はてなキーワード: クリスマスディナーとは
大学デビューしたけど、人と話すのが疲れるのと、コロナで機会損失してオタクに戻ってきた。同人活動を始めたり、アニメのイベントにも行ったりして、最高に楽しい大学生活だった。就職もエンタメ系の会社に決まった。
仕事にしたからには働き始めてもサブカルチャーを追いかけていくんだと思う。そういう人生で良いと思ったからエンタメ業界で働くことを決めた。
だけど、かつてオタクだった中高の友達はとっくにサブカルチャーから足を洗っている。
彼氏と同棲して、暗くした部屋にキャンドル飾って、壁にバルーン貼り付けて、手作り料理でクリスマスを祝っている。将来子どもは2人欲しいとか言っていた。そういう話をすることが楽しいらしい。正直ついていけない。
友達は変わった自分を多分誇らしく思っていて、無自覚だろうがマウントを取ってくる。私が何かに熱中しているのを見るとキモイとかガチすぎるとか、へらへら笑いながら言う。は?
もしかしてこの世って、こういう人間の方が大多数なのかもしれん。クソだわ。恋人が生きがいであるだけで、なんで「社会に認められてる感じ」になるんだ。おかしいだろ!クソが!!!!!!!!!!
正直めちゃくちゃ羨ましい。好きに生きてるだけで「社会に認められてる感じ」になれる友達(及びそういう類の人間)が、羨ましすぎて憎い。私も最初に出会ったのがハルヒじゃなくてジャニーズだったらそっち側になれたんだろうか。クソすぎる。
就職したら面白いコンテンツを作って復讐したい。将来友達(及びそういう類の人間)の拵えたガキが、私の作ったコンテンツに爆ハマりして、部屋から出て来ない社会不適合者になってほしい。お前の作ったガキが必死にランダムアクキーを集めてお小遣いを全部使って、最後はアニメイトの前で泣きながらボックス買ってよママ~とみっともなく駄々を捏ねてほしい。というかこの世に生まれて来るガキの7割くらいがそうなってほしい。昔グッズを買い漁った過去の私のために。
あと自分が年収爆盛れの商社マン等と結婚したら見返せるかもしれない。友達が子供を無計画に産んで、大家族で地元のイオン行ってユニクロのセール服を厳選してるところをタワマンから見下ろして爆笑してえよ。絶対に私の方が報われたい。好きなものに殉じることが正解だと思いたい。
まあそうなる可能性はないと思う。こんなこと考えてる内は面白いものを作ることも、人生報われることもないと思う。けど、全部を諦めて恋人のためにクリスマスディナーを作る人生は嫌だ。今更そうなりたくないし、なれない。プライドだけがある。
こうも毎年やっていると色々やり尽くして、ゲームを2周完全クリアしたみたいな?そんな感じになって飽きが来てしまっている。
クリスマスディナーとかだってある程度は値段するし、鉄板焼きでステーキだのイタリアンだの…別に味がわかり切ったものに金を出すってのも食指が動かーん。
うまいメシもセックスも、最近はこう、「いや、良さはわかってるんですけね?なんかね?」って感じになっちまってる。
ほんとに嫌味をいう気はなくて、けっこう困ってるから匿名で投稿しているんだ。
たぶんこの「飽きてる感」の原因は、結婚して、妻or子供とクリスマスをする年代にそろそろ差し掛かってるからなんだろうなーーとは思う。とはいえ、今年はまだそういうわけにはいかんので、どうにかしないといけないわけだ。なんか気乗りがしないまま遊びに行くのは自分も嫌だし。
そういやなんなら、クリスマスプレゼントで欲しいものもさしてねえ!プレゼント代を他に回すとしても、もう楽しめそうなイベントは飽きが来てるので詰みなわけだ。うむむ、考えるべきことが多くて疲れてきた…。
ド定番を外したクリスマスデートをするしかないんだろうが、相手の意向とか考えるとなかなか難しいよな。なんなら自分もクリスマス気分は楽しく味わいたいなという思いもちょこっとだけあるし。
もし面白いクリスマスデートのプランとか、もしくはこういう「クリスマスも食傷気味だな」って人間に対するアドバイスがあったらぜひほしい。
今の会社に勤めて5年になる。おれの会社はちょうど今が繁忙期だ。だから休日だとか祝日だとかそんなのはお構いなし。毎年、クリスマスイブは日付けが変わるまで帰れない。
うちの会社は忙しい時期とそうでない時期の差が激しいが、それ以外はごく普通の会社だ。給料は普通。つまらない作業が多いが、たまに楽しいこともある。超普通。辞めたいとはたまにしか思わないが、辞めたくないとも思わない。
ただ一つ重大な欠点がある。所在地が田舎すぎるんだ。うちの会社は北海道のハズレに所在地を置く。この街だと飲食店なんて21時にはほとんど店じまいだから、日付が変わるまで会社に居た日なんかは、ちょっといいものを食べて帰ろうと思っても店がやっていない。
クリスマスが孤独だと感じなくなったのは4年くらい前からだろうか。今の会社にぼちぼち馴染んできた時期だ。孤独だと感じなくなった理由はいろいろあるけど、一番は山岡家に出会ったことだろう。おれは就職するまで山岡家に行ったことが無かったけど、いざ行ってみるとなかなか良い店だということがわかった。今では常連だ。
山岡家は救世主だ。21時になるとたいていの店が閉まるこの街で、孤独に24時間営業を続ける救世主。クリスマスだろうが正月だろうが、いつだってコンビニより明るい照明でおれを照らしてくれる。この街で24時間営業しているのは、国道沿いの山岡家と駅前のすき家だけだ。
イブの深夜なんて山岡家かすき家しかやっていないから、今年もクリスマスディナーは山岡家だ。仕事が終わって死にそうになりながら会社を出て、明日の朝食にスーパーで半額のローストチキンを買ってから山岡家に向かう。「またイブに来ちまったな」なんて言いながら駐車場を歩く。返事はない。山岡家から放出されている公害レベルの豚骨の匂いを全身に感じながら店内に入る。24時間365日公害レベルの豚骨の匂いを浴びせられる近隣住民はかわいそうだな、洗濯物とかどうしてるのかな、なんてどうでもいいことを思わなくなったのはいつからだろう。
山岡家は食券制だ。食券制は素晴らしい。人類の生み出した文化の極みだ。店員と余計なやりとりをする必要がないというのは、仕事で疲弊したおれにはとても心地が良い。店員だって食券制のほうがいいだろう。
醤油ネギチャーシューとライス、今日はめでたいから餃子も付けて席に座る。5枚集めると餃子が貰えるサービス券が2枚出てきた。家にかなり溜まっているのでそろそろ使わないといけない。時間が時間なので店内はかなり空いている。いつもはカウンター席だけど、今日は迷わず6人がけの席に座る。食券を渡してコイメカタメスクナメと店員に告げる。なんだか通ぶっているみたいで最初は照れくさかったこの呪文みたいなセリフも、今では「お疲れ様です」って挨拶と同じくらいスラスラ出てくる。
そういえば去年も同じメニューだった気がするなあ、なんてつぶやきながらラーメンを待つ。しばらくすると餃子とライスが先に来る。ここで餃子に手を付けるのは素人だ。ラーメンはどうせすぐに来るし、焼き立ての餃子は熱すぎて味がわからない。熱々のたこ焼きだの唐揚げだの餃子だのを食べて熱がるのは、テレビだったら映えるかもしれないけど、そろそろオッサンと呼ばれてもおかしくない年齢の男がやってもただただ可愛そうなだけだ。
1分もしないうちにラーメンが来る。醤油ネギチャーシュー濃いめ硬め少なめだ。ラーメンマニアはこの瞬間を着丼と表現するらしい。最高気温がマイナスにしかならない冬の北海道に山岡家が着丼した。最高気温がマイナスにしかならない冬の北海道で深夜に山岡家を食べる幸せを味わえるのはこの地球でたった500万人の北海道民だけだな、なんて思ってニヤニヤしていると、毎年イブの夜になると一緒に山岡家に行く同じ職場の彼女が「どうしたの」とつぶやく。おれは笑いながら「今年もお前と一緒に来ちゃったなあ、って思って。もう4年連続だよな」なんて言って誤魔化して、掃除機みたいにラーメンをたいらげてすき家に向かった。どうやら来年のイブも山岡家のお世話になりそうだ。
私二十歳の時、有名なフレンチで🎄クリスマスディナーの予約を、学生時代の友人としてて
仕事鬼忙しく無理かもって。
5日前くらいに「ディナー代金は支払うから、他の誰かと行ってきてくれないかな?」というと
彼女激おこだった。彼女はまだ大学生だったので、親のお小遣いで行く予定で予約してくれたんだけど。
私はもう働き始めた年だったので、先輩方がクリスマスも納期迫ってるみたいな話してるのをきいて
自分は学生の友達と、クリスマスディナーなんてとても言えない。顰蹙だって思って。
早いうちなら大学の友人誘って貰えるんではと思ったけど、
増田ちゃんだから予約してあっこがれの*に行こうってなったのに酷くない!もういいよ、今さら誰誘うの?
愉しみにしてたのは私もだった。クリスマスをずらしてれば、まだほかの人たちへの手前ましだったかもなんだけど
学生気分が抜けてなくて、クリスマスくらいみんな早く帰るだろうって思ってたんだよ。
社会人最初のクリスマスだった。最悪だった、友達を一人なくした。
絶交みたいになってしまって、2年後くらいに偶然再会して。あっさりと普通に会話した。
向こうも謝ってくれた。
クリスマスにいい思い出なんてないな。
走ってマンションに逃げ込んで、30分くらいどこかの知らない人の家の前で息を殺してたことあった。
なんとかなったけど。
いつも親のために予約したクリスマスケーキを、残業少し早めに切り上げて帰って、
予約したケーキ持って帰る。
特別印象にも残らない、家族で楽しもうって親が言うから、予定なんか入れない。
入れても普通に友達とケーキ食べに行くだけ。書店とデパ地下寄ってお土産買って帰る。
なし崩しに残業もあるので予定なんか入れられない🎄クリスマス。
知らない人がいっぱいで、みんなでカウントするの。
今日、夜に晩御飯でケンタッキーフライドチキンを食べたんだよ、店内で。
そしたら、クリスマスに食べるケンタッキーの注文をしてる見るからに貧困そうな格好の家族連れが何組も来店してんの。
それを見てたら、馬鹿じゃねーの、って思ったね。なんでわざわざクリスマスの日にケンタッキーフライドチキンを・・・。
最近クリスマス=ケンタッキーフライドチキンというイメージになっているのかどうか知らないけど、チキンぐらい家で作って食べた方がいいんじゃないの? それか最近だと東京の輸入食材店なんかで七面鳥売りに出てるからわざわざ代替品であるケンタッキーフライドチキンを予約注文しなくてよくない? って思っちゃうんだよなあ。
たぶん、日本の大多数の家族にとってはケンタッキーフライドチキンは普段食べれなくてたまの外食もマクドナルドで済ませちゃうんだけど、年に一回のクリスマスの日だけはケンタッキーフライドチキンなんだろうな・・・。なんか、あまりにも考え方が貧困過ぎて泣けてきた・・・。ケンタッキーフライドチキンを食べながらお父さんはストロングゼロなんかを飲んだりするんだろうな・・・。
生まれてこの方全く女性と接点がないし、そろそろの年齢なのでやった、という記録
期間は1年(2016.4~2017.3)
誰とも会えず
どのツールにも言えることでけど、
メッセージを送ってもまぁ返ってこないし
来たらきたで2回くらいで音信不通
pairsってfaceboookの友達必要なんだなぁ、とか(友達がいないのでよく分からないコミュニティに入って申請乱発した)
こんなに利用者はいるのに俺は誰からも必要とされないんだなぁ、とか
「こんなに~はいるのに俺はいらないんだ」って感覚は就活を思い出して少し笑った。
あるにはあるけど実際は割れた鍋に蓋が必ず存在するわけじゃなくて、かならずあぶれる俺みたいなのがいる。
それを救済するのがお見合いとか、この手のツールなわけだけど…それでもあぶれる俺みたいなのがいる。
なぜあぶれるのか、というのはやっぱり需要がないからで、いらない商品は安売りしてもホコリを被って朽ちるだけなんだね。
そもそも俺と付き合うことで女サイドに何のメリットもなくないか?
最近インターネッツではマウンティングとかいう見栄の張り合いがめっちゃ流行っているらしく、
恋愛というのはその見栄の張り合いで使うカードを稼ぐ場所らしい。
大して稼いでいるわけでもなければイケメンでもなくすごい会社にいるわけでもない男はカードにならない→いらない(今日も明日も永遠に)
(考えてもみりゃ金も顔も肩書も良くないやつとか俺が女だったら絶対に相手しないわ)
その再確認作業を1年かけて(有償)実行し、結果こうだったわけです。
顔面オタクオタク病なので、場違いなのは分かってはいたが、1,2回だけ行ってみたことがある。(一人で)
結局おっさんしかおらず、行かなくなった。(女がいたところで何も出来ないけれど)
ダーツは腕が疲れるがそれなりに楽しかった。(周りが華金を友達や同僚と楽しく投げている中、一人黙々とやっているのは明らかに痛かったと思う)
クックパッドの小規模かつ単発のやつに参加したことがある。(一人で)
結局既婚オバサンしかおらず、1回で終了した。クリスマスディナーは美味しかった。おすすめです。
これも単発のやつに参加してみた。(一人で)自己表現系のやつ。
経験を生かして職場で少しハキハキ喋れるようになった。行って良かった。
そもそもの話、女から友好的に接してもらった経験がない。(仕事以外で)
母親も姉も死ぬほどヒステリーで人にあたるし、精神的に不安定だった。
小中では例によって虐められていたんだけど、
自分が小中時代に女子から「シンショー、ショグ」(身体障害者、ここでは知的障害者の意)とかボロクソ言われたり、バイキン扱いされていた。(一応俺は健常者だよ)
当時は「こいつらが精神異常者なだけで、世には優しい女性がたくさんいるはず」と思っていた。
適齢期になってインターネットを見てみれば、トゥゲッタとかhatenaでも男に石を無限に投げつけるような、俺を障害者と呼んでいた連中と似たようなチンピラ女は山ほどいた。
優しい女性なんてどこにもいなかった。
高校は男ばかりのすべり止め高校で、大学は工業大学の電子情報系だったので女っ気は無かった。
会社がすごければ結婚できたんだろうけど、それほどネームバリューがある会社ではないのでそれにも期待できない。(職場はオッサンしかいない)
理由は3つあって、
一つ目は、進学→就職→結婚という一連の人生プランを滞りなく進めたいという意味。
二つ目は、
関係ないけど最近の華金は大体夜景スポット見に行って、秋葉行って、本かプラモ買って帰るのが習慣なのね。
夜景スポット見ると中年からヤングまで色んなカップルがいて、それ見て寂しいな~~~ってなるのと
東京にはこんなに人がいるのに俺を好きになってくれる人はいないんだな~~~って気持ちになったというまぁそういう意味です。
今度は本当に関係ないけど秋葉原に外人カップルいるじゃん。アジアンのもいるじゃん。
たまに俺と似たようなオタクオタク病の顔した男と可愛い子が手繋いでたりしてあれなんなんだろうな~~~ってならない?俺はなるのね。
あれってお金かな?それともお金かな?あるいは会社の役員だったりするのかな? 関係ない話オワリ
三つ目は、上にもあるように人格形成の時期にクソミソ虐められていたし、冴えない人生送ってきたんだから
少しくらい報われてもいいじゃないか、っていう考えです。
でもまぁ~~~、需要がないってことは人生プランは就職で打ち止めで、もう死ぬまで夜景は一人で見て、人生の報酬もないってことなわけで
普通の人って生まれた時点でいろんなチェックポイントがあるでしょう。
つまり俺は結婚が出来ないので育児も出世もする必要がなく、人生の消化試合が確定してしまった。
考えなきゃいけないのはこれからの人生をどうやって過ごすか、ということで…死ぬのもいいが、何かをしてみたい、何を始めようか…
相手が映画が好きだと知ったら、その人がチェックしている映画をとことん観るし、
アイドルが好きだと知ったら、その人が応援しているアイドルグループのライブに行く。
それは相手の気をひく材料ということもあるかもしれないし、相手の色にそまりたいというスイーツな発想
なのかもしれないし、自分でもよくわからないんだけど、とにかく「好き」という気持ち自体は偽りないものだ。
厄介なのが、好きな人の好きな人のこともすぐ好きになってしまうということだ。
たとえば女友達の好きな男性の話をずーーっと聞いていると、いつの間にか自分もその相手のことを好きになってしまったりもする。
さすがに人道にもとるのがわかっているので、彼女が彼を好きな間はアプローチしないし、「好き」という話もしない。
ただ、私が偶然彼と仲良くなるような機会があれば、彼の情報を彼女にめいっぱい流すということはする。
そしてそのときの私は、純粋に彼女の役に立ちたいというよりも、「彼」と自分のつながりを通じて彼女を支配していることに優越感と安心を感じている。
なんなら、嫉妬させたい気持ちもあると思う。そういうときの私は女友達のことを友情として好きなんじゃなくて、恋愛として好きなのかもしれない。
好きな人が相手に興味を失ってしまうと、私も相手に興味を失ってしまうし。
女の子と実際に付き合ったことはないので正確にはわからないけれど。正確に言うと、女どころか男とも、自分から好きになった相手とはつきあったことがない。
相手から「好き」と言われて機械的にステップを踏み、形式的なセックスを経て、だらだらとした倦怠期にいたり、別れたことがあるだけだ。
人を好きになっても、いつのまにか「その人の好きな人」のほうへ関心がいったりきたりしてしまうから、いつも自分の気持ちがめちゃくちゃなのだ。
というのは言い訳で、本当に好きな人に直接アプローチして拒否されるのが怖いから、うまく自分の気持ちを表出できないんだと思う。
ここ数年すごく仲が良かった女友達に、彼氏ができた。そんな男がいたなんて初めて知った。街コンで知り合ったらしい。
ここ数年クリスマスを一緒に過ごしていた私に気を使ってくれた彼女は、昨夜、彼女宅での3人でのクリスマスディナーをセッティングしてくれた。
私はそこで初めて彼女の彼氏に出会い、わきあいあいと団欒し、一人先に帰ってきた。ちょっとだけ惨めな気分になった。
でも、彼女が選んだだけあって彼はとても素敵な人で、私もひと目で好きになってしまった。素敵な人だけど、たぶん、押しに弱いだろうなという感じがした。
つきあって1ヶ月って、もうセックスしてるのかな。彼女はどんな声であえぐのだろう。全然そんな話はしたことがないけど、彼はそれを知っているのだ。
好きな人がその好きな人を好きな間は、何もしないルールを自分に課していたんだけれど、今回もそれを守れるんだろうか。