2023-12-22

生存バイアスしかない不眠症と付き合ってきた50年

※単に実家が太かったという結論で終わるかもしれない

小学校時代

四年生ぐらいまでのことはあまり覚えてません

5~6年の時は既に寝つきが悪く、朝起きるのがほんとうに毎朝しんどかったです

廊下公園で走り回ったりなどはしてました

食は細かった

9時にはお布団に入らされてました

布団の中で海中電灯で漫画読んだりしてた

起きれてた理由は起きないとしばかれるからです

(起きずにしばかれたことはそんなに多くないが、機嫌が悪いともっと些細な理由でしばかれるので)

中学校時代

小学校時代とあまり変わらず。

学校はずっと楽しかったのでそれも起きるモチベだったか

(というか家にいるのが辛かった)

高校時代

詳細は省きますが、祖父母保護者代わりになりました。

小中に比べたら学校がそこまで楽しくなくなりましたが、友人に恵まれて、行ったり休んだりしてました

小中で無理やり起きていた(起こされていた)延長と、おじいちゃんの優しさで、起きれそうな時は起きて学校に行き

授業中に寝てました

家では夜中はずっとゲーム

おそらく単位は足りてません

追試とかいう話も周囲でも聞いたことがなかったので、

そもそも落ちこぼれが来るはずもない進学校

たまに来たイレギュラー事なかれ主義というか面倒なので色々書類いじって放置卒業できたのかと

大学時代

オリエンテーションかなにかの存在がわからず、あっという間に夏休みになり

バイト教習所に明け暮れている日々で取得単位ゼロ中退

フリーター時代

フリーターという名の半ニート

日雇いで小遣いを稼ぎ、ゲームに明け暮れる日々

おうちに屋根ライフライン各種も、お腹が減ったら食べれる食材もあったので実家の太さと寛容な家族大事

週に一回おばあちゃんが作ってくれたご飯を目の前で食べるくらいであとは完全に自分リズムでの生活

勝手炊飯器ご飯冷蔵庫食材を食べ、

ぶっ倒れるまでゲーム自動的に目が覚めるまで寝るの繰り返し

専門学校時代

このままではいけないと気づき

入学

幸いにして、起き続けるという才能はあったので、とりあえず、寝れそうになかったら置き続けるという作戦で2年間過ごしました

単位?出席日数はほとんどの教科でギリギリ

2/3以上の出席が必要だったので、事前に授業数を計算して常に1日休んでもまだ大丈夫以上の状態を保って、手帳に書いてました

結果分母はわからんが、3つぐらいがほんとにギリギリ、他ほとんどもあと1日~2日休んだら留年レベル卒業

サラリーマン時代

基本的専門学校と同じで、起きれそうになかったら起き続ける作戦

途中から奥さんが起してくれることに。(起きるまで起こしてくれるので100%起きれる)

職種的に、フレックスで9時に起きたら(10分後には電車に乗ってるので)コア間に合うというのもあって、遅刻しても怒られないというのもあって

有給と半休を全消化しつつ、休日出勤で得た代休も利用しつつで

いろいろぶっこわれて、退職して離婚

40歳ぐらい?

眠剤ガチャやらなんやらしつつ今に至る

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