はてなキーワード: チェックポイントとは
一緒に食事をしたり、動物園を周りながら互いの幼少期の話をしてみたり、旅行に行ってあらゆる価値観の違いを見つけてみたり、それと同レベルで大切、いやそれよりともっともっと大切にしたい行為で、この『相手に触りたい欲』が合わないとどうにも長続きしない。
しかも性欲の強さや相性って付き合ってみないと分からない。色気が出てて、直感で『彼としてみたい』と思って恋人になって身体の関係になってみても、結局彼が一番好きなのが自分で、目の前の相手の身体に触れたい気持ちよりも、自分が気持ちよくなりたい欲の方が大きかったりして、うまくいかなかったりすることがしばしばある。
触りたさは同じくらいが絶対にいい。恋人同士の、抱きたい抱かれたいの比重は同じくらいがいい。それがセックスの相性と言われるものの一部であると思っている。
付き合う先に結婚を視野に入れていたりすると、『相手に執着しすぎないこと』も自分の中で相手選びのチェックポイントになるのだが、性的魅力のある相手には他所の人にいってほしくないと嫉妬してしまい精神衛生上良くないし、逆に、そこまで執着していないそこそこの心の距離感の恋人とセックスしていると、時折、最中に自分を俯瞰視してしまい、必死に腰を振る相手や自分に対して滑稽に感じてしまい没頭できない、没入感のないセックスほど虚しいものはない。虚しさを感じて気持ちに穴が開く。こんなに大切な心の結びつきの行為なのに。
普通に恋人を作ろうとすると、当たり前だが貞操観念は重視され、少しずつ互いを信頼してからお付き合いしてセックスをする。きちんと段階を踏まないと信用してもらえない。
当然だ。私もいきなり段階すっとばしてセックスしよ!って言われたら怖いからやだ…と思う。いや、雰囲気とか誘い方にもよるけど。ただ結婚を視野に入れてたらきちんと段階を踏むにしたことはない。でも、先にセックスして、相手に愛着が湧いて、身体を密着した心地よさを感じてから付き合いたい。猛烈なジレンマだ。
下記は、両立支援・雇用平等関連資料・パンフレットダウンロード | TOKYOはたらくネットの資料です。
良いことが書いてあるので、是非読んでみてください。
http://www.hataraku.metro.tokyo.jp/equal/siryo/23saiyou04.pdf
例えば、障害者が応募できないとしている企業には一切選考も面接もせずに、先入観で「障
害者では仕事ができない」と決めつけてしまう考え方があるのではないでしょうか。
また、家庭状況(親の職業や兄弟姉妹のことなど)を選考・採用のポイントとして考えるこ
とは、親が大名ならその子はたとえ能力は低くても大名という封建時代の考え方とあまり変わ
「企業防衛上同業者の子弟は困る」、「自営業をやっている家の子は定着性が悪い」、「親の職
業がしっかりしていない家庭の子は、金銭を扱う仕事なので困る」といった考え方には、応募
者の基本的人権を無視することに痛みも感じない一方的な人事の体質というものがあるのでは
ないでしょうか。
企業にとって従業員を採用することは、その繁栄成長につながる大変重要なことですから、
単なる憶測や、予断と偏見に左右されない公正な選考というものがいかに大切であるかは、企
業経営者が一番よく御存知のことであり、強い関心をもっていることと思います。
「うちの会社の選考体制は、長い間にわたって改善を重ねてきたものだから大丈夫だ」と安
心する前に、同和問題をはじめとする人権問題についてどの程度認識しているか、正しく理解
もし、十分に認識・理解していない場合には、やはり予断・偏見といったものが残存してい
以上のことがらを点検するためのチェックポイントは次のとおりです。
② 雇用条件・採用基準に適合するすべての「人」が応募できる原則が確立されています
か。
③ 次のような人を排除しようとしていませんか。
ア 同和地区出身者 イ 女性 ウ 障害者 エ 母子家庭や父子家庭の人
オ 定時制・通信制課程修了者 カ 外国籍の人 キ 特定思想・信条の人
ク その他(高齢者、HIV感染者等、刑を終えて出所した人、破産者など)
④ 応募者本人の適性や能力以外のこと、例えば、親の職業や家庭状況等を採否の基準と
していませんか。
⑤ 採用方針、採用予定の職種や人員が計画的・合理的に定められていますか。
守るべきことがら
考 え 方
この前とある街歩き型の謎解きゲームに参加した。ネタバレ一切禁止だから具体的には書けないけど、
そのゲームはマップに示されたチェックポイントに赴いて次々と謎を解いていく形式を取っていた。
もちろんチェックポイントにはダミーもある。そうしないと総当たりで解けてしまうからだ。
だが俺は愚かにも「この近くに別のチェックマークがあるから、ついでにそっちも見て来よう」と"ズル"をしてしまった。
ズルをした先にはある親子の銅像があった。
俺は知らなかったが、昔実際に起きた有名な事件をモチーフにしたモニュメントだった。
少なくとも銅像の横にある説明は俺を陰鬱な気分にさせたし、事件の概要をスマホでググっただけで胸糞が悪くなった。
到底謎説きイベントに使っていいような代物ではなかったが、間違いなくマップのチェックマークはこの銅像を指していた。
こういう悲劇的なモニュメントをお遊びの舞台に上げるのはまずいのではないか。
少なくとも謎解き気分で拝む銅像ではなかったし、そもそも慰霊目的以外の人が来訪してしまう可能性を作って良いような雰囲気ではなかった。
確かに、締切破りを治せない人は、子供の頃から時間にルーズというか、計画的に物事を進められない傾向にある。夏休みの宿題という物に関しても、おそらく学校では計画表を作ってみるもののその計画表を実行することはない。だから夏休みの最終日になって、ヒーヒー涙目で、親に怒られ手伝わせ、それでも終わらないから言い訳を考えるしかない……といった悪循環に陥ってしまう。
「まー俺、ガキの頃からクズだからwww」と笑いのネタにできるならまだいいけど、本人も責任感が強いのになぜか期日ギリギリでケツに火がつかないと重い腰をあげられなくて死ぬほど悩んでる人って、そこそこ多いと思うし悩みとしても自分クズですからと笑い飛ばせない位深刻だと思う。
思い出してほしい、子供の時のことを。
夏休みの宿題という、途方もない量のものを与えられて、嫌だー!こんなに沢山あったら終わらないよー!遊べないよー!と絶望しなかっただろうか。ここまではほとんどの人が感じることだからクズでもなんでもない。(勉強が大好きで仕方ない人ならそもそも大量の宿題が苦じゃないけど、そんな人間稀中の稀だから自分がそいじゃないのにそういう人間になる努力は無駄)
ここで選択できる道は2つ。
①見なかったフリして遊ぶ。
そして、②を選べない人、つまり①になった上に本当に夏休み最終日近くまで遊んで過ごせる人には、ひとつ決まった特徴があると思う。
それは、親が怒るだけでなにもしてこないこと。だと思う。
「宿題やんなさい!!やんなかったらご飯抜きね!」とか、「あんたいつ勉強やってんの!もっとしっかりしなさい!」とか「遊んでばっかりいると馬鹿になるよ!」
なんて怒るのだけは立派なんだ。でも、だからって一時間だけでもと机に縛り付けてその時間中後ろから監視して、「ほら、もっとキリキリ手を動かしなさい!」なんてスパルタ教育を受けた覚えはあるだろうか。たぶん、ないと思う。
本来、計画性というものは元来の性格にもよるけど自発的に生まれるものではない。いつまでになにをどのくらいしたらできる、というのは「習慣」だからだ。
その「習慣」を身につけるためにはなにをすべきか教えてくれる人はいただろうか。そして、どうやったら計画を立てられるのかといったところから教えてくれた人はいただろうか。
実は、この部分に教育が必要だと感じてない親ってのが一定数いる。自分の子供に計画性がないのは子供の性格がルーズだからであって、自分のせいではない。自分はきっちりしてるのに子供はだらしないから怒ってしつけてるけどさっぱり言うこときかないし、もういいわ!って感じの親。
確かに親がきっちりしてるのはいい。でも、それは多分親の親がしっかりと計画する、そしてそれをコツコツ重ねることを教えたからであり、自分の親に感謝すべきことではあれど、自分の子供のルーズさを叱る理由にはならない。
ウチの子なーんにもしないのよ!じゃねーんだよ。あんたがなーんにも教えてないんじゃん!って私は思う。そして、それを放置された結果、計画性を身につける機会のないまま子供は大人になり、将来苦労するのだ。
さて、子供の頃から締切破り癖のある人は、そんな親に心当たりはないかな…?だったとしたら、教育が悪かった。そうじゃなかったとしても、どちらにせよ計画性を習慣として身につける機会がなかったわけなので、環境が悪かった。自分がクズだからではないということだけ理解してほしい。
でも、そこで思考を停止させたらクズはクズのままだ。具体的に対策はある。しかもとびっきり簡単な。
それは、前の宿題の例のなかの②…日割りで目標を立てて実行する、これだけだ。
たぶん、これができない人は、おおよそ3つのチェックポイントで躓いている。
③計画通りにいかないときにどう立て直したらいいかわからないから計画立て損
計画を立てられないのは、全体像を把握できてないからだ。つまり、宿題なら何がどのくらい出ていて、ページ数はこのくらい、自分が一時間で出来るのはこのくらい……と、小分類くらいまでは把握する必要がある。
つまり、計画を立てるための時間も実は仕事や宿題のうちなのだ。
適当に感覚でぶっつけ本番で日割りして終わらせられる天才型には確かに無駄な時間なんだけど、そうじゃないから締切を破るんだと自覚したほうがいい。
計画を練ることには練習が必要だし、慣れないうちは難しい。親や身近な人に頼れるんだったら一緒にやったほうがいい。(これは、協力者の意識を協力させる方向に持ってくためにも非常に重要)計画を立てるのを面倒がる、阻止してくるなど厄介な人間しか周りにいないなら恥を忍んででも「それ」を依頼してきた人間に直接相談するのがいい。(宿題だったら先生ね)「終わらせたいと思い計画を立てたのですが無理のないスケジュールでしょうか?」と聞けば誰も嫌な顔をしないはずだ。普通。もし嫌な顔されたり相談乗ってもらえないならそのことは締切破ったときに文句言っても大丈夫。だって計画の立て方わかんないんだもん。やれないよね。
なお、計画するのが面倒だという考えも、計画も宿題のうちだと考えることで解決する。むしろ、計画さえ立ててしまえばあとはその通りやればいいだけなんだから計画が一番の宿題って言ってもいいほど。そこを面倒くさがるからお前は夏休み最終日に苦しむんだ。そこんとこ理解して。
わざわざきっちり計画を立てるのは、「夏休み序盤までにはあそこまで終わってればまぁ大丈夫っしょ」なんてふわっとした計画を頭の中でたてるだけだと実現しないからだ。じゃあそのふわっとした計画はいつどのように実行するんだよ?今?今は忙しい?じゃあいつやるの?やんないでしょ?じゃあ終わらないんですね。つまり何をいつまでにやる、そして何日までにこれが終わるといった明確な筋立てはやはり必要なんですよ。
計画を立てたことのない人はなんでもいいから練習してほしい。自炊の献立表一週間分とかでもいいから。案外時間はかかるし手間もかかるしめんどくさい。でも計画さえ立ってればあとはそれやるだけだから。実行するときにやるべきことを考えなくて済むのは、やるべきことを考えてくれた自分のおかげ。自分にも自信がつく。いいことずくめなんです。
たぶん、続かないのにも2パターンある。
②不測の自体でできない
①の場合、勉強を1日4時間やって一週間で夏休みの宿題を終わらせるなんてアホみたいな計画を立ててるときだ。それでやりきれるなら確かにあとの三週間遊び放題なんだけど、だいたいの人はそもそも1日に4時間も勉強に時間割けないからやめとけって思う。四週間でやりきるなら1日一時間でいい。そのほうがずっと実現可能な目標だ。どうせ締切日は新学期初日だし、早期クリア特典があるわけではないし、そもそも1日一時間なら三週間遊び放題と大差ない。遊びの時間を減らしたくなければ一時間早く起きることで本当に簡単に解決する。毎日俺と同じ時間遊んでるアイツが試験に合格したのなんで!?って驚かれるような人がやってる方法だよね。そういう人は寝てる時間も君と一緒。その一時間を生活に組み込んでるかどうかの違いだけであって、その人だけ1日が30時間もあるわけではない。
なお、続けて習慣化するとなんでもスピードアップしてくるから、最初のころは一時間かかった内容が10分で終わるようになったりということもざらにある。そうなると時間対比でも効率の上でも出来高が6倍になるから、だまされたと思ってやってみてほしい。一時間をクオリティを上げることに使うこともできるし、50分を寝る時間に回すこともできるってこと。徳しかしてない。
②に関しては生きてる以上仕方ない。ライン生産のロボットじゃないんだから必ずどこかで目標までやりきれない日がでてくる。でも毎日不測の事態が起こってるなら、その不測の事態を「起こること」と設定した上で計画を立て直しする必要があるし、不測の事態で1分たりとも自由時間がとれないのなら、提出先に相談する(自分の環境と状況ではできないとはっきり言う)必要もある。1日2日の不測の事態なら、無理のない計画さえ立てていれば他の日ちょっと頑張れば十分挽回可能なのだ。
実行していて時間が足りない、計画が楽観的すぎたと感じることは多々ある。夏休みの宿題だって、人によっては2ヶ月かけないと終わらないものかもしれない。
もちろん早く終わらせる努力は必要だけど、自分の全力を振り絞って、無理のない計画を実行してても終わらないときは終わらない。それは決して自分の能力が低いんじゃなくて、単純に自分のキャパを越えてるのだ。そこは個人差。
宿題なら……たぶん量の問題ではなく、その部分の勉強が理解できてないとかだと思う。それはいくら自分で頑張ったって仕方ない。わからないところを飛ばして、先生やわかる人にアドバイスを求める必要がある。わからないのは恥ではない。理解できないを放棄することのほうが恥。そのために先生は存在しているのだ。
このことに注意してやることで、後天的に計画力を鍛えることは十分に可能。
自分も、親に面倒がられてそのあたりを育てられなかったくちなので、普通の人と比べて苦労した。でも、親の教育を恨んだって仕方ない。自分の人生は自分で作るもの。だからこそ、人に直接害を及ぼしかねない癖は、自分で摘み取るべきなのだ。
生まれてこの方全く女性と接点がないし、そろそろの年齢なのでやった、という記録
期間は1年(2016.4~2017.3)
誰とも会えず
どのツールにも言えることでけど、
メッセージを送ってもまぁ返ってこないし
来たらきたで2回くらいで音信不通
pairsってfaceboookの友達必要なんだなぁ、とか(友達がいないのでよく分からないコミュニティに入って申請乱発した)
こんなに利用者はいるのに俺は誰からも必要とされないんだなぁ、とか
「こんなに~はいるのに俺はいらないんだ」って感覚は就活を思い出して少し笑った。
あるにはあるけど実際は割れた鍋に蓋が必ず存在するわけじゃなくて、かならずあぶれる俺みたいなのがいる。
それを救済するのがお見合いとか、この手のツールなわけだけど…それでもあぶれる俺みたいなのがいる。
なぜあぶれるのか、というのはやっぱり需要がないからで、いらない商品は安売りしてもホコリを被って朽ちるだけなんだね。
そもそも俺と付き合うことで女サイドに何のメリットもなくないか?
最近インターネッツではマウンティングとかいう見栄の張り合いがめっちゃ流行っているらしく、
恋愛というのはその見栄の張り合いで使うカードを稼ぐ場所らしい。
大して稼いでいるわけでもなければイケメンでもなくすごい会社にいるわけでもない男はカードにならない→いらない(今日も明日も永遠に)
(考えてもみりゃ金も顔も肩書も良くないやつとか俺が女だったら絶対に相手しないわ)
その再確認作業を1年かけて(有償)実行し、結果こうだったわけです。
顔面オタクオタク病なので、場違いなのは分かってはいたが、1,2回だけ行ってみたことがある。(一人で)
結局おっさんしかおらず、行かなくなった。(女がいたところで何も出来ないけれど)
ダーツは腕が疲れるがそれなりに楽しかった。(周りが華金を友達や同僚と楽しく投げている中、一人黙々とやっているのは明らかに痛かったと思う)
クックパッドの小規模かつ単発のやつに参加したことがある。(一人で)
結局既婚オバサンしかおらず、1回で終了した。クリスマスディナーは美味しかった。おすすめです。
これも単発のやつに参加してみた。(一人で)自己表現系のやつ。
経験を生かして職場で少しハキハキ喋れるようになった。行って良かった。
そもそもの話、女から友好的に接してもらった経験がない。(仕事以外で)
母親も姉も死ぬほどヒステリーで人にあたるし、精神的に不安定だった。
小中では例によって虐められていたんだけど、
自分が小中時代に女子から「シンショー、ショグ」(身体障害者、ここでは知的障害者の意)とかボロクソ言われたり、バイキン扱いされていた。(一応俺は健常者だよ)
当時は「こいつらが精神異常者なだけで、世には優しい女性がたくさんいるはず」と思っていた。
適齢期になってインターネットを見てみれば、トゥゲッタとかhatenaでも男に石を無限に投げつけるような、俺を障害者と呼んでいた連中と似たようなチンピラ女は山ほどいた。
優しい女性なんてどこにもいなかった。
高校は男ばかりのすべり止め高校で、大学は工業大学の電子情報系だったので女っ気は無かった。
会社がすごければ結婚できたんだろうけど、それほどネームバリューがある会社ではないのでそれにも期待できない。(職場はオッサンしかいない)
理由は3つあって、
一つ目は、進学→就職→結婚という一連の人生プランを滞りなく進めたいという意味。
二つ目は、
関係ないけど最近の華金は大体夜景スポット見に行って、秋葉行って、本かプラモ買って帰るのが習慣なのね。
夜景スポット見ると中年からヤングまで色んなカップルがいて、それ見て寂しいな~~~ってなるのと
東京にはこんなに人がいるのに俺を好きになってくれる人はいないんだな~~~って気持ちになったというまぁそういう意味です。
今度は本当に関係ないけど秋葉原に外人カップルいるじゃん。アジアンのもいるじゃん。
たまに俺と似たようなオタクオタク病の顔した男と可愛い子が手繋いでたりしてあれなんなんだろうな~~~ってならない?俺はなるのね。
あれってお金かな?それともお金かな?あるいは会社の役員だったりするのかな? 関係ない話オワリ
三つ目は、上にもあるように人格形成の時期にクソミソ虐められていたし、冴えない人生送ってきたんだから
少しくらい報われてもいいじゃないか、っていう考えです。
でもまぁ~~~、需要がないってことは人生プランは就職で打ち止めで、もう死ぬまで夜景は一人で見て、人生の報酬もないってことなわけで
普通の人って生まれた時点でいろんなチェックポイントがあるでしょう。
つまり俺は結婚が出来ないので育児も出世もする必要がなく、人生の消化試合が確定してしまった。
考えなきゃいけないのはこれからの人生をどうやって過ごすか、ということで…死ぬのもいいが、何かをしてみたい、何を始めようか…
この映画は日常アニメとしても評価されており、確かにそうと言える。
ほんわかした笑いの連続で劇場の空気は温かいし。戦時中を舞台にしているというのに、声を出して笑える映画だ。
その一方で暮らし様式や知恵、戦艦や飛行機、情勢、草、花、木、鳥、全てにおいてリアルに描かれている。
このアニメがアニメだと思えないほどリアルだと感じられるのは、このせいである。
そういえば、8月公開の「君の名は。」でもこの問題については言われていた。
そこで気付いたのだ。
まずタイトルが変なとこで終わっているね。そんなことはどうでもいいんだ。
君の名は。で話題になったのは音楽の使い方だった。これが凄く似ているんだ。
RADWIMPSとコトリンゴ。音楽で話を進める力を持つ。この世界の片隅にの挿入歌も数曲あるので音響よろしいとこで見るとよろしい。
また「その日」にどうやって進むのかという焦燥感なども同じポイントだ。
ここまではツイッターにでも書けることだ。
展開?
うん、違うよね。
そうだね、おっぱいだね。
君の名は。公開当日は「おっぱい」でツイッターの感想や反響スレが埋まっていたほどだった。
三葉のおっぱいのシーンCMで見るたび、諸君はドキドキしたであろう。
おっぱいで感動させ、おっぱいで笑わせる。すごいおっぱい映画だったんだ。
更に追い打ちをかけるのが口噛み酒。これは新海監督の確信犯だ。酷い男だ。
え、なんでおっぱいの話をしてるのかって?
決まってるじゃないか。
『この世界の片隅に』のおっぱいシーンはみんな見るべきだろ…………!!!!!!
超真面目なアニメの中に数秒入り込む全裸シーン。大画面で見る横乳に、「あれ、どうして、こんなシーンが入ってるの…!?」と混乱すること間違いなしだ。
そのおっぱいは主人公のすずさんのものでは無いんだけど(すずさん、あんなに乳なさそうだし)、これまた入浴しているすずさんに、おっぱいがかぶさっている絵というのが最高。
●RECがたくさんつきそうなシーンがあるのだ。
しかもアニメ界でも尊敬される監督と、有能アニメ会社「MAPPA」の作画でそれを見ることが出来る。
おっぱいはあんまり、という稀有なあなたにも薦めたいのだが、予告を見ていただいたら分かるとおりキスシーンがある。
しかしこれがまた、真面目に丁寧に品よく作られていて、子供が見ても「?」となる具合。しかし大人が見たら「うぉぉおおお」となる演出になっている。
さらにはNTR!?というシーンもアリ、しかも超作画で超セクシー。生々しくて、あの絵柄で(!)ドキドキするのだ。
主人公すずが「この子はもうまったく…」といったぼんやりした子なのだが、時々女の顔になる。その時の色気具合ったらありゃしない。
隙だらけの色気というのか…なんなのか。声も良いよね、リアルで…。
しかも主人公を取り合うのが、二人とも最高レベルでイケメンボイスを作っている細谷さんと小野Dなのだから、色気出しすぎてて男女ともにドキドキしてしまう。
さておっぱいの話に戻るけど、バスケシーンの三葉はノーブラである。流石にキャミソールくらいは着ているものと推測できる。
終戦前の庶民というと、ブラジャーはまだ無かった。乳バンドとかいうのはあったようだけど、それもパッドがついているようなものではなく、帯だったようだ(暮らしの手帖より)
つまり、「この世界の片隅に」で出てくる主人公すず(18歳~)、遊郭の女性や、気の強い義理のお姉さん、近所の奥さん、妹といった魅力あふれる女性たちは、みんなノーブラということにになる。ちなみにロリまで出てくる。
いかがだろうか。この世界の片隅にを見に行かなければならない理由は、以上にある。
こんなことあの真面目な映画で長々文章にできるアカウントやブログが存在する気配が無いのだが、正直みんな思っていることを代弁したまでだ。
後悔は無い。
ごめんなさい。
萌え絵がエロいかエロくないか、不快か不快じゃないか、見る人の感性がまともかまともでないか?みたいな話の先に決着点は絶対にない、ということをまず最初に宣言しておこうと思う。
歴史・文化、なんかの単語で置き換えたとしても、それは実は何にも説明していなくて、実は主観の多数決のようなものでしかない。
その辺の話は一旦置いておこうと思う。
ではここで何を論じたいか?というと、メインでは、なぜ不快と感じる人がいるのか、という問題かな?
絵画の裸婦像はエロくないとか、グラビア写真ならまだ許せる、でも萌え絵が不快でたまらない的な声も多い。
そのへんをちょっと掘り下げてみようと思う。
小学生くらいの頃、美術室で裸の絵とか像とかがあって、掃除の時間とか図工の時間とかにそういうのを見ると、なんとなく気恥ずかしいような、なんでこんな物があるんだろう?という感覚はあった。
親と一緒に入ったレストラン、というか居酒屋っぽいところで、ポスターの水着のお姉ちゃんがビールジョッキ持ってるのも、なんか意味がわからなくて不思議に思った。
地下街の看板に裸のお姉ちゃんの写真があるところがあって、まあ芸術的なんだろうけど、前を通る時にどうしていいかわからないような感覚があった。
これに近いような経験って、誰にでもあるんじゃないだろうか?
もう少し大きくなると、家族で見てた映画やテレビでのベッドシーン。
気まずくなる瞬間あったよね。
つまり、萌え絵か写真か像か、とかに関わらず発生する感情である。
この辺の感情って、まとめるとこうだと思う。
「写真であれ映像であれ絵であっても、今その場の人がしていい格好・振る舞いじゃないと違和感が生じる」
その違和感は、気恥ずかしさであることも、目のやり場に困るという気持ちや、または不快である人もいると思う。
ただ、萌え絵問題はこの原体験に加えて、もう少し別の要素も絡んできていると思う。
10年近く前だと思う。
しかし、用事で東京に行った時、ホームに入ってきた電車が、アッキーナのラッピングカーだったとき、なんだかすごい不快感を持った。
別にエロい格好でもなかったと思うし、宣伝の内容も見ていないし記憶にない。
あの宣伝のラッピングが、吉永小百合とか松嶋菜々子が上品に写ってる宣伝なら、特に何も思わなかったろう。
当時のアッキーナは、水着で毎週のようにグラビアを飾るほしのあきとかと違って、純正グラビアアイドルじゃなかったと記憶している。
あんまりテレビも出ないから素人っぽさがあって、そして当時18歳くらいだったと思う。
なのでなんとなく、東京の若者文化の象徴としてのエロさ、みたいなものを見出していたと思う。渋谷の援交女子高生みたいな?
だからこそ、グラビアアイドルの見せるための綺麗なエロさじゃない、クラスの女の子のエロさみたいなものがあった。
そもそもエロとは何か?
それは、自分の延長上で性的な行為が連想されるかどうか?じゃないだろうか。
洗練された女の子より、素人っぽいAKBが受けるのも、「そこにリアルなエロさ」があるから。
例えば、桐谷美玲がドラマの打ち上げでお酒飲んでいる写真が出てきたとしよう。
それともうひとつ、AKBのギリギリ成人くらいの子が、AKBコスチュームで、ドラマの打ち上げでお酒飲んでいる写真が出たとしよう。
なぜなら、AKBって枕やってんじゃないの?とか、俺もうまく仲良くなればやれるかも、的な欲望の対象になっているから。
それに対して桐谷美玲は、綺麗すぎてリアルな欲望を見出せない。大好きなんだけどね。
つまりだ。
あの辺の萌え絵が、女性の身体的特徴を誇張して描いていることに関しては反論はないと思う。
その誇張を、自分の身近なエロと結びつくのかどうか?が最大の焦点と思う。
女性が女性の身体的特徴を誇張表現された時、真っ先に結びつけるのは間違いなく自分の身体だと思う。
その自分の身体に関して、誇張された部分に周囲の人間が全員注目しているかのような気分になるのが、不快感の元と思われる。
自分の嫁が女性の身体的特徴を際立たせるような格好をした写真を、昼間仕事中にいきなり会社の壁に貼られたらものすごく不快になるに違いない。
グラビア写真や芸術的裸婦像は、たぶん自分のセックスを想起させないのが大きな違い。
そろそろまとめよう。
萌え絵に限らずなんだけど、女性の身体的表現を見て、不快に感じるかどうかは、チェックポイントがあるように思う。
1. その状況・ポーズ・構図等の意味を正しく理解できているか?理解できないと不快に感じるケースが多い。
2. 強調された特徴が、自分のセックスの延長上に結びつくのか結びつかないのか?結びつく人は不快。
3. その絵を見る状況が、セックスを受け入れられる状況か否か。2を満たしていてセックスしたいと思えない状況で見ると不快。
4. あと、身体的特徴を強調しすぎると不気味の谷に差し掛かって不快。
考察するに。
オタクが萌え絵をエロく感じないのは、その女性の絵を自らのセックスの延長上に結び付けられないからではないか。
または、自分のセックスパートナーとの身体的特徴があまりにもかけ離れている人。
あ、童貞は延長上に思えないってはなしじゃないよ!!
あと逆に。
過剰にエロさを感じる人は、強調されている部分にコンプレックスを持っている人。
周囲にそこを見られている、と思うくらいの自意識がある人。
自意識かはおいておいて、痴漢によくあったり、男性に不信感を持っているような女性なら、周囲の男性からは自分がこんな風に見えてるんだ的なショックと不安感があるんでしょうね。
そりゃ不快だ。
そして嫌いなオタクを攻撃しようと萌え絵批判をする、って構図もある。
これはヘイトスピーチというか、オタクを低く見たいコンプレックスの表れのような気もする。
こういうのはなんか、話す価値がない。
まあ、なんだ。
不快か不快じゃないか、おかしいかおかしくないか、を論じることに意味はない。
どっちが変とか正しいとか麻痺とかじゃない。
主催者としては、不快な層が一定数いるなら、やっぱりなんかしら必要じゃね?
と言って締めます。
評判がいい心療内科っていつも予約でいっぱいなんだよね。
「初診の方は電話予約必須」みたいなことが大体ホームページの最初の方に書いてあるし、
実際に電話してみたら「かなり先になりますが大丈夫ですか?」とか聞かれる。
あとちゃんとしてるところはちゃんとしたホームページ持ってるところが多い印象がある。
無料ブログでとりあえず作りました~みたいなのは雑なとこ多い印象。
多分病院に入った瞬間に「あっ、ここちゃんとしてるとこだ」ってわかると思う。
そういう意味では一度予約のために病院に一歩入ってみてもいいかもしれない。
それと追加料金なしでカウンセリングしてくれるところは大体ちゃんとしてる。
追加料金なしでカウンセリングって割とレアだからホムペに書いてるかクチコミ掲示板とかに書いてあると思う。
この辺りをチェックポイントにして探してみてください。
>成績はよかったからあんま突っ込まれずスルーされちゃったんだけど
私と一緒!
私も問題行動が少なかったからあんまりツッコまれずここまで来ちゃった。
ADHDのパンフ読んでたら「不注意」の症状しか出にくい人ってこういうこと多いんだって。
ADHDの診断されたらコンサータかストラテラって薬を処方されると思う。
多分説明されると思うけどコンサータのが即効性があるんだよね。ほんと飲んだ日当日からすごいよ!
ストラテラのが徐々に効果が出始める感じで依存性が低いらしい。
ADHDのどこに最もアプローチしてくれるかも違うみたいだからどっちにするか今から考えといてもいいかもしんない。
(どこに効くかはぐぐってみて)
検査結果出るまで時間かかるけどさ、それでイライラするかもしれないし、処方されるまでの間ADHDの症状に耐えるのきついかもしれないけど
がんばって!!