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はてなキーワード: マルクス主義フェミニズムとは

2022-12-31

今回の流れを大河ドラマ化したいけど

温泉むすめどころか、そもそもの発端に遡るならだいぶ遡らなきゃいけないのが難しいよなあ。

史実を取捨選択するなら

鎌倉幕府が成立(1185~1192年頃)

吾妻鏡が成立

鎌倉幕府滅亡、室町幕府成立)

徳川家康吾妻鏡を熟読

室町幕府滅亡)

・貧しい農民の出からのし上がってきた太閤豊臣秀吉天下統一

豊臣秀頼徳川家康が破り、江戸幕府成立

渋沢栄一徳川慶喜の家臣となる

徳川慶喜大政奉還し、江戸幕府滅亡、大日本帝国が成立

満州事変勃発、渋沢栄一死去

大日本帝国滅亡、文民時代に移行

文民の中で貧しい農民の出からのし上がってきた田中角栄が今太閤と呼ばれる

田中角栄ロッキード事件逮捕されるも田中真紀子越後国の権勢を継承(ここが豊臣秀頼にはできなかった部分)

田中角栄死去

米山隆一尊敬する政治家田中角栄)、越後における衆議院議員選挙田中真紀子に連敗する

越後における田中氏の影響力の低下と、米山氏の台頭

新潟県知事選挙における泉田氏の不出馬により米山新潟県知事の成立(2016年

ドラマが50回あるとして、最初10回ぐらいまでで上の1185~2016年日本史上の出来事を、越後国メインでどうにかまとめる。

必要なら越後上杉氏にも触れる。

次に、フェミニズム今日の流れを社会福祉とも絡めながら、1120回を平塚らいてう市川房江、矯風会、RBG、マルクス主義フェミニズム上野千鶴子思想ポストモダン人工知能学会表紙、秋葉原奪還計画トランプ政権、woke運動今日のラディカル・フェミニズム確立までに費やして、2016年頃までの出来事としてまとめる。

21~30回を2016~2020年頃までの出来事に費やす

ここに安倍氏の全盛期と衰退、米山-室井夫妻の確立インターネット上における社会学-フェミニズム運動の全盛期(フェミニズム社会学における上野学派の系譜、農林、海女みかん第一VTuber-フェミニズム論争、宇崎、シュナムル氏、マルクス作品、シュナムル-マルクス論争)などを入れる。

31~40回を2021年の出来事に費やす

特に室井氏の周りの論戦と、温泉むすめと草津温泉松戸論争(第二次VTuber-フェミニズム論争)でこれまでの流れの伏線回収を終わらせる。暇空氏とシュナムル氏の確執もこの期間のサブテーマで取り上げられる。

41~50回を2022年以降の出来事に費やす

脚本家の腕の見せ所。この10回分の期間に安倍氏暗殺を含め、約一年間の出来事anond:20221230152020)を取捨選択して描き切る。第1章での米山隆一第2章での上野千鶴子といった以前の中心人物歴史的な流れが全てここに集まり視聴者了解される。

2022-10-24

anond:20221024121626

はい

それら二つは本質的対立しており、永続的な革命しか解決されないとするのがマルクス主義フェミニズムの考え方です

2022-07-11

プロテスタント大学での統一教会の扱い

統一教会ネタにいっちょ噛みしたいのでプロテスタント大学での統一教会の扱いについて説明するよ。

https://anond.hatelabo.jp/20220710130132

因みに日本ミッションスクールイエズス会の作った上智大などの少数を除いて、殆どプロテスタント系だ。これはプロテスタントの方が伝道師資格が得やすいというのと、アメリカの影響を受けているからだ。

 

プロテスタント校では統一教会絶対認定

 

日本の多くのプロテスタント教会統一教会と戦っているので、そのミッションである大学では統一教会活動ははっきりと禁止されている。「信教の自由」みたいな微温的な言い分には完全に聞く耳を持たない

特にピリピリしているのが学内での勧誘原理研偽装サークルを通じたオルグで、入学時のオリエンテーションでかなりの時間を掛けて注意を受ける。

 

もし学内での勧誘が発覚したらかならずこうする、と強く警告を受ける。

曰く 

 

1.当該学生は呼び出される。

2.教会牧師教授の説得チームが構成され親を交えた脱会説得。親が田舎に居る場合でも大学に出てきてもらう。

3.「説得に応じない場合」という譲歩の想定は無し。

4.偽装サークルを作っていた場合サークル強制的に閉鎖、関わった学生は全て停学の上で上記1と2コース

5.停学の解除条件統一教会脱会のみ(勧誘しませんの約束ではない)。

6.断った場合例外なく退学。

7.偽装サークル主催者猶予無しに退学。

 

統一教会には絶対に接近されるな、勧誘されるな、勧誘する立場までになったら退学だぞ」と念押しされるんだな。

その結果、ミッション校では完全に原理研フリーになってて、学生統一教会問題というのは過去のもので既にこの世にないものと思っていたりする。それで、卒業したら統一がまだ現役で活動しているという事を知って驚いたり、逆に接近されても気が付かなかったりする。

増田卒業後にネット原理研の話を聞いて、あれってまだ現役だったモノなの?と驚いてしまったくらいだ。

免疫まで無くなってしまうのはちょっと考えものかもな。

 

熾烈な戦闘脱会運動

 

なんでプロテスタントミッション校でこんなに統一教会を徹底的に排除しているのかというと、過去に非常に戦闘的な脱会運動をしていたからなんだな。

統一教会国会などで問題になって盛んに報道されるようになったのは1990年以降なんだが、その前の80年代には霊感商法洗脳的な集団生活などが問題になって来ていた。

それで牧師たちがこの邪教から学生相談を受けた親の子息を足り戻す脱会運動をしていたんだがこれは説得とか生ぬるいものじゃない。何しろまず洗脳解除をしなきゃいけないから使う言語肉体言語込みになる。

 

1.まずターゲット道場や寮で集団生活をして宗教活動に励んでいるので、外に出るタイミングを見計らって路上などで親と牧師達で取り囲み、説得したり怒鳴ったり泣き落とししたり腕力で肉体的に説得して車に押し込んで連れ去ってしまう。その為には生活パターンの把握が必須なので張り込みもやる。

2.統一が身柄奪還の為に連絡を取りに来るので、家には戻さない。教会大学の寮に入れる。とにかく身柄を確保してしまう。

3.洗脳を解く方法は逆洗脳。寝かせずに説得、キリスト教教義の論争を仕掛けて全て論破しまくる、大声を浴びせて疲れさせる、急に泣き落とす、急に叱りつけてから急に話を聞いて心を開かせ過去自分を思い出させる。信者のせいで崩壊した家庭の事を説明してこの先の事を考えさせる。

 

こんな風に非常に強引な手法洗脳を解き、日常に復帰させる。その後のセミナーカルトなどの例を見ても脱洗脳はみなこういう方法を取るようだ。

だけど教団側も手をこまねている訳じゃない。こういう手段で身柄を取り返しに来る。

 

通勤通学路や家の近くで待ち伏せして「騙されているんだ帰ろう」と説得する。これは数度だけじゃなくて非常にしつこく、何年間、何十何百回も繰り返される。

人身保護仮処分請求

 

から教会とか寮とかの牧師達の目の届くところに住まわせる必要があるし、法廷闘争に対抗して弁護士を立てる必要もある。

牧師達は第三者なので親は仕事を休んで家裁に行く必要もある。

 

からネットとかで統一側に立って「信教の自由がー」「信者人権がー」って言ってるのを見ると悪いが鼻で笑ってしまう。

人権学校では「崇高なもの」みたいに教わるが法廷では誰もが主張できる武器である武器を掲げているからそっちが正義みたいに思い込むのは学校ホームルームであって、こっちは法廷である

本人脱会後で終わりじゃない

 

本人の脱会成功しました。おめでとう御座います…じゃない。その後も再オルグ対策は続けなきゃならない。

非常にしつこく信者接触しに来るので、本人の引っ越しは当然のこと、家族引っ越しする。その為に家を売り払う場合もある。

本人は何とか大学卒業する。そして遠方に就職する。友人も本人を追えなくする。交友関係が切れてしまうが仕方がない。

とにかく身を隠す為の生活余儀なくされるのである。まるで犯罪者だ。

実家引っ越しには親の転職も含む場合がある。だから相当の金も掛かるし、人生も変わってしまう。でも信者のままで霊感商法従事すると本人も家族人生なんて無くなるからずっとましである

 

オウム事件で非ミッションスクールにも飛び火

 

プロテスタント牧師達はこういう風に統一教会と戦って大学から排除していたのだが、他の私学、国公立では信教の自由の下で放置されていた。だから統一ミッションスクールから手を引いてやりやす普通の私学国公立オルグをしていた。

ところがオウム事件日本中を震撼させると学内でのオルグ問題になってくる。

そこで多くの大学方針を切り替えた。プロテスタント大学のように戦闘的な脱会運動や退学処分が当然のような方針ではないが、他のカルトと一緒に統一教会原理研勧誘注意喚起が出され、「原理研偽装サークルに注意!」と張り紙が出るようになった。

 

因みに1990年頃の大学改革米国式実学学部が人気になり、旧来の学部でも実学系の講義が増えたのだが、その非常勤講師自己啓発セミナー勧誘を行う事が問題になっていた。それも当時にそういう講師を学期途中でも解雇にするという形になったのだが、、、後にこれら自己啓発系は企業社員研修に食い込むようになってブラック企業隆盛の片棒を担ぐようになったのだな。

 

名称変更問題

統一教会1980年代末にはTVで大々的に批判されたので、こういう状況になると警戒されて学内勧誘が非常に難しくなった。

そこで統一名称の変更を言い出す。世界平和統一家庭連合通称:家庭連合だ。

因みに「家庭」っていうタームは、1990年代の保守陣営流行のようななのだ

共産主義親玉ソ連が無くなって自由主義陣営共産主義陣営の戦いという「歴史が終わっ」って戦う相手がいなくなってしまったせいで、陣営としてバラバラになってしまった。運動の核が無くなっちゃったのだな。それでマルクス主義フェミニズムなんかが家族という制度攻撃している!家族父性大事にしようっていう風に再び集合するためのテーゼを共有したのだ。この時、この家族大家族なのか、戦後核家族なのかは敢えて問わないようにした。

 

この名称変更を文化庁はずっと拒否していた。理由偽装勧誘の為なの明白だから当然な対応である

これを第2次安倍内閣下村大臣時代に通してしまった。

これまでの経緯を見るとかなりヤバい事をしたと言っていいだろう。牧師らの長い戦闘脱会運動オウム事件で流れた血の果てに統一勧誘名指しが無されたのにその効果をパーにしてしまった。

 

日本保守プロテスタントの折の悪さ

保守派の論客自民党議員カソリック信徒の人は多い。日本ではプロテスタントが専ら優勢なのに奇妙だ。

それは、以上の経緯で日本プロテスタントがかなりリベラル寄りになっているって事が原因だ。

そもそも統一信者霊感商法家族崩壊という社会問題化を封じてきたのは反共議員達であって、憤怒の的だ。

反共議員が多いのは自民党だったが、社会党にはもっと濃度の濃い反共議員がいた)

そういう事情が影響していると思われる。

から日本プロテスタントが左寄りだ!っていうはそうだと思う。

だが、ネットで「日本プロテスタント共産主義!」とかいうのを見る事もあって、そういうのを見ると「ああ、やってるなぁ/誰の影響か知らずに居るんだろうなぁ」と思うのである

2022-04-15

500%中国人じゃねえか

マルクス主義フェミニストとして

ベルリンの壁崩壊後の1990年に「女性解放理論が、マルクス主義の射程から脱け出ていないのは、マルクス主義けがほとんど唯一の、(近代産業社会の解明とそれから解放理論からである」としており[28]。その後にも、ハンガリー動乱プラハの春以降もヨーロッパ社会主義者であった人らについて、2008年に「ソ連があるにもかかわらず社会主義者になった、良心的・体制批判的な人たち」と社会主義を「善」とする立場をとっている[29]。2009年には女性の抑圧を解明するフェミニズム解放理論には社会主義婦人解放論、ラディカル・フェミニズムマルクス主義フェミニズムの三つしかないと主張している。労働者階級勝利階級支配を廃絶すれば女性解放されるという「社会主義婦人解放論」を強く批判、「ラディカル・フェミニズム」も「社会主義婦人解放論」と同様に「市場」と「家族」が重なり合った近代産業社会における資本主義社会を前提としていることが固有の女性差別の根源であると主張し、マルクス主義フェミニズムを支持している[30]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E9%87%8E%E5%8D%83%E9%B6%B4%E5%AD%90#%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%82%B9%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%9F%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%83%88%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6

東大中国人スパイごろごろしてるってのはマジだったか

2022-02-07

anond:20220207193710

これは日本大学歴史から紐解く必要がある。特に旧帝大教授はその大学だけでなく、系列大学研究室アカポスを推薦できたんだ。

まりボスに気に入られなきゃアカポスにつけない、つまり今のボス劣化コピーみたいなのを量産する素地があった。

ただ、これだけなら元々多様な人材を揃えていたなら弊害も小さいんだ。

でも、戦後右派教員パージされたせいで、大学にはマルキストか心情的左派しか残らなかったのよ。そのせいで、大学左翼再生産の場になったのね。

それでもソ連崩壊して、特に実学に近い分野だと役立たずは消えていった。ただ、人文学に関してはそういった人材がそのままスライドして再生産を続けてるのね(マルクス主義フェミニズムなんてのを真面目に議論してる救えない分野)

2022-01-29

anond:20220129021809

そりゃ何十年もマルクス主義歴史学やらマルクス主義フェミニズムやらを研究して不思議に思わない奴等だぞ

あるだけ無駄

2021-04-07

弱者男性論でフェミニズム限界が露呈した

フェミニズムというかマルクス主義フェミニズムと言った方が正確だろうが。

マルクス主義には、階級闘争史観という歴史見方があって、資本家労働者搾取してきた、

労働者資本家を打倒していいみたいな歴史見方

ここで注目したいのは、資本家とか労働者とかの階級の中にどれほどの多様性があるのかは、

まったく考慮していないという点。

資本家といっても世界的なグローバル企業から町工場みたいな中小企業まで全部資本家だけど、

それらは全部ひっくるめて資本家で打倒していいもの扱い。

労働者側もいろいろいるだろうけど全部労働者

こういう階級をひとまとめにする見方マルクス主義の特徴。

資本家と、労働者関係を、男性女性に置き換えたのがマルクス主義フェミニズム

男性とは全員搾取するもので、個人個人男性が実際にはどんな生活をしているのかとかは全然見ていない。

から、「弱者男性」のような、男性カテゴリーの中にもいろいろいるという点を指摘されても、

バグって理解できない。それで、苦し紛れにあてがえ論とか言い出す。

バリアフリー車いすのあれも同じ。

車いす弱者JR強者。という認識で凝り固まってる。

JRの中にも、現場人間がいるという認識を持てない。

かわいそうなのはマルクス主義以降、弱者救済に使えそうな理論がなかなか出てこないこと。

から、もうさび付いた武器だと気が付いてはいてもその武器を捨てられない。

2021-03-08

マルクス主義フェミニズムのことも知らずに上野千鶴子DISってたってマジ?

https://togetter.com/li/1678496

今まであれだけ上野千鶴子についてわかったような口をきいてたのにマルクス主義フェミニズムのことも知らなかったってマジっすか!

上野千鶴子Wikipediaにはっきりと載ってるし代表的著作マルクス主義フェミニズムって名前書いてるのに。

マルクス主義フェミニズムのことすら知らんと、今まで上野千鶴子の何をしったつもりになってDISってたん?

https://twitter.com/search?q=from%3Atm2501%20%20%E4%B8%8A%E9%87%8E%E5%8D%83%E9%B6%B4%E5%AD%90&src=typed_query

まりにもマヌケすぎでは?


黙ってれば知ったかぶりできたのに、「マルクス主義フェミニズム」知った喜びが抑えきれなかったんやな。

人の話を聞かないくせに自分王様のように勘違いしているマヌケ

おだてながら偽りの外套かぶせると全裸大通りを歩くかのような愚行。

2021-02-01

anond:20210201222619

マルクス主義」じゃなくてマルクス主義から派生した「マルクス主義フェミニズム」の弱点だって上野氏が研究してた思想なんだからお前の言う「自分で主張した内容」じゃん マジでいい加減に分からないふりやめてくれ

anond:20210201215649

研究者倫理活動家としての振る舞いを厳格に区別してるのに 社会運動目的のために弱点を示さないこと=研究者倫理に悖る になるわけないだろ

そもそも上野氏が研究したマルクス主義フェミニズムのウィークポイントも著書にはちゃんと書いてあるから区別できないなんてお前の単なる思い込みしかない

2020-10-30

フェミニズムはややこしい

リベラルフェミニズム、ラディカルフミニズム、マルクス主義フェミニズムエコロジカルフェミニズムポストフェミニズムアンチフェミニズムミサンドリーミソジニー

などフェミニズム歴史に応じて色んな思想体系がある

現代日本フェミニズムに対しても、ここの騒動で個々人の思想体系は異っているケースが多い

なのでジャパンフェミニズムを把握する場合には因数分解をしていく必要がある

 

因数分解ポイント

男女平等を求めているか

思想的に該当する例:男女雇用均等、男女の賃金格差なし、夫婦別姓

無償労働批判しているか

思想的に該当する例:育児女性側が主に負担すること、専業主婦家事を行うが賃金が発生しない労働扱いされること

性的表現批判しているか

思想的に該当する例:ポルノ批判する、乳袋不適切と言ったりする、萌え絵批判する

さら過激になるとAV女優グラビアアイドル攻撃対象として批判したりする(男性性的搾取価値観に加担しているなど)

結婚や家庭などの既存制度批判しているか

思想的に該当する例:結婚しない自由子どもを持たない自由などを提唱結婚子どもを持つと女の幸せ侵害されるという思想

無理解な家父長的価値観批判しているか

思想的に該当する例:女はこうあるべきという無自覚価値観発言に強い怒りを感じる

・男そのものに強い怒りなどネガティブ感情を抱いているか

思想的に該当する例:男はいらない、男児必要ない減らしていくべきなどの過激的な発言が目立つ

・同性である女を批判攻撃していないか

思想的に該当する例:家父長的価値観増長させている事なかれ主義日和見主義、振る舞いに疑問を感じていない女性フェミニズムの足を引っ張る存在だと批判する動き

男女平等や不当な扱いを受けている女側の活動の足を間接的に引っ張る女性存在不快感を感じている

・強いネガティブ感情を持って批判はするが言語化が苦手か

→該当する例:性表現批判する側によく見られる現象OK表現NG表現定義基準を明確に示すことができない(感情先行派)

言語化できないためうまく話し合えず、攻撃側は拒絶された理解されない拒絶感を感じやすい、攻撃されている側も論点や具体的な点を明らかにできず議論平行線になりやす疲弊する

 

ジャパンフェミニズムでよく出やすい傾向

無償労働批判
性的表現批判
感情先行型が多く言語化が苦手(集団だと特にそうなりやすい)

 

因数分解すると全員がまったく同じ思想と限らないことが多い

性的表現批判をして男そのものを憎んでいるAさんもいるし、性的表現批判をしてるが足を引っ張る無自覚日和見主義の女の存在に苛立っているBさんもいたりする

個人レベルで見ると思想差異があり、一緒のように見えるが部分的なところでだけ共通してる集団しかなかったりする(主張が複雑化しやす根本的な原因)

 

ジャパンフェミニズム関連の騒動が起きた時

それぞれが違う思想を持った個人集団だと理解して話を聞く必要がある

また同時に集団としての統一性がとれているとは限らずそれぞれの思想がある個人の寄せ集めであるため、大筋としての共通部分の内容把握にとどめるなどの工夫が必要

そのまま真正から全て受け止めると、それぞれの思想のある個人の主張の波に潰されるので一歩引いて意見をまとめること

具体的なライン定義基準、細部については言及しないほうがいい(個人思想が違うためフェミニスト内でも衝突しやすい)

→なるべく一旦フェミニスト内で話し合わせるようにするなど統一性を持たせる必要がある

2019-11-07

いや一人一派って裾野広げすぎだろ。

せめて「ラディカルフミニズムはこう言ってて、リベラルフェミニズムはこう言ってて、マルクス主義フェミニズムはこう言ってて、そのほかの派閥はこういうのもあって、それに対して自分はこう思う。」とかならまだわかるけど、そういうの何も知らんでとにかく女性に都合のいいこと言ったらフェミニズム、みたいのそろそろやめたらいいと思う…

2019-11-06

anond:20191106011552

女が男に頼るんじゃなくて、弱者強者を頼ることはいいんじゃない?

その結果として、家庭という小さなコミュニティ内で男尊女卑精神から割り振られたのと同じような役割分担になったとしても、それは需要供給関係から差別ではない。お互い納得の上でやっているのだから

問題は、そういう利得を享受した上でなおかつ、女性差別だとして男性に過度な家事育児の分担を主張したりすることであって。そりゃ無理だ。

あとまあそれとは逆に家事育児労働一般の賃労働比較してみて、家庭内でも搾取が行われていないかい?っていうようなことはマルクス主義フェミニズムでやるんだっけ?

まあそれは別の議論に任せるとして。

まあとにかくフェミニズム女性生き方に対して、男性に頼って生きるその限りではなく、自立して生きることも否定してはならないっていうことを言えばいいんじゃない

オメーらも全員キリキリ働け!みたいなこと突然言い出すとそれはそれで混乱するしまたそれで負担がかかるのは女性とか弱者じゃん?

できれば男女ともに仕事家事育児バランスを保っていける方がいいとは思うから、追い追いそういう風にはなっていくんだろうけどって今気づいたけどあれか、ラディカルフミニズムとリベラルフェミニズムってこういうことかな…?

2018-10-21

この際、キズナアイはどうでもいいので元増田に教えてほしい

https://anond.hatelabo.jp/20181020130536

元増田ありがとう

まず、元増田解説感謝を示したい。

この問題について、自分はずっと論点がつかめずに長い間モヤモヤしていた。

元増田解説によって、やっと何が論点なのか分かってきた。ありがとう

その上で、元増田好意に期待してさら質問したい事がある。

私の質問

元増田マルクス主義フェミニズム立場を全面肯定している訳ではないので、より正確には「そこにはどんな正当性があると(マルクス主義フェミニズムでは考えられている)のか?」になるかな。

あと、キズナアイも誰か1人の意思のもとに行動しているとは限らないが、少なくともキズナアイを演じる1人の個人がおり、その個人自発的意志を持って活動しているのは、まあ確かだろう。

議論の前提

元増田千田氏の問題提起を以下の4点に要約した。

一旦、この4点はすべて真実だと仮定して話を進めよう。

(1) キズナアイNHK解説記事において「相づち」をする役割となっている

(2) 「相づち」をする役割は、従来から女性が担ってきた役割である

(3) 従ってキズナアイ解説記事における役割は、従来の女性が担ってきた役割を担っていることになる

(4) そのことは、理系と呼ばれる分野で活躍する女性などに対して、好ましい状況を生むようなものになっていないのではないか

今私は、キズナアイ論争ではなく、キズナアイ論争を通じて解説された「役割再生産」というコンセプトについて聞きたいので、一旦、この4点が事実かどうかの確認は横に置いておきたい。だから、これらが真実なのかは誰にも断定する事は出来ないが、事実だと「仮定」して議論を進めたい。

個人自由

誰かの自由意志、例えば、キズナアイが「NHKノーベル賞解説動画に出演する」という自由意志を、制限する事が正当化されるとしたら、それはどんな理由によってだろうか?

色んな立場がありえるが、私は、この立場に立ちたい。

十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命自由及び幸福追求に対する国民権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重必要とする。(日本国憲法より)

もし、この立場に立つ事に同意して貰えるのであれば、キズナアイが「ノーベル賞受賞者のうなずき役として、NHKに出演したい」という自由意志制限できるのは「公共の福祉に反するから」という理由以外にはありえない事になるだろう。

公共の福祉

ひるがえって、「役割再生産を防ぐ」というある種の「公共の福祉」には、個人自由制限できる程の論拠が足りているのだろうか?

先程私は、(1)〜(4)の要約をすべて事実だと仮定すると言った。私はそれは議論関係無いことだと思った。だけど違った。

それは今やこの議論に致命的に重要になった。

だって根拠が無い事によって最大限尊重されるべき個人自由が制約される事に正当性などある分けがいから。

個人自由制限しうるほど確固たる根拠になりえるのか?」という視点で見た時「会話実験」というどうとでも解釈できそうなアプローチは十分な証拠たりえるのか?

再び質問

以上の私の立場を踏まえてもう一度聞きたい。

2018-10-20

千田有紀はどう会話すべきだったか

anond:20181020130536

こちらの分析を見て、千田有紀はどこを間違ってしまったのか考えてみたい。

 

仮定を前提にしたモデル議論だと強調していない

多くの人はここで引っかかると思う

(1) キズナアイNHK解説記事において「相づち」をする役割となっている

千田議論理解するためには、とりあえず(1)は正しいものとして引き受けておいてください

キズナアイは相槌ばかり」という言説の真偽はとりあえず真としてほしいみたいな話とみた

つい最近の最善の相の議論でも話題になったけど、とりあえず仮定を真として議論を進めましょうみたいなの

多くの人は利害が絡むから無理なので、千田は「あくまでも仮定です!ここが受け入れられない場合読み飛ばしてください!」と

しつこく語りかけるべきだった

手打ちEXCELで回数数えるとか悪手もいいとこ。そこは前提なんだから

キズナアイは話のマクラにすぎないことを言ってない

これが元増田趣旨で、この点については俺も同意できる

しかし、であるなら世の中がマルクス主義フェミニズムの指摘するところの資本主義と家父長制で構築されているのだから

キズナアイにかかわらず世の中の表現のいたるところに同様の分析ができるはずだ

 

そうならそれで「今回のキズナアイは世の中一般に比べてことさら悪いわけではないです」など言って

早々に敵対モードを解除し、資本主義や家父長制一般の話に持っていくべきだった

 

なんだったら自分Twitterの会話も分析してみて

「私にも家父長制を再生産している部分もあります。それは私が不徹底なのではなく世の中の構造が原因なのです」

みたいに言って沈静化させることもできたはず

始終キズナアイに対するリスペクトがなかった

今回炎上が加速したのは、いつものアンチフェミニズム表現の自由戦士の他に

キズナアイVTuberファンまで敵に回してしまったのが原因かと思う

彼らは「キズナアイには魂がある」などと主張していることからかるとおり表現の自由戦士軍団とはことなクラスタに生きている

そして本来フェミニズムにもマルクス主義にも敵対的な集団ではなかったはずだ

 

彼らを怒らせてしまったのは千田があのインタビューを「シナリオライターが入念に作り上げた作劇だと扱った」ことであり

それはすなわちキズナアイを終始「企業が作り出した操り人形」だとみなしていたのだと思う

 

例えばこれが生身のYoutuber女性で、受け答えが相槌だらけだったとしたら

「まともに受け答えしていない、女子エンパワーメントできない」などと切って捨てられるだろうか

必死に頑張ったかもしれない一個人に対してそこまで酷評できないのでは?

というか普通の人があの場にでてキズナアイ以上の受け答えできる?

 

  

などなど、いろいろ隙のある対話スタンス炎上してしまたことがわかった

今回の件は大変残念なので、次回以降「自分敵対心ないよ」というスタンスをもうちょっと強く押し出して頑張って欲しい

千田氏の問題提起説明してみる

はじめに

 キズナアイNHKウェブサイトにおいてノーベル賞解説記事に登場しておりましたが、そのことをきっかけに、千田有紀氏などが指摘をし、さまざまな方面から千田議論に対する批判が寄せられ、さらには社会学のものに対する批判もされているところです(これらをキズナアイ論争と呼びます)。

 ですが、そのざまざまな批判を読んでいると、「これって実はコミュニケーション不足で、伝わっていないんじゃない?」と思うことが多くなりました。いろいろあって社会学を学んだ人間として、それはちょっと悲しいなという思いがあったので、千田氏の問題提起ちょっと分かりやすくお伝えできればと思います

筆者の立場

 筆者は、社会学修士号を得ています。今は大学から離れているのですが、離れてそう長くはありません。専門は千田とも重なる領域家族ジェンダー)もありますが、教育メディアでした。

本稿のスタンス

 あくまで、千田問題提起がどのようなものに基づいて行われているのかを解説するもので、その意見妥当性とかは議論しません。私個人としては、千田立場に立てば理解でき一理ある議論ではあるが、だからといって、それは多くの人の理解を得る話法ではないし、その背景事情を一切踏まえていないのは、学術的に一定ポジションにある人のする作法としては疑問を感じているというところです。また、千田学術的貢献はいろいろな批判があるようですが、私は一定程度は評価しています

 なお、アカデミック作法は基本呼び捨てですので、ここでも、基本千田として書かせていただきます

千田氏の問題提起について

 キズナアイ論争のはじまりは、千田投稿記事です。https://news.yahoo.co.jp/byline/sendayuki/20181003-00099158/]

 ちなみに、現在10月13日)、追記もなされており、社会学者にはそれなりに分かる文章にはなっているのですが、一般の人はなおのこと分かりづらいことになっています。後に公表された、『「表現の自由」はどのように守られるべきなのか? 再びキズナアイ騒動に寄せて』記事による補足を踏まえて、まず、千田議論の要点をまとめてみましょう。

 (1) キズナアイNHK解説記事において「相づち」をする役割となっている

 (2) 「相づち」をする役割は、従来から女性が担ってきた役割である

 (3) 従ってキズナアイ解説記事における役割は、従来の女性が担ってきた役割を担っていることになる

 (4) そのことは、理系と呼ばれる分野で活躍する女性などに対して、好ましい状況を生むようなものになっていないのではないか

というところに整理できるかと思います

 社会学特にジェンダーフェミニズムを学んだ人だと、この4つの間を頭の中でこうかな?と繋ぐわけですが、普通の人はフェミニズムを体系立って勉強するわけでもないと思うので、「はて?」となるわけです。更にいえば、一つ一つの要点が「え?!」という感じになるかと思います

 千田議論理解するためには、とりあえず(1)は正しいものとして引き受けておいてください。そこが正しくないとなると、そもそも議論の前提が崩れてしまい、議論そもそも成立しなくなってしまうので、ご理解ください。

千田議論理解するための知識

千田議論理解するためには、いくつかの知識必要となります。一つは、千田の専門でもあるフェミニズム、もう一つは会話分析というものです。順に簡単に紹介しておきましょう。

社会学とは

 社会学は、社会対象とした学問です。といえば、早いのですがそれではよく分かりませんよね。社会学は、社会がどのように成り立っているのか、つまり社会の秩序はどのような形で形成されているのかを探求する学問です。例えば、古典的社会学特に日本戦後社会学では「農村」が特に注目されました。農村における人々のネットワークや、家族の在り方、そういうものに関心を持っているのが社会学です。

フェミニズムってそもそも

 フェミニズムを正確に定義することは困難ですが、フェミニズムを雑にまとめると、「女性地位を向上させようとする取り組みであったりそれを支える理論」というような言い方ができると思います歴史的には大きく2つのターニングポイントがあったとされています。それが「第1波フェミニズム」と「第2波フェミニズム」です。

 第1波フェミニズムは、1900年代ごろ、19世紀から20世紀へ移りゆくタイミングに起こりました。西欧諸国で主に婦人参政権を獲得する運動が中心に展開され、1920年代にはイギリスアメリカで実現をすることとなります。(ちなみに、日本はというと戦後婦人参政権が認められるようになるのですが、新婦協会青鞜社運動は同時代運動です。)

 第2波フェミニズムは、1960年代頃、社会運動が盛んになった時期に、女性らしさへの問い直しが運動として行われます代表例ではキリスト教社会では長らくタブーとされていた中絶合法化が挙げられます。また、この時代には女性が自らの自由に性を語るということが積極的になされるようになります

 いずれにせよ、その理論根底には、女性男性と同等の状況にないという認識に立っているということがあります

 第1波フェミニズムで焦点化されたのは、法律社会制度というものでした。第2波フェミニズムはというと、法的制度平等であっても、職場ではお茶くみに甘んじてしまっているし、男性と同じように性を語ることはできないというような、日常性差別特に焦点を当てていくようになるわけです。

 現代は第2波フェミニズムの延長線上にあります。#Metoo運動を始めとして、第3波フェミニズムがやってきているというような主張も時折みるのですが、第2波フェミニズムより後のフェミニズム運動について、多くの社会学者が納得しているような分類はまだ確立していないのが現状です。

マルクス主義フェミニズム

 上野千鶴子理論などを理解する上で重要キーワードが、マルクス主義フェミニズムです。そういう立場だと、だから上野千鶴子はそういう立場なのね、と理解できます千田議論もとりあえず、マルクス主義フェミニズム解釈すると、理解がしやすくなると思いますので、こちらを説明します。

 (フェミニズムにはさまざまな立場があります。ラディカル・フェミニズムリベラルフェミニズム等です。フェミニズム一枚岩ではないと、理解しておくと良いでしょう。)

 マルクス主義フェミニズムとは、先ほど、フェミニズム女性男性と同等の状況にないという認識に立っていると説明しましたが、そのような社会状況を生み出しているのは、今日資本主義社会システムなのであるといいます。で、これを理解するためには家父長制というキーワード理解しないといけないのですが、本題より長い解説になるので、そこら辺は上野千鶴子の『家父長制と資本制』をとりあえず参照してください。

上野理論を厳密に言うと、上野は、従前のマルクス主義フェミニズム教条的であるということで、それを乗り越える必要があると、主張をしています。)

 シンプルにいってしまますと、そのシステム資本制)の成立と密接に性差別を生む家父長制制度が続くため、性差別再生産(半分マルクス主義用語ではありますが)されていくということになります

会話分析

 会話分析というのは読んで字のごとく、会話を分析するというものです。まずは、社会学会話分析がなぜ重要になってくるのかをエスノメソドロジーというワードを使って説明したいと思いますそもそも社会学社会秩序はいかにして可能かを明らかにする学問です。そこで出てくる問いの一つにこの社会生活を営む人びとがやっていることを、研究者はどのように理解できるのかという問題です。

 この問題に答えたのが、ガーフィンゲルという人です。ガーフィンゲルエスノメソドロジーという手法提唱しました。エスノメソドロジーというのは、日常生活している人々が言動をどのように理解し、成立させているのかを、日常生活している人々の視点に立って記述するという手法です。

 エスノメソドロジーは、私たちの当たり前が、いかに「うまいこと」成立しているのかを見せてくれます。例えば次のような実験は非常に有名です。

A(被験者)「おはよう! 調子はどう?」

B(実験者)「調子ってなんだい?」

A     「いや、元気かどうかってことだよ。」

B     「元気かどうかって? どういうこと?」

こんな調子で話されると、本当に調子おかしくなりそうですが、こういう実験します。ここで浮かび上がってくるのは「調子」という言葉が、体調や近況を意味しており、それをお互い分かっているという「期待」をもって、Aは会話をしているということです。このような形で、秩序が形成されており、それらは記述可能な形で示すことができるとするというのがエスノメソドロジーです。

 会話分析の多くはこのエスノメソドロジーの考え方を踏まえて行われます。つまり、先ほどの会話のスクリプトのようなものを読んで、そのなかで、AとBはどのような「期待」をそれぞれ持っており、そこにどのような秩序があるのか? ということを考えているわけです。

千田議論を振り返ろう

 冒頭で、千田議論を強引に4点にまとめました。ここまでの道具を用意すればある程度説明ができます。それぞれの項目ごとにみていきましょう。

(1) キズナアイが「相づち」をする役割となっている件について

 そもそも実在人物は「先生役」とNHKサイトでも記載がありますように、ここで想定されているのは「先生」と「生徒」というコミュニケーションです。したがって「生徒役」となるキズナアイ基本的に「相づち」をする役割に当然のことながらなるでしょう。そもそも「生徒」の方が詳しいというのなら、「先生」が「生徒」の役割を担うことになるはずですし、「先生」と「生徒」という形で双方「期待」をもっていることは分かります別にこれが、男子生徒であろうと、まあこういう会話になるだろうなという感じではありますよね。

(2) 「相づち」をする役割は、従来から女性が担ってきた役割である

 これは、先ほどのフェミニズム議論が役に立ちますお茶くみとかの補助業務に当たっていたということは、先の説明でもしましたが、今日でも、「相づち」をする役割は、女性となっていることが多いです。例えば、新春の、一体誰がみるのかよく分からない県知事が語る!みたいな番組がありますが、あのとき大抵女性アナウンサーが話を聞いたりしていないでしょうか。このとき女性アナウンサーは、多くは男性である知事に対して、その発言がしやすいようさまざまな配慮をしながら、質問を重ねていきます

 そこでは、主役はあくま知事です。アナウンサーが主役となって、知事いじめていくというような内容になっていないでしょう。これが、でも、田原総一朗との対談だったらどうでしょう。一気に様相が変わってきますよね。また、地元財界知事の対談だったらどうでしょう。そこに「相づち」はあっても、「相づち」をする役割知事の対談者は決して担っていないと思います。会話の主体になっているわけですね。地元財界の人が女性でも、この場合だと「相づち」の役割はまあしないかと。

 ここでポイントになるのは、知事一方的に語るというような形式を取る時には、女性アナウンサーがその役割を担うことになり、他方、双方共にしゃべる場合には、女性活躍機会が途端に減ってしまうというということです。これは、私たちイメージレベルでも大体共通しているのではないでしょうか。(もちろん、個別具体で違う話も多く、徹子の部屋黒柳徹子をどう評価するかは難しいところですが。)

 もちろん、これは、女性知事と同等の立場役割を担っている機会が開かれていないから、そのようにならざるを得ないという側面も当然ありますが、男性アナウンサーがそうそうなっていないということは、一つこのことを証明するものであるとも言えます

(「相づち」をする役割も高度な役割であるということは決して忘れないでください。)

(3) 従来の女性が担ってきた役割キズナアイ

 ここで、議論はもどってきて、キズナアイは「生徒」役ではありますが、「先生」の発言を引き出すという意味で「相づち」をするということで、記事トップにも出てくる主役のはずが、補助的な業務を担わされていることになります。このときキズナアイ女性と見なすと、これまで女性が置かれていた立場女性積極的に前に出られる環境制度上はなっているにもかかわらず、結局はそうはなっていないという状況と重なる部分はあるでしょう。

 再び、徹子の部屋黒柳徹子イメージすると良いかも知れません。徹子の部屋における黒柳徹子は独特の立ち位置で、徹子の部屋を見て黒柳徹子は単に「相づち」をうつ役割だけではない、ということが理解できるでしょう。なんなら、黒柳徹子の方が目立っていたりします。対談の形式が、黒柳徹子お客様を招いて話をしてもらうというホストであるためであり、従属的関係になっていないというところに、このキズナアイ対談と徹子の部屋の決定的違いがあるのだろうと思います

 そうして比べてみると、キズナアイ女性役割再生産するということになったというわけです。これは、性別役割分業を進めていくものであり、女性にとって活躍の機会が減ってしまうというのがフェミニストたちの主張と結びつけて考えることが可能なのです。

(4) 活躍する女性への影響

 この時、女性は従たる役割を担わされるわけで、その期待が持たれます。そうなると、女性は、主たる役割を担える存在なのにもかかわらず、その期待から、従たる役割を担い続けなければならない、そういった状況にはまってしまうのです。そして、そうした悪循環から脱却しなければならない、というのがフェミニズム基本的な主張です。

 このような女性観で考えられると、女性にとって好ましい立場ではないという千田の主張はそう的外れものではないということは理解できるでしょう。

千田氏の議論の失敗

 千田議論をするという状況を作り出したことでは成功していると評価できますが、その議論の中で、自らの論理妥当性を提示し納得してもらえたかというとそうではないと思います。後の対応によるところも多いのですが、それは、実は最初きっかけともなった記事の一番最後文章であると私は考えます

なお10月3日、9時の時点で、スマートフォンから見ると、キズナアイバストショットしか見えない(パソコンでは、へそなどの下半身が見える)。

 この一文が最後にあることで、キズナアイの見た目(容姿)を問題にしたいのか、と思ってしまう人も多いと思います千田氏は、後の議論でも、キズナアイ役割に焦点を当てており、容姿問題にしていないといっているのですが、冒頭の太田氏の議論あいまって、多くの人が混乱したと推察します。そもそもキズナアイってあくまAIであって性別を超越した存在なはずなのに、性別二元論に回収されちゃうのって、なんだかなと。

 さらにいえば、表現問題に回収してしまったのがかなり難しい問題にしています表現問題にすると、結局妥当表現は何かということに行き着き、その線引きは複雑になってしまい、誰も理解できなくなるため、神々の審判でも仰がなければ、なんとも言えないと思います

 まあ、この発言が全てのオチかと思います

本人が個人的に自説を語るのは「自由」の範疇だが、それを公共空間に置いたらどんな意味もつのか、少しは配慮すべきだったのでは?

https://twitter.com/chitaponta/status/1051615591004438529]

2018-08-25

anond:20180825173358

家父長主義フェミニズムという立場皮肉でも何でもなくて、思想的には問題なく成立しそうなんだよな

大きな力の庇護の下で女性が得られる利得の最大化を目指す立場

マルクス主義フェミニズム、ラディフェミブラフェミ、リベフェミなど沢山あるうちの一つ

2018-04-02

anond:20180402163734

マルクス主義フェミニズムとは資本主義私有財産において女性いかに抑圧されているのかを研究説明することを目的としたフェミニズムの一派であるマルクス主義フェミニストによると、女性は、現在資本主義経済を抜本的に改革しない限り自由を手にすることがない、という。現在資本主義経済では、女性労働者の多くは報酬が不十分である

2016-03-09

http://anond.hatelabo.jp/20160307231710

私はあまりフェミニズムに詳しくないが、

この増田がとんでもなく自分にとって都合のいいように解釈していると簡単に理解できる。

まず、大きく3つの種類があると言っているが

増田理論を紹介する最後文章が、彼にとって都合のいい記述になっているのが分かる。

ラディカル・フェミニズム
なお、田嶋陽子はラディフェミを名乗りドウォーキンへの共感を示しているが、ポルノ諸悪の根源とはせず、現実的政策としてはリベフェミに近い内容を述べているため注意されたい("愛という名の支配",1992)。

ポルノ諸悪の根源とはせず、とはポルノ大好きなキモオタにとってはプラスである

リベラルフェミニズム
なお、「男性を敵視し憎む分派消滅するだろう」(B.フリーダン,"新しい女性創造",1965)が示すように、フェミニズム男性女性権力闘争化することに否定的立場をとる。

男性を敵視しない憎まない、というのは男性女性権力闘争しないということではないはずだ

そもそもフェミニズム男性女性権力闘争に使わないなら、一体何から権利を取得するのだろうか

マルクス主義フェミニズム
日本ではさらにそこに独自思想が入り交ざる。例えば男女混合名簿の推進は「日の丸君が代シンボルとする儀式を撃ちくずす」(河合真由美,"「男が先」を否定することでみえてくるもの――学校の中での性差別男女混合名簿",1991)から良いのだ等、目的が何なのか、いささか混沌としている向きも見受けられる。

自分理解出来ないなら

なぜ、紹介した?

もちろん、私も理論思想大事だと思っている。

だがそのままこの文章を受け取るには不用心だということだ

2016-03-08

フェミニズムの簡単な俯瞰

最近フェミニズムまわりがメンドクサソーな展開になるのは外野から全体像が非常に分かりづらいことなんじゃないか?ということを考えてて、

たとえば絵を描くときって全体のあたりから始めて徐々に細部に向かっていくのが普通で、いきなり細部から書き始めると全体がゆがんだものになりがち。

同じようにフェミニズムについても、いきなりアクの強い人の本を読んだり狂ったツイートを見たりを繰り返してるとフェミニズム全体へのイメージがゆがんだものなっちゃうんじゃないか?

あとツイッターなんかでフェミニストを名乗ってるわりに結構フェミニズムについて分かってない人も居るよね?

ということを思ったんで、フェミニズムについてちょびちょび自分なりに調べて俯瞰できるようまとめてみようとしてたんだが

http://anond.hatelabo.jp/20160307231710

急に増田が来たので取り急ぎ便乗公開してみる。

フェミニズムとは

フェミニズムとは女性を様々な抑圧から解放することを目的とした*思想運動*を指す。

女性解放を実現するための考え方や手法問題意識は人によってさまざまであり、衝突し合うものも多いがそれらをまとめて「フェミニズム」と呼ぶ。

18世紀の終わりから始まったフェミニズム最初公的権利の取得のための運動だったが、私的領域も含めより深いレベルでの男女平等を目指すようになった。家父長制を不平等の根源とした考え方が様々な領域適用され、現在性差別以外の問題をも巻き込んだものになっている。

フェミニズムの流れは三つの時期に分けられる。

第一波(ファーストウェーブ

参政権財産権労働権、婚姻など公的権利の獲得という形であらわれた。

第二波(セカンド・ウェーブ

ファーストウェーブ公的権利だけだったのに対し広い範囲における領域平等を追及していった。

特に家父長制という男性主権価値観問題性が広く認識され、様々な領域社会制度規範への批判へと繋がっていった。

また公的領域だけでなく私的領域も扱うようになり、家庭内における性に関する問題などそれまで見えにくかったところまで踏み込んでいった。

第三波(サード・ウェーブ

カンド・ウェーブに加え、人種地域宗教階級階層、性指向など多種多様問題領域を扱うようになった。

カンド・ウェーブを置き換えたわけでなく、扱う範囲や深さを広げたかんじ?

家父長制(Patriarchy)

社会領域政治経済文化、家庭など)における主要な力を男性が持つ社会システム価値観

フェミニズムではジェンダー押し付けものとして扱われる。

最初男性優位主義などの用語が使われていたが、女性を抑圧する側に居るのは男性だけでないし、この構造により抑圧される男性も居ることから Patriarchyが使われるようになった。

フェミニズム流派

あくま思想系統であり、フェミニスト所属するというものではない。あるフェミニストとある派の考え方の多くが同じである場合、その派のフェミニストと呼ばれることがあるだけにすぎない。

発生当時とは社会状況も違っており、現在では初期の考えと大きく違う部分もあると思われる。

ラディカル フェミニズム

カンド・ウェーブ以降の主流となる、家父長制を性差別の根源とみなし社会から家父長制を排除することで差別根本的な改善を目指すフェミニズム

根源を改革するからRadical feminism(根本的なフェミニズム)。

なので関係する問題領域社会全般のはずな気がするが、現代では主に伝統的なジェンダー・ロールや女性性的対象化、家庭内暴力生殖関連、性犯罪を扱ってるのを見かける。

これらの領域に対し政治的プロセスによる改善でなく、規範への疑問を社会に訴えかけることによる改善模索する事が多い。

リベラルフェミニズム

社会が不必要女性能力を低く見積もった制度になってると考え、女性自由な選択や行動のため能力をふるうことのできる平等を重視とするフェミニズム

ファーストウェーブの流れを汲んでる?っぽく、慣習や法による機会の不平等を打破するため、政治的プロセスを介して状況の改善権利獲得を目指す。

法や権利など主に公的形式を扱い、家庭内権威関係など私的な面はあまり扱わない。

機会が平等であれば後は個人の能力次第であるという考えが、他のフェミニズムと衝突することも多い。

マルクス主義フェミニズム

資本主義という制度社会階級対立が、女性の抑圧にも一役買ってると考えるフェミニズムの一派で、主に女性労働問題を焦点とする。

昔は資本主義制度廃止を唱えていたみたいだが、今はどうなんだろ。

家事家族の世話など、家庭内労働への評価の低さを問題視する。

報酬を得るための労働を「生産労働」、家庭内労働など自分たちのためにやる労働を「再生労働」と呼び、再生労働責任を共有し、女性生産労働にかかわることで再生労働価値が適切に判断されるようになると考える。

社会主義フェミニズムソーシャリストフェミニズム

まれ境遇などによって特権を得たり抑圧されたりと人生が変わってしまうことを問題視する。日本米国リベラルというとソーシャルリベラリズムのことを言うと思うが、それに近い考え方。

労働に関するマルクス主義フェミニズムの考え方に、ラディカルフミニズムのジェンダー、家父長制の考え方を組み合わせたもの。ラディカルフミニズムのように家父長制だけでなく経済的性差も重視する。

リベラルフェミニズムとの違いがよく分からないが、調べてると、マルクス主義フェミニズムと一緒に扱ってるサイトが多かった。

ブラックフェミニズム

性差別だけでなく、階級対立性自認人種主義などさまざまな問題は密接な関係であり不可分であると考える一派。

このような考え方をインターセクショナリティという。

カルチュラルフェミニズム

社会女性特性過小評価されてると考え、男女の違いを肯定的評価していこうとするフェミニズム

ラディカルフミニズムから派生したが、対立する見解が多い。

その他

元増田の「フェミニズムとは」の節を読んでちょっと気になったのでメモ

「この人はリベフェミからこの人の言ってることはリベフェミの主張のはずだ」のような考え方をしたのかなと思うのだが、あるフェミニスト発言特定の派の思想内にぴったり収まってるということは少ないので、そういう認識の仕方は危険かなと思った。

はてブ見てて思うのは、どうも偏ったフェミニストばかりを見かけてしまって変なイメージ付いちゃうよなー、ということ。フェミニストはその活動の仕方によって目立つタイプの人とそうでない人とが出てきてしまうし、多くの人にとっては目立つタイプの人が「フェミニスト典型例」となってしまう。

なのでまず「フェミニズムには多様な思想があるし、それらは常に変化している」ということだけ注意しておけば、いらぬいざこざを減らすことができる、、、かもしれない。

2016-03-07

キモオタによるフェミニズム概論

フェミニストからキモオタ死ねと言われ、私はもちろんキモオタであるから激昂してクソフェミ死ねと言い返しかけて、そこでふと気がついて困惑した。

フェミニズムとは何だろうか。

私はフェミニズム名前ぐらいしか知らない。しかし知らないものを知らないままにしておくことは、少なくとも私にとってキモオタしからぬ行為である。私は自分に自信をもってキモオタでありたい。クソフェミ死ねと罵られるキモオタであることに誇りを持ちたい。ならばフェミニズムについて知らなければならない。

しかフェミニズムについて知りたかったら何を読めばいいのか。これが意外と分からない。ロールズやセンを読めというのを見つけたので読んでみたが、やはりフェミニズムが分かった気になれない。

そこで手当たり次第に適当にフェミニズム書籍を読んでまとめみることにした結果が本稿である。決して十全ではないが、私同様、フェミニズムをよく知らないオタク諸姉諸兄にとって、フェミニズム理解の取っ掛かりになれば幸いである。

フェミニズムとは

フェミニズムは大きく三種類ある。ラディカル・フェミニズム(以下ラディフェミ)、リベラルフェミニズム(以下リベフェミ)、そしてマルクス主義フェミニズム(以下マルフェミ)であり、それぞれ理論の組み立ては全く異なる。以下順に見ていこう。

ラディカル・フェミニズム

現在のラディフェミ理論的支柱はキャサリン・マッキノンと言っていいだろう。「性の不平等の源はミソジニー(女嫌い)」であり、「ミソジニーの源は性的サディズムにある」(C.マッキノン,"フェミニズム表現の自由",1987,*1)。そして社会に溢れるポルノグラフィ(以下ポルノ)こそが「性差別主義者社会秩序の精髄であり、その本質をなす社会的行為」(*1)に他ならないと喝破する。この諸悪の根源ポルノであるという揺るぎない確信からポルノ法規制を推進する。

ポルノ性犯罪を誘発するという統計的証拠はあるのか。この批判に、しかしマッキノンは自覚的である。誘発するという調査もあり、無いという調査もあると率直に認める。従って彼女が起草した反ポルノ法は「被害をもたらすことが証明されうる物だけが告発できる」(C.マッキノン&A.ドウォーキン,"ポルノグラフィ性差別",1997,*2)。「証明されるべき被害は、強制行為、暴行脅迫、名誉毀損、性にもとづいて従属させる物の取引といった被害でなければなら」(*2)ず、不快に感じた、宗教上の信念を侵しているといった被害は認められない。被害者ではない第三者告発することも認められない。

ポルノには、ホモレズ二次元も、古典文学から芸術作品まで被害をもたらすことが証明される限り全て含まれる。自分が叩きやすゲームマンガだけを槍玉にあげて、自分が叩かれやすい文学や芸術から目を背けるチキンではない。殴るからには全て殴る。それがマッキノである

なお、田嶋陽子はラディフェミを名乗りドウォーキンへの共感を示しているが、ポルノ諸悪の根源とはせず、現実的政策としてはリベフェミに近い内容を述べているため注意されたい("愛という名の支配",1992)。

リベラルフェミニズム

J.ロールズの「公正としての正義」やA.センの「不平等の再検討」をその理論的土台とし、リベフェミは次の点を問題視する。「ジェンダーシステムは、その根を家族における性別役割にもち、事実上わたしたちの生活の隅々まで枝葉をはびこらせた、社会の基礎的構造のひとつ」(S.オーキン,"正義ジェンダー家族",1989,*3)であり、「女性男性重要差異が、家族内で現在おこなわれている性別分業によって作られる」(*3)。

夫婦がともに働いている姿を子供に見せることが教育上望ましいと考え、そして共働きにおいて妻にだけ家事育児押し付けられることは不平等であり、二人で平等に分担するべきであるとする。もし専業主婦なら、夫の稼ぎは夫婦二人で稼いだものとして両者で均等に等分すべきだとオーキンは言う。

このように家庭内賃金労働の不平等の解消によって性差別の無い社会が構築されるとする考えから、リベフェミ女性社会進出を推奨し、出産休暇や託児所の拡充、男性育児休暇取得を推進する。また「子どもたちがなりたい人間になる機会」(*3)を拡大するため――その機会を無知ゆえに狭めないために、性教育重要性を訴える。

なお、「男性を敵視し憎む分派は消滅するだろう」(B.フリーダン,"新しい女性創造",1965)が示すように、フェミニズム男性女性権力闘争化することに否定的立場をとる。

マルクス主義フェミニズム

出産を含む女性の家事育児は明白な労働行為である。にも関わらず男性社会はそれに一切の支払いをしてこなかった。ゆえに女性とは搾取されるプロレタリアートであり、その意味で男性とはブルジョワジーである女性の抑圧は、資本制と家父長制の構造上必然的に生じたものであると喝破し、資本制・家父長制の打倒を訴え、そしてこれが日本の伝統フェミニズムである

女性社会進出に関してはリベフェミの主張とほぼ同一だが、フェミニズムの主要な敵は男性であると断じ、マルフェミでは家事育児という労働に対する賃金の支払いを請求する(上野千鶴子,"家父長制と資本マルクス主義フェミニズムの地平",1990,*4)点で異なる。ただし誰に請求しているのか、また家父長制を崩壊させるために「資本制との新しい調停」を、というが、それが共産制かというとそれも曖昧で判然としない。

日本ではさらにそこに独自思想が入り交ざる。例えば男女混合名簿の推進は「日の丸君が代シンボルとする儀式を撃ちくずす」(河合真由美,"「男が先」を否定することでみえてくるもの――学校の中での性差別男女混合名簿",1991)から良いのだ等、目的が何なのか、いささか混沌としている向きも見受けられる。

その他のフェミニズムと補足

レズビアンフェミニズムブラックフェミニズムエコロジカルフェミニズムポストモダンフェミニズムなど多岐にわたる。マルクス主義フェミニズムの派生であるサイボーグフェミニズム(D.ハラウェイ,"サイボーグ宣言",1985)は読むとつまらないがネタとしては面白い。あとキワモノで言えばスピリチュアルフェミニズムとか。

補足1:クィア理論

同性愛者とフェミニスト関係は、従来男性権力社会に対する「敵の敵は味方」関係に過ぎなかった。そこで登場したのが「フェミニズムと、ジェンダーに関するゲイレズビアンの視点と、ポスト構造主義理論を、政治的ひとつに纏め」(J.バトラー,"ジェンダートラブル",1990)たクィア理論である。これにより統一戦線理論的に張ることが出来るようになった。

補足2:男性差別

リベフェミは広範な男性差別否定するが、アファーマティブ・アクションでの男性差別肯定する。ラディフェミ男性敵視の姿勢を持つが、しかしマッキノンは男性けが徴兵されることは男性差別だとして否定する。「平等とは、ジェンダーの違いではなく、ジェンダーヒエラルキーを問題にし、その根絶をめざすものである」(*1)からである。マルフェミはよくわからなかった。女性兵士に反対しているので、男性差別肯定されるのかもしれない。

フェミニズムが扱う問題

セクハラ家庭内暴力中絶女性兵士等色々あるが、本稿ではオタク、わけてもアニメオタク関係の深い「性の商品化」について取り上げる。

「性の商品化」の法規制

マッキノンは、猥褻として過去に規制された、まさに「性の商品化であるユリシーズ(J.ジョイス,1922)について「ポルノではない」と述べる(*2)。現実の被害が証明されていないからである。「性の商品化」は法規制の理由にならない。

リベフェミであるN.ストロッセンは「子供や妻への虐待強姦日常的な女性への屈辱行為などを正当化する内容が詳細に述べられている」書籍として聖書をあげ、「禁止されない安全思想などほとんど存在しない」("ポルノグラフィ防衛論",2000)とする。そして性教育がかつて猥褻として政府に規制された例を上げ、ポルノ禁止法は政府検閲に利用されると強く批判する。

一方、上野は「性の商品化」だとしてミスコン廃止を訴えるフェミニストについて、彼女らは「法的取り締まりを要求したわけではなく、受け手として「不愉快」だという意思表示権利行使であると言う。そして「性の商品化」は「メディアのなかでも、なんらかの基準がつくられる必要がある("「セクシュアリティ」の近代を超えて",新編日本フェミニズム6,2009)」とする。

ここから見えてくる点として、女性が「不愉快であることが問題なのだということが分かる。「性の商品化」とは何か、それに実害があるかは、おそらく最終的にはどうでもいいのである。さらに求めているのは自主規制であって法規制ではない。自主規制によって発言者は自ら口をつぐむのだから表現の自由は全く関係のない話である

不愉快」による法規制正統性

リベフェミであるマーサヌスバウム嫌悪感を根拠とした法規制を徹底して批判し、ゾーニング妥当性を論じるが("感情と法",2004)、マルフェミである永田えり子は「ポルノ市場が成立すれば、必然的ポルノ市場の外部に流出する。そして流出すると不快に感じる人がいる」("道徳フェミニスト宣言",1997)としてゾーニング効果がないと批判する。

ポルノは「人々に広く不快を甘受させているかもしれない。そして事実不快だという人がいる。ならば、それは公害である」。「性の商品化は多くの人々に対して、確実に何らかの不快や怒りを与えるはず」であるがゆえに規制されるべきだと主張する。

そのような不快感を根拠とした規制は恣意的運用がなされるという批判は当たらない。曖昧な法は他にもあるが、現に警察と司法は正しく運用しているかである。性道徳に根拠が無いという批判も当たらない。「根拠がないということがすなわち不当であるわけではな」く、それは「正しいから正しい」のである

なお、福島瑞穂非実在児童ポルノ規制は法的安定性が保証されないとして反対しており、この永田見解がマルフェミ共通見解でないことは述べておく。が、例えば児童ポルノ法規制に対して日本ユニセフ協会広報室長の中井裕真から司法は正しく運用してくれる旨の見解が述べられており(永山薫昼間たかし,"マンガ論争勃発2",2009)、これがフェミニストの通説でないことは明らかだが、一定存在する見解であるように思われる。

日本草の根フェミニズム

初期の日本フェミニズムには「反主知性主義」があり、「女性であれば(女性としての経験をもってさえいれば)誰でも女性学担い手になれること、専門的なジャーゴンや注の使用を避け」、「プロアマ距離をできるだけ近づけること」が目指されたと上野は述べている("女性学の制度化をめぐって",2001)。

こうした取り組みで女性が声をあげられる空気を作り出すことに成功したが、結果としてフェミニズムは「一人一派」と化した。筆者の私見に過ぎないが、これは同時にフェミニズムと「私」の区別を曖昧なままにしたのではないか。

「私」とフェミニズムが一体化しているとすれば、「私」が不愉快ならフェミニズム上も不公正に決まっている。それが従来のフェミニズム理論と矛盾していたり整合性が取れなくとも関係ない。「「オンナ対オトコ!」なんて言ってるフェミなんて、いないのになぁ」(北原みのり,"フェミの嫌われ方",2000)が示す通り、従来の理論について知識も興味もないフェミニストは珍しくない。知らなければ(当人の中で)矛盾はしない。

理論を欠いた思想は、しばしば信念や信仰へと還元されてしまいがちである」(*4)と上野は言う。そのような啓蒙主義者にとって「真理はつねに単純である。(中略)真理を受け容れることのできない人々は(中略)真理の力で救済することができなければ、力の論理で封じるほかはない」。そうして治安警察国家を招き寄せる人々は「反主知主義の闇の中に閉ざされる」。

これは実は上野によるリベフェミへの批判なのだが、筆者にはリベフェミではないところに突き刺さっているように思えてならない。

おわりに

このようにフェミニズム一言で言い表せるような概念ではもはやない。日本の初期フェミニズムはマルフェミが中心であったが、現代日本フェミニストは必ずしもそうではないだろう(例えば堀田碧は"「男女共同参画」と「日の丸フェミニズムの危うい関係"で一部の若いフェミニスト愛国心に苦言を呈している)。

最後になるが、フェミニズムはクソだという見解に私は全く同意しない。職場上司女性社員の尻を撫でることは強制わいせつ以外の何物でもないし、家庭内暴力夫婦喧嘩ではなく傷害である。どれだけ成果を上げようが性別を理由に賃金を低く抑え、出世コースから排除するといった制度の是正フェミニズムが尽力したことを、私は決してクソだとは思わない。

私がクソだと思うのは、……まぁ、書かなくても察してもらえるかと思う。

いささか長い増田になった。この程度の調査力でキモオタとかw という批判は甘んじて受けるしか無いが、とはいえもし誰かの理解の役に立ったのならそれに勝るものはない。

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