はてなキーワード: 時代劇とは
自分のベスト100選んで、「またかよ」って思われそうなタイトル抜いたらいいぐらいの数になったので書くよ。
※試し読みとかあるのはできるだけリンク貼ったよ。
・ぷらせぼくらぶ(1巻完結)
http://sol-comics.shogakukan.co.jp/solc_dtl?isbn=9784091886385
大橋博之のアシスタントをしてた奥田亜紀子のデビュー作。題材としては『桐島、部活やめるってよ』的なスクールカースト。
主人公であだ名が「毒まんじゅう」の岡ちゃんと、イケてる「向こう側」の人とのなんとも言い難い関わりを、綺麗なトーンワークで描いている。
「自分で始まり自分で終わる岡ちゃんの恋は、クライマックス以外のバリエーションが無い」という掴みから引き込まれてしまう。
・ケンガイ(3巻完結)
http://sol-comics.shogakukan.co.jp/solc_dtl?isbn=9784091847904
レンタルビデオ屋を舞台にした、フラグの全く立たないラブストーリー(仮)。
主人公で普通のイケメン・伊賀君が惚れたのは、映画を観ること以外のことに興味を持てない、バイト内で「圏外女」と言われてしまうような白川さん。
自分も映画観て勉強したり努力するんだけど、一緒に映画観てても全然いい雰囲気になる気配はなく。
好きな人に映画のチケットあげたら「伊賀くんはあたしを買収して何がしたいの?」「SEXですか?」「します?」って死んだ目で言われるの、キツすぎる。
あと、この漫画読むと映画観たくなる。(自分は『エレファント・マン』を観た)
・たまりば(2巻完結)
http://maoh.dengeki.com/tamapon/
「溜まり場」である「多摩リバー」を舞台に、女子高生・美和とアラサー会社員・ハルオの恋を描いた作品。
女子高生の「青春」をいい年こいた人間が奪っていいものか、という問いかけ。
これをヘビーに味付けすると緑のルーペ『こいのことば』になるのかなあ。
・さきくさの咲く頃(1巻完結)
http://www.poco2.jp/comic/sakikusa/
『ぼくらのへんたい』でプチブレイクしたふみふみこの、奈良に暮らす幼馴染3人の不器用な関係を描いた作品。
ビターな恋愛。ふみふみこはセリフに無駄がなくて、感情をえぐり取るのが上手い。
https://viewer.yondemill.jp/?cid=1196&u0=3
『椿荘101号室』でハマったウラモトユウコの作品。高野文子っぽいタッチのいい線を描く。
本作は女性の身体のパーツに関するオムニバスで、個人的には『キミの脚』という話が好み。
フェティシズムを刺激される。↑の試し読み読んでほしいんだけど、服を脱ぐ描写にこだわりを感じる。
ほんとにいい線だ。
http://mag.kawade.co.jp/mama/pdf/%E3%83%9E%E3%83%9E%E4%BA%BA1-1x.pdf
自分が子育て経験ないもので、端から端まで目から鱗、というか自分の想像しようのない部分を埋めてくれた。
同作者の『母がしんどい』も秀作。
・誰も懲りない(1巻完結)
https://note.mu/nakamuraching/n/n5680094105e2
『羣青』の中村珍作品。一見「理想的」な家庭の裏で何が起こっていたか。
どこまでが実話なんだろう?となるほど、表現がリアルで肉薄してくる。
ほんと誰も懲りなくてどうしようもねえな、とタイトル通りの感想。
読んだら1日は活力奪われるほど重くて苦しい。
http://www.shodensha.co.jp/sayonaragirlfriend/
(こんなちゃんとした特設サイトあるぐらいには期待作だった)
今年初めに出たばっかりの新鋭の作品。山内マリコの『ここは退屈迎えに来て』が好きな人はぜひ読んでほしい。
いわゆるファスト風土の話。
自分が地方出身都会住まいなこともあって、作品全体を覆う閉塞感のようなものにすごくシンパシーを感じた。
・宇宙を駆けるよだか(2巻続刊)
http://www.s-manga.net/omf/omf_978-4-08-845351-4.html
美人で性格もいい主人公と、ブスで性格の悪い同級生の身体が入れ替わってしまう。
設定的には松浦だるま『累―かさね―』に近いかもしれないんだけど、これを少女漫画の文脈に落とし込んだのが尊い。
「主導権は常に外見が優れた人間にある」「あんたら美形はいいわよね キレイごと並べてればそれが正義になるんだから」
http://comic.pixiv.net/works/790
BL作品。自分はノーマルなのでいわゆるイチャラブ系のBLや百合は読まないのだが、これは凄くよかった。
http://blog.livedoor.jp/aki22two/archives/1802123.html
このブログを読んでみてほしい。ちなみに百合でいうと「私の世界を構成する塵のような何か。」が好きです。
ギャグマンガ家・地下沢中也のSF作品。全ての事象を予測できるオーバーテクノロジーのコンピューターが開発され、それが人類の滅亡を予測してしまったら?という話。
こう書くと平凡な印象を受けるかもしれないけど、ストーリーテリングが秀逸なのです。
いがらしみきおの『I』といい、ギャグマンガ家の描くSFって独特の雰囲気があって好き。ただ次の巻がいつ出るか未定で、もう4、5年生殺しを食らっている。
見ての通り息切れしてきたのでこのへんで終わりますが、↓のもおススメなので興味あったら読んでみてください。
故・青山景の作品。「よいこの黙示録」が未完なのが本当に惜しい。日本は貴重な才能を失ったと本気で思う。
・まちあわせ(1巻完結)
http://kc.kodansha.co.jp/product?isbn=9784063770209
・68m(1巻完結)
http://csbs.shogakukan.co.jp/book?book_group_id=9362
http://morning.moae.jp/lineup/451
ノワ―ル時代劇。道を踏み外す怖さ。
http://csvt.tank.jp/img/rtk/rtk1.html
・変身のニュース(1巻完結)
http://morning.moae.jp/lineup/376
つげ義春、華倫変の系譜に連なる宮崎夏次系のデビュー作。これが一番トガってる。
当時どのくらい有名だったのかわからないのだけど。
http://afternoon.moae.jp/lineup/187
とても切なくて、とても綺麗な話。
・男の操(1巻完結)
http://www.shogakukan.co.jp/books/09186865
妻を亡くした演歌歌手が歌い続けて、売れて、そして死ぬまで。ギャグなんだけど、最後は泣くしかない。
・名勝負数え唄(1巻完結)
http://sokuyomi.jp/product/meishoubuk_001/CO/1
・星のポン子と豆腐屋れい子(1巻完結)
http://www.moae.jp/comic/hoshinoponko
小原愼司とトニーたけざきの素晴らしいタッグ。1巻でよくまとまってるSFってだけで自分の中での評価が上がってしまう。
・透明なゆりかご(2巻続刊)
http://kc.kodansha.co.jp/product?isbn=9784063409574
仕方ないんだけど、なんかヴィレヴァンっぽいラインナップになっちゃった。
反応あってうれしい。
→訂正しました。偉そうに言ってて恥ずかしい。
・サブカル臭がキツい
→冒頭でも書いたように今回は「またかよ」系(明らかな名作であったり、こういう類の記事で頻繁に上がるもの)の作品を除いて書いたので、人によってはサブカルっぽく感じても仕方ないかもです。
『NARUTO』とか『HUNTER×HUNTER』のジャンプ系も100には入ってましたし、『ギャングキング』とかも。『プラネテス』、『惑星のさみだれ』も。
皆さんのおすすめも聞いてみたいです。『弾丸ティアドロップ』は未読でした。
寝て起きたらけっこう読まれてた。
ブコメで上がってる中だと、
http://kc.kodansha.co.jp/product?isbn=9784063806786
http://kc.kodansha.co.jp/product?isbn=9784063842906
『ネムルバカ』
『不死身ラヴァーズ』
http://kc.kodansha.co.jp/product?isbn=9784063949261
あたりは100に入ってました。
既にそこそこ有名かと思って外してました。線引きが雑でしたね。
http://anond.hatelabo.jp/20151018015453
というのがありましたけど、本当に不遇ですよね。もっと知られて然るべきだと自分も思います。
専業家庭の朝のドタバタと、共働き家庭の朝のドタバタは本質的に違う。家族を送り出して、母親がやれやれと一息・・・とはならねえよ。
子供視点なんだから、朝のドタバタの後に続くのは子供の学校描写であって親の描写なんてされないだろ。
今のアニメ業界じゃ玩具展開も円盤商売も出来ない新作アニメなんてつくれねえよ。
あと現代だとそもそもああいう「ファンタジー的な幸せ家族」なんて誰も信じてないんじゃないの。
サザエのような時代劇なら許せても、現代舞台であんなファンタジーじゃリアリティが無いと叩かれそう。
かと言ってリアリティ重視で「ブラック企業勤めで過労死寸前の父、仕事と育児の両立で疲弊する母、勉強に追われる子供」なんて描写にしたら
それはそれで叩かれるだろうしそんなもん子供と見たくない。
実際、「うちのママはどうしてまるちゃんやしんちゃんの家みたいにずっと家にいてくれないのか」って子供はいるんだよな。
専業家庭の朝のドタバタと、共働き家庭の朝のドタバタは本質的に違う。家族を送り出して、母親がやれやれと一息・・・とはならねえよ。
そりゃ興味の持ち方が違うって話であって、サザエさんでもしんちゃんでもまる子でも、どんだけ親との関係が描かれているか、ちょっとみればわかるだろうに。
よくわからんこそ、「なんで来ないの?」ってドラマになるんだろ。はい分かりました・・・では話に起伏も何もないだろうな。
共働き家庭を「さらに少数派」ってどんだけ認識古いんだ、お前。昭和脳?
90年代初めに、共働き世帯は専業主婦世帯を上回って、差は広がる一方。
http://www.jil.go.jp/kokunai/statistics/qa/a07-1.html
まず子供アニメの主要顧客は子供な。親じゃなくて。それが大前提。
「両親がいない」って、昼間いないだけだろ。朝のドタバタとか、週末をどう過ごすかとか、少ない時間でいかに家族の絆を保つかが、共働き家庭のキモ。
そもそも小学生の子供って親より友達の方が興味あるもんだろ。なのに友達との時間が学校(と学童)に限定されてしまうのは大きなマイナス。
親が参観に来るかどうかが重要な年齢の子だったら仕事の都合なんてよく分からんだろ。もっと大きい子ならどーでもいいだろ。
現代は核家族が圧倒的に多いので、サザエやちびまる子のようなノスタルジーを売りにした昭和アニメならともかく現代舞台ならじじばば同居は「不自然」。
つーか増田は全体的に「共働き家庭を対象としたアニメを作れ!」と主張してるっぽいけど、
ただでさえ少子化なのにその中でも更に少数派を対象にしたアニメなんて商業的に作れるわけないだろ。
そもそも共働き家庭ったって大抵は子供が学校行ってる間だけのパートだからな。放課後も子供預けたり家に放置で夜までがっつりってのは少ないからな。
・たしかにヒロシが働いている描写はないが、家事をシェアする描写もない気がする。あと、母は結婚前は看護師だったけど結婚(女は結婚したら仕事を辞めて主婦になる、という価値観)の設定だったと記憶するが。
両親ともに働いている家庭が一般的ではないという思いが作者にあったのでは? と言えなくもない。
インターネットは誰が管理しているか? ほとんどの人間はこれを気にしない。
インターネットが普及して80年ほどが経過した。無線による生体ネット接続が通用し、網膜に映して必要な情報を得ることが一般化した。
「昔の人間は、網膜の情報なくしてどのように車の運転をしていたのだろうか?」なんて話題が小学校の生活の授業で登場する。
観光地や官公庁の案内が、紙や吊るされた案内掲示板によって確認されていたという祖母の昔話に驚いた。
最近は微力な電力を提供することで、人間の動作の補助をネット経由で行なうことも多くなった。初めは介護施設で試験的に創められ、今では街を歩くときに障害物などに対応して移動の補助を行ないうるようになった。すでに老人だけでなく、生体ネットを持つ者の多くが、この動作補助アプリケーションをダウンロードして日々を送っている。視力を眼鏡で矯正した往時の人々と同様に、動作を矯正して正しい、より強い動作が可能になった。
かつてIPアドレスやドメインの管理はアメリカの民間団体であるICANNによって行なわれていた。インターネットの利便性が人間の身体性にまで及ぶようになった時、些細な、かつ歴史的に何度もあったような、単純な理由をもって、インターネットの支配権をめぐる争いが起こった。その結果、新たな管理者が現れた、ネットを管理している者の正体は複合的な国家とそれから委嘱された営利団体により巧妙に隠されて一般の人間には見えにくくなっている。そもそもインターネットは大変便利で使うに越したことは無いのだが、その仕組みを考えたり理解したりすることは、一般人には極めて困難だ。そしてネットの管理者はその点を突き、管理者の意に沿わない人のネット接続をはじくようにした。ネットは警察権と癒合したのだ。「犯罪者」は、ネットを外された瞬間、見事にぎこちなく、身体動作がガタガタになる。古典的表現で言うなら眼鏡や杖を外されるようなものだ。諸々の視覚情報も得られず、たくさんあるネット認証ゲートの使用もできない。
誰だかよくわからない管理者が露骨にその支配権を表明し、強制的な徴兵や労働を人民に課すようになった。逆らえばネット接続を外されてしまう。そうすれば生きてはいけない。ネットを梃子に人々はたやすく支配された。私はその状況を打破するために、1990年代後半に造られた「もう一つのネット体系」の復原を試み、ほとんど成功させた。直接のデータは紙媒体、それも感熱紙に印刷しており当局もそこまで情報をカバーしていなかったことは幸運だった。ほとんど歴史学者みたいなことを続けて、私はwwwに寄生する形で改良を重ねついに実用段階を迎えた。
「通常」のネットがある日突然使えなくなった。既に私の研究は当局に露見しており、ネットの不正使用ということで逮捕されると網膜に通告がなされた。25分後に警察が到着するという。
私の家は中山といい、代々貴族の家系で家格は羽林家(Urin‐ke)というレベルで中級の貴族だった。貴族制度などから恩恵を得る時代はとうに過ぎて、羽林家だからといって何か得するわけでもない。一つ変ったことといえば、随身(Zuijin)として古代(Ancient)から忍者(Shinobi)として仕える秦(Hata)という一族(Family)がいることぐらいだ。21世紀の今日び忍者なんて流行らず、一族の最後の生き残りであるくのいち(Kunoichi)珠洲子が一人仕えるのみだ。それが必要かどうかは措くが、彼女は先祖からの知識や知恵や武術を高いレベルで継承したという。私より4つ年上だから今年33になるのだろうか。栗毛の短い髪に大きな二重瞼の瞳。顔の造形は美しく、飲み屋でよくナンパされるという。高い運動神経は美しい身体曲線をつくる。足首がキュッとした美脚を30代でも維持していることが自慢なんだよー、とよく私に話しかける。
珠洲子を呼ぶ。「…ここに」時代劇じゃないんだからそんな台詞言わなくてもいいのだが。裾の短い、くのいちの装束を身に付けた珠洲子が現れる。本当にくのいちはこんな格好してたのか? 謎だ。「君に生体接続を試みる。別種のネットだ。」「?」「私は拘禁される。…が君は逃げのびて、支配的なネット規制の現状を打破してほしい」「…かしこまりました」「仕組み、多分使えば慣れるはずだ」「…かしこまりました、任務ということでよろしいですね」「そうだ、任務だ」任務といえば逆らえないのが随身の定め。酷い話だが、彼女を脱出させる唯一の方法だ。別れの際も、普段のように会話できれば良かったのだが。
> 歳をとると時代劇と演歌が好きになるのには理由がある
これって実は「元々時代劇や演歌には全く興味が無かったのに、趣味や嗜好が変わって好きになる」というのは無くて
1、そもそも演歌や時代劇が好きな素養はあったが、マイフェーバリットな作品に出会う機会が無くて、それが時代を経て巡り会い、好きになる
2、もともと無意識には好きだったが、「回りに年寄り臭く思われるのはいや」的なある種の逆中二病的な心理で拒否をしていて、それが年齢をへて拒否する必要がなくなって正直になる
3、そもそもとても好きだったが、回りと話題が合いそうに無いので特に表に出す機会はなく、それが後々機会を得てカミングアウト
のケースが殆どなんじゃ無いかと
歴史上の天皇をネタにしたジョークに触れる機会が当たり前のようにあった
高校や予備校の日本史の授業では先生も生徒も関係なくネタにしていた
無論彼らを侮辱する意図は一切なく、聖徳太子や新撰組や将軍やマリー・アントワネットが
度々フィクションのネタにされているような、そういう無邪気な類のものである
この間、たまたま高校日本史の話題から、平安時代の天皇のジョークの話になった
そうしたら大真面目に天皇(家)に対して失礼なことを言うな、と言われてしまって
その時はたまたまそうなのだと思ったら、バイト先の塾でも、塾長から同様の指導が入った
他にも同じようなことが、ここ二年くらいで結構あった
これだけで一般化をはかるつもりはないのが、もしかして私の認識に大きな誤りがあったのかと不安になった
http://anond.hatelabo.jp/20150117153405
次元大介の墓標 の再訂正を兼ねて
ほとんど同時に銃を抜く二人。
。。。
ほどなく敵役が崩れ落ち、主人公が警句じみたセリフを喋ったり、生きていることが明らかになる。
クライマックスにおける主人公の偽装された死と復活の一種の典型である。
余談だが、チャンバラ時代劇で侍や忍者同士の決闘でこれと同様のシークエンスがみられるのは
前述の「偽装された死」を書いていたときイメージしていたのはダークナイト(ノーラン2作目)のアレっぽいアレによる偽装だったが、
アレはクライマックスではなかったので、増田日記の流れ上はまちがっていた。
この作品の偽装された死(に近い最大のピンチ)はやはりクライマックスにあった。
怪我をおった状態の次元。次元の銃が重く抜き打ち勝負にはむかないかという情報が視聴者に提示される。
直前の要人狙撃シーンからこの間のHOWはやや複雑だが、説明付き準奇跡として視聴者を満足させるものとなっていたと思う。
2014の西部劇コメディ。2014なのでジャンル・メタ化した作品であることが宿命づけられている。
クライマックスはひ弱で射撃の上手くない主人公対リーアムニーソン演ずる凄腕悪者ガンマンである。
前半に「三つ数えたら撃つ、と言っておきながら待たずに撃つリーアムニーソン。なんて卑怯な悪者」という伏線がある。
その情報をヒロインからこっそり教えてもらった主人公も「三つ数える前に撃つ」作戦に出る。
しかし、真似された悪漢リーアムニーソンは発砲された直後から大激怒である。
だまし討ちにかけていたであろう主人公にこの後打つ手はない。ヒロインもまとめてひどい目にあうだろう。
だが…(
ここで奇跡がおき、主人公は死なず、理由が説明される。>フィナーレへ
銃撃による死の偽装はなかなか難しいように思える。
とにかく生きていたんだよ!(仮面ライダーS)方式は昭和も終わって、なかなか通用しないだろう。
だが、銃撃に限らず(ザ・松田、男塾)とにかく生きていたんだ、が巷間に跋扈しているおかげで、前述の
綾波の偽りの死に見えて偽装でなかったという妙なミスリーディングが成立したといえる。
胸ポケットのジッポのライターや保安官バッジが、銃弾を受けとめたから…撃たれて死んだように見えたが死んでいなかった。
というのも、説明付き奇跡の例ではあるが、今ではギャグでしか存在を許されないだろう。
翻って日本だが、日本では少なくとも江戸時代くらいから「仕方ないから助けてやった」「へへーありがたやー」「礼はいらねぇよ」が様式美としてある。助ける方は恩着せがましく礼を要求しつつ、礼はいらねぇと強がる。たぶんこれは江戸っ子のいう粋なのではないかとおもうが非常にめんどくさい。しかし残念ながら我々はその影響をモロに受けており、ゆえに席を譲るにしてもハードルが高いし、譲られる方も断りがちだし、かつ礼はいらねぇというには礼を言われないとならないので、それがないと猛烈に腹が立つのだ。
これって本当にあったの?
時代劇の見すぎじゃないの?
そしてまた、そういう配慮から、当時としてはちょっと変わり者の主人公を立てて「実はこの人こそが現代的な感覚をもった人だったのです!」ってやる時代劇は実にクソだよね。
クソも何も、「時代物のヒットの秘訣は登場人物に現代的な価値観を持たせること」ってのは定説なんだけど。
歴史に基づいた正しいその時代の人間の感性を持たせたら現代人には理解も共感も出来ず楽しめないからね。
「異文化」を描くとしても、それはあくまで現代人の趣味に合うよう湾曲された形で描かれる。
増田の言う「主君の為に命を掛ける」ってのもその典型で、現実の歴史では「主君の為」じゃなくて「主君から貰える褒美の為」なわけ。
だから主君裏切った方が得すると判断すれば平気で裏切るし下剋上もする。
でも時代劇では「主君の為に命を掛ける」事にロマンを感じる視聴者の為にそういう人物像が描かれてるわけだ。
フェミニズムの範疇だと「手籠めにされた娘が『もうお嫁に行けない』と泣く」とか「岡場所に売られた娘が絶望して自殺」とかかな。
現実の江戸時代では女性の処女性ってのは重視されてなかったし売春もカジュアルに行われていたんだけど
現代人(男性)にとってそういう女性像は理解し難いし受け入れられなかったから、上記のような嘘の女性像が時代劇で広く描かれていたわけ。
最近は減ったけど、それも実際の歴史を重視するようになったからという訳ではなく
※とりあえず、ぐちゃぐちゃ書いたけど、あんまり分かりやすくないし多分元増田以外にはあんまり伝わらないと思うんで、おおむねこれは私信みたいなものです。ごめんなさい。
さて、増田の言うような無知無教養の輩が多いのは否定しないけど、「歴史の(それほど悲惨とも言えないような)一コマを現代の意識で断罪するのはいかがなものか」という認識だって、立派な「教養」ではあるよ。その言葉の響きだけから想像して、歴史の一コマを現代の意識で断罪するのは、やってる側は気持ちいいかもしれないがあまりフェアな行為ではないと思う。
たとえば、時代劇を見ながら「主君のために命をかけるって時代錯誤な封建主義wwww」って笑うとしたら、そりゃバカだ。(そしてまた、そういう配慮から、当時としてはちょっと変わり者の主人公を立てて「実はこの人こそが現代的な感覚をもった人だったのです!」ってやる時代劇は実にクソだよね。大河ですらそういうのがあって、実にウンザリするんだけど。)フィクションの楽しみの一つは、「異文化」を体験できるという点にあるのであって、フィクションすら常に自分たちの文化の教養範囲内でしか理解できないし楽しめないとしたら、それはとてもそんな話だし、「異文化」に対するその余りに閉じた接し方というのは、現実において考えてみるとかなり危険なことではないかと思うんだけどね。
まあ、「おーい、お茶」に関しては、「そういう時代があったんだなあ」という時代劇/フィクションとしてそれを享受してる人間(都会育ち・40代以下)と、増田の言うリアルに体験した人間の間で感想が変わるのは仕方ないとも思うんだけど、後者にしたって、やり玉にあげるならもう少し違う対象でしょ、とも思うわけだよ。そんな、歴史の中に消え行く何かよりは、むしろ「今に生きている人間や制度の中に歴然とある差別」を対象にしろよ、と。そっちに目をつぶって(目を向けずに)「おーい、お茶」のことを得意げにあげつらうのは、どうも違うよな、と感じるんですよ。
まあ、フェミニズム分析の手法が、こんな社会の些末な部分にまで「常識的な教養」として浸透してきている現状については、それなりの感慨はあるのだけど。そこは、元増田と意見が共有できるんではないかと思うけど、どうだろう。
ハリウッドと日本なんてパクりパクラれが最も激しい関係だから。
ジョージルーカスは日本の黒沢明の時代劇のようなチャンバラ映画が撮りたくてスターウォーズを撮った。だから「ジェダイ」っていうのは時代劇の「時代」をもじってるんだよね。
それまで映画で(ハリウッド映画じゃなくても)あんなに剣をぴゅんぴゅん振り回して戦うのなんて日本の時代劇しかなかったわけ。だから「ジェダイの復讐」の冒頭で砂漠を歩くR2D2とC3POってのは「隠し砦の3悪人」の冒頭と同じシーンなんだね。
で、この剣がレーザーになってるやつすげーいいじゃんということで「機動戦士ガンダム」にはビームサーベルというのが登場する。
「宇宙刑事ギャバン」もレーザーブレードという名前であの剣をパクるんだけど、その宇宙刑事ギャバンは「ロボコップ」というハリウッドのパクり作品を生む。ロボコップはライダーマンも混じってるんだけど。
ということがとんでもない数あって、その辺をまとめて「パクりの系譜」を書いた本もある。
http://img01.hamazo.tv/usr/iij/%E3%81%8A%E3%81%9F%E3%81%8F%EF%BC%92.jpg