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はてなキーワード: イエズス会とは

2024-04-04

anond:20240404230239

ワイはちっちゃいころからイエズス会なのかイエスズ会なのか・それってどんな鈴なのか、いまだにわからんのやで

2024-01-09

平将門祟りを信じる=幽霊を信じる、なのかどうか

別に幽霊じゃなくてもいい、今の科学説明の外にある現象……思念怨念呪い妖怪

死者の怨念が現世に何か影響を与えると認識している、と言っていいのかどうか

祟りは信じていない。しか祟りを信じている人の信頼を損なうので祟られるような行為はしない。」というスタンスはありえる

祟りは信じていない。しかし何か起きたとき祟りだと言われて面倒になるので祟られるような行為はしない。」というスタンスもありえる

幽霊非実在を完全には証明できない?

では龍であればどうか

「池に石を投げる/泳ぐ/汚すと祟られる。龍神様が住む池だからだ。」という謂れがある池のタブーを信じるかどうか

タブーを侵さない=龍神(の実在)を信じる、なのかどうか

実在を信じる人もいるかもしれないが、おそらく多くの現代人は龍神実在を信じはしないけれどタブーも侵さないだろう

いや、これは本当に自信が無い

ルールから何となく守るだけで深く考えていないという線もありえるし

シンプルに池を汚すのは良くないことだから、という認識があるので龍とか関係ないという話はもちろんあるだろう

これは例えば江戸時代明治時代史料を調べていて、祟りだとか龍を見たとかい記述があったとして、それを文字通りに受け取っては不味い気がするという話

「野暮と化け物は箱根から西」という江戸時代ことわざがある

箱根以東の江戸側には野暮な人間と化け物はいない、という田舎バカにする言い回し

これだって「化け物はいるかもしれないが江戸の周りにはいないよ」という含意があるのか

それとも「化け物なんてどこにもいないよ」という含意なのか

また、「郷とお化けは見たことがない」という言い回し存在する

この言い回しはいつ頃の時代から言われたものなのか未調査なのだが……

南北朝時代の郷という刀工が作る刀には銘が無かったため、後の時代で無銘であるが郷だろうと言われるものしか存在しなかったらしい

そのため前述の「郷とお化けは見たことがない」というフレーズが出てきたようだ

こういう言い回しがある時点で当時既にお化け実在は信じられていなかったのでは?と感じる

でもそんなこと言いながら地震が起きたら鯰絵が大流行するんだよ

お化け妖怪は信じないのに地下の巨大ナマズは信じるのか?それとも信じていなかったけれどお話として楽しんでいたのか?

当時の人々にとってのリアリティがどのようなものか、を調べていきたい

江戸という都会だと例えば河童なんかはリアリティがなかったのかもしれない(未調査

しかし、原理不明である地震には説明が求められたので大鯰が語られリアリティがあった?

竜巻あたりも同じ話だ

明治時代錦絵竜巻を眺める人々の様子を描いた「怪雲現る」と題されたものがある

貴重資料展示室050 市井の天候資料 - 国立天文台暦計算室

その絵には

怪雲現る 明治廿三年六月十八日午後三時半頃東天に當て黒雲現れ其中央より遥に地下に向て尾を曳き螺形に捲上げ動揺きて見へしハこれぞ謂る龍の昇ならん道行人は皆一時ハ立とゞまりて眺めけり

という文も添えられている

「これぞ謂る龍の昇ならん」というのはどう解釈したものか?

この文から当時の人が龍の実在を信じていたかどうか読み取ることが出来るだろうか

「(龍はおそらく実在しないけれど)いわゆる龍の昇天と呼ばれている現象だ」という文意なのか

あるいは「あれこそ龍が昇天するとき現象だ」という文意なのか

「龍の伝承,とくに東海地方竜巻台風について」という論文によると、

明治維新以後も、龍の実在を信じていた人が少なくなかったことがうかがわれる。

大正初期ごろまでに、龍はほぼ消滅したと考えられる。

との記述がある

「怪雲現る」が明治23年なので矛盾はしない……

妖怪の話は西洋だと妖精の話と近いように感じる

コティングリー妖精事件」についても調べるべきか……

ユニコーンの話でいうとシェイクスピアの『テンペスト』の作中に

なんでも信じたくなる, 一角獣が実在することも,. アラビアには不死鳥王座と呼ばれる樹があって,. いまもそこに一羽の不死鳥が君臨しているという話も。

というフレーズがあるようだ

テンペスト』の最古の上演記録は1611年11月1日

だいぶ古い!

やっぱりかなり古い時代から疑ってはいたようだ、実在も不在も決定的な証拠が無かっただけで

ユニコーン聖書に登場するのが話を厄介にしているんだよな~

キリスト教知識が無いとよくわからない箇所が多くある

グリフィンなんかはこれより少し後の時代実在否定する人が出てきたようだ(しか実在から反論を受けている)

『図説 世界の神獣・幻想動物:ファンタジーの誕生』(原書房) - 著者:ボリア・サックス 翻訳:大間知 知子 - ボリア・サックスによる本文抜粋 | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS

グリフィン実在否定した作家トーマスブラウン反論して、スコットランド人聖職者アンドリュー・ロスは17世紀半ばにこのように書いている。

グリフィン想像上の生き物だと他の著述家が言ったとしても、彼らがそう言ったというだけでは、証明するには不十分である。なぜなら世界にはそのような多数の「混成された疑わしい」動物存在するからであるアコスタスペインイエズス会士で博物学者]は、一部はロバに、もう一部は羊に似たインディアン・パコス[ラマ]という動物について述べている。レリウス[フランス探検家]はブラジルのタピルス[バク]について述べている。これはロバと未経産雌牛に似た動物である。その他に、飛ぶ猫や飛ぶ魚、キュノケファロスと呼ばれる犬の頭部を持つ猿のように、混成動物に関する多数の記録がある。コウモリは一部は鳥で、一部は獣である

そうなんだよな、やっぱり不在証明って難しいんだわ

なお『図説 世界の神獣・幻想動物:ファンタジー誕生』は買って読んでいる最中だがなかなか難解で読み進めるのが大変だ

こんなところか、いったん今の考えをまとめた結果

日記

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大鯰信仰について調べたが、今「龍の伝承,とくに東海地方竜巻台風について」という論文について再考すべきかもしれない

明治時代の人が何にリアリティを感じていたか」という視点で串刺しにして考えをまとめることが出来るかもしれない

2023-09-01

anond:20230901132941

フロイスが「信玄がイキった著名で送ってきたか信長がイキり返してて草」って書簡イエズス会に送ったとき信長イキり著名が第六天魔王だったんだけど、フロイス証言以外でこのイキった著名は一切見つかってないかフロイス勝手に言ってるだけ説が濃厚

2023-08-04

anond:20230804160841

アサクリ世界におけるカトリックおよびイエズス会ってどんな位置づけなんだっけ?

テンプル騎士団が敵だからイエズス会も敵?

忍者アサシン教団に繋がりを持たせたいけど宣教師は敵勢力から適当ということな

そこで「実はアサシン教団の一員である黒人奴隷・弥助」を登場させるのには必然性があるんちゃう

知らんけど

2022-07-15

anond:20220715080858

マッカーサー

 「ジャップ信心深いな。シントーというのか。ブディズムも浸透していると。なるほど。」

GHQ部下1

 「クリスチャンの普及は難しい国だというイエズス会の記録もありますキリスト教化は難しいでしょう」

マッカーサー

 「ふむ・・・ならば信心を利用してかく乱だ。ジャップ再軍備できなければそれでいい。

 いったんヤツラを神仏から切り離して、newly inventedな"シューキョー" ウェポンでJAPを統制しよう」

GHQ部下2

 「それは良い考えですな、閣下。数が多ければ多いほど分断するでしょう。」

GHQ部下3

 「ジャップに恨みのあるチャイニーズコリアン運営させましょう。政党も結成させましょう。」

みたいな感じだと思う。

2022-07-12

anond:20220711185931

聖心はイエズス会女子部ともいうべき、イエズスの聖心会。

イエズス会は、日本上流階級にかなり食い込んでいる。

2022-07-11

プロテスタント大学での統一教会の扱い

統一教会ネタにいっちょ噛みしたいのでプロテスタント大学での統一教会の扱いについて説明するよ。

https://anond.hatelabo.jp/20220710130132

因みに日本ミッションスクールイエズス会の作った上智大などの少数を除いて、殆どプロテスタント系だ。これはプロテスタントの方が伝道師資格が得やすいというのと、アメリカの影響を受けているからだ。

 

プロテスタント校では統一教会絶対認定

 

日本の多くのプロテスタント教会統一教会と戦っているので、そのミッションである大学では統一教会活動ははっきりと禁止されている。「信教の自由」みたいな微温的な言い分には完全に聞く耳を持たない

特にピリピリしているのが学内での勧誘原理研偽装サークルを通じたオルグで、入学時のオリエンテーションでかなりの時間を掛けて注意を受ける。

 

もし学内での勧誘が発覚したらかならずこうする、と強く警告を受ける。

曰く 

 

1.当該学生は呼び出される。

2.教会牧師教授の説得チームが構成され親を交えた脱会説得。親が田舎に居る場合でも大学に出てきてもらう。

3.「説得に応じない場合」という譲歩の想定は無し。

4.偽装サークルを作っていた場合サークル強制的に閉鎖、関わった学生は全て停学の上で上記1と2コース

5.停学の解除条件統一教会脱会のみ(勧誘しませんの約束ではない)。

6.断った場合例外なく退学。

7.偽装サークル主催者猶予無しに退学。

 

統一教会には絶対に接近されるな、勧誘されるな、勧誘する立場までになったら退学だぞ」と念押しされるんだな。

その結果、ミッション校では完全に原理研フリーになってて、学生統一教会問題というのは過去のもので既にこの世にないものと思っていたりする。それで、卒業したら統一がまだ現役で活動しているという事を知って驚いたり、逆に接近されても気が付かなかったりする。

増田卒業後にネット原理研の話を聞いて、あれってまだ現役だったモノなの?と驚いてしまったくらいだ。

免疫まで無くなってしまうのはちょっと考えものかもな。

 

熾烈な戦闘脱会運動

 

なんでプロテスタントミッション校でこんなに統一教会を徹底的に排除しているのかというと、過去に非常に戦闘的な脱会運動をしていたからなんだな。

統一教会国会などで問題になって盛んに報道されるようになったのは1990年以降なんだが、その前の80年代には霊感商法洗脳的な集団生活などが問題になって来ていた。

それで牧師たちがこの邪教から学生相談を受けた親の子息を足り戻す脱会運動をしていたんだがこれは説得とか生ぬるいものじゃない。何しろまず洗脳解除をしなきゃいけないから使う言語肉体言語込みになる。

 

1.まずターゲット道場や寮で集団生活をして宗教活動に励んでいるので、外に出るタイミングを見計らって路上などで親と牧師達で取り囲み、説得したり怒鳴ったり泣き落とししたり腕力で肉体的に説得して車に押し込んで連れ去ってしまう。その為には生活パターンの把握が必須なので張り込みもやる。

2.統一が身柄奪還の為に連絡を取りに来るので、家には戻さない。教会大学の寮に入れる。とにかく身柄を確保してしまう。

3.洗脳を解く方法は逆洗脳。寝かせずに説得、キリスト教教義の論争を仕掛けて全て論破しまくる、大声を浴びせて疲れさせる、急に泣き落とす、急に叱りつけてから急に話を聞いて心を開かせ過去自分を思い出させる。信者のせいで崩壊した家庭の事を説明してこの先の事を考えさせる。

 

こんな風に非常に強引な手法洗脳を解き、日常に復帰させる。その後のセミナーカルトなどの例を見ても脱洗脳はみなこういう方法を取るようだ。

だけど教団側も手をこまねている訳じゃない。こういう手段で身柄を取り返しに来る。

 

通勤通学路や家の近くで待ち伏せして「騙されているんだ帰ろう」と説得する。これは数度だけじゃなくて非常にしつこく、何年間、何十何百回も繰り返される。

人身保護仮処分請求

 

から教会とか寮とかの牧師達の目の届くところに住まわせる必要があるし、法廷闘争に対抗して弁護士を立てる必要もある。

牧師達は第三者なので親は仕事を休んで家裁に行く必要もある。

 

からネットとかで統一側に立って「信教の自由がー」「信者人権がー」って言ってるのを見ると悪いが鼻で笑ってしまう。

人権学校では「崇高なもの」みたいに教わるが法廷では誰もが主張できる武器である武器を掲げているからそっちが正義みたいに思い込むのは学校ホームルームであって、こっちは法廷である

本人脱会後で終わりじゃない

 

本人の脱会成功しました。おめでとう御座います…じゃない。その後も再オルグ対策は続けなきゃならない。

非常にしつこく信者接触しに来るので、本人の引っ越しは当然のこと、家族引っ越しする。その為に家を売り払う場合もある。

本人は何とか大学卒業する。そして遠方に就職する。友人も本人を追えなくする。交友関係が切れてしまうが仕方がない。

とにかく身を隠す為の生活余儀なくされるのである。まるで犯罪者だ。

実家引っ越しには親の転職も含む場合がある。だから相当の金も掛かるし、人生も変わってしまう。でも信者のままで霊感商法従事すると本人も家族人生なんて無くなるからずっとましである

 

オウム事件で非ミッションスクールにも飛び火

 

プロテスタント牧師達はこういう風に統一教会と戦って大学から排除していたのだが、他の私学、国公立では信教の自由の下で放置されていた。だから統一ミッションスクールから手を引いてやりやす普通の私学国公立オルグをしていた。

ところがオウム事件日本中を震撼させると学内でのオルグ問題になってくる。

そこで多くの大学方針を切り替えた。プロテスタント大学のように戦闘的な脱会運動や退学処分が当然のような方針ではないが、他のカルトと一緒に統一教会原理研勧誘注意喚起が出され、「原理研偽装サークルに注意!」と張り紙が出るようになった。

 

因みに1990年頃の大学改革米国式実学学部が人気になり、旧来の学部でも実学系の講義が増えたのだが、その非常勤講師自己啓発セミナー勧誘を行う事が問題になっていた。それも当時にそういう講師を学期途中でも解雇にするという形になったのだが、、、後にこれら自己啓発系は企業社員研修に食い込むようになってブラック企業隆盛の片棒を担ぐようになったのだな。

 

名称変更問題

統一教会1980年代末にはTVで大々的に批判されたので、こういう状況になると警戒されて学内勧誘が非常に難しくなった。

そこで統一名称の変更を言い出す。世界平和統一家庭連合通称:家庭連合だ。

因みに「家庭」っていうタームは、1990年代の保守陣営流行のようななのだ

共産主義親玉ソ連が無くなって自由主義陣営共産主義陣営の戦いという「歴史が終わっ」って戦う相手がいなくなってしまったせいで、陣営としてバラバラになってしまった。運動の核が無くなっちゃったのだな。それでマルクス主義フェミニズムなんかが家族という制度攻撃している!家族父性大事にしようっていう風に再び集合するためのテーゼを共有したのだ。この時、この家族大家族なのか、戦後核家族なのかは敢えて問わないようにした。

 

この名称変更を文化庁はずっと拒否していた。理由偽装勧誘の為なの明白だから当然な対応である

これを第2次安倍内閣下村大臣時代に通してしまった。

これまでの経緯を見るとかなりヤバい事をしたと言っていいだろう。牧師らの長い戦闘脱会運動オウム事件で流れた血の果てに統一勧誘名指しが無されたのにその効果をパーにしてしまった。

 

日本保守プロテスタントの折の悪さ

保守派の論客自民党議員カソリック信徒の人は多い。日本ではプロテスタントが専ら優勢なのに奇妙だ。

それは、以上の経緯で日本プロテスタントがかなりリベラル寄りになっているって事が原因だ。

そもそも統一信者霊感商法家族崩壊という社会問題化を封じてきたのは反共議員達であって、憤怒の的だ。

反共議員が多いのは自民党だったが、社会党にはもっと濃度の濃い反共議員がいた)

そういう事情が影響していると思われる。

から日本プロテスタントが左寄りだ!っていうはそうだと思う。

だが、ネットで「日本プロテスタント共産主義!」とかいうのを見る事もあって、そういうのを見ると「ああ、やってるなぁ/誰の影響か知らずに居るんだろうなぁ」と思うのである

2022-01-05

anond:20220105132611

天動説/地動説で例えるなら逆だろうな。

天動説を奉じるローマカトリックが、地動説を唱えた学者火刑に処すんだよ。ジョルダーノ・ブルーノとか。

カトリックにとって科学的な態度は、その権威を揺るがしかねないものだった。

16世紀カトリックとかイエズス会のやっていたことは、対抗宗教改革といわれる。

有名なのは禁書目録だ。

プロテスタント側が、俗語に訳した聖書とか(カトリックラテン語聖書翻訳禁止していた)、文盲向けの風刺画付きパンフレットとかが活版印刷術で大量に出回ったのが背景にある。

カトリックにとってプロテスタントはすべて異端からな。

科学的態度の軽視

異論に対する出版禁止という強権発動

この辺りを鑑みるに、表現規制派はむしろローマカトリックに近い。

感性近代以前てことだよ。

2021-08-30

anond:20210830004325

イエズスは日本カトリックでの言い方。イエズス会英語ではジェズイット(Jesuit)。

2021-08-29

anond:20210829161452

サビエルってイエズス会所属って感じになってて雇われ(?)みたいな雰囲気だけど

実際にはイエズス会の創設メンバーの一人だからな。大物なんだからな。

そこんとこわかってくれよな。

2021-01-05

いい加減にしろよマテオリッチ

お前何回俺の頭から出て行こうとするんだよふざけんなよ。

中国の明時代イエズス会宣教師

世界地図である坤輿万国全図作成従事

なんで覚えられないんだよ。なんで30秒後には忘れてるんだよ。黙って俺の頭の中で宣教活動してろ。いいか。マテオリッチは明時代活躍したんだぞ。フェルビーストとかの清時代とは違うんだよわかったか。1610年に死んでるんだぞお前は。フェルビーストと一緒に生きてたらお前ゾンビだぞ

2020-10-31

日本学術会議会員任命拒否についてイタリア学会による声明

http://studiit.jp/

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日本学術会議会員任命拒否についてイタリア学会による声明

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 日本学術会議が推薦した第 25 期会員候補者 105 名のうち、6名が菅総理によって任命されなかったことについて、

明確な理由説明はなく、説明要求を斥けることは学問の自由理念に反すると同時に、民主主義敵対するものであり、

これに断固として異議を唱えます

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 《説明しないこと》こそが民主主義に反する権力行使国民に対する暴力)であり、主権者である国民説明責任を果たすことが

民主主義の基本だからです。

情報公開制度古代ローマ時代イタリアの地で芽生えました。イタリア学会としてこれを看過することはできません。

必ず説明責任が果たされることをイタリア学会の総意として要望します。

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令和 2 年 1017

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イタリア学会会長

藤谷道夫慶應義塾大学教授

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理由

 イタリア学会は「日本におけるイタリア学の発展と普及に寄与することを目的としている。」(イタリア学会会則第 3 条)

イタリア学を通じて学び得た知見を社会活動適用することは、学会目的に適う実践行為判断し、

今回の声明を発した理由簡単説明したい。

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 菅首相は「(学術会議の会員は)広い視野を持ち、バランスの取れた行動を行ない、国の予算を投じる機関として国民

理解されるべき存在であるべき」だと述べた。これをテキスト解釈にかけると「国の税金を使っている以上、国家公務員

一員として、政権批判してはならない」という意味になる。ここには 2 つの大きな誤謬が隠されている。

学問国家従属する《しもべ》でなければならないという誤った学問観であり、国家からお金をもらっている以上、

政権批判をしてはならないという誤った公民である

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 学問は、国家や時の権力を超越した真理の探求であり、人類資するものである与党資するものだけを学問研究

なすことは大きな誤りである学問研究によって得られる利益人類全体に寄与するものでなければならず、

時の政権のためのものではない。

判りやすい例を挙げれば、日本西洋から数学物理化学を始め、あらゆる分野で多大な恩恵無償で受けた。

万有引力定数や相対性理論発見したのは日本人ではない。その恩恵利益を受けながら、その使用料は払っていない。

なぜなら学問成果は全人類共通善として無償で開放されているかである

日本国には受けた恩恵人類に返すべき義務があることは言うまでもない。

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 国からお金をもらっている以上、政権批判をしてはならない」というのは手前勝手な考え方である

公務員政権の《しもべ》ではないかである公務員国民全員の利益のために働く。

政権が間違った判断をすれば、それを国民のために批判することは、むしろ公務員義務である

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古代中国では臣下君主に行ないを改めるよう諫言することは褒むべき行為とされた。

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翻ってイタリアの地、古代ローマ時代には、時の政権勝手な振る舞いか国民を守るための公的機関である

護民官が設置されていた。現代公務員匹敵する護民官は、時の権力批判牽制するために作られた

驚くべき官職である

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 次に、菅首相憲法 23 条が保障している「学問の自由」の意味理解していない。「学問の自由保障とは、

学者学問良心に従って行なった言動評価は、まずは学者うしの討論に委ね、最終的には歴史判断に委ねるべきであり、

間違っても《時の権力者》が介入すべきではない、ということである。」(小林節慶應義塾大学法学部名誉教授

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権力学問世界に介入する事例は西洋史に無数に見出される。

1632 年ガリレオ・ガリレイが『天文対話』を完成させた時、ローマ教会検閲を行ない、教皇ウルバーヌス 8 世と

イエズス会士はこれに激怒し、同書を禁書にした。

ガリレオローマ異端審問所で証言するよう出廷を命じられ、翌年、6 ヶ月にわたる裁判を受けさせられた。

ガリレオ自分の誤りを認めさせられ、異端審問官の前で研究放棄するよう宣誓させられた。

そしてフィレンツェ近郊で残りの 9 年の生涯を軟禁状態で過ごすことになる。

教会の決定に疑義を挟むことなどあってはならず、時の権力に反する主張は時の権力判断によって封殺された。

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 「今回、菅首相は、特定学者言動について《広い視野を持っているか》《バランスの取れた行動であるか》

について自分権限判断した」と告白し、その結果、《国の予算を投じる機関(の構成員)として国民理解され

存在ではない》と認めたのである

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問題は、仮に菅氏が高い実績のある学者であったとしても、同時に、《首相》という権力者の地位にある間は、

そのような判断を下す《資格》が憲法により禁じられているという自覚がないことなである

にもかかわらず、高い実績の学者たちが全国から会議に集まるために 1 人につき月 2 万円余の交通費を用意する程度の

ことを逆手にとって学術会議に介入しようとするとは、《選挙に勝った者には何でも従え》という、政治権力者の思い上がり以外の

ものでもない。」(小林節名誉教授

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 私たちが最も問題とするのは、《説明がない》ことである憲法 63 条は「答弁または説明のため出席を求められた時は、

国会に出席しなければならない」と義務付けている。この趣旨について政府は「首相らには答弁し、説明する義務がある」(1975 年の内閣法制局長官

見解を示している。

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しかし、菅首相官房長官時代から記者会見で「指摘はまったくあたらない」と木で鼻を括った答弁を繰り返して憲法無視してきた。

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世界で初めて情報公開制度を始めたのはイタリアである。「執政官就任して(前 59 年)、まずカエサルが決めたことは、

元老院議事録国民日報編集し、公開する制度であった。」(スエートーニウス『ローマ皇帝伝』第1 巻「カエサル20

これが民主主義への第 1 歩である

それまで国民元老院でどんな議論を、誰がしているか知る術もなかった。

議員私利私欲談合を行なっても、知る由もなかったが、議事録速記され、清書されて、国民に公開されるようになったおかげで、

貴族権力は大いに削がれた。隠れての不正ができなくなったかである

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 一方、その時代から 2000 年以上経った今の日本では、安倍政権下で情報は秘匿され、文書改竄捏造、削除され続けてきた。

かに日本では民草に説明をするなどという伝統も習慣もなかった。江戸城で開かれる老中会義の内容が知らされることもなければ、

人事異動プロセスも民草には窺い知ることもできなかった。

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おそらく安倍菅首相が目指す世界はこうした江戸時代のものなのであろう。人事で恫喝して従わせる手法は、一種の《暴力》とみなされる。

紀元前 5 世紀のアイスキュロス作品『縛られたプロメーテウス』には権力の何たるかが活写されている。

この劇は二人の登場人物プロメーテウスを連行する場面から始まる。

プロメーテウスは絶対君主であるゼウス意向に逆らって、天上の火を盗み、人類に与えたために、

暴君ゼウスから罰を受けて、スキュティアーの岩壁に磔にされる。

この時、彼を連行する 2 人の登場人物名前に作者の意図が巧みに織り込まれている。

二人は Kra/toj(クラトス)と Bi/a(ビアー)という名だが、ビアーの方は劇中で一言言葉を発しない。

ギリシャ語でクラトスは「権力」を、ビアーは「暴力」を意味する。無言の暴力を用いて他者を従わせるのが権力であるという寓意である

ギリシャ語のビアーやイタリア語の violenzaは単に武力による物理的な暴力だけではなく、圧力強制意味する。

ビアーのように《説明しない》ことが権力(クラトス)なのである

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同じく、カフカの『審判』では主人公ヨーゼフ・K は、ある日見知らぬ 2 人の男の訪問を受け、何の理由も告げられず、逮捕される

(この 2 人の男はまさに「クラトス」と「ビアー」を暗示している)。

その後、何の説明もなしに、有罪とされ、「犬のように」処刑される。この小説でも《説明しない》ことが権力であるとして描かれているが、

これが現実になったのが、ソヴィエトである

ソルジェニーツィンの『収容所群島』にはまさに何の《説明もなしに》逮捕され、強制収容所に連行される日常が記録されている。

逮捕するのは決まって深夜である。深夜に訪れることで逮捕者を恐怖させる効果を狙ってのことだが、

また同時に、近隣住民が翌朝、隣人が忽然といなくなったことを知って恐懼するよう仕向けるためでもある。

これが不安をかき立て、恐怖を蔓延させる。いつ自分逮捕されるか人々は戦々恐々とし怯えるようになる。これによって国民心理的権力によって完全に支配される。

まり、《説明しない》ことこそが権力行使であり、国民を無力化させる手法なのである。こうして国民は恐怖と不安から権力に従うようになる。

なかに権力忖度し、取り入る者が出て来る。

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こうした事例から民主主義いかに「説明すること」にかかっているかが判る。

説明情報公開民主主義を支える命であり、それを破壊する手段は《説明しないこと》、《情報を秘匿する》ことなである

たかが 6 人が任命されなかっただけで、ガリレオを持ち出すのは大げさであり、学者はそうした政治的な喧噪から離れて研究をしていれば、好いではないかと思う人がいるかもしれない。

ましてや一部の学者の話であり、自分たちには何の関係もないと思っているかも知れない。

しかし、問題本質は、時の権力が「何が正しく、何が間違っているかを決めている」点において、ガリレオ裁判と変わりない。

科学分野の基礎研究予算は削られ続ける一方で、軍事研究には潤沢な傾斜配分がなされる今の日本にあって、

また軍事研究に手を染めない学術会議方針を苦々しく思う自民党政権においては、杞憂で終わらないことを心得ておく必要がある。

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実際、すでに文科省は今月17日に行われる中曽根元首相の内閣自民党合同葬義において弔旗を掲揚し、葬儀中に黙禱するよう、

国立大学都道府県教育委員会日本私立学校振興・共済事業団、公立学校共済組合などに通知を送っている。

公金は自民党のためのものではなく、国民のためのものである

国民全体の奉仕者である公務員を、自民党のための奉仕者に変えようとする暴挙は許されない。

かつて次のように臍をかんだマルティン・ニーメラーの轍を踏まないためである

(文責:藤谷道夫

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ナチス最初共産主義者攻撃した時、私は声を上げなかった。

なぜなら私は共産主義者ではなかったから。

社会民主主義者が牢獄に入れられた時、

私は声を上げなかった。

なぜなら私は社会民主主義者ではなかったから。

彼らが労働組合員を攻撃した時、

私は声を上げなかった。

なぜなら私は労働組合員ではなかったから。

ユダヤ人が連れ去られた時、

私は声を上げなかった。

なぜなら私はユダヤ人ではなかったから。

そして彼らが私を攻撃した時、

私のために声を上げてくれる者は誰一人残っていなかった。

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通常の娯楽に加えて、(古代ローマ人の労苦に満ちた厳しい生活を陽気なものにしてくれるものに、

凱旋式があった。

(中略)民衆は大喜びで拍手喝采していた。だが、部下の兵士たちから将軍に向けて罵詈雑言を浴びせる習わしがあった。

将軍の弱みや欠点、愚行の数々を公衆面前であげつらうのである将軍高慢ものぼせ上って、

自分を無誤謬の神(絶対に正しい偉い人間)だと思い込んだりしないようにするためである

例えば、カエサルには、部下たちがこう叫び立てていた。「禿げ頭の大将よ、他人奥さんたちを物色してんじゃねぇぞ!

あんたは商売女(淫売女たちで)で我慢してりゃいいんだ!」1現代独裁者たちに対しても同じように言うことが

できたならば、きっと民主主義にとって怖いものは何もなくなるだろう。

(Indro Montanelli, Storia di Roma, Rizzoli, Milano, 1969, pp. 141-142)

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犬儒派キュニコス派)のディオゲネース(前 400/4 頃-325/3 頃)は、

世の中で最も素晴らしいものは何かと訊かれたとき

《何でも言えることだ(言論の自由 parrhsi/a パッレーシア)》と答えた。」

ディオゲネース・ラーエルティオス『ギリシャ哲学列伝』69~

2020-06-11

anond:20200611155653

でも「旧約聖書のお墨付を得ていた」のは事実であり史実な訳でしょ

なんならイエズス会日本人(黄人)を奴隷として連れっててんじゃん

2020-06-10

anond:20200610191208

イエズス会奴隷貿易を黙認して豊臣秀吉激怒させたらしいから、フランシスコザビエルの像(あるかしらんが、ありそう)あたりを奴隷貿易象徴として打ち壊したら。

正直黒人奴隷の話も辛いが、ポルトガル人に売られていった日本人奴隷の話はそれ以上に胸がキュッとなるわ

2019-10-23

anond:20191020103651

ルイス・フロイス基準は恐らく出身国ポルトガルで、当時のイベリア半島は同じカトリック教国のヴェネツィアあたりから見て割とドン引きするくらい狂信的厳格だったらしい、ということは知っておいても損はないと思う。

そしてフロイスの属した修道会であるイエズス会というのがその厳格化(「対抗宗教改革」を調べよう)の尖兵であったことも、ね。

ヨーロッパ一口一般化できるほどヨーロッパって一様ではないよね。今も昔も。

2018-12-08

史学科のゼミとか卒論とかって何やってるの

数学科事情、すごく興味深く読んだ。

「数学の修得には時間がかかる」ことの概説 - Unhappy Go Lucky!

ただ、文系学部の「研究」や「卒業論文」の位置づけとかについて、過大評価していただいているような気がしなくもない。日本語とは縁遠い言語を話す地域を専門とする史学科卒の人間として、「ゼミ」や「卒論」の位置づけについて語ってみたい。

ゼミで何をやっているか

いやこれは本当に分野によるのだが、「研究」というよりも「勉強」をやっているところが多い。歴史学というのはまず史料に何が書かれているかを正確に読み解く必要があるのだが、その読み方を徹底的に叩き込まれる。場合によっては修士課程でもこれが続く。もしくは、研究文献の読み方を叩き込まれる。そもそも2・3年前まで高校生だった連中である文系研究書をどのように読むべきかよくわかっていない人も多いし、英語の本を通読なんてしたことないですという人がほとんどだろう。レベルの高い大学なら外国語文献の購読をし(何語なのかは研究分野や参加者による)、あまりレベルの高くない大学なら日本語の本・論文の読み方をゼミで躾けられる。

(「史料」ってのは要するに「昔の人が書き残したこと」。王様勅令だったりお役所行政文書だったりインテリの書いた思想書だったり過激派の撒いたアジビラだったり新聞記事だったり、色々である公文書館に行って実物を見てくる場合もあれば、別の学者がまとめて印刷出版してくれたものを参照する場合もある)

何で学部の段階からゼミに分かれるか、というと、「歴史学とは何か」「史料批判とは何か」みたいな概念方法レベルの話や、「いやしくも歴史学を学ぶ者として最低限踏まえておくべき各地域・各時代の基礎知識」みたいなのを除けば、分野ごとに身につけるべきスキル全然違うので。江戸時代歴史なら江戸時代古文書明治期の歴史なら明治期の文書中国史なら漢文イギリス史なら当然英語古文書……を読まないといけない。イギリスについて研究したい学生日本古文書の読み解き方を勉強しても時間無駄だろう。逆もまた然り。

ぶっちゃけ、「卒業論文」に大したオリジナリティはない

慌てて言えば分野による。

社会調査とかする分野で、自分なりにアンケート調査してみた、とかそういう論文なら、どれだけ拙かろうがオリジナリティはあるだろう。あるいは歴史学でも、オリジナル史料を発掘することが可能な分野ならオリジナリティは出る。

ただやっぱり、学部4年の段階で大層な「オリジナリティ」は出てこない。そもそも外国史の場合史料の読解すら教員の手助けを得てようやく、という人が多い。歴史学では一次史料が重視されるが、私の分野では卒業論文で一次史料を使った時点で優秀な学生の部類に入るだろうなと思う。二次文献、つまり他の研究書や論文をまとめて長いレポート(うちの大学では3万2,000字が下限だったかな)を書けたらOK、という運用をしている大学も多いのではないか。まとめるのにもオリジナリティは出るしね、という苦しい理屈だしそんなの査読つき学会誌に「論文」として発表できるレベルではないが、学会誌に「論文」として出せるレベルのもの要求していると4年では足りないわけで、多くの史学科の学生修士論文で初めて学会誌投稿できるレベルのもの要求されることになる。

何度も言うようにこれは分野による。地味に重要なのが、「その言語大学第二外国語として開講されているか、あるいは教養科目で講義が受けられるか」という点。朝鮮史ドイツ史やフランス史場合韓国語ドイツ語やフランス語文系学部ならたいていは必修の第二外国語として教えられていることが多いので、卒論でも韓国語ドイツフランス語論文は読めて当然だよなあ? というハードモードになることもある。中国史なら「高校から漢文やってるんだしゼミでも読んでるんだから卒論でもちゃん漢文史料は読めるよね? 現代中国語論文も読んでね」ということになるだろう。英語? そんなの読めて当然でしょ? 第二外国語ではなくとも、たとえばトルコ語アラビア語なら多少気の利いた大学なら教養科目とかで開講されているから、イスラーム史やりたいなら学部1年のうちから履修しといてね、という話になると思う。逆に、マイナー外国語必要な分野だと、せめて英語の本くらいは読んどいてね、くらいにまでハードルは下がる。アイスランド史を勉強したいです! と言われても、日本アイスランド語の授業がある大学がいったいいくつあるのか……という話になるわけで。まあ東大の某ゼミではゲエズ語購読とかやってたらしいですけどね。雲の上の世界すぎてまったく想像もつかない。

なので、大学に入った段階で既にどの分野に進むのかなんとはなしの道筋がついていないと厳しい。第二外国語韓国語選択して、やっぱり私ドイツ史がやりたい! というのは不可能ではないが難しい。第二外国語選びの段階である程度進路が決まってしまう、というのが史学科の特徴だ(まあ、英文学科とかは、学科選びの段階で専門地域が決まってしまうわけだが……)。イスラーム史やるなら第二外国語フランス語にしないとね。そんなのついこないだまで高校生だった連中にわかるか! もちろんこれは大学による。西洋史に進学した者にはドイツ語とフランス語双方の習得義務付ける大学もあるそうである。これならヨーロッパのたいていの地域対応できるね! 史学語学と言われる所以だ。

あとは西洋以外の地域だと、「史料に書かれている言語」と「論文に使われている言語」が違うことが結構あって、何でかといえば近代以降に西洋諸国植民地支配されていたりすると「オランダ人研究者がオランダ語で書いたインドネシア史についての先行研究」みたいなのがたくさんあるので。つまりいくらインドネシア語やアラビア語が堪能でもそれだけでは片手落ちで、オランダ語フランス語ができないと先行研究が読めないので勉強せざるを得ない(付け加えるなら、植民地支配されてたということは、お役所では宗主国言語が使われていたり宗主国のお役所植民地統治担当する部局があったりしたわけで、それらの史料は当然宗主国言語で書かれている)。さら前近代史だと、「昔使われていた言語」と「現在使われている言語」が異なっていることが多く、典型的には古文とかラテン語とかである現代日本語論文はスラスラ読めても古典日本語チンプンカンプンという人も多かろう。前近代西洋征服王朝なんかだと大変で、現地語+支配階級言語植民地支配してたヨーロッパ言語、をやらなければいけなかったりする(アラビア語オスマン語+フランス語、みたいな感じ)。いやー、西洋現代史はヌルゲーの領域っすわ……その国の言語ができれば用足りるからなぁ。現地に行けばネイティブスピーカーいるか勉強簡単だし(アッカド語みたいなネイティブがいない言語習得してる人ほんと尊敬する)。もちろんここで少数民族とか国際関係史とかに興味を持ってしまうと語学沼に引きずり込まれるわけだが。イギリス史なら英語だけでいいだろうと思っていたらうっかりウェールズに興味を持ってしまウェールズ語を勉強することになりました、とか、ドイツ語だけで通そうと思っていたら枢軸国外交に興味を持ってしまったせいでイタリア語も読んでます、みたいな。とはいえこれらは院に進学してからの話(あるいは院への進学を希望する学部生の話)だ。院に進学しない学生卒論レベルなら日本語英語or中国語でじゅうぶん、という運用大学ほとんどだと思う。

ヨーロッパ植民地についてしか述べていないのは、日本植民地場合宗主国言語習得する困難はほぼ存在しないからであって、日本植民地支配をしていなかったと言いたいわけではないので念の為。もちろんこれは日本語母語話者である学生の話で、韓国台湾学生あるいはそれらの国から留学生植民地時代自国史を勉強しようと思ったら日本語を読まなければいけないわけであり、なんというか申し訳ない)

でもまあ、卒論書くのは大事ですよ。たとえそれがレポートに毛の生えたレベルのものであっても、院に行かない学生にとっては専門家指導されしっかりと文献を読み込んだ上でこんな長文を書かされる機会はこの先の人生でなかなかないし、それを経験するというのが大学に行く意味だと思う。院に行く学生にとってはもっと長い修論博論書くんだから当然このくらい書けなきゃ話にならんわけで。

院に進んだら何やるの

留学します。

これも分野によるのだけれど、たいていどっかに留学する。中国史なら中国台湾フランス史ならフランス、みたいに。留学先で大学ゼミに参加したり史料を集めたり現地の専門家指導を受けたり、あるいは分野によっては語学勉強をしたりする。もちろん複数国に留学してもいいし、研究対象国以外に留学することもありえる。アフリカ史を研究するためにポルトガル留学した人がいたり(イエズス会士が書いたものを読みたかったらしい)。で、帰国してから博論を書く(たまに留学先でそのままPh.D獲っちゃう人もいる)。

上述のような事情があるので、歴史学を専攻している人はたいてい4年以上博士課程に在籍する。ちゃんとした大学で3年で博士号獲るのは一部のバケモノだけです。たまにいるんだよそういうバケモノが。日本史なら楽勝かというとそういうわけではなく普通に4年以上かかってることが多い。留学期間とかもあるので、博士課程の先輩に学年を聞いても即答できないことが多いから気をつけよう。29歳でドクター? 夢物語かな? まあ本当に文系大学院なんて資産の子供か養ってくれる配偶者持ちか自殺志願者以外は来ない方がいいです。男性歴史学者が書いた研究書のあとがき奥さんへの謝辞が書いてある場合、もちろん本当に純粋感謝の念であることも多かろうがけっこうな確率で一時期ヒモ生活を送っていたことへの感謝だったりする。奥さん実家でチクチクとイヤミを言われた経験を聞かせてくれた教授もいらっしゃる。これ有名大学の教授様になれたから笑って話せるだけで、なれなかったら悲惨だよな……。まあでも、研究者の不遇っぷりは文理問わないか

2018-08-01

anond:20180801184347

イエズス会による侵略を察知した日本鎖国へ向かう。西洋人たちは地球破壊しながら技術力を付け、ついに日本開国させる。日本人の知的水準の高さや、労働者としての素質を知っていた彼らは、植民化する代わりに、富国強兵殖産興業によって日本から利益を得ることを選ぶ(野麦峠蟹工船足尾銅山公害などをもたらしたのは西洋人)。日露戦争勝利もまた国際金融家たちの胸先三寸で決まったこと。支那事変日中戦争)では、国民党資金提供して戦いを長引かせることで利益を得、真珠湾には使い古しの戦艦を再配備してほとんど実質的な損害なしに、日本を叩けという世論を盛り上げる、実際の歴史を知ってみれば、西洋人たちのやり方は、まさに「汚い」の一言。それにも関らず、学校教育マスコミ真実を見えなくさせ、日本人に罪悪感を植え付ける。

ついでにいえば、法による支配は、国際金融家たちの都合に合わせてできている。そのせいで、私たち私たち土地を守ることを違法とされ、(外資系企業による開発活動を否応なく受け入れさせられている。そんな世界に順応させるのが、このスレ学校のような場所なのだ

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