はてなキーワード: カラカラとは
自分自身がそうだった。
死ななければならないという
強制感と恥ずかしさで悶絶しながら
なんとか時間を過ごしてきた。
そのうち、薬がよく効いたのか、
家の中はうろうろできるようになり、
ほとんど俺のために使ってくれて、
平日の昼間によく2人で公園に行った。
家で暇してるなら作ってよー」
俺が鬱であることをおくびも気にもせず、
俺はお礼も兼ねて、公園に行く日は
サンドイッチを作るようになった。
作るのは決まってバインミー。
当時は1人で人混みに出るのは、厳しくて
買って持ってきてくれた。俺は、中身の具材を
ローストビーフを焼いてみたり、
彼女は本当に満面の笑みで
美味しそうにバインミーを食べていた。
俺の症状は軽くなっていった。
味がもっと濃いんだよ!」
というので、
行けるようになった。
そんなこんなで2か月くらい
バインミー作りに励んでいた所、
出したいと言ってきた。
大勢の人に会うのは
200個のバインミーを作るのを承諾した。
近くのパン屋さんに頼み、
大量にハムを仕込んだ。
パンパンになっていた。
当日。俺のバインミーは飛ぶように無くなった。
みんながこんなに美味しいの食べたことないと
それから3年。
彼女は嫁さんとなり、その時の会場で知り合った人経由で
生活は嫁の稼ぎのほうがずっと多いが、
もし、どこかでバインミーの
キッチンカーを見かけたら、ぜひ食べてもらいたい。
著名な科学者が「女はすぐ泣くから困る」、「ラボは男女別が良い」といって大きく批判されたらしい。
しかし、それはあまりにも表層的な批判で、本質をとらえていないのではないだろうか。
例えば、日本において女性専用車両というものが導入されている。
導入の論理は「(男のなかに)痴漢がいて困るから、女性だけの車両を作るべきだ」だ。
確かに全ての男性が痴漢なわけではない。だから男性全員を悪者にするような行為はPCに反する。
しかし、一定数痴漢男性が発生し続けているのもまた事実で、多くの女性が被害を被っているのだ。
そうした場合には、女性専用車両というある種差別的な存在も許容されるべきだろう。
話を戻そう。
「女はすぐ泣くから困る」という発言は、男性科学者からの正しい苦情だと私は思う。
女性が生理的にすぐ泣く存在であるならば、そうした発言を擁護することはできないが、そうではない。
多くの女性は泣くことを戦術として使っている。そこには意思があり、主体的に泣いているわけだ。
実際、泣くことが有効でない場面では、女性は驚くほど泣かない。女2人で言い合ってる時など、目がカラカラだ。
相手が男性のときや、オーディエンスがいて味方につけられそうなとき、そんなときに女性は泣く。
これが恋愛や友人の関係ならば泣くという行為で場をコントロールしようとする試みも許容されるだろうが、研究の世界であれば話は別だ。
研究の世界では、そのような行為は完全に害悪な迷惑行為でしかない。
泣いて場をコントロールし、研究の滞りや研究のミスを有耶無耶にしようとする試みにはハッキリとNOを突きつけるべきだ。
(そういや小保方さんも泣いてたね。明らかに狙って。)
そして女性の側から科学の世界で泣くことに対して批判が出てこないなら、男性の側から「ラボは男女別にしてほしい」という希望が
私は自分が手で作るものを世の中に販売して生計を立てているクリエイターである。
会社に属しているわけでもなく、クライアントから仕事をもらうわけでもないので、
作り出すものを売りださなければ一銭のお金も入らない仕事である。
約4年の妊活(不妊治療)を経て、4年前に第一子、2年前に第二子を高齢出産した。
初めての妊娠時、お腹の中でわりと順調に育ってくれたため、産む前日まで仕事をした。
活動場所を自宅にすることで、産後も働き続けることは可能だと思っていた。
もっと言えば、子供を見ながらでも仕事ができると思っていた。大馬鹿者であった。
「妊娠している間、歌詞がまったく書けなくなった」「作風が変化した」云々とママ雑誌で語るのを「花畑脳乙」と鼻でせせら笑っていたのだが、
花畑脳どころか、産後の私の脳味噌は一本のシワのなくなってツルツルの風船にでもなってしまったのではないかと思うほど、
赤ん坊以外のことは、まったく蓄積されない状態になってしまった。
心底驚いた。
そしてじりじりと焦った。
とても辛かった。
実は今もとても辛い。
なぜなら、脳味噌が風船の状態は、第二子が2歳になった今も続いているからである。
「全力で仕事がしたい!」と渇望しながらも、
「全力で作りたい!」と思うものが、まったく自分の中から湧き出てこないのである。
これはものを作ることを生業にしている者にとって、いわゆる「スランプ」と言われるものなのかもしれないが、
子育てをはじめてから今日に至るまで丸4年、私は心底作りたいと思えるものがまるで出てこない。
産前からのアイデアを元に、どうにかこうにか滲み出てくる…くらいのものをかき集めて、なんとかやっている。
でも産前の仕事量(売り上げ)から考えれば、10分の1ぐらいに激減した。
産前は当たり前に都心で過ごし、買い物をし、飲み食べして、好きなことばかりやって、
好きなことを仕事にして、好きなことで食べていけていることが本当に幸せだった。
なんのストレスもなかった。
不妊治療は確かにストレスではあったが、そこから逃げるというより、
それを上回るだけのやりがいが仕事自体にあったのは幸運だったと思う。
「もし子供ができなくても、この楽しい仕事さえあればいい」とどこかで思いながら不妊治療で削がれそうになる精神を保っていた。
(匿名ダイアリーだから書けることだが「仕事ができなくても、こどもさえいればいい」とは心の底からは思えないので、
逆説的にやはり、子供を諦めることはできなかっただろうと思う)
今現在、巷の雑誌を見ても「いまってこんな感じなんだ…」と思うだけで、
小説などは文字が脳から滑り落ちていくがごとく、まったく内容が頭に入ってこない。
いつ保育園から呼び出しがあるかと思うと、携帯の電源を切ることもできないので映画を2時間集中して観ることもできず、
常に何者か(まぁ、それはこどもたち)の目の届く場所手の届く場所すぐに駆けつけられる距離に居なければならないという感覚が
どうしてもどうしてもどうしてもどうしてもどうしてもどうしても薄くなってくれない。
美容室へ行く頻度も激減して、自由に使えるお金も少なくなってきて、着る服もファストファッションがほとんどになってきた。
なんだか自分がどんどんみすぼらしくなっているように感じる。
こんな私がものづくりをして人様にお金をもらえるようなものを作り出せるのだろうか、という不安が頭から離れない。
私の中の「ものづくりをする人」はどこへ行ってしまったのだろうか。
クリエイターやデザイナー、アーティストと呼ばれる類の職業をしている者は、
時代の空気やその感覚をつかまねばより良いものは作れないと思う。
インプットはネットや本だけではなく、目で見て、耳で聞いて、香りを嗅いで、手で触り、肌で感じることを続けるうちに
ひらめきやアイデアや素晴らしいデザインが「降りて」きていた。
自分が心底作りたいと思える良いものがアウトプットできていたのは、
間違いなくあの無意識にインプットし放題な時間があったからなのだと今ならわかる。
今、私は子供の健康を維持するための情報や、子供に対するより良い情報以外のことをまったくインプットできないまま、
仕事ではカラカラの体からさらに何かを絞り出しているだけの状態だ。
針でさせば弾け飛ぶくらい、あらゆる情報と感覚を体内と脳内に満ち満ちさせたい。
出産後、私からあのデザインが降りてくる『ギフト感』が、失われた、と感じている。
そして「それ」が戻ってくることを心底望んでいる。
しかしそれは望んだからやってくるものではないことも、わかっている。
「仕事人」としての自分が死んでしまうような気がして、諦められない。
ああ、なんだこれは。
赤ちゃんを望んでいた時と同じじゃないか。
私は赤ちゃんを手に抱けたじゃないか。
それでいいじゃないか。
なにが不満なものか。
不満?ええ不満だらけですよ!自分に!!
もっと、きちんと「ギフト」に頼らなくてもいい方法で、お金になるような仕事の仕方を構築しなさいよ!!
私は母親になった。もうなっちゃった。戻れないし、子供達のいない生活に戻りたいとは思わない。
もう好き放題やってていい人間じゃなくなったのは確かなんだから、
働き方を変えて、効率の良いインプットの仕方に変えるしかないじゃないの。
やろう。
やるしかないんだわ。
クリエイターは、自分の仕事を自分で作り出せる職業なんだから。
愚痴るつもりで初めて匿名ダイアリーを書いてみたら、なんか元気が出てきた。
:::追記:::1月16日
こんな私の自分勝手な独り言に、たくさんのヒントやアドバイスや応援、共感いただいたことに驚き、
そうすると「ネット上でたくさんの目に触れたいだけの虚構の話」と思われるのだと知り、
匿名の良いところは、名もなき自分が自由に思いを吐き出せるところでしたが、
匿名が故にどこにも信憑性はないのですから、仕方のないことですね。
それでもやはりこれを書いた時の私の気持ちは
間違いなく本当に思っていたことで、本当にこういう状態で。
短い間に私は十分、いろんな言葉もらえました
もしも今後どこかで誰かがここを見て、自分も頑張ろうと思うことがあるかもしれない
私もまたここを見て自分の糧にしたい
なので、このまま残します
前回、http://anond.hatelabo.jp/20141206042645で便所飯の方法を書いたが今回はその応用をかく。
田舎の大学や学校、職場、ヒエラルキーのある団体のほうが便所飯は起こりやすいかもしれないが、大都会の便所飯も似たようなもの。
まず、でかいキャンパスやビルの中で、集団によるいじめやからかい、ネタや中傷のターゲットにされている場合の大都会便所飯の方法を書く。
田舎では周りに土地が多くアパートや物件が多いと近くに住めば、昼飯を家に食べに帰れるから便所飯を回避できる。
だが、50分しかない昼の休憩時間では、大都会で一旦、家に帰って食べてくるという回避スキルは不可能だ。
だから一点突破の便所飯スキルのみに集中すると実行者は過緊張による失神、めまい、自律神経失調症など負荷を負うので、飯場所をサイクルさせるとやりやすいのだ。
たとえば、
<月曜:倉庫飯>⇒<火曜:便所飯>⇒<水曜:自転車飯>⇒<木曜:ドリンクゼリー飯>⇒<金曜:便所飯>
と、1週間のうち5日を乗り切るには様々な組み合わせパターンを用いればよい。
こういう話をするとたいてい、「便所飯するくらいなら一人で食堂の隅っこでもいけばいいのに」とか哀愁ただよう意見を耳にする。
しかし、それは間違いだ。
他に理由などない。
大都会は狭い。
建物が限られている。
ビルだとトイレの床面積すら狭く、便座に尻を置いて屈むだけで目の前に壁がくる。
そして、そのぶん、パーソナルスペースはせまく、住み慣れた場所に得る生活感のような安定場所が確保しにくい。
だから、よく昼になったらあいつあそこいくぜ、もしかして・・・と思われるので場所を分散させればよい。
つねにぼっちなのでおれはいつも定位置便所飯で平気だぜという表情も、空腹になると緊張感が途切れやすいのだ。
だから張り詰め感をだし、これ以上からかわれないように必死になるためには、つねに便所飯をあらゆる場所でできるという応用を用いるとよい。
倉庫はとにかく誰も使われていないクモの巣の貼ったような人のこない場所を選ぶこと。
倉庫という特殊環境は、とくに清掃関連の人が出入りするかもしれないので、かならず退路を確保すること。
自転車をカラカラ引きずりながら押し、ゆっくり歩きながら片手で食う。
冬は寒いがホッカイロを胸にや背中に貼って手袋をすればあとは押して食べるだけだ。
ママチャリカゴにバッグを入れるのはひったくりされるので禁忌だ。かならず便所飯の人はリュックで両手を開けておくことだ。
野菜ジュースも一気に飲めばなおよい。
俺はかつて和式派だった。肛門を拭きやすかったからだ。こと肛門へのアクセスに関しては、和式の方が洋式よりも分がある。行為時の体勢は若干ツラいが、総合的には和式、という判断だった。
しかし現在の俺は、圧倒的な洋式派になってしまった。理由は、ウォシュレットだ。肛門を素早く清潔にできる。紙で拭く回数が減り、肛門へのダメージも激減する。腹の調子が悪いときなど、大変ありがたい。暖房便座もかなり寄与しているが、何しろウォシュレットの存在が大きい。ウォシュレットの登場で、洋式はブレイクスルーと呼ぶに相応しい進化を遂げたと思う。
振り返ってみれば、俺にとって「便器について考えること」は「肛門について考えること」に他ならなかった。そして、洋式という選択に一切の疑念は無く、和式を徹底的に避け、ウォシュレット付きのトイレがない公共施設を軽蔑すらしていた。
しかし。今朝、こんなことがあった。
俺はサーバーの日次点検をしていた。バックアップ用のDATを交換し、H/Wアラートの発生有無を確認する。まぁ退屈な仕事だ。3本目のDATを交換している最中、俺は強い便意に襲われた。作業はまだ途中だった。しかしこれは無理だ、トイレに行くしかない。俺は作業を中断してトイレに向かうことにした。便利なことに、サーバー室を出た目の前にトイレはある。ここなら速やかに事を済ますことができるだろう。
だが、ひとつ問題があった。便器だ。このトイレには和式しかないのだ。
少し歩けば、洋式+ウォシュレットのトイレがある。もはや骨の髄まで洋式派である俺としては、足を伸ばしたいところだ。しかし今回は事情が違った。事は急を要している。便意は俺から選択肢を奪った。やむを得ず、俺はサーバー室前のトイレに向かった。
少し早足でトイレに入った俺は、「和式」のプレートがついた扉を開け、いそいそとズボンを降ろし、腰を下げた。いつもより近いタイル地の床と、そこから伝わってくる冷気。忌避感と屈辱感が頭をよぎった。
次の瞬間。ずぅるりっ、という感触とともに、一気に便が排出された。押し出された、という表現が正しいかもしれない。まさに一瞬だった。
俺は首をがくりともたげて、目を閉じた。便意からの開放感で、頭の中は真っ白になった。ふぅ。自然と溜息が漏れた。しかし、すぐさま忌まわしい感情が湧いてきた。そうだ、これからウォシュレットなしで、トイレットペーパーだけで肛門を拭かねばならないのだ。
トイレットペーパーに手を伸ばし、カラカラと引き出す。この作業を、繰り返し行わなければならない。そしてその度に、拭き残しを確認しなければならない。自分がいかに汚れているのか、自分に知らしめる作業だ。なんて原始的で、合理性のない、恥辱的な作業なんだろう。そんな思いを巡らせながら、手にとったトイレットペーパーを尻にあてがおうと、腰を少し浮かした。そのときだ。便器の中に転がっている糞を見て、俺は驚愕した。
デカい。
これはデカい。なんだこれは。長さにして、30cmをゆうに超えている。指先から肘にかけて程の長さだ。しかも、よく見るとアルファベットの「J」のように途中から折り返している。全長は40cmに及ぶのではないか。思い返せば、確かに今回の便意は強く、腹の中に大量の糞が待ち構えていることは予感していた。しかし流石にこのサイズは想定外だ。俺は息を飲んだ。
そう、これが和式便器なのだ。和式の強み、それは「自然な糞の射出を阻害しないこと」そして「射出された糞の観察が容易であること」だ。便器について考えること、それは、肛門について考えること、だけではなかった。俺は忘れていたのだ。糞と向き合うことを。
肛門を拭き終えた俺は、レバーを引き、糞の消えた便器を確認してからトイレの扉を開いた。やり遂げた、そして見届けた。洋式では得られない、懐かしい充足感で満たされていた。軽い足取りでサーバー室へと戻った俺は、晴れやかな気持ちで作業を再開した。肛門に軽いヒリつきを感じながら。ほんの少し、拭き残しへの不安を胸に抱きながら。
俺は、ウォシュレットによって清潔とスピード、そして安心を得ている。しかし、代わりに失うものもある。再び便意が訪れたとき、俺はどうするだろうか。きっと、ウォシュレット付きの洋式を選ぶだろう。便利だからだ。そしてウォシュレットで尻を洗い流し、ろくに糞の確認もせず、さっさと流してしまうだろう。感慨も何もない。残るのは空っぽの便器だけだ。
何かを捨てて、何かを得る。俺は便器を選択しているのだ。
削除しましたっつって削除済みのURLを事後に教えられても、何がダメだったのかわからんじゃないか。
ぐぐったらキャッシュ見れたけども。
消される事自体は仕方ないけど、こんな単発クソエントリまで徹底的に潰そうとしてくる人間に恐怖を覚える。
どんだけ粘着質なんだ。
お前の方がよっぽど怖いし気持ち悪いよ。
表ではすっげー明るく朗らかなキャラしてる人間が、裏では無表情でアクセス解析してエゴサしてアリ1匹の批判ですら見逃さずにすり潰すために目をぎらつかせているって考えるだけで戦慄するよ。
ブログ見て無邪気に応援してる人とかに知らせてやりたい。
でもここでid晒したらこのエントリもまた削除されるんだろうからできない。
口の中がカラカラに乾く。
変な動悸がしてくる。
こわいこわいこわいこわい気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い
帰宅して早々ブーンという羽音でギョッとして見ると、かの悪臭で名高いカメムシ御大がいらっしゃった。妙に角ばったフォルム、やけに鮮やかな緑色かと思えば汚らしい茶色だったりし、大発生して道路をうめつくしたりもする、あのカメムシだ。
私はカメムシが大っ嫌いで、生理的な嫌悪感はゴキブリと同等である。あの角ばったフォルムは到底仲良くなれそうにない。そのため速やかにここから退出していただきたかったが、あいにく彼らは非常にナイーブなためティッシュで掴むような無作法を働くと悪臭を放つ。本当に扱いづらい奴等だ。
まずは情報戦だとばかりにインターネッツのちからを借りると、ペットボトルを使ってカメムシキャッチャーなるものが作れるそうである。ペットボトルの中間あたりをカッター等で切断し、その上側をひっくり返して下側にはめ込むそうだ。そしてそのカメムシキャッチャーの上部をカメムシにかぶせるようにして壁につけたままカメムシの足元を崩すように移動させると、カメムシはカメムシキャッチャーの中に落ちてしまう。カメムシにとって足元を掬われることは無作法には当たらないようで、かのコリアンダー臭も発しない。上部をひっくり返してあるため返しのようになって、カメムシは未来永劫出てこれないのだという。
しかしはてな?これで捕まえたカメムシはどうやって逃すのだろう。そもそも逃すことは想定していないのだろうか。ペットボトル内に入って出られなくなったカメムシが息絶えるまで一緒に暮らすしか無いのだろうか。
一抹の疑問は浮かんだがこうしてつべこべ言っていても仕方がない、ようし作るかと目の前の空きペットボトルを持って移動したその先には使用済みの洗った紙パックがおいてあった。ずぼらなため、洗うだけ洗ったら放置していたのである。
これだ、と思った。カメムシキャッチャーと呼ぶにはあまりにも紙パックそのままだがさっそく紙パック上部を完全に開いて装備し、カメムシに接近する。要領はカメムシキャッチャーと同じでカメムシにかぶせるようにして、足元を崩すように壁にそって動かすだけだ。
へっぴり腰で天井に紙パックをひっつけて動かしているとカラカラという硬い音が紙パック内に響き、ナイーブの権化たるカメムシを脅かさずに穏やかに捕獲に成功した。この紙パックの良い所は、カメムシを逃すのに逆さまにするだけでいいということである。あらかじめ窓を開けておいたのですぐさま紙パックを逆さにして必死で振り回す。無事かの憎きカメムシにご退出いただく事ができた。
今年からはカメムシに怯えずに済みそうだ。同居中のカメムシを穏便に退去させる方法にお困りの方はお試しあれ。オチは無し。とっぴんぱらりのぷう。
私は、冬より夏のほうが好きだ。
真夏日の正午、ジリジリと肌を焼き付けて、かつ身体中をモワモワとまとわりつくような、あの空気感が好きだ。
鮮やかな空の青と、近くの街路樹や遠い山々が彩る濃い緑色から成る、あのビビッドなカラー・スキームが好きだ。
数多の蝉が、早朝、昼間、夕方、それぞれの時間帯を別々のレパートリーで美しく歌い上げる、あのコーラスが好きだ。
空が闇に覆われる直前の時計を見て、日の長さを感じるのが好きだ。
微かな音を立てて動き続ける扇風機と共に過ごす、寝苦しい夜が好きだ。
青紫の蛍光灯の下で有象無象の蟲どもがパチパチと音を立てる様子には哀愁を覚える。
早朝、早くに目が覚めた時の少し得した気分がまた良い。
これから短い秋を経て、今年も長く辛い冬がやってくる。
私にはこれほど長い冬は要らない。まだ夏を堪能していたい。
徐々に涼しくなりつつあるこの日々に、一抹の寂しさを覚えた。
自分の心に問うてみたら、幸せ度は相当に低まっていると言えてしまう実情。
好きな街に住み好きな仕事をして好きな仲間と好きな企画立てて遊びに行けた。
身近に大好きなことがいっぱいあって、それがあたり前だった。
そんな日はあたり前に続くと思っていたし
それでもまだ足りない、ぐらいに思っていた。
いま。
夫が作ってくれた夕飯を囲んでみんなでお風呂に入る。
もちろん、そのはずなんだけど。
なんでこんなに苦しいのか。
なんで心の奥がカラカラなのか。
でも、守ることをしなくちゃいけない。
この生活、家。
自由、仕事、みんな制限されたなかで繰り返す。
別人と認めざるを得ない。
どうしたら良かったんだろ?
どうしたらこの生活で充足感を得られるのか?
ステージは、変わったのか。
どんなに誇らしいだろうって羨ましく、まぶしい。
でもたぶんきっと
このアイデンティティークライシスをうまく乗り切ってきたとは思えない。
もっと話したい。肝据えてこれが私の選んだ生き方だと言いたい。
逡巡はまだまだ続く。
FF7でエアリスが死ぬシーンで、心が痛くて、指先がチリチリして、口の中はカラカラになって、もうどうしていいのかわからなくなっていたところで、お母さんが「早くごはん食べなさい!」と大声で怒って、「待って!」と返事しても、「さっきから呼んでいるのにいい加減にしなさい!」と更に怒らせてしまって、もうゲームやめようかどうしようかとオロオロしていたら、後ろで見ていたおじいちゃんが「エアリスはあとで生き返るからオーケーよ」と呟いたのを聞いて、もうどうでもよくなって、半分泣きながらけんちん汁を啜ったのはいい思い出。
あのときは、エアリスが死んでしまうし、お母さんから怒られたし、演出に騙されたと思ったし、いろいろな感情が混ざって、どうしてよいのかわからなくなった。
ここ数年の話なんだけど、ネット上で見かけない話を仕入れたのでご紹介を。
ダムあるでしょ、ダム。大抵は山の中にある。旅行のときに見かけるようなダムもあるけど、一般人が旅行くらいじゃ見かけないようなダムもいっぱいある。登山する人とか、奥地に入る釣り人やハンターくらいしか眼にすることの無いようなダムもたくさんある。もろもろのダムを含めて、ここ数年、ダムの水位が上がっているのだ。
ちょっと前までは、水の入っていないカラカラのダムはたくさんあった。渇水じゃない時でも。日本はほぼ全国的に降雨に恵まれているので、よほどの事が無い限り、しっかりとダムに水を貯めて置く必要はそんなに無かったりする(水力発電用は除く)。あんまり雨降らないし、そろそろやばいんじゃね?って時になってから、カラカラダムに水を貯め始めても大丈夫なレベル。つまり、ダムの水位調整ってのはそんなにシビアにやる必要はそんなには無かったはず。"はず"っていうのは、様々なダムを見てきている人達の実感であり、ダム運用マニュアル等を見ている訳ではないんだけど、もう何十年もダム周辺で遊びや仕事をしている人達の感じる事なので、事実であるとは思う。
その、そんなにシビアに調整する必要も無かったダム水位が上がるようになった。カラカラ状態のダムが無いのだ。それは何故か。降雨量が増えている訳ではないのに。
それはズバリ、事業仕分けではないかと推測されている。つまり、ルーズにやってりゃokなダム管理なんていらねーんじゃねーの?あんなカラカラなダムって必要あるの?ってやられちゃうとどうしようもない。事業仕分けだけでなく、普通の市民からも、あれいらねんじゃね?って話も出てくる。
だから、ダムにはある程度、水を貯めて、必要性があるっぽく振舞われているのだ。ダムってのは水をせき止める為にあるのだから、水が入っていなければならないって事。そうじゃないと素人が納得しないのだ。
だからなんなの?っていうと、ダムのキャパが小さく運用されるようになってるから、山間地で大雨が降った時に、例えば今までは、カラカラ状態から満水までの範囲で雨が受け止められてきたものが、早めにダムを解放して下流に流してしまう。すると当然、下流域の負荷が自然と高くなる。水位が上がる速さが速くなるのだ。温暖化の影響で、年間の降雨量はさほど変化していないのに、短時間豪雨の割合が高まってきている。だから尚更、カラカラダムも必要であるのに、仕事を減らされる事を恐れた人達がダムの水位を上げているのだ。
幸いな事に、今まで散々公共工事で様々な河川を護岸して来ているので、"ただちに"影響は出ないだろうが。。。
たぶん、ダム周辺でなく、下流域に住んでいる人で、よく川を見ている人達も気が付いていると思う。大雨が降ると川が濁る。ちょっとすると元の澄んだ流れになるんだけど、ここしばらくは濁りが取れるのを遅く感じていませんかね。ダムを大きく解放している時間が長いので濁りが取れないのです。
事業仕分けは多いにやるべきだし、クソ公務員は全員死ねば良いと思うけど、本質を見分けられないと今に大変なことが起きると思う。本当はすでに水位調整が適切で無かった為に起きている事故があるんじゃないですかね。
前略
これまで仕事が1年以上続かず、ここしばらくは実家に帰省しているだけの最底辺な女なのですが
半年以上、洋服を買いに行けていない
一枚買ったけれどそれはディスカウントの古着屋で400円だった
働いていたときだって収入は少なかったから、買うのは某量産洋服小売店で
枚数も多くないからローテションが早いそれらはすぐに褪せる、ほつれる
ちなみに下着も同じ有様
多少買ってくれることもあったけど、携帯代などを払ってもらっているので毎月は頼めない
綺麗にするつもりなのに洗濯機内で服はどんどん綻びてゆく
人の好意に最大限甘え続けて、周りをカラカラの西瓜みたいにしたころ(当然わたしカブトムシ)
成り行きで就職できることとなりました
とりあえず当分は月収が14万円
ひくーい
「アンツ」の蟻さんたちより視界がひくーい
久しぶりに社会の一組織に属するものですから、手取りなどが分からないのですが
その内、携帯代などの必要経費、周りへの借金の返済などに充てれば
ネイルサロンに通って、
髪の毛を巻いて、
履き心地のよく、それでいて見栄えのする靴を履くのでしょう?
これから収入が増えても、わたしのワードロープは彼女たちより充実することはない
彼女たちのこれまで集めてきた、積み上げてきた洋服や靴や鞄があるのだから
本当に、これまで一所懸命に働いてこなくて、申し訳ございませんでした
「こんな情勢で正常な精神を保っていられる方が、どうかと思うよ」っていう友人の言葉が何故か耳にこびりついて離れないのだけれど、大学4年間+院浪一年→滑り止め別研究科に行ってしまった僕は将来が怖い。元々身体も精神も弱く、一応それなりには折り合いをつけて二十年間生きてきたつもりだった。けれど、ここ2,3年、辛い。
何が辛いのか良く分からない。自分の無能さも大学入った後から、いや入る前から十二分に理解していたし、自分自身に希望だとかを抱いた覚えは無い。何か取り柄と言えるようなものは無いから、まあせめて大学四年間は良い友達を作ってそれなりに楽しく過ごしていこうって思っていたはずだ。
もしかしたら、院に行こうと思ったのが間違いだったかもしれない。四年過ごした後の皆の進路は8割以上が大学院進学で信念も何もない僕はその流れに乗っかってふわふわと河の流れに身を任せて思考を放棄してただ何となく多数決の理に従っているような感じでそちらへと流れた。
結果、院浪。
日本の経済状況の方がまだマシじゃあないかい?って思える程度の数学力と、そこら辺の学部生よりかは多少マシな程度の専門の知識じゃ、落ちる方が少ないと言われる院に通ることもままならなかった。そうだ、僕はクズだったんだ。
まあ、そん頃にはリーマンショックで悲惨な就活幕開け第一弾、シュウカツイマサラヤッテマニアウノ?友人の言葉や親の言葉。ごめん院浪させて頭下げる。
けれどまあその時でもバイトして生活費稼ぎながら何とか過ごせばいいかって多少は楽観的な思いを抱いていて、その幻想がぶち壊される。生活費稼ぎながらの院試の勉強が、ヤワな甘ったれた精神の僕と身体では耐えられず結局第二志望の所へ。
まあ、それでも。何とか第二志望に受かったから僕は荒縄を買いにホームセンターに行かずには済んだ。けれど、この無駄にした一年間分僕はどう受け止めたらいいどう消化したらしい分からなくて苦しい。
浪人経験者の人は言う、それでも目標目指してきた時期が無駄とは思わない、って。けれど、僕はそこまでの信念を抱いて院を受けた訳じゃないし、研究が向いていないと分かっていながらそちらに行ってしまったのだ。いや、でも僕はも少しだけこのアカデミックな空気に触れていたいってぼんやりと思っていたのは確か。分からない、最初の頃僕は、本当は何を考えて院を受けようと考えたのだろう?
いまさらになって「大多数が進学してたから」なんていう理由であって欲しくなかったと現実に目を背ける僕自身が嫌でたまらない。
就職が怖い、社会が怖い。学部の卒論だって半年はあれだけ死にそうになって、振ればカラカラ鳴るような頭を必死に動かして、何とかギリギリ間に合ったのだ。「学生時代よりよっぽど社会に出てからの方が辛い」っていうけれど、意識なくキーボードを叩いているような毎日が社会に出てから続くようになったら僕は理性を保つ自信はない。
ただ、救いは。何も取り柄のない僕でも、まだ今、生きていられる程度には、社会が寛容であるということ。願わくば、もう少しの間だけ生かせて下さい。それまでには、きっと、ちゃんと自分の足でこの脆い身体と脆い精神で歩くようになりますから。
http://www.nhk.or.jp/kabun-blog/100/75183.html
さっきも放送見ながら若干気になってたんだけど
>水が足りなくなって少なくなったことによって発生した水蒸気が、この格納容器の外側の建屋との間の空間にでまして、そこで、その過程で水素になっておりまして
このコメントが若干気になるんだよな
水の熱分解温度って一般的な条件で3500度とか4000度くらいなのよね
もちろん条件によって全然違う数字になるんだけど、どんな状況になってるか気になるよな
建屋内はともかく、原子炉の容器内はものすごい圧力になっていて、水の沸点も上がり、
それが建屋内に漏れて(というか原子炉容器の温度が高くなり)、
>の推測どおり、建屋内がとんでもない温度条件になっていることが考えられる。
水素が発生する事自体がとんでもない条件じゃないと起こらない