものでもないととらえています。
もちろん、こんな表現はけしからんと批判するのも自由ですし、そもそも町山氏の著書を評価するかどうかも個人の自由ではないですか。
【私】個人の自由ならば、私が批判するのも自由ですね。貴方が自分の考えを言語化しないままに「もやもや」と言われても、こっちは賛同も批判もしようがありませんので「知らんがな」としか言えません。それこそ、貴方が「もやもやする」と言ったところで、それが差別やセクハラを無くすプロセスに、いったい何を寄与できるのですか?「一概に」と言うならば、その「一概には済ませられないこと」を言語化して下さい。言語化できないなら、ジャポニカ学習帳にでも「自分はもやもやする」と好きなだけ書き取りしていれば良いと思います。
【貴方】町山の本は差別的な表現に満ちていてひどい、と斬って捨てれば済むと思うのですが、なぜ逐語的に引用するのか?これもまた私にとっては興味深い「別の論点」です。
【私】私の投稿に対して「『映画秘宝』は一言一句『✕✕』とは言っていない。したがって『✕✕』とは言っていない」と『一言一句論法』を持ち出す人間がいたので、出典の明記と引用をするようになったのですが、その経緯も読んでないのですか?その経緯も読んでいない(調べてもいない)くせに「知見を得られる」とか「興味深い」とか、もっともらしいことを書いたのですか?何も調べないのだから、貴方は本当は興味なんて無いのでしょう。
【貴方】私の考える「面白い」というのは、興味関心を広げてくれる、新たな知見を得られるというものです。
【私】それは、差別的な言動、セクハラ・パワハラ的な言動の被害者の存在が「貴方の関心対象ではない」ことの証左でしょう。もっと言えば「町山智浩らの差別的な言動やセクハラについて、世間の人に関心を抱いて欲しくない」と貴方が考えているからこそ「興味関心を広げる」という欺瞞的な表現を用いて「世間の注目を逸らそうとしている」と私は解釈しています。
【貴方】端的に言えば、はてなの匿名ダイアリーで町山智浩氏をはじめとする映画秘宝関係者の過去発言をあげつらうことが、どのように差別やセクハラの解消に寄与するのかということです。
【私】端的に言えば「そもそも町山智浩らの差別発言やセクハラの事実を知らなかった人間が、多数存在する」からです。私の投稿は、そのような人たちに向けて書いています。問題を解決する第一歩は、問題(の存在)について知ることです。
「あげつらう」という表現を用いていることからも、表面的には差別発言やセクハラ・パワハラの被害者のことを考えているように装いながら、貴方が本心では加害者の側に立っていることは明白です。
これを「馬脚を顕す」と言わずして何と言うのでしょうか?恥を知れとはこのことですね。
―――追記ここまで―――
【貴方】町山氏の差別体質が現在進行形で問題とするなら、本人のTwitterや、あるいはTBSラジオ、週刊文春等も糾弾するべきでは?(すでに実行されているなら申し訳ありません)
【私】「女が突然マニアックなことを言い出したら男の影響」発言、『ボヘミアン・ラプソディ』に関するペニスリング発言、他人に対して同性愛者とカミングアウトするように迫る発言などを批判しています。と言うか、そんなことも知らずに(つまり、これまでの投稿をろくに読まずに)批判しているのですか?手抜きですか?
【貴方】そうでないなら、「映画秘宝」誌の炎上騒ぎに乗じて「おれも町山、ヨシキに言ってやるぜ」と個人的な留飲を下げる行為ではないのか?
【私】おそらく貴方は、他の社会問題が批判の俎上に上がった時にも、批判者たちに対して「個人的な溜飲を下げる行為ではないか」と言うのでしょうね。
【貴方】キャンセルカルチャー、コールアウトカルチャーではないのか?という疑念を持つのです。
【私】私自身は「キャンセルカルチャーではない」と考えますが、その理由も投稿済みです。手抜きをせずに読んで下さい。
【貴方】差別やハラスメントをなくしたい、その道筋を考えたいという問題意識は共有したいと思います。
しかしそれは表面的な態度をけしからんと言い募るだけで解決するのでしょうか?
現実には差別やハラスメントを糾弾すべき聖職者が実は悪質なセクハラ犯罪者だったという例もあるわけでしょう
【私】「表面的な態度がけしからん」については、話が全くの逆です。私は「町山智浩や高橋ヨシキが、自分たち自身が同性愛者差別やセクハラ・パワハラを行う加害者であることを『隠して』、差別や不公正と戦う人間であるかのように『偽装』している」と指摘しているのです。私は「『実は悪質なセクハラをしていた人間』とは町山智浩や高橋ヨシキである」と言っているのに、貴方は何を頓珍漢なことを言っているのでしょうか?
【貴方】私に「差別やセクハラの被害者に対する想像力」が欠如しているというご批判は当を得ているかもしれません。
【私】自分でも分かっているなら、何とかした方が良いと思いますよ。
【貴方】現実に「差別やセクハラの被害を受けた人やそれを目撃した人が抗議したり批判する場面に遭遇」したら、実際に問題解決のために協力できることがあるのかものすごく悩むと思います。
【私】「FBBは問題発言するためのユニット『だから』」と言うような人間にそんなことを言われて真に受けるほど、私はお人好しではありません。たぶん貴方は、現実の貴方の身の回りで起きた差別やセクハラ(の被害を訴える人間)に遭遇しても「あの人(=加害者)は、ああいう人『だから』」「もっと面白い、興味関心を広げてくれる話を聞きたいな」と言って済ませて、悩みもしないのではないでしょうか?
もしも今、貴方が悩んでいるとすれば「如何にしたら、町山智浩らに対する私の批判を止めさせられるか?」についてでしょう。
【貴方】ですから、はてなの匿名ダイアリーで告発しようという発想にはたどりつきそうにありません。それは私にとっては興味深い、「面白い論点」です。
【私】恫喝DM攻撃、個人情報漏洩をするような人間や集団を批判するならば、批判の手段も匿名化せざるを得ませんね。
【貴方】最初に述べたように、どのように差別やセクハラの解消に寄与するのか、ぜひ知見を賜りたい。
【私】上で述べたように、問題を解決する第一歩は、問題(の存在)について知ることです。それを理解できない人間が、いくら「知見」を求めたところで「豚に真珠」で「無駄」じゃないでしょうか。
【貴方】「別の論点」に関して言えば、数あるメディアの中でなぜ「映画秘宝」誌にこだわるのかということがあります。
差別発言やセクハラ発言を問題とするなら、他メディアと比べてそんなに違いや影響力があるのか、そういった論点も交えると増田の告発も説得力を持つのではないかと愚考するものです。
【私】たぶん貴方は、戦前・戦時中の日本の過ち(関東大震災当時の在日朝鮮人虐殺、アジア地域への侵出、南京虐殺、従軍慰安婦問題、戦時性暴力犯罪など)を批判する人間に対しても「他の国々も過去の歴史で過ちを犯しているのに、何故、日本のことばかりを批判するのか?何故、日本にばかり拘るのか?他の国々も批判すれば説得力が増すのに」と『反論』するタイプなのでしょう。
「大した影響力が無い」という馬鹿な言い訳を許して、見過ごし続けてきたことこそが『映画秘宝』内部でホモソーシャル集団的な病理を育み、差別的・セクハラ的・パワハラ的な言動を野放図に仕出かす人間たちを生む原因となったと、私は考えています。ここで「『映画秘宝』や町山智浩らは大した影響力を持たないの『だから』批判を止めろ」と言い出す人間は、端的に言えば『共犯者』に等しいと思いますよ。中小・零細企業で発生したパワハラやセクハラを、貴方は「大企業で起きた話じゃないから世間への影響は小さい」とか言うんですか?
【貴方】もし増田が実際に「映画秘宝」による差別やハラスメントを被った当事者なのでしたら、非礼をお詫びして、私にできることであれば協力するにやぶさかではありません。
【私】要するに貴方は「被害を受けた当事者でもない人間が批判をするな」と言っているのだと私は解釈しました。また、既に述べたように、貴方が被害者に協力的な人間だとはとても思えません。したがって、貴方の「協力するにやぶさかではない」という言葉も全く信用できませんのでお引取り下さい。それとも、もしかして「個人特定」を試みようとしているのでしょうか?
【貴方】さて、町山氏の活動でもファビュラス・バーカー・ボーイズはとりわけ露悪的な装いの表現と思いますが、
私の感想は「こんなこと言っていいの?でもなかったことにするのも違う気がする」というようなものです。
少なくともこの本を読んだ後では映画も素直に楽しんでいいのか?作品とプライベートの距離感とは?等々もやもやを抱えるようになりました。
しかし、差別やハラスメントの問題を考えるうえで一概に否定するものでもないととらえています。
もちろん、こんな表現はけしからんと批判するのも自由ですし、そもそも町山氏の著書を評価するかどうかも個人の自由ではないですか。
【私】個人の自由ならば、私が批判するのも自由ですね。貴方が自分の考えを言語化しないままに「もやもや」と言われても、こっちは賛同も批判もしようがありませんので「知らんがな」としか言えません。それこそ、貴方が「もやもやする」と言ったところで、それが差別やセクハラを無くすプロセスに、いったい何を寄与できるのですか?「一概に」と言うならば、その「一概には済ませられないこと」を言語化して下さい。言語化できないなら、ジャポニカ学習帳にでも「自分はもやもやする」と好きなだけ書き取りしていれば良いと思います。
【貴方】町山の本は差別的な表現に満ちていてひどい、と斬って捨てれば済むと思うのですが、なぜ逐語的に引用するのか?これもまた私にとっては興味深い「別の論点」です。
【私】私の投稿に対して「『映画秘宝』は一言一句『✕✕』とは言っていない。したがって『✕✕』とは言っていない」と『一言一句論法』を持ち出す人間がいたので、出典の明記と引用をするようになったのですが、その経緯も読んでないのですか?その経緯も読んでいない(調べてもいない)くせに「知見を得られる」とか「興味深い」とか、もっともらしいことを書いたのですか?何も調べないのだから、貴方は本当は興味なんて無いのでしょう。
恫喝DM事件及びその後に起きたパワハラ事件の加害者。さらに被害者女性に二次加害を行った人間。
彼らの事を批判すると、奇妙な事を言って彼らを擁護しようとする人間が現れます。かつて町山智浩自身が言った言葉ではありますが「被害者しぐさ」と云う行動を取ることによって、彼らは悲劇の主人公を演じようとするのです。こんな具合に。
例1:「被害を受けた当事者でもない人間たちがゴチャゴチャ言うな」⇒それを言ったら何の問題についても、誰も批判することができなくなりますよね。関東大震災当時の在日朝鮮人虐殺や第二次世界大戦当時の南京虐殺、従軍慰安婦問題やその他の戦時性暴力etc.これらについて私は「被害を受けた当事者」ではないですが批判はしますよ。「自分は恫喝DM攻撃やパワハラ・セクハラの被害を受けた『当事者』ではないから口を挟むのは止めよう」と云う態度で見過ごし続けてきた果てに行き着いた先が、今回発覚した映画秘宝のスキャンダルなのではありませんか?
例2:「いくら謝っても批判する人間たちは許さない。反撃できない人間を一方的に攻撃するな」⇒恫喝DM攻撃やパワハラ問題が発覚して、まだ3か月も経過していません。「いくら謝っても」と言うほどの年月は経過していません。それに、たとえ戦時中や戦前の事でも、何年経過しようとも「反省するべき事は反省するべきだ」と私は思います。加えて言うならば、被害者及び第三者の立場から岩田や町山ら、双葉社に対して求めているのは「公開の場での説明」です。すでに「被害者が非公開を望んでいる」と云うのは虚偽の理由だったと判明したのだから「経緯」や「再発防止の為の取り組み」について早急に説明をしてくれと望んでいるのです。
例3:「匿名で批判をするのは卑怯だ」⇒これまでエゴサーチしての恫喝DM攻撃や、信者ファンネルを利用した多人数攻撃と云う手法を行ってきた町山や岩田を擁護する人から、それを言われると驚きますね。私も基本的には「批判や議論は公平に行われるべきだ」と考えます。しかし「もしも匿名でなければ、批判した時に報復行為としてどんな物騒な事をされるか分からない」と不安を抱かせて、議論の場における必要最低限の相互信頼を損ね、顕名での批判を躊躇させる原因を作ったのは、町山や岩田に外なりません。
お願いだから、これまでトランプ政権や自民党政権を批判する時に貴方たちが披露し続けてきたのと同じぐらいの饒舌さで、自らが果たすべき「説明責任」を果たして下さい。
逆だよ
「お前あんまり北朝鮮北朝鮮しつこいと同盟切るぞ」とキレられてる
https://news.yahoo.co.jp/byline/kohyoungki/20210213-00222257/
だが、こうした一連の公式見解より興味深いのが、東亜日報が紹介したバイデン政権高官のコメントだ。同紙によるとこの高官は、日韓関係について「韓国が過去にとどまって前に進まないなら、バイデン政権の人々はパートナーとして韓国に期待することをあきらめる可能性もある」と警告したという。
周知のとおり、バイデン大統領はオバマ政権で副大統領を務めた。当時、日韓は従軍慰安婦問題で対立を深めていたが、米国の仲裁もあり、問題解決に向けた合意の締結でいったんは落着したかに見えた。
ところが、その後に発足した韓国の文在寅政権は、朴槿恵前政権の業績を否定する中で、日韓の慰安婦合意を実質的に空文化してしまった。オバマ政権から多くの外交スタッフを引き継いだバイデン政権が、「韓国が過去にとどまって前に進まない」と見ているとしても不思議ではない。
つか普通に考えてアメリカで人権派の大統領が誕生したら韓国政府は大ピンチだろ
命がけで韓国に逃げ込んできた脱北者を一方的に北に追い返すわ、自国民を北朝鮮軍に焼き殺されてもろくに抗議もしないわ、そのくせアメリカには「そろそろ北の制裁解除しようぜ!」と平然と言うわ