はてなキーワード: ぼんやりとは
べきが共有されてないからだろうな。
あとぼんやりと甘んじて叩かれろって場合もあるかもしれないが、
10連休中ぼんやりを人生を振り返った。こういった要因でタイミングを逃したりズレてしまっている。
意識できないほど全力でやれば結果が出るが、良い意味でも悪い意味でも期待やプレッシャーがかかると勝率が下がる。
ストレスやプレッシャーから逃げてしまう。逃げ癖とも言われている。
今だ!ってタイミングで、気持ちが乗らない。だるい。天候や体調が悪い。また今度にしようか、先延ばしを考えてしまうが
こういう時こそがんばると後々やっといてよかったと思えることが多いので良いタイミングサインだと思ってやるようにしている。
急に退屈に耐えきれなくなったり、ゲームのことを急にフラッシュバックしてしまうと、ゲームが我慢できなくなってしまいゲームに手をつけてしまうと、日に日にプレイ時間が伸びてやめられなくなってしまう。
止めるためには、数日間ゲームに触れない。禁断症状はつらいが数日で消え失せる。
衝動的にならず、目的を決めてほどほどにやれればいいのだが。今できていない。
この3点だろうか
脳がどんどん死んでいくのを感じる。
社会人になって、何年目だろう、それすらすっと思い出せない。22の時に四年制の大学を卒業してもう6年になる。
サザエさんの歳をあっという間に追い越して、女の旬と言われる25歳というステータスも特に有意義に使うこともないまま28歳になった。楽しみといえば仕事から帰ってソシャゲの無料10連を引くことだけ。
土日は昼過ぎまで寝て、起きてスマホして、お金もないから遠出も遊ぶことも出来ず、また月曜日に来月の家賃と光熱費、年金、カード決済の支払いをするための給料を稼ぎにバイトに行く。
そんな生活をかれこれ6年続けている。
何か身動きを取ろうにも、抜け出すには体力と気力と、確固たる信念、なにより勇気が必要で、そんなスペシャル必殺技みたいなものを、学生時代に使う機会なんてひとつもなくて、吐き出し方がわからない。
「こんな人生嫌だなぁ」とぼんやり思ったまま、わたしはきっとこういう人生をこの先も歩んで行くんだろう。だって6年間もそういう人生を歩んできたのだから。
この間、いつものようにツイッターを見ていたら、渋谷すばるが関ジャニを抜けて、ソロアルバムを出すニュースが流れた。
私の関ジャニに対する知識ってそれほど無いけど、ジャニーズの中ではもうそこそこの地位を築いてて、人生で言うと大手会社勤めの部長クラス。更にマンション住み既婚子持ちくらい安定してるんじゃなかったか。
それなのにそこを辞めて、海外行ってソロアルバム出してってどんなだよ。怠惰な生活を続けている私には、異世界の住人の考えにしか思えない。
人生の節目で今の人生どうしたらいいか考えた結果、脱サラして蕎麦屋やるみたいな、しかも超人気のアイドルが?どんなだよ、まじで。
その「俺は必ずこの道で結果出すから、やりたいことやる」っていう確固たる信念、自信、勇気って一体どこで身につけるの?
その必殺技どうやって吐き出すの?私それ履修してない。あ、だからいつまで経ってもこの生活してるのか。
こんなスマホに依存して、ツイッター消したと思ったらまた無意識に手癖でツイッター開くような人間だもんな。
毎日更新されるYouTuberの動画を観て、神絵師の絵にいいねして、あたかも自分がすごいかのようにRTして、それをフォロワーがいいねしてくれるのを存在意義にする。
与えられたものをひたすらに、にこにこしながら食いまくってる怠惰な巨漢。
今よりももっと脳も死んでいくだろう。
何故なら繰り返しのなんの刺激のない毎日は脳を萎縮させるのもあるけど、ネットには考えなくても誰かの意見が落ちているから、だんだんとリアルの自分も誰かの言葉で話し始めているのを感じる。
自分が何が好きで、どれをやりたくて、どんな考え方をするのかわからない。
私は、何になりたくて、どんな人間になりたくて、ここまで生きてきたんだろう。
ただただまとめサイトの意見が多い方に賛同して笑う人生を過ごしたかったのか?
溶けてく、だんだんと。脳も自分も溶けてく。人間の肉体が死んだらどんどん溶けるって聞いたことあるけど、きっと精神もそうなんだろうな。
だからといって、どうしたらいいかわからない。どこから始めたらいいのかわからない、身動きが取れる気がしない。
ただただ、脳が死んでく。
明日も仕事だ、それで休日は疲れて起きれない、未来予想、必ず当たる。1日でも自分の予想を裏切る日をつくりたいとこれまたぼんやり思うのだ。
就職活動が始まり普段ぼんやり考えてたことを言語化する必要が出てくる日々が始まった。
そんな中で将来の夢ってなにかなって考えた時自分の将来の夢は「学生時代が一番楽しかった」って言う大人にならないってことだったんだけどみんなはどんなことを考えて生きてるんだろう
資格も欲しい。
なんでもいいと言ったが楽しいor就職の役に立つのどちらかで訓練したい。
これは楽しかったとか教えて。
高卒アラサー女、飲食接客系と介護系というどうにもならない職歴しかない。管理職はしてない。
小中高とパソコンの授業はあったのでofficeソフトの基本操作はおそらくできるがパソコンを使う仕事をしたことが無い。机に座る仕事に憧れている。
ぼんやり事務やってみたい(OLと名乗りたい)とハローワークで言ったら訓練予定の一覧表をもらったがデスクワークをしている友人知人がガチでいないので判断が難しい。
積極的になりたいものもやりたいことも無いがなんか新しいことやってみたいんだよ。
勉強内容おもしろそうだけど「不動産でしか働けないから…」とハロワの人はあまりオススメではないようだった
これは「建築に限られるけど」とは言わないんだな?いいの?おもしろい?
別の講座でAIとかPHPプログラムとか中身が違うものがそれなりにあるけどどれがどうなのかがわからない
ネイルや着付けとか楽しそう&中身とゴールの想定がつくけど絶対一人暮らしできるほどの収入は得られない
溶接とか電気工事とかは受講期間7カ月を通いきる自信が無いんだけど「もくもく仕事ができてオススメ!」とかなら前向きに検討したい。
夏の開校少なくて辞める時期調整して辞めればよかったなーってちょっと後悔してる。
痛ましい事故が起きると高齢者から免許を取り上げろという声が挙がる。
果たして、そうして声高に叫んでいる人の中で、どれくらいの人が実際に自分の両親に運転をやめるように伝えることができているのだろうか。
そんな父の運転をわたしも好きだったし、今のわたしの運転の見本になっているのは教習所の教官でも車好きの友人でもなく、紛れもなく父の運転だ。
そんな父に、わたしからもう運転はやめるように伝えたのは父が70のとき、5年前のことだ。
とっくに車を手放していた父は、こうしてお墓参りに行くときや年数回のゴルフや旅行に行くときにわたしの車に乗ってハンドルを握った。
毎年通る道、毎年変わらないはずの道が、その年は区画整理を兼ねた大きな工事が行われたことで、いままで見たことのない風景に変わっていた。
いつも使っていた道は閉鎖され、見知らぬ信号機に見知らぬ交差点ばかりだった。
それでも父ならば大丈夫だろうと、娘を脇に抱えてぼんやりと風景を眺めていた。
しかし、その時の父は違った。
今まで一度も見せたことのない様子で焦り、苛立ち、わたしがなにか言おうにも頭ごなしに遮り、運転そのものすら見たことがないほどに荒々しいものになってしまっていた。
極めつけは、道のど真ん中で急に停車して、クラクションが浴びせられる中での急なUターンだった。
ようやくの思いでお墓までたどり着いた頃には、母も見るからに苛立つし娘も泣き出すしで、さんざんな状況になっていた。
「わたしの運転だと不安かもしれないけど、帰りは代わろうか?」
一応進言してみたものの、父はそれをきっぱりと断った。
これ以上何かを言えば父を信用していないみたいになってしまう。父を傷つけてしまうような気がして、それ以上はわたしから何かをいうことはできなかった。
それからも、迷いがありながら、父がゴルフや旅行に出かけるときは快く車を貸し出した。
しかし、たまに同行する母からは、その度に曲がり角を間違って苛立つ父の話や、高速の出口を間違えて何故か母に強くあたる父の話を聞かされるばかりだった。
これ以上父に車を貸し続けていていいのだろうか。車を貸し出す度に迷いが募っていった。
そんな時、とうとう父が事故に巻き込まれたという連絡が警察から入った。
幸いながらもらい事故だった。
いざ迎えに行ってみると、父はただひたすらに如何に相手に非があって、如何に自分が悪くないかを繰り返した。
聞けば相手側の不注意による追突事故らしく、過失はほぼすべて向こう側にあるらしい。
思いもよらない父の一言に唖然としてしまった。その後も父の口から事故を起こして申し訳なかったという一言は最後まで聞くことはできなかった。
父が走行している間、事故を起こした相手は不安定な運転を繰り返していたらしい。
一昔前の父なら、そんな相手がいるなら絶対に近寄らないし、ましてやその車を後ろに背負うことなんて絶対にしなかったろう。
それなのに、ただひたすら相手が悪いと繰り返し言い続けている父を見ていることはただただ悲しくて辛かった。
それから程なくして、結局少しの持ち出しとともに新車に買い換えることになった。(くわしくはわからないが車軸が曲がっていた?とかいうことらしい)
「保険の種類が変わったことで、父が保険の対象外になってしまった。」
そのかわりに、父が車に乗りたいと言い出す前に今まで以上に両親を旅行に誘った。
出費や親のために使う休暇も増えたが、父が事故を起こすことに比べたら何でもないことに思えた。
ある時、隣に乗っている父が「老後は小さなスポーツカーで色々なところに出かけるのが夢だった」と独り言のように話し始めた。
父はまだ運転を諦めていない。
「それは素敵な夢だね。だけど、もしそれで娘と同じくらいの子供を事故に合わせてしまうようなことがあったらわたしはどうしていいかわからないな。」
父は一言「そうか」とだけ口にしただけだった。
高齢者による事故が起きれば、あのときの自分の判断は間違ってなかったと自分に言い聞かせる。
でも、ただ取り上げることを声高に叫び続けるだけではなく、それによって失われるものを埋めるための努力が本人以外にも必要なのだ。
出産して1年が経った。子どもはすくすく育ち、当たり前だがもう1歳。
歩き始めて何にでも興味津々、最近では言葉の意味もよくわかってきた。
自分で会社を経営しているため、仕事を早く再開しなければならなかった。
けど、保育園激戦区ゆえ、まったく預けられなかった。
溜まった仕事を片付けなければと思いながら赤ちゃんの世話をする。
ギャン泣きの中、オンラインで打ち合わせもした。「うるさくてごめんなさい」と謝りながら。
一日が嘘のようなスピードですぎていく。
朝起きたら赤ちゃんが隣にいて、おっぱい、うんち、ねんね、泣いてるどうしたの?、お散歩、あつい、さむい、ああもうつかれた、ねむい、・・・・
そんなかでの仕事。
正直、ぜんぜんなにも考えられなかった。
つらくてつらくてしょうがなかった。
なにもかもやめて、ひとりっきりでぼんやり旅に出たい。もう会社なんかやめちゃいたい。
でも、
質問されたことに答えているつもりでいるけれど、その場しのぎの答えしかできない。
本当になんにも考えられない。
さっき言ってたこととロジックが通っていない話をしちゃってる。
自分の信用もなくなっていくって感じた。
こんな自分のことなんて、誰も信じてくれない。仕事ぜんぜんできない人だ。なんにもできない人間だ。
・・・そう感じた。
赤ちゃんが寝返りをうち、ハイハイができるようになり、母親になった私も離乳食をつくって与えてを繰り返すうち、家に赤ちゃんがきて1年が経とうとしていた。
仕事を本格的に始めないと、会社的にも限界がきていると感じていた。
住んでいるエリアの保育園は、認可はもちろん、無認可ですら箸にも棒にもひっかからず、引っ越しを余儀なくされた。
そう考える一方で、ずっと一緒にいた赤ちゃんと離れたくない、なんて気持ちも生まれていた。
1年間、片時も離れずべったりいた赤ちゃん。自分に母性が生まれているのを実感した。
ぐちゃぐちゃした感情の4月、それでも保育園に預けることができた。
いま、ならし保育のまっただ中。
1時間が2時間、3時間4時間・・と、預ける時間が長くなり、ひとりでいる時間ができた。
そうしたら、すごく強烈に、自分が戻ってきた感じがした。
隣に赤ちゃんがいない、自分ひとりでパソコンを前に座ったとき、脳みそのシナプスがつながった。
私、1年間何してたんだろう?って思った。
家にいて、そのスイッチの切り替えをするのは無理があった。
女脳と男脳、なのか、頭の使い方がぜんぜんちがう。赤ちゃんをみているときは、決断なんてできなかった。
何と言われてもいちいち傷ついて、どんな状況でも自分が被害者の気分でいた。
クリエイティブな脳も死んでいて、物事を考えだす、生み出す、なんてのも難しかった。
なにをみても感動しないし、ほしいものもなければやりたい未来も見えなかった。
一寸先は闇で、人生真っ暗、赤ちゃんはかわいいけれど、なんか自分の人生はもう終わってもどうでもいいよ、なんて思ってた。
赤ちゃんと離れる時間ができたいま、すごく客観的に自分のことがみられる。
そして、この1年間のしんどさの原因についても、頭を使って考えることができるようになってきた。
いやー、
子どもを育てるって本当にたいへん。
保育園に預けず、幼稚園まで自宅で育児をする母親は、本当にすごい。
赤ちゃんを家でずっとみていた1年間、
この一生の中で、もっとも「女」だったとおもう。
否が応でもおっぱいをあげなきゃいけないし、赤ちゃんを育てるという母性を発揮しなきゃいけない。
だからか(?)この1年間、もともと苦手だった甘いものが大好きになり、毎日のようにスイーツを欲していたり、
とにかく性格もネチネチと自分が想像する嫌な女っぽい人間になってた。
甘いものがあまり欲しくなくなり、なんならお酒を飲みたくなったり、仕事の話をしながら飲みの場に行きたい、なんて思うようになった。
人って変わる。
環境によってすごく変わる。
それを実感した1年間でした。
二次創作、しかもキャラのBLの話をするので苦手な人は見ないでほしい。本当はこんなところで書くべきじゃないのもわかっているけど、吐き出したい。
私はいわゆるオタクというやつで、しかも腐女子だ。どちらかといえば、いちキャラクターに愛が向くタイプでCPにこだわりはない。むしろ好んでみる二次創作はキャラクターの性格や解釈に重きをおいたストーリーのものばかりで、ぼんやりといえば「かけ算もの」は好みのものがあればという程度だった。
腐女子とはいいつつ、かけ算ものは読めるというだけで、好きかと言われればちょっと悩む。
固定厨でもないし過激派でもないのだ。
でも最近、あるキャラクターのことを好きだといえば「このCPいいよね!」とそのキャラクターと誰かのかけ算ものをすすめられる。
そのCPはジャンル最大手で、私も嫌いではないし好きな絵師さんもそこのジャンルだとそのCPをよく書いている。嫌いではないのだ。
でも、あくまで私はキャラクターが好きなのであってCPはどうでもいい。かけ算もどうでもいい。そのキャラクターが好きなだけだ。
最大手かもしれんが、だからといって皆好きなわけではないのは分かっているはずだよね?
それを「そのキャラクター好きならもちろんこのCPも好きだよね!」っていうテンションで話しかけてくる人が多すぎて辟易する。
もちろん二次創作なのだから原作があるわけだけど、その原作にある絡み程度若しくはそれよりちょっと誇張された解釈ぐらいなら大丈夫だったのに、もうそれをされ続けたせいで嫌いになりかけ。普通に好きだったキャラクター達だったのに、こんなくだらないことで「好き」の感情を踏み荒らされるなんて思わなかった。
たしかに最大手で、界隈の人たちが好きそうな感じのCPだけど人にまで押し付けないで。
さすがに疲れてそれとなく躱してるけど、そこで察して理解してくれて引いてくれる人もいる反面、ゴリ押ししてくる人もいてなんだかなという感じ。
そろそろこの事実に気づくべきではなかろうか
日本企業の財務経理畑の連中は、時間あたりの生産性を上げるための投資をしたがらない。社内インフラの強化などといった固定費増加に繋がるものが中心になるからだ
むしろ、固定費を下げるために社内インフラをグレードダウンしたがる。当然時間あたりの生産性は下がるが、社員に裁量労働制や高プロを適用すれば何時間働かせても人件費は同じだから問題ない
また固定費を増やさないために、正規雇用を増やさず、極力外注するよう現場にオーダーするのも財務経理畑の連中だ。これでは現場の士気も上がらない。
君は仕事や職場をすごくぼんやりとしか把握してなくて誰が何を担当してるのかすらわかってないんだと思う
経理って言うのはみんなが動いた結果の金の流れを把握してデータ処理する仕事で、
「ヤバいですよ」「このままだと破綻しますよ」と警告するのは経理の仕事だけど
(ほかに出来る奴がいないとか、本格的に破綻してきて整理前提になったら経理が出ばることはある)
君みたいに仕事の職域も担当も正確にわかってないボンクラが「〇〇が悪いー」って簡単に指摘できるならプロの経営者なんかおらんわな。
クラムボンは、カプカプ笑ったよーー。
彼女はそう言うとぼんやりと姿が薄らぎはじめた。思わず手を握る。悲しみと寂しさと安堵で視界が滲む。彼女はすうっと霧散した。自分の記憶も零れ始める。僕はひとり川底でカプカプ笑っている。右手がやけに暖かい。
瞑想をしてみてください。
お前のせいだよ、お前がブスだから駄目なんだ、普通のふりしてるけどお前は所詮空気の読めない頭のおかしいやつなんだ。
そんな言葉が頭にこだまする、まぢ病み状態になってしまうのです。
むしろあなたはおかしくなる過程や構造をある程度見抜いて対処法まで発見しているのだからかなり観察力があり智慧がある方の人です。
仏教はお釈迦さまという非常に智慧のある天才があなたと同じことをより精緻に観察して完璧な対処法を発見して、それを苦しむ人たちに広めたところから始まっています。
(私もあなたと同じようなことをもっとぼんやりと感じていて瞑想に出会いました。)
スマナサーラというスリランカの坊さんの本が読みやすくおすすめです。
騙されたと思ってアマゾンで1冊買ってみてください。
本読んで家で実践するだけです。
https://anond.hatelabo.jp/20190413114026
ああ、俺はこういう論理的な思考力が低すぎるからこの歳になっても大して仕事で活躍できないのかなって思った。
どういう意味かと言うと、俺は元の祝辞の全文を読んで出てきた感想が「へーなんか良い感じのこと言ってる気がする。まあそういう学問の研究者っぽいし若干思い込みを語ってる部分もあるのかもしれないけど、社会に出て仕事してたらやっぱり明らかに女性が少ないなって思うし少なくとも男尊女卑状態は日本ではまだ当たり前で本気で是正するつもりなんて誰もなさそうに見えるから多分あと10年してもそこまで大きく変わらないんだろう。ただ、女性とかみたいな社会的に弱者としてなぜか位置付けられている人が本当に弱者なのかどうかっていう定義はこれから変わっていったりするのかもしれないな。そもそも弱者ってなんだよそれってただ今の社会の中で『沢山お金が貰える行為』ができることが強者っていう定義してない?それは強者とか弱者の関係なんじゃなくてたまたま社会がそういう風な流れになってるだけの話でもし今この段階で全人類の脳みそが一瞬で書き換えられて例えば『直接的な子育ては最高に偉いことで子供を作って世の中の流動性を増やすことこそがひいては将来的にも人類の為になるのだからその行為に対する貢献度によってお金が支払われるべきである。それ以外の行為は無償で行われるべき。』みたいな、今と逆(今は子育てには金が発生せずそれ以外の社会を作る行為にお金が払われてる)の定義になった瞬間に男性は社会を回せるけどお金は貰えない弱者になって女性は社会を回す立場に行きにくいけどお金が貰える強者になったりする訳なのか?もちろん今仕事に専念してるから子育てはできてないっていう男性も大勢いるだろうけど何となく今の感じだと女性の方が直接的な子育ては上手そうな気がするよなあ。じゃあやっぱり今の社会的弱者って位置付けられている人達は今の社会性とか現代の人の考え方ありきでたまたま弱者に位置付けられてしまってるだけな訳だしそういう人たちも尊重されるような社会であって欲しいし事実俺自身大して仕事できねえけどお金を貰って生きていけてることに感謝するべきだし東大生も紆余曲折あって東大入った人も含めて運が良かった訳だから全て自分の努力から生まれて努力だけで勝ち上がってきたんだっていう思い込みをもししてしまっているんだったらそれは多分あんまり良くないよな。とはいえ本人の努力自体は認められるべきだと思うけどそれは祝辞の最後の方で言われてるみたいにこれから入学生達を待っている日本で最高峰に充実していると思われる研究環境がある所に毎日通える時点で認められたも同然な気がするし、今はそんなことよりも『入るまでは大変で卒業は簡単』とか言われてしまう日本の大学において入学当日から大人に褒められるんじゃなくてこれからも自分の思うことを突き詰めるために頑張っていきましょうって言って貰える方が絶対将来のためになるだろうからそういう祝辞を用意できた東大ってマジスゲーよなあ」みたいな、なんというか元の文章とかについて大して深く触れている訳でもなくて特に自分の主張が強く含まれている訳でも登場したデータとか事実とかに対する考察とかも全然入ってなくてただただ頭の中でもやもやしていた言葉がぼんやりとした形になって脳内で流れただけで、これって全然論理的じゃあなくてこんなこと考えているだけじゃ現実世界は何も変わらないし誰かと有益な議論が生まれるわけでもないのだから社会に対して何の意味も無い行為だなってことです。
そもそも上の文章自体にも矛盾した意味のない前提とか設定とか考え方が含まれているような気がするけどそんな細かいことはどうでも良いと思ってしまっているし、それよりも冒頭の反論を見て「ああこの人はちゃんと事実とそうでないことを切り分けようとする意識があって、この人にもある程度の思い込み(もしくは何か意図した悪意かもしれないけど)があることを考慮した上でこれだけ他人の発言に対して自分の納得できない所を並べて発言することができる時点で俺より社会に出てから活躍する人間になっていくんだろうな。自分の思っていることをちゃんと言葉にして反論できるのであれば反論したことに対する間違いは恐らく身の回りの他の誰かが突っ込んでくれてそこから有益な議論が始められる気がするし現時点で多少ブレてたり間違ってる箇所が仮にあったとしても大した問題じゃないな。まあ書いたのが現役東大生じゃなくて俺より年上のどこぞのおじさまおばさまかもしれないけどそんなことはどうでも良いや。どうせ増田として表に出た時点で裏の人間の情報は切り捨てられて文字情報だけが存在し得る訳だしな。」って思ったから書いた人は凄いなあって思う。
この文章を自分で書いて気づいたことは俺は論理的思考っていうものが何か理解してないなっていうことと、自分で書いた文章見直すと自分でも色々つっこみたくなるなっていうことと、そういうつっこみを「この部分ってこうじゃない?」っていう事実に対する反論としても表現できるし「こんな考えを持っているこいつはこの程度の人間だ」っていう人間性に対する攻撃としても表現できてしまう世の中が怖いしだからこそ俺はこの文章を自分の名前と紐づかない増田にしか投稿できないんだろうなっていうこととか、そういうことでした。
あと語彙力少ないけど文章書くのは好きかもしれない。もしかするとタイピングが好きなだけかもしれないけど俺にはその違いが分からない。
深夜の満員電車で車端にもたれてぼんやりしてたら、隣の女がうとうとしてもたれてきやがった。寝ぼけて痴漢に間違えられたら悲惨なので少しずつずれて行ったら元いたもたれられる壁を完璧取られた。控えめに言って失せろ
どうしようもないことっていうのは、生きていれば必ず起こる。
しばらく前にいとこが亡くなった。まだ二十歳になる前で自分で命を絶った。自分が嫌になったのか自分以外の全部が嫌になったのか、それとも両方なのか、詳しい動機はきっとこの先ずっとわからないんだろう。
祖母は孫たちのなかでも彼を特に可愛がっていた。彼の家族は祖母と家が近くて、一緒にいた時間が長い。祖母も両親である伯父夫婦もきっとわたしが想像つかないほど落ち込んでいるだろう。
私と両親はそのいとこの死を、つい数日前に親戚から送られてきた荷物に同封された手紙で知ったことだ。
私の両親は遠方に住んでいるが、私は祖母達の隣の県に住んでいる。死の直後に知らされたなら、父が間に合わなくともわたしは直ぐに祖母の家に向かって葬儀に出ただろう。四十九日の前に知らされたなら、予定を立てて向かった。
私といとこの仲が悪いということはなかった。いとこは口数が多い方ではなかったけど 私と会えば他愛のない話をした。いとこと最後に会った時は、私と祖母といとこで焼肉を食べた。一緒に焼肉食べた二ヶ月後にそいつが死ぬと思うか?私は全然思わなかったよ。
知らせを聞いてから、いとこに関する何年も思い出していなかったような記憶を思い出す。思い出しても一人暮らしの部屋では共有する相手もなく、ひとりでぼんやりと記憶を味わうしかない。そんな思い出を共有して、上手に悲しみを昇華するためにも葬式や四十九日あるんだろう。そういう儀式は生きていく人間のためにあるんだと実感する。
その別れの手順を踏めなかったせいか、ずっと心の中でなにかがフワッと浮いている。悲しみと無常感とかだろうか?わからないけど、そのせいで純粋に喪失を惜しんだり悲しんだりできていない気がする。それが悔しい。
どうして知らされなかったんだろう。祖母と伯父の身近には何人も親戚がいた。みんな私に優しく、お盆や正月に帰ると喜んで迎えてくれた。その全員がずっと茫然自失で連絡できなかったのか?四十九日が終わるまで?向こうの事情がわからないからなんとも言えないのだけど、私は少し怒っている。まあ怒っていることを自覚していれば、実際会った時にキレ散らかすことはないと信じている。
そして両親と話をした結果、週末に父と墓参りに行くことになった。今回の件も親戚と話し合うことにもなった。それが済んだらフワッとした何かがちゃんと着地できるだろうか。すっきりした答えが出るとは思えないけど、せめてどこかに着地点が見つかるといい。
フリーランスや自営業になりたいとぼんやり思ってたけど、下記の記事見て諦めた。
https://note.mu/xwa/n/n7296fe38d13c
失敗したら身体的なハンデも負うかも、という恐怖に打ち勝てず、
どうしたら良いんだろうなー。
周囲に将棋をするひとがいない。どうすれば将棋を覚えられるだろうか。
「りゅうおうのおしごと! 」を見たり、太宰治が「狂言の神」で深田久弥と象戯を指した話を読んだり、はてなの人々が将棋ネタで盛り上がっているのを見たりする毎にやってみたいと思ってきたが、これまで共にそれをする相手に恵まれたことがない。
雛鶴あいのように詰将棋を解くとかすれば良いのだろうか。どこか教室とか行ってみるべきだろうか。
将棋の話をする人たち、楽しそうなんだよな。
わたしは結局人の目世間の目が気になってわたしのしたいことができません。人の目がきになるのはわたしがわたしの顔が不細工で嫌い身体が醜く太ってるから嫌い、だから。整形して痩せたら素敵なことが始まる気がする。わたしのやりたいことが人の目を気にしないでできる気がする。でも整形するお金を作る行動が、痩せるための行動ができない。わたしにはできない。ぼんやり思っていた。そんなことを思ってました。いま深夜2じ11。ぼんやりしていたものがはっきりしました。なんではっきりしたのかというと、インターネットで複数人でよく通話をしていた中の女の子の1人が、顔出しをしてYouTubeで配信をしているのをみたから。その子はそこそこリスナーがいてTwitterのフォロワーは3000人くらいできていた。顔はすごくかわいかった。見なければよかったと思う。わたしはその子が羨ましかった。わたしのなりたい姿だった。わたしは親友と呼べる友達が3人いる。あとは高校生の頃青春をすごした友達も5人くらいいる。5年付き合っている彼氏もいる。今年から同棲していて来年結婚する。彼はインターネットで出会って、こんなわたしでもかわいい好き愛してると言ってくれる。わたしは両親、おばあちゃんとも仲が良くて、GWには実家に帰ってお土産を渡そうかなと思っています。インターネットの中の顔も知らない5年の付き合いの友達にもわたしはいい子だしおもしろいねと可愛がられます。でも、わたしは何か足りない。周りのみんなは大好きだけど、優しくしてくれるけど、わたしは自分のことが大嫌いです。
わたしがぼんやりと感じていたもの。今のわたしはほんとうにやりたいことが出来ていない。1回の人生これでいいのか?この思いが、YouTuberになった顔も知らなかったインターネットの知り合いの女の子を見てはっきりしました。わたしはこの子みたいになりたかったんだ。彼女はわたしの彼氏とインターネット上でわたしと出会う前仲がよかったみたいです。そもそもYouTuberになった彼女を知ったのは彼が「〇〇って覚えてる?いまYouTubeで顔出しで動画あげてる、ネットの知り合いでみたなかでも〇〇1番かわいいかも」と言ってわたしに動画を見せてきたからです。わたしはその瞬間心臓を掴まれたような感覚がした。気丈にふるまっていたけど、頭がおかしくなりそうになりました。わたしもインターネットで知り合った女の子なのにね。いま後悔したのかなわたしの彼氏。と思いました。ずっと彼女の動画を見ている彼を見るのは嫌でした。わたしってなんにもいいとこないな。バーチャルYouTuberのオーディションとか受けたいけど彼氏に気持ち悪がられるだろうし。わたしはインターネット上で声を出すときはいつもとぜんぜん違うかわいい声をだす。彼氏にはお前声つくってたんだなって馬鹿にされました。ぜんぜん作ったような感じしなかったけどお前もつくってたんだって。だってインターネット上くらいではかわいく思われたい。神様はわたしに声だけはかわいくだせるようにしてくれていました。歌も上手く歌えるようにしてくれていました。そんなわたしにインターネットはとても居心地がいいのです。顔は出さなくてもいいし、かわいいと言って貰える。なりたいわたしになれる。彼氏もそんなわたしのことをすきになってくれたし。わたしは彼氏とは現実世界であわなければよかったって思います。会いたくなかったです。でも彼に「会わないならお前とは一生絡むことはないだろうな」とインターネット恋愛していたときに言われてて、彼をインターネット上で失うのがいやだったから会いました。自分の顔写真、身体の写真、全て他人撮りのものを20枚くらい送りました。これでも会えるのかって。彼は不細工でも愛嬌がある、と変換できて、太っている子がすきだったからかわいいって言ってくれました。だから会いました。でも会わなきゃよかった。一生インターネットの中でかわいがられていたかった。気持ち悪い思想だけど本心です。わたしのことをプロデュースしてくれる人がいたら、インターネット上で活動したい。いま彼氏と同棲して半年、幸せだしたのしいこともあるけど、そんな人がいたらわたしは彼氏と別れて、そっちをとります。悩むことも無く。なんでこんな事を考えちゃうんだろう。いま2じ46。30分くらいこんな文章を眠っている彼氏の横で書いている。いやになる。また自分が気持ち悪くてきらいになりました。この文章なにが言いたいかわからない。わたしも何がしたいのかもうよくわからない。たまに死にたくなる。幸せなのに死にたくなる。死ぬのは惜しいのに死にたくなる。自分のなりたい像になれないから死にたいのかな。よくわからない。でも書いたおかげで気分が落ち着いた。それはわかる。