はてなキーワード: パートとは
流行りの国語力増田ははてなーの読み取り能力の無さを嘆いていたが、深読みしすぎて書いていないことを読み取ってしまうはてなーも多いですよね。
文章は書かれている事実以外は読み取れないので、背景を読み取る想像力は必要になるのですが、相手を攻撃する理由を探すための深読みは単なる邪推だと思います。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/rela/n/nda105b16fcf3
夫を異常者呼ばわりしているブクマーも居ますが、この犯罪者のような叩かれ方(犯罪者もネット叩かれて良いのかというと疑問ですが)のほうが異常に感じますがどうですか?
pandafire 採卵等でほぼ眠れず、とか痛み止めを貰う、とか書いてあるから奥さんの日記かと思ったら書いたの旦那さんなんだ、ちょっと混乱した。夫の方が子供欲しくて、奥さんはそうでもなかったのに奥さんにここまでさせるか…
>当然不妊治療は通常夫婦で説明を受けて納得して決めるものですが、なぜ奥さん完全受身の前提なんでしょうか。
養子を検討するくらいなので、夫婦揃って子供が好きなんだと思います。
「奥さんはそうでもなかった」というのは恐らく「特に実子にこだわらない」という意味であって、実子ができればもちろん嬉しいはず。
奥さんが不妊治療に前向きでなかったと読み取って夫を責めるのは行き過ぎだと思います。
naihito ここで書かれてる記述に対してのみの感想。妻の命と胎児の命が天秤にかけられてるときに夫の立場で1%でも妊娠継続の可能性はないのかと模索するのは違和感あって責めるつもりはないけどもやもやします。ごめんなさい
>>「妻の命と胎児の命が天秤」という状態で「はいじゃあ胎児を諦めましょう」って切り替えられる人がいるでしょうか、どちらも選べないというのが第一感だと思います。
二人の子供の命を諦める選択をするのに「夫の立場」という言葉が出てくるのは逆に違和感ありませんか、夫は蚊帳の外ですか。
妻だけが選択をすると、妻だけが子供の命を奪ったと悩んでしまうと思いませんか。
nandenandechan 奥さんは身内だから敬意を払うつもりがないのかも知れないが、公にする文章にしては配慮に欠けるように感じる。辛いので途中で読むのをやめました。
>なぜ敬意を払っていない前提なんですかね。
ishiwadaharu 筋腫持ちに妊娠を強要したら、こうなる可能性もあった。コイツが悪いとしか言いようがねえな。
>そういうアカウントなんでしょうね。
shea 妻がこれだけの不妊治療をして子宮全摘人工肛門になって自分無傷なのに、犬とか焼肉とか大変じゃ無いとか駐車料金とか完治しないと失礼とか、ノイズが強すぎて読むのが気分悪くなった。わざと露悪的に書いているの?
>他のブコメでもありますけど、妻は時間をかけて体と向き合ってきた分消化できているけれど、夫のほうがダメージを食らっている可能性がありますよね。
気分悪くなるのは仕方ないとして「わざと露悪的に書いているの?」って詰める感じ、普段でも人を問い詰めてそうで怖いですね。
rittaikousa “僕らはもうこれを乗り越えたんだぞ、という意思表明” 流産から6週間、手術から3週間で乗り越えられる人が全くいないとは言わないが、自分のパートナーがこんなに想像力乏しかったらきついなとは思う…
>想像力乏しい!どちらの事を言っているんでしょうか。
このエントリを書くまでに筆者がどれくらい悩んで泣いたのか、今後折に触れて涙する機会がどれだけあるのかを考えるのが想像力だと思います。
hinaho あっては欲しくないが奥様がここまでしたのに「やっぱり実子が欲しいから離婚して」とかなったら嫌だなって感じた。
>全く書かれてないことを読み取って勝手に悪い未来を予想する、これこそ邪推オブ邪推ですね。ありがとうございます。
kukky ナチュラルに異常さがあって読んでてめちゃくちゃ怖いんだけど。妊娠3か月時点の筋腫含めた腹の大きさや、耐えられなくなるまで痛みを我慢させたり、細々の描写含めて異常だよ。
>怖いのは仕方ないとして、この文章から夫を異常と断じるのはどうなんですかね。
Harnoncourt これがネタになると思って書いたなら最悪だし、公表せずに墓場まで持っていくような出来事だと思います。あと夫としてのメンタルが弱すぎ。奥さんはメンタル強そうだが、身体の負担がひたすら心配になりました。
>「公表せずに墓場まで持っていくような出来事だと思います」それってあなたの価値観ですよね。
夫のメンタル弱すぎというのはどこで判断したのかわからないですけど、子供は確実に諦めないといけない、何ならパートナーの手術の致死率10パーって状態でメンタルにダメージ喰らわない人は逆に怖いですが。
yorukayoruka 妻は運が悪いんじゃないでしょ。普通は夫が寄り添って「もういい」って止めるのよ。はずれくじ引いちゃった、不妊治療は頑張ったよ、ボク大丈夫って、…怖いよ。
>どこで「もういい」って判断するのか難しいということだと思います。
普通ってなんなんですかね。
dentaro うーん、確かに微妙…苦しんだのが当人ならまだしもお前物理的な苦労ほぼしとらんやんけ、という気持ちが出てくる。何故だろう
>物理的な苦労しない=苦しんでいないというのであれば物理接触がないパワハラセクハラについては苦労しないということになってしまいますが。
夫には夫なりの心労があったことを読み取ってあげてほしいですが、こういうのは当事者になってみないとわからないものですかね。
moegisakuzo 退院したての人に料理つくらせて「やったー」とか言っててもう…。養子縁組しても世話も家事も奥さんに丸投げしてそう。
FryingPan 本人たちが良いならそれもまた人生なんだろうか…。大きなお世話だけど嫁さんは身を滅ぼすレベルまで無理しないでほしかった。客観的に見て夫さんにそこまでの価値を感じない。どうか穏やかな日々を過ごしてほしい。
また特にIDを挙げて言及はしませんけど、こういうときに文章から発達障害判定する人多いですよね。
そもそも文章から発達障害判定するの意味ないし、それが人格を責める流れにつながるのであれば害にしかならないと思います。
発達障害などに理解があるっぽい人がやってるのを見ると、それこそもやもやします。
上でも書きましたがメンタル的なダメージは夫が妻以上に消化できていない可能性があるので、Amazonの欲しい物リストでたくさんお祝いが届いているのはよかったです。
フリーター女子18歳さんが、昼勤のパートさんから映画鬼滅の刃のDVDを借りて観たそうで、
「普通漫画ってあんな風にキャラが死んだりしないと思ってたからびっくりしました!」
と言っていた。そうなのか。私はHUNTER×HUNTERとDEATH NOTEを通過した古のオタクであるので、重要人物がポックリ死んじゃうのもよくある話だよねーと思ったけど、今時はそうなのか。
と、思ったが、更に少し会話を続けたところ、実はフリーター女子18歳さんは「漫画が読めない」ということが発覚した。漫画が読めない人……たまにいるけど、当人の属性によっては漫画を読めないことがむしろステイタスのようになっていて、いつまでも漫画を読むスキルを獲得しないでいるものだが、しかしほんの一歩、外の世界に踏み出してみると「漫画すら読めない馬鹿wwwwww」と嘲笑されるため、複雑な拗らせ方をしている場合がある。
「漫画が読めない、なるほど。コマ割りがね。どこから読んでいいのか分からないっていうね」
「そう、そうなんです! 学校が漫画読むの禁止だったから、漫画読んだことなくて。そしたら読み方わからなくなっちゃったんです」
「真面目か!」
いや、大抵の学校は漫画読むの禁止って言うけど、でも家庭までそんなルール律儀に守ってる奴いないって。という話じゃなくて、学校のルールを持ち出してまで、漫画を読む能力の欠如を彼女は正当化したいのであり、正当化したいと思うほどにこれまで小馬鹿にされて来つつ、それでいいと肯定してくれる仲間もたぶんいるのである。
なお、彼女のお姉さんは漫画を読める人らしく、鬼滅の単行本を全巻揃えたそうなのだが、妹に貸して読ませることをせず、一通り最後まで読んで売っ払ってしまったらしい。姉ちゃんケチだな。私の妹と同じタイプ。
私の実家ではきょうだいでそれぞれ同じ漫画を買ってはいけないというルールがあった。単に、ダブるからである。それぞれ別の漫画を買い、きょうだいで貸し借りし合えば、自分のお小遣い以上に多くの漫画が読めてお得だろ? という、「親の理論」な訳だが、そんなことが子供に通じる訳もなく、ジャイアンタイプのきょうだいから漫画を借りて読むことは出来ず、しかも自分の漫画は勝手にもって行かれるし、「この漫画は自分が買うからお前は買うな」と牽制される。
これは我が家だけでなく、友達の家庭でも同じようなルールがあり、きょうだい間競争に負けた子供が漫画から脱落するということが起きていたので、珍しいかもしれないけど希にあるのかもしれない。
そういうわけで、漫画読みの姉を持ったが故に漫画の読み方も知らない妹が生成された、というのがフリーター女子18歳さん家の家庭の事情なのかもしれない。
漫画の読み方が分からないのは嫌だが漫画は読んでみたい、だが漫画の読み方を覚えるのは嫌だというフリーター女子18歳さんにどうしたらいいですか? と聞かれたので、スマホで読める縦長の漫画読めと答えた。
2021/7/3北とぴあ
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NYMC Japan
柔らかな響き。アカペラならではのよく聴きあった融ける和音が魅力的。2曲目は、遠い大地から聴こえてくるような幻想的な部分と、力強いエネルギッシュな部分の対比がよかった。
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粋声
すげえうまい。もうプロでしょ。(感動したので言葉が悪くなりすみません)
各人の技量がとても高く、パート内の声が揃っており、和音が完璧。などと私ごときがテクニックを褒めるのはおこがましいので、曲の感想を。
隠れキリシタンのオラショ(祈り歌)をモチーフにした曲。潜伏の末にもはや意味がわからなくなったのであろう、ミサ曲の聖句の残滓が見え隠れする中、「瀬戸の潮騒…」と日本語があらわれ、江戸期のおそらくは貧しい人びとの暮らしが立ちのぼる。かと思えば強く鋭くアレルヤ、アレルヤ…!と歌われて、長い年月を経てなお信仰が「ある」のだと思わずにはいられない。
圧巻。
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2曲目、若く瑞々しい爽やかさを感じる。この合唱団によくマッチした曲だと感じた。コロナ禍のためあまり練習できなかったとの事だがよくまとまっていた。挨拶した学生さんから、やっと歌えて嬉しいという気持ちが伝わってきた。
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入場が楽しくてノリが良くて元気!
1曲目、万華鏡のように入れ代わりながらユニゾンになったり音がぶつかったりするのがカッコいい。攻めの姿勢の演奏が小気味よい。
2曲目、一転して優しい雰囲気。大切な女友達に誘われているようで嬉しくなる演奏。
3曲目、冒頭のアルトの、包むように支えてくれるところが好き。
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1曲目、グレゴリオ聖歌とおぼしき清潔なユニゾンの旋律が、ふわりと現代的な和音に広がるのがとても好き。
2曲目、ルルルの重く歌うところとスッと抜くところのコントロールがカッコいい。腹筋が使えてるのだろう、日々の基礎練習を讃える。
プロフェッショナルな上手さとは違うのだが、音楽を作る意志に溢れている。アマチュアが音楽するひとつの理想型では?!
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明るいノンビブラートの声で、丁寧に聴き合っている上品な演奏。少人数で、各自が和音の中での自分の役割を味わいながら演奏しているように感じた。
この人数で歌うのは怖いけれど楽しいだろうなあ…。
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「高齢化で…」と謙遜ぎみに挨拶されていたけれど、とても素敵な演奏でした。
女声はまろやかにつややかに伸びやかな声、男声はしっかりした支えで力強くも優しい声。
声がとてもしっくりと溶け合っていて、長年のご活動で皆さん仲良しなのだろうなぁと思います。
楽譜の音をただ出すだけでなく、曲を「歌って」いる、心がある。これもアマチュアのひとつの幸福なかたちだと思いました。
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1曲目「優しき歌」は混声版しか知らなかったので男声版に衝撃を受けた。やはりメランコリックで、混声版だとここが痺れるんだよ〜、という部分は期待を裏切らず心拍数を上げてくれる、たっぷりした演奏。ステキ過ぎる。
2曲目、斎太郎節系のワクワクする曲。エンヤトットじゃないけどベースの通奏低音ビートの上を高声が華やかに駆け回るケレン味!ロビーストームで聴いたら恋に落ちそう。
最高でした!
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夜勤って、漠然とサボってるイメージ持たれてて、昼勤のパートさん達に嫌われがちだよね。
夜勤帯は納品が多いから、全部夜のうちに品出しするのは無理で、いくらかは昼にやってもらわなきゃいけないし、店の作業行程表でも品出しの一部は昼勤がやることになってたりするのに、知らないうちに夜勤が恨まれている。
あと、夜勤(と夕勤)が昼勤に嫌われるのは、連係プレーが出来ないからっていうのもある。昼勤は多いときは5人くらいの人数で協力しながらやってて、レジ受け持っていない人がレジ係が注文の復唱をするのを聞いて、すかさずホットスナックを種類と数間違えないようにササッと用意して、すぐに別のレジの袋詰めを手伝うとか、歌舞伎の黒子並みのことをやってのける。
飲みに行けないし飲食店で料理勉強しながらダブルワークしようと思っても夜は店開いてないし、暇で金もないから近所のコンビニに応募して深夜で雇ってもらった。
色々バイトはしてきたけどコンビニバイトは初めてだったのでちょっとワクワクして、実際面白かったので残しとく。
オープニングからいるパートのおばさんがPOPとか気合い入れて描いてたりするしその人ともう一人のベテランで派閥があるらしい。
色んなコンビニ巡ってきた歴戦の深夜先輩曰くコンビニ派閥争いはよくあることらしい。マジなん?
深夜は巻き込まれにくい代わりに目の敵にされやすいらしく連絡ノートにすげえ悪口書かれてる。(売り場ちゃんと整えろ、散らかすな、廃棄忘れ多い等)
まあ昼間は忙しいし仕方ないよな〜と思いながら昼間の廃棄忘れ俺らが処理してんだけどな〜、でも文句言うと絶対怖いのでやめとく。
売り場の仕様が変わった、新商品が出た、フェアが始まったなどの情報が死ぬほど回ってこない。
深夜の新入りだからLINEグループにも誘ってもらえねえのか……と思ってたらどうやらないらしい。
バックヤードの連絡ノートと印刷物で把握しろ、って言われたけど多すぎる上になんか余計な情報満載で結局何が始まんの?みたいなことが多い。
深夜だから勿論社員とは連絡取れないし、ろくなマニュアルもないので分からないことがあったら詰む。死ぬ。
一回の廃棄で5,000〜10,000円ぐらいになるんだけどどこのコンビニもこんなもんなのか?
同じ商品を毎回10個20個発注したり、売り場の棚に出ないぐらい届いたりするんだけどこれは下手なのか?昼間入らないから売れ筋が分からない。
酷い時には棚まるまる全部廃棄とかもあるし。
俺は絶対発注する奴の中に下手くそがいるんだと思ってるんだけどまだ発注業務したことないから何とも言えねえ。
食べ物は粗末に扱わない、という信念から廃棄のおにぎりやお弁当を回収してゴミ袋にそっと丁寧に入れてたんだけどガチで心が病みそうになってくるから
最近は心を無にして日時の表示だけ確認してポイポイ投げ入れるようにしている。病む。
これはバイトプロから噂に聞いてたけどマジだった。深夜バイト6人ぐらいいるんだけど4人ベトナム人。
典型的なカタコト日本語が話せるレベルで21〜5歳までいて男3人、女1人。
みんな学校通ってるんだって。すごいね。そんでみんなアニメ・漫画好き。雑誌検品しながら最新のジャンプ読んでる。
マジで何言ってるか分かんないし全員先輩だから業務教えてもらおうと思っても日本語が不自由で上手く伝わってこない。
けどめっちゃ仕事する。仕事しすぎて俺の仕事ないし何なら早朝の仕事もこなしちゃって、それを怒られて「ナゼ!?仕事シタヨ!!」って逆ギレしてた。
でもみんな良い奴。仕事中急に「増田サーン顔疲レテル!食エ!!!」ってブラックサンダーくれるし休憩時間に枕貸してくれる。
パック鬼ごろしとドーナツ買ってくオッサン、タバコ1箱と焼酎リットルで買ってくオッサン、酎ハイをマイカゴいっぱいに入れてくるオッサンなど。
土地柄かも知んないけど4時5時ぐらいに酒買いにくるオッサンの多さよ。仕事帰りなのかな?
でも昨日?今朝はいわゆる地雷系女子がピアニッシモとストゼロロングにストローくださいって言ってきておお……!ってなったよね。
俺本物見るの初めてだったからちょっと感動した。なんか良い匂いもした。
絶対お化け。誰も近くに寄ってないのに勝手に開け閉めするし、入店音鳴ったから見たら誰もいないとかザラ。
最初はマジで怖かったけどもう多すぎて何とも思わんし、何ならセンサーの不具合かな?で済ませられるようになってきた。
俺らが廃棄飯食ったら怒られるから、お化けが廃棄のおにぎりとか食ってくれんかな……勿体無いし……。
もっとやべえバイクのヤンキーとかが店の前にたむろしたり、万引き常習犯とか怒り狂ったクレーマーとかが突っ込んでくるのかと思ってたけど意外と普通。
強盗とか来たらどうしよう……と思って超ビビってカラーボールの位置とか確認したのにめっちゃ分かりにくいところにあって焦る。
というか深夜になればなるほど客めっちゃ静かで大人しいのばっか。静かすぎて何言ってんのか聞こえねえのがダメだけど。
仕事さえ淡々とこなしてりゃ時間はあっという間に過ぎてくし、深夜でもやることが多い。
まあ客が来ない深夜だからできる仕事があるからだとも思うけど。
こんな感じ。昨日も今日もバイトあって今仕事もしてるけど流石に眠いね。いつもは土日だけだけど人足りんくてイレギュラーなシフトになってる。
バイト始める前まではコロナで友達ともろくに会えず対面で話すの会社の人間だけだったけど、バイトして色んな人と(ほぼベトナム人だけど)話せてなんか嬉しいわ。
めっちゃ反応あってびっくりした!ベトナム人ほんといい奴だよ 相方のベトナム人の話も別で書きたいな マジで面白いというか楽しい人なんだよな
ちなみに今日の昼そのベトナム人に紹介してもらったベトナム料理屋行ったんだけどマジで美味かったから是非ベトナム料理も食べてみて
廃棄の件も成る程なあと思ってブクマ読みました どうにかしたいけどバイトにはギリまで売り場に並べておくぐらいしか出来ない
廃棄パクらないのは一応会社勤めなのでチクられたりするの怖いからです 廃棄貰えたら食費がどれほど助かるか……
あと朝方に酒買ってくオッサンとはタバコがどれか分かんなくて喧嘩してから何故か仲良しになってるので、別にバカにしてるつもりはなかったんだけど紛らわしくてすまん ドロドロの作業着で来たりするしオッサンが一生懸命頑張ってるの知ってるぞ俺は
俺が高校生の時、マックにいったらパートの4、50代のおばちゃんが制服のボタンの隙間からブラチラしてたわけ。
こういうのがまさに "いじめる側の思想" なんだろうな。だから無くならない。
"誰だってやってる"??
誰が許すんだよ。
人間信じられないようになって友人も恋人も作れず社会にもなじめず世を呪いながら引きこもって気が付いたらもう取り返しがつかないKKOがか?
それともそうやって高齢ヒキニートになった我が子を細り切った脛に鞭打って清掃員のパートで食わせ続ける老いた父母が許すのか?
なんの落ち度もない幸せな家族の未来を怨嗟まみれの糞溜めに突き落としておきながら他人事の顔でそいつらを見下して生きることは絶対悪じゃないのかそうか。
私史上最高に第一印象が悪かった高校生新人アルバイトの子は、トレーニング期間を終える前にいなくなった。彼女を最後に見た時は、彼女はベテランの昼勤パートさんと組んで仕事をしていたけど、かったるそうにずるずるだらだらゴミ捨てをやっていた。昼勤はすごく厳しいので、そういう風にてれんこてれんこやってるとダメなんだろうな。
あの子は印象は最悪だったししゃべるとやっぱり宇宙人みたいな変わった子だったけど、根が悪そうには見えなかった。自分の印象や性格がどういうものかレッテルを貼るのは自分ではなく他人ということを知らない人っぽいなっていう感じ。
高校生なら大概そんなもんだろうか。たとえば、「自分は優しい。何故なら自分は優しいと自分で思うから」「自分は仕事ができる。何故なら自分は仕事ができると自分で思うから」みたいなことを素で思ってしまうみたいな。
コロナの警戒レベルが下がったとたん、夕方のラッシュ時に激混みするようになったが、そのぶん20時以降はあまり混まなくなり、徳に21時以降の子供連れ客は減った。きっと、コロナの流行が完全に終わったとしたら、みんな夜に外食に行くので、コンビニはもっと暇になると思う。
昨日は昼間すごく暇だったらしく、大量の米飯・サンドイッチ・惣菜パンが残っていた。しかも前日のシフトの人が、売り場に大量に前日の商品が残っているのに入荷したばかりの商品をその後ろや別の棚に突っ込んだらしく、日付の違う同じ商品が入り乱れた状態だった。
納品の時間の前に客足の途絶える時間があったので、パンの棚を整理していると、私が空けた場所にAさんがダブついている商品を次々放り込んでいくのでげんなりする。あまり多くの古い商品が残っている状態で新しいものをその後ろに並べると、お客様は後ろの新しいものを引っ張り出して買っていくので、一番古い商品が売れ残る。というのを、Aさんは半分わかっていて半分わかっていないので、わざとやる。Aさんは「自分が客だったら棚の奥の方に手を突っ込んでまでいくらか新しいものを買うなんて馬鹿なことはしないから大丈夫だ」と思っているのだ。Aさんは何でも自分自身を基準に物事を考えすぎる。
AさんがDさんからフリーター女子18歳さんの家庭の闇が深いという話を聞いたらしく、フリーター女子18歳さんはボロい団地に住んでる母子家庭育ちで母親から嫌われてるっていうしやっぱり不幸なんだ人生終わってる……とか言うのだけど、フリーター女子18歳さんは私にはお母さんとすごく仲が良いって言ってた、と私がAさんに言うと、Aさんは私を嘘つきかもの知らずみたいに言う。人は一つの出来事を必ずしも誰に対しても同じように話したりはしない、とAさんは思わないようで、Aさんは「自分が知ってることだけが正しい。何故ならそれを知ったのが自分だから」という考え方をよくする。
YouTubeで釣りとか車とかの見てると、女性YouTuberが胸とか尻とかを強調したサムネイルの動画がおすすめに上がってくる。
そりゃあ俺も胸とか尻とか見たいよ。
でもそれって頭で考えて見たいと思ってるんじゃなくて、視覚情報が性欲を刺激してるだけ。
俺の人間性とか関係なしに男の性(Saga)をツンツン突かれて、動画見たら広告料がGoogleから女性YouTuberに支払われるだけ。
めちゃくちゃ悔しい。
けど見たい。
いや、俺はもっと硬派な、その道のプロが教えてくれるみたいな動画が見たいんだ。
でも胸とか尻とかも見たい。
俺が高校生の時、マックにいったらパートの4、50代のおばちゃんが制服のボタンの隙間からブラチラしてたわけ。
そんなのいくら高校生男子だって見たくないよ。あちらも見られたくないだろうけどさ。
宇多田ヒカルがクィア的であるというのは、コアなファンやクィアのファンの間ではかなり昔からの共通認識でありました。
もちろん、宇多田ヒカル本人がしばしば口にするように、宇多田ヒカルの歌詞というのは大衆の誰にでも伝わることについて大変真摯に考え抜かれており、決してクィア的な読みが介在しなくても成立するものがほとんどです。ですから、当事者の人間がひっかかりを覚えて、ある種の確信や疑念を抱いて聴き込むというような経験がなければ、宇多田ヒカルのクィア的な側面について、その通底する感触すら意識することがなくても不思議ではありません。そして、そういう構成である作品だからこそ、当事者にとっては強く胸を打ち、強く励まされるものでもあるわけです。『ブロークバック・マウンテン』や『ムーンライト』がちょうど、ゲイに限らない、誰にでも共感できる恋愛感情そのものを描いているといった具合で高く評されている、というのと似ています。
一方で、宇多田ヒカルが自身の内面を初めて強く出して制作したと語るアルバム『ULTRA BLUE』や、活動再開後に発表されている楽曲の数々において、勅裁にクィア的な表現の歌詞である楽曲や、クィア的な読みの方が自然と思える楽曲も増えつつあるように感じられます。以下では、そうした楽曲を見ていきましょう。
([ ]は収録アルバム、( )はシングルも含めた初出年です)
引っ越していく親友についての愛情を歌った歌です。愛情の対象として「友」が選択されているという状況は宇多田ヒカルの歌ではよくみられます。
「新しい部屋で君はもう Making Love」「ヤサシイカレトノケイザイガク」「ワタシガハジメテホレタオンナ」といった表現から、親友である女友達が彼氏と同棲を始めることについての喪失感といった情景が浮かんできます。
宇多田ヒカルの歌には「規範への疑念」「規範からの逸脱」を指向しているととれるような表現がしばしば現れます。たとえば、「不倫の恋」を想起させるような楽曲がちょくちょくあります(『誰かの願いが叶うころ』『One Night Magic』『二時間だけのバカンス』『誰にもいわない』)。『Passion』では、「昔からの決まり事」をどのように捉えるかというところに余白があるように感じられます。「ずっと前に好きだった人/冬に子供が生まれるそうだ」とある「好きだった人」は異性・同性どちらにも読むことができそうです。「わたしたちに出来なかったこと」という言葉は同性愛経験者には強い響きがあります(もちろん、失恋経験のある人にとっては、性指向に関わらず共感するところがあるでしょう)。
宇多田ヒカルのオリジナルキャラクターであるくまちゃん(チャン・くま)がゲイであるというのは、以前から公式ブログで発表されていました。それを念頭におくと、ゲイの男性がほんのり抱える困難がモチーフになっているように聞こえてきます。
「けんかはやだよ くま くま くま」
「冬は眠いよ くま くま くま」
どうでしょうか?
ドラマ『ラスト・フレンズ』の主題歌として、友達にたいする愛情や、性別を超えた愛憎のようなものを歌詞にしてほしいという依頼のもとで制作された歌詞です。それに応えるように、確定的にクィアな側面から見ることができるとはいえない構成が、ことさらに意識されていると感じられる楽曲です。しかし、裏を返すと、異性愛的でないという感覚がどれくらい読み取れるかというところに解釈の豊かさの入り口がありそうです。
「人知れず辛い道を選ぶ/私を応援してくれる/あなただけを友と呼ぶ」であるとか、「残酷な現実が二人を引き裂けば」といったバースはどうでしょうか? 異性愛的に読む、同性愛的に読む、どちらの方が、どれくらい可能でしょうか。そもそもそれぞれの読み方に違いはあるのでしょうか? 異性愛的視点と同性愛的視点というのは、線引きが必要なのでしょうか?
宇多田ヒカルと椎名林檎のデュエットであり、MVの印象も強いため、百合ソングとしての印象が初出から強く一般的に浸透していたと思います。また、冒頭の「クローゼット」というモチーフが、クィア界隈で「性指向をオープンにしていない状況」を表すのに用いられる言葉でもあったため、その点でも話題となっていました。
もちろん歌詞単体でみれば、家庭をもつ男女の不倫のような趣もあります。椎名林檎のパートでは一人称が「僕」となっているのも印象的です。
この歌詞でバカンスに繰り出す二人組を、どのようなペアであると想像するでしょうか?
個人的には、かつて親友で、いまは家庭をもつ主婦同士が、時間を縫って…という情景が浮かびます。
一方で、「ほら車飛ばして 一度きりの人生ですもの」「今日は授業サボって 二人きりで公園歩こう」といった並置からは、特定的な1組のカップルの情景ではないという余地をあえて作り出そうとしているのも感じ取れます。
宇多田ヒカル本人が「同性愛者の心情を歌っている曲だと気付いた」と語った楽曲です。
「君に触れるあいつ見てる/報われない想いばかりが募る夜更は/どうしたらいい?」
「気付かないフリとか/中途半端な優しさに 泣きたい」
など、全体を通して当事者的な感覚が非常につよい言葉で構成されている歌詞だと感じられます。
この楽曲が最初に発表されたのはNHKのSONGSで、楽曲の直前に宇多田ヒカルの上記の発言が挿入されたのですが、宇多田ヒカルがこの意図を隠し続けていたとしたらどのように受け取られていたのだろうというのは気になるポイントです。
「カレシにも家族にも言えない/いろんなこと/あなたが聞いてくれたから/どんな孤独にも運命にも耐えられた」
「大好きな人にフラれて泣くあなたを/慰められる only one である幸せよ/だけど/抱きしめて言いたかった、好きだと」
この楽曲も「友」が相手の曲ですが、その友に対する気持ちは「恋愛なんかの枠に収まる二人じゃない」と表現しています。この楽曲もまた、女性の友人同士の関係性についての情景が浮かぶのが自然であるような歌詞だと感じられるでしょう。異性愛的な恋愛・結婚よりもつよい愛情というのは『二時間だけのバカンス』と似ているところがあります。
先に、宇多田ヒカルは大衆の誰にでも伝わることを真摯に考えていると述べましたが、これは裏を返すと、クィア的な読みをする必要がないということでもあります。しかしながら、宇多田ヒカルの歌詞が全般的にクィア的であると当事者にとって感じることができるのは、ほとんどの歌詞において、巧妙に「異性同士」の歌であるとしか読めない状況を避けるような意識がこめられた言葉遣いがなされているからです。ポップスの歌詞における「あなたと私」という主題の問題や、女性シンガーが歌詞でつかう「僕」という一人称の問題など、ポップスの歌詞においてジェンダーを与えた解釈をするときに問題とすべきことは多々ありますが、それらは一度おいておきますと、宇多田ヒカルの歌詞は、とくに二人称において、特定の性に限定できるような状況が回避されているものが多いと感じられるわけです。こうしたものが通底している作家の楽曲は、当事者にとっては、異性愛的な恋愛を歌っているポップスとはやはりどこか感触が異なって聞こえるものです。
よく、「エヴァンゲリオンは鏡である」というようなことが言われます。エヴァンゲリオンについての解釈は、みた人自身の性質や考えがそのまま反映されてでてきたものでしかない、ということです。それは、製作者がつねに大衆に伝わるようにと心を砕く姿勢によってできあがった鏡なのだということが想像できます。宇多田ヒカルの歌についても同じことが言えるのでしょう。異性愛がベースがある人には異性愛的な歌に、同性愛的なベースがある人には同性愛的な歌に聞こえるというのは、「誰にでも伝わる」ということを目指した結果に他ならないと思います。庵野秀明と宇多田ヒカルの作家性が奇跡的に似通っているというのは、そういった点にも感じることができます。
このことからさらに思うのは、宇多田ヒカルとクィアを結びつけるような意見に対して人々がどのような反応を示すかというのをみると、その人が「『クィア』というものをどう捉えているのか」がよくわかるのではないか、ということです。
どうでしょうか? いろんな人の反応をみてみてください。異性愛者の人たちの反応も、クィアの人たちの反応も。どうしてその人は、そのように反応したのでしょうか?