2017-10-20

麻酔科医は本を書く夢を見るか

 どうしても本が書きたくて、そのために19時半からパソコンにかじりついているはずの私は、勤め先の病院下痢嘔吐患者さんを診察していた。当直の医師が重篤な患者さんに付き添い大きな病院移送しなければならなくなり、代わりに呼び出されたのだ。

 何時ごろから具合が悪くなりましたか? 今日の夕食は食べられました? お昼ご飯は何を? ご家族職場に同じ症状の方はいませんか? 

 ……急性胃腸炎のようですね、今は下痢吐き気は止めないで、悪いものは出してしま治療が主流です。その代わり体から出ていく水分やミネラルを補う点滴をしますよ。お時間かかります大丈夫ですか? 

 医者という仕事はいつもこうやって人生の大切なものに食い込んでくる。娘が骨折した時も手術室からすぐには出られなかったし、小学校卒業式最中にも勤め先で医療事故があり緊急で呼び出された。あげく「本を書きたい」と願えば、オンライン講座の時間に呼び出しである

 医者になりたくてなった人は、こんなことを切なく思わないんだろうか? 思いは空を漂うばかりだ。

 40年ほど前、当時住んでいた家の側の高台に、国立医大が建った。母は小学生の私に、坂の上を指さし「あそこに行ってね」と言った。その瞬間、私に他の進路の選択肢は一切なくなった。

父は思慮深いやさしい人であったが、ヒステリックで我の強い母を制御できなかった。

 「このハゲ!」と叫ぶ国会議員や夫の不倫動画で指弾する女優さんを、私は直視することができない。ワイドショーでうっかり見てしまうと鳥肌が立ってしばらく戻らない。その年頃の母とそっくりだからだ。 

 長い長い坂道を6年間私は歩いて通った。そこを歩いて通ったのは私ぐらいだと後で知った。

 大学に行かせてくれるのは良いのだが年頃になっても身体に合った下着を買ってくれないのはとても困った。体形のまるで違う母のおさがりはぶかぶかだったし痴漢にも遭った。高校アルバイト禁止で、大学生になって初のお給料を握りしめてワコールショップに駆け込んだ時の感激は忘れない。

 准看護師の母は女医がとりわけ嫌いだった。「子持ちの、時間で帰っちゃう女医なんか、誰も相手にもしない。指示を出しても看護婦が誰も聞こえない振りしてたらさぁ、しまいには保育所のお迎え時間迫ってきて泣き出しちゃって」と言っていた。なぜ娘をその女医にしようと思ったのだろう。せめて専門は内科勤務の長い母と一番縁遠そうな麻酔科にした。

 それでも孫可愛さで、女医になった娘の子育てには協力してくれていた。しか年子育児で一杯いっぱい、今のように「女性活躍」のご時世ではなくて相当厳しい目に遭いながら働いている私に、「子育てしながら、料理の本を出している女医さんもいるのにぃ~、ねぇ」と言い放った。

 中卒で、自分自身は何も成し遂げていない母のその一言は、私の心に深く突き刺さり、傷は長く膿んだ。

 毒親と呼ぶ気もない、私は母と関係のない場所で、大切にしてくれる夫とその両親と、子供たちとじゅうぶんに幸せになった。もう自分にとっては終わったこなのだ。母は母で家庭に複雑な事情があって、若いころ相当苦労したことも今ならば理解できる。

 本を書こう。私は決めた。どんな本でもいい、何の本でもいい。本を書くことができたら、何かが終わる気がする。

 書いて、みよう。

地頭は良くて環境に恵まれればいろいろなことができたであろう母と、本来とことん文系だったのに医学部に進まざるを得なかった娘の、ものがたりの結末はどうなるのであろうか。

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