はてなキーワード: 時代劇とは
大学生の頃、コンビニでアルバイトをしていた。烏丸通という表通りから、少し離れた裏通りにあるマンションの1階で、客のあまり多くないコンビニだった。「バイト代は安いけど楽だろう」と思って応募した。
実際楽だった。僕は大学生だったから夕方から夜にかけてのシフトに入った。オフィス街の近くだから夜は本当に客が少ない。仕事帰りに寄る人が数名、近くに住んでいる人が数名、上のマンションに住んでいる人が数名というだいたい決まりきった人数だった。仕事といえば品出しと、掃除と、レジぐらいで、ほとんどの時間はシフトに一緒に入っているバイトの人と喋っていた。夕方のシフトは同じ大学生の女の子や就職浪人している人など、年齢の近い人が多かった。
コンビニでバイトしたことがある人なら知っていると思うけど、シフト交代の1時間は次の人と被ることになる。夜間シフトの人は夕方の人と毛色が違った。基本的に年配の人が多く、夜間は一人で物騒だから男性に限られていた。僕はその、限られた交代の時間だけ一緒になる夜間の人と仲良くなった。
その人は28歳で、とても社交的な人だった。高校を卒業してからは吉本のNSCにいたそうだ。その後コンビを解散して何故コンビニで働いているのか聞かなかったけれど、「機会があればまたお笑いをやりたい」と言っていた。
僕がその人と仲良くなったのはただ「社交的でおもしろい人だから」という理由ではなかった。僕は普段人と話すことも少なく、一人でいることが多かったが、その人とは妙に会話が弾んだ。彼は「君は僕に似ているよ」としきりに言った。僕はそう思えなかった。むしろ対極にあると思ったが、そうやって自分に関心を示してくれることについて悪い気はしなかった。
僕らは二人とも映画が好きだったけれど、映画の話をしても見る映画が全く違った。唯一二人とも見ていた映画は「乱」だった。その映画を見る視点も全く違っていた。僕が感じたのは、シェイクスピアの原作を時代劇に当てはめるとどうしても違和感があるとかそういうことだった。その人が大絶賛していたのは隆大介演じる三郎が死ぬシーンだった。「いつ殺されのか全く気付かなかった。あのシーンで急に馬から落ちる演出は度肝を抜かれた」などと熱く語っていたが、僕にはあまり理解できなかった。
そんな中で唯一分かり合えたのが「笑いどころ」だった。彼は小田原ドラゴンが好きだった。人を蔑む笑いというのは、蔑まれた事がある人によって本当の笑いに変わる。人を蔑んだことがない人や、逆に蔑んだことしかない人には、その笑いを真から理解できない。蔑まれたことのある人が唯一笑いに変えることができる。
彼とは、僕が大学を卒業してからも「バンドを組もう」と誘われたり、就職してからも「君は絶対に社会と合わない。今からでもコンビ組もう!」などと誘われていたが、お互い携帯を変えたタイミングで連絡先がわからなくなり、それっきりとなった。
それからもう5年経ち、いまだに彼のことを懐かしく思う。僕は結局会社を辞め、あの時のあなたと同い年になりました。あなたは今何をしているのですか。
人工知能学会のリニューアルする学会誌の表紙が物議をかもしてて興味ぶかい。
とりあえず、非難の要点は2つあるようだ。
2.女性蔑視っぽいイラストを学会誌の表紙にしちゃう男のひとってサイテー
非難側はそのイラストが女性蔑視かどうかというよりも、そういうものが人目につくところに使われることにサイテーと言っている。言いかえれば、日本人の男性って女性への気配りがぜんぜんないよね! もっと海の向こうの男のひとを見習ってよね、プンプン、というところか。
れでぃーふぁあすと発祥の西洋の紳士には、そりゃあ勝てない。だってだって、そういう文化で育ってないしー、男は背中でかたれ、みたいな文化が日本だし―。
たとえば、
男「ごほごほ」
女「あんた、ほら、薬だよ」(男の背をなでながら)
男「すまんねえ、おれが健康だったら、お前にこんな不憫させないのに」
女「それは言わない約束だよ、それに大好きなあんたと一緒にいるんだ、不満なんて」
男「お前・・・!」
女「あんた・・・!」
そんな時代劇っぽいもののワンシーンも女への幻想でできている! と言われるわけだ。いや、まあそのとおりだけど。貧乏になってまで女が男についていくと思うなよ、と言われたら、まあそっすね、としか答えられない。でも、ついていく女の人がまったくゼロというわけでもないだろう。そこは十人十色、ひとの好みはひとの数だけある。集団でみれば類型化は可能でも、個人でみたらそこに類型的なひとってのはいない。それぞれにそれぞれの理由があって、そうしているものだ。
理性的で金勘定も分かる女が理想であり、みんながみんなそうであるべきなら、貧乏になった男にも尽くそうとする女という幻想は唾棄すべきものだし、場合によっては駆逐してやる! な価値観なのだろう・・・。
で。
非難の内容は分かる。それはそうだ、多くのひとの目にふれるところに「女は女らしく家に引っこんでいなさい」と垂れ幕があったら、べつにフェミニストでなくても非難したくなる。そう思うのは自由だけれど、ひとが嫌がるようなことをするのは配慮が足りないと思う。街宣車がうっとうしいのと根の感情はおそらく同じ。
じゃあ、なにが興味ぶかいかって、それはあのイラストから女性蔑視的なところを読みとるにはちょっと労力がいるということだ。男の子で、女性蔑視とかそういうことを考えたことがない人間にとっては、取っかかりを見つけるのも難しいんじゃないだろうか。
「なんかのケーブルに繋がれた女性形ロボットが箒で部屋の掃除をしながら本を読んでて、なにかに気づいてこっちに目を向ける」という構図。
繋がれている、掃除している、だから、この目は虚ろだね、ああ、女性に旧来な仕事を押しつけるイラストだ。もっと私たちは自由だ、自分の意思で行動する! と華麗に女性形ロボットが本を読んでいたかもしれない描きこみをスルーしているわけだ。
ロボット、女性、繋がれているというフレーズから人形の家のノラを思いだしたのかもしれない。
なんにせよ。
ぼくにはアンドロイドが掃除の途中に読書に目覚めた、という小さな出来事だけれど大きな一歩だ的なイラストにしか見えなかった。
同じものを見ているのに、感じることが違う。これはまさに価値観の違いだ、もしかしたら文化の違いかもしれない。そのときは・・・どちらかの価値観で相手を強制的に上書きすることではなく、譲歩するのか何なのか手を取りあえるといいよねえ。物差しの目盛り上に価値観の違うひとたちが並んでいて、どっちかがどっちかよりも優れているとか劣っているとかではない、と信じたい。
元記事 http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2013&d=0413&f=national_0413_005.shtml
ショーグン(江戸時代の日本の最高権力者)らしき人物が、襲いかかる悪人数十人を次々に斬り倒し、部下に殺害させた後、笑みを浮かべる――同シーンの演出については、日本のネット上では「吉宗強すぎwww」「剣術のリアルや日本刀の構造を無視している」などといった批判の声があがった。同番組は「レギュラー放送終了」という名目で事実上の打ち切りとなっている。
しかし、時代劇ドラマの行き過ぎた演出はこれだけではない。天下の副ショーグンが少数の部下だけで長期間全国を漫遊したり、地球滅亡レベルの巨大隕石が江戸期の東京郊外に落下するなど、なかなか想像を超えるものばかりだ。
解説員の鈴木千帆氏は「エンターテイメント性を追求するあまり、時代劇ドラマでは歴史事実の描写はすでに影も形もなくなってしまった。これは実に愚かな行為である。このような過剰演出が氾濫し、ますます幼稚化する傾向は、青少年に大きな悪影響を及ぼす」と指摘した。
代々Gアニメーション学院映画科の副教授は「芸術は生活から生まれ、生活を超越するものでなかればならない」と言うが、時代劇ドラマもこの真理に当てはまるのか。時代劇ドラマの内容には限度が必要ではないだろうか。タイムスリップして「仮面ライダー」というバイクに乗った現代ヒーローと江戸時代のショーグンが共闘するような行き過ぎた演出は、荒唐無稽であり、もてはやされるべきものではない。
今、腕組んだりへその上に手を置いてる貴様、聞きたまえ。
座椅子がいかに楽か。ということは、聡明なる座椅子愛好家の皆さんなら既にご存知だろう。
だがしかし、更なる楽さを手に入れたいかた、ぜひ脇息を使ってみてほしい。
脇息ってなんだ?って?
時代劇で殿様が肘置いてるあれですよ。あれ。肘掛け。
先日試しに買って使ってみたのですが、非常にいいんですよ。
ほぼ横になってるくらいの楽さ。
楽すぎて、この状態で本読んだりパソコンしたりしていると、
上半身は背もたれへ、下半身は座椅子底面と床へ預けているわけです。
しかし、腕だけは自分の肩で吊ってる、支えてるじゃないですか。
つまり、腕も何かに預ければ、ひとつ上の”楽さ”へとアセンションできるのです!
どこが違うのか分からんなあ。
どのコンテンツも、ある程度は感情移入が必要であるが、コンプレックスや性欲を埋める為に作られているので気持ち悪い。つまり、理想の空想とコンプレックスや性欲の為の空想の違い。現実の外にある世界へ憧れる点に対して、過去や未来の---叶わないと分かっている---可能性に思いを寄せている点が気持ち悪いのだ。
実際には上にまったくたてつくことの出来ない不満を抱えるサラリーマンが、時代劇の中で、あるいは現実のそれとはまったく異なるファンタジーな刑事の活躍に仮託して、「過去や未来の---叶わないと分かっている---可能性に思いを寄せている」のは同等に気持ち悪くないとおかしいだろw
元増田も何も、俺が最初にレス付けた時点ですでに「コンプレックス云々」書いてあるじゃねーか。
刑事ドラマも時代劇もコンプレックスを慰撫する要素がなきゃ成り立たないよ。
そしてそれは性欲(性的欲求)とかセクシュアリティとは別問題だ。
そういう議論がしたいなら「欲求」と書くべきだな。
君の欲望は性欲しかないのか?
刑事ドラマも時代劇も、つまりは嫌いな上司を怒鳴りつけたいとか、しがらみに縛られず横紙破りでスカっと事を解決したいとか、そういう一般市民の欲望を充足する、ようするに「市場に最適化された欲望刺激的コンテンツ」なんだよ。それはエンタメの基本構造。
難解そうに見せかければ難解に語ってくれるんだから楽なもんよね
欲望と言われて女の裸しか思い浮かばない奴にはちょっと「難解」な「解釈」かもしれないなw
・実写化が決まったとき絶対コケると煽られてたのにな こんなことになるとは
・勝因:ジャニーズじゃなくて良かった
・佐藤健だけは神がかってよかった 他のキャストはまあ悪くはないかな
・原作好きにしたらキャストは誰にしたって不満が出る だったらそこは割り切って見てみよう
・武田観柳がガトリングガン撃ちまくって「カ・イ・カ・ン(はぁと)」とか言わんの?
・「さいっこぉだぁ!」
・「おい煙草ぉ!」
・「煙草くらい吸わせろよなぁ!」
・「脱げ!」
・香川照之が一番輝いてたわ 佐藤もよかったけど香川のノリノリっぷりには勝てん
・続編あるのかな
・これだけ売れたら2の話はもう持ち上がってるだろうな 京都編か
・10本刀を5本くらいに減らせば
・最悪10本刀は宗 宇水 アンジ 張 方治 いれば十分。サービスで鎌足出すのはあり
・鎌足でるかな 誰だろう
・どんだけぇ~
・ほうじは香川にやってもらおう
・十人香川
・十本香川か…アリだな…
・チャーリーとチョコレート工場みたいになるじゃねえか!?
・十本刀全員を香川一人でやってよもう
・たまんねえなあ!
・面白いけど映画的な面白さじゃなくなっちゃってるじゃないか!
・どんだけ香川好きなんだお前ら