はてなキーワード: 伊藤とは
「伊藤Pはヒットメーカーだ(が気に食わない)なぁ」→「(なにか悪いことをしている)だろうと思った」
「これ見ちゃうんだよなぁ。(池からいろいろなものが出てくるのが)面白いんです。」→「(番組では映ってないけど)殺される鯉やミドリガメに罪はないのにと思う」
といった心理は成り立つと思うが。
上:テレ東「池の水ぜんぶ抜く」ヒットの裏側 想像以上の反響― スポニチ Sponichi Annex
下:「池の水ぜんぶ抜く」ロケで在来魚が「大量死」 「専門家がいない」現場を参加者告発 : J-CASTニュースor池の水ぜんぶ抜く大攪乱! 2/18 - 鮒次郎のブログ - Yahoo!ブログ
手の平クルックルッ
だろうと思った。
今夜7時54分から。子どものとき、あの池にはどんなヌシがいるんだろうと釣りキチ三平のようなことを思ったことがあるが、そういうことなのかな。
おっさんの心にビンビン来る
素晴らしい。月1くらいでやるべきだ。
排外主義に迎合するみたいで殺される鯉やミドリガメに罪はないのにと思う。水族館に「悪い外来種」という展示水槽があった。水族館は善悪ではなく水生生物の多様性を学ぶ場所ではないか。
手の平固定
鉄腕DASHで新宿の池の水を抜いたときも思ったんだけど、水中のプランクトンとかの環境が変わって、在来種もダメージ受けたりしないんだろうか。
このまえ放送してたの初めて見たけど、"保護"と称してあんなケースいっぱいにどかどか放り込んでりゃ酸欠になるだろと思ってたら、案の定。スペシャルでも十分に予算がないなら、レギュラー化したらさらに…
外来種の駆除ができるのは確かなんだろうが,底をぐちゃぐちゃにかきまわして水を全取替えしても大丈夫なほど在来種はタフなものばかりなのかという疑問もある。
この数字↑を見ると、はてブにおいて「死ね」は2007年3月と2008年の間、2015年3月と2016年3月の間の2回急増している。後者の理由はなんとなく想像がつくが、前者が分からない。非モテとかy_arimとかegachan関連なのだろうか?
2008年のブクマを見ると、それ以前に[死ねばいいのに]タグが流行したことがあったが、ユーザー同士で注意しあって収まったということがあったらしい。伊藤直也氏のインタビューにも残っている。
伊藤 確かにいろいろ問題もあったんですけど……あったというか現在もあるんですけど、問題が起きたときにそれに対してシステム的に対処するというよりも、僕はコミュニティーの自浄作用みたいなものにある程度、意思決定を寄せているんですね。
例えば「死ねばいいのに」というタグは一時期すごく流行ってたんですけど、しばらくしたら「エントリーページのコメントでみんながそういうスクラム的なことをすると、サイトを運営している側の人がダメージを受けてしまうからあまりやらないようにね」みたいな風潮も出てきたんですよ。だから今は昔ほど「死ねばいいのに」タグって見なくなったような気がします。
もちろん別の問題も次々と出てくるんですけど、「死ねばいいのに」とか「これはひどい」みたいな問題が出てきたときに、安易に「死ねばいいのに」って書いてるユーザーのアカウントを削除するとか、「これはひどい」というタグを付けられなくするとか、あるいはそういうタグやコメントを見られなくするとか、システム的な対応をしてしまうと、対応全部がアドホック的になっていっちゃう。そうなると、多分はてなブックマークが本来持っている価値まで全部失われてしまうと思うんですよね。
[死ねばいいのに]タグはいつ頃流行してどのように消えたのだろうか、はてブ検索を使って追跡してみる。
http://b.hatena.ne.jp/search/tag?q=%E6%AD%BB%E3%81%AD%E3%81%B0%E3%81%84%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%AB
100エントリごとに日付を取得して、1日あたり何エントリに[死ねばいいのに]タグが付いてきたかを見てみる。
チャート https://imgur.com/Bjn8rnq
[死ねばいいのに]タグが流行した時期は2006年の後半から2007年の前半なのだろう。2006年6月22日には1日に20くらい使われた。2007年後半には一段落し、それから2008年いっぱい平穏な時期が続く。その平穏な時期に行われたインタビューが上記である。
はすみとしこという漫画家が伊藤詩織さんを最悪に揶揄するセカンドレイプのイラストをツイッターに載せている。
本当に許せない。
何もできないけど、伊藤詩織さんを応援するチェンジオルグの署名だけしてきた。
あぁぁぁぁぁぁぁ
アニメ観てると「この話のコンテ切ってる人は他にどんなアニメやってんだろ」ってなるよね。意外とヤマノススメ関係してた。
新八合目…絵コンテ-鎌仲史陽(5話「二つのキャンプ、二人の景色」演出・6話「お肉と紅葉と謎の湖」絵コンテ)
十三合目…好き。「ネト充のススメ」監督の柳沼和良が同話絵コンテを担当。
十四合目…4話「野クルとソロキャンガール」で登場した長野県の山「霧ヶ峰」を、主人公たちが登る。
あと、3期楽しみだね
ちなみに音楽担当のEvan Callは今季「ヴァイオレットエヴァーガーデン」「ハクメイとミコチ」音楽を担当。
佐々木恵梨が同作OP「Ring of Fortune」で歌手デビュー(ED「ふゆびより」作詞・作曲・歌)。
ちなみに同作の原案・脚本-林直孝は今季「ダーリン・イン・ザ・フランキス」のシリーズ構成・脚本を担当。
天谷颯太 CV.花守ゆみり(各務原なでしこ)。「同じ人だよね・・・?」ってなった。
三ノ輪銀 CV.花守ゆみり(各務原なでしこ)。「同じ人だよね・・・?」ってなった。
他に何か、引っかかった作品あったら教えて。
だいぶ乗り遅れてしまったのですが、まあいいかと思いつつ済ませていたら、悶々と思いを抱き続けることになったので、もし同意していただける人がいらっしゃったらと思って書くことにします。
はあちゅうさんの告白や年末に放送された「ガキの使いやあらへんで」の特番の影響もあって、日本においてもポリティカル・コレクトネスについてだいぶ議論されるようになってきました。議論が起こること自体は、自分としてはいいことなんかじゃないかと思っています。
そして、ポリティカル・コレクトネスによって提起されている思想・信条についても基本的に自分は賛同しています。人種・民族によって差別をしないこと、性的差別をしないこと、セクハラ・パワハラやその両方をしないこと、LGBTQの人も同等の権利が認められるようにし、偏見を解消していくこと……私はこうしたことについては賛同しています。
けれど、日本でのポリティカル・コレクトネスの語られ方――こういう言い方だと大雑把過ぎるかもしれませんが――例えば、以下のような記事を見て、すごく違和感を覚えたのです。
http://shiba710.hateblo.jp/entry/2018/01/09/073000
ぜひ読んでもらいたいのですが、簡単に言うと年末に放送された、ダウンタウンさんの年末恒例の番組「ガキの使いやあらへんで」の特番で浜田雅功さんがエディー・マーフィーの顔真似をするために「ブラックフェイス」をしたのが「笑えない」と述べておられます。音楽ジャーナリストの方のブログなので、まあそういうこともあるかなと思っていましたが、先日、朝日新聞の論壇時評の委員を務めていらっしゃるような方もこちらのブログを参考文献として挙げていたので(ちなみに私は朝日新聞批判論者ではありません。肯定派でもありません)、そこまでなのかと思いました。ポリティカル・コレクトネスが日本でこうやって語られてしまうのは、私としては「どうなんだろう」と思ったのです。
先に挙げたブログについては大きく言って二つ、違和感の覚えることがありました。一つ目は「笑えない」と断じていることです。自分は笑えない、その意識を持たないとダメなんじゃないかとおっしゃっているように私は読みました。けれど、ポリティカル・コレクトネスが海外で提唱されることになった背景を考えてみれば、すぐに分かることだと思うのですが、いじめやいじりが「笑えない」のではなくて「笑えてしまう」ということ、その残酷さを考慮しないと、本当の意味でポリティカル・コレクトネスが提唱するものは、そこに根付いていけないのではないかと思うのです。もちろんのことですが、「笑っていい」ということではありません。でも、日本では「笑えない」という啓蒙的なアプローチをすること自体が本当の意味での理解を生まないのではないのでしょうか。
それに関連して二つ目ですが、こうした記事が分断のマッチポンプになっているのではないかということです。ブラックフェイスは様々な視点で見て多くの人に誤解されうる表現です。私はそれが今回、指摘されることになったのはいいことだったと思っていますし、日本の民法のテレビとしては不適切だったと思います。
では、あのシーンが、もしくはあの番組自体が、人種差別的なメッセージがあったかというと、そんなことはないというのも大抵の人は分かっているのではないでしょうか。重ねていいますが、だからブラックフェイスをやっていいということではありません。でも、あのシーンで「笑った」人はそれなりにたくさんの方がいると思うのです(松本さんは後日「浜田が悪い」と言っていましたが、らしいコメントだと思いました)。そして、そういった人々が人種差別の意識を持っているかというと、そういうことではないと思うのです。
けれど、先に挙げたようなブログが掲載されて話題になることで、笑った人と「笑えない人」の分断を生むことになります。私も笑った人間の一人です。ブラックフェイスだから、即座にアレルギー反応のように自分の感情を拒否したわけではありませんでした。罪を犯した側からこうしたテーマについて提起するのは分かる気もするのですが、自分は罪を犯さなかったとわざわざ言う人の言論には正直、違和感を覚えてしまいます。そして、結果として、そういう意見が人種差別の意識がまったくない人に対しても線を引き、分断を増加させていくことになるのではないかと思うのです。
一昨年のアメリカ大統領選挙について海外からの報道を見ていましたが、私はなぜドナルド・トランプ大統領が勝つことになったのか、腑に落ちていませんでした。けれど、今回の一件を見ていて、すごく分かる気がしました。「ガキの使いやあらへんで」の特番のブラックフェイスに笑った私は、いわゆるポリティカル・コレクトネス陣営から見れば、人種差別主義者ということになるのかもしれないと思ったのです。
そして、先ほどのブログの執筆者と別の方が対談されている原稿が掲載されていて、更なる違和感を覚えました。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54106
——
柴 テレビの話題では、2017年の大晦日に放送された『絶対に笑ってはいけない アメリカンポリス24時』でのブラックフェイス問題が、年明け早々、世界中の主要メディアで報じられるという事態が起こってますね。
宇野 うーん、あれに関する国内の擁護コメントとかを見てると、ちょっと絶望的な気持ちになってくる(苦笑)。
柴 というと?
宇野 簡単に言うと、あれを擁護するということは、「これからも日本は文化的鎖国をしていこうぜ」って話でしょ?
確かに文化的鎖国をしたところには様々な既得権も存在していて、そこで生活をしてきた人はその構造を変えたくないんだろうけれど、さすがにもう無理なんじゃないかな。
宇野 それもあるし、多くの日本人が誤解しているように思えるのは、ポリティカル・コレクトネスの問題って、別に政治的、社会的な問題だけじゃなくて、逆らうことのできない商業的な要請でもあるんですよ。
好成績を続けている『スター・ウォーズ』の主要キャラクターが女性や黒人の若者なのもそうだし、去年世界で最もヒットしたアメコミ映画が『スパイダーマン』でもヒーローが総結集した『ジャスティス・リーグ』でもなく、単独女性ヒーローの『ワンダーウーマン』だったのもそう。
ポリティカル・コレクトネスに配慮しない作品が、だんだんお客さんから見向きされなくなってきてる。
――
引用ここまでです。
アメリカではもう白人だけのアイドル・グループはありませんし、映画やドラマにおいて人種的多様性を反映させることは前提になっています。それを日本に安易に当てはめようとすること自体が私としては拙速過ぎるのではないかと思うのですが(将来的にはそれを考えないといけない事態もあると思います。そして、『ワンダーウーマン』の議論についても割愛します)、一番違和感を覚えたのは「ちょっと絶望的な気持ちになってくる」という言葉でした。
例えば、日本におけるヘイトスピーチを見た時、確かに私も「絶望的な気持ち」になります。けれど、それを第三者に伝えるときに私は「絶望的な気持ち」という言葉を使いません。いろんな人がいますし、どんな可能性があるかも分かりません。もっと複雑で込み入ったニュアンス、嫌な言葉で言えば、玉虫色の言葉を使うのではないでしょうか。隣人を含めたテーマです。ポリティカル・コレクトネスはそれを変えていく運動でもありますが、本当に自分の問題になった時に「絶望的な気持ちになってくる」といったような“威勢のいい”言葉を使うことはないのではないでしょうか。けれど、「ガキの使いやあらへんで」や『スター・ウォーズ』といった、自分からは飛距離のある場所では、そうした言葉を使ってみせる。それっておべんちゃらのように聞こえてしまいます。
伊藤詩織さん、ひいては司法の問題、LGBTの婚姻についての問題――程度の問題ではないですが、「ガキの使いやあらへんで」よりも私たちが考えなきゃいけない問題はまだまだあります。
「ガキの使いやあらへんで」の特番でのブラックフェイスはやってはいけないことでした。けれど、もっと語りにくいけれど、考え、話し合って、変えなきゃいけない問題があるのだと私は思っています。そこには時間軸も入ってくると思います。明日からすぐに変わることはありません。1年後にかわっている保証はありません。では、いつ変わるのでしょうか? そのために必要なのは威勢のいい言葉ではないと思います。
前から氏については目にする事は多かったが、最近離婚したと聞いたので、知らない人向けにすこしだけまとめたい。
しかし、主に活動している本体こと伊藤ナナ氏の経歴については以下で述べられている。内容は私の調べとも一致する。
http://anond.hatelabo.jp/20161119214145
なお記事にある仏壇会社へインターンした時期と年次が合わない事を指摘している。
インターンは就活のために行うという認識が一般的で、3年生が行うものとされる。それが、P&Gに内定した以降の4年次にインターンしているから合わないと思ったのだろう。
しかし、レアケースとはいえできない事ではないし、親が骨壺だがを作っており、葬式関係には縁があったようだしP&G退職後の仏壇会社への転職のつながりはこの機会であったのではないかと思われる。従って、十分あり得たし、実際にインターンしていたというのが私の理解である。
・自己愛性人格障害 の診断を受けている
・SMプレイに傾倒した時期があり、女王様へのインタビューを行った経緯がある
こうした、事実を集めていて思ったことは きっと調べないと気づかないと思うが、姉妹揃って、お嬢様として裕福な暮らしをし、性的にも奔放な暮らしをしているということだ。
彼女は自己愛性人格障害という精神病故に周囲の人間をマウンティングしまくる。ただ、尊敬を集めたいのだ。
尊敬を集めるために仕事での成功や恋愛の成功をこれまで語ってきた。
しかし、結果として彼女の履歴には2年に満たないP&Gでの業務経験と数えてはないが2年程度での離婚という結果だ。
だというのに現在、ライターとして就活生向けの記事や恋愛の記事を書く事を仕事にしている。ぞっとする事だ。
まず、この時点で氏の文章を読む気は失せるのだが、なにぶん無邪気に人を信じるお人好しが多いようで、未だに彼女をどんな人間かを調べもせずありがたがる風潮は違和感を覚える。
事実を知れば騙されたと思うだろう。
で、その騙されたという感情はおそらく正しい。なぜなら、ただ尊敬を集めるために最高の自分を演じているのだから。これはセルフブランディングとも言うようであるが、つまるところ、上手い事騙して、自らの欲求を満たしていただけなのである。
普通であればここまでの事は良心を咎めるからできるはずがない。でも、できちゃうのだ。だって自己愛性人格障害だから。
こういう人が最近でも、はあちゅうというのがいた。トイアンナもはあちゅうも慶応大というのはたまたまであるとおもうが、おそらくふたりとも精神病患者ではないかと思っている。少なくともトイアンナに関してはそうであったことがわかっている。はあちゅうもおそらく精神病か池沼の類いなんだ、そう思っている。
こうした不快感をまき散らす人が今後増えないように願いたい。もはや公害だ。精神病院は患者を安易に社会に戻さないでほしい。この現状は社会にとって大きな損失だ。もう、うんざりである。
エスター という映画がある。あそこまでの狂気とは思いたくないが、彼女たちへの感情はエスターに対する嫌悪感と同じである。
個人的には彼女たちの打ち手はライター業からの転職であり、周囲はその仕事を通してお金を渡さない事なんだと思う。
どうせ会いさえしないだろうが、カウンセラーと会ってライター業をやめるよう助言をもらえば良いと思う。
彼女たちはP&Gや電通で働いた栄光を手にし更にプライベートも充実させようとしたようだが、結果は現状の通り、散々である。
要は不得手な恋愛沙汰での栄光を諦めれば良いのだ。(精神病患者だろうから無理だろうが)
まだ間に合う。会社勤めで世の中の役に立てば良いのだ。
最近ゲーム・声優ものしかきいてないから一般モノの女性ボーカルでなんかお勧めして!お願い!!
参考情報
デスメタルというジャンルが余り好きではないからかイマイチだった。ただMETAL RESISTANCEの最後の3曲は割と気に入った。特にNO RAIN, NO RAINBOW。全然デスメタルじゃなさそうだけど。--デスメタルじゃなくてただのメタルってジャンルだったのか、無知ですまんかった
人気に上がってるからとりあえずマイ・エヴリシングの最初の数曲きいた。声好き歌上手いけどガツンとは来ない感じ
カラスは真っ白との比較で名前が挙がってるの見たことあって気になってた。ピッチが不安定でモヤモヤするんだけどもこれは計算なのかな?何といえばいいか良く分からないけど兎に角すごいモヤモヤする
逆鱗マニアの最初の数曲聴いたけど、声質・歌い方・曲全部よかった!後でがっつりききたい
Prime付属のMusicでは検索しても出てこなかった……残念。まっくら森の人だよね、懐かしい
控えめにいって最高だった!声質やその使い分け、歌い方、ブレス音全部凄い好みでよかった。関係ないけど水玉模様のエイってどんなんだろうって画像検索したらちょっとグロかった
#metooの流れは本当にありがたいと思っている。ずっと会社のガキみたいな女どもと、マウント取るのが大好きなババア達に
童貞だといじられてきた。
勘違いも甚だしい。
私は童貞ではないし、恋人もいる。結婚前提にもう数年お付き合いをしている。ただ、プライベートの話をすることと、下ネタが嫌いなだけなのだ。
だから「童貞でしょ?」という、性別が逆になったら一発で訴えられそうなセクハラ全開の質問にも答えないできた。
「その質問して意味があるんですか?」と。そんなことに答えたくないのだ。なぜなら、同期で「童貞ちゃうわ!」といった男性が、根掘り葉掘りほじくられ
クソ女どもと一部男性上司の酒のツマミにされていたのを見ていたからだ。
一部社会で女性が差別され苦しんでいることは認めるし、それは本当になくしていかなければ行けないと思う。
でもその「厳しい社会」で上の立場に入る女性たちは平気でパワハラ・セクハラをする。
#metooで実名を出して告発してみたいと思うが、#metooとはそういうものではない気が、最近の伊藤さん、はあちゅうさんの告発とそれに乗っかった女性陣の
告発を見ていて思うのだ。
とりあえずはあちゅう氏にはこれだけ伝えておきたい。今回の騒動でまわりの糞女共がまた私を「童貞は価値あるから大丈夫だよ!はあちゅうさんも書いてるじゃん!」と
いじり始めた。本気で二次被害者だ。終わったと思っていたセクハラがまた始まった。
少し恨んでいる。
triggerhappysundaymorning 火消し「だけ」の謝罪文なのにヘイポー文しか書けないのは表現者としても下手糞なんじゃねえのか?セクハラおじさんに取り入って仕事恵んで貰ってる売文屋がmetooにいっちょ噛み企んだのが間違い.
taxpayers セクハラは伊藤の狂言だった。こういう感性の持ち主が岸氏の「かわいがり」を性的に不快と認識していたはずがない。個人的な確執を社会問題にすり替え復讐に利用しただけなのだ。小保方や村田マリと同種の詐欺師
redpants 岸氏のお気にい入りだったのがよくわかるオチで最高だな
sionsou ほらなやっぱりなって感じしかない。見事に本を売りたいから出しただけ。TVに出てたときからずっとこういうクズだよ
http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/ha_chu/status/944102267505872896
ツイッター・はてブだけでも、はあちゅうへの誹謗中傷は見られるし、
DMやメールでも散々送られてるだろう。