はてなキーワード: イカとは
スターを気取っちゃいるが、「感動()」とかいうメディアがでっち上げたイメージしか売り物がない虚業に過ぎんのさ。
冷静に考えてみてくれよ。
9回裏2死満塁でホームランを打ったとして、それで誰かの飢えがなくなるか?社会は便利になるか?病人は救えるのか?街に落ちてるゴミの数一つ減らないだろ?
いじめられっ子が勇気を貰ってどうこうなんてお決まりの大嘘があるが、生まれつき才能がある筋肉ムキムキの連中がチヤホヤされるのを通して与えられるのなんて虐める側に都合がいい優生思想の方じゃねえのか?
スポーツを通して世に振りまかされる試合で負けたやつは何をされても文句は言えないって価値観が、世の中にいる弱者に対して与えられるはずだった優しさをむしろ奪っちまってるようには思えないか?
負けた奴には何をやってもいい。
勝てなきゃ意味がない。
そういった考えがパワハラを産み、モラハラとなり、そして皆で苦しめあって、弱い人間同士ですら更に弱い相手を攻撃する原始時代のようなものを世界に広げているのがスポーツの実態じゃないのか?
結局スポーツマンってのは、一瞬の快楽を提供した対価として金をもらっている大道芸人、河原乞食の一種に過ぎないのさ。
結局はスポーツメーカーやテレビが宣伝に使うためのピエロだな。
そういや「e-sportsはスポーツかどうか」っていうウンコに含まれるコーンやイカの骨はウンコの重さとして数えていいのかみたいなクソ議論がたまにあるが、何が違うのか俺には全く分からんね。
どっちも金の稼ぎ方は一緒だろ?
インストラクター、大会賞金、器具の宣伝費、広告塔としての直接契約、投げ銭乞食、まあどれもこれも見事に社会を直接豊かにする実用性の面ではイマイチピンと来ないものばかりだねえ。
そんな連中が大手を振って我らこそ最も優れた人類なりって面をするのを許してきたのが、オリンピックという大間違いがここまで拗れちまった原因だよ。
ずっと君に伝えたかったことがある。どうか俺たちも、ラップでバトルをさせてくれないだろうか。
このことを言いたくて言いたくてずっとモヤモヤしていたので、今日は匿名で吐き出せる場所をお借りして、ヒプノシスマイクくんへの思いを伝えたいと思います。
ここ数日(いや数ヶ月)、ヒプノシスマイクのオタク界隈はザワザワしている。バトルシーズンだからだ。
今でこそ、界隈はそれなりにザワついている。けれどヒプノシスマイクくんはバトルシーズンの手始めに、高いクオリティと圧巻のパフォーマンスと配信であることを生かしきった演出と、何より演じている方それぞれの魂がこもった素晴らしいライブを見せてくれた。
昨年3月、コロナウイルスの影響によって配信にならざるをえなかったライブだって、もちろん素晴らしいものだった。でも今回のライブは、バトルであるという特性上「勝ちたい」という演者の方々の思いがビンビンに伝わってきて、その熱量とか気迫にグワッと心を掴まれるものだった。画面越しなのに、こんなに熱くなれる、こんなに泣いて笑えるエンターテイメントがあるのか。そんな風に思わせてくれるライブだった。
この配信ではじめて聴くことになった新曲たちも、そのチームらしさが全開だったり、逆に今までにない曲調や歌詞だったり、心を鎮めないと冷静に聴けなかったり、逆に中毒になったように再生してしまったり、「待ってました!」と手を叩いて喜んだり、逆に「こんな風に来るの!?」と度肝を抜かれたり、どれも本当に最高だった。
それぞれのバトル曲も、言葉の応酬と韻の踏み合いとそれぞれの信念のぶつかり合いを感じられて、どれも違う味わいながらも、たしかな満足の得られる仕上がりだったと思う。
視聴期間中、毎朝毎晩繰り返し観てもまだ足りないぐらい、プロフェッショナルによる最高のエンターテイメントを存分に味わわせてもらうことができた。関係者ご一同には、本当に頭が上がらない。早く円盤購入という形で感謝を伝えたい。
そしてここでは、観た人がどちらかのチームに一票を投じることができた。ひとつのライブにつき一票。単純明快で、シンプルな仕組みだった。
「良すぎて選べない」という贅沢な悩みこそあれ、最終的に投じる票はひとつしかない以上、どちらかを選んでボタンを押すしかできなかった。
そしてこの時点で我々は、この一票が後に控えた投票形式での「一票」と同じ重みとして扱われるのかどうか知らなかった。(と、記憶している)いま思うと、それが不穏な空気の前触れだったんだろう。
最高なライブの余韻の醒めないまま、現金を投票券に換えてCDを積む形式のバトルが始まった。
前回のバトルでは、街からCDが消えたとか、相手チームのファンを装ったアンチが偽装工作をするとか、「〇〇のアニメイトにはもうCDがありません!」みたいな虚偽の情報が流れたりしたらしい。それは怖いな、と思っていたけれど、個人的な印象では、案外そうでもなかった。
後から判明したところによると、「サイレント投票」といって、相手方に悟らせないように黙々と積むことが推奨されていたらしい。投票期間が終わると、「微力ながら〇票を投じました」というCDタワーの画像がタイムラインに乱れ咲いていて、なるほどこれが令和のバトルか、と思った。
まあでも、外から見ている分には、比較的穏やかなまま過ぎていった期間だったように感じられる。
そのCD積みバトルが終わった段階で、中間発表をするのだと言われていた。
正直、なんでだろうとずっと不思議だった。戦いの火蓋が切って落とされた当時、我々は三次投票にあたる「VRバトル」の詳細を知らなかった。MAX一人6票らしい、というような情報はあったかもしれない。
とすれば、中間発表で僅差でも大差でも、ファンの母数が急激に変わらない以上、結果に大きな影響は与えられないだろうに。それなら、たくさんCDを積ませるためにライブでの投票が終わった時点でいちど結果を出せばいいのに。
不思議なことをするなあ、という疑念を抱きつつ、「VRで積めない可能性があるなら、実質CDで勝負するしかない」と覚悟して積んでいる方々を見て、そういうものだろうかとアッサリ流していた。
で、中間発表があった。大差のついた戦いと、僅差の戦いと、逃げ切り/逆転を狙いたくなるような戦いがあった。(これ、あまりにも綺麗な分かれ方だったけど、ヒプノシスマイクくんの予想通りだったんだろうか)
そして中間発表と前後して、「VRでも積める」ことが判明した。しかも、一票あたりの単価が最もお得だ。(ライブはたしか四千円ぐらい、CDが二千円、VRは千円)そして、金額によって票の重みが変動することはないらしい。たぶん。
阿鼻叫喚、ってこのことか、と思った。タイムラインを眺めていると、めちゃくちゃに人間の感情が乱高下していて、見ているだけで酔いそうな感覚になるほどだった。
すでに(単純計算で)十億円を超えるカネが動いていて、その上まだ、ヒプノシスマイクくんは人のカネと感情を動かすつもりらしい。
せめて少しでも巻き返したい、という気持ち。
なんとか逃げ切りたかったり、猛追して逆転したかったりする気持ち。
同じチームを応援する者同士の連帯感が高まる一方で、自陣への不信感を募らせたり、相手方への攻撃に転じたりする心情だってある。そして、今まで投じてきた票の意味を自問したり、疲れて何かが折れてしまう気持ち。
金銭によるバトルをはじめて間近で見る身として、ものすごい世界だなあと溜め息が漏れた。
中間発表の形式やタイミングは、ここまできて振り返ると、それなりの合理性があったのだろう。
単に「VRも始めたからみんな観てね」って言うよりも、ずっと効果的に多くの人にアプリのインストールやプラットフォームへの会員登録をさせられる。
「現金」や「CD」という物理空間での制約を受けない形式での投票は、よく言えばエコだし、わるく言えば金銭感覚をより麻痺させる。
「中の人」を表に出して結果を発表するグロテスクさだって、結果的にはこの札束バトルを過熱させる要因のひとつになっている。
ごく個人的見解では、収益化のうまいコンテンツは見ていて信頼できる。そういう意味で、カネの集め方や人の心理の誘導の仕方として、ヒプノシスマイクくんには一定の信頼を置いている。そのうえで、私は思うのだ。
ダッセーーーーー!!!!!
と。
ダサい。あんまりにもダサい。やってることが格好悪い。ヒップホップってもっとイカした世界観じゃないのか?ここは昭和でも平成でもなくて令和、あるいはH歴じゃないのか?なんでこんなダサい商法を、君は性懲りもなく続けられるのか?答えてくれ、ヒプノシスマイクくん。
ヒップホップとか、ラップミュージックの歴史にあまり明るくない人間でも、少なくともこのジャンルは「富める者によって独占されるべき音楽」ではないんじゃないかと突っ込みたくなってしまう。資本主義が一番偉いから、カネや地位や権力のない人間は虐げられて一生地べたに這いつくばってるべきだっていう世界に反逆できなくて、何がペンは剣よりヒプノシスマイクなんだ?教えてくれ、ヒプノシスマイクくん。
私には純粋に、それが疑問なのだ。コンテンツの維持にはお金が必要なのは百も承知で、それでもなお、音楽(あるいは魂)の在り方と商法の相性が悪くて、これじゃああんまりにもダサいんじゃなかろうかと思ってしまうのだ。ダサすぎて仕方なくて、コンテンツとして廃れてしまうんじゃないだろうかと思って、そこに私はずっとヒヤヒヤしているのだ。
だから、私は提言したい。せめて、俺たちもラップで戦わせてくれ!と。言葉がいまやマシンガンであるなら、ライムが脳漿をかき回せるなら、金銭以外のフィールドでも戦わせてくれないだろうか。
たとえば、CDを買ってシリアルコードを使って普通に投票すると、それは一票としてカウントされる。でも、リリックを添えて投票すれば、それが二票としてカウントされる。そういう仕組みはどうだろう。
こういう仕掛けなら、お金はあるけど時間のない人は、CDをたくさん買って黙々と投票すればいい。逆に、時間はあるけどお金のない人でも、リリックを練り上げることで力添えができる。今までたくさんヒプ生で学んできた知識も生かせるし、日本語を母語としない人でも参加できるんじゃないだろうか。
日本語ラップは押韻判定が難しそうだけど、それを見極めるために人が雇われれば雇用の創出になるし、AI的なシステムを作ればラップの発展に貢献できるかもしれない。
今までプロとして歌詞提供してきた方々も、ひょっとしたら参戦してくれるかもしれない。それを見て、まだヒプノシスマイクに触れたことのなかったラッパーの方も、面白いと感じて参加してくれるかもしれない。総力戦である。
こうなってくると、同じ「二票」になるのなら、CD二枚を買うのではなくてリリックを考えることを選択する人も出てくるだろう。演じている方への愛を伝える手段としても、体温のこもった一票を投じることができるというのは、悪い選択肢ではないはずだ。
それで、できれば、そうやって集まったリリックを選び抜いて、それを楽曲に使ってくれないだろうかと思うのだ。
それもまた、想像すら及ばないほど難しいものなんだろうということは、今まで世に出てきたヒプノシスマイク楽曲を聞いていればわかる。一連の曲の中で無駄なフレーズなど一つもないほどに、リリックというのは緻密に組み上げられているのだ。
でも、たとえワンバースであっても、自分のリリックが使われるかもしれないという可能性が見えていたほうが、ずっと張り合いがあるしドリームがあるじゃないか。CD一枚、二千二百円に全身全霊をこめたリリックを乗せて票として投じて、それが「推し」のパンチラインになるかもしれない。そんなビッグドリームを抱けずして、何がヒプノシスマイクなのだろう。
ラップミュージックは、その人の人生を背負う音楽なのだという。だとしたらやはり、キャラクターへの愛やヒップホップへの造詣の深い人がより力を持つ投票の仕掛けとしても、リリックバトルをやってみてくれないだろうか。きっと面白いだろうから。それで盛り上がる世界を、私が見てみたいから。そんなムーブメントを巻き起こせるだけの力がヒプノシスマイクくんにはあると、私は特段の根拠もなく信じているから。
数年後には、「来たぜホンモノのDRB(絵文字) 燃やせ闘志入れてけよ気合い(絵文字) リリックバトルこれこそ新時代(絵文字)」みたいなフザけたお知らせとともに、本気でリリックバトルをブチ上げて欲しい。そういうヒプノシスマイクくんであってくれると嬉しいなと思っている、一人のファンの気持ちでした。
なんだかんだ言いつつも、私はこのバトルシーズンをそれなりに楽しんでいるので、まずは今のバトルの結果を最後までキッチリ見届けたいと思います。
日本には昔から疫病の流行を抑えるために人間が座禅を組みながら眠っている巨大な銅像を建てる文化がありまして
そうお思いになるでしょう。
違うのです、あれが、アレこそが我らが神の偶像化でありまして、もし貴方がアレをイカだと思ってしまったのならそれは貴方は普段から人間がイカにしか見えていないのです
そして、貴方が人間だと思い込んでいる存在こそが貴方の生活を脅かす悪魔達です
彼等も貴方が見たイカと同じような姿ををして海に潜む恐ろしい化け物でした。
そいつらは貴方のような人間に擬態をするのが上手なだけではなく
嗚呼、これを貴方に伝えなければいけないことはとても心苦しいことなのですが
貴方の身内を食肉に変えて貴方に食わせることが彼等の趣味であり、至極の喜びなのです
ですが、やはりそのままでは貴方の家族をあなたに食させる事など不可能です
私はそう言いました。
本当に、本当に申し訳ありません。
ですから、アレは、
あの神を模したモニュメントは、
そして、貴方と同じように家族を食わされた哀れな人々が亡くなった家族に祈る為に作られたモニュメントなのです
その祈りが届いた頃やっと、貴方がイカだと思ったモニュメントが人の形を取り、その姿を現すのです
我々日本人は、あの悪魔の生き物を食らう術を知っていますが、それでも、それでも我々はあのイービル…デビルズフィッシュを退治しきれていないのが現状です
我らが神の力を持ってしても疫病も悪魔も退治しきれず、まずは信者の心の中から救わなければ何も始めることができないのです
ええ、ですからあのモニュメントに祈ることでこの世界から悪魔が、あのタコが消えてなくなることでしょう
あのタコさえ
許せぬ
許せぬ
あの忌まわしい姿を見て怯えてしまう我等が許せぬ
数年前に適応障害+睡眠障害+うつで精神科に行って、発達が発覚した。今は事業所行ってて、自分の世話に精一杯な失敗作。
姉は生活リズム合わない仕事してるから消去法で私が家事家庭全般やらされてる。
事業者入ってからはそれこそ家でやることなくて転がってたのとは全く違い、帰ったらクタクタ。
むしろ技術系斡旋のとこに通い始めたおかげで自分がやりたかった仕事でツテが増えてきた。嬉しい。
男尊女卑、女なんだから〜、女は〜、普通は〜、一般家庭では〜が口癖。
そんな親だから家事をほったらかし始めた途端、わかりきってたが嫌味を言われ初めた。 女なんだから家事は当たり前とか、普通の家庭なら女の子がすることでしょとか。
それが原因でとうとう先月末ごろの通院時、勤務困難レベルの鬱診断をもらってしまった。
『出来れば辞めずに誰かに頼って家を出るのが良いけれど』
と言われるレベル。
そんなこと言われてもなぁ。そんなんいたら精神イカれる前に人に頼ってるんだよな。
父親にそれを言ったら好きしなさい。とか一瞬寛容なフリをしながら、話していくと金もないくせに、食費を保証されるんだぞ、俺を捨てて好き勝手生きるんだな?とか言ってくる。
頭の回転がクソ雑魚なので頑張って調べても自立の支援系が引っかからない。
イカのゲソ足揚げが食べたくなるやで
世の中大変なことになってるなあと思いながらぼけーーーーっとネットやらテレビやら見て、好きな時にシコって飯食って寝て暮らしている。
俺は障害者だ。頭の方の。もともとアスペルガーだか自閉症だか知らないが、よくわかんねえけどとにかく一回就職して、働いて、しばらく耐えて、ぶっ壊れた。
そもそも生まれたときからおかしかったんだよ。だって生後3年間意味のある言葉をひとつもしゃべらなかったっていうんだから、そりゃおかしいよな。
親も医者に相談するなりすりゃよかったのだが、自分の子供がそういう子だと認めたくなかったんだろう、心療内科の類への来院歴は全く残ってなかった。(これ障害年金請求するときに調査が入るらしいのよ。そういわれたってだけだからほんとかは知らんけど)
小学校に上がっても「変わってるね」「おかしいよ」「あいつ面白いぜ」なんつって珍獣扱いされてちょっかいかけられてたし、学校の窓を蹴って割ったりとか人を殴ったりとかで停学食らったりして、まあとにかく、ずっと前からおかしい人だったらしい。
こんな自分語りの場で自分のことをちゃんと説明できないっておかしいだろって話なんだけど、俺も俺がどういう状態の人間なのか説明できないんだよ。ほんとに。
怒りのスイッチが人より過敏で一回入ると止まらなくなるっていうのがあるらしい。前頭葉がどうのこうの言ってたけど、わかんねえな。忘れた。
それでも一回は「このままじゃだめだ、まともになろう、真人間になろう」って言って奮起した18の自分を本当に褒めてあげたい。会社入って働いて、それで一回イカれちゃって、体調はさらに悪くなったけど、
おかげで会社員やってた経歴が残って、障害年金が障害厚生年金になったからな。この差は大きい。
これだけで、働かなくても、一人で生きてけてしまうんだ。
霞食ってぼーっと生きてて週に一回医者に掛かって、もらった薬を飲んでれば、最低限飯食って便所でクソして寝るくらいはできるようになったんだ。
完全におかしくなってたときは外でクソ漏らすことがよく有って、マジで恥ずかしかったし、あれほど「俺はこの世界からしたら異物なんだ、いるだけで迷惑なんだ」と思ったことは無かったね。
こういうの家族に言うとさ、「お天道様に申し訳ないと思わんのか」「働きもしないでよく外に出れるな」って言われるんだけどさ、
バイトとかけっこう申し込んだりもしたよ?受かんないんだよ。ほんとに。
まだ障害者手帳貰う前の就活のときも苦労したよなあ、きちがいを見る目で面接官が俺を見てたよ。エントリー!エントリー!エントリー!エントリー!お祈り!お祈り!お祈り!お祈り!
親とはもう何年も会ってねえなあ。コロナのおかげで会わない言い訳が楽で助かるよ。
医者に聞いたんだよ、「僕の病気はいつか治るものなんでしょうか」って。そしたらお医者さん正直だね、「貴方の障害は治るものではありません。投薬治療によって少しずつ波を収めて、生活が可能な範囲に症状を押しとどめることしかできません」って。
そら一生治らん宣言じゃねえか。まあでも中途半端に「頑張れば治ります!」とか言う医者よりは絶対誠実だね。俺はあのお医者さんのことは好きだよ。
まあ何が言いたいって、俺はもう世の中の仕組みから外れてしまったってことで。
ずっと普通じゃない、おかしいって言われてきた、そういう中で公的な制度から「君は障害者だ」って言われて、二か月に一回〇〇万円支払われる。で、この障害はなんかマジで治らないものらしいから、つまりは一生もらえるわな。国が年金制度やめます!って言うまで。
さすがにやめるとは言わねえだろ?超高齢者社会、老人のほうがエライ(選挙の影響力的な意味で)国で。まあだから俺みたいな障害年金受給者は、老人様の威光にあやかるコバンザメだわな。
これつまり「手切れ金」だろ?
社会はあなたとは違うスペックの人間を基準に作られています。そこに明らかに違う形のあなたが入ってこられると上手く回りません。
だから、これだけ支払いますから、私たちの社会に入ってこないでください。邪魔なので。そういうことなんだと理解したよ。
まあそりゃそうだよな。みんながガンプラ組み立ててんのにひとりゾイドの部品持ってきたら「居ないほうがマシなんだけど」ってなるよな。
何の不満もなくのんきに生きてるよ。週3日くらいは布団から出られないけど。
医者以外誰とも会わない。友達?いないいない。無理。彼女?3次じゃボッキしねーんだわ。いやこれはまじで風俗で試したんだけど、どうあがいても生身の人間で興奮できない。AVとかも無理だね。
障害者になってよかったのは美術館がタダなんだよな。ぼーっと見てられるわ。
映画館とかも割引で見れるのよ。「罪の声」よかったわ~。
こんだけ露悪的な文章書いてると「こいつクソだな」って思われてそうだし、「周りの人間皆嫌いなんだろうな」とか思われてそうなんだけど、実はそうでもないんだ。
俺に親切にしてくれるあの医者は好きだし、
良く行く飯屋のおっちゃんに顔覚えられちゃって、話しかけられたら「不景気ですねー」くらいの話はするし(俺景気のことなんかわかんねえけど)、
こんなコロナだかでその店がつぶれておっちゃんが悲しい思いしてほしくないって思うから、結構頻繁に通ってる。
美術館で飾ってある美しいものを見ると「こんなすげえもんを今よりずっと不便な時代に作った人が居たんだなあ」って感動したりもするよ。
こないだ図書館で「容疑者Xの献身」を読んだんだけど、超面白かった。こんなすげーもん作れる人は超儲かっててほしいと思って調べたら、東野圭吾ってものすげえ大ヒット作家なのな。自分の無知が恥ずかしいわ。
怒りのスイッチがどうのって最初書いたけどさ、なんか感動のスイッチも同じくらい簡単に入っちゃうみたいでさ、もう最近は漫画とか映画とか小説とか音楽とか良いものに触れるとすぐ泣いちゃう。
そのたびに「ああ、俺って生まれてきてラッキーだったんだな」って思うんだよ。
昔はちょっかいかけられたり会社で詰められたりして落ち込むたびに「しょうがねえじゃん、おれはなんでかしんないけど皆みたいにうまくできないんだよ」ってキレてたけどさ、
その「皆」が頑張って作った社会があるから、俺みたいな異形がのんきに生きてられるんだって思うようになってさ、じゃあまあ、いつまでも恨み言言いつづけることもないかなと思って。
だからなんか、なんていうか。
ジョージ・フロイド氏の殺害で起訴されたデレク・ショービン氏の裁判に関する覚書。
計画性のない殺人。計画殺人だと第一級になる。上限は禁固40年。
殺害の意図が無い場合の規定もあり、ショービン氏に適用されているのはこれ。
フロリダ州、ミネソタ州、およびペンシルベニア州にだけある殺人罪(他の州では別の名前って場合もある)。
ミネソタ州では「人を死に至らしめることを意図せずに、人命の価値に対する極端な無思慮という邪悪な心情(a depraved mind)および他者に対する非常に危険な行為への従事によって、他人を死に至らしめる」こと。上限は禁固25年。
ミネソタ州では「過失により(他者にとっての)不当なリスクを生み出し、意識的に他人に死または重大な身体的危害をもたらす危険を冒すこと」。上限は禁固10年。
ジョージ・フロイド氏の検死は別々の医師により2回行われている。
ミネアポリスのヘネピン郡の病理医および主任監察官。5月26日に検死を行い正式な調査結果は6月1日に発表された。
フロイド氏の健康状態は特に循環系で悪く(動脈硬化、高血圧、心肥大等)、警官の制圧行為(頸部・背部への強力な圧迫)によりこれが悪化し死に至った、というのが検死の最終的結論であり、これは殺人であると認定された。
ただし、検察に提出した予備調査結果が5月29日に公表された結果、不完全な情報が独り歩きしてしまった。
「世論の圧力で検死結果が変えられた」的な陰謀論はこれが原因だろう。
フロイド氏の家族が検死を依頼した。6月1日に結果が公表された。
制圧行為が死因になったことはベイカー医師の検死結果と同じだが、より踏み込んでベイカー医師が断言していない頸部圧迫による扼殺を主張している。
ベイカー医師の検死より利用できたデータが少ないため信頼性は劣るが、最終的な結論は同じである。
「ジョージ・フロイド氏に手錠をかけてうつ伏せにして、でも膝で押さえつけたりせずにただ放置していた場合でも、彼は死んでいたのか?」という問いに検死結果は「No」と答えた。
白人6人、非白人6人の計12人。BLMや警察への傾倒が強すぎる人は除外。事件現場の近所に住んでた黒人も除外。民事裁判での和解で意見が変わった人も除外。etc.
本当は事件のことを知らない先入観の無い人が好ましいが、そんな人はいないので選ぶのに苦労したそうだ。
第二級殺人罪、第三級殺人罪、第二級故殺罪のすべてで有罪判決。量刑は最大で禁固40年。
8週間以内に量刑の審理が始まり、その結果で最終的な量刑が決まる。ミネソタ州のガイドラインだと12.5年くらいになりそうだが、検察としては15年以上を期待しているそう。
検察側証人38人に対し弁護側は7人。しかも後者の反論がよろしくなかった(後述)。
検察側証人には多数のベテラン警察からショービンの上司、訓練教官までが含まれており、彼らはショービン氏の制圧方法が標準的なそれとはかけ離れていることを証言した。
ショービン氏の受けた訓練記録も提示され、それではうつ伏せで手錠をかけた場合は窒息を避けるため速やかに回復体位をとらせるべきとされていた。
弁護側証人でこれに反論したのは1人だけで、彼の制圧は正当で合理的だと主張したが、「テーザーガンで撃たれた人が倒れて頭打って死んだら、それは殺人じゃなくて偶然の死」と雑なことを言ってしまったため印象悪し。
先にも言った通り、警察による制圧とフロイド氏の死の因果関係は公的に認定されているが、それを覆せる証言は弁護側からは出てこなかった。
検察側証人からはフロイド氏の血中の薬物の濃度が死亡には程遠い事(死亡者のそれの8分の1程度)や、過剰摂取者では通常みられない代謝産物が検出されたため、薬物による死亡は考えにくいことが示された。他にも低酸素による死亡を支持する医師も多数。
また、弁護側証人の「フロイド氏は健康状態と薬物使用とパトカーの排気ガスで死んだ。制圧は無関係」という主張も、検察側証人の再反論(血液検査では排ガス中毒の痕跡はない)で潰されている。
弁護側は2019年にフロイド氏の逮捕された時の映像を見せて「彼は警察に対してパニックになって偽り(faked)な対応をするパターンがある」と指摘して彼の「息ができない」等の発言が虚言であることを示唆した。
正直に言うと陪審員の弁護側への印象ガタ落ちでは?なぜこんな戦略をとったのか謎。
「息ができない」が嘘なので窒息死も嘘って言いたいのか。でも証人の証言がそのラインにあまり乗ってないのでは?:
2019年に逮捕した元警官「手を見せろと言っても従わなかったので銃を向けたが、彼はひどく神経質に見えた」
2019年の逮捕時に健康状態を見た救急隊員「高血圧で脳卒中リスクがあった。あと鎮痛剤使ってた」
SUVの同乗者「フロイド氏はカップフーズ(逮捕される時にいた場所)で居眠りしてた」
ミネアポリス公園の警察官「(フロイド氏の拘束現場の)群衆は警官に対して非常に攻撃的だった」
ミネアポリス警察の医療支援コーディネーター(質問を受けて)「フロイド氏が興奮性せん妄の可能性はある。興奮性せん妄が急な心停止を引き起こす可能性はある」
残りの2人は上で言及済み。
7人全員集めても何言いたいのかわかんないのは凄い。統一感ないぞ。
検察側も褒められたもんじゃないけどね。イメージ戦略。逆方向で。
フロイド氏の遺族や彼女はまあいいが、目撃者の9歳女子はダメでしょ。実際証人として除外されたし。
デレク・ショービン氏はジョージ・フロイド氏をうつ伏せにして後ろ手に手錠をかけた後、7分以上頸部を膝で圧迫した。そしてフロイド氏は心肺停止に陥り死亡した。
そして……
目撃者からの足を退けるようにとの要望も無視あるいは拒否した;
死亡は薬物によるものではなかった;
死亡は膝による頸部圧迫によってもたらされた;