はてなキーワード: メインストリームとは
今回、平常通りになんでも噛みついてるネトフェミと、何でも擁護する表戦の他は「青年漫画のヒロインがビジネスマン向けの新聞に出てるんなら別に問題ないのでは」って言ってる一般人女と、「たわわは無理、引くわ」って言ってる一般人男が出てきてて面白いと思ってる。
たわわの場合、絵柄だけで言えば一般人女性が見た時に気持ち悪いボディバランスの絵ではなくかわいいと感じる一方、漫画として見たときに「女体大好き!都合のいい女体が身の回りにいて癒される!」みたいなエゴがダダ漏れなところに対して一般人男でノットフォーミーって言ってる人も多くて、そういうねじれが生じていると思う。
個人的には、漫画読んでくれってPRだったらいいんだけど「月曜日に癒やしを」ってコンセプトがさっぱりわからなかった。巨乳に癒やされる人って男女問わずメインストリームとは言えないと思うし。
以前から旧帝大と早慶MARCHはどっちがえらいのか?という話があって、昔はそれはただの学歴厨同士のプロレスにすぎなかったのだが、
最近はどうも東京一極集中のせいか早慶MARCHのほうが本気で優れているという認識があるようだ。
東京一極集中というか、東京の私大文系的な感覚が社会のメインストリームになりすぎているというべきか。最近総理大臣も東京の私大文系の人ばっかりだし。
例に挙げられているTwitterでの創作で表現されているのは田舎ディスりではなく、勉強することが階級上昇に寄与しなくなってきたことに対する怒りではないかと思う。
勉強して地方を抜け出して東京の大学に入ったはいいが、東京育ちの人たちが地の利と親の経済力で自分よりも遥かに豊かな文化的資本を享受しているのを目の当たりにするのまでは昔から繰り返されている話ではあるが、
昨今は地方都市の衰退が進んで、一生懸命勉強した人が(特に文系で)まっとうな就職をしようとしたら東京に向かわざるを得ないところまで来ているようだ。
公平な開かれた競争で一生懸命がんばって勝ち抜いたつもりが、ゴールについてみたら全然違うコースを楽々走ってきた人たちがいたらそりゃ腹も立つというものである。
田舎というと国道沿いのイオンが出てくるというのが、まずだいぶ解像度の悪い話で、ひょっとしたら創作したのは北関東の田舎の人ではないのかな。
関東には「田舎」と「地方都市」の区別がついていない人が結構いるのだ。
特に北関東の人たちは東京までの物理的距離が都会と田舎を分けると思ってるみたいで、地方都市の真ん中らへんに住んでいた人を捕まえて「俺たち田舎の人間は」みたいなことを言って自分の不見識を晒したりする。(これは自分の実体験)
地方都市で旧制中学の流れを組むトップ公立高校→旧帝大というのは非常に輝かしいコースで、その中で暮らすことをよしとするかどうかは別として地方都市の親孝行なエリートコースとして機能しているのだが、
問題は地方都市の衰退によってそのヒエラルキーを上り詰めて得られる果実がどんどん小さくなっていることではないかと思う。
東京育ちで早慶MARCHに行くのがなによりも就職に有利だというのは実に由々しき問題で、出自によらず個人に栄達の機会を与えるという明治以来のシステムが壊れ始めているということで、とても不健康なことだと思っている。
真面目に勉強して日本の司法試験を受けるのではなく、もってうまれたハンサムな顔を生かして人から金を引っ張ってアメリカに留学して弁護士になるやつが日の当たる社会でいいのか、ということだ。
何がいいたいかっていうと日本の社会が少しでも公平な機会を若者に与え続けるなら、常に地方旧帝(+駅弁とは呼ばれないレベルの国公立)は早慶MARCHなんかより優れているとされるべきなんだよ。
ちゃんと勉強した人たちは投票に行け。このままでは安倍晋三が東大に行く社会が来るぞ(それに近いことはすでに起きてしまったが)
以前から旧帝大と早慶MARCHはどっちがえらいのか?という話があって、昔はそれはただの学歴厨同士のプロレスにすぎなかったのだが、
最近はどうも東京一極集中のせいか早慶MARCHのほうが本気で優れているという認識があるようだ。
東京一極集中というか、東京の私大文系的な感覚が社会のメインストリームになりすぎているというべきか。最近総理大臣も東京の私大文系の人ばっかりだし。
例に挙げられているTwitterでの創作で表現されているのは田舎ディスりではなく、勉強することが階級上昇に寄与しなくなってきたことに対する怒りではないかと思う。
勉強して地方を抜け出して東京の大学に入ったはいいが、東京育ちの人たちが地の利と親の経済力で自分よりも遥かに豊かな文化的資本を享受しているのを目の当たりにするのまでは昔から繰り返されている話ではあるが、
昨今は地方都市の衰退が進んで、一生懸命勉強した人が(特に文系で)まっとうな就職をしようとしたら東京に向かわざるを得ないところまで来ているようだ。
公平な開かれた競争で一生懸命がんばって勝ち抜いたつもりが、ゴールについてみたら全然違うコースを楽々走ってきた人たちがいたらそりゃ腹も立つというものである。
田舎というと国道沿いのイオンが出てくるというのが、まずだいぶ解像度の悪い話で、ひょっとしたら創作したのは北関東の田舎の人ではないのかな。
関東には「田舎」と「地方都市」の区別がついていない人が結構いるのだ。
特に北関東の人たちは東京までの物理的距離が都会と田舎を分けると思ってるみたいで、地方都市の真ん中らへんに住んでいた人を捕まえて「俺たち田舎の人間は」みたいなことを言って自分の不見識を晒したりする。(これは自分の実体験)
地方都市で旧制中学の流れを組むトップ公立高校→旧帝大というのは非常に輝かしいコースで、その中で暮らすことをよしとするかどうかは別として地方都市の親孝行なエリートコースとして機能しているのだが、
問題は地方都市の衰退によってそのヒエラルキーを上り詰めて得られる果実がどんどん小さくなっていることではないかと思う。
東京育ちで早慶MARCHに行くのがなによりも就職に有利だというのは実に由々しき問題で、出自によらず個人に栄達の機会を与えるという明治以来のシステムが壊れ始めているということで、とても不健康なことだと思っている。
真面目に勉強して日本の司法試験を受けるのではなく、もってうまれたハンサムな顔を生かして人から金を引っ張ってアメリカに留学して弁護士になるやつが日の当たる社会でいいのか、ということだ。
何がいいたいかっていうと日本の社会が少しでも公平な機会を若者に与え続けるなら、常に地方旧帝(+駅弁とは呼ばれないレベルの国公立)は早慶MARCHなんかより優れているとされるべきなんだよ。
ちゃんと勉強した人たちは投票に行け。このままでは安倍晋三が東大に行く社会が来るぞ(それに近いことはすでに起きてしまったが)
不味いは不味いだろ。
不味くても食える。
そんなに分かりにくいかな?
サイゼの話題でも顕著だけど、「美味い・不味い」という軸と「食える・食えない」という軸が独立したものという感覚が無い人が世の中にはかなりの数いるんだと思う。
どうも結構な割合の人が「食える・食えない」の軸しか持ってないっぽい。彼らの言う「美味い」は「食える」という意味だし、「不味い」は「食えない」という意味なんだよな。
だから「食える・食えない」とは別の軸として「美味い・不味い」を持っている人とは会話が成立しない。
これは貧乏だからとか食育が為されなかったからとかいう背景の理由もあるのかもしれないけど、どっちかというとそもそも社会の平均的傾向として割と多くの人は食に興味が無いんだと思う。
昔JPOPが流行ってたときは猫も杓子も音楽を聴いてたけど、その中で音楽そのものに興味がある人ってかなり少なくて、現代みたいに音楽そのものがメインストリームから外れてくると音楽自体聴かない人が多くなってしまった。
食もそういうもんなんじゃないかと思う。
ネットにいる人間には信じられないかもしれないが、石原慎太郎の世間一般での評価は「欠点もあったが、一本芯の通った昔ながらの剛毅な政治家」だ。
だからテレビでの石原慎太郎の取り上げられ方は一般的な視点に近い。
「賛否あるが一本気な政治家」が、「有象無象の文句しか言わない奴ら」に妨害されている、というストーリーが一般的な見方である。
適当にその辺の(自分の親を含む)60代以上の「大多数の日本人」に聞いてみればわかる。
これは別に不思議な事でもなんでもなく、単純に年を取るとわかりやすいストーリーしか受け付けなくなるということだ。これはごく自然なことだ。
はてなのメインユーザーは40代だろうが、最近本を読むのがきつくなってきたのは実感しているだろう。単純に老眼になってきているというのもある。若者のトレンドが理解できなくなってきているだろう。
60代となればそれがもっと加速する。新聞も、物理的に見出ししか読めない。物理的に政治家の話を聞けない。だから政治家はイメージと顔で選ぶようになる。
大阪府知事の吉村氏が支持されているのは、老眼と難聴と思考力の低下が主な理由だろう。若くて一本気な政治家が頑張っている、それが理解できることの7割を占めてしまい、それ以上の具体的な政策だとかは物理的に理解できない。
ゆえにこれからも維新は躍進を続ける。難しいことを理解できない国になるからだ。
オタク層には、クジラックス氏の話が参考になるだろう。年を取るごとに、純愛を描けなくなってきた、という話だ。
年を取ると、以前のようにうまく体を動かせなくなる。だから若者が恨めしくなる。「健康という財産に感謝しない不届き者ども」とみるようになるわけだ。
年を取ると、若者の多様な価値観に「うんうん」とうなずく脳を持つことが物理的に難しくなる。
けしからん若者に思い知らせてやる、という意識が非常に強くなる。
適当にその辺の(自分の親を含む)60代以上の「大多数の人」に聞いてみればわかる。
複雑な話は理解されない。
そしてそれははてなの40代メインユーザーにも同じことが起こる。
あと10年すると、はてなは「他人に思い知らせてやりたい老人の巣」となり果てる。もちろんTwitterもfacebookもインスタグラムもticktokもそうなる。
平均年齢が45歳の国だから、脳の平均年齢も45歳になる。認知機能も45歳になるのだ。
フェミニズム界隈を見てみるとわかりやすい。自分の気に入らないものにレッテルを張って延々と叩き続ける脳機能がそこら中にある。あれが一般的になると思っておいていいだろう。
細かく分析し、是々非々で考えることができる人間は、もはやメインストリームではない。
知性は驚くほど劣化する。多様性を受け入れる器にはとんどんヒビが入っていく。
迷惑かけないようにってことなんだろうけど、ボカしが強すぎてどういう体験をしたのかよくわからない。
誰からいつ離れたんだろう?
界隈全体の話としては、着ぐるみを徹底していたのは初期のキズナアイとそのフォロワーだけで、その流れも遅くとも2018年には終わっていたと思う。
四天王とか言ってねこますが注目されて、そのちょっと後に月ノ美兎が現れて、「生身の人間」性が前面に出たタイプが強い勢力になってからどんどんそっちに飲み込まれていったイメージ。
だから「VTuber界隈が着ぐるみを脱ぎ始めたから推せなくなった」という話は2018年の話なら理解できるんだよね。でも今それを感じてるっていうのはちょっと…何見てたんだろう。
もちろん、メインストリームが生身の人間タイプになっただけで、今でもロールプレイタイプでやってるVTuberはぼちぼちいるからその辺だけを増田が見てたっていうのはあると思うけど。
でも今の配信勢有利の状況でロールプレイやる人ってかなりこだわりを持って活動してるはずで、その人たちが最近着ぐるみを脱ぎ始めたっていう増田の話はやっぱりよく分からない。
どこかの箱でそういうのがあったのかな。
インターネットを始めて24年。ダイヤルアップ接続の時代から今まで1度もインターネット上にいる人と会ったことがない。
リア友達が読む漫画は鬼滅、ワンピース、呪術廻戦といったメインストリームのもの。アニメや音楽も同じ。
俺はモンハンライズが全体的にめちゃめちゃダサいと思っていて、それがすごく気に入らない。
具体的に言うと、
UIとフォント→縁取りのせいで世界観から浮いていて、ゴチャゴチャ感がものすごくチープさを増している。
色使い→モンスターや装備、エフェクトに使われる色に蛍光色が多くて下品。
犬→犬はいいが(色使いは下品)、着地や移動の際に犬乗ってるときだけ体重を全く感じなくてソシャゲのMMOのキャラくらい質感が無い。
比較してるのが前作、モンハンワールドだからか余計それが際立つ。あんまり知らん人は少し手間だけどyoutubeで「モンハンライズ」と「モンハンワールド」のプレイ映像を見比べて見てほしい。
そもそもワールドとライズではコンセプトがまるっきり違っていて、ワールドを洋画テイストの本格派とするならライズは中高生向けのかなりカジュアルなテイストだ。
それは、いい。おんなじシリーズを違うコンセプトで出すのは冒険的でなかなか出来ることじゃない。ただ、我々消費者は本格派かカジュアル、どちらを選択するのかを問われてる気がする。
ほんで話は戻るけど、俺はモンハンライズ、めちゃめちゃダサいと思う。プレイが止まるくらいダサい。だからGoogleで調べるわけ。「モンハンライズ ダサい」って。そしたら…あんまりヒットしないんだよね。「ワールド ライズ どっち」とかも調べちゃう。そしたら…結構ライズの支持が多い。意見としては探索や移動が面倒なワールドに比べて、ライズは犬も翔虫(虫で移動できる)も便利じゃないか、というもの。俺が最初に上げたダサさポイントを指摘する声はほとんどヒットしなかった。
この、何とも気分が悪い感じ…。俺は芯から嫌だと思ってるものが、割と肯定的に受け入れられてる感じ…。そうだ、オリンピック開会式のピクトグラムじゃん。
あの時もそうだ。オリンピックという世界中が注目するイベントで、クオリティによる感動ではなく"必死さによる面白さ"に逃げたピクトグラムが本当に悲しくて悔しかった。
いや割と叩かれてたじゃん、という意見は聞きいれない。俺は当日にその感想を増田に投稿して「悪くなかった」という意見を目にしている。
なんか…俺達の身の回りの物の程度がすごく下がって来ているのをひしひしと感じるんだよ。モンハンライズを楽しんでるプレイヤーは沢山いて、それは否定しない。友達とのかけがえのないゲーム体験はそのライズでしか成し得ないものかもしれない。だからこそ、純粋な気持ちで選び取るのが"それ"であることが悲しい。
ライズはワールドよりまだ売れていないみたいだが、今年の夏に来る大型アップデートで追い抜くかもしれない。もしワールドより売れたら、カプコンはモンハンシリーズをライズのテイストで行くのだろうか。
youtube、今は芸能人より力を持っているんじゃないかというくらいメインストリームだ。でも今こうして思うと、HIKAKINをはじめとするYouTuberがニュースで楽して稼いでる奴として紹介されて、テレビの人に下に見られてるくらいのときがまだ良かったのかもしれない。そんときは「そんなことない。彼らは物凄い努力をしてるし、コンテンツとしても面白いよ」くらい言えた。でも今はどうだろうか。
ひろゆき、Daigo、岡田斗司夫の切り抜きにでっけぇ文字のサムネが漂う世界である。今やこれが、僕ら若者の娯楽の1位である。
こういうジャンクフードみたいな物は美味しいし、あって良い。けどそれが1位になったらだめじゃない?「この国一番のグルメはフライドポテトです」って言われたら笑っちゃうでしょ。
まとめると、ゲームの中に別の世界が見えるほど、とんでもない解像度と熱量が込められたモンハンワールドの続編に、チープでカジュアルで下品なモンハンライズが出た。そしてそれが割と肯定的に受け入れられている事実を確認して「もうこの世はこっち路線で行きますからぁ!!」って神に判を押された感じがしたということ。
今主流の娯楽は程度の低いと感じるものが多くて、それを楽しむ人々(自分も含む)が、嬉々として残飯を漁る餓鬼に見えてなんだか心の底から悲しみが溢れる。もうだめか、この国は
パワハラで追い詰められて…という痛ましいニュースを見るたびに、
気の毒に思う一方で、なぜそうなるまで辞めなかったのだろう、と疑問に思ったことは誰しもあると思う。
自分もその一人だ。
10人以下の小規模な会社で上司=社長という環境だから逃れようもない。
会うたびに自分の愚痴に付き合わされる友人たちは、そんなに嫌ならなんで辞めないのかと呆れ顔だった。
補充要員で採用された新人は入社時は陽気な人だったのに見違えるように陰気になって
新人の愚痴を聞き、自分と同じような道筋をたどっているのをみていると
やはり、なぜこの人は辞めないんだろうと考えてしまう。
パワハラにあっている人は良かったら読んで欲しい。
メンタルを病んでしまう前に、逃げる決心をする後押しになったらと思う。
パワハラの内容や具体的な理由については本題ではないので触れないけれど
【辞めなかった理由1】自分が仕事ができないせいだと思っていた
正直これはあると思う。
仕事ができないからパワハラを受けている、仕事が出来るようになればパワハラにあわずに済む、と考えて必死に努力してきた。
10年いる間に実力もつき、それは社長も認めていたが、だからといって自分が怒られ役ポジションであることには変わりがなかった。
自分の職務は専門職になるのだが、社長から「仕事(専門職)ができるから我慢してつきあってやっているんだ」と言われて「は?」となった。
10年働いている間には、仕事ができなくて自分以上にいじめられている社員もいたが(1ヶ月で退職)、
非常に優秀な社員もいた。
ところが優秀なら優秀でまた気に入らないらしく、社長は陰で他の社員にその社員の悪口を言っていた。
優秀で付け入る隙がないし、自分に自信があって叱責を受けても動じないのが気に入らないようだった。
その様子をみて、なーんだ、優秀だからといって認められる訳じゃないんだ、とバカバカしくなった。
その優秀な社員も3年位在籍して辞めた。
ぶっちゃけそれだけ優秀だったらこの社長の下で我慢して働く理由はないしね。
【辞めなかった理由2】良い時もあった
それほどでもない期間もあって、そんな時は「あれ、いけるかも?」という気持ちになってしまう。
例えば自分の関わっている仕事がメインストリームから外れて社長の意識が他の仕事に向く時、
パワハラの対象はそっちのチームになって自分は怒られなくなる。
あと新人が入ってくると、だいたいそっちが怒られ役になるのでその間は自分は怒られない。
怒られ役は常に一人で、社長の気分や仕事の状況によって常に変わっていった。
自分が怒られ役から外れると、それが自分の努力や工夫によるもので
でもそれは幻想で、時間がたてば怒られ役のポジションは必ずまた戻ってきた。
【辞めなかった理由3】社内に味方がいなかった
間違っていることは間違っていると社長にはっきりと意見を言う社員は壮絶パワハラに合うか、
残っているのは何を言われても「はい、わかりました」と答える選り抜きで従順な社員ばかり。
みんな一様に無言で無表情だった。
相談に乗ってくれる相手も「あなたは悪くない、おかしいのは社長だと」言ってくれる人もいない。
黙って見ているお前らも同罪だよと今は思っている。
自分がいなくなったらこの中の誰かが怒られ役ポジションになるんだろうな。
【辞めなかった理由4】誰もが怒られているわけではなかった
えこひいきがすごかった。
誰もに対しても理不尽に怒りまくっているならそういう人間なのだと諦めがつくのだが
自分や他の怒られ役に対しては怒っても、お気に入りの社員には怒らずにチヤホヤしている。
お気に入りと笑顔で冗談を言い合って、クルッと振り返って自分には叱責。
それを延々とやられると、社長とうまくやっていけない自分がどこかおかしいのだろうかと考えてしまう。
お気に入りの社員がミスをした時は、ミスをしないように気をつけてあげなかった自分のせい、
お気に入りがタバコの不始末でボヤを出したときでさえ、笑ってお咎めなしだった。
お気に入りはお気に入りで、ずっと社長からえこひいきされているうちに
確かに自分は正しい、自分がミスしたのはアイツのせいだと思うようになっていったように思う。
最初は普通に仲良くしていたのだが、最後の方は必要事項のみチャットでやりとりするだけの関係になった。
実際に仲良くしているのを見ると何故か気に入らないようだ。
大体片方にランチなどをおごって、仲良くしている相手の悪口を吹き込んだりしていた。
【辞めなかった理由5】持病があった
身バレするので詳しくは言えないが、入社後すぐに持病が発覚し、
闘病しながらの勤務が続いた。
社長も「こいつなら何をしても辞めない」と思っていた節もある。
病気から回復し、健康状態が良くなるにつれて精神状態も健全になった。
辞めると伝えた時に、社長からは「病気の時あんなに良くしてやったのに」と言われた。
もちろん感謝はしている。
でもそれを言われた時、映画の寅さんの「それを言っちゃあおしめえよ」というセリフが頭の中を流れた。
病気のことで恩を売るやつはプライベートでも仕事でもいらない。
【辞めなかった理由6】他では雇ってくれないと思っていた
思っていたというか思わされていた。
社長からはことあるたびに「(今回の仕事はうまくいったけど)それは俺のサポートがあったからだからね」
と言われ続け、繰り返し言われるうちに自分でもそうだと思いこんでいた。
年齢的にもかなり高いので、ここを辞めたら再就職は出来ないと思っていた。
仕事の特殊性や業界の人手不足もあって、一ヶ月ほどで採用が決まった。
多くはないがスカウトもいくつかあった。
10年近く続けて、正直このままずっと定年まで頑張るつもりだったのだが
思ったよりも精神的なダメージが大きいことに気づいて辞める決心をした。
辞めると伝えた時、社長が「君は役にたたないけど辞められたら困る」と慌てふためいているのを見て
なんかダッセーと思ったら洗脳が解けた。
逆に「なんかもしかしていじめられていたとか勘違いしてない?そういうの困るんだよねー」と言われた。
最近マッチングアプリで知り合った女の子にインスタで話したいと言われて渋々アプリ入れたんだけど良いなこれ。
まず複数のデバイスで使えるのが良い。LINEだと1台しか持ってなくてもデータ移行失敗やデバイス破損によるデータ紛失リスクがあるのでこれはありがたい。
スタンプの代わりにGIFを無料で簡単に貼れるのも良い。LINEのスタンプほどリアクションに特化してないが、LINEのスタンプは昔の着うたのような不必要さを感じるのでこれくらいで丁度良い。
一番驚いたのは複数アカウントで使うこと前提みたいな作りになってる事。メッセージ一覧画面に新しいアカウントを作りましょうみたいなバナーが表示されてたので試しに作った結果、自分のプロフィールアイコンをダブルタップする事でシームレスにアカウントを切り替えられるようになった。これ良い。最悪仕事で使うにしても公私混同を避けられてLINEよりはマシだろう。
あとデフォルトでのエンドツーエンド暗号化も対応予定だそうだ。
まあでもLINEは社会インフラと呼ばれるくらいだし、利点がある程度ではメインストリームにはなれないんだろうけどね・・・。
文学部の就活事情が話題になっていたので、文学部卒の筆者が自分や身の回りの話を含めて文学部の就活事情を解説したい。
大学や学科、卒業年度、地域によって大きく変わると思うのでその点は承知した上で読んでほしい。
筆者は5年ほど前に首都圏上位私大の文学部を卒業した。自分の専攻の周辺の話が中心だが、友人などの話などからできるだけ文学部全般の話になるよう努力したつもりだ。
ざっくりした体感では学部卒で就職する人がほぼ9割、修士課程に進学する人が1割前後といった感じだった。学科によって進学する人が1割をちょっと超えるところもあれば、5%くらいしか進学しないところもある。いずれにせよ、過半数が進学していた理系に比べると進学率は圧倒的に低い。
ただ、法科大学院から司法試験ルートのある法学部以外、文学部に限らず文系の学部はどこの学部でも1割前後の進学率だったように思う。修士課程を修了して一人前という雰囲気のある理系に比べて、文系は大学院に進学しても就職の幅は基本的に広がらないし、むしろ狭まると言っていいと思う。文系の大学院生がただモラトリアムを延長しただけになるか、研究者の卵になるかは個人の資質や研究室の雰囲気(≒教授の方針)が大きい。
理系と違い、企業所属の研究者という人はほぼいないため、修士を修了したり博士に進んだりしても研究をまともに続けるにはアカデミックなポストが必須になってくる。そうしたポストは理系と同様に(あるいはそれ以上に)狭き門になってくるので、基本的に文系の学生は学部卒で就活することになる。
就職する文学部生のうち、4割ほどが公務員(教職を含む)に、4〜5割強がいわゆる一般企業の事務系職に、1割前後がマスコミに就職するイメージだった。残りは就職浪人や就活と進学を平行して進めながら様子を見たりする人などが占める。
こうした就職先の構成は大学や年度によって大きく変わるのであまり当てにはならないかもしれない。いわゆる下位の大学になるほどマスコミの割合が下がって一般企業の割合が上がると思う。公務員になる層はどこの大学でも一定数いると思うけど、上位の大学は国家公務員や都道府県職員を目指す人も多いので公務員の割合もやや高いかもしれない。
この記事では他の文系学部と変わらない一般企業(メーカー事務職や金融、IT、小売り・流通など)の話はあまりせず、文学部の就活っぽい分野について話したい。
文学部の学生の公務員人気は高い。地道に試験対策をすればある程度報われるし、民間の就活(特に人気企業の場合)の時になんとなく感じる文学部ハンデをそれほど感じないからだと思う。
しっかりしている人は学部2〜3年の頃から自分で勉強したりダブルスクールで公務員試験向けの予備校に通ったりする。法学部や経済学部の人に多いバリバリのキャリア志望で国家公務員を目指すというタイプよりは、キャリアと生活のバランスがまだ取りやすい都道府県庁、政令市、中核市などの中上位の自治体を受ける人が多かった。
大学や学科によっては講義を取ることで社会福祉主事などの行政系の資格を取ることもできるので、ガチガチの公務員志望ならこうした資格を取っておくと若干の加点要素になるかも。図書館司書や博物館学芸員といった資格ともやや相性はいいけど、これらの職域は専門職枠になることも多いので、取っておきたい資格かと言われると微妙だと思う。
資格の話になったついでに司書と学芸員について補足すると、どちらも正規雇用の採用は自治体・民間を問わずアカデミックポスト並みの狭き門なので、軽々しく「司書とかいいじゃん」「学芸員の資格をとって博物館に就職したら?」などとは言ってはいけない。
非正規だとバイト・パートレベルの募集が多くワープアもいいところで、資格を持っていなくても問題ない場合も多い。実務経験にはなるのだが、正規雇用へのキャリアアップはやはり狭き門だと思われる。
大学図書館・専門図書館の司書や学芸員は大学院である程度研究をする基礎を身につけた人がその専攻を生かしながら働く場だと思う。一般的な自治体の図書館は業務委託や指定管理者などで民間に委託されていることが多く、司書資格持ちの正規公務員が図書館員をやっているところはかなり少なくなってきているはずだ。
教職員はわかりやすく、国語、英語、社会科の教員免許が取れるところが多い。教職課程の履修はけっこう大変で「保険として教員免許も取っておくか」というくらいの気持ちだと挫折することも多い。ちゃんと教職志望の人は1年次から必要な授業を計画的に取っていることがほとんどだと思う。普通の授業の単位と教職の単位が被ることはそう多くないので割と忙しい。
学部卒で一般的な一種免許という区分の免許がもらえて、大学院で所定の単位を取得すれば専修免許にパワーアップする。出世するには専修免許があると有利という話もあるとかないとか。学生のうちに社会教育主事の単位を取っておくと教員になってからのキャリアの幅が広がりそう。
とはいえ、教員も正規雇用はそこそこ倍率が高く、数年は非正規の講師をすることもけっこう多い。特に社会科は他に比べて大変なイメージがある。
公務員も教職員も正規職員になってしまえば雇用自体は安定した手堅い職だと思う。勤務の内実はなんとも言えないが……。
いわゆるマスコミといわれるテレビ、新聞、出版はどこも大手(キー局、全国紙、三大出版社)は狭き門で、中堅〜中小はパイが少ないか、そもそも募集がないこともある。大手のなかではNHKや全国紙の記者職が比較的募集定員が多そう。
地方テレビ局やブロック紙・地方紙の事情はよくわからないものの、そもそもの枠が大きくなくて地元大やUターン組が一定の数いるイメージ。アナウンサー職とかはものすごく競争が激しいという話を聞く。出版社は中堅どころでもふつうに1桁採用とか募集なしというところばかりだと聞く。中小の専門出版社は新卒市場ではほぼ見かけた記憶がない。
ただ、マスコミ全般の話として、文学部同士の闘いというよりも法学部や経済学部といった文系メインストリーム学部との闘いになるので「文学部だからマスコミに有利」という話にはならない。むしろテレビや新聞の記者職は文学部以外の方が有利だと思う。
業界的には斜陽で激務だけど、大手はまだまだ高給取りなイメージ。中堅・中小だとワープアとはいかなくても大手との差は感じると思う。友達が大手マスコミにいくと「高値で売れたな」と思ってしまう。
テレビは制作会社とかの周辺業界もあるし、出版も書店や取次といった小売り・流通の周辺業界があるけど、とりあえずこの記事ではここまで。制作会社とかは配信業界が盛り上がって二極化してたりするのかな。書店や取次(特に取次)はかなり厳しいという話を聞く。
「テレビ見ない」アピールの趣旨としては、「限られた情報の押し付け、メインストリームの情報を鵜呑みにしない、求めない」ことの価値を知っていることが大事。
テレビはチャンネルは選べるが、時間帯や、CMを選べず、コンテンツ自由度が低い。リテラシーが低かったり、考えることが面倒な人は逆にその不自由さが最適だったりもする。
NetflixやYouTubeはというと、ある意味では選び放題、見放題、常に追加され続ける選択肢、時間は自由、金払えば不要なCMが入らない、メジャーではない情報も多く含まれる。「見ない」アピールをするにしても、テレビを見ないとは全く違う価値観が持ち込まれるだろう。「映像コンテンツなんて非効率的」とか?