はてなキーワード: 結婚式とは
娘の七五三で自分の胸に花のコサージュをつけて以来コサージュにはまってしまった母親である。
しかし、コサージュって自分のためじゃなくて他人のお祝いのためにつけるものであり、私には七五三、入園、卒園式 入学、卒業式 結婚式くらいしかコサージュをつける機会がない
シンプルなコサージュやちいさいコサージュなら普段使いできるけど
私が好きなのは入学式や卒業式に参加する母親が胸につける大きくて華やかなコサージュ
普段使いむり
どこかのお祝いパーティーに招待されないと
コサージュってとてもよいものですね。自分の写真見てコサージュを見て、ニヤニヤしてしまう
入園式だと赤ちゃんがいる家庭のママは「赤ちゃんが舐めるから」とネックレスもコサージュもつけないことがあるらしいけれども、私は赤ちゃんは旦那に押し付けてぜったいにコサージュつけたい
妻が3人居るということへ対して多くの人は興味を持つだろう。
それは事実で職場とかでもよく聞かれるし、もしも俺が一夫一妻の結婚をしていたら気になるとは思う。
いや何でそもそもそうなったのか?と言えば中学生の頃3人同時に告白してきたからだ。
もともと友人だった彼女らは「抜け駆け禁止」という協定を結んでいて、中学卒業間近に周囲が誰に告白するだの何だのにアテられて告白したくなったが抜け駆け禁止だったので同時に告白するという斜め上の発想に至ったらしい。
俺自身も同級生、というか小学校からの幼馴染であり友人だったので関係性が壊れるのが嫌で「じゃあ同時に付き合おう」ということになった。
そして「誰かが心変わりしても友人に戻ろう」という約束をして交際をスタートしたが、結局今でもそれが続き、何なら3人との間に子供が複数居る。
おそらくは何か決定的な大きなことが起きない限り俺達は死ぬまで家族のままだろう。
別に俺自身はアラブの石油王でなければ由緒正しい家柄でもない単なる庶民だ。
社会人となった際ほぼ同時期に3人との同棲を始め、いわゆる4馬力状態で働いていたためその当時の新社会人にしては家計としては余裕がある状態にはなった。
これはもう計画的に結婚当初は子供を作らず夫婦2馬力で働いてお金を貯めようとするのとほぼ同じ状態であり、それへ更に2人加わっているだけ。
これは偶然にも子供が生まれた際に比較的メリットがある家庭となった。
子育てに参加できる大人が常に居る状態になっており、1人目のときそれへ気付いて妻たちと話し合って意図的に出産の時期をズラすと2人目以降は非常に子育てが楽になった。
実家帰省での支援もあったけれど、直近に出産経験者が居るというのは凄く頼りになるし、有給などを利用するタイミングをバラバラにしたり合わせたりすることで様々なシチュエーションへ対応できた。
女性にとっては気になるであろう「独占欲は無いのか?」と妻たちへ直接聞いたことがあるけれど「有るか無いかと言えば有るけど4人が一緒に入れる方が大事」なのだそうだ。これには俺も納得だ。
逆に俺へ「妻が浮気したら?」と聞きたい人も居るだろうけど、そのときは友人へ戻るだけ・・・と言いたいところだけど今は子供が居るし判断が難しいところ。平均的な家庭とこの辺の判断は変わらないのでは?
ちなみに結婚式は自分たちで稼いだ金で挙げた。
当然ながら俺達の両親は一般的に想像するような結婚形態を取っているので当初は賛成という姿勢を見せることがなく、一部の両親は「反対はしないが・・・」という感じであったし「馬鹿かお前らは!」と怒り狂う親父さんも居た。
色々あって「じゃあ私達だけでやろうか」となって結婚式を挙げたわけだ。
子供が生まれてからは「これも1つの結婚か」みたいな反応となり、今では普通にすべての実家へ行き来できる関係性を築けている。
この関係を続けて数十年経ってしまっており、むしろ一夫一妻なカップルが想像しにくくなっているけれど、年金とか相続とか法律周りで面倒なことが起きそうな気がするので可能であれば法令婚化させてくれないかなぁ?なんて思ってる。
この辺の議論は不健全扱いされて全く盛り上がりを見せないので出来れば真面目に考えて欲しいなぁと思わなくもない。
これでも自分自身では単なる親父だという認識なので。
1回出た事あるけどそれ以降一回も出席した事無い。
少しでも本人の理想から外れたりこちらが些細なミスを一つでもしようものなら激怒。泣きながら平謝りしても「そんなに謝るのは狡い」と怒られて延々と詰られる。
普段の振る舞いはすべて自分が最優先。デートのドタキャンも遅刻も当たり前。無連絡で待ち合わせ場所にいないのは日常茶飯事。レストランを予約していようがお構いなし。ドタキャンだろうと遅刻だろうと全く謝らない。「わざわざ会ってやるのに」が口癖だった。会ってないのに。
夜遅くに今から来いとか仕事中でも電話は3コール以内に出ろとか物理的に無理な要求だろうと「自分ならやる。そんなことで音を上げるお前がおかしい」と何度も言われた。だから相手の要求を叶えるために自分のことを放っておいたら「そこまでしろとは言ってない」と怒られた。
どうしても欲しいと言われて身の丈に合わない高額なプレゼントをした。就職してから貯めたなけなしの貯金をはたいてまだお金が足りず、2か月食費を削って6kg痩せた。人生で最も成功したダイエットだった。
友人とも疎遠になった。お金がなくなってご祝儀が包めず親友の結婚式を欠席した。親友には電話で謝ればよかったのに精神が参っていたのかそんなことを考えることもできなかった。親友はSNSで遠回しに自分を指して常識がない人間だと言っていた。完全に謝るタイミングを見失ってその親友とは今も連絡が絶えたままになった。本当に申し訳ないことをした。
他にもいろいろとひどいことはあったけど、身バレしそうなのでこれくらいにしておく。
ある日突然、動くことができなくなった。布団から出れなくなった。仕事も生活もなにもできなくなった。友人に病院に行けと言われた。即鬱病と診断された。
このままだと死ぬと思って目が覚めた。別れるのも大変でシャレにならない事件も起きたが弁護士を立てて完全に縁を切れた。
別れた後、一度も恋人は作っていない。異性は信用できなくなった。新しい恋人を作って上書きして幸せになるのが一番なのかもしれないけど、異性と関わるのが怖くなった。
精神が壊れる前はもう少し活発な人間だったと思うけど、こうなる前はどうしていたかもわからなくなった。きっと一生独身のままだと思う。
不安感と親への申し訳なさだけが残っている。正月に帰省したら早く結婚しろと言われるんだろう。毎年生返事で濁しているけど、何年も前に別れた恋人のことを親に1から説明する気力も湧かない。
きっとウチは自分で末代だ。普通に生きていれば子供を持つ歳になって、改めて親が偉大だと思った。かつては自分も両親のように子供を育てたいと思っていたけど、もう無理そうだ。両親には本当に申し訳ない。
いい歳になって初めてできた恋人だった。ずっと大事にしたいから自分を捨てて尽くしたけど、元恋人が求めていたのはパートナーではなく奴隷だった。
何年もたった今でも元恋人に言われた言葉を思い出して震える。やっぱり自分が間違ってたんじゃないかって今でも不安になる。
今でも元恋人のSNSをこっそり見に行ってしまう。見たくないのに、早く忘れて記憶の中から消し去りたいのに見てしまう。
薬の処方は今でも続いている。きっと自分は一生相手を恨んだままやり場のない怒りと近しい人間への申し訳なさを抱えて生きていくのだろう。
結婚式じゃなくて結婚パーティー。家族と友達だけ呼んで食事会みたいな感じね。
俺はもうそろ30の童貞。友達(仮)は一歳上。俺たちの出会いは大学。後述のそいつの人となりからFランとか言われるかもしれないけど、私立の政治学科じゃ国内トップレベルじゃボケ。三田じゃなくて3号館の方ね。俺は現役でそいつは一浪なので同級生。何個か授業が被っていたため、向こうから話しかけられて仲良くなった。
俺は身長167、カエルに顔がそっくりのキモ男。そいつは身長178のイケメンでイケボ。そんでそいつに誘われてインカレサークル(男子は学内で女子は他の女子大みたいな感じ)に入った。そいつは女絡みは多かったが男の友達がいなかったので俺を誘ったのだろう。
そいつが俺をまあいじるいじる。低身長を好きな女はいない、声が面白い、話がつまらない、女と話す時キョドッててウケる、絶対彼女できない、などなど。周りの女は一緒に笑っていた。その後そいつはサークル内で複数の女子と浮気し、バレてサークルを辞めさせられた。話は脱線するけど女ってすごいよね。目の前で人の容姿とかを貶しまくる奴にも平気で抱かれることができるんだもん。尊敬する。
元々つまらなかったので俺もそのうちサークルには行かなくなった。その後同じゼミでいじられたり、マウントを取られたりする日々が続いたが、他に友達もいないし、そいつは授業は真面目に受けてて代返に使われたりすることはなかったため付き合いを続けた。俺の部屋で鍋を食いながらそいつの女絡み武勇伝を聞き「そりゃすごいね」と返事して過ごした。卒業して社会人になってからは会うことはあまりなくなった。
それで結婚パーティーに呼ばれたから行ったんだけど、相手は普通に清楚で優しそうな女性だった。今までそいつが付き合ってた女とは違うタイプのね。そいつは俺のことを「大学時代からの親友!」と紹介していた。
帰り道、「あ〜、なんであんな奴にあんな奥さんが出来るんだろう」と思いながら帰っていたんだけど、前から来た婆さんとぶつかった。ここでふと思った。自分の思うまま、恣意的に、悪意を持って相手に振る舞うのってどんな気分なんだろうか、と。相手はお婆さん。周りに人はいない。俺は決めた。
「おい!ババア!どこ見て歩いてんだよ!」と怒鳴った。人生で初めて他人に暴言を吐いたので声が震えた。婆さんは「あ…すいません…すいません…」と何度も頭を下げた。俺は睨みながら舌打ちをして、立ち去った。
とても嫌な気分になった。仕事はつまらないし、金はあるけど趣味もないし、女にもモテないし、もうそろそろ仕事辞めて実家帰ろっと。
隙自語り失礼するぞ〜
10年以上付き合いのある友達で増田とAちゃんと同じように一緒に遊んで旅行行ったりした。
一度も彼氏がいるなんて聞いた事なかったのに、実は私と出会う前から付き合ってた人がいて翌年結婚する予定だとある日突然言われた。
それはもうとんでもなくショックだったよ。
結婚する事よりも、そんな長い事彼氏がいたのに一度も話してもらえなかった事が一番ショックだった。
でもねー私だって友達に彼氏いる?とか聞いた事なかったし、オタク女の間では恋愛トークは禁忌っていう謎の暗黙の了解があるし、そして私がブス喪女こじらせて恋愛コンプ患ってたのを友達は察してただろうし。
(他の友達にその事を話したら「あなたに彼氏いるって話したら嫌われると思ったんじゃない?」と言われた)
色々葛藤したけど、ちゃんと友達のことは祝って結婚式にも参列したよ。
増田がAちゃんに言わなかったのはAちゃんに気を遣ってのことでしょ?
こう言っちゃ悪いけどAちゃんは早い内に増田に彼氏いると打ち明けられてもキレられてたと思うよ。
「ちゃんと大人な対応できた私すごい」語りみたいになってごめん。今でも友達のことは大好きなのと同時に羨ましくて妬ましく黒い気持ちがしっちゃかめっちゃかよ。
だからAちゃんがキレてしまう気持ちはわからなくないんだけど、そうしなかった自分が上から目線で言わせてもらうと結局はAちゃんが自分の問題に自分で折り合いつけられなかっただけだよ。増田は悪くない。
バブル金をつぎ込んだおかげで本物以上に本物のきらびやかな式になってそれが芸能人が行いTV中継で放映され
全国の女子の憧れになった
お笑いタレント陣内などの3流タレントの次のステップへの踏み台と化していった。
三々九度の盃(日本式)はアルコールアレルギーに死ねっていってる あと「角隠し」とか「白無垢からのお色直し」とか女性と男性の自我をなくしてイエのものにする失礼な感じがある
日本人は社会や家庭に甘えやすい、成熟して社会に貢献しにくい(幼形成熟というが本当に成熟している成人がどれだけいるか)、
自立をうながす式典(つまりイニシエーション)の一つとして成人式や披露宴があると考えればよいと思うよ
あとハイジ的ブランコより大きなゴンドラもけっこうやり玉に挙がってたけど
カラオケにしろ演説にしろ、本人がいままで世話になった人を客として呼んで
お礼になんとか楽しませたいならなんでもありジャンと思うよ
うちのばあちゃん20年以上長唄やってて高砂はまかせて!っていってたけど
偽物の教会で結婚式を挙げる行為はキリスト教徒の人たちに対しての文化盗用になるんじゃないかな。
だってクリスチャンじゃないのに。しかも形だけでも洗礼受けるっていくらなんでも馬鹿にしすぎではないだろうか。
また、プロテスタント系の牧師さん(偽)をイメージした役をほぼ白人の人しか起用しないのは明確な人種差別になると思う。
意識のアップデートとかそういうの以前に、日本人に無意識に刷り込まれている差別意識の発露なのではないだろうか。
アメリカ人の友達「偽物の教会で、お葬式の曲が流れる不思議な結婚式に出たのよ」「それ、日本の標準的結婚式です…」
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1956479
これはつまり「ブライダル業界の結婚式」だが、なんでこうなったのか?。
今主流のこういう結婚式の始まりは1970年代なんだが、その元は60年代にある。
日本のイエ制度は明治に出来たようなもんだが(武家を除く)、昭和初期には堅固なものとなり、更に国家と天皇がイエに擬製されて人間はそこから逃れる術はほぼ無かった。ゲマインシャフトと国家有機体論の合体だ。
戦争に負けるとおせっかい焼きのアメリカが自由の形だけを作って置いていった。国家権力だけは縛ったからあとは勝手に使うがよいと。
それで戦後も時代が下り生活レベルが向上すると段々と生活や人生上の自由が増大化していった。
イエというのは家督であり、継げるのは長男一人だけだ。しかしその他の女子や次男以下も生き方が制限された。
長男は適齢期になると親が勝手に縁談をまとめて「あの家の娘と一緒になれ」。断った場合は勘当されて死ねと言われる。
次男以下は中学(尋常小学校)を出ると「小僧」の勤め先を親が決めてくるので、そこに入る。小僧っていうのは商家に住込みの店員見習いだ。然程の長時間労働ではないが「仕事」ではなくて24時間主人に仕える事が求められる。全人格労働だ。
こういう風習があったので会社勤めが一般化しても昭和中期まで独身者は会社の寮に住込みが基本だった。勿論集団生活で雑居だ。プライバシーとかいう事を気にする者はアメリカかぶれの不良である。
女子は妙齢になるとやはり親が勝手に嫁ぐ先を決める。断るのはアメリカかぶれの不良である。そもそも断ると生きていく術が無い。本人が何とかなっても家族が村八分になる。
商家に女版小僧として働くというケースもあった。勿論住込みの全人格労働だ。これも妙齢になると主人が見合いの相手を見つけてくるので恋愛期間なく結婚せねばならない。
戦後生まれの団塊世代が成人する60年代末になると都会ではそういう古いイエに縛られない核家族が増え、子供用個室が出来たりもした。
でもそれは都会の話で、田舎の方ではまだ古いイエに縛られたままの人間が多かったのだ。
例えば中島みゆきの『ファイト』は1982年の歌だが、「薄情もんが田舎の町に砂かけんのか、出てくならお前の身内住めんようにしちゃる」と言われて長距離切符燃やそうとしたが出来なかった。東京行の文字が滲んだ切符をまだ持ってる、っていう節がある。
なんでこんなキツイ歌詞を考えつくの…と思うがこれは中島みゆきの深夜ラジオに送られて来たリスナーのハガキの内容を切り貼りした歌詞なんである。
つまり1970年代末~1980年代頭にもこういう思いをした人は居たという事だ。
「ファイト」の語感だけで元気を振るう歌だと思っていると衝撃を受ける事と思う。苦難や挫折が生々しいのだ。
勉強を頑張って東京の大学に進む事が出来るように先生に親を説得してもらう(余計な勉強なんかして更に大学に進もうなんて親不孝のアメリカかぶれの不良である)。
集団就職に参加する。
一度商家に入り、数年奉仕し18or20歳の年齢制限をクリアして暇を貰い、水商売に入る(増田の親のパターン。単に不良である)。
そういう状況だったから古い世間では自由恋愛=不良であった。それは流行恋愛歌に乗せられて人の道を踏み外すアメリカかぶれの不良である。
一方、若者からすれば自由恋愛とは誰と恋愛してもいいよという状態の事だけじゃなくて因習から逃れる解放のテーゼだ。
人は好きな人と結ばれる権利がある。それを称揚すべきである。ロマンチックラブイデオロギーだ。
そういう訳で沢山のフォークソングで自由恋愛が称揚されるようになった。1960年代には社会への異議申し立てという歌詞が多かったのが、70年代になると安保闘争の挫折も相俟って現状肯定、恋愛称揚などのポジティブ系にシフトしていく。
有名なのが吉田拓郎の『結婚しようよ』1972年で、僕の髪が伸びたらチャペルで結婚式を挙げよう、というもの。
チャペルはキリスト教会の礼拝場の事なのだが、実際に多く使われるのはミッション系大学の礼拝場だ。要するに学生結婚したいねという欲求を惹起する歌だ。
もう一つ有名で披露宴でも使われるのがチェリッシュの『てんとうむしのサンバ』(1973年)で、夢の国の森の小さな教会で結婚式を挙げました、という歌詞。
こういう曲のヒットにより「小さなキリスト教会での挙式」というのが憧れとなり、実際にミッション系大学併設の教会での挙式が多く行われた。因みに式の前に洗礼を行って形だけでも「キリスト教者」になっておく。
ただ、ミッション校の教会は限られていてパイが少ないし両方の親族が沢山来たら礼拝堂に入らない。
でもそれがまた「イエvs.イエ」の結婚式へのアンチテーゼとして働いた訳だ。
なんでキリスト教会なの?と言えば、それは第一に西欧への憧れであり、第二に「日本古来の神式、仏式でないから」だ。神式、仏式にはイエの因習の表象をまとっていた。
今は厳かな神式も人気で特に鎌倉鶴岡八幡宮の舞殿で行われる神前式は人気だ。これには団塊/全共闘の残した軽いノリへのアンチテーゼで権威的なものを好むというテイストもあるだろう。
でも今の神前式を選ぶのと60年代の仏/神前式は意味が違うのだ。現代のは一度因習との結びつきが嫌われて廃れ死んだ後に、「博物館入り」して個人にとって安全になったものだ。安全になったので「自由意思で選択」しているのである。
「花嫁は夜汽車に乗ってとついでいくの」という『花嫁』(はしだのりひことクライマックス 1971年)なんか歌詞をよく確認してみたら駆け落ちなのな。こいつを披露宴で掛けるのはヤバそうだ。
それ以前の結婚式は仏式/神前とあったが、特に都市部だと著名な特徴があった。
それは「祝言(しゅうげん)として能の演目『高砂』の一節の謡いを仲人がやる」という事。俗にいう「高砂や~」である。
https://www.youtube.com/watch?v=Zm1Se2fRnvU
これをこの調子で仲人が謡う。これは都市部では必ずやる。絶対にやる。だから仲人はこの祝言を暗記して慣れない能の謡い方を練習した。それを笑った落語もある。「高砂や~」って練習してる時に「とうふ~」と豆腐売りが来ちゃって混じって覚えちゃうのな。
これは恐らく江戸時代後期には一般化していたと考えられるが、廃れた時期ははっきりしてて団塊世代の適齢期だ。
ちょっと脱線だが老松町という地名があったり地名変更で無くなったが祭りの町内会名や祭りの神輿や山車の提灯なんかで出てきたりする。
でも昔は結婚式では「必ず」高砂の祝言を謡ったのだ。『高砂』の内容とは、神主が兵庫県の高砂で老女老男に出会い、我らは片や高砂の、片や大阪市住之江区の住吉大社の老松だと言われる。小舟に乗って去った老夫婦の後を追って船で住吉に向かうと、住吉明神が神々しい舞を見せた、というものだ。
まぁ今は埋め立てで遥か内陸になってしまって阪堺電軌じゃないと行けませんがね…。
この「老松」なのですよ。昔は結婚式で必ず仲人が高砂を謡った。故に門出の歌なのですな。
関東大震災で下町が壊滅すると多くの人が板橋区とか池袋、世田谷、杉並などの郊外に移り住んだ。すると農村の人口が増えて村から町になり区画も分割される。そこでめでたい瑞祥地名として新婚の門出と長寿と願って老松町というのが増えた。
でもその後字面が年寄臭いって事で消えてしまった。『高砂』が廃れた現在から見るとやっぱ年寄臭く見えるけど、それは習俗が途絶えて常識が消えたせいなんでありますな。
会場が教会だったり披露宴でフォークソングとか歌うし高砂やはやらないしで、この新しい結婚式に保守的な人らは憤慨していた。
どのくらいかというと、わざわざ入試問題に新型披露宴を批判したり、親戚のオヤジがマイクを渡されてフォークソング披露宴への憤懣ぶちまける説教演説したのを現代文の問題で出したりするくらい。そんなのを入試に出すなよ。過去問としてアーカイブされて10年以上参照されるんだぞ。
しかし芸能人などが次々とキリスト教式で挙式するようになる。するとこれは大きな需要であるから「ブライダル業界」が立ち上がり、洗礼とかがない宗教的に気軽なキリスト教式結婚式を提供するようになったのだ。それまでは互助会のような組織が主だった。
ホテルなどでの挙式よりは断然安い。しかし教会での式よりは断然高い。
だから団塊のイエへの抵抗から始まったブームが大きくなって70年代中頃に業界化し、80年代には完全に一般化してこっちが主流になったのである。だが80年代には色々行き過ぎて珍妙な式が行われており、それでまた年配者の顰蹙を買ったようだ。ハイジみたいなブランコで新郎新婦が登場とかラブソングカラオケ熱唱とか色々おかしい。
だから「なんで偽物の教会でやるの?」と聞かれたら「それが昔は近代的な解放だったんだよ」「その意味が社会から消えても形式と業界がそのままになってるんだよ」「貴方の国の若い人らもハングルやひらがなを混ぜて書く事があるけど、それも同じ抑圧からのサブカルチャー的解放の意味があるんじゃないの」と言えばよい。
それとは別にやっぱあの形式の結婚式にはダサさを感じるし、偽物の教会も中途半端で教会建築への理解の少なさが出ちゃってる。標準的形式の練り直しはすべき時期かもしんない。
自分はマッチングアプリ経由ではない婚活だけど、ここに書いてあること、ほぼ全て似たような覚えがあるな。
わかる。婚活中は全奢りだったから、その気質はわからんかった。今はいったんもらってから、9円以下の小銭はつき返してるで。
わかる。先日、一緒に見に行って、ある家具を新調したが、組み立てを丸投げされた挙句、「思ってたのと違う」を連発されるのには参った。ストレス耐久性チェックかな?もう買っちゃったんだから、どう活用するか、または最悪返品や売却するのかを考えてくれ。
わかる。あー途中から友達呼ぶ話になり、人数合わせ、両家の服装レベル合わせ等、いろいろ言われたなあ。
嫁からすれば俺の親戚づきあいというか友達を含む交友関係はかなり希薄だという
同級生→10年どころではなく会っていない。というか結婚式や葬式に呼ばれたことすらないし年賀状も皆無
親戚→名字程度は知っているがもちろん連絡先は知らない
そういえば元職場の同僚の人が唯一友達と呼べるかもしれないが、逆に言えばその人くらいしか話す人はいない
この年になると結婚式や場合によっては葬式の頻度が上がるんだろうけど、2年くらい前の従兄弟の葬式以外に参列したことがない
極めつけは親戚なんだが、母親の妹が実家の近所に住んでいるがその人が姉か妹かを知ったのはごく最近
他の親戚に関しても中学時代に少しだけ交流があった程度で誰と誰がどういう関係なのかという相関図はまるでわかっていない
母親がちょっとあれなせいで親戚一同からかなり避けられていたからな
年賀状を書く風習もないし季節ごとの贈り物や冠婚葬祭とも無縁な生活を送ってきたけど、嫁からすれば親戚の名前もまともに言えないことに驚愕された
ディズニー、何度か行っているけど最近はキチガイの巣窟な気がする。
ここで結婚式あげた子、たまに言動変だなあと思ってたんだけど彼女の家でゴタゴタしている時に少しでも慰めになるならと思って美術館誘ったら
会うなり早々ディズニシーに行きたいとずっと言い続けてまあ入場料払えなくもないし、とも思い予定変更して行ったら美術館向けの服に潮風が吹き込んで、すごい体調悪くなってきていた。
それを伝えると、人が変わったみたいにブチ切れて叱責しまくり、「体調が悪いなら体調悪いって顔に書いておきなさいよ」とか
「昨日仕事で嫌な事があった」(私もあなたよりも下に人がたくさんいて嫌な事もあるけど、休みの日にディズニーで体調悪い人にわがまま言える免罪符になるとお思いか?)とか
「こんな人混みで文句を言うなんて向いてない」(あなたが連れてきたのだが)とか
「高級お散歩なの」(入場料があるだけでどこが高級なのかさっぱりわからん)とか
本当バカ丸出しみたいな発言を連発するくらい豹変して怒り始めてるのを面倒だから横で聞きながら放置しつつ、休むところを探しても人がいっぱいだし、医務室を探そうとしたらブチ切れるし、だんだん意識が朦朧とするくらい気持ち悪くなってるのに、ずっと彼女は自身が思う「ディズニー楽しい生活」が私のせいで出来なくてブチ切れてた。
正直ここまで頭がおかしいのは知りませんでした。
家や職場でゴタゴタするよね。そりゃ。
20年くらい付き合いがあったし、最後に会った時は某社で工業エンジニアとして色々と作ってたはずだけど
以降彼女が何して生きているのかよくしらない。
その時の冷えが原因で次の日から立て続けに持病が悪化して別の症状が出始めて神経がやられ、運動機能に障害が出たり内蔵にいろんなものができたり普通に生活できるようになるまで年単位で時間がかかった。
そんなにディズニーシーが生きている友人を蔑ろにしても良いくらい好きなら、死んで遺骨でずっといればいいんじゃないか。普通の人みたいな顔して生活される方が迷惑だよ。
この事以降、あんな欧州や中東の文化をむりやり切り貼りをしてデザインした建物が乱立して、文化とはおおよそ言えないようなめちゃくちゃな所にあるゴテゴテした遊園地が楽しいとかある程度分別のある年齢の大人が感じるているのは、ちょっとセンスがやばいとしか思えないし、ディズニーはともかくTDR好きな人見るとイカれてるとしか思わなくなった。あそこが夢の国なんて今は大嘘だよ。ただの建築とメンテナンスにお金をかけた大型商業施設って忘れちゃだめだよ。
子連れの親が子供を遊ばせるか、修学旅行の子供が遊ぶか近隣のヤンキーのデートスポット程度の扱いが関の山だよ。
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ディズニーで無理やり謝らせおばさんに泣かされた話を受けて書きました。あそこ赤ちゃん乗せてストローラーで人にぶつかって行く人とかいるから怖いよ。
治安いいと思ってた友人が豹変して人が変わったみたいにわがまま放題になったのも恐怖。
上着は買いたいけど水避けポンチョしか目に入らないし(店とか入らせてくれない)出口のあたりでやっと家族連れがきてるフリース見つけて防寒着あるの知った。服とかないのかと思ってた。
20年も付き合いあると分かったつもりになってたけど人って分からんなって。
坊主憎くて袈裟が憎くなってるのと同じ構図…な気もしたけど、TDRてこういう行動取る人量産してない?
あと同性同士で行きました。すぐ下心とか言う人大丈夫?
本気でこの後1年、色々あって死ぬかと思った。
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追記の追記でもないけれど。anond:20221010222825