はてなキーワード: 2ちゃんねるとは
発達障害(特にASD)のマジョリティとかけ離れたセックス意識をキモヲタは空気読めで片付けない
日本には、不幸なことになる前に、セックスについて家庭で話し合っていこう、理解を深めようという取り組みがない。
それどころか、日本は性的に露骨な表現に非常に寛容なため、発達障害が間違った理解のまま大人になってしまう。
非常にセクシュアルな作品や表現を見たときに『・・・ふぅ』と書いたりする。
元ネタは2ちゃんねる(現5ch)やニコニコ動画などのやり取りで発生したいわゆる下ネタである。
下ネタの解釈を文字起こしするのもなんだかなぁって思うが、アスペは空気読めで片付けないために解釈のひとつを書いておくと、
この作品は 抜ける(性的興奮を高め射精する事ができる) → ふぅと息をついて賢者タイムなるほど、あなたの作品・表現はセクシーだったという、
下ネタを持ち込むことで話を茶化すという目的でも使われるが、大抵はポジティブな賞賛として使われる。
アスペルガーの特性がある人でもここまではニアンスを理解出来ている事が多いが、問題はここから先である。
この表現は、下ネタであり、スラングであり、表現のニュアンスを理解し許容している人のあいだでしか使ってはいけないということを
誰かが明示的に説明しないとわからないままアスペルガーの特性がある人は過ごすのである。
なので、どんな場面でも『・・・ふぅ』だの『おっきした』だの書いたり、
『素晴らしく性的(な表現が出来ている)』と賞賛を伝えたのに何故喜ばないのか?何故怒られるのか?(ハテナ)となってしまうのである。
これを明示的に説明し教える義務を負うのは、どう考えてもオタクコミュニティーではなく親のはずだが、冒頭に書いた通り、何故か日本の親は社会に丸投げ(ネグレクト)なのである。
親も子と同じ特性持っていてツッコミ不在(違和感に気付かない)だったの???みたいな
残念ながら日本語では女性に重点を置いた発達障害(特にASD)の性にまつわる書籍しか見つからなかったが、
Sex Education for Teens With Autism とかで検索するといろんな資料が出てくると思うよ。
彼らは、親からも兄弟姉妹からも先輩や友人からも先生や牧師からも自然にセックス意識を学ぶことはできないとして、
様々な親向けの資料、当事者向けの学習資料があるよ。
「政府がインターネット掲示板「2ちゃんねる」創設者の「ひろゆき」こと、西村博之氏から助言を受けていることがわかった」国がアウトローに頼るとかロックだなぁ
ブコメ見てるとボコボコに書かれてるけど実際のところ、2ちゃんねるとニコニコ動画だったり、最近はYouTuberで有名になったり、結果出してるのは素直にすごい。
それにアウトローとか言われてるけどこの人前科あるの?確か書類送検はされてたような気はするけど。
モラルの問題はあるにせよ合法の範囲内でやってるんだから善良な市民だよね。
ホリエモンとかも嫌われてるけどはてなのオッサンって就職氷河期で同世代のこいつらがうまくいってるのが気に食わないだけじゃないの?
実際のところITで結果出してる人を起用するのは間違いとは思えない。
嘘じゃねーかよ!と思ったので書く。ちなみに私自身の話なのでN=1である。
新卒のときはベンチャーに入った。大企業にすべて落ちたのでそれ以外に選択肢がなかっただけなのだが。ベンチャーというか、今思えばベンチャーという名を借りただたの中小企業だったような気もする。
当時は2ちゃんねるやはてなでも「貴重な新卒カードは大企業に使うべし」という話が多かったと記憶している。その時必ず出てくる理由が「大企業からベンチャーには転職できるけど、その逆は滅多にできない」というやつ。これを鵜呑みにした上で「私はもう大企業なんていけないんだ、あーあ」と諦めていた。
その後何度か転職して、スタートアップや上場ベンチャーを経験したが、規模の大小はあれど基本的にベンチャーへの転職ばかりだった。
ただそうこうしていると、前職の仲間がいろんな企業に転職していたり、大きめのカンファレンスで発表したりしているうちに、業界内に知り合いが増えた。このおかげで、転職はほぼリファラルで事足りていた。
ところが最近はベンチャーだけでなく大企業からも結構スカウトが届くようになった。直近の転職をするときに、スカウトが来ていた大企業もとりあえず受けてみたのだが、なんと全て受かった。結果として、(それまではリファラルが多かったというのはあるけれど)転職の採用で落ちたことがない、という状況になっている。
受かった中でも、一番提示年収が高かった企業に今はいるのだが、間違いなく大企業だ。そして入ってみると、周りの社員もベンチャー畑の人もいれば中小出身の人も、出戻りの人もいるし、フリーランスだった人もいる。もちろん別の大企業から来ている人もいるが、決して新卒しかいないような状態ではなかった。もちろん中途採用をしているのだから、私以外にも中途がいるのは当たり前なのだが、N=1の話のわりには、周囲にも同じような境遇の人がいた。
わかったとことして、ある程度人の入れ替わりがあって、変化し続けようとしている企業は、大企業であっても中途採用をしている。そして、出身がどこだろうが基準を満たせば受かる。
「大企業からベンチャーには転職できるけど、その逆は滅多にできない」というのは、新卒至上主義で変化する気がない年功序列企業に、極限まで働かずに寄生しようとするのであれば、ベンチャーから転職するのは難しいというだけの話じゃないのか。
そもそもタイトルの言説にしたって、なにか根拠となるデータとかあった上で言われている話なのか?そうでないのであれば、一人の人間が新卒で大企業とベンチャーを両方経験することは不可能なわけで、自分の話や周りから聞こえてくる程度の話でしかないのではないか。
ー 政治、経済、日常まで、非常に広い話題に対応している点で高い評価を受けられています。どのようにしてトピックの幅を広げられているんでしょうか。
増田: あー…そうだね、広い話題を書くことは大前提なんだ。できるだけ色んな層にリーチする文を心がけてる。話題自体は、自分の体験から拾っていることが多いかな。実体験だけじゃなくて、外を歩いたり、買い物をしたりしていると、自然と周りの声が聞こえてくるだろう?そういう声を聞き流さずに、自分の中に落とし込んでいくんだ。なんて言うのかな、憑依させる…が一番近いかもしれない。その人の声や体験を、自分の体験として刷り込んでいく感覚。
ー 最近特に気になるトピックはありますか?キャリアを通してIT関連、特にエンジニア・プログラミング周りは得意とされている印象がありますが、時流を掴んだ話題はヒットに繋がりやすいという分析もあります。
増田: 当然そうだね。みんなが関心を持っていることを、表現に落とし込みたいと常に思っている。最近だとそうだな、今年に入ってからは弱者男性、オリンピック…あとは差別関連のトピック。批判を受けることもあるけど、刺激的な要素はいつだって自分の表現の中心にあるものなんだ。2ちゃんねる(現5ちゃんねんる)から強い影響を受けているからね。同じ話をしていても、内容の振れ幅、視点の違いは大切にしている。最も重要視していると言ってもいいかもしれない。多くの人の声を表現するためには、中庸であることよりも極端であることが大事なんだ。左右両極端の意見を書いていくなかで、自然と中庸、場合によっては正論に近いものにたどり着くことができると思ってる。
ー トピックの話に戻ると、時に周りが驚くようなカミングアウトもされています。特に下ネタ、厠周りなど。
増田: それは…そうだね(笑)自己開示なのかな。どうしても政治的、刺激的な議論ばかりだと受け入れられないっていうか、自分で書いていて飽きてしまうような時期があるんだ。毎日同じようなことばかり書いているなって。そういう「ダメになっている」時期に、息抜きとして下ネタや脱糞なんかについて書くことがある。肩の力を抜いてね。でも意外とそれが好評だったりして、なんかな、てね。(おどけた表情で周りを見回す)
ー はてなブックマーク以外のSNSでも注目を集めることがあります。好意的な意見も多いですが、中には否定的なユーザーもいて、トラブルに発展するケースもありました。
増田: SNSについては…(落ち着きなく体を動かす)ちょっとセンシティブな問題なんだ。できれば話したくないようなことで。自分自身は外部のSNSに向けて情報を発信しているつもりはないんだ。そういうシーンがあることは知っているけどね。あくまではてブを地元だと思っているし、はてブユーザーの顔を想像しながら書いてる。いや、どうだろうな…もっとパーソナルな表現と言えるかもしれない。それが結果的に、はてブを超えて届くことがあれば、決して悪いことではないかな。
記者会見を批判した後心の病だったと、後出しじゃんけんのように批難されている大坂。そして黒人女性活動家のキャンディスオーウェン氏からも「大金を稼ぎながら中途半端な活動をして心の病とほざくのは鬱陶しい」と一喝された。
私はなぜそこまで彼女がテニス界とマスコミ、活動家からの双方向の批難を受けなければならないのか疑問だ。なぜなら彼女自身、「流行だから」や「なんとなく共感できたから」といった理由で一番最初のBLMに参加した訳ではなく、信念を持って参加したのではないかと感じ、それを考慮しないで批判する風潮があるのは危険だと思ったからだ。そこで今回の件だけではなく、私が勝手に思っている彼女の「居場所」について検討したい。
私は調子が出ないときラケットを投げ物に当たる大坂の姿は正直イタいと思った。それで会見拒否って気分屋すぎるだろとも思った。確かに批難される理由はよくわかる。それでも彼女は一人の人間だ。そこで彼女のバックグラウンドを考慮し、黒人女性活動家の喝と記者会見に刃向かっていく。
彼女が注目され始めた2018年あたり、英語はペラペラでいかにもアメリカンな風貌が印象に残ったが彼女が日本国籍だと聞き、私は正直「海外で修行した選手を日本人として出場させるなんて日本もいいとこ取りだな」とか「日本国籍の便利さをかったのだろう」と思った。さらに少々過激な人の間で、これを日本人として認めるのはいかがなものかという言説が飛び交っていた。またぎこちない日本語で会見をした時、メディアは愛らしいと評価し話題になったが、もしなおみが誠心誠意を込めて覚えた日本語だったとしたら、本人は傷ついたのではないだろうか。そう、彼女は最初からテニスしか居場所がなかったのだ。そんな背景を考えると、BLMに参加したくなる気持ちも理解できる。BLMに関して私は浅学だが、彼女は「黒人」であり「日本人」であり「テニス選手」。そんな複雑なバックグラウンドより、居場所の悪さに共感し信念を持って参加していたと私は感じた。
大坂を批判した米活動家は、「大金を稼いでいるくせに」や「フルタイムの活動家になれば」と言ったが、大金を稼ぐことがなぜそこまで白い目で見られないといけないのだろうか。大坂がプロとして食っていくためにした努力は考慮しないのだろうか。乱暴だし全く論点がずれているように感じる。そして「テニスなんてやめてフルタイムで活動家にでもなれ」というのは、彼女が有名だからこそできたBLMの影響も大きい点を考慮すると、テニスか活動家という二項対立に当てはめるのは横暴だ。活動家にとって土足で踏み入られたという気分になったかもしれないため、是非活動家の気持ちを知りたいのだが、どちらか選べというのはあまりにも感情的だ。
そもそも記者会見しないことがそんなにいけないことなのだろうか。
●記者会見
テニスを取材したことのある記者が、記者会見の不備や疑問を発信していた。記者はテニスコートが複数あり同時に試合が行われているため全員の試合を見ることができない。そのため注目の試合が終わったら、勝敗がわからないままでも駆けつけ取材を始めるという。選手が疲れている中で「あのプレーがよかったがどうか」などテニスの試合に関する質問は少なく、他の話題に質問しがちになるため、会見のレベルが低いことが問題と指摘していた。
負け試合を取材されたくなければ、とんちんかんな事を質問されるため、大坂がここまで勝ち気に出る気持ちも理解出来る。
何が言いたいかというと、「大坂には国籍と見た目や環境のアイデンティティが一致しない苦悩、注目されることのストレスがあったのではないかと思うため、後出しじゃんけんを責めるのではなく、バックグラウンドを見て、双方向的に考慮した良いのでは」と言いたい。そしてさらに問題を激化させないため、彼女の名誉のために「外野(twitterや2ちゃんねる)がとやかく言わないほうが良いと思う」ということ。
参照
https://twitter.com/RealCandaceO/status/1399210325153660932
https://www.facebook.com/kenichi.maeda/posts/10223267188295606
https://shohgaisha.com/column/grown_up_detail?id=1232
英語圏でいえば「fuck」や「shit」のようなもので、人前で使うのを憚るべき単語でありながら、ネットではよく蔓延しています。
(中略)「ガイジ」は本来死語でした。とはいえ、一般的な死語と違い流行ではなく成長によって捨てられる単語です。
かろうじて中学生までで、大人になってまで言うのはごく少数でした。筆者の記憶でも最後に聞いたのは中学2年の時でした。
ある女子生徒が息を吐くように言い出し、先生に叱られるより早く隣の生徒が「お前最悪やな!」と言っていたのを憶えています。
人によっては、聞こえた瞬間学級会になったケースもあるようです。
雲行きが変わったのが2011年、Twitter内での「ガイジかな、あれ」から始まる書き込みでした。
単なる1ツイートなら流されて終わりでしたが、折悪しくも2ちゃんねる(現5ちゃんねる)の「なんでも実況ジュピター板(通称なんJ)」に見つかってしまいます。
蔑称の創出とプロデュースに余念のない「なんJ民」(最近では「電子障害者手帳」まで言い出しました)のことです。「ガイジ」は瞬く間に大ブレイクしました。
スレッドタイトル(スレタイ)検索でも、例のツイートを境目に「ガイジ」でのヒットが千倍以上も膨れ上がったそうです。
それでもなお、2ちゃんでひっそり流行っているレベルに過ぎず、大多数の人は知らずに過ごしていました。
爆発的な広がりの決定打となったのは、2014年のマイナーYoutuber発掘ブームです。
詳細は割愛しますが、この中で発掘されたある一人のYoutuberが、ズレたセンスと過剰な自信などから茶化す分には面白い動画としてブレイクしました。
彼を罵倒する言葉に「ガイジ」が出るや否や、使いやすく強烈な侮蔑語として2ちゃんの外でも認知されるのでした。
現在のネットではいい大人も気軽に言うようになり、全国区で世代を問わずカジュアルに使われています。死語だったのが、高い汎用性を持った共通語として蘇りました。
とはいえ完全に市民権を得たわけではなく、「使うやつは人間性を疑う」という声も根強いです。もとが強烈な侮蔑語なので当然ですね。
この記事のことだが、内容がまあすごい。
以下引用(読まなくていい)
嫌儲板に住みついたテョンは、2ちゃんねるでの健全な議論→まとめブログでそれが一般人・ライト層まで拡散される→保守の世論が形成される(例: 田母神俊雄が都内だけで60万票獲得)という流れを、どうにかして止めたいと考えていた。さもないと、日本に寄生して、在日特権で甘い汁を吸い続けることができなくなるからで、彼らにとっては死活問題だったからである。
2ちゃんねるなど読み書きせず「まとめブログ」しか読まない人も多くあり、「まとめブログ」が健全世論拡散の中継地点になっていたために、彼らの利権を守るためには、この流れを何とかして止めなければならない。
そこで、嫌儲民たちは、2ちゃんねるからの「転載禁止」を訴え、2ちゃんねる内にまず板を一つ確保した。ここから、虎視眈々と2ちゃんねるの支配を狙った。
嫌儲民が特に敵視したのが「保守速報」だった。これは、嫌儲民として活動している在日朝鮮人らは、レイシストをしばき隊と関わりがあったためである。
2ちゃんねるが嫌儲やテョンに乗っ取られて以降、ジャップ連呼や日本人を貶める行為が管理人の許可の下で横行するようになった。
そして、荒らし、個人晒し、ストーキング、脅迫、殺害予告などが、さも当然の行為としてまかり通る掲示板と化した。以前は、こういった話は一応ヲチ板などに限られていたが、乗っ取り後は嫌儲、なんJ、VIPの住人が他板に乗り込んでは大暴れをするようになった。
ニュース板の記者キャップは嫌儲やパヨクだらけとなり、嫌儲chとしか言えないような汚鮮地帯と化した。2ちゃんねるで長年スレ立て記者として活躍し、N+では格付け1位と見られた「ばぐ太」氏もおーぷん2ちゃんねるに移った(その後引退)。
どうやら著者は韓国・および嫌儲民(ニュース速報(嫌儲)板の住民)に強い敵意を抱いているらしく、2ch乗っ取り騒動も彼らによって引き起こされた、という認識らしい。
もちろん、当時を知る者から見れば荒唐無稽な陰謀論だと一笑に付すだろう。「偽2ch騒動」あたりでググれば実際の空気感がわかる。
YouTube・Twitterからひろゆきを知った層が、彼のエピソードをもとに「2ch 乗っ取り」でググってこの記事を見つけてしまい、変な陰謀論に染まらないことを心から願う。
元増田で、ホロコースト否定派の特徴をいくつか示したが、一つ書き忘れていた。それはタイトル通り、「ホロコースト否定派は常習的な嘘つき?」の可能性があると考えざるを得ないことである。
https://twitter.com/lumberwendigo/status/1296814068490067969
この人はおそらく、日本のTwitter上でも最も有名なホロコースト否定派の一人であると考えられる。何かに取り憑かれたように、否定論ツイートが目立つツイッタラーだ。さてこのツイートにはこう書いてある。
調べた時に驚いたのですが、100万強というのも何にも基づいていない全くの妄想なのですよね嬉し泣き
この100万人強とは、正確には現在の推定値であるアウシュヴィッツのユダヤ人犠牲者数110万人のことである。この人は自分で調べてこの数が「全くの妄想」だと書いている。唖然とする他ない。現在のアウシュヴィッツの犠牲者数はユダヤ人以外を含めて150万人、ユダヤ人は110万人であるが、これはアウシュヴィッツ国立博物館勤務だったフランチェシェク・パイパー(Franciszek Piper)博士の研究成果であることは、アウシュヴィッツ博物館のサイトにすら書いてある事実である。こちらのサイトのどこかに書いてあった筈なのだが、今回は探し出せなかった。
アウシュヴィッツ博物館の歴史部門の責任者であったフランチェシェク・パイパーは、ホロコースト史家やメディアによって何度も翻訳され、広く引用されている学術的分析の著者である[3]。ピペルは、少なくとも合計130万人がアウシュヴィッツに強制送還され、そのうち110万人が収容所で死亡したと結論づけています。約20万人の囚人が、収容所の最終的な清算だけでなく、労働力の再配分の一環として、アウシュヴィッツから他の収容所に送還された。ホロコースト列車でアウシュビッツに運ばれたユダヤ人の約81%、89万人の男女と子供たちは、到着後すぐに死を迎え、登録されなかった。1946年のニュルンベルク裁判で発表された収容所の司令官ルドルフ・ヘスの戦後の証言も、理由は不明だが、信頼性が低く、著しく誇張されていることが証明されたのである。フランチシェク・パイパーの著書は『アウシュヴィッツ』として英語で出版された。How Many Perished Jews, Poles, Gypsies』として、1991年、1992年、1994年に連続して出版されている[4]。
博士の研究手法の詳細はともかくとして、「何にも基づいていない全くの妄想」なのだそうだ。いったい何を「調べた」のだろうか? このツイッタラーがホロコーストの情報に関し何を見ているのかはツイートを追えば大体わかるので、偏った知識しかないことくらいはすぐにわかるのだが、研究者の研究成果を「何にも基づいていない全くの妄想」呼ばわりできる神経がさっぱり理解できない。もちろん、「何にも基づいていない全くの妄想」は嘘である。この研究成果は広く知られているようで、多くの世界中の研究者に認められたものである。日本のホロコースト研究では有名な芝健介氏もその著書『ホロコースト ナチスのユダヤ人大量殺戮の全貌』で触れている。こうした学術研究をやったことがある人がいるなら推測できると思うけど、膨大な資料や文献との取っ組み合いの末に算出された数字であることが疑いの余地がない。アウシュヴィッツ博物館なのだから所蔵資料だって豊富なのである。私もほんの一部だけこうした犠牲者数の推計方法を知っているが、出発地や経由地、あるいはアウシュヴィッツの到着時などで輸送人員数の記録がある程度残っているのである。何故なら、ドイツ帝国鉄道に対して輸送人員数に基づいた運賃をナチス親衛隊が支払っていたからだ。その上で囚人登録数やその他のデータを徹底的に照合することにより、適切な仮定を経て犠牲者数を算出していくのである。めっちゃ手間かかるが、基本は「アウシュヴィッツに入ってきた輸送人員の数」ー「囚人として生き残っていた数、どこか別の収容所へ移送されたりその他の理由で収容所を出た囚人の数、病気等により死亡が記録されている人の数」=「登録もされずにガス処刑された犠牲者の数」になる。それをこのツイッタラーは「何にも基づいていない全くの妄想」呼ばわりするのである。
こうしたネット否定派の嘘には事欠かなくて、最近では「カチンの森」に関する明確な嘘話をする人もいた。ネット否定派はこのカチンの森事件の話が大好きらしい。何故なら、ホロコーストに関してソ連への疑惑を深めると共にドイツへの疑惑を薄める材料として使うことができるからである。カチンの森事件を知らない人はこちらを参考にして欲しい。
最近出会った「嘘つき否定派」は、「カチンの森事件はニュルンベルク裁判でソ連がナチスドイツを糾弾するために用いた」などと言う。ところが、このWikipediaにある通り、カチンの森事件はニュルンベルク裁判では審理すらされていない。この「嘘つき否定派」は他にも「アウシュヴィッツの第一火葬場は旧ソ連が忠実に再現したと言っている」(第一火葬場はガス室のあったところだが戦時中にガス室での絶滅がビルケナウで行われるようになると使われなくなり防空壕に改修された。戦後にポーランドが中途半端ではあるが元のガス室に見えるよう復元工事を行なった。が、この件でソ連どころかポーランドですらなんらかの声明をしたなど全く知られていない)など、嘘を言いたい放題だった。
「最も悪質な」は完全に私の主観であるが、数限りなくある否定派の嘘で、これほど悪質な嘘は滅多にないと思う。完全な悪意でしかこんな嘘は作れないからだ。
このダブルクォーテーション付きでGoogle検索すると、現時点で三件引っかかるはずである。一つはこの嘘に関する解説、残りは日本での嘘の発生源と、それをコピペした2ちゃんねるスレッドである。元ネタ自体は、解説記事にもあるとおり元々は海外発なのだが、この日本での嘘の発生源はそれをわざわざさらに悪意を持って酷い訳に変えたものである。
アウシュヴィッツの様々な議論(12):否定派は、感動的な話ですら否定論へと捏造する。アウシュヴィッツの3,000件の出産、助産師スタニスラワ・レズチンスカの話。|蜻蛉|note
詳しくは解説を読んで貰えばいいと思うが、しばしばこの話は二名の看護師が出生児を抱いて写っている出所不明の写真が添えられていることも多い。例えば以下のサイトではその写真が添えられているのを見ることが出来る。
Lets stop with the Auschwitz lies
ともかく、実際の話は「レズチンスカが分娩した3,000人の赤ちゃんのうち、半数は溺死、1,000人は飢餓や寒さで即死、500人は他の家族に送られ、30人は収容所で生き残った」と言う決して喜ばしい話であるどころか悲惨なアウシュビッツの実情の話なのに、アウシュヴィッツは平和だったかのように変えてあるのである。悪質なのは、この話は助産師レズチンスカの話を知っていなければ、出てこない話であることだ。
ところが、私はこれをあまりに酷い嘘だと思っていたのだが、前述した「嘘つき否定派」は「でも3000人の出産はあったと認めるんですよね?」などと問い返してくるからさらに呆れてしまった。「嘘つき否定派」は自身も嘘つきであるためか、この嘘に関する悪意を全く認めず、平然とそう問い返すのだった。私は呆れて「3000人は多過ぎだと思うけど、女性囚人も何万人もいたし、ロマ人(ジプシー)は家族で収容されてたし、出産くらいあって当たり前だろ」と返すだけだった。ちなみに1940年代くらいの乳児死亡率は現代とは全く比較にならず、ざっと乳児の半数は死んでいた時代である。日本だと1950年で約六割の乳児は死んでいた。そうした歴史を知れば、出産は現代よりもはるかに当時の方が日常だったとわかるはずで、強制移送されてきた女性囚人の何割かがすでに妊娠していても別に何も不思議はあるまい。
歴史修正主義者が嘘ばかり言ってるのは日本の歴史に関する場合でも珍しい話ではないのだけど、どうしてこうも平然と嘘を言えるのか、ほんとに理解しにくくて。例えば、クローズドなSNSで仲間しかいない中でそれを言うならまだわかるけど、Twitterなどの公開の場で、ググると検索できてしまうところで平然と嘘をつける神経がわからない。以前は、「お前らは嘘つきだ!」のような具合に批判するだけで終わらせていたけど、最近は、批判ではなく、一体どうしてそうまでして嘘が言えるのか、その理屈が知りたいという気がしている。私だってしょっちゅうネット上で間違ったことも言っているけど、間違っていることに気づいてその都度削除するとか訂正するとか、それが無理な場合は反省するとか、ともかく自分の間違いに気づくとそこそこ恥ずかしいと思ったりするのだけど、それら嘘つきはそんな感覚は全くないのだろうか?
「ホロコーストの嘘に比べたら微々たるもの」って感覚? その辺がさっぱり理解できない。それとも普段から、日常生活でも嘘ばかり言ってるのだろうか? どうもこの後者のような気がしてならない。ともかく、なんであの人たちは平然と嘘ばっかりつくのか? 理由を知っている人がいたら教えて欲しい。