はてなキーワード: 告白とは
俳句がテーマの作品なのにタイトルの語呂があまりよくなくてタイトルを覚えられない。毎回「サイダーのように」でググる。
「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」の方が響きだけ俳句っぽい。
終盤の主人公がラップバトルみたいに俳句を叫んでヒロインに告白するシーンで「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」が混じってても似合う。意味は通らないが。
身長も低かったし、女友達も少なくて、恋愛は雲の上の存在だった。
あまり話したことない女の子に突然告白して振られたことがあったっけ。
めちゃめちゃ可愛いし、リードしてくれるし、めっちゃ褒めてくれるし、なんか満たされた。
そして気づいたことがある。
可愛い女の子みても「付き合いたいな」という気持ちがなくなってしまった。
「風俗いったらもっと可愛い子抱けるしな」って思うようになってしまった。
食事管理をして筋トレ、髪を伸ばしてパーマをかけて毎日セット、しまいには眉毛のアートメイクまでしてしまった。
そして、女の子と話す時もはなから恋愛対象じゃないので、余裕を持って話せるようになった。
するとどうだろうか、めちゃくちゃモテるようになった。
1人が好きだし、たまに風俗いって可愛い女の子と触れられるだけで充分。
見事に拗れてしまったわけだが、このまま独身でいいのかという焦燥感もある。
でも多分一生独身でいるんだろうな。
身長も低かったし、女友達も少なくて、恋愛は雲の上の存在だった。
あまり話したことない女の子に突然告白して振られたことがあったっけ。
めちゃめちゃ可愛いし、リードしてくれるし、めっちゃ褒めてくれるし、なんか満たされた。
そして気づいたことがある。
可愛い女の子みても「付き合いたいな」という気持ちがなくなってしまった。
「風俗いったらもっと可愛い子抱けるしな」って思うようになってしまった。
食事管理をして筋トレ、髪を伸ばしてパーマをかけて毎日セット、しまいには眉毛のアートメイクまでしてしまった。
そして、女の子と話す時もはなから恋愛対象じゃないので、余裕を持って話せるようになった。
するとどうだろうか、めちゃくちゃモテるようになった。
1人が好きだし、たまに風俗いって可愛い女の子と触れられるだけで充分。
見事に拗れてしまったわけだが、このまま独身でいいのかという焦燥感もある。
でも多分一生独身でいるんだろうな。
昭和~平成前半の体罰という名の虐待が許されてた時代に育児してたもんだから
令和の今も体罰(虐待)してる母親に「わかるわかる~わたしもやっちゃったんだよね~キャハハ」みたいな返しをするのがとんでもなくきもい
そのYouTuberのところに虐待してる母親が集まって、「わたしはこんな暴力をしました」「あんな暴力を子供にしました」みたいな告白をして、別の虐待した母親が集まってきて「わかるわかる。そんなときもあるよ」みたいな感じでよってきて、
育児系YouTuberが虐待した母親の懺悔の告白をなんでも聞いて許してくれる神父みたいになってんのほんときもい
同じ育児系YouTuberでも、自分の子供全員東大にいれましたな母親は教育虐待してる母親に対して、ちゃんとぶったぎってるのがよかった
子供の味方になって話してたわ
虐待に関しては母親の味方に立つんじゃなくて子供の味方になってほしい
彼女いない歴=年齢。
大学時代から今までの約9年間、大学のサークル、ゼミ、紹介、マッチングアプリ、職場の人など、それなりの女性とデートをしてきた。
「振られる」という土台にすら立てず、付き合う前のデートや食事で「大人しそう(陰キャ)」、「真面目そう(つまらない)」、「優しそう(良いところ0でキモい)」という評価が下されて終わっている。
いくら非モテとはいえ脈なしの女性にガツガツするみっともない真似はしないので上記の評価が下された時点でちゃんと身を引いている。
これまでβオスから抜け出してαオスとなるべくそれなりに色々とやった。
相席屋に行ったりクラブにも行ってひたすら女の子と会話し続けた。
言葉の始めに「あ」「あの」がつくこともなくなった。
数年かけてようやく「大人しそう(陰キャ)」と言われることはなくなったが、それでも「真面目そう(つまらない)」「優しそう(良いところ0でキモい)」という評価から抜け出せない。
低めの身長と童顔も影響していると思う。
気になってる子にキラキラした笑顔で「〇〇君って本当優しそうだ(良いところ0でキモい)よね」なんて言われた日には次の日が仕事でも、早朝から資格の勉強しないといけなくても悔しさと虚しさで朝まで眠れない夜を過ごすことになる。
「遊んでそう(かっこいい)」「チャラい(タイプ)」「彼氏にしたくないw(彼氏になって♡)」と言われる日は永遠に来ない。
これまで、自分のことを「真面目そう(つまらない)」「優しそう(良いところ0でキモい)」と評価した女性から告白されることもあった。
つい孤独に耐えかねて「喜んで!」と言いそうになるが、そこをグッと堪えている。
ちゃんと自分に異性としての好意を持ってくれている女性と付き合いたい。
もうそんなことを言っていられる年齢じゃないけど、それでも諦められない。
どうすればβオスの呪縛から逃れて女性からら本当に好かれるαオスになれるんだ。
結局、そんなことは無理なのか。
苦しい。
中学生時代は部活動もやってたし、女友達もいた。カラオケに行くとか祭りに行くとか、至って普通の学生だったと思う。高校生時代は部活動こそやらなかったものの、ゲームとオタク友達がいっぱいできて、その中には勿論女の子もいた。自宅から遠い高校に通ってたから遊ぶことは少なかったものの、休日に何度か一緒に遊ぶことはあった。
自分では十分、青春に含めていいと思うんだが、「恋愛経験がない、童貞である」ってことを話すと「青春してこなかった」みたいなことを言う人がいる。「そんなこと言われても、魅力的な女性に出会わなかったし…」と思うんだが、俺のは青春ではないんだろうか?
ここからはただの妄想だが、もし、当時の女友達に告白されてたら付き合ってたとは思う。けど、性的な目で見れないから性行為は断ってただろうし、俺の中では「友達の延長線」くらいの認識だから、恋愛経験に含めていいのかすら分からない。
好みの女性のタイプはあるし、「結構好みのタイプだなぁ」と感じる人は何人かいたが、恋するほどではなかった。これは弱気だから〜、草食系男子〜とかそういう捉えられ方をするんだろうか。
と、こういう話は本当にめんどくさいから、外ではいつも「高校3年生の時に付き合っていた人がいるが、別々の大学に進むことになって自然消滅した。LINEでは今でも繋がっている」という設定で対応してる。
シャンプー変えたんだけど、いい匂いするって言われたよ。ちゃんと。お世辞かな。匂いの話でさあ、1個すっごい嫌な思い出があんの。シャンプーの匂いがいい匂いだったのかなんだかで、『おまえの髪の毛いい匂いするわ』って言われたの。そいつ、私がすごく嫌いな人だったの。で、その後にすごい自慢みたいなこと言ってきてさ、それで「俺、彼女いなかったらお前に告白してたわ」みたいなこと言われてさ、もうやだよお~みたいな、ただでさえ関わりたくないのにそんなこと言ってきやがってマジで。だから一生あのシャンプーつかわなくなった。そのせいで。あれ好きだったのに。違うものに変えました。いやあれマジでよかったのに…。でもね、今新しいシャンプーにしたけど、良い感じ。
女からすると、告白されると思ってない男に告白されたらビックリする。
でも、好意を寄せてる男の人に好きになってもらえたら普通に嬉しい。
もちろん告白してくれたら喜ぶよ。
だけど、告白で傷つけたくない。
彼女とは付き合ってない。
たまに話す。
2人で笑いあったりもする。
勝手な雰囲気や思い込みで押し切っちゃダメ、という考え方から性的同意が生まれたと聞く。
だけど、オレの状況には役に立たない。
でもだからと言って、古風なノリと、直感で、当たって砕けろ、しかないのか。
例えば体にタッチされたのを、心を許してると見ていいのか? …いや、自信がない。
初デートサイゼ論争はことごとく議論が噛み合っていない様子である
サイゼ論争を眺めるにつけ、みんな明後日の方を向きながら演説しているだけなのに距離が近いから議論ぽく見えてしまっている……といった印象を毎回抱いている
この噛み合わなさの要因は一体何なのか
議論を観察するうちに気づいたことだが、実は「初デートにサイゼ」という事象には3つの捉え方があるようなのだ
初デートサイゼを語っている人間は大きく3つのグループに分類され、それぞれ常識や経験、世界観が全く異なっているために同じ「初デートサイゼ」を語っているように見えても実は全く異なるデートの事象を取り上げている
ここでは初デートサイゼ論争を繰り広げる層を3つに分類し、それぞれの層が指す初デートサイゼの正体について深堀りしてみようと思う
それぞれの誤解が解きほぐされ「初デートサイゼ」にまつわる相互理解に少しでも繋がれることを願っている
まずは初デートサイゼに対して激烈な嫌悪感を示している層である。
概ね下記のプロファイリングに該当する層であり、初デートサイゼ論争においては否定派に回っている
・結婚願望が強い
・恋愛経験があったとしても自分の理想の恋愛経験ができた経験はなく、過去の恋愛を黒歴史だと思い込む節がある
・相対的な価値観で幸せを感じる傾向がある(自分が好きかどうかではなく周りからどう見られるかを重要視している)
・「〇〇すべき」「〇〇しないとみっともない」といった「べき思考」を内面化している
こういった層が想定する「デート」とは、マッチングアプリ等によって知り合った人間との初めての顔合わせである
婚活をしない層からすると信じられないことだろうが、彼女らの思うデートとは「相手のスペックを品定めするための場」であり、純粋に恋愛の過程を楽しむためのものではない
さながら、事前に定められた規格に対してその製品が合格できるかどうかを確認する試験のようなモノなのだ
そういった層からすれば当然のことながら「初デートでサイゼ」はナシとなる
この層における初デートサイゼとは、「相手の男性の給料は相当低い」「自分を魅力的に見せる努力を怠っている無能力者」「こちらを舐めている、足元を見ている」「こちらを楽しませようという甲斐性は一切ない」などといったことを意味する符牒となるのだ
故に初デートサイゼ肯定派を見たとき彼女らは自身の価値を毀損させられたかのごとく怒り狂うし、あるいは「初デートにサイゼ悪くないじゃん」的なことを言う女性に対しては「穴モテのクソ女!!」といった反応を寄越すのである
初デートサイゼを支持する層ではあるが、こちらもこちらでデートに対する認知は歪みまくっている
プロファイリングは下記の通り
・基本的に恋愛の知識はネットやアニメや漫画から得たものしかない
・ルーティンから外れることを嫌う特性がある上に周りの目を過度に気にする
・そのため外食はもっぱら通い慣れたチェーン店しか利用しておらず、恥をかくのが怖すぎてひとりで行きつけのお店を開拓することができない
・恋愛や幸せに対する考え方が幼稚で独善的(自分が好きなことと相手の好きなことが一致することが幸せだと思っている、相手の喜ぶことに合わせるといった思考がない)
この層はデートを「恋愛関係に至ったあとにする行為」だと思ってる
より正確に言うなら、「好きです!付き合ってください!」などという告白によって交際がスタートし、その後初めてふたりで出かける行為を「初デート」だと思っている
しかも、基本的に女性に対して歪んだ幼児的な見方しかしておらず0か100かでモノを考えているうえ、「ありのままの自分をそのまま認めてもらえるのが良い恋愛」だという幼児的な世界観に脳みそが支配されている
「初デートがサイゼになるのは仕方ない(他にお店を知らないし怖いから)」
↓
「理解のある彼女ならこちらの事情を察して初デートサイゼに文句は言わない」
↓
「っていうか初デートで高い飯奢られようとするとか普通に性悪ビッチなのでは?」
↓
↓
「初デートサイゼは何もおかしくない!むしろ初デートサイゼに文句言ってんのは性悪のクソビッチ!」
と思っている
彼らからすれば層1の主張をする人はみんなビッチになるというわけだ
ネット上の初デートサイゼ論争は主に層1と層2が噛み合わない議論を延々と繰り返すことによって形作られている
が、実は層1も層2もノイジーマイノリティであり大半の人間が思う一般的な初デートサイゼの印象からはだいぶ外している
ではここでいう一般人とはどんな人なのかというと、
・自己肯定感もそれなりにある
といった人だ(逆に言えば層1と層2にこのような要素はない)
「趣味で知り合った間柄だと初デートサイゼも普通にあるよね、好きなバンドのライブ行ったときの食事とか簡単なものになりがちだし」
「あとから振り返って「そういえば俺達の初デートってサイゼだったねー」ってなることあるよね、友達以上恋人未満のときにノリでファミレス行ったりすることあるじゃん」
などと、個々の事情次第でそういうのもあるよね、といった反応になる
層1や層2と異なり「こうなるべき!!」といった思考には支配されていない
またそうであるが故にネットのレスバに参加することも少なく、仮に参加しても過激なことは言わないので意見は埋没しがちである
サイゼ論争を実りあるものにしたいならまずは相手の過去ツイートなどを漁って相手の人柄が何なのかを把握するべきだ
また、その姿勢を自分に向けて「なんで私は初デートサイゼにここまで感情が高ぶっているのか」を分析することも重要だろう
ここで紹介したプロファイリングも全部が全部当たるわけではなく、例えばこの間話題に乗っていた「女性をサイゼに連れて行って試すことの何が悪いんだ!」みたいなこと言っていた人は層1の異性版といえる
いずれにせよ、初デートサイゼに口角泡を飛ばしている時点で恋愛に対して歪んだ認知を持っていると言えるのでカウンセリングを受けたほうがいいかもしれない
それから俺はセックスが怖くなり、女性自体が怖くなったのかもしれない。
暫くは彼女を作らずに居た。30代となり、そろそろ結婚を視野に入れるべきだと思うと、途端に焦りが生まれた。
合コンや街コンに積極的に参加した。この子いいな、と思うこともあった。でも将来が、付き合ってからのその先を想像できなかった。
結局、俺は未だにセックスを怖れていた。
このままでは駄目だ。自分を変えたい、変えよう。そう思って俺はソープに足を運んだ。
結果は失敗だった。そもそも起たなかったんだ。緊張とプレッシャーと、トラウマのせいだと思う。
何度も謝られ、居た堪れなくなったので事情をすべて話した。
それから「よくある話だと思う」と意見をくれた。どういうこと?そう尋ねると、彼女は思慮深く口を開いた。
そもそも初めてで上手くいく人の方が稀で、練習もなしに上手にできる方が不自然なのだと。
彼女は一瞬、驚いた表情を見せた。
ほら、練習するのにも相手が必要だし、こうして事情を話したキミになら頼めるというか…キミだから頼みたい。そう俺は畳みかけるよう話した。
彼女は微笑んだ。いいよ、と了承してくれた。
それから俺は月に二度、彼女のもとに通っている。部屋に入るまでは普通の客と嬢。そんな風に装いながらも二人きりになると俺は生徒で彼女は教師だ。
どういう風に愛撫するのが良いのか?挿入のタイミング、腰の使い方。学ぶ事で得られることは本当に多かった。
彼女のおかげで少しずつセックスが上手になったと思う。褒められる度、自信が回復しトラウマが薄まっていくのを感じられた。
久々に彼女を作りたい、と本気で思えるようになってきた。でも問題がひとつあった。
フラれるかもしれない。そんな学生みたいな恐怖心が心の中に蔓延り、未だ気持ちを伝えられずにいた。
今週末には授業日がある。俺は彼女に今度、告白のタイミングについて教えを乞うかもしれない。
そのタイミングは、ずっと後であってほしい。
俺は他のクラスや学年からも見学が来るキモい男子として学校中に知れ渡っており、
ほぼ毎週のように誰かしらの嘘告白を受けていた。で、次はうちのクラスのAの番になったらしく
「嘘でもあいつに告白するなんて嫌。そんなことするくらいなら死ぬ」と叫んでいて
リーダーのBとかが「一言言うだけなんだからいいじゃん。あたしもやらされたんだから」などと説得?していた。
数日後にAに呼び出され嘘告白をされた。なんと返事したかは正直覚えていない。
毎週のように嘘告白されてさすがにもうまともに相手にする気にもならなかったので
「はいはい罰ゲームお疲れ」みたいな返答をしたんだと思う。Aは見たことがない憤怒の顔をして
屋上への階段を駆け上がり、校舎から転落して数日後に死んだ(学校は事故として処理)。
亡くなった次の日に学校に行ったらBが「お前のせいでAは死んだ、この人殺し!」と言いながら俺を殴った。
何で俺のせいなんだと抵抗したが周囲もBに同調し、結局俺は学校の大半の女子と一部男子から
卒業まで人殺しと呼ばれ続けることになる。まぁ罵声をBGMに毎日学校に行った俺も今考えると正気ではないが、
あの時はこれで行くのをやめたら自分が人殺しだと認めたことになると思っていた。
卒業式も出るつもりだったが、学年の中で式の後に俺を屋上から落としてAの敵を討つ計画が発覚し、
担任が家に来て「あいつらを犯罪者にしたくないので式に来ないでくれ」と懇願された。
俺は無視するつもりだったが、結局仕事を休んだ親に監禁されて式には行けなかった。
あれから時間がたち、今はAの気持ちも少し分かる。自分よりはるかに格下と思っていた存在に軽く扱われ、
自分はそのとき既に死んでいるわけで、他人がパソコンの中身を見てどんな評価をしようがどうでもよくない?
と個人的には思うのだが、人々は自分が死んだあとも自己評価を保ちたいと思うものなのだろうか。
自分の場合は逆に、「自分はこんなことを隠して生きていたんだ!」とぶちまけたいタイプかもしれない。
死んだ後なら自分に告白のリスクは無いので、パソコンの中には自分を赤裸々に示すものをたくさん残しておき、
周りの人々には私の抱える闇や苦悩をじっくり感じてもらって、私のことを思い出すたび、トラウマ的に苦みを感じてほしいなと思ったりする。
「生きるの大変だったんだな」と、私が居なくなった後に理解してほしい。
続きです。
しかし、結果的に言うとマンガ部も違った。こんな言い方が正しくないのは分かっているが、みな意識が高すぎるのだ。真面目にマンガに取り組もうとしている人たちばかりだった
「人は経験したことだけしか描けない」という信念のもと、学外活動にも熱心だった。いろいろな経験を積むことで、その経験が作品に、キャラクターに深みを与えるのだと。マンガが好きだからマンガしか読んでない奴には面白いマンガは描けない。そう断言してはばからない人たちだった
しかし俺はその考えには否定的だった。なぜならエロは自由だからだ。エロく感じるなら現実など無視して良い。腹ボコも子宮姦も感度3千倍もリットル単位の精液も、どれも現実にはありえない。だがありえないからこそエロいのだ。現実に縛られずに自由に描けるからエロマンガやエロ同人はエロいのだ
そして俺は漫画家になりたいのではない。エロの二次創作がしたいだけだったのだ。そのためだけに絵を練習してきたのだ。男などは描きたくはないが、竿役がいないと始まらないので仕方なく練習した。毎回毎回異空間に閉じ込める訳にも行かないから、背景も勉強して練習した。もちろん女体もしっかり練習した。だがしかし、精緻な設定も重厚なストーリーも人生経験もエロ同人には必要ないし、そもそも俺にそんなものを生み出せるはずもない。生み出そうという気持ちすらない。俺にとって重要なのは、読子やまほろさんをんほおさせること。それだけだからだ
とはいえ先輩方の絵は上手かったし、デッサンの勉強会なども定期的に行われていて、同期で入ってきた部員も何人かいたので、しばらくはこのままでいいかと思い、部に残ることにした。表向きは俺も漫画家志望だということにして
マンガ部では定期的に部誌を発行しており、部員は全員それに載せる作品を描くことが義務だった。作品を落とすことは一度目はセーフだが二度目はペナルティ(部員全員に食事を奢る、部誌の印刷代を出すなど)を課すという厳しいものだった。なので落とす人はほとんどいなかった。が、これに毎回苦戦していたのが俺だ
だってそうだろう。自分が一から考えたマンガなど、俺は一度も描いたことがない。ストーリーがあるマンガも描いたことがない。だが見様見真似でコマを割ることを覚えたりと、マンガの形式を少しづつ学べたのは良かったと今でも思う
そうして大学生活や部活動にも慣れ始めた頃、ついに俺は念願を実行に移すことにした。そう、エロ同人作家としてデビューすることだ
いきなりコミケはハードルが高すぎるし、何よりもサークルの当落があるので、本ができても落選では意味がない。だからまずは手近なイベントにしようと俺は考えた。ネタとしてはやはり、当時人気だった「おねがい☆ティーチャー」が鉄板だと俺は予想した。印刷所も手配し、同期にも手伝ってもらって原稿も描き上げた。この同期は真面目でエロマンガやエロ同人などには良い感情は無かったが、それでもマンガであることには変わりはないと割り切って手伝ってくれた。マンガとして成立しているかもきちんとチェックしてくれた。コマ運びや大ゴマの使い方など、エロ絵しか描けない俺の絵を「マンガ」にしてくれたといっても過言ではない。ただ、俺が本当にやりたかったのがまさにエロ同人だったと知っていたら手伝ってはくれなかっただろう。そういう意味では騙したみたいで、今でも時々申し訳無さを感じる
そうして出来上がった俺の初のエロ同人誌は、自画自賛だがなかなかのものだったと今でも思う。もちろん今から見れば何もかもが荒削りだし、絵だって素人にしてはまぁまぁ、というレベルだ。当時と今とでは要求されるレベルが違うが、それを勘案すれば「まぁまぁ」だった(今基準ならクソ認定されるかもしれない)
そして結論から言うと、俺のこの初エロ同人誌は完売した。ビビって100部しか刷らなかったのを後悔した。初めてのイベント参加で、初めての本なんか売れるわけがない。そうネットでは言われていたので、100部というのもかなりの冒険だったのだけど、当時は最低ロットが100部からだったので仕方なかった。今のオンデマンド方式なら部数は自在だから、30部ぐらいにしていたかもしれない。それはともかくとして
初めてのエロ同人が完売したという事実に俺は喜びに打ち震えた。たった100部とは言え、初めての参加で初めての本だ。それの「完売」の勲章は何物にも代えがたい。今までの努力が認められた気がした。エロ同人作家として価値を認めてもらった気がした。子供の頃からなりたかったエロ同人作家に、いちおう俺はなれたのだ
そこから俺はイベントごとにコンスタントに新刊を出すようになっていった。この頃にはとらのあなが最大勢力で、信長書店やメッセサンオーといった同人を扱うショップも多くなってきた。一方で長年お世話になっていたLLパレスは悲しいことに規模を縮小していったが、こういうショップが勃興することで、俺は部数をどんどんと伸ばしていった。イベントで売れ残っても、その在庫をショップが引き受けてくれるのだから、スペースの限界まで持ち込めるのだ。100部から始まった俺の本の印刷部数が4桁後半になるのもあっという間だった。実家から離れて一人暮らしを始めたのもこの頃だった
一方で同人活動にかまけて、学業どころか大学生活が破綻するようになった俺は留年の危機を迎えていた。おまけに世は就職氷河期真っ只中である。だが俺はまったく気にしていなかった。この頃の俺は1000万円以上の収入をエロ同人から得ていたからだ。就職も卒業もする意味も理由も俺にはまったくなかった。が、親に懇願されたのもあって、卒業だけは一応しておくかと思って追試でどうにかなった。大学側の温情も多分にあってのギリギリ卒業だった
親からは就職をどうするのかと何度も問い詰められた。いまの状況ではまともな就職など出来ない。だからしばらくフリーターをやると言うと、それなりに納得していたようだった。エロ同人作家もフリーターも似たようなものだ。だから俺はここで本当の「エロ同人作家」になった。大学生のお遊びではない、本物になったのだ
さて、無事に大学も卒業して「職業、エロ同人作家」となった俺は、変わらずに活動を続けていた。好きなアニメやゲームを見ては妄想と股間を膨らませて、いかにこのキャラをアヘアヘ言わせるかだけを考えていた。清楚なタイプならギャップ萌えでダブルピースも悪くない。ロリロリでもアリだ。ちょうどこの頃はメスガキ分からせという概念も生まれつつあって、それに乗った俺は絶好調だった。少なくとも表面上は
だが、当時は分からなかったが実は俺はほんのりとスランプを感じていた。マンガの技術は桁違いに向上したし、画力だってプロと比べても遜色ないほどに腕を上げた。しかしやってることや描いてる内容は最初のデビューの作品から何も変わっていない。いや変えられなかったからだ。技術レベルは上がっても、「中身」は小学生レベルなのだ。小学生の描くバカみたいなマンガをプロが清書してるだけのようなものなのだ。誰を描いても、何を描いても「うんこ! おしっこ! ギャハハ!」だ。そういうものを延々と再生産しているという事実に気がついた時、俺はゾッとした。結局のところ、俺はエロ同人「作家」としては何も進歩も進化もしてないのではないか。そう思った
学生の頃、マンガ部の真面目な先輩たちが真面目にマンガを描いていたのを見て、意識が高くて違うなぁと思った。俺にはそんなものは不要だと考えた。エロ同人に必要なのは、一にも二にも画力とエロスだけだ。そう信じていたが、そうではなかった、エロとはそんな単純なものではない。…俺はそんな風に段々と思うようになっていった。エロスとは人間の真実を浮かび上がらせる深奥なる営みの一部なのだ、と。今頃になって先輩たちの「人は経験したことだけしか描けない」という言葉が俺の心をえぐるようになっていった
しかるに今のこの俺はどうだ。実際のセックスなど知らずに、小中学生の妄想をただ絵で表現しているだけの、エロスも人間も描いていないただ手先が器用なだけのバカなのではないか。小手先でエロい絵を描いてるからある程度評価されてるだけで、「作家」としての評価は下の下なのではないか
俺は「漫画家」になりたかった訳では無い。ただエロ同人作家でありさえすれば良かった。だがエロ同人作家であろうとするなら、同時に「漫画家」的な資質も要求されるのだということを、俺はようやく思い知った。エロいからというだけで、設定など無視してキャラにアヘ顔ダブルピースをさせるなど、そもそも作品を理解していないから出来ることだ。果たしてそれは二次エロとして正しいのか。エロ同人作家としてあるべき姿なのか。そんなことを突きつけられた気がした
今から思えばそれは事実だった。だが当時の俺に、その事実を受け入れ、飲み込む度量はなかった。なまじ売れていたからこそ、自分が真のエロ同人作家ではないという事実が受け入れられなかった。あれほど憧れたエロ同人作家として成功したというのが、すべて幻だった、勘違いだったなど受け入れられるはずがない
だから俺は、「本当のセックス」を知るためにまず風俗に行くことにした。実際のセックスを体験すれば、それが何らかの形でマンガにフィードバックできると考えたからだ。そのフィードバックを得られれば、俺は一つ上のエロ同人が描けるようになる。そう信じた。マンガ部の先輩たちが言っていた「人は経験したことだけしか描けない」という言葉に、今更のように俺はすがった
だが、「実際のセックス」は俺の求めたフィードバックもインスピレーションも、何も与えてはくれなかった。実際のセックスはさほど刺激的でもなく、快感という点でも右手に大きく劣るという有り様だった。しかし一つだけ大きな学びがあった。「セックスはいうほど気持ちよくはないが、しかし女の子とイチャイチャするのはたまらなく心地良い」のだ
話は少し前後するが、俺は外面が良いというのは何度も書いた。芸能人レベルのイケメンとまでは言わないが、雰囲気イケメンぐらいではあった。身長だって175センチあって、武道で鍛えてはいたので細マッチョだったから小中高と女子には受けは良かった。告白されたことも何度かある
でも俺はそれらを断った。なぜか? それは真実を知ることで幻想が壊れることが怖かったからだ。そして己の欲望をありのままにぶつければドン引きされるのが分かっていたからだ
俺とて子宮姦など現実にはできないことは知っているし、そんな長大なナニも持ち合わせてはいない。感度3千倍なら脱法ドラッグあたりなら何とかなるかもしれないが、それとてリスキーが過ぎる。なにより俺には妹がいると最初に書いたが、そのせいで「現実の女」に対する期待値などゼロだった。「人語を一応は解する邪悪な獣」である妹が俺の中では現実の若い女性のモデルケースだったので、そんなのの類似品と「お付き合い」など出来るはずがないし、したくもなかった。故に俺はセックスへの憧れ、期待を持ちつつも実行には至らなかった。現実の女子などは鬼神のごとく敬して遠ざけるのが最良なのだ
とはいえ性欲は人並み以上にあったので、ヤりたい気持ちは常にあった。ヤれそうなタイミングもあった。しかしエロ同人的な世界観を内面化している自分が、常識的なセックスで満足するとは思えなかったから踏みとどまれた
話を戻すと、いざ実際に現実の女子と致すと、なるほど予想の通りにさほど気持ちよくはなかった。全くの想像以下だった。しかし、事前事後に快感とは別の多幸感のごときが押し寄せてきたのだ。これは予想外、想定外だった。幸せホルモンがドバドバと脳内に分泌されている。セックスとは竿の快楽だと考えていた自分にとっては、これは盤外戦のような感覚だった
だがこの感覚をマンガにフィードバックはできない。竿役のおじさんや触手が多幸感を感じたというのをどう表現しどうエロに昇華できるというのか。悩み、迷走した結果、俺は今まで通りの路線で続けることにした
ところでこの頃、自身の迷走もあって売上はよくて現状維持、ネタによっては大きく落ちることもあった。かつて数千部を誇った発行部数も在庫として積まれるようになっていった。そして何度も言って恐縮だが、俺は外面はまぁまぁいい。高校生の頃からの習慣で、イベントには常にピシッとした装いで参加していた。それは落ち目になったこの時でも変わらなかった
後にどこかで聞いた話だが、腐女子などもイベント参加のために気合の入れた服や装いを用意するらしい。大事な同人イベントや敬愛するサークルのスペースに訪問するのに、勝負服を着ないでいつ着るのか、という文化があるらしい。俺の装いへのこだわりもそれに近い、と感じた。俺はエロ同人誌が好きだった。それが頒布されるイベントも好きだ。それへの、そこへの敬意として正装をする。それらに対して恥ずかしくない格好をする。もちろん自分なりの、ではあるけれど、それが「礼儀」なのだと俺は思う
そして迷走してはいたものの、まだある程度の売上があったこの頃、この俺のファンだと名乗る女性がサークルスペースに現れた
まだ続きます。。。
2024年から活動を開始した霞ヶ浦北浦資源保護協議会という団体がある
この団体は、一見すると霞ヶ浦や北浦の漁業資源を持続可能にするために活動しているように見える
(ただし、「環境」や「生態系」という言葉は意図的に一切使っていないようだ 怪しい)
また、この団体が保護対象とする「資源」とは何なのかについても、意図的に曖昧にしている 怪しい
この団体についてwebサイトから読み取れることを書いていこうと思う
何を保護しているのか
上にも書いたが、この協議会は「資源保護」を謳っているものの、具体的に何を保護しているのかは明確にしていない
ただ、バス釣りをする人からすれば一目瞭然で、実際にはブラックバスという外来魚の保護に力を入れていることがすぐに分かる
その根拠を書き出してみよう
1.協議会のメンバーを見てみると、その多くがバス釣りに関連する業者や団体であることが分かる 具体的には、レンタルボート店、釣具店、そしてバス釣りのトーナメント運営団体が名を連ねている
2.協議会メンバーの開催するバス釣り大会のルールに言及があり、魚体保護などの呼びかけを行っている
3.霞ケ浦水系でバス釣りをする人には有名な「ブラックバスのスポーニングエリア(産卵場所)」での釣り自粛を、ブラックバスの産卵時期に合わせて呼びかけている
これだけでもう根拠としては十分だろう
どのような活動内容なのか
以下のようなことを実現するために活動していく、と書かれている
(保護対象がブラックバスであることをこの団体は建前上隠しているようだがここでは補足して書く)
・遊漁券の収入で漁協に「ベイトフィッシュ(バスの餌となる魚)」を放流してもらう
・バスの産卵期に、一般の釣り人に対して、ブラックバスの産卵エリアでの釣り自粛を呼びかける
ブラックバス保護という目的を前面に出すつもりがないのに漁協に放流してもらいたい魚を「ベイトフィッシュ」と表現してしまうあたり、残念さを隠しきれていない
問題点を書いておく
ブラックバスは生態系、漁業資源に悪影響を及ぼすため特定外来生物に指定されている
1993年に発効した世界の環境保全を目的とした国際条約「生物多様性条約」に日本は批准した
条約に基いて国は「生物多様性国家戦略」を作成し、実効性のある法として特定外来生物法が作られた
根絶を目指していくことには、国家戦略として30年前から社会的合意が得られていた
そんな生物を、目的を意図的に隠して保護活動をするなど控えめに言っても反社会的だ
密放流の横行が前提で築かれ拡大した業界にはそもそも存在の正当性がない
奴らは一部の心無い放流とか言うが、バス釣り業界の人間が組織的に放流していたことを告白した文献も多数ある
釣り具の市場規模はバス釣りが最も大きい それゆえマナーを呼びかける他魚種のプロアングラーも業界に忖度してバス釣りにモノを言えない
こんな奴らの提灯記事を書いている雑誌が釣り文化を語りだす 狂っている
そんな外来魚の漁業被害で霞ケ浦水系の漁協は困窮し、霞ケ浦の漁業文化は風前の灯火である
その困窮の原因を作ったやつらが、困窮した漁協の頬を札束でたたいてバスを増やすために「バスの餌」を放流させる
狭い趣味の業界の目先の利益のために共有財産たる自然環境を食いつぶし、それを経済効果だと言って行政や漁協を懐柔し、「餌」の放流に協力させようとしている