はてなキーワード: 非常勤講師とは
http://anond.hatelabo.jp/20111025181753
今更だけど読みました。
俺はまだ今年一年目のペーペーだけど、やめたい。
一年目だから、まだ色々優遇されているところがあるんだろうけれど、先輩教員や職員室の雰囲気が嫌。
生徒の前ではいい先生を演じていても、職員室で非常勤講師に無理難題を押しつけたり、先生たちの飲み会で非常勤講師に酒を注がせたり、辛い物ダメな人に食べろコールしたり。
体育会系では当たり前なのかも知れないけれど、ずっと非体育会系で生きてきた俺には、見るに耐えない。
幸い正規採用だからか、こっちはそういうののターゲットになってはいないけれど、露骨に無視というか、話題に入らせないようにされてる。
俺とA先生とB先生の三人しかいない場で、A先生とB先生が談笑。
俺がA先生に話しかける→露骨にB先生が話を遮って、打ち切る→B先生どこかへ行く
みたいな感じ。
B先生は三十後半で採用試験受かった人で、対して俺は採用試験一発で受かってるから、最初から凄い嫌み言われてた。
仕事上同じ部署だったから、分からないこととか聞くと「採用試験一発で受かるような優秀な先生なんだから、俺なんかに聞かなくてもわかるでしょ」みたいに。
俺は全然そんなこと思ってないし、他の先生と変わらず、先輩として接していたつもり。
その内、相談すると「そんなくだらないことを聞くのは時間の無駄」みたいなことを言われるようになった。そこまで直接的ではないけど。
で、相談するのを控えてると、今度は、自分に相談もなくやったってことで機嫌を損ねた。
こんなの、教師に限らないんだろうけれど、今までの職場でこんな体験したことないから(そこそこコミュ力はある方だと思う)、正直戸惑ってる。
もちろん今までの職場でも、こういうタイプの人はいたけれど、今までそういう人とは密接に関わらないで済んでたし、仕事さえちゃんとやってれば問題は起きなかった。
いえいえ、反応してくれてありがとう。
その先生は文学部(英文科)の教授で、理系の必修の英語の講義を受け持つこと自体が珍しかったのだけど、
(他のクラスは講師とか非常勤講師とかもっと若くてフットワークが軽い感じの役職だった)
同じ大学っていっても小さな大学で学部間の教授の交流はないのもあり、
「理系=シコシコお勉強するばっかりのつまんないやつ」って意識が講義の合間の人生訓にでてきて
それがむかつくんだわ。
講義自体は真面目な英語の授業で短いながらも文学作品を選んできて一年間かけてやってくれたから、
問題無いんだけどね。
非常勤講師じゃ分からないと思うんだけど、Fランク学生とやらは、まじめそうに見えても、
やっぱりまじめじゃないよ。ゼミや飲み会でつきあってみると、「○○の授業で聞いたろ」ってことが
すっぽり抜け落ちてる。彼らのノートをよく見てご覧。あなたの板書したことを丸々コピーしてるだけで、
考えて書いてないから。前期テストの採点はまだ終わってないはずの時期だけど…、課題の提出率や、記述問題の
回答率も極めて悪い。点数も低い。
入試にしても、Fランク大学は存続の危機だから、基本来た学生は全部取ってます。勉強しなくても入れます。
もちろん教員が勉強の手ほどきをしたら、まじめに勉強して、一点突破主義で有名大学院や企業に行く学生も
前期授業を終えて一つ気づいたことがある。
毎回、授業に出ている人間ほど死相がでていること。
一人で、黙々と授業をうけているタイプね。
最初はそういう子が可愛かった。しっかりノート取ってくれるのが嬉しかった。
でも……。なんというか真面目すぎて可哀想に思えてくる。
遊んでいたから、勉強していなかったから「来てしまった」とは違う。
しっかり受験に取り組んだ末に、「来れた」場所がここだった。
そう思うと景色がぐちゃぐちゃしてくる。
勉強すれば誰だってMARCH以上には……そう思っていた自分。
でも、ここには勉強してここに来れたという人がうじゃうじゃいる。
大人しそうで、遊びを知らなそうな、静かに本を読んでいるのが似合うような子。
そういう子らを観察していて、「あっ」と気づいた。この子は何もすることがないから、
何も出来ないから授業の「出席」と「ノート取り」に逃げているんだ。
そして、言ってやりたくなった。そこだけ頑張ったって意味はないよ。
もっと遊んで視野を広げなよ。学生生活を満喫して思い出作りしなよ。
たぶんこういう子の方が就職できないんだろうなあ……。
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未就職博士 (OD) の問題がついに新聞紙上に姿をあらわした。昨年秋の札幌の学会で、当地の若い人達がOD問題のビラを配っていたが、内容は”われわれをどうしてくれるのだ”ということであった。筆者の大学では、1967年物理系の学科ができたが、教官定員はアッという間に優秀な人達で埋められてしまい、もう空き定員はない。その後いろいろな方面から就職の照会があるが、ない袖は振れず、如何ともし難い。このようにして、われわれも事の重大さを数年来感じてきたが、何等の有効な対策も講ぜられぬまま今日に至ったのであろう。素粒子関係では未就職者の数は600名とか1000名とか聞く。この人達は本職ならざるアルバイトをしたり、周囲の庇護のもとに生活しているのであろう。現在のわが国は数千名のODを養う経済的余裕があるのかも知れない。しかし、たいていの人はODとなって何年か後には”おれをどうしてくれるのだ”という不満をもつにちがいない。いや既に各所でこの問題が表面化しておればこそ、新聞種にもなるのだ。
筆者の近所にはいわゆる教育ママがたくさんいて、小学校のうちから一流大学を目指して子供をしごく。愚妻もその1人であって、大学の非常勤講師手当を上回る額を月々進学塾に貢いでいる。このまま大学までずっと勉強を続けるのが母親の念願なのであろう。大学で勉学をするのは当然なことだが、最も熱心に勉学を続けた人のなれの果てがODではないか。筆者は時々愚妻に”子供をルンペンに仕立て上げるつもりか”と言う。しかし、大学入学以後のことまでは考えが及ばないようで、あまり効果がない。
たしかに物理学は若者の心を魅了するものをもっている。筆者の教壇からの経験をいうと、1年のクラスでは話が熱力学第2法則とか相対論のくだりになると、日頃ゴソゴソ私語を交わしている学生でもフト熱っぽい眼をする瞬間がある。”私は物理学にだけは強い幻想をもっている”と言ったある全共闘の学生を忘れることができない。”1次元振動子の理論はよくできすぎている”と溜息をついた学生もいた。同じ意味で、群論の量子力学への応用とか、Dirac方程式などには何者にも替え難いBeautyがある。ところで本講座『現代物理学の基礎』の各巻を執筆される方々は、物理学をいかに美しく展開するかに薀蓄を傾けておられるであろう。そして多くの学生を魅了することであろうが、彼等に対してわれわれは責任を感ずべきではないだろうか。少なくとも彼等が物理学への興味を失うことなく、正常な姿で生活できるようにと願うのは自然の感情であろう。筆者は博士課程、とくに理論方面に進む希望の学生に対しては、ODの現実を説き、物理学の汚い半面を強調して、その夢を醒ますことをまず試みる。それにもかかわらず、素粒子とか生物物理を志す学生はあとを絶たないのである。
しかし、思ってもみるがよい。なぜOD問題が生じたのか。講座増を希望したのはわれわれである。教官定員が増え、万年助手が昇格し、研究室が活気を帯びたのも束の間、学生は年々入ってくる。これらの学生は産業界には出てゆかない。そこで再び教官定員増を要求する。しかし政府はある学生数に対して教官を配置するという方針を墨守しているから、この悪循環は急速に発散して今日の事態となったのではないか。すなわち、非は数年先のことを考えずに(または考えていながら)教官の定員増を要求した大学側にある。
一昔前の話になるが、筆者が米国の某大学で、物理学科の学生1人1人に、学位を取ったらどこへ行くかを問うたところ、1人の例外もなく、"Industry" と答えたのに驚かされたことがある。学位を得て産業界に入れば指導的地位を約束されるそれに対して日本の産業界は、修士を受け容れる体制はできたが、博士となると”固まりすぎて融通性がない”という理由で敬遠する。わが国の産業界はまだ博士を必要とするほど発達していないというのは一面のいいわけで、これも大学側に責任があると思う。米国の大学では博士たるものは1つのテーマについて研究を仕上げると共に、年に何回か行われる試験によって物理学全般の知識についてチェックされる。また学部下級生の講義や実験指導をする "Teaching Assistantship" の制度もひろくゆきわたっていて、これがどのくらい彼等の学問と社会性を育てるのに役立っているかわからない。一方、日本の博士課程では3年なり4年なりの間自分の専門に閉じこもり、社会とは隔絶して研究をしていればよい。このようにして彼等は”固まって”しまい、物理学の極めて狭い分野の専門家となるのである。われわれの世代も実はこのような道をたどったので、あるいは、物理学者が社会に眼を奪われるのはもっての外、就職に頭を悩ますなど言語道断と言われる方もあるかもしれない。現に某大学で学生の就職に無関心であると非難された教授が、多分売り言葉に買い言葉であろうが、君達が大学院に入ったのは学問をするためか、就職をするためかと開きなおったそうである。たしかに就職など世俗のことにわずらわされることなく学問ができたらそれにこしたことはない。そこで筆者はこのような理想的な環境として、またOD問題の解決策として次のことを提案する。
それは宗教的教団に似たInstituteを作ることである。名づけて日本素粒子教団、生物物理教団等。この教団に属する人は、世間から僅かな喜捨を仰ぎ、粗衣粗食に甘んじ、妻帯の望みも絶ってひたすら学究生活をする。たまたま在家のわれわれも修業をしたければ年期を限り、なにがしかの費用を払って入団できる。このような教団は古代にもあったようだし、僧侶階級をみてもわかるように、比較的永続きし、しかもすばらしい業績を挙げうるものである。もしかするとOD問題は古代からあったのではあるまいか。
しかしODの中には一応の社会的なセンスをもち、このような教団に属するよりは、世間の人と混ざって生活し、積極的に世のため人のために尽したいと思っておられる人もいるにちがいない。その方々に筆者の日頃思っていることを述べて同憂の士をつのる。われわれは実は手がなくて困っている。現に筆者は、1年・3年・4年・大学院と週10時間の講義を持っているが、年々新たな講義をしようとすると並大抵のことではない。しかも、どの大学でもそうだが、1年生は大教室で講義を受けさせ、入学当初から大きな幻滅を与えている。この1年生への講義ほど、物理学者にとって大切なものはない。つまり受講生の大多数は、将来物理学を専攻しない学生であり、これらの学生の教育こそ物理学が社会全体に正しく理解される足がかりとなるはずである。物理学が正しい姿で社会に浸透すれば、物理学者の発言権も強まり、ひいてはわれわれの社会的地位の向上にもつながる。それなのにわれわれは、その教育に手を抜いている。少なくとも上級生の教育ほど力を入れていない。これは間違っていると思うが、人手が足りないから致し方ない。若しも教官の数が、学生数が現在のままで倍になり、昔のように少人数の講義ができたら、どんなに幸せであろう。さらに少数の学生が1人のTutorまたはAdviserの指導を受けるような制度でもよい(英国の大学またはモスクワ大学のように)。そしてODを全国の大学に吸収するのである。しかし、これを実現するには、学生数に対して教官数を算定する政府の基準を改めさせ、さらにはその根本にある考え方を変えさせなければならない。これを行うだけの政治力が物理学者(基礎科学者)にはないものだろうか。 OD問題をこのままで放置し、破局的状況に持ちこんで、政府をして嫌でも対策を講じざるをえないようにするのも1つの方法ではあろう。しかし筆者は歳のせいか、できるなら破局的状況は避けたいと思うのである。
> 一律廃止したら、結局、単純増税になるだけで、そっちの方がどうかと思いますが?
税金の上げ下げで社会構造を変えたいのだから、部分的に税金が上がる人がいてもいいでしょう。今回は子供手当てのために上げると言っていたのだから、専業主婦は働くか子供を産め、という意思なんじゃないかと見ていたのだが。
> 多くの時間を売れないから、そして、労働力の需要と供給の関係で、そういう人が多くいるから、ではないでしょうか?
> 寧ろ、所得税増税と消費税増税(4年後に15%でしたっけ?)で手取りは減るんじゃないですか?
供給側が103万や130万以下と固定されてしまうシステムが問題。全体のベースアップができない。
非常勤講師は相当特殊な例だと思うが、パートのおばちゃんなどの収入自体が増えない仕組みを問題視している。一部の抑えたい人のせいで、増やしたい人が割を食っている。みなで上げるように交渉すればいいものを、貰いたくないといっている人が他にもいっぱいいるし、と雇い主側が主張できてしまう。
朝刊で先に扶養控除はなくすけど配偶者控除はまだ残すというのを見て、こいつら馬鹿かと。配偶者控除打ち切りはある意味一番期待できる政策だったのに。
Q:私の母は大学の非常勤講師を20年やっているけれど、少なくとも20年間、新任者の給料は一切上がっていません。なぜでしょう。
A:非常勤講師の候補者には控除からはみ出たくない人が多くいて、彼女らは年100万以上払わなくても働いてくれるので、わざわざ高給を提示する必要がないため
とかそういう例でね。うちでも給料上げろという交渉は大変だった。会社で単純作業に従事しているおばちゃんたちの時給を上げようとすると断ります、なぜでしょう→上げると控除からはみ出て総収入が減るため。しかも下手したらただで残業してくれます、なぜでしょう→給料を余分に貰いたくないから。などなど。
それでいて最低賃金を上げようとかちぐはぐにもほどがある。男女平等を著しく阻害するとか、貰う側が低賃金を希望するインセンティブになっていて、ワーキングプアの代わりがいくらでも出てくれるので給料が上がらないとか、そういうレベルで社民党あたりが昔からもっと叩くべき政策だったと思うのだが反対している気配がないよね。
だいたい、普通の税金はちゃんと収入と手取りが単調増加の関係になるよう設計されているのに、配偶者控除とか保険料とかが、突然特異点があって手取りが減る設計なのがおかしい。
---
追記。恥ずかしながら配偶者特別控除の存在は知らなかった。どちらにせよ妙な壁を制度的に用意するのはおかしいので、3号年金などとともに廃止の方向へ向かうべき。
私は非常勤中の非常勤講師みたいなのをやっています。
高校ですけど。授業にならないってすごいストレスだし大変ですよね。
私の比じゃないと思いますが。
奥様には、「心(精神)の不調」というよりも「脳の不調」という風に説明/説得してみてはいかがですか?
風邪は放っておけば治るし気合いで防げたり治せたりするように思う人もいますが、
盲腸はそうではないですよね。切るとか散らすとか、そういった医学の力を借りないと、腹膜炎になったり、
最悪死んでしまったりしますよね。
風邪を引いた時はドリンク剤が有効かも知れないけど、盲腸の時は役不足かも知れない。
内科で虫歯を治療して貰えない(ですよね?!)のと同じ。とか。
奥様の気持ちもわかるような気がします。つらいですよね。。
いい案が見つかりますように。
まず、提案は心の底から真面目に言ってますのでご心配なく。
で、批判は主として
「『教科特別講師』の有効性への疑問」-(1)
「教師の役割に関する主張」-(2)
以上の総体として
という問題だと思うけど、(1)については「人と関わることで人は変化する」ということを一つの視点としてあげておきます。研究室に閉じこもるだけの生活も大切だけど、そうでない生活も結構大事です。つーかそもそも文系だと高校で非常勤講師とかする院生もいるし、アカポス取れない人間が、即『対人関係不適格者』という断定は余りにも失礼というか偏見というか。
(2)についてだけど、教師の仕事を「勉強という苦行の監督官」として見るというのは、個人的には意外過ぎるというか。自分が見聞きした範囲内でそういうタイプの教師をそもそもみかけたことが無いのだけど、そういう人は本当に実在するの?
まあ自分の見聞の範囲が狭いだけかもしれないけど、ひょっとしてあの『忍耐力の訓練』にしか見えないような無茶苦茶詰まらない授業とかしてた先生はそういう人だったのかなあ?
教師の仕事のもっとも重要な仕事は教育であることは当然なんだけど、人が人を動かす方法には3通りあって
・強制する
・餌を与える
・まず人を惹きつけその人が望む物を自ら望むようにさせる
なのね。人対人なら「ムチ・アメ・恋や憧れ」と言い換えてもいいし、国対国なら「戦争・援助・文化的侵略」と言い換えてもいい。
でもって、俗に「馬を水辺まで引いていくことは出来ても水を飲ませることはできない」と言われる通り、教育がその効果を上げたければ、ムチ・アメだけでなく、やはり3番目の「憧れ」させる要素は非常に有効なわけです。だから子どもに「学ぶことは面白い」と感じさせるロールモデルは不可欠なんですよ。もちろん身近にそういう大人のいる家庭はいいんだけど、この時代そういう家庭ばかりではないわけで、公教育の現場に置かれる「学ぶことを現在進行形で面白がっている人」は、「教育」を主眼とする学校という組織にとって、ちょっとしたメリットどころかものすごく重要な一つのパーツとなると思うんですけどね。
自腹は絶対にやめれ。
絶対にやめれ。絶対にやめれ。絶対にやめれ。
手取り14万の増田が教材費出すことを、増田の情熱って捉える人はごくごくわずかだぞ。
しかも非常勤講師が自腹を切らないと成り立たない教育なんて、その地域の教育の程度が低いことをさりげないメッセージとして垂れ流すことにもなってるんじゃね?喜ばない人の方が多そうだぞ。
ただでさえ充分に報酬をもらえてないんだから自分を安売りしちゃダメだ。
金出さないと出来ないことがあるならしなくて良い。増田の犠牲の上に成り立つ教育など俺は認められない。
親がうるさいなら、「はいはい」とその場だけいうことを聞いて絶対にやらなきゃ良いんだ。
元増田です。
こういった風に意見をもらえるなら増田で書いたのは失敗だったかなと思いました。
けど、増田は色々な人が居て色々な意見を見ることができるのでそれはそれでメリットであると。
常勤による遠回しの非常勤批判?と思った俺は任期付きィィィィィ
私は学生ですよ。常勤による非常勤への批判って多いんですか?
任期付きも大変ですよね。ちょっとグーグル先生で調べたらこんなものが。ちょっと古いけど非常勤講師の問題について取り扱っている記事です。
他に30代の非常勤講師の方の講義も受けているのですが、苦労してんだろうなあ。
非常勤講師経験者として言わせてもらうと、自分の専門ではない分野の講師やるのはザラにあることです。そういう場合自分はみっちり勉強しなおしましたが、中には勉強していない人もいるでしょう。
ざらにあることですか。
きっと勉強はしたのでしょうが表現方法というのが一般的ではないものだったので。非常勤講師というのは同じような職業の方との繋がりはあるのでしょうか?もし同じような職業の人と一緒になれば、「こういった教え方はどうだろうか?」と相談できるのに……
既製の本を教科書として採用してしまうと、その本の良くない点をきっちり指摘せねば、と思い、つい全体像が疎かになってしまうことあり。教科書を離れると、買ったのに使わないのかと言われそうだし。教科書通りでは
ああ、ブクマの100文字制限に引っかかってる……
確かに、どの講師の講義でもよく「この教科書の表し方は云々」と言っています。
そうですよね、教科書の表現が絶対に正しいと言うわけではないですし。
比較。→http://b.hatena.ne.jp/entry/http://web.d-department.jp/blog/2008/12/post_486.html
デザインとは単純には比較は出来ませんが、このナガオカさんの日記もなかなか興味深いものですね。
いかにもありそうな話。
きっと至るところに私と同じような境遇の学生が居ることでしょう。
文系の事はよく知らないのですが、そうなのですか。
工学系であるとどうしても目に入ってくるので……
質問攻めはやめた方が無難。処世術を身に付ける訓練だと思い込んでどう扱えば好かれるかを考えるか、もしくは単位を発行する空気とするかのどちらかかな。
ちゃんと考えていなかった……ご意見の通りそうした方が有意義ですね。
どう扱えば好かれるか。ですか。なるほど。
基本的に工学系の人は自分の講義内容に対しての質問であれば「この学生はちゃんと話を聞いている」とか「私の知識に頼ってくれている」と感じ、いい風に捉えられると思います。(少なくとも自分がその立場に置かれたら、そう思う)
うまくいけば、少し成績が上がるかもしれませんしw
処世術を身に付ける。
この非常勤講師の方、人は悪くはないのです、ただ教え方が……
上手に人と付き合うのも大事なのですね。
取った講義に非常勤講師の方の講義がありました。受けてみると何かおかしい。
高校の3年間、現在専攻する内容について学んでいたが(工業高校)、どこと無くその講師の言っていることに違和感を抱いた。
講義が終わったあと、その講師にその違和感のあった(極々初歩的な)内容について質問をしたら、
「あーぁ、そういうことか」
との返答。この時、私の頭の隅に「もしかしてこの人、自分が教えてる内容を理解していないのでは?」と言う不安を持った。
その後の講義内容も教科書や参考となる文献を自分なりに理解して伝えているようだったが、的をえておらず私からしてみれば「なぜ曲解して学生に教えるのだろう」と思えるような内容であった。そんな事をするなら教科書をそのまま教えたほうがわかりやすいのになるべく(自分で設定した)教科書を用いず自作のプリントを用意して自分の曲解を学生に教える。
私が「曲解」と感じるだけで他の学生にはわかりやすいのかもしれないが。
先日テストがあったのだが、これまた難問。何が難問かと穴埋めの文章問題なのだがその講師の表現で問題が構成されていたので、講師の意図する回答がよくわからない。しかたなく当たり障りのない回答をしたがどうだったのだろうか。
60代の方で自分よりも知識のある方だと思うので敬ってはいるのだが、どうも納得いかない。
今までの蓄積で単位は修得できると思うのだが、それではせっかくこの講義を取った意味がない。
増田のみなさんは「この講師理解してんのかな?」とか、「わからずに教えてる」と思った事はないでしょうか?
昔のことを思い出した。もう10年以上前の話だ。
同じ専攻の院生で、一番親しかった友人とその子を一緒に引っ張り回して、
何回か遊んだ記憶がある。
友人はその直後に1年間の留学に旅立った。
その子たちと一緒に空港まで見送りに行ったな。
その後、その子に何度か食事などに誘った。
最初はついてきてくれていたのだが、そのうち、ついてこなくなった。
ちょっと悲しかったが、年上の友人に相談したら「そんなこともあるよ」と言われた。
あるとき、意を決して告白することにした。
「好きな人がいる」と言われた。
それは、友人だった。
帰り際に花束をゴミ箱に捨てた。
「君の勝ちだ」
あとで共通の友人から状況を聞いた。
彼らが気持ちを確かめ合う手紙が往復し終わったのがその日だった。
なぜ自分たちのことを僕が知っているのか、彼は驚いていた。
国際電話で彼をなじった。
翌月、親が2万円も国際電話の代金がかかったと驚いていた。
僕はもう大学院にはいなかった。
いろんなことがあったけど、彼との関係は続けたかった僕は、
行きつけの居酒屋で以前のように飲むことにした。
一通り飲んで食べた後、彼の手を見て、僕は凍り付いた。
一瞬にして僕は状況を理解した。
さっと酔いが消えた。
そのとき聞いた話では、友人は帰国後、すぐに彼女の家に挨拶に行き、
ちゃんと付き合う前に結婚を決めるとは、いかにもヴェルテル好きらしい。
年上の友人は、「うまくいかない気がする」と言った。
僕はその結末を予測していたし、年上の友人の予言は当たらないと確信していた。
友人の専門領域とほぼ同じところをテーマに選んだ。
北端の地に昨年やっと常勤の職を見つけた。
もうこれで安心だ。
彼女の方はまだ30代前半のはずだから、これから子供を作ればいい。
彼女のことはほとんど忘れたし、興味もない。
しかし、友人のことは未だに引っかかっている。
恨みはないが、決して「これしか方法はなかった」とは言われたくない。
業という言葉でなら片付けられるが、ほかは願い下げだ。
ああ、僕か。僕は今でも独りだ。
馬車馬のように働いて、さっさと死ぬのがいいと思っている。
博士の壁ね。
確かにその通り。
博士号をとるには乗り越えるべき壁があるし、そこを自分としては乗り越えられなかった。
つまり博士論文を仕上げられなかったわけだが、その点では能力が及ばなかったのだろうな。
だが、博士課程に進学した当初は当然博士論文を仕上げるつもりでいた。
そこんとこを「逃げ」の一言で片付けてほしくはないな。
査読論文一本を仕上げるのだって大変なことなのだから、博士論文を仕上げるなんてことはとんでもない能力と努力を必要とする。
博士号っていうのは、そういう研究者の唯一の誇りみたいなもんだし、博士はやっぱり尊敬に値するよ。
しかし、現状、博士号を取ったからといって就職口が待っているわけじゃない、というのも事実なわけで、博士号をとりながら万年非常勤講師な人も、文系分野ではざらにいる。なので、世間的にはあまり意味のない博士号をとるために大学院に残って、あくまで博士論文を仕上げることに熱意を注ぐか、それかある程度のところで見切りをつけて就職するか、という選択も、大学院に残っていると現実的な問題として立ち上がってくる。
けれど、大学院ってところは、この二つの選択のうち一つの選択についてしか、つまり博士号をとってアカポスに就くということについてしかトレーニングの機会を提供しない。でも、少子化による大学数の減少は続いていて、それにともなって学部学科の減少とアカポスそのものの減少が続いている。そうなると、大学院が抱えてる院生がすべてアカポスに就けることなんてことはなくなる。いわゆる「ポスドク」問題ってやつだ(それでも、6年くらい前なら、我慢して40代まで研究を続ければ、いずれどこかに就職できる、なんてことが言われてた)。
大学のアカポスが減っているのに、研究者志望の学生数というのは一定数いるわけなので、ここにはどうしたってミスマッチが生じてくることになる。ところが、一部の大学の研究職の人間が考えているのは、どうやったらアカポスへの就職に有利なように制度を変えるか、とか、自分たちの学問分野の有用性を社会に分からせるか、という点になってしまって、研究室の孤島に住んでたせいで世間から切り離されたしまった院生の意識をまともな方向に持ってく、だとか、「一般的な」就職に有利なスキルや意識を持たせるとか、そんな方向にはほとんど関心を寄せていないわけだ。
「ポスドク」問題が現に生じている中、大学院の教員としてはアカポスにありつけないのは本人の責任で、アカポスに就けないで別の道に行くのも本人の問題なんだから、と言いたいのだろうけど、それはいかんだろう、と思うわけだ。アカポスに就けないのは、能力の問題同様に構造的な問題でもあるのに、そこに目を瞑って「アカポスに就けないみたいだね、ハイサヨウナラ」はないだろうよ。そんなこと言われたら、一般常識を知らない院生は絶望するしかなくなってしまい、鬱病になったり自殺したりするんだよ。だから、大学院にいるうちに、研究室に引き籠もってる院生に対してまともな自己評価と自己意識を持たせてあげる必要があるよ、というわけ。