はてなキーワード: 格闘家とは
「例えば、二次元少女が過度に露出する広告を批判するなら、同時に二次元少年が過度に露出する広告もおかしいと批判した方がいい。」
なんでフェミニストがそこまでやらなきゃならないの?
このポスターがそんな不快だと思うなら不快に思う人達が「近畿2府4県鉄道警察隊に対して」抗議すればよろしい。
でも実際にはよく引き合いに出されるananの表紙と同様、あくまでもフェミニストに対する当て擦りしかしないんだよね。
https://www.police.pref.osaka.lg.jp/sodan/sodan/1/13360.html
ていうか見る限り、このコラボポスターで性的に取れなくもない要素があるのは右端の一枚だけだし
それだってフェミニストから性的搾取の要素として常々指摘される、恥じらいや無防備等の要素がゼロなんだよね。
単に肌面積の露出のみで判断してエロいかどうかを機械的に決めてるならそうなるんだろうけれど
でもほんとはそうじゃないってちゃんと分かってるんでしょ?
右端のポスターはTHE 虎牙道っていう元格闘家のグループらしいし、この程度の露出は経歴に合っていて自然ともいえる。
まあ、このポスターが二次元の少年の性的表現だと本気で思っているなら近畿2府4県鉄道警察隊に抗議したらいいよ、別に止めないから。
でもどうせしないんだろうね?アンチフェミの目的はフェミニストに難癖をつける事にあるのであって二次元の少年の表現を本気で問題だと思っている訳でも何でもないし、何よりも警察のような公権力への批判は怖いから。
一番厄介なのは、たった1人で怨嗟を溜め込んで暴発する一匹狼タイプのイカれたヤツだから暇空茜は本気で居場所が特定できないように宿を転々として活動したほうが良いと思う
どっかの界隈がとか集団がとか揶揄されがちだけど一匹狼タイプに付け狙われたら本当に対処しようがないので暇空茜は今の活動が納得できる終わりが見えるまで逃げ続けて欲しい
雲隠れの足しにするカンパくらいはするので俺の所在地はココだ!みたいなアピールはしてくれるなよ
もちろんオフ会とか講演会みたいなのも開いちゃダメ!
世間へのアピールは一貫してネットを経由してやろうな!
そういう会を開きたいならオンラインミーティングでイイじゃん!
わざわざ身を危険に晒すリアル開催する必要なんて一切ない!
報道各社からの取材の受け答えも「あとでチャットとかでお願いします」と最低限にして、裁判所までの移動はタクシーとか車両での移動のみにしようぜ!
裁判公聴できそうなら予定が合えば見に行ってカバンを盾にするくらいはしてやるけれども素人の守りになんて期待すんなよ!
俺はタダのカメコだから弱い!でも写真・映像記録はお手の物だ!カメラ使える環境でなら360°撮影とかして一切合切記録してやるぞ!マスコミの顔だって全部だ!データ無加工で全部丸っと渡してやるからな!
ボディーガード雇うなら背景わからん素人使うよりも大手警備会社のプロを雇えよ!プロを!格闘家よりもセコムや綜合警備保障、セントラル警備保障とかだぞ!
全部終わったらゲーセンで一緒に遊ぼうぜぇ〜!!!!!
ごめん!俺さ勝手にお前のこと友達だと思ってっからぁ!!!wwwww
みんなでいつか馬鹿笑いしながら遊ぼうぜ!!!!!!
勉強も趣味も死ぬほどやってきたから勉強しとけばな…って後悔したことなかったけど
最近ネットの20代友人にYouTubeやらないか?と誘われてそういう仕事レベルで時間が必要な趣味をやってこなかったことを後悔している
仕事柄音も映像もわかるから声をかけてきたんだろうけどYouTubeに毎日5時間費やすなら仕事のための勉強と休息に費やさなきゃと思ってしまう
仕事をやりつつ何か他の活動をやるなら、若いうちに活動の下地を作っておかないとできない
アウトプットの機会が増えてスキルの幅は広がるだろうけどおそらく誰もが手に入れられる手広い知識が上乗せされるだけ…
自分がやってきた趣味は割と仕事周りのことだけで、仕事から大きく離れた趣味に手を出す勇気を持つのは難しい
ゆたぼんって実は人生における正解を歩んでるんじゃないかなと思う
僕と彼の行っていた大学は近くに名のある寺があり、そこに文豪や歌舞伎役者や芸能人の墓があった。
彼は雪深いところから進学のために上京してきたが僕と幾人かの家にこもりがちな友人を作った他はその寺をうろうろとしていたようだ。
僕は何度か彼のうろうろに付き合って道道に彼の今日の訪問先の説明を聞き、かの有名な誰それがまでは面白く感じていた。
しかしいざこの墓石の下にその人の骨があると言われても大して楽しくはなかった。
野球選手やプロレスラーだか格闘家だかの墓となると僕はもうさっぱりわからないので、そうなんだ、へえ、そうか、はあん、などと相槌を打ちつつ右から左に流して歩いた。
彼はそこそこに稼げるアルバイトを見つけてから国外にも足を伸ばし、あちこちの墓の写真を撮っては内輪の会話にアップロードしていた。
四年になりめでたく内定ももらって日がなだらだらしていた頃、僕でも知っているような高名な哲学者の墓に行くと彼が言い出した。
しかしその墓のある国は少し思想や治安が日本と異なり、またその場所自体が割と政治的係争のあるところだった。
僕は友人と飲みに連れ出してやんわりと今回は危ないのではないかと言ったが、意に介してもらえなかった。
彼は日本人が物見遊山では行かないような国の名前を出して今までもあそこやどこそこに行って大丈夫だったと言う。
僕は彼の素気なさに、酒が入っていたせいか日頃の色々が積もっていたせいか苛立ち、怒りを爆発させてしまった。
店の中で大声を出して友人に雪の降る店外に連れ出され幼児のようにぶんむくれた僕はそのまま地下鉄に乗って帰った。
それが彼と会った最後だった。
スーツを着て内定式に出て多忙な日々を過ごし慣れた頃に結婚し程々に幸せを理解してきた頃、彼の訃報が舞い込んだ。
彼は雪深い故郷の病院でお母さんと従弟に見守られて息を引き取ったそうだ。
僕は物見遊山を口実にして妻を旅行に連れ出し、最終日に日帰り温泉に行かせてひとり彼の墓を参った。
彼の骨はその墓石の下にある。
しかし大して楽しくはなかった。
彼はまだあの哲学者の墓の前にいる、僕はそういうことにした。
「日本代表が勝って残念」と言う気持ち自体は分からなくもない。
例えば、俺も自分が嫌いな日本人格闘家が好感のもてる外国人格闘家と対戦するならその外国人格闘家の方を応援するし、嫌いな日本人格闘家が勝ったら残念に感じる。サッカーの日本代表についてもそのように感じる人は当然いるだろうと思う。
問題なのは、メジャースポーツの日本代表チームが勝って残念、という気持ちを表明することが一般的な有権者の多くから反発を買うであろう、という事の予測ができていない事だ。
彼らは反体制エコーチェンバーの中にいるので、人気スポーツの日本代表を貶しても賞賛されると勘違いしている。勿論、コアな支持者からは賛同されるだろうが、それが世間一般の感覚と違うことに気付いていない。
メジャースポーツの日本代表チームが勝って残念と思うのは個人の自由だから何の問題もないが、選挙に勝って政権を獲得しようと思っているなら、もっと頭を使え。
このエントリは昨今の暴力性について思うところがあり書かれた。
具体的に言えば「直接的な暴力は禁忌されると主張されながらも言葉の暴力については無頓着である」ことに違和感を覚え、皆様が抱える心の問題について何らかのヒントになればと考えて作成している。
猟師とは、現代でもある意味でその暴力性を野放しにされている職業の1つだ。
銃火器や罠が法的に制限されている程度で猟師の暴力性がすべて制限されているわけがなく、私自身も含め家の業(わざ)として猟師の技術を継承している人たちは箸一本あれば大抵のことはなせると言うだろうし、それがナイフやキリであればより効果的な使い方が出来る。
言うまでもなく私達は様々な命を奪い取り生計をなす者達であり、警察や軍隊や武術家や格闘家などと近似した暴力の専門家である。
法的な制限が緩いのは偶然であり、単に目立たないからそうなっているだけで機会が訪れればいくらでも法的に制限はされるものであると推測している。
私は猟師の技術を祖父と父に仕込まれたが普段から口すっぱく言われ続けたことがある。
「みだりに暴力を奮ってはならない」
私の心の成長に合わせ「みだりに暴力を奮ってはならない」の解像度は高くなっていった。
多くの人々は「みだりに暴力を奮ってはならない」と目にしたとき「そんなことは当たり前だろう」と考えるだろうが、今まさにあなた様が直感した意味の「みだりに暴力を奮ってはならない」とは少々違う教えを私は受けている。
なぜ私があなた様の想定を推測できるのか?と言えば、私自身も幼少期の頃はあなた様と同様の「みだりに暴力を奮ってはならない」と考えていたからである。
もしかしたらこれを聞くと大反対したくなる方も居るかもしれないが「みだりに暴力を奮ってはならない」は「みだりに」なのだ。
つまり絶対的な禁忌として暴力を封じた教えではなく、限定された条件がであれば暴力を発動しても良いとした教えである。
そもそも我が家は猟師であり、暴力の発動をなさねば食うに困り生きながらえることが困難になるので絶対的な禁忌として暴力を封じることができないという事情もある。
私が中学生のとき上級生と殴り合いの喧嘩をしたことがある。
今振り返れば喧嘩という表現すらおこがましく、先輩から最初の一撃を食らったので反撃へ移り一方的な状況にしたと表現したほうが良い。上級生は肋骨と肘関節にヒビが入った。もちろん意図的にやったことである。解体の応用だ。
それを知った祖父と父は激怒した。特に祖父は激怒しながら私へこう言った。
「男の暴力は大事なものだ!大事なものだからこそ最後まで取っておくんだ!男にとって大事なものなんだ!宝物なんだわかるか!」
祖父は激怒していたので「男にとって」と勢いあまって言ってしまったが、今の大人になった私は「人間にとって」と解釈している。
あなた様が「みだりに暴力を奮ってはならない」と聞いたとき「暴力は宝物」という解釈はあっただろうか?おそらく無いだろう。
中学生だった私は祖父のこの言葉へ衝撃を受けた。今まで暴力は絶対的な禁忌として教えられていたものと確信していたのに、そうではなく大事なものだからこそ簡単に奮うなという教えであったことに気付いたからだ。
あまりの衝撃に当時の私は自分はなんてことをしたのだろうと心から深く反省したし、2度と喧嘩で暴力を使わないと自分ルール、戒めとして持つようになった。
(※中学生時代の私から暴力を受けた先輩はオブラートに包めば普段から大人たちを困らせる「やんちゃ」なタイプであった。偶然にも私へ「ちょっかい」をかけてしまったのだ。)
私はこれらのことから「皆様の大事な宝物である言葉の暴力」について今一度考えて欲しいとお願い申し上げたい。
特に子供を持つ親であるのならば「暴力は大事な宝物」という表現の解像度は一層高いように思う。私も親となり解像度が高まった。
独身であっても例えば「法律上の緊急避難」や「法律上の正当防衛」「警察や国軍の暴力は合法」がなぜ成立するのか?という部分で高い解像度を得られると思う。子供が出来るまで私は「暴力は大事な宝物」という点で納得感を得ていた。警察や国軍であってもみだりに使えば違法化しますしね。
「言葉の暴力」を「大事な宝物」と解釈したとき、その答えは十人十色となることが予想されるが私はそれで良いと考える。
最後に、男であっても女であっても、リベラリストであってもフェミニストであっても、あなた様の言葉の暴力は大事な宝物であるからこそ、みだりに奮ってはいけないのではないか?と提言をよせてエントリをしめたいと思う。
酔っ払ったオッサン、何故か社外でも偉そうなオッサン、イキった見るからにチンピラorちょっと鍛えてる風の若者〜オッサン、
こういう人らが電車のお客様同士のトラブル起こすものだとばかり思っていたが、そんなことはなかったでござるの巻
広告・WEB系でウェイウェイ言ってそうなチャラいけど髪も服装もキメてる細い若い兄ちゃんが
メガネの大人そうな細いオッサンにいきなり肘鉄かましてたわ。空気凍ったよね
なにこれ110番した方がいいの?って思ったが
メガネの大人そうな細いオッサン、『なんなんだお前は』と速やかにチャラい兄ちゃんの後頭部に掌底打ちかまして反撃してたわ
やっぱ喧嘩慣れしたチンピラ同士戦いや格闘家同士の戦いでもない限り、タッパ(身長)がものを言うんだなぁと思ったわ
なお、チャラい兄ちゃんは相手を間違えたと思ったのか、掌底打ち食らって我に帰ったのか、逃げてった
母親顔っつうか、単純に「自担」認識の延長上が「うちのアクシアをよろしくお願いします」だと思うんだよな
ぶっちゃけ、ネット上でこういう消費のされ方したくないなら、「バ美肉」被ってネット活動するなよという思いしかない
普通に顔出しタレントなら、「生」の配信でこんな絡まれ方しない(本当か?)
こういうタレント活動(自分のナニカについて、相手からの歓心で食う仕事)で、自分のイメージと違った方向に行くならきついとは思うんだが
それを客に言うのは違う
イメチェンして、客層を変えるべきで、自分は変わらず客層そのままに扱いを変えてくれとか
「お前は何を言っているんだ?」と脳内で格闘家がしゃべるレベル
いやいや、お前それ言うなら、今の仕事辞めて言えやってのあるじゃん
そういう意味では、件の人は「辞めた」わけで
おぉ、えぇ判断したなって感じ
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【治部れんげ先生ツイッター】(https://twitter.com/rengejibu/status/1545200207679602688)から引用
“氷河期世代の支援が遅れたこと、政府の問題は当然として、メディアも他人事と思わないでほしいです。
2002年頃、記者をしていた経済メディアで、この問題を取り上げた時、当時の副編集長世代と自分(20代半ば)の意識ギャップを感じました。
企画提案しても、「好きでアルバイトしてる人たち」でしょ、という反論が返ってくる。就職難しい世代とバブル世代の自己責任論(他人に向けた)の差を痛感しました。
たまたま「理解ある副編集長」が会議で何度も交渉してくれたから特集記事になったけれど、
あの時期、氷河期問題提起のコンテンツを、色んな形で出すべきじゃない、って言ってた
メディアの人に政府の無策を批判する資格はないと思う。あなた達も共犯。”
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治部れんげ先生に、「批判する資格」はおありでしょうか? 「あなたも共犯。」ではないのですか?
治部先生の批判はブーメランのように先生ご自身に返っていくように思います。「どの口」でおっしゃっているのでしょうか?
2002年12月23日号 の 「日経ビジネス」 の 「特集 若年失業の罠」で、確かに 治部先生(たち)は「若年失業を放置していれば、国全体が沈みこむことになる」とお書きになりました。それは、すばらしいです。
しかし一方、同じ2002年の12月、そのわずか2号前の「日経ビジネス」12月9日号で、
治部先生は『女格闘家VSレ●プ魔』といった「レ●プもの」など鬼畜系を得意とするソフト・オン・デマンドの創業者を
「正論を貫く姿勢が、迷える若者の心を打つ」と称賛していらっしゃいます。
https://pbs.twimg.com/media/FXS8-IFVQAYUioX?format=jpg&name=4096x4096
ソフト・オン・デマンドは治部先生が取材をするすぐ前、1998年や99年にも無職少女(17)をアダルトビデオに出演させたり、有名アスリートに全裸で競技をさせたりという酷いことを強要して、
治部先生が取材した社長自身や幹部、監督が逮捕されていたにもかかわらずです。全国紙でも報道されましたし、それらは当時誰もが知る事実でした。治部先生がご存知ないはずはなかった。
日本で最も信頼されているビジネス雑誌で、そういう企業や経営者を好意を持って取りあげたのは、
女性に対する明らかな人権侵害を積極的に許容したことにならないのでしょうか。
「ハハハ、そんなのもう20年前のことじゃないですか(笑)」と笑ってごまかされるのかもしれませんが、
治部先生がいま声高に批判されているのも20年前のマスメディアの方々です。
治部先生の論理と言葉をお借りすると、「治部先生も共犯!」ということにならないのでしょうか?
治部先生は、他者には厳しく、自分には甘いだけなのではないでしょうか。
そして今、治部先生が何の反省の弁もなく、伊藤和子先生などの「AV出演被害防止・救済法の実現を求める会」の賛同者に
しれっと入っているのは腑に落ちません。
本気で選ぶセガサターンミニ収録タイトル予想2022夏 - 分析編2
『BEEP! メガドライブ』の後継誌『セガサターンマガジン』にも読者レースは引き継がれた。採点の出典は『サターンのゲームは世界いちぃぃぃ! サタマガ読者レース全記録』。
メガドラ時代に較べて全体的に採点がインフレ傾向にあることもあってかソフトの数がとにかく多い。
あれは、めちゃくちゃ強い連中の中に悪魔の実っていうチートアイテムが紛れていることが面白さにつながっていたんだけど、10数年前くらいから悪魔の実のインフレに対抗する措置として覇気がでてきた。これは一般人にも体得可能なんだが、これがあるおかげで悪魔の実のチート感が薄れ、結局覇気でなんとかすればいいという感じになっていく。初期に存在したように悪魔の実の特性に応じた対処法が全然描かれない。せっかく能力者共通の海という弱点ですら全く登場しなくなった。
それに加えて悪魔の実と覇気を組み合わせることが当たり前になりすぎている。
カードゲームでよくあることだが「強力なメタカードを出したらそのメタカードを環境デッキが全部採用してしまった」という状況だ
何の面白みもない
悪魔の実自体は決して新規性はないものの海に弱いという絶対的な弱点と能力者ごとの特性があるから楽しめた。それがなくなっているのはマジで駄目なインフレなんだよね。
ジョジョで言うなら、スタンドに岩人間がでてきたのもそう。スタンド同士の戦いというシンプルな構図でいいのに、岩人間という別のスキルを導入して話がブレブレになっていってしまった。
自転車レースだと思っていたら超能力者が出現していつのまにかみんながその超能力に目覚めるとか、そういうの。最初のバトルがみたかったのに超能力はやめろと。
あとは主人公だけが持っている能力が実はみんなが持っていたましたとかもね。風呂敷広がると他のものと比較しないといけなくなって面白さが逃げる。