はてなキーワード: はえとは
あの頃のわたしへ「おまたのかゆみ」。
一時期、おまたのかゆみに苦しんだ。
産婦人科にいくと色々検査されて「性病じゃないですね。かかないでね。」って言われた。
自慢じゃないが、性病じゃないのは知ってる。
でもめちゃくちゃかゆい。
数ヶ月後、がまんできずに、別の産婦人科に相談すると、再び色々検査してくれて「性病じゃないですね。かかないでね。」と。
これをくりかえして3年目、おまたの痒いとこは皮膚が分厚くなり、ボロボロしてきた。
ふと思い立って皮膚科でおまたをみてもらうと、はじめて塗り薬が処方された。(産婦人科では薬は処方されなかった)
塗ったら劇的に症状は改善。2週間くらいで薬もいらなくなった。以来、ずっとその症状はでてない。何年も苦しんだのがウソみたい。
ただ、産婦人科の個室っぽいカーテンごしの診察台じゃなくて、オープンな皮膚科の診察ベットに腰掛けて、おまたぱかーんしたのは、ちょっと恥ずかしかった。
もうみんな正しく在ることに疲れてきたやろ?
そりゃそうや、差別を無くす、差別を否定することを求めることは地球のCO2濃度が濃くなるから呼吸をやめろと言ってるのと同じやからかな
呼吸するな言われたらそら苦しくなるわな
もうええんや
嫌いな奴は嫌いだし、自分と肌の色が違ったら違和感感じるし、自分と性的嗜好が違う人は気持ち悪い
それでええんや
人間は今無理をしてる
そら殺し合いが起きるような状況はええとは言わん
でも今でもう十分よくやってると思うで?
もうここら辺で終わりにしないか
もうここから先は重箱の隅や
もう(今残ってる)差別は悪くない
もう頑張らなくてもええ
ある日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨雲レーダーを見ていた。
広い門の下には、この男のほか誰もいない。ただ所々ペンキの剥げた、大きな円柱にドローンが一機突き刺さっている。
羅生門が朱雀大路にある以上は、この男のほかにも、雨やみを待つSIerやプログラマーがもう二三人はありそうなものである。
それが、この男のほかには誰もいない。
何故かと云うと、この二三年、京都には地震とかDDoS攻撃とかEMPとかドローン攻撃とか云う災がつづいて起こった。
そこで洛中のさびれ方は一通りではない。旧記によると、サーバーやEVを打ち砕いて、その貴金属が使われたり充電池がそのままだったりする金属の塊を建築資材として売っていたと云う事である。
洛中がその始末であるから、羅生門の修理などは元より誰も捨てて顧る者がなかった。するとその荒れ果てたのをよい事にして、
営業職が棲む、意地悪な顧客が棲む。とうとうしまいには、引き取り手のないSEを、この門へ持って来て棄てて行くと云う習慣さえ出来た。
そこで、日の目が見えなくなると、誰でも気味を悪がってこの門の近所へは足ぶみをしない事になってしまったのである。
その代わりまたドローンがどこからか、たくさん集まって来た。昼間見ると、そのドローンが何機となく輪を描いて、高い電波塔のまわりを
ブンブン言いながら飛びまわっている。ことに門の上の空が、夕焼けであかくなる時には、それがゴマをまいたようにハッキリ見えた。
ドローンはもちろん、門の上にいるSEをせっつきに来るのである。_______もっとも今日はあまり仕事がないのか一機も見えない。
ただ、所々崩れかかった、そうしてその崩れ目に長い草のはえた石段の上に、墜落したドローンの残骸が落ちているのが見える。
下人は七段ある石段の一番上の段に、何日も洗っていないスーツの尻を据えて、右の頬に出来た大きな人面瘡を気にしながら、ぼんやり雨のふるのを眺めていた。
作者はさっき「下人が雨雲レーダーを見ていた」と書いた。しかし、下人は雨雲がどうでも格別どうしようと云う事はない。ふだんなら、
もちろん会社へ帰る可き筈である。ところがその会社からは、四五日前に暇を出された。前にも書いたように、当時京都の町は一通り
ならず衰微していた。今この下人が永年、使われていた会社から暇を出されたのも、実はこの衰微の小さな余波にほかならない。
だから「下人が雨雲レーダーを見ていた」と云うよりも「雨に降りこめられた下人が、行き所がなくて途方にくれていた」と云うほうが適当である。その上、今日の空模様も少なからず、この平安朝の下人のSentimentalismに影響した。
申の刻下がり(16時以後)からふり出した雨は、いまだに上がるけしきがない。そこで下人は、何をおいても差当り明日の暮らしをどうにかしようとして____云わばどうにもならない事を、どうにかしようとして、とりとめもない考えを辿りながら、さっきから朱雀大路にふる雨の音を聞くともなく聞いていたのである。
雨は、羅生門をつつんで、遠くからざあっと云う音をあつめて来る。夕闇は次第に空を低くして、見上げると門の屋根が、斜に突き出した甍の先に、重たくうす暗い雲を支えている。
どうにもならない事をどうにかするためには、手段を選んでいる遑(いとま)はない。選んでいれば、高架の下か道端のベンチの上で、餓死するばかりである。選ばないとすれば____下人の考えは、何度も同じ道を低徊(ていかい)した挙げ句に、やっとこの局所へ逢着(ほうちゃく)した。しかしこの「すれば」は、いつまで経っても結局「すれば」であった。下人は手段を選ばないという事を肯定しながらも、この「すれば」のかたをつけるために、当然、その後に来る可き「転売屋になるほかに仕方がない」と云う事を、積極的に肯定するだけの勇気が出ずにいたのである。
下人は、大きなくしゃみをして、それから大儀そうに立ち上がった。夕冷えのする京都は、もうカイロが欲しいほどの寒さである。風は門の柱という柱の間を、夕闇と共に遠慮なく吹き抜ける。円柱に突き刺さっていたドローンも、もうどこかへ吹き飛ばされてしまった。
下人は頸(くび)を縮めながら、カッターシャツに重ねたヨレヨレのジャケットの肩を高くして門のまわりを見まわした。雨風の患(うれえ)のない、人目にかかる惧(おそれ)のない、一晩楽にねられそうな所があれば、そこでともかくも夜を明かそうと思ったからである。
すると、幸い門の上の楼へ上る、幅の狭い、点検用の梯子が眼についた。上なら、人がいたにしてもどうせ疲れ果てて寝ているSEばかりである。下人はそこで、腰にさげた特殊警棒が伸びないように気をつけながら、便所サンダルをはいた足を、その梯子の一番下の段へふみかけた。
それから、何分かの後である。羅生門の楼の上へ出る、幅の狭い梯子の中段に、一人の男が猫のように身を縮めて、息を殺しながら上の様子を窺っていた。楼の上からさす白色光が、かすかに、その男の右の頬をぬらしている。短い髭の中に、赤く膿を持った人面瘡のある頬である。下人は初めから、この上にいる者は寝ているSEとばかり高を括っていた。それが、梯子を二三段上って見ると、上では誰かがスマホライトをとぼして、しかもその灯りをそこここと動かしているらしい。これはその濁った、白い光が隅々に蜘蛛の巣をかけた天井裏に揺れながら映ったので、すぐにそれと知れたのである。この雨の夜に、この羅生門の上で灯をともしているからは、どうせただの者ではない。
下人はヤモリのように足音をぬすんで、やっと急な梯子を一番上の段まで這うようにして上りつめた。そうして体をできるだけ平らにしながら、頸をできるだけ前へ出して、恐る恐る楼の中を覗いて見た。
見ると楼の内には、噂に聞いていた通り何人かのSEが無造作に寝ているが、ライトの光の及ぶ範囲が思ったより狭いので、数は幾つともわからない。ただ、おぼろげながら知れるのは、その中に手ぶらの者とPCを持っている者があるという事である。もちろん、中には女も男もまじっているらしい。そうして、そのSEは皆、それがかつて労働意欲に燃えていた人間だと云う事実さえ疑われるほど、土をこねて造った人形のように、口を開けたり手を延ばしたりして、死んだように床にころがっていた。しかも、肩とか胸とかの高くなっている部分に、ぼんやりした光をうけて、低くなっている部分の影を一層暗くしながら、永久に唖(おし)の如く黙っていた。
下人は、それらのSEの様子に思わず眼を覆った。しかしその手は、次の瞬間にはもう眼を覆うことを忘れていた。ある強い感情が、ほとんどことごとく男の視界を奪ってしまったからだ。
下人の眼は、その時はじめてそのSEの中にうずくまっている人間を見た。桧皮色のジャージを着た、背の低い、痩せた、白髪頭の猿のような老婆である。その老婆は、右の手にライトを灯したスマホを持って、そのSEの一人のPCを覗き込むように眺めていた。腕に抱いている所を見ると、多分ノートパソコンであろう。
下人は、六分の恐怖と四分の好奇心に動かされて、暫時は呼吸をするのさえ忘れていた。旧記の記者の語を借りれば、「えぐいって」と感じたのである。すると老婆は精密ドライバーを取り出して、それから今まで眺めていたノートパソコンに手をかけると、ちょうど猿の親が猿の子のシラミをとるように、そのノートパソコンを分解しはじめた。かなり手慣れているらしい。
電子部品が一個ずつ抜けるのに従って、下人の心からは、恐怖が少しずつ消えていった。そうして、それと同時に、この老婆に対する激しい憎悪が少しずつ動いて来た。____いや、この老婆に対すると云っては語弊があるかも知れない。むしろ、あらゆる悪に対する反感が、一分毎に強さを増して来たのである。この時、誰かがこの下人にさっき門の下でこの男が考えていた、餓死をするか転売屋になるかと云う問題を改めて持ち出したら、おそらく下人は何の未練もなく、餓死を選んだ事であろう。それほどこの男の悪を憎む心は、指数関数的に勢いよく燃え上がり出していたのである。
下人には、なぜ老婆がSEのノートパソコンを分解するかわからなかった。従って、合理的には、それを悪であると一方的に決めることが出来なかった。しかし下人にとっては、この雨の夜に、この羅生門の上で、SE自前のノートパソコンを分解すると云う事が、それだけで既に許すべからざる悪であった。勿論、下人は、さっきまで自分が転売屋になる気でいた事なぞは、とうに忘れていたのである。
そこで下人は、両足に力を入れて、いきなり梯子から上へ飛び上がった。そうして特殊警棒に手をかけながら、大股に老婆の前へ歩み寄った。老婆はマイコンで自作した監視カメラで、事前に下人の動きを見ていたのだが、想定外の行動に飛び上がった。
「どこ行くんじゃワレ!」
下人は、老婆が寝ているSEにつまずきながら、慌てふためいて逃げようとする行く手を塞いで、こう罵った。老婆は、それでも下人をつきのけて行こうとする。下人はまた、それを行かすまいとして、押し戻す。二人はSEの浅い寝息の中で、しばらく無言のまま、つかみ合った。しかし勝敗は初めから分かっている。下人はとうとう老婆の腕をつかんで、無理にそこへねじ倒した。ちょうどケンタッキーフライドチキンの骨のような腕である。
「何しとったんじゃ!云え。云わんとこれやど」
下人は老婆をつき放すと、いきなり特殊警棒を伸ばして、黒くて硬くて長いものをその眼の前へつきつけた。けれども、老婆は黙っている。両手をわなわな震わせて、肩で息を切りながら、眼を、眼球がまぶたの外へ出そうになるほど見開いて、唖のように執拗(しゅうね)く黙っている。これを見ると、下人は初めて明白にこの老婆の生殺与奪の権を自分が握っていると云う事を意識した。そしてこの意識は、今まで煮え滾っていた憎悪の心を、いつの間にか冷ましてしまった。後に残ったのは、ただ、ある仕事をしてそれが納期に間に合った時の、安らかな得意と満足があるばかりである。そこで下人は、老婆を見下しながら、少し声を和らげてこう云った。
「ワシはマッポでもSECOMでもない。今し方この門の下を通りかかった暇なヤツや。せやからお前に縄かけてどうこうしようっちゅう事もない。ただ、今時分この門の上で何をしとったんか、それをワシに話しさえすればええんや」
すると老婆は、見開いていた眼を一層大きくして、じっとその下人の顔を見守った。まぶたの赤くなった二階幹事長のような、鋭い眼で見たのである。それから皺でほとんど鼻と一つになった唇を、何か物でも噛んでいるように動かした。細い喉で、尖った喉仏の動いているのが見える。その時、その喉からカエルの鳴くような声が、喘ぎ喘ぎ、下人の耳へ伝わって来た。
「このパソコンのCPUを抜いてな、型番とコア数を偽装してな、転売しようと思うたのじゃ」
下人は、老婆の答が存外平凡なのに失望した。そうして失望すると同時に、また前の憎悪が、冷ややかな侮蔑とともに心の中へ入って来た。するとその気色が先方へも通じたのであろう。老婆は片手にまだ抜き取ったCPUを(素手で)持ったなり、蟇(ひき)のつぶやくような声で、口ごもりながらこんな事を云った。
「なるほどな。SEからPCを奪うという事は、何ぼう悪いことかも知れぬ。じゃが、ここにいるSE達は皆、そのくらいな事をされてもいい人間ばかりだぞよ。現にわしが今、CPUを奪った女などはな、コメントも無いし改行もない滅茶苦茶なコードを、仕様通りに動けばよいと言って書いておったわ。それもよ、この女の書くコードは早いし安いし仕様通りに動くと云うて、ケチな経営者どもが買っていたそうな。ワシは、この女のした事が悪いとは思うていぬ。せねば餓死をするのじゃて、仕方がなくする事じゃわいの。じゃて、その仕方がない事をよく知っているこの女は、大方わしのする事も大目に見てくれるであろ」
老婆は大体こんな意味の事を云った。CPUを盗られた女は、よほど疲れているのかこんな騒ぎでもノートパソコンを抱いたまま、全く起きる気配がない。
下人は、特殊警棒を畳んで、その柄を左の手で握りながら、冷然としてこの話を聞いていた。勿論、右の手では、赤く頬に膿を持った大きな人面瘡を気にしながら、聞いているのである。しかし、これを聞いている中に、下人の心にはある勇気が生まれて来た。それはさっき門の下で、この男には欠けていた勇気である。そうして、またさっきこの門の上へ上ってこの老婆を捕まえた時の勇気とは、全然、反対な方向へ動こうとする勇気である。下人は、餓死をするか転売屋になるかに迷わなかったばかりではない。その時のこの男の心持ちから云えば、餓死などという事は、ほとんど考える事さえ出来ないほど、意識の外へ追い出されていた。
「ほーん、そうか」
老婆の話が終わると、下人は嘲るような声で念を押した。そうして、一足前へ出ると、不意に右の手を人面瘡から離して、老婆の襟上をつかみながら、噛み付くようにこう云った。
「ほな、ワシが転売をしようと恨むまいな。ワシもそうしなければ、餓死をする体なのだ」
下人はすばやく、老婆からCPUを奪い取った。それから、足にしがみつこうとする老婆をジャイアントスイングで投げ飛ばした。梯子の口までは、僅かに五歩を数えるばかりである。下人は剥ぎ取ったCPUを胸ポケットに入れ、床に置いてあった老婆の精密ドライバーセットも手に持ってまたたく間に稲妻のごとく急な梯子を夜の底へとかけ降りた。
しばらく死んだように倒れていた老婆が体を起こしたのは、それから間もなくの事である。老婆はつぶやくような、うめくような声を立てながら、まだライトがついているスマホの光を頼りに、梯子の口まで這って行った。そうして、そこから短い白髪をさかさまにして、門の下を覗き込んだ。外には、ただ黒洞々たる夜があるばかりである。
って売り終わったあとに言い出したのはぶっ飛ばしてやりたい。
Blu-rayなんかもいずれ劣化するんだろうに、高品質と嘯いてる。
ならその高品質を維持するための殻なり保護膜なり、もっときちんとすればいいんじゃねえの?
磁気テープがカビて使い物にならなくなるとかも辛かったけど、ちゃんとケースに入れて保管してても参加するから見れないし保証もしないぜ、とかはえげつない。
騙されたこっちが悪いんだろうけども。
二次創作小説をたしなむ皆様、特に書き手の皆様は、周囲の作品を読んでいてこんな風に思ったことはないだろうか。
明らかに文章が厚くて、読みやすくて、最高な作品が他にあるというのに、そちらよりもそのぱっとしねぇ小説の方が伸びている……そんな場面に立ち会ったことはないだろうか?
恥も外面もなく言うが、私はその『ぱっとしねぇ文章を書く字書き』である。
この『ぱっとしねぇ』の部分には、物議があるだろう。面白いの尺度は、人それぞれだ。ただ、ここで言う『ぱっとしねぇ』というのは、主に次の要素が含まれる。
・全部ではないが、やや文章に読みづらさを覚えることがある。
・誤字や脱字が地味に多い。
・表記ゆれを気にしていない。
・伏線の張り方が甘い。
“やや”とか“地味に”とか曖昧な表現だ。ただ、そこがミソである。『ぱっとしねぇ字書き』(長いので以後『パ字書き』)は、完全に面白くない文章を書くわけではない。ある程度は面白い文章を書く。ただし、圧倒的に“こだわり”に欠ける。
昨年2020年、Twitter上でオタク女たちの感情について描き、人々の心を動かした作品があったが、あそこには“神字書き”という存在が登場する。その神字書きとパ字書きの間にどのような差があるかと言われたら、この“こだわり”であろうと感じる。
神字書きの文章というのは、作品全体からその人の色とこだわりを感じるのだ。読むと「あっ、〇〇さんの文章だ」と感じることが出来るし、表記にも推敲の跡が見られる。読みやすさが意識されており、文章の端々からこだわりを感じる。
「この人は本物だ。こんなものがタダで読めていいのか……?!」
そう感じることだろう。私は感じる。さてはあなた方はそれで飯を食おうとしたことがあるな?
しかしながら、パ字書きこと私の文章からはそれが感じられないのである。自己評価が低いのではない。私は私の文章が大好きである。何度も読み返しては「オホ、なんか知らんがおもろいなこれ」とニヤニヤする。しかしながら、同時に表記ゆれや誤字脱字は多いし、そこかしこの伏線は甘いし、急展開だし、作品ごとに文体やら調子がバラバラで自分の“カラー”などあったもんじゃない。
身バレをしない程度に、どのくらいで数字を稼ぐ、と言っているのか述べるならば、現行ジャンル(所謂社会現象アニメではないにしろ、アニメやグッズ展開が活発に行われているジャンル)の二番目くらいに支部投稿数の多いCPで、常に100~1000程度のブックマーク稼ぐくらいである。投稿作品は10本。
ほほーんすごいじゃねぇか、と思ってもらえるだろうか。だがこの数字、もう少し続きがある。
当推しCP小説の投稿数は4000程度、このうちブックマーク100以上の作品数は2000程度(特定されないようにある程度数字は変えてあるが、だいたいこんなもんだ)。つまるところ、おおよそ50%はブクマ100以上なのである。投稿された小説の半分以上はブクマ数100以上。意外に感じた人もいるのでないだろうか。こうしてみると、ブクマ100以上とは、あまりすごくはない。2分の1に滑り込むだけだ。まぐれ当たりもあり得る。
しかし、私がそこそこの数字を稼いでいると自負する点は、10本連続、という点だ。10回連続で2分の1に滑り込んでいる。単純に考えるなら、2分の1の10乗なので、1024分の1。これならば偶然ではない数値だ。
そんなこんなで、そこそこの数字を稼いでいると思っている。
さて、ここまでは長い前置きである。『パ字書き』こと私が、どういう存在であるかをざっくり知ってもらうための、長ったらしい説明であった。
ここからが本題で、パ字書きがどうして数字を稼いでいるか、という自分なりの考えと、パ字書きなりの苦悩についてお話したいのだ。
先程ざっくり神字書きとパ字書きの違いをお話したが、もう一つ気になるのは、神字書きとの違いではなく『パ字書き』と『そうでない字書き』の違いだろう。
『そうでない字書き』という新しい概念が出てきた。これは『パ字書きと同じくらいの文章を書いている筈なのに数字はいまいちで思い悩んでいる字書き』のことだ。長いので『ソ字書き』と言う。ネーミングセンスについては言及しないでいただきたい。
ソ字書きは思うことだろう。
「神字書きの文章がハネるのはわかる。あれは素晴らしい。でも自分とパ字書きの文章にそんなに差があるだろうか? なのに何故パ字書きの文章はハネて、自分のはハネない?」
ごもっともだ。それは悩むだろう。だって、ソ字書きの文章も、パ字書き程度には面白いのだ。そうでない場合もあるが、ここで言うソ字書きは、パ字書きと同等くらいの文章を書く人々のことだ。
統計をとったわけでもなし、根拠はないが、このソ字書き、結構多いのではないかと思う。そして思い悩むことだろう。ここで悩まない人間はそれでいい。その人たちはソ字書きではない。
そんな『パ字書き』と『ソ字書き』の差だが、ここにあるのは単純明快『自己プロデュース力』だ。
ここで一つ、これを読んでいる人(二次創作作品を投稿している人)にたずねたいのだが、皆々様は、支部やらTwitterやらへの投稿を何を楽しみに行っているのだろうか?
『純粋に二次創作が好きだから、その投稿先を求めて』これはあるだろう。みんなそこから入っている人が多いだろうと思う。
『せっかく書いたから、自分が書いた作品を多くの人に読んで欲しくて』これもあると思う。
『同じ趣味の人と交流したくて』なんと社交的なことだろう。素晴らしいと思う。
私とて同じだ。だけど、私にはもう一つ大きな動機がある。
そして、これが、おそらく私をパ字書きたらしめているのだと思う。
『自己プロデュース』が楽しい、とはどういうことかと言うと、私は商売が好きなのだ。
世間のニーズを調査して、そのニーズを満たす商品を仕入れ又は開発し、プロモーションを計画して、結果を出す。次の商品展開につなげる。ブランドイメージを築く。
こういう流れが大大大好物なのだ。大好きなのはヒマワリの種。へけけ。
正直、私が重きをおいて楽しんでいるのは『二次創作』ではなくこの『商売』だ。
小説の面白さは同じくらい。だけど、その小説、商品をどのように売り出すかによって数字は変わる。このことが、最高に私を興奮させるのだ。
支部に関して簡単な例をあげるとするならば、それは“サムネ”だ。
絵描きの皆様の方が、サムネに対する意識は高いのかもしれないが、字書きとてこのサムネは軽視できない要素だ。
支部には、絵を描けなくても利用できるテンプレの表紙というのが存在する。しかも最近はおしゃれな新しいテンプレが出てきて、それを利用している人も多いのではないだろうか。
使う人が多いということは、それだけ“埋もれる”ということだ。
自ジャンルでは、そこそこの頻度で小説が投稿される。社会現象ジャンル程ではないが、平均したら1日に2作くらいだろうか。特に週末は投稿が集中する。その全てを見る人というのは、そんなに多くない。みんな、興味を引くもの、面白そうなものを選んで読む。
ここで、表紙を差別化して目を引く、というのは大切な要素である。
さらに、統一感があればなおいい。一作目がハネた場合二作目も似た表紙であるならば「あっ前面白いの書いてた人の作品だ」と言う形で、そちらも読んでもらえる確立が上がる。
それからもう一つ。支部で言うなら、字数も大切な要素だと感じる。
これは、ある程度ジャンルにもよると思うし、自身の体感の話だが、支部で読む際に丁度いい字数と言うは『7000~15000字』くらいだと感じる。
短すぎると物足りなくて、長すぎると敬遠する。特に『ぱっとしない文章』を書く人間には、この字数がよい。私は、文章力のない人間に困難なことは二つだと思っている。『短い文章で上手くまとめること』と『長い文章を飽きさせずに読ませること』だ。それが出来るのは、神字書きの領域だ。それができる貴方ならば、私は貴方を神字書きと呼ぼう。
キャプションも大切だ。なるべく、話を端的に表現すべきだ。何せ、そんなにくどくど長い文章を並べ立てたら、それだけで飽きる。一文でそれがどういう話かアピールするべきだ。かつ、面白そうと思ってもらえる一文。その引きが重要だ。例えば『イエス・キリストと仏陀が、地上の安いアパートで二人暮らしをする話』。ほら、すごく面白そう。
最近フリートとかいうインスタ気取りの機能を搭載し、オタクのおもちゃにされがちなTwitterだ。
ここに広告を打つ。
しかし、このTwitterというコンテンツ、どちらかと言えば相性がいいのは絵描きだ。どんぶらこっこどんぶらこっこと次々ツイートが流れゆくTL。断然目を引くのは絵である。パ字書きがフォロワーを稼ぐのは結構難しい。『字書きは基本支部でのフォローで十分。Twitterはフォローしない』そういう人、多いだろう。正直、私のフォロワーも、支部の方が多い。最近ようやくTwitterのフォロワー数が追いついてきた。
ではどうしたらいいか。ここで味方につけるべきは、そう。絵描きの皆様方である。
やめてください。引かないで。別にそういう打算的な目で見てるわけではないんですって。ただ事実を語ってるのよ。
というより、ちょっとしたお願いに近い。思い悩むソ字書きがいて、貴方が絵描きで、その人の文章を面白いと思ったならば、そのソ字書きを救うのは紛れもなく、貴方である。貴方が広告塔だ。
Twitterにおいて絵描きの拡散力というのは、程度は違えど絶大である。絵描きはまた絵描きとつながっており、そこからまた拡散が生じる。私はこれを『絵師ブースト』と呼んでいる。字書きにはありがたいものだ。
また、これは今まで私がいたジャンル特有のものかもしれないが、絵描きは絵を摂取しRTするより、小説を摂取しRTする方が抵抗が少ないらしい。これも統計に基づくデータではない。周辺の絵描きへの聴き取り調査によるものだ。ある一人の絵描きの発言を借りるのならば『オタクというのは、戦闘民族なので、同類絵描きは友でありながら同じリングに上がる宿敵である』という事らしい。オタクは戦う。その点、字書きはリングが違う。だから絵描きも応援しやすい。そういう事らしい。
Twitterでそういう絵師の目に留まって、広告塔になってもらえれば数字は伸びやすくなる。あわよくばつながっていければベターだ。そんなに難しいことではない。一点、性癖を刺激する部分を意識しながら、小説を書き続ければいい。
例えば、『小×大(通称ショウダイ)』というCPの「はす向かいのトロロ」と言うタイトルの小説を書いて、支部にあげ、そのリンクをTwitterに貼るとする。ただし、ここでタイトルが「はす向かいのトロロ」だけでは、『ショウダイ』で検索したときに引っかからない。これでは、貴方をフォローしている人間の目にしか留まらず、新規の獲得は難しい。なのでタイトルに【ショウダイ】とでも入れておくか、ツイートに自然な流れでショウダイというワードを入れ、ショウダイで検索する興味のあるユーザーの目に留まる確率を増やすことも必要だ。やっている人、多いだろう。
こういうことを考えるのが、私は好きなのである。
そして、こうすることで目に見えて成果が出るのが楽しい。R-18と全年齢のブクマ数の違いを分析したり、ジャンルで人気のある文体を調べてみたり、フォロワーの多い人のツイートに刺激を受けたり。そうやって、実際にフォロワーやブクマ数の変動を見ているのが楽しいのである。
勿論上手くいかない時もある。全てを自分がコントロールできるわけではない。自身の投稿が、神字書きの投稿に被さって、完全にそっちに持っていかれたり、公式から重大発表があってツイートが爆速で流されていくこともある。
それでもそういう時は、続編を書いて前のいまいちハネなかった小説のリンクを乗せたり、後からRTしてみたり(自RTはリスクも多いので極力控えるが)、後からフォローを行って、何とか一つ自身のボーダーとしているブクマ100を達成させる。
こうして、自分のアカウントをプロデュースして運用していくのがとても楽しい。
おそらく、パ字書きとソ字書きの差は、ここにあるのだろう。
たまに「こういう事じゃなくて、純粋に文章力を磨くべき」とか「SNSのこういうところに疲れる」という声を聞く。
それも一つ、正しいと思う。そういう人は、パ字書きではなく、まっすぐ神字書きを目指す方針を取ればよい。これも数字を取る方略としてアリだ。むしろ王道だろう。パ字書きはやや邪道だ。私は蛇の道から、神字書きを目指す貴方を応援している。
だけど、皆様、アイドルプロデュース系のゲーム、お好きではないか?
相手の好きなものを分析して、攻略していく系のゲーム、お好きではないか?
それと同じ感覚だ。それと同じで『二次創作アカウントプロデュースゲーム』も楽しい。なんらおかしくはないのではないか。自分のマネージャーになって1000ブクマ目指そう!目指せ最大手!……悪くないキャッチコピーだ。
Twitterは後者の攻略ゲームに近い。周囲の絵描きや字書きの好みを分析しながら、そこに程よく合致する作品を書く。露骨に書きすぎないのがコツだ。ちょっとした“萌え”を刺激する。『ナースのイメプレ読みたいな……』と言っている人がいたら、他のイメプレにするか、ナースの方を拾って看病ものにしてみるのもいいかもしれない。そうしてターゲットを絞って狙っていく。引かないでください。別そういう打算的なことだk……何はともあれ、作戦が上手くいくとそこにはえもしれぬ達成感がある。成果もついてくる。二次創作者攻略ゲーム。楽しい。
それにそうやってパ字書きやっているうちに、作品数を重ねて神字書きになる道もあるだろう。神字書きになっても、自己プロデュースは無駄にならない。
神字書きになる前のちょっとした段階として、パ字書きを経由するのも良いのではないか? そういうススメだ。
ただし、ここでパ字書きの闇にも触れておきたい。
ここまでパ字書き悪くないぞ、という話をしてきたが、問題は、神字書きにはだいたいバレる、ということだ。
バレるというか、ちょっと面白くないように思われているのを肌で感じる時がある。
これは、神字書きにも思われることだ。
たまにまかり間違って、神字書きと投稿時期が被った時、自分の方が数字が大きいとやや気まずい。実際あったが、これは本当に気まずかった。明らか、神字書きの方が文章が上手い。しかもテーマも似通っていて、字数も同じくらい。言わば、神字書きの文章がイタリアンシェフの高級パスタだったのに対し、私のはめちゃくちゃ即物的なカップ焼きそばだった。だけど、その時、ジャンルでウケたのはカップ焼きそばだった。そういう時もある。たぶん、みんな疲れていて、そんなにゆっくり味わう時間がなかった。
その直後、私はその神字書きにリムられてしまった。やられた。せっかく攻略したのに。
上記のことだけじゃなく何か他にも性癖なりなんなり理由があったのかもしれないが、カップ焼きそばを動線の一番いいところに大量陳列して売上を稼いでいることがバレてしまったからだろうと思う。『こいつそれなりの振りしてるが、実のところ文章ぱっとしねぇな』と、気づかれてしまったらしい。パ字書きバレしてしまった。不覚。
こればかりは、自分でも自覚があるからどうしようもない。自分の文章は神字書きと比べてぱっとしない。の割に数字を稼ぐ。これは、本当に文章力がある人からしたら、非常に滑稽だろうし、面白くないだろう。私が神字書きだったら面白くない。
自己プロデュースを楽しんでいる私だが、それと同時に二次創作が好きだし、文章も好きなので、やはり「上手く書きたい」と感じる時もある。オタクは戦闘民族だ。圧倒的火力で殴りたい。こういう時、パ字書きはどうしても『自分は本物ではない』という葛藤に苛まれることがある。足りない文章力を、自己プロデュースでかさまししていることを、自分が一番よく知っているからだ。
その葛藤から逃れるためには、結局のところ、文章力を磨くしかない。それは変わりない。
しかし、数字はモチベーションになる。読者が多いことは励みになる。パ字書きであることは、私の筆の進みをサポートしてくれる。
圧倒的火力を手に入れるその日まで、私は頭を使ってリングに上がる。
こういう楽しみ方や、オタクもアリだろうと、そう思ってくれる人がいるならば、嬉しく思う。
あと、この文章を読んで、周りにパ字書きがいても嫌いにならないでね。結構、面白い文章書いてるはずだから。単純に頭使って頑張ってるだけの奴らだから。
以上、パ字書きのススメでした!
ほとんどの人は、公共なら性的な表象はNG、個人の表現ならOK、
企業の広告などはケースバイケースくらいに捉えて、今回は不適切と言っているのに、
「公共の場に私の嫌いなものがある、傷つくから配慮せよと言っている。「脆弱」を盾に取ってる」とか言う人は一体何を見てるんだ。
https://twitter.com/anatatachi_ohno/status/1411136608317829121
ツッコミどころがとても多いツリーなので大きなところから書いていきたい。
https://twitter.com/erishibata/status/1410962770082734086
https://twitter.com/erishibata/status/1410963962368172038
表現規制派・フェミニストサイドの主張ラインが行き当たりばったりの気分任せにしか見えない。
献血ポスターではガッチリ服着てて肌なんか肘から先と顔しか見えてない女の子のイラストでダメ。
規制の為にもちだされるタームである「性的」や「性的な表象」が
これはずーっと言われてるのにまともな説明が出来ない。
多分自分達でも理屈が定まってないからキモオタイラスト狩ってたはずのミッションで胸が大きいモデル業の女性まで侮蔑・罵倒して狩った。
もし同じような規制を敬虔で原理主義的なムスリムが言ってるなら基準の動機の想像ぐらいは出来る。(本来規制される側に想像を強いるべきでないが)
あ、たぶん「少しでもエロさの萌芽が私に感じられたものは全てダメ」と言ってるんだなと。
そういう宗教の人はつまり性的な興奮で信徒の社会の安定や信徒の心の清らかさが損なわれることを危惧してるし聖典の戒律でもそうなってる。
あの人達がかなり滅茶苦茶に人の服装や髪の毛すら取り締まれるのは強烈なコンセンサスのある宗教が社会を支配してて
その社会にいる=その宗教コンセンサスを受け入れてると見なされてるから。
「私がエロいと感じたものは全てダメ!」をやる権利や論理はどこから来てんの?
ここはイスラム国じゃないのであなたがたの不安神経症やヒステリーや性嫌悪に付き合う義務が他の人達には無い。
「女性誌の表紙が半裸のエロい男だったら男はそれを見てどう思うんだ!」
ミラーリング検討すら出来てない性嫌悪的な感情であると自分から白状してしまう。
https://twitter.com/gosainail/status/1407386399100137478
これで「ケースバイケース」って言われてもさ。
だって判断力も判断の動機も全く信頼性がないのだから「ケースバイケース」じゃむしろ困る。
@anatatachi_ohno
そっくりお返ししたい。
セーフアウトの基準のラインは批判したい側規制したい側が出すべきである。
なんで自分のアクションなのに相手にボールを渡すのか。そんなに「説明する側」に立つのが嫌か。
撤去されるべきと信じるほどその表現を憎むのに、憎しみの理屈を説明せよと言われると逃げ回るのが理解できない。
問題の議会のポスターは個人的にはとてもダサくて意味不明でナンジャコレと思うが
しかしこれが「規制されるべき性的表現」だといわれてるなら「その規制されるべきの基準はどういうところにあるのか」と問うしかない。
別にこんなポスターが守りたいからやるんじゃないしそんなの問う(どうせ理屈は何も考えてないかは···)のが楽しいわけでもない。
とっても面倒くさいけど仕方がないから聞いている。
トイレ掃除と同じ責務、やりたくないけどさぼるととんでもないことになるdutyとして聞いている。
「公共で規制されるべき性的表現(性的表象なのか性的表現なのか、一連のtweetなら言葉ぐらい揃えてくれよ)」の基準は何か。
あなたがたがこれをきちんと示せばもしかしたらその瞬間話が完了するかもしれないし
なんで「この表現は許されぬ」と言いながらアウトセーフのライン引きから逃げ回るのか。なぜ自分の主張の説明も出来ないのか。
挙句に規制される側へ「説明すべき」などと転倒した要求を恥ずかしげもなく垂れるのか。
ここだけでも答えてほしい。
自由が基本でしょう?
全く逆だ。
そっくりお返しする。
そもそも規制の為の論理をきちんと考えて用意してあるなら「説明するな」と言っても説明したくなるはず。
私なら嬉々として「よく聞けよ」と説明する。嫌がられてもつかまえて説明する。
あなた方が徹底的に説明を避けるのは要するに、ちゃんと考えてない、用意がないのだと見なさざるを得ない。
女子生徒の下着の色や形にアヤ付けて取り締まってくる教師がいるとしよう。
それなら「どういう下着ならセーフなのか」「今の下着はどういう理由で不味いのか」これは教師側に説明する責任がある。
大野先生が言ってるのはアヤは付けるのに説明すらしないということ。
「学校ではどういう下着がセーフだと思ってるのかお前が先生に説明しろ」というスタンス。
こういうことを書くと「普通」とは何か、あなたが勝手に「普通」を規定しているだけだとかいう反発が来るけど、
これは本当に話にならない。
とにかく相手がおかしいんだ説明なんか要らないんだというこの議論のどこに知性があるのか。
百歩譲ってそのようなアホな思い込みしているのを許そう、「明白な普通性は我にあり」も許そう。
あなたはその原理的レベルに戻って相手をぶちのめすしかないではないか。
ぶちのめしたうえで「いちいち面倒なことをさせるな、ペッ」ならわかる。
しかし原理的レベルに降りて相手をぶちのめすことをしようとしない、できない?
ただ「私が普通なんだもん」「私が正しいんだもん」と言い張るだけ?
これはもう本当に話にならない。
これは明白なことなので疑問を挟むこと自体がまずい。疑問を持つことがあなたの問題。
そこに疑問を持たないなら私が正しいのだから話は終わり。」
なんじゃこりゃ?
すんごいうんざりしてるけど、
実はこういうレベルの人の相手するのめっちゃ慣れてるんだよね。
こういう頭の悪い論理展開をネトウヨから100回は聞かされたから。
たとえばわけわからん女性差別政策外国人差別政策の推進案などを聞かされて
「欲求はわかった。しかし一体お前はどういう理屈でその政策を正当化するのか」と聞くと
「普通の日本人ならこう思うの!」と返してきて全く話にならねえ頭に糞でも詰まってんのかボケというアレ。
私は普通だもん常識だもん私の考えが普通で正しくて当たり前なんだもんみたいな話になんねえ寝言は
低学歴なネトウヨと会話してるならしょーがなーと思ってあきらめてるけど
大学の先生に同じレベルの論理で発言されるとゾッとするんだけど。
でも大野先生個人がこうと言うよりネットのフェミの人や規制の人マジでこのレベルだよね皮剥いていくと。
性的表現それ自体が悪いのではなく、性的表現は何であれある指向性を含むから、
なるべくニュートラルであるべき公共の場では使用しない方がいいというだけのことだ。
そこを押さえて初めて、個人の表現の意味が出てくるのに、表現者としてそんなこともわからないのかと言いたい。
@anatatachi_ohno
相変わらず内容不明な「性的表現」の問題はいったん流すとして、「性的表現の指向性」ってなんだろう?
ミニスカートの女性とか半裸の男性とかはニュートラルでない存在なの?指向性があるの?
じゃあ「ミニスカ女」と「半裸男」の指向性ってどのような方向かたった2例だからちょっと具体的に説明してみてくれない?
申し訳ないけど、かなり無理のあるそれっぽい表層的なお題目をやっつけで持ち出してきたようにしか見えない。
「フシダラっぽいからやめましょう、フォーマルにいきましょう公共の場だから」のほうがまだ「普通」な理屈じゃない?
柴田えりに「フシダラ狩りかよ笑」って言われたから仕方なく別の理屈ペタッと貼り付けましたってだけじゃないのこれ?
「公共の場」がはっきりしないという意見に。今回で言えば行政やそれに準ずる機関・催しは公共。他には医療、教育、公共交通機関も公共に含めていいと私は思う。
「性的な表現」とはなんなのかの説明を逃げ回る時点でこんなの何も言ってないのに等しいんだけどそこを大甘で見逃して、
性的な表現をアイキャッチにすることは避けられるべきがなんでなのかまた説明出来てないよね。
「フシダラだから」「わいせつ物に準ずる雰囲気があるから」「なんか下品だから」「週刊ローレンスかよ」のほうがまだよっぽど「普通」な理屈だと思うけど
そこはさきに柴田に攻められただけ。
大野左紀子@anatatachi_ohno
(最初から最後まで「私の思っていることや考えていること」を書いているのに、「貴方の感想」とか「個人の主観」とか言って否定できた気になってる人なんなの)
このツイート見るだけでどんなクソリプがついてるか手に取るようにわかるのでそこは同情します。
しかし大野先生の話をちゃんと通しで読んでもこれは話になんないですよ。
むしろなぜお前等に自由などが認められるべきなのか説明するべきである。
「普通」に疑問をさしはさむお前等がまずい。
公共の場で性的な表現がまずい理由はえーとえーとフシダラはダメなので…
「性的表現の孕む指向性が公共の場のニュートラルさを損ねるから!」
全体的に何言ってんのかわかりませんね。
おそらく酔っぱらうかなんかしながら連続tweetしたのもあってこの出来なのでしょうから
マジで?
柴田も大野先生もそういうとこで争ってんじゃないと思うんだけど。
何の権限もない一般人に基準を設けろなどと迫るのなら、まずは「基準が示された場合はそれに従う」旨、線引き論者全員の合意をとるべき。
なんじゃそらw
一分十回までな。
あのさあ、実際に何の権限もない連中がお気持ちであの表現だめこの表現だめつって炎上させて電凸して表現を何度も狩ってるわけだ。
と言ってんの。
そういわれるとどこまでも逃げ回るだろ?
あかんぼうかおめーらは。
つかルールが曖昧だからこそ表現者は倫理的限界を攻められるんだけどなあ
2021/07/05
「規制の基準は曖昧にしておかないとボクチンたちお気持ちチンピラがいちいち規制の理由を説明しなきゃいけなくなってたのしくない!もっと自由に暴れさせろ!」
のまちがいだろ。
大野先生にもいったけど、自由や権利が先にあって、特別な理由があるとき例外的に制限されるの。
だから制限基準が曖昧だったら恐ろしいの。それでも制限したいのが君たちなんだからせめて責任もって基準を示そうよ。
こっちの人達は線引ができれば抜け穴を作れるとしか思ってない。そんな要求に付き合う必要はない。
2021/07/05
ほらね、これが本音よ。
基準なんかなく自分の気持ちのままに規制したいからラインを示したくないでちゅ。
これでしょ?
明白かつ自明に「普通」である私たちがいて、私たちの感覚に従わない悪い奴がいる。だから無限に変わる基準で一方的に取り締まらないとダメなの。
これが本音。知能のレベルも思い上がった独善性もネトウヨと一ミリの差もねえ。
トップが入れ替わって「公的に定められたガイドラインにあのポスターが違反しておるぞ」と言うブコメが上位を占めてきてる。
今そういうステージの話をしてないと思うけど、あのポスターを叩く理由にそれを使うなら少なくとも明文化された基準が使われてるだけ文明的だと思う。
この手の主張、規制するなと言っている側が結局は具体的な手枷足枷を作ってくれと言ってるわけで、表現の幅を狭めたいのか広げたいのかどっちなのかと思う。
2021/07/05
みんなの前に具体的な手枷足枷を置けたら、「この手枷足枷は公正妥当か」についてきちんと議論出来るよ。
先生とも思ってないくせにな
敬意と親愛の情を込めたので超心外。