はてなキーワード: 過小評価とは
↓
↓
ワイ:国立とか私立とかあるんでそれらの区に(当然、荒川区/台東区から通える)
例:お茶の水女子大学附属中学校、筑波大学附属中学校、東京学芸大学附属竹早中学校、桜蔭中学校、駒込中学、
↓
↓
ワイ:なぜなのか?(荒川区や台東区から文京区の徒歩可能地域、チャリ通(学校としては禁止)可能地域という話をしてるのだが?)
↓
キミ:国立は入試の前に抽選があることや増田が上げてる私立は超絶賢い子しか行けないor高い金出す価値がない学校ばかりだというのは知っているのか
↓
ワイ:それは子どもが自分の選択で決めることであり、東京に夢見ている/現実逃避しているカッペ親が決める事ではないので
↓
ごめんな、びっくりするほどうらやましくないんだよ…。分かってあげられなくてごめんな…。
なぜなのか?キミ金ないから公立しか選択肢がないし電車がとか言ってるのやろ?
つか、当たり前だけど、都営/区営/中堅所得者住宅、みんな調整してはいるんやぞ?良いか悪いかは別としてな
(通じてなかったみたいなので補足:付近の家賃相場考えたら、過小評価されるようにしたり、もっと稼げるのに入居するまで抑えたりしてるに決まってるやろ)
まぁそもそも住んでないっぽいけど
「対価に見合った価値」とはなにか? それをよく考えたほうが良い。実際にはそんな物は存在しない。どんなに頑張っても直属の上司が「お前の仕事はこんなに少ない価値しかないからもっと頑張れ」と、言えばその会社でその社員は過小評価される。
また逆に僅かな手間で作られた物でも「これは凄い!」と、客が評価すればその物に「高い価値」が付く。つまり明確な価値基準などは存在しない。存在しないのに「あたかも存在している」かのような一方的な価値基準を押し付けられて働かされているのが日本のリーマンだ。
俺が問題にしているのは価値を誰が?何処で?どのように?生み出すのかだ。現状に満足な奴は見なくていい。不満足なやつの手助けになればと思って書いただけだから。
唾液の味するし……別になんともおもわないというか……。
キモチワルっ!ともおもわないけど、気持ちいい///とかも思わない……。
【ちんこの変形力がすごい】
平常時ふにゃんふにゃんのしょぼんしょぼんなのにいざというときは本当に骨がないのかこれ!?!みたいな硬さになるし、どこにそんなに質量あったんだ!?というサイズになる。
人体の不思議。
あと、きんたまの形状が想像していたのと全然違ってつながってたことに驚いた。
袋が2つこう別れているもんだと思ってた。
【とにかく痛い】
乳を揉まれても痛い、指を入れられても痛い、そもそも濡れたりしない、ちんこ入れられたときははだしのゲンみたいな声を出してたらしい。
これを十代とかで経験している子達がいるとかほんとすごい、なんかこう十代で経験済みとかちょっと……とか思ってたけど今は尊敬の眼差ししかない。
こんな痛い思いを相手のためにしてあげられるとか偉すぎる。
世の男性諸君、とりあえずはじめての子にはなるべくなにかローション的なものを用意してあげてほしい、まじで痛いから。
だれだよちらっと血が出るだけとかいったやつ、めっちゃでたよ、生理二日目くらいでたよ、ふたりとも引いたくらい出たよ、行為は完全に中断したよ。
物事を過小評価するなよ!ちゃんとめっちゃ出血するって教えておいてくれよ!
相手が喜んでくれたから、まぁよかったなと思いながら終わったけど、ほんとまじで辛かった。
これを好んで何度もやろうと思う人は本当に偉いなって心から思った。
高齢のせいでより痛かったのかもだけど、ほんと、世の中の貫通積みの人たちへの認識が一変しました。
すごい、ほんとみんなすごい、えらい。
もちろんそれも見たかったが、その世界線が今よりもよかったとは一概には思わない。
視聴者に媚びていく姿勢はハルヒの反骨精神に反するもので、ただでさえブームが終わりかけている作品に一層の陳腐化や、現在一部で行われているような「売れただけで実のところ目新しくもないありふれた作品」という過小評価を招く危険もあっただろう。
一期ほど売れてないから二期失敗とか決めつける人がいるが、絶対数から言えば決してそんなことはない。エンドレスエイトはうんざりしながら見たし、「溜息」もいわゆる鬱展開的なやつなんだがハルヒ一期から深夜アニメに入った自分はここでそういうアニメの楽しみ方を知れたと思っている(そもそも一期からしてそんな明るく楽しい感じの話ではない、コメディ調だがタイトルからして「憂鬱」だし、ハルヒの根源にはモラトリアムの鬱屈がある)。
違法動画が流行った一期であったが、二期に関してはYouTubeで一週間無料の公式チャンネル配信がなされ、アニメのネット配信の先駆けになったという点も再評価されて欲しい。
年の瀬や 水の流れと 人の身は 明日待たるる 匿名ダイアリー
ファミマのフラッペ飲んで泣いた話 | 851 | 2018/06/05 20:49 | 暮らし |
仕事辞めて牛タン食べた | 400 | 2018/06/19 15:46 | 暮らし |
午前4時 | 222 | 2018/06/17 07:35 | おもしろ |
それは自然というものを過小評価している&自分に都合の良いものと捉えている。
俺に心地よいから自然で、俺が不快だから不自然だと言ってる様なものだよ。まさに"お気持ち"に他ならない。
ジェンダーフリーってのは今ある『男らしさ』『女らしさ』の様な既成の概念は多くが社会風土歴史が育んだ後天的な概念なのでそこから自由になろうって思想だろう。
で、現代社会はいまだそこから脱却出来ていないので、「オカマキモい」と親が教えてないなら学校などの家の外の社会に『毒された』と考えるのは筋は通っている(『毒された』って表現はどうかと思うが…)。
正直自分にはどこからどこまでが『後天的な男・女らしさ』なのか、あるいは『自然』なのかはわからない。ただ『オカマキモい』は明治時代以降の西洋から輸入されたキリスト教的な価値観に依るところが大きいのでは?とは思うけどね。
コンプライアンス委員会と相談して前回昇進したのが男だったら今回は女でいいでしょ?
個人的好みなんて入る余地ない仮定ですよね。女でも男でも、なんとなーく信用できないから同僚部下に裏付けインタビューでホコリたたきたくなるひといるけどそれも同じだというんでしょうし。
あいついい銃もってるな、手入れがいいのかな、あっ敵によく命中してるぞ、よし仲間に引き込もう、くらいよく見えます。
男性にも男性なりの武器はあるとおもってますよ。今回は評価外らしいですけど、ホモソーシャル受けもありますよね。
ただ、この間、女性差別医大入試のあとぞろぞろ増田に湧いた自称男医どもが自分の能力を過大、過小評価してるのは笑えましたけどね。そういう風に男は足を引っ張りあってんだな?ってよく見えました、余談。
個票公開を拒む法務大臣の説明が、不法滞在等の刑事訴追につながる可能性もあり実習生のプライバシーを保護するため、みたいな感じだったけど、実際は事業者へのヒアリングをサボる言い訳だったのがバレてしまったなw
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/this.kiji.is/436063973479269473
ブコメでは「低賃金」を「より高い賃金を求めて」と言い換えたことが主に叩かれてるけど、
本当に悪質だったのは「「暴力を受けた」「指導が厳しい」という回答も少数ながらあった」という法務省の見解の論拠が捏造だったところ。
「低賃金」にチェックが入ったアンケート票は、それ以外の項目にチェックがあっても「低賃金」のみカウントするという強引な集計を行い、
あたかも失踪理由のほとんどが低賃金ゆえであり、事業者からハラスメントを受けたことについては過小評価するという悪質な情報操作を行っていた。
原口議員が記録した合同ミーティングの映像に詳しい。https://www.pscp.tv/w/1ypKdOzaLqYxW
「夫が定年したら離婚を考えています。夫の年金って、妻が半分もらえるんですよね?」 https://precious.jp/articles/-/8510
あなたの価値観がどうであれ、世の価値観はこのような感じなのだ。これに反発を覚える男性は結婚に向いていない。幸い 結婚させようとする社会的な圧力は低下傾向にあり、家事労働も道具の発達で軽減されているので、生涯未婚という選択肢も十分現実的だ。かくいう私もその一人に挙げられる。
ミソジニーをこじらせるのも結構だが、価値観が対立する場面は 視野が広がるチャンスだ。少しだけ冷静になって自分の生き方・考え方をよい方向にできないかを考えよう。
「二人とも働いて、家事も半々で」みたいなノリは必ず破綻する。家事・育児に関連するあれこれを完全に半々にすることなんてできっこないからだ。「どっちかが得しないように全部半々。これで公平でしょ」という価値観は対立を生むだけだし、均衡する領域が非常に狭く、環境の変化に対して脆弱な かりそめの安定をもたらすだけだ。
そこで、二人の間で役割を決めるという発想になる。昭和的な価値観では「猛烈リーマンの夫&専業主婦の妻」という役割分担があり、最近の価値観では「共働き夫婦&家事育児を分担」という分担が一般的になっている。程度の差こそあれ、役割分担を選択するということは、数あるタスクへのコミットメント具合が夫婦間で異なることを意味する。「お金を稼ぐ」というタスクに対して夫が400万円のコミットメントをし、妻が200万円のコミットメントをするという事態は不当ではないのだ。同じく、「幼稚園児の送迎」というタスクに対して、夫が週 1回のコミットメントをし、妻が週 4回のコミットメントをするという事態は不当ではない。
タスクごとに夫婦間でコミットメント具合が異なることを受け入れ、安定した共同生活を営むために必要なことは何か?もちろん、不公平がないようコミットメントの総量が同程度になるよう調整することは大事だが、どうせ、そんなことはできっこない。一番大切なのは、お互いを信頼し、尊重することだ。「確かに俺の方が稼いでいるけど、奥さんはその分面倒な町内会の活動をやってくれているし、俺より生鮮食品を安く手に入れる術を持っている」とか、「夫は送り迎えをしてくれないけど、買い出しの際や終電を逃したときにすぐに車を出してくれる」とか。
それでは、このように、お互いを尊重することを阻害している要因はなんだろうか?そのうちの一つとして、価値観の狭さがあげられよう。自分のコミットを過大評価し、相手のコミットを過小評価する。「俺は稼いでやっているのに」とか「家事の大変さがわかってないでしょ」などの典型的な夫婦喧嘩はこれに起因する。もちろん、価値観の近い相手をパートナーに選ぶことはこの問題を軽減させることに寄与するだろう。しかし、このズレは累積して破滅的な結末を迎えることも少なくない。
結局、謙虚な精神が必要なのだろう。「自分には価値が見いだせないがあの人は一生懸命やっている。きっと私にはまだ十分感じることができない価値があるのだろう。その判断を尊重して、今ある不満をぶつけるより事態の推移を見守ろう」。男性には結構独善的な人が多いので、いかに謙虚になれるかというのは一つのカギだろう。自分のモノサシを絶対化せずに、相手のモノサシの価値を認めるということだ。
あなたは幸せになる権利がある。だがその一方、幸せとは何かについて深く考えているだろうか?
日々の仕事に忙殺されると、「とりあえず金稼ぎたい。稼げれば幸せになれるっしょ。」「この金をどう使えば楽しいだろ。旅行?メシ?ゲーム?」といった短絡的な思考に陥りやすい。まあそれを否定するわけでもないが、その価値観いつまでも続けられる?とは問いたい。自分が幸せになるという課題に対してもう少しの熟慮してもよいとは思わないだろうか。そして、「普通の」人間にとって幸せな生活には結婚という家族形態が伴うことが多いのも事実だ。
あなた、本当に結婚しなくていいの?結婚をしなくて幸せになれますか?
私は、仕事が嫌いで、自分が一番頭がいいと思っていて、社会性を獲得しきれずにおり、お金が一番好きで、家事になんの価値も見出さず、子供が嫌いだ。若いころは性欲ドリブンで結婚をしようかと思ったこともあったが、30も半ばを過ぎて落ち着いた今は結婚をしていなくて本当に良かったと思っている(もし結婚していたら、相手も全く同じことを思っていただろう)。
だが、それとこれとは話が別だ。結婚に向いている男性というのは、同時に対人関係が良好な男性という側面もある。結婚しなくていーや、という単純な話ではなく、社会で上手くやっていくために、結婚に向いている価値観を身に着けたり、身に着いているフリをすることは大事だと強調したい。
はてなが歯と口の健康週間なので便乗して今まで他人に言えないことを吐露おろろ。
高校卒業して一人暮らしを始めてから10年間、ほとんど歯を磨いてないです。(かあちゃんごめん)
おでーとの前とか磨くくらいで、平均したら月に1回?とかそれ以下。
人生一度も虫歯にもならず歯茎が痛いとか痛い目にあっておらず、歯を磨かなきゃならない危機感に襲われない。
年に数回くらい、職場の人やたまに会う親に口臭くない?って聞いてみるもののなんも臭わないよって返事に安心する。さすがにがっつり磨いてからだけど、だからなのか、キスする人にも臭わないよと言ってもらえている。(増美ごめん隠してるごめんごめんごめんごめん)
歯を磨くと歯茎(犬歯辺りから?だいたいいつも同じ箇所)から出血があるので環境は良くないんだろうなという程度の自覚はあるが、喫緊の対策が必要かというと環境悪化が進行してるわけでもなく常人も出血はあるみたいだし、行動を促される決定打に欠ける。
まずいかなぁと思って一昨年に歯医者はんにかかってみたけど、掃除して貰って、環境悪いですねーちゃんと歯を磨いて下さい次はいつ来ますか?って感じでえっなんで行かなきゃいけないんですかって定期的にみてもらうのがあれなんですよーってなんかもう金ヅルって感ある言い方だったので、あぁそんな酷くないんだってむしろ安心材料になってしまった。(とあやふやながら記憶してる。またいつか行こう…)
どっかの統計で昔の非人道的な研究で、歯を磨かない人を20年間追跡したら8%の人は全く健康だったとか見かけたので、自分は選ばれた8%の人間なのかとその可能性に安心してしまう。
そりゃリスクを抑えるなら毎食後の念入りな歯磨きなんだろうけど、くっそだらしない人間にとってはそれは高コストだ。気苦労なくそれができたら苦労はしない。風呂入るのも面倒マンだ。
クソみたいな箇条上げして一個一個駄々をこねるように否定して面倒臭い奴してるのにここまで読んでくれた方ありがとう。口は臭くないから許して。
でも、リスクを過小評価したリスクマネジメントの結果、歯を磨かないマンが野に放たれ、日本の人間の女性のリスクとなっていること、これは許されないかもしれない。
歯を磨かないとどうなるかっていうデータが欲しい。予期がしたい。いきなり歯を失うの?
手を動かさずに風を当てるだけだったり、
従来のハンドドライヤーみたいに手を揉んだりする人が多いんだよな。
あれじゃ乾かないよ。
正しいやり方は、横から手を入れて、掌を広げたままゆっくり引き上げていくんだよ。
風のブレードで水をこそぎ落としていくようなイメージ。
それなら一回〜二回でほとんど乾くよ。
http://www.mitsubishielectric.co.jp/ldg/ja/air/products/jettowel/advantage/detail_02.html
俺は、初めてジェットタオルを使ったときに、こんなに早く綺麗に乾くんだって感動したんだ。
だから誤った使い方で「ジェットタオルって乾かねえよな」って過小評価されるのが許せねーんだよ。
正しい使い方をしてくれよな。頼むぜみんな。
その昔は、5000円くらいの双眼鏡で満足していた。といっても、元々1万円くらいだったのが値崩れしての価格なので、1万円クラスと言ったほうが正しいのかもしれない。バズーカみたいなカメラ用レンズを通したよりも明るく綺麗に見えるくらいなので、特に不満は無かった。
その後、お店に並ぶ数万円台の高級双眼鏡を見たりしても、ちょっといいかなと思うくらいで、そこまで劇的な差は感じなかった。だから、ずっと安いコイツの方がいいじゃないかと思った。逆にコイツより安いのと比べると、見た目もチープだし、見え方もまるでモヤがかかったみたいでおもちゃのよう。コイツは性能的に十分優れていて、これ以上は微々たる差があるだけか、扱いにくい巨大なものだけだ、そう思った。
はじめアイツを覗いたときは、ふうん、これがあの有名な、と思っただけだった。以前に数万の双眼鏡と比較してみた記憶から、はなから過小評価して見てたのもあるだろう。
だが…その後自分の手持ちの双眼鏡を覗いてしまったのがまずかった。まるで別格だった。以前の数万のあれとは比較にならない、強烈な衝撃だった。今度は手持ちがおもちゃに思える。あとはもう、買うしか無かった。こんにちはスワロフスキー、よろしくね。
お笑い芸人のカズレーザーがめちゃくちゃ好きなんだけど好きと言える人が周りにいないのでここに書く。
ヒーローやコブラが好きで高校時代からずっと赤い服・金髪を貫いていて、
年間150~200冊くらい本を読んでいる長身の色白マッチョで、
顔は基本尾藤イサオ氏似だけど映りによってはそこそこキレイな顔をしていて、
キャラ渋滞とよく言われるように漫画みたいなエピソードや特徴をいっぱいもっていて、
上に挙げた以外にも、Mr.ビーンbotを手動で運営していたり、極度の偏食だったり、特撮オタだったり、重度のさだまさしファンだったりする。
手先が器用で、日常会話程度なら英語を話せて、プログラミングの知識があって、歌もそこそこ上手い。
運動はそんなに得意じゃないみたいだけど、カズレーザーは概ね何に対しても平均以上のことができる。
何より抜群に頭がいい。
私はお笑いについて全然詳しくないミーハーなので、カズレーザーを好きになったキッカケも、
「カズレーザークリニック」というお悩み相談番組的で、将来が漠然と不安だと話す東大生相手に、
カズレーザーのしたアドバイスが名言としてSNSでバズっていた。
「ハッピーエンドに決まってるのになんでバッドエンドにしたがるの?」
「理由を見つけて自分が不幸だなと思おうとしているだけで思わなければずっと幸せだからね」
カズレーザーはあくまでその東大生一人に向けてしたアドバイスであって、誰にでも当てはまるものじゃないと後のインタビューで語っていたけど、
先行きにただただ不安を感じてるような、毎日息苦しいような人達には良い言葉で、実際、私にもこの言葉はすごく響いたのだ。
薄っぺらいきっかけと言われたらそれまでだけど、私はそれからカズレーザーの出る番組を見まくるようになった。
番組を見まくっていて気付いたのは、カズレーザーがぜんぜん、天然ものじゃないことだった。
カズレーザーは売れていない時代から毎日最低一本はネタを書いていて、安藤なつとコンビを組んでM-1で売れた。
今はめちゃくちゃ勉強してクイズ番組で結果を残しまくっているし、バラエティ番組での切り返しの精度も上げてきている。
カズレーザーは素のメンタルが強いばかりでなく、鬼のように努力をする人なのだ。
その上で売れたのは「運が良かったからだ」と言う。
カズレーザーを色んな媒体で追ううちに、なんとなく、カズレーザーってこんな人っていうのが私の中で見えてきた。
好きなものへの探求心が強く、色んなジャンルに興味を持っているからその分深堀度がものすごい。
息を吸うように努力をするのが当たり前で、プロ意識が高く、売れるための努力を何もしていないのに口ばっかりで行動に移さない人や、高望みする人に対しては厳しい。
そのかわり、一生懸命努力している人たちへの面倒見はものすごくいい。
自分のことを冷静に見つめていて、過小評価に感じられるくらい、自分のお笑いの才能をこれっぽっちも信じていないかわりに、
周りの芸人仲間に対しては深い愛情をもっていて、仲間たちが売れることを自分のことのように無邪気に喜ぶ。
子ども相手でも大人相手でも、上からでもなければ下からでもない、同じような一定の距離感で接する。
感情が無いとかサイコパスっぽいとか言われるけど、そのフラットさの中に情がないわけじゃないんだということも分かってきた。
カズレーザーに何でこんなに惹かれるのか、私もまだよく分かっていないけど、とにかくスゴい人だ、と思っている。
欠点も山ほどあると思うけどそれ以上に目が離せない。
型にハマらないとか自由だとか飄々としているとか、色んなカズレーザー評を見てきたけど、まだ自分の中でカズレーザーをどういうカテゴライズにしていいのか分かっていない。
ただ、息苦しい気持ちになったときにこの人のことを思い出すとちょっと息継ぎができるような、私にとってはそういうスゴい人だ。
匿名による彼らの書き込みには生命が宿っているが、その価値は著しく軽い。
なぜなら彼らは匿名で書き込むことで自我を減らしているからだ。
匿名である彼らは同じ人間ではあるが、同じ人間から少し引き算をした存在なのだ。
彼らはいかにアイディンティティと呼ばれるものを保持できているのか?
私が書き込んだものは変わることはない、その不変性によって維持できている。
そうでなければ、私が書き込んだものが侮辱されたり、過小評価されたりしたときになぜ落ち込むのかわからない。
wikipediaは書き込んだものが修正されるが、修正された履歴として残る。
匿名の人が人間から少し引き算をした存在だとしても、同じ人間であることは変わらない。
私達と同じ感情を有しているのだ。
一方では匿名は劣った存在だが、もう一方では同じ存在として扱わなければならない。
彼らはいかにアイディンティティを保持できるのかも私は書いた。
一方で彼らは匿名でのアイディンティティを簡単に捨てることもできる。
なぜかといえば、私が書き込んだものを削除すれば消えるし、私が書き込んだことを忘れてしまえばなくなるだろう。
(忘れる方法について、簡単ではないように思えるだろうが、人は大したことではないことは簡単に忘れられるようにできている。)
まず家族がいるだろうし、私のそのままの暮らしそのものであったりするからだ。
それが毀損されれば、どうなるかここでは書くことはできない。
そのアイディンティティは匿名では自分の意思によれば簡単に捨てられる。
匿名世界でも、アイディンティティは尊重されねばならないが、本人がどうでもよければ価値はないのだ。
それは一方の論理を受容するとき、一方の論理もまた受容するというものだ。
匿名世界で会話をすると気にはこの論理の取引がほとんど不可能である。
いや、私のアイディンティティは守らねばならないが、相手のアイデンティティはどうでもよい。
捨てればいいだけだからだ。私のは今は捨てたくない。
匿名同士の会話はこのように成り立っているようで成り立っていない。
常に死者が出ているのだ。
彼らがマッチョ思想に染まるのも当然で、むしろそれを貶す奴らのほうが狂っている。
もちろん匿名同士では私の言っていることは逆に間違っている、貶なせるのなら貶すのが正しいだろう。
これがアイディンティティを簡単には捨てられない世界との衝突では大変なことになる。
匿名の人はいかにもアイディンティティを大事のように振る舞うのだ。簡単には捨てられないほうが価値が高いことを知らないか、
私はあなたの論理を受容しましょう、だから私の論理も受容してください。
これを拒否するのなら、匿名の人はアイデンティティを捨て、もう一度同じことを繰り返すだろう。
取引をしたとして、彼らが味方になることは無いのだ。なぜなら彼らはすぐに死んでしまう。
死を覚悟して、人の論理に突撃していく、彼が正しいか正しくないかなど関係ない。
それは死者が出ることが分かっているものに、私の論理はそれほど正しいのだろうかという疑念も出るだろう。
人の死より正しいものがこの世にあるのだろうか?
それに会話するルールを毎回のように破らなければならないのは、一般的なことではない。
私はこれは解決すべき問題だと思っているが、私にはやることない。もう世界がすでにそう動いている。
アイデンティティの価値について、よく吟味するしかないだろう。