はてなキーワード: 問題視とは
正直次はまず小池以外にいれることだけは決めてるんだが、都知事選のたびに持ち上がる学歴詐称問題、これがどうしても分からない。いやどうでもよくない?だって「カイロ大出身!じゃあ投票しよう」なんて人いる?いや絶対いないとまでは言わないけど。そもそも出身大学で投票決めてるヤツがいたらそっちのほうがどうかと思う。正直自分としてはもし学歴詐称してても政治家としての能力に問題がなければ別にどうでもいい。いや学歴詐称するような不誠実さを問題視してる人がいるってのはわかるんだけど、正直あるかどうか分からない学歴詐称なんかより、朝鮮人追悼碑の問題とかオリンピックとか公約の定義ずらしとか、現実として存在する不誠実さが山程あるやんけと思う。
いやふつーに遊ぶだろ
ふつーに空白期間3年とかあるわ
何してたって?
遊んでました^^
面接でも遊んでた内容でにこやかに進むしふつーに内定取れるだろ
気にすると言うか問題視するか?
ふて寝しててもオッケーだろ
それは時に重なることがあるだろう。しかし、個々人(これが本当にネット利用者全体)に対して自制を求めるのは、解決策としては乱暴だろう。
全員が自分の立場、相手の立場を自覚するというのは理想論であり、現実的には困難だ。何かを発言しようと思ったら、書く前に全体の状況を調べ、正確に把握し、必要に応じてトーンを調整したり、発言を控えたりできるだろうか。
ネット上では匿名性や感情的な反応が強く、自制をするモチベーションも低くなる。
問題の根本は、立場ではなく対話の質や内容に求めるべきだろう。
キャンセルカルチャーが問題視されるのは、過剰な攻撃や社会的制裁が伴うケースであり、それ自体は適切な批判の範疇であるケースもある。
なんでもかんでも法律で線引きしてる、してるべき、違法かそうでないかだけが人間社会の倫理のすべて、小さなコミュニティにおけるマナーでさえも違法かどうかが重要、違法でないなら好き嫌いでしかないから無視してオッケー、それをマナーだなんだと問題視する方が問題、みたいな人増えてない?
そもそも「表現の自由戦士」という言葉自体、自称ではなく蔑称で実態と離れてるからややこしいんだけど
いわゆる表現の自由戦士と呼ばれる人たちの多くは、「問題だと思うなら法規制」と言い出す
元増田はそういう話はしようとせず、あくまで「Mrs.GreenAppleの表現は何ら問題ないのだ」という完全勝利方向で戦おうとしてる
いや実際何の問題もないやん...
ポルノなら「あんま小さい子供に見せるのはヤベエ」ぐらいの論点はあるけど
このバンドのミュージックビデオは本当に何が問題なのか全然わからない
で「何が問題なの?」って聞く奴が現れても「そういう質問をすること自体が逆張り」とか「コロンブスはタブー」って言うだけじゃん
アメリカでタブーだから何なのかっていうところが分からないんだけど・・・
別にふだんアメリカ崇拝してるサイトでもないよね匿名ダイアリーって
いやいやいや、ジャニーズはホモレイプしてたんだからそりゃ問題でしょ
BLはホモポルノなんだからやっぱり子供も見る一般向けと棚を分けるぐらいのことは必要でしょ
けどこのミュージックビデオとアーティストはレイプもポルノもしてないじゃん
そもそも「表現の自由戦士」という言葉自体、自称ではなく蔑称で実態と離れてるからややこしいんだけど
いわゆる表現の自由戦士と呼ばれる人たちの多くは、「問題だと思うなら法規制」と言い出す
元増田はそういう話はしようとせず、あくまで「Mrs.GreenAppleの表現は何ら問題ないのだ」という完全勝利方向で戦おうとしてる
「アメリカに言え」の意味がこの短いセンテンスの中でも混乱しているのだが、増田は「アメリカ人のクリエイターが今回のMrs.GREEN APPLEのような表現をすること」「アメリカ人が侵略された土地でのうのうと生活していること」の両者をごっちゃにして語っており、どちらを問題視しているのだろうか。前者のような表現がなされたのなら、私は今回のようなブコメを書くだろうし、後者はそもそも全く次元の違う問題である。
次元が違う問題じゃないとか言い返すならまだ会話が成立してるが、完全にスルーしてる
「lady-joker選手」とか「lady-jokerさんの認知クオリティ」とかゴキゲンで煽ってる場合じゃないぞ?
自分がよって立つ帝国主義を一生懸命クリーンに繕ってきたコカコーラが一番ダメージ大きいよな。だから、党派的に考えれば、ビデオがあって問題が白日にさらされてる方が嬉しいと思うし、公開停止してもらうのを願うのは筋通ってないよな。
ミセスとしては消したいよな。ケセラセラとか私は最強とかの、エンパワメントやセルフラブのメッセージと、あのMVは思いっきり矛盾するもんな。だいたい人権尊重に親和性あるミセスファンからしたら、取り下げてほしいよな。そこのところで、リベラルは混乱すると思う。
もちろん上川外相には失礼なんだけど、公の場での問題提起になるだけおいしい。上川外相への一発言よりも、さまざまな男女不平等を是正すべき。この件も、ビデオを削除するよりも、今も続く植民地主義や先住民の疎外を問題視すべき。曲とかコカコーラの売り上げを先住民の方々に何かしら還元したりとかなったら、まだ少し優しい世界。
FANZAの通常コンテンツはセーフで同人コンテンツだけ買えなくなるって要はそういうことだよね
確かに実際クレカ使えなくなったのって国内だとDLSiteやpixiv、海外だとpornhub等と素人がエロをアップロードするサイトに限っている気がする
そう考えると、問題なのはエロかどうかではなくコンテンツ提供者がプロかどうか、ちゃんとしたレギュレーションがある業界で責任ある相手としかビジネスしたくないってことなのではなかろうか
無法地帯で「ただ趣味でやってるだけなのでアハハ」と言われて逃げられるような無責任な素人に金を渡すサービスを提供してその責任の一端を担うことになるのは避けたいということかもしれない
なんとなく表現の自由という軸で語ることではない気がしてきた
※最後に追加あり
事例
…
2023年に表面化したジャニー喜多川による性加害問題も、2019年に死去したジャニー喜多川の過去の行いに対するキャンセル・カルチャーの一例として取り上げられる[59][60][61][48]。例えば、ジャーナリストのシェリーめぐみは、「1人の犯罪者のために皆が犠牲になるのはフェアではない」として「関ジャニ∞」や「ジャニーズWEST」「ジャニーズJr.」などのグループ名や屋号を変更することの必要性に疑問を呈している[48]。特に漫画家・評論家の小林よしのりは、本問題を「史上最大のキャンセルカルチャー」と評している[59]。
他ならぬジャニーズ事務所が問題を長年誤魔化し、表面化してからも散々ずさんな対応をした結果引き起こした契約解除や屋号変更が「キャンセルカルチャー」???
事例として不適切すぎる。
問題点
キャンセルカルチャーの問題点として以下が挙げられている[62][63]。
…
ジャニーズ性加害問題当事者の会は、ジャニーズ事務所(現SMILE-UP.)に対して「具体的な補償額についても法を越えた救済を図るよう求めます」と要望しており[64]、事務所側も消滅時効に関わらず法を超えた補償を行うと宣言した[65]。
被害者の求めに事務所が応じた補償対応が「法治主義からの逸脱」で「キャンセルカルチャーの問題点」???
は?
ていうかこの謎の論理、Xのジャニオタがしてる主張まんまなんだが……。
よく見たらその下もおかしかったので追加
対抗言論の困難さ
告発された者に対抗言論の機会が十分に与えられず、一方的かつ不可逆的に排除の手続きが進められることがある[62]。過去の行為に対する謝罪に効果がなく、長きに渡って多数の出演がキャンセルされたり、謝罪がさらなる反発にさらされたりするケースもある[66][67][68]。
例えば、前述の小山田圭吾・たぬかなは当該の行為を謝罪・弁明したものの批判の声が収まらず、解任・解雇された事例とされる[69][70][注釈 3]。ただし、小山田の場合は、法的処罰対象となる犯罪行為である[72][73]。小林賢太郎・石川界人・加藤純一の事例は違法行為をした訳ではないが、対抗言論の機会もなく即座に解任された[74][75][76][注釈 4]。ジャニー喜多川も、問題視されるようになった2023年時点ですでに死去しており、全く抗弁の余地はなかった。
ミセスのMVの猿が奴隷に「見える」、先住民への弾圧を「想起させる」。
大森さんの声明によると「年代の異なる生命がホームパーティーをする」というコンセプトです。
なら不問にすべきでは?
差別に見えたから差別って、あなたの好きなものでもあなた自身でも何でも差別ということにして燃やすことのできる恐ろしい理屈だってわかってますか?
で、それはどこにいるんですか?
批判した人の中に先住民の子孫がいる可能性を否定しているわけではないですよ。
でも批判してる皆さんは違うでしょう?
被害者がいないのに勝手に想像で代弁して怒って燃やしてるだけですよね?
MVは取り下げられ謝罪文が出たからよかったよかった正義が勝ったーって本気で思ってます?
人の精魂込めた製作物が実態のない被害の声で潰されたんですよ?
冤罪じゃないですか。
二次元の絵がフェミニスト(を騙る人たち)に叩かれた時「絵には被害者がいない」とよく言うじゃないですか。
騒げば得をするインフルエンサーやYouTuberやスポーツ新聞や週刊誌が乗っかる。
本当に馬鹿げてる。
【追記】
こういう極端な例を出して「論破」しようとしてくるの呆れる。
それらとコロンブスのMVが同列だとまさか本気で思ってないでしょう?
何もないところに火をつけて炎上させられてキャンセルされてしまうのが当たり前みたいに受け入れられてるのがおかしい。
狂ってる。
リスク回避であれはやめておこうこれはやめておこうと表現活動が先細りになりますよ。
炎上状態になってしまった以上それしか鎮静化の方法がないからです。
ひどい話だと思う。
批判する皆さんの中でもそれぞれの要素をどう解釈するか意見がバラバラじゃないですか。
なぜ悪い方に悪い方に想像して決めつけるんですか?
最初から「炎上したMV」「差別的な描写がある」という先入観を持って見るからそう見えるんです。
そんな問題視するようなものなのか、自分の頭で考えてほしいです。
【追記2】
今晩8時、Mステ生出演です。
就職氷河期は晩婚化していてって言ってるヤツ居るけど就職氷河期世代の平均婚姻年齢は30歳前後で、つまり就職氷河期世代は2000〜2010年前後に結婚している人が多いんだわ
大半の場合は結婚後数年で子供が生まれることを考えれば就職氷河期世代の子供は現在の16〜25歳前後が平均を占めている思われ、まさに昨今問題視されているパパ活女子の主要年齢層だよ
こういう社会問題をみんなが真面目に離しているところへ嘘を混ぜ込むのは良くないと、同じく就職氷河期世代として「それは、そういう擁護行為はいくらなんでも間違っている」と警告する
3人組のバンド・Mrs. GREEN APPLEが6月12日に公開した新曲「コロンブス」のミュージックビデオ(MV)に対し、批判が起きている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/310eed4d5007ee28e4d207efe815ac5f2d547b2b
長年「ヒーロー」扱いされてきたコロンブスだが、近年は侵略者や奴隷商人としての側面が知られ、問題視されるようになっている。
コロンブスの一団は、カリブ海の島々の先住民を武力で制圧し、植民地化して奴隷制を導入。
先住民族を虐殺し、女性たちをレイプして性的搾取の人身取引を始めたほか一団が持ち込んだ病気によって多くの人が亡くなったことがわかっている。
「ふるさと納税の導入によって、せっかくの累進性が少し弱められてしまう」
という点が彼らの主張でしょ。
そういう意味では、ふるさと納税の補完的措置として、ちょうど相殺する程度に、累進課税の勾配をキツくしたら、原理的にはこの点での反対意見はなくなるはず。
まとめて業務用システム落とすってある意味統一性があるんじゃない?
重たいコンテンツだけでなく単なるホームページも復旧できないのマジで草なんだ
ワイは、えらい人か、えらい人ウケのいい野心ある人が、無茶苦茶なこと言って、それを反映した設計のせいじゃないか?って予測してるよ
焼きそば時代もアレだが、夏野先生もいろいろ名言を繰り出してる方ですからね。何が飛び出てくるのか気になって気になって仕方ないやで
まぁ意外とちゃんとしてて、これは確かに想定できない・・・🧐とか言うのでも、それはそれで参考になるので気になる
いちおうまだランサムとは発表してないけど、6月18日開催の株主総会どう乗り切る気なのかも気になる
⭐️ 近畿大学情報学研究所所長兼特別招聘教授で、独立行政法人情報処理推進機構 未踏事業統括プロジェクトマネージャーで、
デジタル庁 デジタル社会構想会議構成員で、内閣府クールジャパン官民連携プラットフォーム 共同会長で、(内閣府)規制改革推進会議議長でデジタル庁有識者メンバーで
慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科特別招聘教授の夏野氏ありがたいお言葉の数々 ↓ ⭐️
夏野氏
「あと、言いにくいが、税金払ってない人の2倍の投票権を税金払っている人に与えていいと思う。どちらにしろ東京の人の票の重さは鳥取の半分以下だし。最高裁も2倍までいいと言ってたらしいしね。」
「国民に高いコストを払わせてお世話になっているくせに当然の権利のようにTPP反対デモしている農民を見ると、事実上倒産しているくせに解雇に反対するJALの組合とかぶる。どちらも既得権益を守ろうとしているだけで、決して弱者ではないことに注意」
「30年くらい先を見越すと、都会か地方か、ではなく、人口減少下のニッポンである一定の人口密度以下の場所に住むということはそこの公共サービスを維持するために莫大な税金が必要となり、ものすごく贅沢なことになるという認識を持たざるを得なくなる。」
↓
「人口密度の高い地域の電気や水道水、食料はどこの地域からのものでしょう?どれだけの恩恵を人口密度の低い地域に頼ってますか?
利用者が少ないからとせっかく築きあげてた鉄道は廃線になり、どこの地域にもあった学校も統廃合でスクールバス通学、最低賃金格差、人口減少に向かわせた政策です。」
「他人より稼げているのは社会システムによる富の分配の偏りの恩恵で、能力より役割ですよね。所得が少ない人は税金払ってないというのなら法治国家そのものが崩壊しますよ。教授は食料作り出せないでしょ。低収入農家をバカにしないで。」
↓
夏野氏「はあ。」
夏野氏「竹中さんに大いに期待する。竹中さんの明確すぎる論に反発する感情的な人たちが日本のガンなのだ。 / 英雄?悪玉?竹中氏に再び脚光 戦略特区メンバーの有力候補浮上」
(「オリンピックで羽田の侵入経路が緩和されて五反田の上に(飛行機が)通るんだって。これに反対してる(人たちがいる)わけ」)
↓
夏野氏「その航路を開くときに、取り合えずB-2爆撃機でそのへん、絨毯爆撃したらいいよ。そいつら全員殺せ。いらねえよ」
夏野氏「今年選挙があるからだと思います。公平感?そんなクソなピアノの発表会なんかどうでもいいでしょ、オリンピックに比べれば。一緒にするアホな国民感情に今年選挙があるから乗らざるを得ない」
※ ありがたい数々のお言葉をくださる夏野氏が教授を務める慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科 は、お笑いコンビ「ロンドンブーツ1号2号」の田村淳さんが「これからも学び続けます!」と高卒から修士になったことを報告をしたことで有名ですね
中田敦彦のYoutube大学というYoutubeチャンネルが叩かれている。
まず結論を言うと、おれはこのYoutubeチャンネルは消えてほしいと思っているし、 もはや中田敦彦には自殺なり事故なりで死んでいただきたいなと思っている。 こいつが、おれがこの社会をおれのような人間にとって生きにくくしてる元凶だと思うからだ。 こいつは、適合人間の権化だ。害悪である。
中田敦彦のYoutubeの大学について、おれはもともと良いと思っていなかった。
誤っていることが多いからだ。 また、文学を紹介する時にも、著者に対するリスペクトが欠けているなと感じることがあった。
ということでおれは無視していた のだが、中東史のビデオが、それに詳しい人に酷評され、そこから中田敦彦批判が広まっていった。
おれも、彼の新選組のビデオは登場人物の名前はじめあまりに誤りが多く、 おれ自身は以前に話したとおり、麻布学園の自由論文テーマで土方歳三を選ぶほど新選組のことが好きであり、 本来ならば、中田敦彦のような著名人に新選組を広く紹介してもらうことは本意であるべきなのだが、 そのビデオを見た瞬間にチャンネルも登録解除したし、レコメンドも停止した。 気づけば、ディスプレイの中にいる中田敦彦に対して中指を突き立てていた。
それ以外のビデオに関しても、見る人が見れば誤ってるとわかるものが多いようなので、 彼のビデオは結構いい加減ということは言えると思う。
おれが中田敦彦のように、 お金を稼ぐためならば、多くの人に見てもらうためならば何をしてもよいと 考える人間が嫌いだ。
また、それに対して群がる人間も嫌いだ。
ツイッターなどで、何も面白くない、知能指数3くらいの白痴ツイートが 1000Likeを得ていたりすることがあるが、 こういうものにLikeするやつは全員ガス室に送るべきだと考えているし、 当然、ツイートした本人も死刑になるべきだと考えている。
なぜか。
それが、適合するということだからだ。
適合人間にとって真実はどうでもよい。 多くの人が正しいと信じていることであれば、それは正しいということになる。 間違っていることであっても、みんなが正しいと思っているから正しいという人間がこの世には結構いる。
中田敦彦にとって正しさの優先度は低い
中田敦彦にとって、ビデオが正しいことを言ってようが何であろうと関係ないのだ。 ただ小説や歴史をてきとうにおもしろおかしく紹介出来て、それによって自分のチャンネルが肥大して、 多くの視聴数が得られ、高額な報酬が得られればそれが正しいことなのだ。
Youtuberは多くの場合、虚業である。 彼らが提供しているのはエンターテイメントであり、 現代の価値基準でいうと、本来なくても良いものだからだ。
しかし、百歩譲って単なるエンターテイメントであれば問題がない。 それどころかおれは、人間が経済的に豊かになった時代においては、人の心を豊かにする エンターテイメントこそが必要なものになると考えている。
では、中田敦彦のYoutube大学はエンターテイメントなのか? 彼はそのつもりかも知れない。 しかし、見ている人間からするとそうではないのだ。 不愉快に思うこともある。
もちろん、不愉快に思う人がいるからやめろというつもりはない。 なぜならばそれはまさに適合サイドの論理だからだ。 全員が不愉快に思っても、正しいことならばやればよい。
しかし、これを「大学」と名乗るのはやめろ。 大学と銘打つのであれば、提供する内容に専門家のレビューを通すのを最善とした何らかの検査をしろ。 正しいことを伝える最低限の努力はしろ。さもなくば、「大学」と名乗るのはやめろ。
なぜ彼が、正しくないことを言ってるにも関わらずそれを大学を呼んでしまうかというと、 そういうものを大学と呼ぶことに罪悪感がないからに他ならない。 なぜかというと、彼にとって大学ないしは学問というのがその程度のものだからだ。
これは恥ずかしいことだと思っていただきたい。 まともに教育を受けた人間で、中田敦彦のYoutube大学を真剣に見てる人は 誰一人いないと断言出来る。 メンタリストDaiGoなんかも似たようなものだ。
中田敦彦がこのチャンネルを「大学」と呼ぶ背景には、 彼が本当に知識を多くの人に届けていることに正義を感じているかというのもあるだろう。
学校でいじめられて引きこもってしまった子などが、自分のビデオを見て学ぶことに喜びを感じているのかも知れない。 経済的に大学にいけない人に学ぶチャンスを与えたいとか思ってる可能性もある。 というか誓ってもいいが、きっとそういうことを言うのだ。なぜならばそれが適合人間だからだ。
しかしおれはそうは思わない。
歴史上の人物について何かしらの真実を捻じ曲げたりすることは、 生きている人間にとって嘘の情報を流してその人間の社会的地位を貶めることとなんら変わりない。
なぜならば、第一にその人の子孫は今の世の中に存在しているからだ。 これは、不愉快に思う人がいるから正しくないと言ってるのとは違う。 単に、犯罪行為をやめろと言ってるに過ぎない。 しかも悪いことに、登録者は100万人を超え、何万何十万というオーダー の人間に見られてしまっているのだ。
また、歴史というのは生きている人間の共通認識でもあり誇り・財産でもある。 これらを穢すことは当然許されない。 歴史は、空気中に浮かんでいる何かではないのだ。
おれは、中東の歴史については詳しくないので上で挙げたツイートについて それが真実かどうか判断する目を持たないが、 もし真実でないとして、それを中東の人が見たらどう思うのだろうか?
理由その2は、一度誤った知識を身に着けてしまうと、 それをあとで修正することが難しくなるからだ。
小学生中学生の子供が、中田敦彦のYoutube大学を見て 何かを学んだ(?)とする。 そしてのちに学校で同じテーマについて正しい知識を学ぼうとした時に、 正しい知識の方が定着しない可能性がある。
理由は、
1.動画で学ぶことは、退屈な教科書で学ぶことより記憶に定着しやすいから
3.多くの人が見ている動画だから正しいと思い込んでしまうから(適合人間の悲しさ)
「人間だから間違うこともある」というのが適合人間の論理だ。 しかも間違うことを許さないと社会が進んでいかないとか言い出したりもする。 というか中田敦彦はきっとそう言うはずだ。
しかしすでに述べたように、 間違ってると思うのであれば、それを大学と銘打って垂れ流すのはやめろというのが一点だが、 その間違いが単にケアレスミスとかそういうレベルではなく 「そもそも正しいことを広める気がない」という点を問題視していることから 自分に対する批判が始まっていることを認識していただきたい。
それをそのままの形で己の作品として発表すれば悪評を得るだろう。
ではここでその諸問題、「なぜ文章のパクリは忌避」されるのか。
それについて考察しようと思う。
そこで私がその作品から、富士山に対する描写をそのまま引用すればパクリとされる。
それはその「文章」を無断で引用したことを咎められるのであって、「富士山」そのものを流用したこと事態に問題は生じない。
すなわち「富士山」との表象を描写すること自体には、「パクリ」とする概念が存在していないのである。
ここで述べたいことを平易に、そして換言すればこういうことである。
なぜ文学作品の文章を光景として捉え、その文章を描写することは禁止されるのか?
ということである。
詭弁的に述べれば、こういうことだ。
「私はその文章をパクったのではない、私はその文章を光景として読み取り、私が感じたままにその文章を描写しただけである」
その理由こそが、この諸問題としての根源的なものであり、すなわち「パクリ」という行為は、文章を盗む行為ではない。
それは、作者の感性、思考を盗むことに他ならず、端的にも形而上学的に述べれば、それは作者の「魂」を盗むことである。
つまり、富士山としての描写自体に「パクリ」としての表象が生じないのは、富士山としてその表象を捕らえた際、そこには個々人において異なる情動、思考、感性が働くことに由来する。
自分が認識した事象を正確無比に相手に伝えるのは不可能である。
なぜなら知覚した事象を言語化する際に、ノイズが生じることは不可欠だからである。
仮にこうしたコード化によってもノイズが発生しないのであれば、それは他者と自己を境界線が存在しないことに成り、それは他者の存在を消失させてしまうことにつながる。
よって、他者としての存在とその存在性の認識こそが自己認識における伝達として生ずるノイズとしての証明であり、故に完璧な意思疎通は不可能である。
実際に自分が認識したものを完全に換言するのもまた不可能である。
ここで本題に戻ろう。
彼らは実際、事象に対する見事な描写に評価を与えるのではなく、
仮に富士山としての事象、光景が、文字として表せるコードとして定義化されたとしよう。
すると橙色をR132・G90・B18として示せるように、富士山も同様に共同認識のコードにより共通の形で表記することができるだろう。
その際において、富士山を示すコードを流用しようと、橙色の場合と同様、そのコードを”パクリだ!”と批判されることはないだろう。
文章の引用、パクリとされる行為は文章を盗むのではなく、作者としての”ノイズ”を盗むのであり、人は意思の疎通として害となる、その”ノイズ”に価値を置いている。
人間は巧みに描写された事象を求めて作品としての文章を読むのではない。
それは正確さに欠ける、個々人として個人的な感性と称される”ノイズ”を読む行為に他ならないのだ。
つまり、人はノイズを読み得ようとすると同時に、その”ノイズ”の出処を正確に知ろうと欲するためである。
それはすなわち、”ノイズ”の正体が判明しておらず、その”ノイズ”としての概念自体をアニミズム的にも崇高する謂れを持ち得ているからである。
これこそ換言すれば、
「逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ…」