はてなキーワード: ショップとは
世間知らずのガキンチョだったし、こんなお高いもの貰っていいのかって恐縮もしたし
何よりガサツな自分がこんなデリケートなもの使いきれない、絶対汚すか壊すかするらって言っても
「使ってなんぼ」といって、聞かないので
そういうもんなのかと思って使わせていただいてた。
おっさんのプレゼントは安くてン万、高いものはン十万するようなもので
並行輸入とかでもないらしい。
ゼロ多すぎてちびりそうだった。
いろいろあって別れたんだけど、途端にあんなにブランド品やったのに!とか言い出されて、本当に困った。
だってショルダーバッグは中でペンケースが開いちゃって飛び出したペンのインクで汚れまくりだったし
財布は中身ごと盗まれたし
傘は骨曲がっちゃったし
だから使いきれない、身分不相応って何度も言ったんですけど!って言い返したら
直接言ってこなくなったけど、自分の部署でずっとぐちぐち言ってるよ、大丈夫?って聞かれるようになった。
上司が気を利かせてくれたのかなと思ってる。
実のところ、財布以外にもいくつかなくなったものがある。
おそらくだけど、母か盗んだと思う。
日干ししようと思って出したら足りないとかだったから。
残っていたものは汚れたり壊れたりして売れなさそうなものだけ。
おっさんが異動した後、全部捨てた。
ブランドが悪いわけじゃないのはわかってるけど
ブランド品に絡んで嫌な思いをしたので
と感じた人は以下を確認した方がいいです.
・本当にSIMが原因なのか疑う.
月々の支払いが3~4ヶ月未納のままだと,契約が強制解約されSIMが使えなくなります.
「現在,この電話番号は使われていません」と言われたら,強制解約されている可能性が高いです.
電話番号はおそらく返ってこないです.
「カスタマーサポートに電話してね」と突き返されるので,行かなくてもよい.
→ 家のネットがなければ,
・契約時に記入したメールアドレスに「事前通知メール」が届いていないか確認する.
SIMが使えなくなる一ヶ月前くらいに楽天モバイルからSIM利用停止の事前通告がきてるか確認します.
→ 楽天モバイルに支払い済みのお金があれば,メモしておきます.
問い合わせるときに,何に支払いが発生しているか,何故支払っているのに解約されているのか確認します.
→ 電話番号:0800-600-0666(9:00-18:00 年中無休.お昼は繋がりにくい.電話番号は度々変更される)
→ 問い合わせサイト:https://mobile.faq.rakuten.ne.jp/app/ask1/(2日後に返事くる)
・問い合わせ内容は主に以下4つ
1.契約状況はどうなっているのか.解約済みならば,その理由についても
(SIMの返却手続き・解約料金・未払いの金額・支払い方法・期限・遅延による損害・新規契約に伴うペナルティについて)
今ならキャンペーンコード+エントリーコードでお得に契約できる.
以上.
アパレル勤務なんだけど、本当にデブの客は来ないでほしい。痩せてから来るか、貴女の身体でも入るサイズの服がある店に行くか、メンズの大きいサイズでも探して着てて。何が一番嫌って、体型的に絶対無理なのにやたら試着したがるデブ。信じられない話だけど閉まらないジャケットやブラウスを無理に着たり入らないスカートをぐいぐい閉めようとするとか、普通そんな奴いる!?っていうデブ実際居るんだよね…ファスナー閉まらないから手伝って!じゃなくて、やっぱり着れそうにないんであきらめますって言って返す選択肢はないのかな?って思う。ほんと冗談抜きでデブは試着禁止ってルール作ったほうがいいよ…気づいてないと思ってるのかもしれないけど、糸や縫い目ブチってやっちゃったのとか黙って返してもすぐバレるから!!ダメにしたスカートやブラウスを買い取って弁償してくれるんなら構わないけど、しないでしょ?どうせ元からじゃないの?とか身に覚えない!って言い訳して逃げるのが関の山でしょ。客だからってなにしてもいいわけじゃないんだけど。貴女に試着されるかわいい服が可哀想。ブランドさんもデブなんかに着て欲しくないと思ってるよ。だいたい、流行りの服を探しててーとか、かわいいおしゃれ着が欲しくてーとか相談されても服よりまず痩せようよ…としかアドバイスしようがないよ、誰も言わないだけで。商品が普通に入る体型になってから来て欲しい。あとマジで臭いんだよね…すれ違っただけでも、接客中顔顰めちゃってないか不安になるぐらい汗?脂?わかんないけどとにかく臭い。なんか腐ったラーメンみたいなにおいさせて来店する人とかいる。家から出ちゃダメなレベルのにおい。お風呂入ってないのかな。試着させてくださいって言い出さないかヒヤヒヤする。そんなにおいがついた身体で試着なんかされたら絶対服がダメになる…
てかさ、デブがよく言うじゃん、着られる服がないーとかフリーサイズなんか全然足りないーとか、もっとひどい人は日本のメーカーやブランドはデブに不親切だとか。フリーサイズですら入らない自分の体型がダメなんだって思わないわけ?日本のメーカーの服が悪い?普通の女の子達は当たり前に着れてるんだけど。着られる服がなくなったのは貴女が太るからいけないんじゃん?嫌なら痩せればいいのに、なんで今の体型で普通体型の子と同じおしゃれをさせろ!って発想になるんだろう。何度も言うようだけど、ブランドさんはデブに冷たいんじゃなくて、普通の体型の子のために売ってる服をデブが着るなんて一切想定に入れてないだけだよ…ぽっちゃり(笑)にも着れる服を!マシュマロ系(笑)にも流行りのファッションを!ってメーカーやショップに要求するんじゃなくてちゃんと痩せて普通の体型になって、ついでに体臭もどうにかして全部清潔にできてから文句言って欲しい。デブと不潔なんて努力すれば誰だって直せるでしょ?自分もおしゃれしたいって本気で思ってるならブランドさんにばっか丸投げして怠けてないで変わる努力ぐらいしなよ。それでもダイエットが嫌だっていうなら今はラファーファとかに載ってるような太ってる女性のための洋服もあるんだからその範囲内でおしゃれすれば良いだけ。それで満足できないならやっぱり痩せるしかないんだよ。着たい服、憧れの服があるのは良いことだけど、無理なく着られる体型じゃないなら諦めて。本当にお洋服が可哀想だから。いっぱい食べるの我慢できない、運動は嫌、服も好きなの着たいってただのわがままでしょ。そんなのが通用すると思ってるから太るんだよ?
双極性障害で医師からは就労不可と言われている。障害者手帳の等級は2級。
この人間が、割引券やクーポンなどを駆使して美容室で3000円で髪をカットしてもらい、Amazonで1箱600円で売ってる髪染めでセルフヘアカラーをする。
ネットの激安アパレルショップで激安セールのときを狙って服飾品を買う。
これで化粧などしようものなら、一見すると普通のオシャレなお姉さんにしか見えなくなるのだが、この外見で生活保護受給者であることを明かしたら、おそらく多くの人から反発を受けるであろうことは想像にかたくない。
だから私は生活保護受給者であることを絶対に世間に向けて明かさない。
叩かれるのが分かりきっているからだ。
生活保護受給者であることを明かした上でオシャレしたり外食したりディズニーランドに行っている写真をSNSに上げている人は何を考えているんだろう、くらいに思ってる。
そういう人は案の定叩かれている。
いくら理想を言ったところで、私たちは税金で生かされている身分であることは間違いなく、目立つような真似をしたら反発をくらう。
楽しむにしてもこっそりする以外にない。
表立って楽しむことは許されない。
内面の整理のために吐き出しています、その関係上乱文になってると思います。
間違いなくあそこに地獄があった。
少なくともあの時の僕にとっては地獄だった。
虐められた、とても虐められた。誰も味方がいなかった。
虐められるターゲットだった。友人は居なかった。一人だった。
家の中にも安らぎはなかった。家もまた気を張る場所であった。信頼ならない場所であった。
母は精神障害者だった。弟は知的障害として小学校の時分から養護学級の者として生きていた。父はそんな二人の世話に明け暮れていた。
とても頼ることなど出来なかった。
学校では「死ね」「キモイ」そんな言葉がずっと浴びせかけられていた。常に居場所がなく、昼休みは別の校舎の廊下や音楽室の陰といったひと気のない場所に避難する時間であった。
とても辛かった。そんな場所だった。
部活は小学校の時にサッカーが好きだという理由でサッカー部に入った。大失敗だった。
部活中にも時折、野球部の方からボールが飛んできて僕に当たっていた。たぶん、ぶつけられていたのだと思う。頭に何度も当たっていた。とても辛かった。
中学校1年の2学期から休みがちになった。1学期でも体調を崩しがちであったが、休むために休んでいたのはこの頃だったように思う。
とても行くことが嫌だった。そんな風に休むものだから、勉強も遅れがちになった。宿題が溜まったのもより行きづらさに拍車をかけた。
英語がついていけなくなった。
家は貧しかった。貧しいが故に常識も知らなかった。小学校の宿泊研修で初めてリンスの存在を知る程度には貧しかった。
とても閉じていた。服もなく、娯楽を知らず小学校の夏休みの絵日記に苦労していた、そんな記憶が残っている。
旅行に行く人達を羨ましく思いながら、隣町の祖父母の家に行く位が一番の遠出だった。
どんどん私は中学校に行けなくなっていた。田舎の中学校故だろうか、治安もよくない学校であったのも一因だったとは思う。
通学の自転車が指定の自転車だったが、指定の物ではないものを買い与えられ、そのことがまた虐めの原因にもなっていた。
通学することが苦痛だった。
家の中では良い子でなければ、迷惑をかけないようにしなければならず、学校には居場所がなく、そんな状況が続いていた。
中学1年の三学期にはほとんどいけなくなっていた。ひたすら虐めの恐怖に怯えていた。布団の中でまるまって何故虐められるのか分からず、相談できる相手もいない、一人で苦しみ続けていた。
家の外に出るのが怖くなっていった。休んだことを揶揄されることもまた恐怖だった。ひたすらに家の中で時間を過ぎ去るのを願っていた。夜になってようやく少しだけ外に出られるような有様であった。
中学2年には全く通うことができなくなっていた。申し訳ないと感じつつも動くことができなかった。昼に父が職場から帰ってきてお昼の支度をしてくれる時間が僅かばかりの気晴らしといった毎日であった。
中学3年のころには少しだけ保健室登校のようなことをしていた。それでもほとんど休んでいた。勉強についていけなくなっていた。将来の恐怖に押しつぶされていった。
受験があった。とてもできず、また遠方へ通えるような財力はなかった。地元の県立高校に進学した。
高校に入った。周りは大人になっていたからか、虐められることはなかった。だが、僕自身は人間不信になっていた。やはり一人だった。
そして、とても落ち着かなくなっていた。
授業中に突然笑いだすようなこともあった。エア友達と脳内会話して笑いがこぼれていた結果だった。
ギャップを感じていった。普通が分からなくなっていった。休むようになっていった。精神科へ通うことを勧められた。ここで初めて通うようになった。
月イチでの通院の日々だった。それでも行けないことには代わりはなかった。
出席日数が足りなくなっていった。補修を受けるようになっていた。補修にも行けなくなった。単位を落としてしまった。通わなくなった。
単位が複数落ちてから、一つだったら頑張ればなんとかしてあげれたと言われた。もう遅かった。手遅れだった。
留年するか転校するか退学するかの選択肢となった。金銭上、転校することは出来なかった。そのまま退学することになった。
高校に入ってからしばらくしてから与えられた携帯でネットに依存するようになっていった。
普通じゃなくなっていく苦しみを誤魔化していた。なんとか逃れようとしていた。
ネットに居場所を求めるようになっていった。その間は少しだけ救われていた。
将来への絶望は消えなかった。
父母弟の介護をしつつ、田舎町から出られず永久にそのまま終わるようにしか思えなかった。
17になった。心を誤魔化すためのゲームで繋がりができていた。オフ会に参加することになった。
オフ会に参加するのが唯一の遠出だったと思う。
隣の県まで電車で行った、少しだけその時は救われていた。
18になった。早く頑張らなければ、何かしなければという焦りと苦しみがちりちりと焦がしていたが見ないようにしてゲームに没頭していた。
19になった。オフ会で会った友人たちが大学生になっていった。僕は一人取り残されていった。
また一人になった。
一人の時間が長くなった。その分だけ余計に焦りと苦しみが増していった。向きあおうとして、オフ会の友人との繋がりを控えた。
より苦しくなっていった。薬に甘えないようにせねばと思ってあまり通院してなかった時期でもあった。
夜に原付を飛ばしてみたり、自分なりの反抗をしていた。それでも苦しさは消えなかった。
夏の終わり、自殺を図ろうとした。海の近い町だった。このまま砂浜から海に入っていけば泳げない自分は死ぬのではないかと感じていた。
服が海水を吸って重くなっていった。明確に死の恐怖を感じた。このまま自分が死んでいなくなる恐怖だった。この世から消え去りたくないと感じた。
砂浜へ引き返した。びしょ濡れのまま、一人家に帰った。自殺しようとしたなんて打ち明けることなど出来なかった。
死ななきゃいけないという感情はそれでも消えなかった。僕は考えを捻じれさせていった。
死ななきゃいけないなら、自分自身が死ぬことを納得できる人間になろうとすればいいじゃないかと考えるようになっていった。
当時のニュースの影響もあって、大量殺人者に憧れるようになっていった。ああすれば死ねる!と。
30になったら行おうと思っていた。そこまでの命ならと思って、散財するようにもなっていった。
課金ゲームにハマっていった。諫められても、助けてくれなかった親への恨みから正当化していった。
深みにはまってどんどん続けていた。
バイト探しをするようになっていった。田舎だから、求人は貴重だった。
毎度のごとく落ちていった。
21になった。レンタルショップのバイトに受かった。バイト代はすべて課金ゲームにつぎ込んでいった。
22になった。僕はバイトのままだった。世間の就職にまた焦っていった。
23になった。友人の誘いで地元の原発の作業員になった。入ってウキウキな気持ちと原発への嫌悪感がごちゃ混ぜになっていた。
半年で辞めてしまった。よりヤケになっていった。クレカで借金を作れば自分も死ぬことに納得いくだろうと破滅的な行動が増えていった。
24になった。転職サイトで中途で入社した。ネットの販売員だった。営業だった。件数は全然取れなかった。頑張っても取れなかった。
頑張ることの意味が分からなくなっていった。努力しなくなっていった。ネットへの依存は深まっていった。
グループ内で転籍させられた。借金は増えていった。死にたくてたまらなかった。
25になった。課金ゲーで出会った友人に職に誘われた。僕は後先考えずに飛びついた。殴られるような営業から逃げられると思った。
転職先は良いところだったが付いていけなかった。そのころにはもう考えてもストレスで意識が飛ぶようになっていた。
無職になった。生活保護を受けるようになった。治療を受けても、あまり合わなかった。借金は残ったままだった。
四か月経ち、今日バイトを始めた。あまりのおぼつかなさに愕然とした。
死ななきゃいけない声が聞こえていた。今までは、周りを批判的に見たり、自分の実力を弱く見せたりして補助を貰おうとして誤魔化していた部分も遂に終わりを迎えた。
虐められていたときに亡くなった祖父母へのお別れの気持ちも1週間ほど前に整理がついた。
「やくならマグカップも5周年展」に行ってまいりましたわ。
地元を盛り上げることを狙った女子高生が部活動で陶器をつくる無料配布漫画なのですが、
五年もつづくとは驚きです。
期待したとおり「りゅうおうのおしごと」を書かれている白鳥士郎先生
1巻が配布された際はもらいにまなびパークまで「チャリで来た」らしいですわ。
展示ではキャラクター設定や話ごとの創作秘話も読むことができて、
知らない人に優越感ですわ。
原作から薄い本である「やくならマグカップも」の同人誌が配布されていたり、
キャラクターのビックリマンシール風のシールがいただけたりしました。
開催期間は昨日から来週の日曜日までと短いので、ご注意ですの。
やっていたのでふらりと立ち寄って来ました。
中国製の銅鏡を手にとって見ることができ、よかったですわ。
置かれていた阿倍仲麻呂の歴史漫画で、井真成さんが阿倍仲麻呂の友人として
ちゃっかり話に取り込まれていましたわ。
どうしても本が書きたくて、そのために19時半からパソコンにかじりついているはずの私は、勤め先の病院で下痢嘔吐の患者さんを診察していた。当直の医師が重篤な患者さんに付き添い大きな病院に移送しなければならなくなり、代わりに呼び出されたのだ。
何時ごろから具合が悪くなりましたか? 今日の夕食は食べられました? お昼ご飯は何を? ご家族や職場に同じ症状の方はいませんか?
……急性胃腸炎のようですね、今は下痢や吐き気は止めないで、悪いものは出してしまう治療が主流です。その代わり体から出ていく水分やミネラルを補う点滴をしますよ。お時間かかりますが大丈夫ですか?
医者という仕事はいつもこうやって人生の大切なものに食い込んでくる。娘が骨折した時も手術室からすぐには出られなかったし、小学校の卒業式の最中にも勤め先で医療事故があり緊急で呼び出された。あげく「本を書きたい」と願えば、オンライン講座の時間に呼び出しである。
医者になりたくてなった人は、こんなことを切なく思わないんだろうか? 思いは空を漂うばかりだ。
40年ほど前、当時住んでいた家の側の高台に、国立の医大が建った。母は小学生の私に、坂の上を指さし「あそこに行ってね」と言った。その瞬間、私に他の進路の選択肢は一切なくなった。
父は思慮深いやさしい人であったが、ヒステリックで我の強い母を制御できなかった。
「このハゲ!」と叫ぶ国会議員や夫の不倫を動画で指弾する女優さんを、私は直視することができない。ワイドショーでうっかり見てしまうと鳥肌が立ってしばらく戻らない。その年頃の母とそっくりだからだ。
長い長い坂道を6年間私は歩いて通った。そこを歩いて通ったのは私ぐらいだと後で知った。
大学に行かせてくれるのは良いのだが年頃になっても身体に合った下着を買ってくれないのはとても困った。体形のまるで違う母のおさがりはぶかぶかだったし痴漢にも遭った。高校はアルバイト禁止で、大学生になって初のお給料を握りしめてワコールのショップに駆け込んだ時の感激は忘れない。
准看護師の母は女医がとりわけ嫌いだった。「子持ちの、時間で帰っちゃう女医なんか、誰も相手にもしない。指示を出しても看護婦が誰も聞こえない振りしてたらさぁ、しまいには保育所のお迎え時間迫ってきて泣き出しちゃって」と言っていた。なぜ娘をその女医にしようと思ったのだろう。せめて専門は内科勤務の長い母と一番縁遠そうな麻酔科にした。
それでも孫可愛さで、女医になった娘の子育てには協力してくれていた。しかし年子の育児で一杯いっぱい、今のように「女性活躍」のご時世ではなくて相当厳しい目に遭いながら働いている私に、「子育てしながら、料理の本を出している女医さんもいるのにぃ~、ねぇ」と言い放った。
中卒で、自分自身は何も成し遂げていない母のその一言は、私の心に深く突き刺さり、傷は長く膿んだ。
毒親と呼ぶ気もない、私は母と関係のない場所で、大切にしてくれる夫とその両親と、子供たちとじゅうぶんに幸せになった。もう自分にとっては終わったことなのだ。母は母で家庭に複雑な事情があって、若いころ相当苦労したことも今ならば理解できる。
本を書こう。私は決めた。どんな本でもいい、何の本でもいい。本を書くことができたら、何かが終わる気がする。
書いて、みよう。
地頭は良くて環境に恵まれればいろいろなことができたであろう母と、本来とことん文系だったのに医学部に進まざるを得なかった娘の、ものがたりの結末はどうなるのであろうか。
高2の1月、友人と大好きな男性アイドルユニットのコンサートを観に都内へ出かけた。
日帰り出来る距離ではあるけれど、地方都市在住の私達には大冒険だった。
数年経ってからコンサート目的だったことをカミングアウトしたら、『そんなの分かってたわよ』と言われたが。
まあ、そうだよね。見抜かれるよね。
元々は12月末の公演に申し込んでいたが、届いたチケットは1月の追加公演だった。
12月公演だと学校の全員参加の冬期講習と被っているので、追加に回ってかえって良かったねーと友人とのんきな事を言っていた。
今思うと、当初は冬期講習をサボって行こうとしていたんだから怖いもの知らずというか何と言うか・・・。
親は学業だけには厳しかったので、バレた時の事を想像すると今でも背筋が寒くなる。
とにもかくにも、1月の公演参加が決まってからは友人とどんな服を着ていくのか、どの電車に乗るのかなど、色々計画を立ててその準備期間さえもめちゃめちゃ楽しかった。
座席はブロック名に数字やアルファベットが付いていなくて、位置を特定出来ない名称が書かれていた。
なので、チケットが届いた当初は位置がいまいち分からなかった。
そんな話を教室でしていたら、他校の友達がその会場での他ユニットのコンサートに行ったというクラスメートが、「そのブロック前の方らしいよ」と教えてくれた。
そして迎えた当日。
どのくらい前なんだろうね、とワクワクした気持ちと、都心へ向かう緊張感が入り混じりながら会場に着いた。
係員さんに聞きながら座席に向かったら、2列目のドセンで放心。
コンサートが始まったらはしゃぎまくって、真冬だというのに半袖になった。
初めて観る、本物で生身で至近距離の彼ら。
何度もテレビで見ていて、参加したかったコールアンドレスポンス。
東京近郊のファンは番組観覧や公開収録に行くチャンスもあるだろうけど、我々には叶わないので、余計に楽しかった。
あまりにも夢みたいで、テレビを見てるみたいだな、とも思った。
終演後、夢見ごこちのまま公式グッズショップに行って写真を買い込んだ。
憧れのMILK本店にも行った。
地元のセレクトショップでも扱ってはいたが、本店に行くことに意義があったのだ。
お店の全てが可愛かった。
何か買ったのかは覚えていない。
高校生のお小遣いでは大物は買えないはずなので、買ったとしたらカットソーか何かかなと。
外観だけみて「ここが〇〇大かー、都会だなー」と言いながら数分で後にした。
「ちゃんと大学見たし、親に嘘はついてないよね」と友人と笑いあった。
なんと能天気なことか。
推しの主演ドラマが始まった時期で、期間限定で壁画が出来ていたのだ。
都内の高校生には普通の休日でも、私達には大冒険でキラキラした1日だった。
もうすぐ高3になる時期だったので、勉強頑張って夏休みに1日だけコンサートと併せて東京に来たいな、とモチベーションを上げた日にもなった。
都内を移動中、どこかのショップで当時大流行していた香水を試しに嗅いだ。
友人はそれを買ったような記憶。
充分過ぎるほど大人になった今、誰にも気兼ねする事なく(チケットさえ取れれば)好きなコンサートやお芝居を観に行けるし、好きな洋服も買える。
でも、この高校生の時のようなキラキラ感はない。若さ特有のものだったのか、地方都市在住だった事による特別感だったのか。
余談をいくつか。
高3の夏休み、最後の1日に念願叶ってコンサートに行く事が出来た。
この話はまた近いうちに書きたい。
そして、この男性アイドルユニットは今も現役だ。第一線にいてくれている事が嬉しいし、感謝している。
最後に・・・『特設の会場』、『壁画』などのキーワードでこのユニットを特定出来た方、同年代ですね!
楽しくて、キラキラしてましたよね。
田舎でもダイソーか100円ローソンくらいない?しお、コショウ(別々に買う)は振ればなんとかなるし、入れすぎなきゃ食べれなくもならない。ちょっとずついれればいい。片手鍋(行平鍋でいい)とフライパンとフライ返しとおたま。最初は100円ショップのでいいよ。飽き足らなくなったらamazonでもどこでも買える。
健闘を祈る。
格安SIMに乗り換え時の不安にショップのサポートがないってのがあるけどさ
データの修復してくれるわけでもない
壊れたスマホを修理のために持ち込んでもアップルストアを紹介するだけ
引き落とし出来なかった分の通信料を払い込むために利用すると余計な手数料が発生する
正直使うことないじゃん?
ていうか、店員ド素人ばっかで詳しい話になると全然分からんってパターンばっかじゃん。通り一遍の回答しかできないのばっか。
設定がわからないとかなら自分で調べればいいし。ていうか、ショップどこにあるのかって調べてるより、回答直接探したほうが早い。
文字だけだと理解できないのか?音声で聞かないと理解できない?
あるいは文字が読めないのか……ありうることではあるが。