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2012-01-27

村上春樹の猛々しい想像力 (3/3)

Sam Anderson

2011年10月21日

1 - 2 - 3

翻訳は、村上の作品を組み立てる原理だとさえ言えるかもしれない。

彼の作品は翻訳されているだけでなく、翻訳についてのものだと考えられるのである

村上ストーリーにおける至上の愉しみは、とても普通の状況(エレベータに乗っている、スパゲッティを茹でている、シャツアイロンがけしている、など)が

突然非日常不思議電話を受ける、魔法の井戸に落ちる、羊男と会話する、など)へ変貌するのを見ることだ。

言い換えるならそれは、登場人物が存在論的に盤石な立場から完全な異世界へと投げ込まれ、

たどたどしくも二つの世界の間をとりもつことを余儀なくされる瞬間だ。

村上作品の登場人物はある意味でいつも、根底から異なるいくつかの世界あいだで翻訳をしている。

平凡と奇妙、自然超自然田舎と都会、男と女、地上と地下。

言い換えれば、彼の全作品は翻訳の作業を劇に仕立てたものなのだ

村上の車の後部座席に戻ろう。

私たちは東京を離れ、ベッドタウンに入った。

多くの企業本社や、巨大な船のかたちをしたラブホテルを通り越していく。

およそ1時間後、風景は急峻な山道になり、私たちは村上の家に到着した。

木の生い茂る丘の上、山と海の間にある、こぎれいだが平凡な外観の二階建てだ。

靴をスリッパに履き替え、村上に連れられて彼のオフィスへと入る。

自らデザインした小部屋であり、『1Q84』のほとんどはここで書かれた。

同時にそこは彼の膨大なレコードコレクションの住処でもある。

(10000枚くらいだろうが、怖くて実際に数えてはいない、と彼は言う)

オフィスの幅広い壁二つは、床から天井までアルバムで覆いつくされている。

山々に向けて突き出している窓の下、部屋の端には巨大なステレオスピーカーが君臨している。

室内のもう一つの棚には村上人生と作品にまつわる思い出の品々がある。

彼が『海辺のカフカ』で殺人者として想像したジョニーウォーカーを描いたマグカップ

はじめてマラソンを完走したときの、くたくたの彼を写した写真1991年ニューヨーク市にて、3時間31分27秒)。

壁にはレイモンド・カーヴァー写真、グレン・グードのポスタージャズ巨匠の肖像がいくつか。

村上もっとも好きなミュージシャンテノールサキソフォンスタン・ゲッツ写真もある。

私はレコードをかけてもらえないかと頼んでみた。

村上はヤナチェクの「シンフォニエッタ」を取り出した。

1Q84』の始まりを告げ、その物語のなかで繰り返し鳴り響く曲である

作品で示唆されるとおり、渋滞で聞くにはまさに最悪の音楽だ。

それは速く、アップビートで、劇的──まるで普通の曲が5つ、ペンキの缶のなかで決闘しているかのようだ。

同時にそれは熱狂し、ねちねちとした、暴力的な『1Q84』の冒険の主題曲として、もっともふさわしい。

村上はその奇妙さを買って「シンフォニエッタ」を選んだという。

「一度だけそれをコンサートホールで聴いたことがある」

オーケストラの後ろにトランペットが15人いた。変だった。すごく変だった……その奇妙さがこの本によく合う。この物語にこれ以上よく合う音楽は思いつかない」

彼は何度も何度もその曲を聴いて、そして開幕のシーンを書いたという。

シンフォニエッタを選んだのはまったく人気がない音楽だったからだった。でも本を出版してから日本では人気が出た。小澤征爾さんに感謝されたよ。彼のレコードがよく売れたからね」

シンフォニエッタ」が終わると、私は最初に買ったレコードは何か覚えているかと尋ねてみた。

彼は立ち上がり、棚をごそごそと探して、一枚のレコードを手渡してくれた。

「The Many Sides of Gene Pitney」。

カバーを飾るのは、華やかな姿の Pitney。60年代前半のアメリカクルーナー歌手である。はまだらのアスコットタイに艶のある赤いジャケットを着て、髪型は崩れ落ちる波を凍らせたようにみえる。

村上は13歳の時、このレコード神戸で買ったという(当初のものは擦り切れたため、何十年か前に買い直している)。

針を下ろすと、流れ出す Pitney の最初ヒット曲「Town Without Pity」。

劇的な、ホルン即興とともに Piteny の歌声が黙示録的な叫びを歌う。

若者にはつらいことがある、たくさんある/分かってくれる人がほしい/助けてくれよ/土と石でできたこの星が壊れるまえに」

終わると村上は針を上げ、「バカな歌だ」と言った。

1Q84』というタイトルダジャレである

言語をまたいでオーウェル引用したものだ。

日本語では、9は英語のQのように発音される)

1Q84』を書いているあいだ、『1984年』を読み直したかと尋ねてみた。

彼は読み直したといい、それは退屈だったという。

(これが悪い評価だとは限らない。野球のどこが好きかと尋ねた際、彼は「退屈だから」と答えた。)

近未来小説は退屈なものばかりだ」と彼は言う。

「始まりはいつも暗く、雨で、人々が不幸せそうにしている。コルマックマッカーシーの『The Road』は好きだし、よく書けているけれど、でも退屈だ。暗いし、人間人間を食べるし……ジョージ・オーウェルの『1984年』は近未来小説だけど、この本は近過去小説だ」

1Q84』について「我々は同じ年を反対側から見ている。近過去なら退屈じゃない」

オーウェルに親近感を覚えたかと尋ねた。

オーウェルと僕はシステムについて同じ感じを受けていると思う」と村上は言う。

ジョージ・オーウェルは半分ジャーナリストで半分小説家だ。僕は100パーセント小説家だ……メッセージを書くことはない。よい物語を書きたい。自分政治好きな人間だと思うけれど、政治メッセージを誰かに向けることはない。」

はい村上はここ数年、彼にしては珍しく、政治メッセージを大々的に言明している。

2009年、批判のなか彼はイスラエルエルサレム賞を受賞しに行き、そこでイスラエルパレスチナについて語った。

この夏、彼はバルセロナでの受賞式典の機会を利用して日本原子力行政を批判した。

彼は、福島第一は二度目の核災害だとした。

一度目はまったくの被害者としてだったが。

バルセロナの演説について尋ねると、彼はパーセンテージを少し修正した。

「僕は99パーセント小説家で1パーセント市民だ」と言う。

市民として言いたいことはあるし、求められればはっきりと言う。あのときまで原発について明確に反対する人はいなかった。だから自分がやるべきだと思った。自分にはその責任がある」

演説に対する日本の反応は概ね好意的だったという。

人々は津波の恐怖が改革への媒介となってくれることを、彼と同じように、期待していたのだ、と。

「これは日本にとって転機になると、日本人ほとんどが考えていると思う」

悪夢だけれど、変化のチャンスでもある。1945年以来、僕たちは豊かになるために働いてきた。けれどそれはもう続かない。価値観を変えなければならない。どうやって幸せになるかを考えなければならない。お金でもなく、効率でもなく、それは人格目的だ。いま言いたいことは1968年から僕がずっと言っていることなんだけれども、システムを変えなければならないということ。今は、僕たちがまた理想主義者になるべきときなんだと思っている」

その理想主義はどんなものか、アメリカ合衆国モデルケースとして見ているのか、と尋ねた。

アメリカはもはやモデルケースだとは思われていないと思う」

「いま、僕たちにはモデルケースがない。モデルケースを作り上げなければならないんだ」

地下鉄サリン事件阪神大震災、そして今回の津波……現代日本の数々の災害は、驚くほどにまで村上的だ。

地下での暴力的な衝動、深く隠されたトラウマが大量破壊を引き起こすものとして現れ、地上の日常を襲う。

彼は深さのメタファーを多用することで知られる。

登場人物たちはカラの井戸に降りていき、東京の地下トンネルに生きる闇の生き物に出会う。

(彼は別のインタビューで、井戸のイメージをあまりに何度も使って恥ずかしくなったため、8作目以降、できるだけ使わないように心がけたと話している)。

彼は自分創造性も、深さとしてイメージするという。

毎日机に向かい集中力に満たされたトランス状態の中で、村上村上キャラクターになる。

それは、自らの無意識洞窟たる創造性を探検し、見つけたものを忠実に報告する、普通の人物である

「僕は東京に住んでいる。ニューヨークロサンジェルスロンドンパリのように文明的といっていい世界だ。

 魔法じみた状況、魔法じみた物事に出会いたければ、自分の中に深く潜るしかない。だから僕はそうしている。

 魔法リアリズムとも呼ばれるけれども、自分の魂の深みのなかでは、それは単なるリアリズムだ。魔法ではなく。

 書くときには、非常に自然で、論理的で、リアリスティックで、合理的に感じる。」

執筆しないとき自分はどこまでも普通の人だと村上は強調する。

彼の創造性は「ブラックボックス」であり、意識的にアクセスすることはできないという。

彼はシャイであり、メディアにあまり登場したがらない。道端で読者から握手を求められた時にはいつも驚く。

人が話すのを聞くほうが好みだと彼は言う。

実際に、Studs Terkel の日本版のようなものとして彼は知られている。

1995年サリンガス事件があったとき村上被害者65人と被疑者らを1年かけてインタビューし、

その結果を分厚い2冊組の本として出版した。

のちにそれは『Underground』として、大幅な簡略化をしたうえで英語翻訳された。

この会話が終わったとき村上ランニングに誘ってくれた。(「僕が書くことについて知っていることのほとんどは、毎日ランニングを通して学んだ」と彼は書いている)

彼のランニングスタイル個性の延長のようだ。

身軽で、安定していて、実践的だ。

たがいの走り幅がつかめて1、2分たつと、村上自分が単に「丘」と呼ぶところに行ってみないかと尋ねてきた。

それは試合の申し込みか警告のように聞こえた。

そんな言い方をした理由はすぐに分かった。

というのもまもなく「丘」を登り始めることになったからだ。

もはや走るというよりは、急な坂にさしかかって足をとられているというほうが近く、

地面が傾いたランニングマシーンのように感じられた。

道の終わりに向けて一足踏み込むと同時に私は村上に向けて「大きい丘でしたね」と言った。

そこで彼は指をさして、先にジグザグ道が続いており、私たちはまだほんのひと曲がり目を終えたにすぎないということを教えてくれた。しばらくして、二人の息が切れ切れになってくると、このジグザグ道には終わりがないのではないかと心配になってきた。

まるでどこかの村上世界にある無限階段のように。

上へ、上へ、上へ。

しかし、やっとのことで、私たちは頂上に着いた。

海ははるか下に見えた。

それは秘められた巨大な水世界日本アメリカあいだの、人が住まない世界だ。

その日見たかぎり、水面は静かだった。

そして私たちは下りを走り始めた。村上は村を通る道に誘ってくれた。

大通りのサーフショップ漁師の家がならぶ界隈を通り過ぎた(彼はそのあたりの庭に古くからの「漁師神社」があるのを指差して教えてくれた)。

空気は湿っていて塩のにおいがした。

私たちは並んで浜まで走った。

村上がかつて名もない翻訳者だったころセントラルパークでジョギングをともにしたジョン・アーヴィングについて話をした。

セミについても話をした。

何年も土のなかで生き、地表にぽっと出て、わめき、最後の数ヶ月を木の上で過ごすのは、どんなに変だろうかと。

私がおもに覚えているのは、村上の安定した脚のリズムだ。

走り終えて家にもどると、私は村上の来客用バスルームで着替えた。階下で彼を待つ間、食堂エアコンの風を受けて立ち、大きな窓からハーブと低い木のある小さな裏庭を見ていた。

数分後、庭から迷い出た変な生物が私の視界に入ってきた。

最初それは鳥 – おそらくはその飛び方からして変な毛をしたハチドリのようにみえた。

が、すぐに2羽の鳥がくっついているようにみえだした。

飛ぶというよりはふらついているといった感じで、体の一部がそこかしこから垂れ下がっているようだった。

最終的に、それは大きな黒い蝶だと私は結論づけた。

見たことがないほど変な蝶だった。

浮かびながら、異星の魚のようにひらひらしつづけるその姿に幻惑させられ、

私はそれを既知の何かに分類したくなりかけたが、成功することはなかった。

それはひらひらと、およそ村上と私が走った道を引き返す形で、山から海に向けて飛び去った。

蝶が去ってまもなく、村上階段を降りてきて、食堂のテーブルに静かに腰を下ろした。

見たこともない奇妙な蝶に遭遇したことを伝えると、彼は自分ボトルから水を飲み、私を見上げて言った。

日本には色々な蝶がいる。蝶に会うのは変なことじゃない」

2011年10月21日

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村上春樹の猛々しい想像力 (1/3)

Sam Anderson

2011年10月21日

訳注:長文注意。誤訳あったらごめんなさい。教えてもらえたらあとで直します)

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この夏、私は初めての日本への旅行を企てた。

村上春樹の作品世界にほぼ浸りきってやろうというつもりだった。

ところがその目論見は外れることになる。

私は村上の作品の影響下にあるまま、東京に降り立った。

期待していたのは、バルセロナパリベルリンのような街だった。

そこでは、市民はみな英語が達者で、さらにはジャズ劇場文学シットコムフィルム・ノワールオペラロックといった、

西洋文化のあらゆる枝葉に通じている……そんなコスモポリタン世界都市を私は期待していた。

誰かに聞いておけば分かっていたはずなのだが、実際の日本はまったくそんな場所ではなかった。

実際に足を踏み入れることができる日本は、どこまでも頑固に、日本的だった。

そう思い知らされたのが地下だったというのは、我ながらよくできていたと思う。

東京での初めての朝、私は村上の事務所に向かっていた。

アイロン掛けたてのシャツに包まれ、なんの躊躇もなく地下鉄の駅へと降りて行くや否や、

私は迷子になり、助けを求めようにも英語話者を見つけることができなかった。

最終的には(電車を乗り間違え、馬鹿げた値段の切符を買ってしまい、必死のジェスチャーで通勤客を怖がらせたあと)、

どうにか地上に出てはみたものの、もはやインタビューの時刻はとうに過ぎている。

私は絶望して、目的もなくあちらこちらへとさまよい歩いた(東京にはほとんど標識がないのである)。

そして蜂の巣状のガラスピラミッドのような建物の前で途方に暮れていたとき

ついにユキという村上アシスタントに見つけてもらうことができた。

このようにして私は東京の地下の洗礼を受けたのである

まりにもうかつな、アメリカ人的な私は、村上のことを現代日本文化を忠実に代表する人物として考えていた。

実際には彼は私が思っていたような作家ではなく、日本は私が思っていたような場所ではなかった。

そして両者の関係の複雑さは、翻訳を介して遠くから眺めていたときには想像しえないものであることが明らかになっていった。

村上の新作『1Q84』の主人公の一人は、自らの人生最初記憶に苛まれており、誰に会ったときにも、あなた最初記憶はなにかと尋ねる。

やっと村上に会えたとき、私は彼の最初記憶について尋ねた。

それは3歳のとき、初めて家の門の外に歩き出したときのことだという。

彼は道をてくてくと渡り、溝に落ちた。

流されていく先にあるのは、暗く恐ろしいトンネル

そこに差し掛かろうかというとき、母が手を差し伸べ、彼は助かった。

「明確に覚えている」と彼は言う。

「水の冷たさ、トンネルの闇、その闇のかたち。怖かった。僕が闇に魅かれているのはそのせいだと思う」

村上がこの記憶を語るとき、私は既視感とともに心の中でくしゃみをするような気持ちを覚えた。

その記憶には聞いた覚えがある、いや、不思議なことにその記憶自分の中にある、と感じた。

ずっとあとになって分かったことだが、私は確かにその記憶を持っていた。

村上は『ねじまき鳥クロニクル』の冒頭の脇役に自分記憶を写し込んでいたのだ。

村上を初めて訪問したのは、日本にしてもありえない夏の厳しさの最中

週の真ん中、蒸し蒸しする午前中のことだった。

それは非現実的なまでの災害の余波を受けた夏だった。

4ヶ月前に北日本を襲った津波で2万人が命を落とし、

いくつもの街が破壊され、原子力発電所メルトダウンした。

その結果、電力、公衆衛生メディア政治にも危機が到来した(当時の首相の辞職によって、5年間に5人目の首相が生まれることになった)。

日本を代表する小説家である村上に会いに来たのは、

大作『1Q84』の英語訳(そしてフランス語訳、スペイン語訳、ヘブライ語訳、ラトビア語訳、トルコ語訳、ドイツ語訳、ポルトガル語訳、スウェーデン語訳、チェコ語訳、ロシア語訳、カタルーニャ語訳)について話すためだった。

この本はアジアで数百万部を売り上げ、

まだ翻訳が出ていない言語圏ですらノーベル文学賞の噂が囁かれていた。

62歳にして30年のキャリアを持つ村上は、日本文学最高峰としての地位を確かなものにしている。

疑いなく、彼は母国の表層とかたちを世界に伝える、想像世界大使となった。

そのことは、関係者には非常に大きな驚きだったと言われている。

村上は常に自分日本アウトサイダーだと考えている。

彼は不思議社会環境最中に生まれた。

アメリカによる戦後占領を受けた1949年京都日本の前首都である

「これ以上の文化混交の瞬間を見つけるのは難しい」と John W. Dower は1940年代後半の日本について書いている。

「これほど深く、予測不能で、曖昧で、混乱していて、刺激的なものは他にない」という。

「瞬間」を「フィクション」に置き換えてみれば、村上の作品を完璧に説明することができる。

彼の物語の基本構造は、互換性のない複数の世界に根を下ろした普通の人生であり、

それはそのまま彼の最初人生経験の基本構造でもある。

村上は成長するまでのほとんどを神戸郊外で過ごした。

そこは、さまざまな言語の喧騒に包まれた国際的な港湾都市である

彼はアメリカ文化、とくにハードボイルド探偵小説ジャズに没頭して十代を過ごした。

そうして反逆のクールさを自分ものにし、

二十代のはじめには大企業の序列に入り込む代わりに、髪を伸ばしヒゲを生やして、両親のすすめを押し切って結婚し、借金をして「ピーターキャット」というジャズクラブ東京で開いた。

掃除をして、音楽を聞いて、サンドイッチを作って、酒を注いで、

彼は約10年間をその仕事に費やした。

作家としての村上キャリアの始まり方は、彼のあの作品スタイルそのものだった。

どこまでも普通の設定で始まり、どこからともなく神秘的な真実が主人公に降りかかり、その人生根底から変えてしまう。

29歳の村上地元野球場の芝生でビールを飲みながら、デイヴヒルトンというアメリカ人助っ人バッター二塁打を打つのを見ていた。

平凡なヒットだったが、ボールが飛んでいくのを見て村上天啓に打たれた。

自分小説が書けると気づいたのである

そんな望みはそれまでなかったが、いまや圧倒的なまでだった。

そして彼は書いた。

試合が終わった後、書店に行きペンと紙を買って、

数ヶ月のちに『風の歌を聞け』を書き上げた。

それは名もなき21歳の話し手が語る小さく凝縮された作品だったが、冒頭から村上らしさが見えていた。

アンニュイとエキゾチシズムの奇妙な混合。

わずか130ページで、その本は西洋文化をぶつ切りにして引用してみせた。

名犬ラッシー』、『ミッキーマウスクラブ』、『熱いトタン屋根の猫』、『カリフォルニア・ガールズ』、ベートーベン第三ピアノ交響曲フランス映画監督ロジェ・ヴァディム、ボブ・ディランマーヴィン・ゲイエルヴィス・プレスリー、『ピーナッツ』のウッドストックサム・ペキンパーピーターポール&マリー。

以上はごく一部に過ぎない。

そしてその本には(少なくとも英語訳には)日本芸術引用がまったくない。

村上作品のこうした傾向は日本批評家をしばしば苛立たせている。

村上は『風の歌を聞け』を権威ある新人賞に応募し、受賞した。

そして一年後、ピンボール機を取り上げた次の小説を出したのち、執筆時間のすべてを費やすため、ジャズクラブを畳んだ。

時間のすべて」という言葉には、村上にとっては余人とは異なる意味がある。

30年を経て、彼は僧侶のように統制された生活を送っている。

すべてが作品を作り出すのを助けるように調整されている。

彼は毎日のように長距離を走り、泳ぎ、健康的な食生活を送り、夜9時には床につき、朝4時に起きる。

そして起床後5、6時間は机に向かい執筆に集中する(2時に起きることもあるという)。

彼は自分の事務所を監禁場所だとみなしている。

「ただし自発的な、幸せ監禁だけれど」

「集中は僕の人生もっと幸せものだ」という。

「集中できないとき、人はあまり幸せではない。僕は考えるのが速くないけれど、何かに興味を持てば、それを何年も続けられる。退屈することはない。僕はヤカンのようなものだ。沸かすのに時間はかかるけれど、いつまでも熱い」

そうした日々の湯沸かしが続いていって、世界でも類まれな作品群ができあがった。

30年の歳月を経て積み重ねられたそれには人を虜にする不思議さがあり、様々なジャンルSFファンタジーリアリズムハードボイルド)と様々な文化日本アメリカ)をつなぐ位置にある穴を埋めている。

どんな作家にも、少なくともこれほど深くまでは、埋められなかった穴だ。

時とともに村上小説は長くシリアスになる傾向が強くなった。

シットコム引用もその傾向に調和している。

そして今、とりわげ激しく長い湯沸かしの結実として、もっとも長く、奇妙で、シリアスな本が上梓された。

低く深い声で村上たくみ英語を操る。

彼は翻訳者を通して会話するのが嫌いだという。

なまりは強く、落ち着くべき箇所で動詞の活用が劇的に現れたり消えたりする。

はいえ相互の理解に支障を来たすことはまずない。

特定の熟語("I guess" 「ではないか」、 "like that"「というような」)が、ときたまおかしな位置で使われることがある。

安全言葉いから逸脱するのを楽しんでいる節が彼にはあった。

英語即興の遊びをしているように感じられたのである

私たちは東京にある彼の事務所で席を持った。

その事務所は半ば冗談ながら村上製作所と名付けられている。

数人のスタッフが靴を履かず他の部屋で作業をしている。

村上は青いハーフパンツと半袖のボタン付きシャツで現れた。

彼のキャラクターと同じように、アイロン掛けしたばかりのように見えるシャツだった(彼はアイロンけが好きだという)。

靴は履いていない。

彼はペンギンのある本の表紙を模したマグカップブラックコーヒーを飲んだ。

その本とはレイモンド・チャンドラーの『ビッグスリープ』、彼の昔からお気に入り小説であり、今日本語訳をしている小説でもある。

話を始めながら、私はあらかじめ用意していた『1Q84』をテーブルの上に置いた。

村上純粋にびくっとしたようだった。

その本は932ページあり、ほぼ30センチのその厚みは本格的な法律書を思わせるほどだ。

「大きいな」と村上は言った。

電話帳みたいだ」

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2011-09-22

院試落ちた記念

内定蹴って一留して目指してた院試に失敗していよいよ詰んだんだが、

どうしてこんな糞野郎になったのか半生を振り返ってみる。

中学3年生の時私はいわゆる保健室登校をしていた。今考えると理由はよくわからない。

ただ、趣味ゲームアニメイラストを描くことで、2chに入り浸り、

体重は60kg超えのデブ、色黒、毛深い、眉毛も整えない女は迫害されて当然だろう。

実際男子からの扱いはひどく、女子にも話しかけられず、中学時代の今でも友達と呼べる友達は2人しかいない。

よく思い出してみると、毎日家まで迎えに来てくれたり保健室に様子を見に来てくれる子もいたので、

ただの卑屈な思いこみだったんだろう。後悔している。

中学校進学校(?)だったので3年間勉強はしていた。成績が良かったので塾は嫌いではなかった。

その間ずっと、いつか好きなだけ漫画を読みゲームをし、イラストをたくさん描く時間ができるのだろうと思っていた。

結局、保健室登校による内申の低さが祟り、第一志望の高校には入れず第二志望の公立へ行った。

高校時代は、言い方は悪いが、周囲がバカに見えること以外は楽しかった。

コンプレックスは引きずったままだった。変わることを意識し、中学時代は無所属だったが部活に入り、化粧もした。体重はそれでもデブだが少し落ちた。

高校でも勉強は続けた。1年生の時、美大へ進学したいか予備校へ行かせてくれと親に行ったが遠まわしに却下された。

進学塾費用は出してくれたので、そちらに精を出すことにしたのだ。畢竟、イラストはあまり描かなくなった。

学校だったが、3年間で男子言葉を交わした記憶殆ど無い。

大学は、金融関係に勤めている父の影響と、単純に金持ちになりたかったので、経済学部に行きたかった。

数学は好きだができなかったのであまり勉強しなかった。そのうえ厨2病をこじらせたのか現実人間社会に興味がわかず、

政経ではなく倫理に興味津々でセンター倫理選択で、地理はやらなかった。

結局、途中で妥協し経済学部志望を諦め、目指していた大学の中で一番楽に入れるところを受けなんとか現役で合格した。

サークルに入った。大学人間はさすがに素晴らしい人が多く、素晴らしすぎてついていけなかった。

「いつか時間ができたらやろうと思っていたこと」を勉強と一緒にやってきた人たちばかりだった。

絵もかけなければ楽器もできないスポーツも出来ない自分との圧倒的な違いに絶望した。まあ仕方ない。

ふてくされたわたしは、投げやりに決めた進学先に成績がからまないのをいいことに彼氏をつくって遊んでいた。

が、この彼氏地雷だった。

サークルクラス人間と関わると嫌な顔をする。

私が周囲の人間と疎遠になったところで、「悪かった、俺が間違っていた」といい自分人間関係はそのまま。

わたしがなにか新しいことをしようとするととたんにねちねちと難癖付けてくる。

教職をとれば「教師はもっと神聖な仕事だ」就活をするといえば「女は働くもんじゃない」

じゃあ公務員試験勉強のために予備校へ行くといえば「簡単だって親父はいってたけどな」

(彼の父は法学部出身。わたしは大学の専門がまったく試験と関係ない。)

まあそこでやる気を失うわたしも悪いのだが、初めてできた彼氏で、しか自分のことを「好きだ」といってくれるからにはなかなか切れない。

共依存関係でずるずると引っ張り続け、4年生になり、就活勉強ほとんどできないままほぼ大学受験貯金で受けた試験内定をもらった。

しかし、わたしがしたいのはそんな仕事じゃなかった。海外に長期滞在するチャンスが欲しかった。

仕事をするからには、自分仕事を通じて社会課題を解決したかった。

おにぎり食べたい」と書き残して死んでいく人を放っておくような国をかえたかった。

それでわたしは専門を変えて大学院を受けることに決めた。

親に頼み込んで、留年させてもらった。これからは頑張ると決めていた。

にもかかわらず、彼と別れられなかった。他にも男性との間でトラブルを起こした。

通院することになり、紆余曲折を経て結局完全に別れたのが今年の6月

なにかやらねばならないと思っても、もはや、頑張るということを完全に忘れていた。

勉強の仕方も、忘れていた。到達すべきレベルも、やらなければいけないことも、わからなかった。

とりあえず英語試験勉強をした。貯金があったので、合格者平均くらいは、とれた。

けれども、その後机の前に座ってみても増えるのはらくがきばかり。

そもそも問題意識が低いか目的を達成するための手段としての勉強に身が入らないのだろうと思い、

問題意識根底にある原体験の不足を補うためにボランティアに参加してみることにした。

東北支援と、NPO系のものいかないよりはいってよかったとおもう。そこそこに感動もした。

というのは、人は変わるということを目の当たりにしたから。しか怠惰さは残った。

よくこういう文章でみる、「ここで俺は覚醒した。狂ったように勉強した。」みたいな一文が頭にちらつくが、なぜかそうならなかった。

そうしようと思って机に12時間むかってみても、そうならない。没我という状態はついぞあらわれなかった。

それでも最後の4週間、それまでの4年間に比べれば勉強したと思う。結果は駄目だった。

能力が、ないのだとおもう。

頭の回転はそんなに悪いとは思っていない。ディスカッションの進行や即興でのプレゼンはほめられる。

でも、決定的に打たれ弱くて、入念に、継続して何かにむけて努力することがどうしてかできなくなってしまった。

意志の力の決定的な不足。親に申し訳なくて、泣いた。

これからどうすればいいのか正直わからないでいる。やりたいことはあるが、そのために学士入学したところで、仕事にありつける可能性がさらに狭まるのは必至だ。

これなら頑張れると今は思っていても、こんな経過を振り返っては、親どころか自分すら説得できない。

いっそ仕事で満足するのを諦めれば良いのかもしれない。仕事以外に人生の楽しみを見出しそれに傾注するのも幸せかもしれない。

しかし、自分の中で仕事ステータスと捉える側面が未だあって、そのせいで現在すでに、働いている友人たちと連絡が取りづらい。

捨てるべきはプライド、持つべきは意志。しかしそのうまいやり方が、わからない。

2011-09-11

http://anond.hatelabo.jp/20110911123957

		「死の町」は正しいよ派(古典派)
		 ├ 実際に死んでるから、もうどうする事もできない町だよ派(ダダ派)
		 │ └ 将来的には日本全土がそうなるんだよ派(超現実派)
		 └ 問題はそこじゃない、どう復興するかが勝負だよ派(未来派。おそらく多数派)
		   └ でも「放射能なすりつける」はまずかったよ派(新即物派。少数の辞任やむなし派も含む)
		
		「死の町」じゃないだろ派(ロマン派)
		 ├ 復興するつもりなら死という言葉は不適当だよ派(後期ロマン派)
		 │ └ でもそれくらいで辞任はおかしいよ派(擬古典派)
		 └ 現地の人々の心を踏みにじったんだよ派(民族派)
		
		中立派(印象派。追記予定)
		 └ どうでもいいよ派(即興派)
	

個人的にはこんな感じ。ところでどうして僕の増田は青地箇所の文章が君より中央寄りなのだろう。

2011-08-03

Brief report on the Sound Horizon Gathering!

Sound Horizon Gathering(サンホラファンの集い)がシンガポール7月16日に行われました。そのレポート海外サンホラファンのポータルサイトにあがってましたので、翻訳します。(意訳等含む本当に適当な訳なので、その点ご注意ください。)

http://sh-whitecrow.com/2011/08/brief-report-on-the-sound-horizon-gathering/

写真含むので、そちらを先に見てからがいいかもしれません。とても楽しそうです

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Brief report on the Sound Horizon Gathering!

シンガポールでの初めてのファンの集いがヨー・チュー・カン・コミュニティセンターで行われましたが、イベントは大成功だったようです!以下に短いレポートを紹介します。

全部で8つのMarchenのキャラクターを主題としたミニゲームクリアし、8つのローマ字を集めることが目標ゲームです。そして、参加者は集めたローマ字を組み替えて解読し、メインブースで賞品と交換します。最終的に8つの文字はgu-ro-ri-a-sa-n-ho-raGloria Sanhora)となり、賞品はファンアートバッジでした。

ゲームクリアした人たちは、続いて歌に挑戦ですスターダストコスの人が即興パフォーマンスをしたり、エリザベスコスの人が雪白の女王様のまねをしたりと、楽しかったです

最後に、Marchenキャラクターコスプレイヤーたちによる、ものまねをしての聖戦イベリア合唱などもありました。

  • らくがきウォール

らくがき用のゾーンが用意されていて、Tettere oujiのいたずら書きがたくさんありました。

それと、写真を見てもわかるように、たくさんの参加者たちがサンホラキャラコスプレをしてました!

Sound Horizonへ送るためのプレゼントが集められました。

英語版の歌詞(the 100 Laurant Chorusのために、Elica de Laurantがつくった歌詞を使用しました)でみんなで歌い、ファンの集いを終えました。

見てわかるとおり、とても楽しかったようです!きっと世界中の皆さんも、ローランのみんなと同じ時間を分かち合えば楽しいですよね!

イベント主催者のKanaunaraさんに感謝します!参加者の皆さんの協力で集められた、Sound Horizonへ送るプレゼントはもうすぐ日本へ送付されますので、それと同じように、ファンの集いとしては世界で初めてイベントの様子が、日本にまで伝わるように広めたいです

Gloria Sound Horizon !

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以上です。拙い訳ですいません。

2011-04-03

http://anond.hatelabo.jp/20110401215520

(増田の使い方をよく理解していないので、何か不備があった場合すみません)

詳述を控えた部分を述べます。「スピーキング」とは瞬間的に自分の頭の中で文章を構成しなくてはなりません。まず、ここが非英語話者にとって難儀なことです大学入試で課されるような英作文を、即興的に口から発しなければならないかです。いくら個々の単語の発音やリエゾンがうまかったとしても、発している言葉が文法的に滅茶苦茶であてば、通じません。そういった意味で、「スピーキング」においては、発音より先にこの構成能力が問われているといえます。一方、「スプリクト読み」に関しては、何を言うかがあらかじめ定められています。だから自分の頭の中で文章を組み立てる必要がないぶん、発音それ自体に注意を払う余裕が生まれます

詰まりながら話すと、フレーズが途中で止まっちゃって、そうすると発音が変な日本語発音が混ざってくるんだよね。

これは恐らく上に述べたように、「注意を払う余裕」の無さから生じている事態です

僕も勉強中の身なのであまり参考になるのかわからないのですが、この状況を打開するには無意識に落とし込むしかいです。

ま、練習するしか無いな、とは思ってるんだけど。

これまでも、練習さえ愚直にけど工夫しながら繰り返せば結果は出たし。

と仰られている通り、繰り返すことが重要です

※もっとも、僕がここで申している「スピーキング」というのは、英会話ペラペラ話すというものとは少し異なります自分TOEFL学習であるので、会話の中での英語というよりは、他者を介在させないスピーチとしての意味合いがどうしても強くなってしまいます。実際の、日常会話の場面では、相手が場を読んで察してくれたり、会話のキャッチボールの中で話し合いを深めて言ったりできるので、多少、構成や発音が拙くとも、相手がカバーしてくれる部分があるはずです

2011-02-02

http://anond.hatelabo.jp/20110202222452

元増田。あー…なるほどね。

論を張るときってのは、

AはBである

BはCである

よってAはCである

って進めるのが基本なわけよ。

うん、論理はそうなっているが、これって、要するにCが結論でAやBが理由だろ?卒論では、「結論を先に書く」、つまり、「Cである。その理由は、A→B→Cだからである。Aが言えることはxxから分かる」っていう書き方をしろ、と習ったよ。だから、どの段落も、なるべくCを一番最初に書いているつもり。

この三段論法でA→Cを帰結するというのが、1つの論理操作」(論理演算、といった方が分かりやすかったか)だと思っている。そして、「時間あたりの論理操作能力」というのは、基本的には「時間あたりに演算できる回数」と同じような意味で使っている。じゃぁ、なんで「論理演算」と書かなかったかというと、無意味な結論Cをいくらたくさん帰結しても、それは能力が高いとは言わないからだよ。Aが与えられたときに、有意義な結論Cと、そこに至る道筋Bを即興で組み立てることのできる能力を「論理操作能力」という言葉で刺したつもり。「操作」は、英語だとoperationの意味で使っている。一回の操作が"an operation"、複数の操作が"operations"。

なんだよ、「論理操作能力」って。

せめて「論理情報操作能力」とかだろ?

だいたい、「頭の回転が速い」って置き換えれるなら、

「頭の回転が速いヤツとは議論するな」でいいじゃん。

「頭の回転が速い」は曖昧から、単に「頭の回転が速い」っていう言葉を使ったら、それぞれの読み手が勝手想像で「頭の回転が速い」っていうのを想像するだろ。俺の考える「頭の回転が速い」と、お前の考える「頭の回転が速い」は違うだろ。定義を追記で与えたのは悪かったが、どうやら、単に「頭の回転の早い」よりも厳密な概念を伝えようとしているようだ、ということはお前にも伝わっただろ。

http://anond.hatelabo.jp/20110202035306

これが時に「我が国最高学府」とか言われるとこ出た人間の書く文章なのか…。

自分即興の才能が無いと仰ってるからそれはいいんだが

あんたのこの文は椅子かに座ってそれなりに落ち着いて書いたものなんだろう?

それでこれか。

訓練出来ることはもっと訓練したらどうだい。

論理操作能力の高いヤツとは議論するな

東大卒自分ギリギリ東大理Iに受かったぐらいの大したことのない頭の持ち主だが東大に入ったおかげで、色々な東大生を見ることが出来た。その結果、論理操作能力というのは極めて遺伝的なものであるという事実を知ることが出来た。東大の中でも頭がイイ奴は、特に、時間あたりに操作できる論理操作の数が常人の数倍は速く、常人より1桁正確だと思う。この事実を知ることが出来たことが、東大に入って最も良かったことの一つだと思っている。

勉強が出来るだけでは社会に出ても役に立たないというのは、その通りだと思うのだが論理操作能力が速くて正確なことは社会に出る上で非常に役に立つ。特に、議論で圧倒的に有利になる。議論って言うのは、実は、試験よりも速くて正確な論理操作能力が要求される。その場で返答しなければいけないからだ。試験だったら、その場でとっさに答えを思いつかなくても、「とりあえず置いておいて、試験時間終了間際にもう一度見なおしてみるか」といった戦略が取れるが、議論の場では、相手は何十分も返答を待ってくれない。その場で返答しないと意味が無い。

論理操作能力は遺伝的なものだから、訓練しても高くはならない。だから論理操作能力が低い(才能がない)我々のような人間が彼らに勝つためには、「論理操作能力が高いヤツとは最初からマトモに議論しない」ということが重要だ。例えば、相手が持っていない情報に基づいて反論する。いくら論理操作能力が高くても、知らないものを知ることは出来ない。それから論理操作能力が高いヤツの前では、自分のやっている仕事面白そうに見せない。論理操作能力が高いヤツが自分仕事を持って行くからだ。

こういう勝つ技術の中でも一番多く使うのは「自分仕事に関係ないことは黙っておく」という技術だ。会議の中で自分より論理操作能力が高そうな人間がいて、その会議自分仕事に直接関係なく、意見することで何か自分利益がもたらされるのでなければ、黙っておく。論理操作能力が高い人間意見は高い確率正論なので、しばらく放っておけば、そういう人間会議を引っ張っていくようになる。

論理操作能力が低い自分でも、論理操作能力が高い人間が多く集まる東大という環境にいられたおかげで、こういう論理操作能力が高い人間の中で立ち回る技術を身につけることが出来た。人類の大半は、論理操作能力が低い人間だ。みんなで、共闘して奴らを追い落とそう。

追記:最後の文の「奴ら」は、論理操作能力が高い人達の事です時間がたってから校正しないと、こういう曖昧性に気がつかないのが、僕の論理操作能力が低い証拠です論理操作能力が高い人達は、即興曖昧性の低い文章を書くことが出来ます

また、「情報処理能力」の方が適当はないかという意見がありましたので、「論理」「操作能力した理由を説明します。「論理操作能力」というのは、平たく言えば、「頭の回転の速さ」だと思ってください。

まず、「情報」ではなく「論理」という言葉を使ったのは、「情報」では、人に上手く質問して情報を引き出す能力や、ネットや本で調べる調査能力を含むような誤解を与えると思ったかです。そういう調べ物が得意な人は居ますが、その人の専門にもよりますし、信頼できる情報源をどの程度「知っているか」という知識の問題でもあります。例えば、法学部卒の人が法律に関することについて情報入手能力が高いのは当たり前です。一方、「論理」なら、こういった調査能力を含むかのような誤解は与えません。ですから、「情報」より「論理」の方が適切であると思いました

次に「処理」ではなく「操作」という言葉を使った理由は、「処理」では、処理した結果何をアウトプットとすれば良いのかが明確に決まっている、という誤解を与えるからです。例えば、漠然と「何かいアイデアない?」と聞かれた場合は、欲しいアウトプットは定まっていません。このような得たいアウトプットが明確に決まっていない状況でも、与えられた条件から「この条件とこの条件をこう組み合わせれば、こういうことが言えて(=こういうアウトプットが得られて)、嬉しい!」ということを即興で考えつくことが出来る人がいます。僕は、「論理操作能力の高い人」という言葉で、こういう人たちのことを指したかったのです

例えば、車を操作する、とは言いますが、車を処理する、とは言いません。「操作」という言葉が、どの方向に進みたいかを決めることをも含んでいるかです。一方、「車をA地点からB地点まで移動するという仕事を処理する」ということは出来ます。処理するためには、アウトプット目的)が最初から決まっていないといけないのに対し、操作することは、アウトプットを定めることも含んでいます。ですから、「処理」よりも「操作」の方が適当であると思いました

ところで、この文章では、遺伝的と先天的を同じ意味で使ってしまっています。僕が言いたかったのは「先天的」の方です先天的からといって遺伝的であるとは限りません。また、論理操作能力先天的であるということは、実際に東大にいて、多くの東大生を見てきて、僕が経験的に(帰納的に)知ったことです。また、僕は、論理操作能力の高い人が東大だけに存在するとは思っていません。どの大学でも、名前が知られている大学なら、上位何%かは論理操作能力先天的に高い人だと思います。東大は、その「何%」が、1~2割程度になっているぐらいです。東大は、一般教養の代わりに、シンフリ制度最初は全員教養学部に属し、1年~2年前期までの成績で、他の学部学科に転籍する進学振り分け制度)を取っているので、学部・学科によって、論理操作能力の高い人の全体に占める比率は大きく異なります。シンフリ点数の高い学科は、やっぱり、論理操作能力の高い人が多いと思います。シンフリとかシケプリシケタイシケ長かいった言葉を知っていることは、僕が実際に東大卒である傍証にはなると思います。

追記2:

言いたいことが伝わってこない、という人が何人かいるのですが、そういう方は、どこが悪いか教えていただけると幸いです。理系出身なので、各段落の1文目をキーセンテンスにして書く点や、曖昧性がないように書く点だけは気をつけて書いているつもりです。文章が長い(冗長性が無駄に高い)のは、校正してないのでしょうがないと思っています。

追記3:

何で「論理操作能力」っていう言葉定義しただけで、こんなに反論が多いのだろう。とりあえず、「論理操作能力が高い」=「与えられた前提から単位時間あたりに論理的な推論を用いて導き出せる有意義な結論の数が多く、また、その推論が精確なこと」と定義しておく。単に論理的な推論がたくさん出来るだけ(=論理演算能力が高い)では、コンピューターの方が人間より優秀だということになってしまう。論理的な推論を重ねて、「有意義な結論」を見出さなければならないから、「操作」という言葉を使った。また、人間は推論を間違えることも多々あるので(例えば、A→Bが、議論を進めていくうちに、B→Aも成り立つことになっていたり)、推論が精確であることも重要なので、「推論が精確なこと」を定義に含めなければならない。

コミュニケーション能力」とか「国語力」とか「人間力」とかよりも、ずっと精確に定義できていると思うのだけど、何でこんなに反発を食らうのか分からない。

追記4:

英語を使うと冗長すぎるって言われそうなのでやめておいたのだが、やっぱり、書くことにしてみた。操作は、"operation"の意味で使っています。"operations"のように複数形に出来ることが大事。まぁ、"manipulation"の意味でもよいかもしれない…これも、"manipulations"にできるからね。"control", "exploit"の意味では使っていません。

追記5:

ところで、上条当麻イマジンブレイカー論理操作能力の一種だと思います。今週の禁書IIも見てね!!

2010-12-24

http://anond.hatelabo.jp/20101224200108

詩の朗読とか、おっぱいの話とか、内省とか。

リクエストで「なんでもおまんこ」入りました

運営コメ「お察し下さい」

となりの編集者山田さん、完全にできあがってる

おまん朗読中、音声の乱れによる妨害が入る


谷川さんに質問コーナー

Q:恋愛してます

A:個人情報保護法に準じてお答えしません

Q:サンタは信じます

A:商業主義の塊だと信じます

Q:幸せに感じる時は

A:寝るとき。夜おしっこに起きない

Q:(谷川さんから)みなさん誰と見てますか?

A:彼女

谷:許せないよぉそんなの~


即興で付けた詩にタイトルコメつけよう

気になったの抜粋

KAGEROU

くぎゅううううううううううううううううう」

イカ娘


Q:なんの酒飲んでるの

A:石川県の「吉田蔵」

2010-10-07

http://anond.hatelabo.jp/20101006212138

元増田純粋に作品そのものを評価できずに

【本人の考え=作品】

って構図でしか見られないならそれは仕方がない。

けれど、それは

【本人の見た目=作品】

と大した違いはないよ。

元増田が素晴らしい!と思っている物(非メジャー・作品中心)と、

嫌だと思っている物(メジャー・作品意外も重視)と、

全く変わらない。

作品の付加価値元増田精神・根性論に結び付けて評価しているのと同様に

メジャー付加価値を外見などに結び付けている事が多い。

ただそれだけ。

自分元増田と全く考えは真逆で、ネットでの配信という敷居の低さは

そうしたセールスのための精神・根性論や外見から解放されて

作品の質そのものが見出せる物だと思っている。

ブサイクだろうが片手間だろうがマイナーだろうが

素晴らしい物を配信しやすく、受け入れやすくなる。

ただ、元増田はすごくアマチュア精神信者だと思うんだ。

100人にしか受けない作品と、100万人に受け入れられる作品の違いって何だと思う?

それは効果的なプロモーションや偶然でない限り、その作品が”万人に受け入れられる”事を念頭に置いたからだ。

プロというのはそういう事で、そうした作品がメジャーと呼ばれる。

そこをテレコに考えているから話がおかしくなるんだ。

あともうひとつ

追い詰められてギリギリ精神状態で作った作品と

幸せで余裕のある時に作られた作品、どちらが素晴らしいと思う?

それは作品の中身そのものであって”質”ではない。

精神状態がモロに出る、とはそういう事だ。

全生涯をかけて作り上げた一曲を全財産をつぎ込んだ楽器で奏でるよりも

散歩中に口笛で即興した一曲の方が素晴らしい事がある。

作品の質とはそういう物だよ。

2010-05-12

隣室に外国人の親子二人が引っ越してきた。東欧から来たそうだが、母親の方は学生時代日本留学していたらしく(その後帰国→結婚出産離婚→再来日)日本語は達者だった。

子供の方は中学生女の子だった。引っ越してきた時は小学生だった。

よくあるシングルマザーの例に漏れず、母親仕事(翻訳家出版業らしい)で深夜まで帰宅しない日が多かった。そのため、右隣に住んでる俺と左隣に住んでる老夫婦が時折娘の面倒を見ていた。まあ、実際に見るのはもっぱら老夫婦だったが、俺の部屋にも月に何度か来ていた。目当ては俺のゲーム機と部屋に散乱している漫画で、来るたびに少年ジャンプを一心不乱に読んでいた。

母親が泊まりがけになる時は、徒歩5分の所にあるツタヤに連れて行って映画アニメDVDを借りてやったり、それを再生するためのプレステ2を貸してやったりもした。

俺自身も母子家庭に育った事もあり、彼女の人なつっこさも手伝って、かなり甘やかしてしまったと今は思う。そのうち彼女のためだけに少女漫画雑誌ゲームソフトを買い置きしてやったりもしていた。

それが当たり前になって1年か2年過ぎた頃、休日に部屋でゴロゴロしてたらインターホンが鳴った。ドアの前に彼女母親が一人立っていて、食事を作りすぎたので食べるのを手伝って欲しいとの事。

彼女母親料理の旨さは以前に何度か差し入れられた時に知っており、ちょうど小腹も空いていたのでご相伴にあずかることにした。彼女中学部活動のため外出しており、部屋にはいなかった。

食卓に並べられた料理の数と量から、それが間違って作りすぎたのではなく最初から自分を招くためだった事を何となく察していると、彼女母親は俺にとんでもない相談をしてきた。

「娘の初体験の相手になって欲しい。」

どうやら、彼女らのお国では女性は十代前半で男性経験するのが一種の文化のように定着しているらしい。なので母親はてっきり、娘が俺と経験済みだと思っていたそうだ。

彼女らの価値観では、あの年頃で男性経験していないというのは初潮を迎えていないのと同じくらいに深刻な事態らしい。そのため娘自身も俺とそうなるきっかけがつかめず悩んでいるのだという。

当然俺は拒んだ。

「そんなことをしたらこの国では犯罪だ。」

「私の国でも犯罪です。でも私の国では黙認されていますし、ここでも、娘と私が望んでいるのであれば何も問題はありません。」

「問題はなくとも私の良心が痛む。彼女可愛いとは思っているが、それは彼女子供だからだ。」

「痛むというのであれば、子供扱いされている娘の心もまた同様です。このままでは娘は一人前の大人になれません。いずれ愛する人と結ばれる時、未経験と分かれば相手を酷く失望させるでしょう。娘にそんな思いをさせられません。」

まさかこんな所で文化の違いにぶち当たる事になるとは。

これは後で知った事だが、祖国に住む祖父母の強い希望で、彼女中学卒業に合わせて二人は帰国する予定だったらしい。十五歳になってから祖国で相手を見つけるのは、彼女にとっては耐え難い事なのだそうだ。

埒があかないと感じた彼女はこう言った。

「私もあなたを困らせたくありません。日本人であるあなたに、私の国の常識を一方的に押しつけるのは気が引けます。そこで、もしあなたが、いずれ娘の夫となる事を約束してくださるのならば、私も娘にその日が来るまで待つよう説得しましょう。あなたは娘が結婚できる年齢になるまで悩む事はなくなりますし、あなたが夫になるのならば娘も未経験である事を悩む必要はなくなります。」

俺は考えた。彼女結婚できる年齢に達するまであと2年近く、現実的に考えれば5、6年はあるだろう。その間に彼女の気が変わったり、日本の生活に慣れる事で祖国の風習にとらわれなくなる見込みもある。その時に彼女からの自発的に「婚約」の解消を申し出るなり、自然消滅するなりしてくれれば何も問題はない。

何より、差し迫った問題を当分先延ばしに出来る事が何よりも重要だった。俺は悩んだが、母親の提案を承諾した。彼女が成人したら結婚する、と。

隣に住んでいて、理由もなく疎遠になれるはずもない事が予測できない位に、俺はテンパってたんだろう。控えていた転勤の予定が会社の都合で立ち消えになったのも大きかった。

なんだかんだあって、結局彼女が十八歳の時に結婚した。例の祖国の風習が母親即興でっち上げた嘘だった事は、その数年後、嫁の妊娠を報告した時に知らされた。それと前後して、母親(今は義母)は旦那(彼女の実父)と元の鞘に収まっていた。

2010-01-23

ネトウヨと呼ばれる人たちの主張には「日本外国人に乗っ取られる!」とか「大切な日本が壊される!」といった将来に対するぼんやりとしたデメリットを説くものが多いように見える。

しかし、そのような主張は一般人からすれば「で?」で終わってしまう。

自分にどのようなデメリットがあるか体感できないからだ。

人は自分体感できるデメリットを避ける方に動く。

例えば、血液型性格判断も、科学者が「関連性のある証拠は出ていない」と主張しているにも関わらず、未だに一般に流布している。

これは一般人にとって、血液型性格診断を肯定することによって生じる「科学的に不正確な主張をする」という薄いデメリットより、血液型性格診断を否定することによって生じる「場の雰囲気を壊す」という大きなデメリット重要であるために、血液型性格判断は肯定されているのだ。

これにならってネトウヨと呼ばれる人たちも、もっと一般人の身近な例にまで落としこんで、主張を行えばよい。

派遣パートの皆さん!○○人が日本に大量にやってくるとあなたはクビですよ!○○人は時給500円でも喜んで働きますよ!○○人とあなた、雇い主はどちらを雇うと思いますか?」

「お年寄りの皆さん!○○人が日本に増えると、みなさんに支給される年金医療費の補助が減額されますよ!外国人である○○人に補助が出されるからですよ。その財源はどこから出るか考えたことはありますか?」

サラリーマンの皆さん!○○人が多く働くようになったら、○○語も話せるようにならないと、業務ができなくなりますよ!英語でさえ大変なのに、○○語まで学ばなければいけなくなりますよ!」etc...

上の例には即興で作ったものなので、バカバカしいものばかりである。

しかしもっと時間をかけて、一般人にうける主張を作れば効果は高いだろう。

「なんとなく外国人参政権反対」と「なんとなく外国人参政権賛成」では、デメリットが明確でないために、雰囲気に流されて、後者が選ばれるだろうが、「なんとなく外国人参政権反対」と「自分失業するリスクを冒してでも外国人参政権賛成」では前者が選ばれるだろう。

ネトウヨとよばる人たちがその主張をより一般に広めるためには、デメリットを明確にした主張を押し出していく必要がある。

2009-11-17

 肉がお好きで、卒寿を超えてもステーキフォアグラを一度に頼んでいたという。脚本家倉本聰さんが「存在そのものがすでに演技」と惜しむ森繁久弥さん、96歳。後輩のために弔辞を読む役回りを退き、いよいよ聞く番となった▼人も芸も軽妙だった。TBS生放送ドラマ「七人の孫」で、お手伝いさん役の新人女優をいたく気に入った森繁さん、放送当日、急坂のラーメン屋台という妙な場面を注文する。台本なしの本番。屋台の丸いすに座ったご隠居は、即興で横のお手伝いにすり寄った▼新人がうぶに押しのける。屋台は坂をずり始め、2人は抱き合って倒れ込んだ。このわるさ、配役を任された久世光彦(くぜ・てるひこ)さんが『今さらながら大遺言書』(新潮社)で明かしている。相手は後の樹木希林さんだ▼女性を愛し、映画でも尻や胸によく手が伸びた。パシッとやられて退散する流れがおちゃめで、いやらしさはない。座談の色話には軽(かろ)みが漂い、エロというより、小さな字で助平と書きたいおかしみがあった▼大阪人サービス精神に、大御所の威厳がいい案配で重なる。銀幕の盛りはチョビひげ、晩年は白いあごひげの相を大衆記憶に刻んだ。お座敷でのドジョウすくいと文化勲章。どちらもはまる自在の人だった▼勝新太郎さんや芦田伸介さんら、仲間に先立たれる思いを「朝寝坊ロケバスに乗り遅れた私だけがまごまごしている」と記している。「生きているやつはみんな哀れなんだ」と。久世さんも、最愛の妻子も待つ次の現場に向かって、悠然とバスに消えた。

2009-10-24

ブラザートム

この先数ヶ月の住処にあえて増田を選んだのはこのバタ臭さが有るからだ。

恨み、罵倒、叱責...。喧嘩なんか毎日起こる。

そんな所で独り酒を飲んでいるタチの悪い人間だと思ってくれていい。

1つ嘘をついていた。もう一年上前から書く事なんて実は総て即興なんでな(笑)

だから大金かっぱらう良い作戦練ったぞなんて大ボラもいいとこだ。

この場所に居たらネタなんか腐るほど有りやがるんでな。詩、作曲小説...。

トム・ウェイツか...。アンタがずっとやっていた事は多分こういう事なんだろうな。 

                           〜T.H.    

2009-10-06

即興駄文

愛することは最大最悪の愚行だと彼女は言った。

等身大自分というものを確立できてないからそう言うことを口にするのよ」、と。

正直なところ、ぼくにはその言葉真実なのかどうかが分からない。彼女の中では間違いなく真実なのだろうけれど、だからと言って全人類共通の答えにはならないだろうと思ったのだ。

そのようなことを口にしたら、今度は嘲笑を浮かべて馬鹿にされた。

「当たり前じゃない。全人類共通の答だなんて存在し得ないわよ。それともなに、あなたはその全人類共通の答ってものにあって欲しく、それに則って生きていたいわけ?」

どうしたいのか分からず黙っていると、

「呆れちゃうわね。自分のことも分からないなんて」

そう言って、彼女はぼくの部屋を出て行った。後腐れを残す間もないくらいにすっきりとした別れ方だった。

彼女と交わった湿気が残るベッドを尻目に、ぼくはベランダに出て煙草に火をつけた。開け始めた夜に、立ち昇る紫煙はよく似合う。これで朝日を拝めたのならば、少なくとも半年近く冷蔵庫の中で忘れ去られていた人参ほどに萎れた気持ちが洗われたはずだったのだけれど、生憎今日は雨だった。

青灰色に染まった雨雲は、しとしとと染み込むかのような小雨を落とし続けている。服はもちろんのこと、肌にも髪の毛にも、湿気が纏わり付いているような天気だった。

遠くの空では早起きの烏が朝を告げている。都市では、一番早起きなのが烏なのだ。他の生き物はまだ眠りについているか、あるいは夜更かしをした奴らしか残っていない。

ふぅ、と、勢いよく煙を空に吐き出してやった。当然のことながら空にまで届くはずもなく、煙はぼくの目の前で霧消していく。

「あなたは愛することが幸せだと思っている。自分が愛してやればその人は幸せなんだと信じきっている」

目尻に涙を浮かべながら彼女は言った。

「蜜を与えていればいつまでも懐いているだろうだなんて思わないで」

ぼくは間違えたのだろうか。彼女が望むことは何でも叶えてきたつもりだったのに。彼女が嫌な思いをしないよう、どんな時でも、どんなことにでも対応できるように準備を怠らなかったのに。

どうしてぼくは彼女を泣かせてしまったのだろうか。追い詰めてしまったのだろうか。

紫煙を肺の中一杯に吸い込む。短くなった煙草は赤く燃え上がりながら灰を長くさせていく。

彼女は無事、家に着けただろうか。夜道をひとりで帰って危険ではなかっただろうか。嫌がられたとしても、追いかけるべきだったのだろうか。

ぼくは何をしたらよかったのだろう。

答が見つからないまま、煙草だけが短くなっていく。心なしか青色に染まった街並みは静かで、ぼく以外に誰も息をしていないように思えた。




以下問題点考察

テーマ性の欠如

・結論が不透明

・その他諸々でいろいろと駄目

結論

駄文

2009-09-27

http://anond.hatelabo.jp/20090927190749

手続きで簡単に変更できるって事は、圧力をかければ好き勝手に他人の名前を変えられるという事でもあるわけで。

「えー、『綾小路』君。」

「なんでしょうか部長。」

「その、結婚後の君の新しい名字なんだがね。」

「はい。夫と一緒に考えて、とても気に入ってます。」

「それなんだが、その、今度君にも参加してもらう新規プロジェクトの取引先の担当者も『綾小路』さんなんだ。」

「へえ、偶然ですね。何だか親近感沸いちゃうなあ。」

「そこで、その、しばらく名字無難なものに変えてもらいたいと思ってるんだ。」

「え?」

「いやね、同じ名字の者が複数名いると何かと不都合があると先方から要請があってね。我々も君があのプロジェクトに不可欠な人材だという事は再三言ったんだが…。」

「そんな、承知出来ません!」

「うん、それは私も重々承知している。君が拒否するのも無理は無い。なのでとりあえず、その、折衷案なんだが、プロジェクト立ち上げ時に君がいると色々と角が立つから、ある程度現場がなじんだ頃に途中参加という形で君に入って貰いたいと考えてるんだが、どうかな。」

「ちょっと待ってください!あのプロジェクトの発案は私のチームなんですよ?どうして私だけが外されなきゃならないんですか?」

「うん、うん、それは本当によく分かっているつもりだよ。しかしあれは我が社の社運を賭けた一大事業だ。最新の注意を払いながら進めたいという上の意向もある。こういう些細な事で最初から火種を作るわけにはいかんのだよ。分かってくれ。」

「………。」

これは俺がたったいま即興で作った小芝居だが、奇をてらった中小企業とか、結婚した人(社員に限らず)に「社名と同じ名字に変更したら祝い金xx万円」とかやりだしそうだよな。

2009-08-21

天才が死んだ

天才が死んだ。彼女とは高校部活で出逢った。自分という可能性に自惚れやすい時期だったにもかかわらず、自信という自信を木っ端微塵に打ち砕かれた。圧倒的なまでの天才。その天才が死んだ。自殺だった。

次の休日。同じ部活だった後輩に会いにいった。もう何年も会ってなかった。後輩は天才と同じ道に進んだが、持っているモノが違いすぎた。歌手としてデビューするもパっとせず、今は秋葉原路上パフォーマンスをしているらしい。駅をでるといくつもの人だかりができていた。大きなかたまりから探していくと見つけることができた。7番目だった。体に密着したエナメル衣装は申し訳程度に体を隠すだけで水着と遜色のないくらいに肌が露出していた。不自然に高い甘えた歌声は観客には届いてないようだった。ぴろりん。ぴろりん。観客たちは忙しそうに彼女スカートの中身を携帯メモリーに入れていた。

前日の夜、友人に電話をした。彼女天才に打ちひしがれたひとりだった。あるとき彼女徹夜して書いたスコアを持ってきたことがあった。小学校の時、ベースに目覚めて以来、毎日練習を欠かしたことのなかった彼女は上手だった。少なくとも同じ世代の中では間違いなく上位だった。でも上手なだけだった。恥ずかしそうに彼女演奏を終えると部活のみんなは聞き惚れていた。いい曲だった。だが天才が、ここはこうした方がいいんじゃない即興で直すと、はるかにいい曲になり、全体を直し終える頃には、震えるくらいの曲にまでなった。これは暇つぶしに作った曲だから。耐えられなくなった彼女はそういって徹夜で作ってきたスコアを破いた。

電話に出た彼女天才の死を知っていた。運良くメジャーデビューできたけどやっぱり彼女にはムリだった。出す曲はワンパターンだし、ピークは3年前。そんなことを言う彼女に今なにをしてるのか尋ねると詩や曲を作っていてるらしい。「それよりも今」興味のない話を打ち切るように彼女は言った。「学園祭映像を見ているんだけど、懐かしいなー、みんな若くてカワイイし、このときは良かったよなあ」それは彼女ヴォーカルで、天才がバックをやってた時の映像だった。彼女は何年も前からそんな調子だった。

後輩のパフォーマンスが終わり後片付けをしていたところに声をかけた。思いの外、彼女の驚きは少なかった。先輩、お久しぶりです。そう挨拶され近くのファミレスに行くことになった。世間話から会話をはじめたものの、それもすぐに尽き、話題はやはり天才のこととなった。本当に残念です、と俯く彼女は、友人とは違い、心から悼んでいるようだった。天才と同じ道に進むくらい、誰よりも憧れていた彼女

「ねえ」尋ねるべきではないかと思っていたものの聞かずにはいられなかった。「なんでそんなことしてるの?」

「ああ」過去を思い出したのか彼女は苦笑いして答えた。「わたしこういうの否定してましたもんね」

そう。彼女は誰よりも、今の彼女がしているようなものを否定していた。

「耳にタコができるほど聞かされたからね。あんなの音楽じゃない。恥知らずで信じられない。って」

「あはは。そんなことも言ってましたね」

「じゃあ――」

「先輩。やっぱりわたしには才能がありませんでした。部活の時からわかっていましたけど、実際にプロ世界仕事をして、もしかしたら、なんて淡い期待も消え去りました」そう言うと彼女の瞳がまっすぐにこちらを向けられた。「でもね、先輩。やっぱりやめられないんです。わたし。それでも音楽がやりたいんです。続けたいんです。だから音楽ができるなら、たとえそれがむかし軽蔑してたようなことでも、頑張ってやらさせてもらってるんです」

「まあ、できればやっぱり、多くの人に聞いてもらいたいんですけどね」照れ隠しに笑う彼女に対して私は曖昧な返事しかできなかった。

頭がぐるぐるしていた。家に着くとベッドに倒れ込んですぐに眠った。とにかく眠りたかった。けど夜中の2時に目が覚めた。冷蔵庫ミネラルウォーターを取りに行きソファーに座るとDVDラックが目につき、学祭DVDプレイヤーに入れてみた。流れる映像。あたしたち。音楽。また頭がぐるぐるしてきた。でも眠った。明日は仕事だった。

2009-06-14

リングドクターがいれば三沢は助かったのか問題

年に30興行は観戦するプロレスファンです。少し気になったことを書かせて下さい。

POP UP » 三沢選手死亡の毎日新聞記事が、突如書き換えられる (permlink

通常プロレス興行にはリングドクターが同行する

そんなケースの方がまれですよ。そんなに経費のある時代ではないしそういう慣例もないです。

ジャガーさんの旦那さんもプロレスドクターではありません。格闘技リングドクターです。

というか「通常リングドクターがいる」ように思えていること自体が、すでにプロレスギミックなんです。

リングドクターがチェックせざるを得ないような緊迫した展開」のために本物か偽物かのドクターを用意していたのが始まりでしょう。

ブコメを見ていると、その幻想と「危険スポーツだからドクターがいるべき」論が混ざってしまっている気がします。(permlink

プロレスはきたえられし者同士の即興芸術であって、身体の壊し合いではないので格闘技に比べればリング禍の可能性は低いはずでした

しかし あの三.沢でさえリング禍に斃れたという事実を受けて、プロレス業界とファンはプロレスの安全管理真剣に考え直すべきでしょう。

散文になってしまいましたが、ドクターの不在を団体に責めるのは現状ちょっと違うのかなという気はします。

「いるべきだ」「いないから死んだ」というようなスジ論が先行しないことを祈ります。

2009-05-06

オタクだから負け組? オフ会で知った3つのこと

オタク負け組だとかそんな感じで「オタク」という言葉を使う人が結構多いように思う。

それに対しての1つの回答みたいなのが先日参加したオフで得ることができたので、書いておこうかなと。

ちなみに、集まりは、ニコニコ系のオフ参加者新参といえない人ばかり)

オタクだから」ってのは意外と少ない

 話の内容としては、ニコニコとかそのあたりのサブカルが多いけども、とっぴもない話に進むことはなかった。

 最近話題となる、同人イベントとかのニコニコユーザの素行の悪さとはまったく別だった。それは、単に年齢層が高いってのもあるかもしれないが。

 

パートナーのいる人が多い

 「オタク=もてない」とかいうのは単なる妄想だというのがはっきり確認できた。とても突っ込んでる人だとおもった人でも、既婚者だったりすることが多数。

オタクだからこそできること

 その場をサクッと絵に描いてしまえる、即興音楽を作るなど、そういうことをして盛り上がったりもした。

 これは、ひとつのことに対して興味を持ち突き進めるってことの良い例だと思う。

 中には、料理とかその他、いろいろと披露してた人もいた。


オフだからなの?

 これらから、オタク負け組ではなく、オタク=芯を持った人達ということなのではないかなと。

 確かに、独特な雰囲気を持ってる人はいる。それは個性だし、それが持ち味だとおもう。

 今の社会の話とかニコニコの話とか、、、リア友と話してるのとまったく変わらない。

 知らないことは教えてもらったり、教えたり、そういう点でも内向的イメージのあるオタク像ってのは良い意味で崩された。

 オタクは単にサブカルとかで群れてるってだけでだからって特別なことはないね。

2009-04-22

男M女Sが流行してるそうだけど

僕もMなのだけど、その流れにはかなり同意できる。日本人にとってとても自然な流れじゃないだろうか。

大体、私どっちかというとMなんだー、なんていう「なんちゃってM」は次には「でも痛いのはイヤ」とか言い出す。

ふぅって感じだよ。

さて、僕はMなんだけど、しばらく「こんなMだと女性に嫌がられるんじゃなかろうか」と思い、普通を演じていた時期があった。

その間の恋愛、すごく「フツー」だった。「まぁ、こんなモンだよね」みたいなものだった。本当に跡に何も残らない、フツーのお付き合い。

で、ある日、自分性癖を思いっきり曝け出して、M全開でやってみた。

嫌われるかと思った。実際に相手はSだのMだのを「下らない」なんて言っていたのだ。「君が好きだというのなら、そんなプレイもしてあげるよ」と、嫌々ながらのお付き合いで、してもらった。

具体的には、僕が何か悪い事を即興でして、彼女に叱ってもらうというもの。ベッドの上で丸くなって「許して、許して」って言う。彼女に、言葉巧みに攻めてもらい、足の裏で蹴っ飛ばしてもらう。

蹴る足が痛かった。彼女SMなんぞに興味が無いから、蹴り方が分らないのだ。でも、僕はそれを受け入れる。相手を愛してるから、痛みも許す。僕は痛いと思いながら、幸せだった。

で、彼女はというと、Sに目覚めていった。

そう、女性が攻めるから、僕の中の男性が、彼女女性を負かす事が無い。

そうなると、彼女は「Sの自分」を演じはじめた。

足蹴にされたその日、僕は耳をなめられた後、ガリっとかじられた。「い、痛い」というと「ふぅん、痛いんだ。でも、○○はヘンタイだから、痛いのキモチイイんだよね?」「は、はい」「フフ」なんてやり取りをするまでになった。

その日にはもう、僕をドキドキするようないじめで楽しませてくれるS女になっていた。

そこから彼女は、僕にえらく心を開いてくれたと思う。僕が彼女に甘えると、幸せそうに僕の頭をなでてくれたり、何も言わないのに一緒にお風呂に入れてくれたり(頼んでないのに向こうから体を洗ってくれたり)、何も言わないのに一緒のベッドで寝てくれたりした。

言葉使いやら細かい所はSなんだけど、基本的に尽くしてくれる。

これはいいと思った。

それ以来、僕は女性との付き合いにはMに徹した。

ことごとく、すごく上手くいく。相手の心を開くんじゃなく、相手が心を開いてくれる。

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でも、実を言うと、僕は自分以外の男性でMというのを見た事が無かったりする。

僕はどんな女性でもSにする自信があるし、してみせた。

けど、大体SとかMとかちゃんとできる人だと、男はSしか見たことがない。

本当に男Mって流行してるんだろうか。ちなみに「男M女Sが流行」のソースは、知り合いの乱交パーティ主催の人。

2009-03-15

即興的な話しかたから脱却したい

どうしても話の進めかたが即興、というか行き当たりばったりになってしまう。

筋道立てて話すってことができない。

遠くまで伸びる筋道を気にすると、言葉の滑らかさがなくなったりリズムが失われたり、言葉が飛んでしまったりする。

なんとかならんかな。

2008-12-16

だけどOKAMA

http://d.hatena.ne.jp/takerunba/20081216/p3

ニホンノミカターネバタカラキマシター

マカオオカマアナタニアイニキマシター

遠くから 来ています

MAKAOから 来ています

シルクハットちゃんとあります

すこしならブログもやってます

タケルが回って驚きました

タケルシンセツ聞いてます

タケルンバは近いですか?

ダシャレが通じず睨まれました

だけど・・・

O・KA・MA

ロードにはどちらで会えますか?

O・KA・MA

タケルンバ七変化

この国にユメが

あるのですね?

KAMA!KAMA!KAMA!KAMA!

KAMA!KAMA!KAMA!KAMA!

即興で作ったので出来栄え悪いですね(汗

どなたかヒマな方あとよろしく

2008-12-12

http://anond.hatelabo.jp/20081211224903

ハ長調と二長調が別に聞こえるってそりゃ普通だ。威張ることではない。本当はそういう雰囲気や気分の微妙な違いを考えて曲を作る。(だから昔の人はそういう違いを言いあてたいから、あれこれ表現したってわけだ)

でも、ポップスはどうかな。タダの音域あわせという発想でいいかもしれない。クラシックだって歌の場合は移調するからね、声域によって。あまり難しく考える必要はないかもしれん。

ポップス音楽理論でどこまで実践したいのか知らないが、移動ドで考えると即興で移調できたりする(訓練は必要だ、そりゃ)。あと、微妙音程感覚は移動ドのほうが感じやすいだろうな。絶対音感なんてものはどうでもいいし。ま、それも電子楽器つかうだけなら関係ないし、ギターって言っても、なあ。名人クラスはどうか知らんが、たいていそこまで考えて音程とってないだろ、普通は。

本当は歌やる人は 、自分音程を作る楽器を何かやって半音微妙な違いを鍛えた方がいい。けど、これも普通はしなくてピアノどまりだね。

音楽理論というからあれこれ書いた。続編頼むぞ。

2008-10-15

脱オタファッションは文章じゃ何も伝わらないので動画してください

皆さんこんにちはid:jkondoです。本物ですよ。

http://anond.hatelabo.jp/20081013211518

これは間違い。全身ディオールオム((すごく高くて頑張ってるブランドの例))だろうと、上記前提がクリアしてないと痛い子になってしまう。(全身ディオールオムの時点でかなり痛い子だが、それは別の話。あくまでも「高級ブランドでも」という例えなので・・・)逆に言えば、上記がクリアしてれば、全身ユニクロだろうと、H&Mだろうと見劣りしない格好は十分可能です。

脱オタファッションを説いたり語ったりするのが流行ってますが、文章でどんなに丁寧に説明しても丸っきり伝わりません。

「林檎」と書いてあったらだいたいみんな同じものをイメージしますがオタクは「全身ディティールオム」と言われても「……パワードスーツ?」と元増田と同じイメージを共有できません(椎名林檎を思い浮かべた人! 病室を抜け出したらダメですよ!!)。

同様に「丸井系」だとか単語を出されても「丸丼? 確かに丼は上から見ると丸いけど……」と若年性痴呆症が急速なスピードで進行します(ウラシマ効果が起こるかもしれません)。

だから、何にも伝わってないのです。言葉無意味で、脆弱で、薄情なのです。ちびまるこのキャラで言うと藤木くんです。

その証拠にこいつを見てください。

http://anond.hatelabo.jp/20081014062750

後学のために、どれがどのタイプに分類されるか記していただけると助かります。

オタにはまず、上記アイテムがそれぞれどのタイプに属するからダメなのかがわかりません。

根拠を明確に示していただかないと納得しないという、わりと面倒な生き物だったりします。

こいつ赤ちゃんです。まるっきり何もわかってません。「バブー」どころじゃねえです。全身赤ちゃんであり、天然赤ちゃんであり、赤ちゃん坂をわずか連載二週目で上りきって布団の中にマグナムトルネードで潜り込み3年どころか1万と2000年寝ます。

こいつの文章を2、3メートルほど離れて細目で眺めてください。「オギャー」という文字が3Dで浮かび上がってきます。これ、夜泣きですね。

「後学」だとか言ってカッコつけてますが何にも学習できません、こいつは。それにこれ別に「あとあと役立てるために知っておく」ということじゃなくて、こいつが友人グループの中で一番キモいと思ってる「うしろ・まなぶ」のことです。学は他のヤツが「俺、ブサイクだなー。でも、こいつよりはマシだよな……うん、俺大丈夫だ!」と優越感に浸りたいがためにグループ内に置かれていて、何十年にもわたって不動の地位を得ていましたが、さすがに30も後半に差し掛かってくると優越感よりも哀れさが先立ってきて「学をどうにか結婚させる会」を発足して毎週金曜日飲み会を開いてます。学の奢りで。そして「俺、学を主人公にした漫画を描くよ!」と学がひょんなことから煩悩の精(美少女!)達と出会い、108の煩悩手取り足取り1つ1つ実現していくという漫画製作中なのです。美少女キャラを108人作らなきゃいけないので、頭の中はそのことでいっぱいです。

だから「『××』は『△△』に分類されるんだよ」って言われてもどちらをイメージすることもできないのですぐにあかほりさとる作品に出てくる女キャラおっぱいを思い浮かべてしまい、どうにもご飯が進むくんです。

ということなので、いくら文章で書いても無意味だということがわかったでしょうか。

脱オタ指南は具体性がない」って言ってる人は要するに「きみは思い浮かべられるかもしれないけど、私は具体的なイメージを思い浮かべられません」と言ってるんですね。オタク脱オタ指南側が何を言ってもイメージの共有ができません!

さらに言えば、店の選び方も入り方も服の選び方も店員との接し方も会計の仕方も帰ってからの収納方法も知りません! 何にも知らないんです。何故なら他の人がそういうことを学習してる間、みんな椎名へきるのファン活動に青春のすべてをかけていたのですから……!

オタクは一般客と違うことをしてしまうことを恐れています。そんなことをすると、場の空気が凍り気まずくなりDQNな店員に睨まれ顔に唾をはかれ即興ラップで韻を踏みつつDisられ……そんなことになると思っています。しかし、どのように振る舞えば「普通」なのか、学習する方法はありません。店に行けないのですから他の客の振る舞いを見れませんし、または教えてくれる友人もいません。恥をかける年代を逃しているので失敗を重ねて修正をしていくこともできません。

だからさー、脱オタ指南の人に提案です。脱オタ指南動画で配信したらどうですか?

だらだらと文章で書かないで、一つ一つビジュアルを見せて解説していけば一発でイメージの共有ができます。買うところを撮れば店員との話し方、接し方もわかります。文章で実践編を書くよりも動画で実践してるところを見せればいいんだよ! だって「模倣」が学習の第一歩なのに文章じゃ模倣できないじゃん。あなたが実践して、成功しているところを動画で見せて、それを真似させてよ!

そんで実際にオタクをコーディネートして脱オタさせてみせればいいじゃん。

じゃあ人柱id:y_arimね! みんなでid:y_arimを着せ替え人形して遊ぼう!

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