出産して1年が経った。子どもはすくすく育ち、当たり前だがもう1歳。
歩き始めて何にでも興味津々、最近では言葉の意味もよくわかってきた。
自分で会社を経営しているため、仕事を早く再開しなければならなかった。
けど、保育園激戦区ゆえ、まったく預けられなかった。
溜まった仕事を片付けなければと思いながら赤ちゃんの世話をする。
ギャン泣きの中、オンラインで打ち合わせもした。「うるさくてごめんなさい」と謝りながら。
一日が嘘のようなスピードですぎていく。
朝起きたら赤ちゃんが隣にいて、おっぱい、うんち、ねんね、泣いてるどうしたの?、お散歩、あつい、さむい、ああもうつかれた、ねむい、・・・・
そんなかでの仕事。
正直、ぜんぜんなにも考えられなかった。
つらくてつらくてしょうがなかった。
なにもかもやめて、ひとりっきりでぼんやり旅に出たい。もう会社なんかやめちゃいたい。
でも、
質問されたことに答えているつもりでいるけれど、その場しのぎの答えしかできない。
本当になんにも考えられない。
さっき言ってたこととロジックが通っていない話をしちゃってる。
自分の信用もなくなっていくって感じた。
こんな自分のことなんて、誰も信じてくれない。仕事ぜんぜんできない人だ。なんにもできない人間だ。
・・・そう感じた。
赤ちゃんが寝返りをうち、ハイハイができるようになり、母親になった私も離乳食をつくって与えてを繰り返すうち、家に赤ちゃんがきて1年が経とうとしていた。
仕事を本格的に始めないと、会社的にも限界がきていると感じていた。
住んでいるエリアの保育園は、認可はもちろん、無認可ですら箸にも棒にもひっかからず、引っ越しを余儀なくされた。
そう考える一方で、ずっと一緒にいた赤ちゃんと離れたくない、なんて気持ちも生まれていた。
1年間、片時も離れずべったりいた赤ちゃん。自分に母性が生まれているのを実感した。
ぐちゃぐちゃした感情の4月、それでも保育園に預けることができた。
いま、ならし保育のまっただ中。
1時間が2時間、3時間4時間・・と、預ける時間が長くなり、ひとりでいる時間ができた。
そうしたら、すごく強烈に、自分が戻ってきた感じがした。
隣に赤ちゃんがいない、自分ひとりでパソコンを前に座ったとき、脳みそのシナプスがつながった。
私、1年間何してたんだろう?って思った。
家にいて、そのスイッチの切り替えをするのは無理があった。
女脳と男脳、なのか、頭の使い方がぜんぜんちがう。赤ちゃんをみているときは、決断なんてできなかった。
何と言われてもいちいち傷ついて、どんな状況でも自分が被害者の気分でいた。
クリエイティブな脳も死んでいて、物事を考えだす、生み出す、なんてのも難しかった。
なにをみても感動しないし、ほしいものもなければやりたい未来も見えなかった。
一寸先は闇で、人生真っ暗、赤ちゃんはかわいいけれど、なんか自分の人生はもう終わってもどうでもいいよ、なんて思ってた。
赤ちゃんと離れる時間ができたいま、すごく客観的に自分のことがみられる。
そして、この1年間のしんどさの原因についても、頭を使って考えることができるようになってきた。
いやー、
子どもを育てるって本当にたいへん。
保育園に預けず、幼稚園まで自宅で育児をする母親は、本当にすごい。
赤ちゃんを家でずっとみていた1年間、
この一生の中で、もっとも「女」だったとおもう。
否が応でもおっぱいをあげなきゃいけないし、赤ちゃんを育てるという母性を発揮しなきゃいけない。
だからか(?)この1年間、もともと苦手だった甘いものが大好きになり、毎日のようにスイーツを欲していたり、
とにかく性格もネチネチと自分が想像する嫌な女っぽい人間になってた。
甘いものがあまり欲しくなくなり、なんならお酒を飲みたくなったり、仕事の話をしながら飲みの場に行きたい、なんて思うようになった。
人って変わる。
環境によってすごく変わる。
それを実感した1年間でした。