はてなキーワード: 冬季オリンピックとは
「カーリング女子は休憩中にイチゴ食っててなごむ、ネットで盛り上がってたよ」って話したら「萌える、カーリング女子良い」とか言い出して、なんかアニメになりそうだねって話になった。
「けいおん!じゃん」
「ふだんは『そーだね』『やってみよー』とかまったりムードで相談しながら試合してたり」
「けいおん!じゃん」
「オリンピックで対決するから各国のチームも萌えキャラで登場して対戦を描ける」
「ガルパンじゃん!」
「ロシアチームの巨乳で超美人のキャラと小柄なキャラの対比とかしてもいいよね」
「ガルパンじゃん!」
「萌える!」
「けいおん!じゃん!」
「最初は学園ものからスタートさせて仲間集めから、主人公はおっとりタイプ、メンタルの脆いリーダーと、幼馴染キャラ、クールビューティーも欲しい、あとちょっと遅れて後輩キャラが仲間に入る」
「けいおん!じゃん」
「顧問の先生だかコーチが元オリンピック選手で、これも美人に間違いない」
「けいおん!じゃん」
「でも男子カーリング選手はほぼ出ない、出てもほんのちょっと」
「じゃあ物語の舞台は北海道とか新潟の閑散とした地域で、そこの寂れたスケートリンク借りてカーリング始める感じ?」
「あー、そんで幼馴染とか、これは男でもいいや、知り合いが働いてんの」
「ユーリ!!! on ICEじゃん!」
「冬季オリンピック繋がりじゃん!」
「前半は学園生活編だね、最初の試合は近所の高校チームと対戦する、次第に強くなって国内遠征で地方巡業させよう、聖地巡礼になるし」
「その辺でまったり見せつつ序盤は初心者キャラ相手にカーリングの基本ルール叩きこんで、視聴者にもカーリングのルールに慣れさせる、6話位散らしてやれば、戦略とかもそこそこ頭に入るね」
「後半はオリンピック編、コーチのオリンピック時代の過去話は絶対必要」
「で、決勝リーグではガチの戦略が展開して超燃えつつ、おやつタイムで萌える」
「かなり見たい」
「あーもーいいわー電通でもカドカワでも入って制作員会立ち上げてやって欲しい」
「っていうかどっかのアニメプロデューサーが今そういう話してる筈」
「もしかして、前回の冬季オリンピックあたりで、フィギュアスケートでそういうのが…」
「あったのかもー!!」
「もう全部入りでやっちゃってよ、こういうの観たいんだろ?って感じの。俺ら観るし」
「っていうかもう観た、観た気になった。目に浮かんだわー」
みたいな話してすげえ盛り上がったので、どこでもいいからこういうの作って下さい。
お願いします。
日本はオールラウンドに弱い(強い)から他所もそんな感じなのかと思ってたけれど、国ごとにお家芸がはっきりと別れてるんだな。夏季だと日本は柔道で荒稼ぎしてるからなんだかずるい気がしていたが、それが普通なのかも。
下町ボブスレーについて思うことがいろいろある。
人にたいして伝えられるかたちになるとは思わんが整理するためにも書いとく。
まず、自分は趣味のレベルであるが機材スポーツを楽しんでいる。
そのスポーツのプロがどのような生活なのかもなんとなく知っている。
ボブスレーについてはまったく知らないが共通する部分はあるんじゃないかな。
あと、この話題なんだかなぁって思いながら見てて深く見る気になれないところがある。それゆえ間違った認識をしている部分もあると思う。
下町ボブスレーの言い分、なぜ訴えるか。
これは理解できるんですよ。
それでタイムが向上しオリンピック予選も負けるわけに行かないのでそのまま使用。
でオリンピック直前になっても肝心のボブスレーが検査に通らず使えない。
なので本番もエストニア製を使うことにした。
やむを得ないですよね。
しかし、しかし、これやっぱ下町ボブスレー側がアレなんだろうなぁ。
まず下町ボブスレーは数年前に立ち上げられてソチで日本代表に使わせようとしたんでしょ?
しかし日本のボブスレー協会とは違うところで勝手にできたプロジェクトで出来上がったものはこの時も検査に通らない。
で、狙ったのがジャマイカ。
若い人はあんまり知らないかもしれんけど南米ジャマイカのボブスレーチームって雪の無い国が冬季オリンピックに出場したと映画化されたりもしたのよ。
なんでジャマイカのボブスレーってすごくネームバリューがある。
みたいなノリだったんじゃないかなと。
もっというと豊かな国でもないし機材スポーツって本当に金がかかるから多少性能が悪かろうが機材提供はありがたいのよ。
なんで断るわけないよなって足元見てオファーしたんじゃないかと。
本だしてドラマ化して、もしかしたら映画化もするつもりだったのかもしれない。
そこで金を回すためにボブスレーを使ったんだろうね。
おそらくジャマイカからも予選でエストニア製を使うことは連絡されててそれを黙認したんじゃないかと思う。
予選で間に合わなくても本戦で使えたらストーリーとしては問題がないからな。
で本戦になっても検査通らない、ジャマイカも使わないで焦って訴えることでなんとか損失を押さえようとしているんじゃないかなって思ってんだよね。
なんかねーボブスレーどうでもいいんだろうね。
なんでボブスレー?
ボブスレーのソリなら作れんじゃねぇの?
みんな知ってる競技だしちょうどいいじゃん。
みたいな。
話題ありきで動いてる感じ。
もうクソですわ。
悪文だなぁ
まぁ便所の落書きっすよ。
はてな界隈だと、東京オリンピックなんてさっさと返上しろというのが意見の主流だけれど、
なんだかんだいって、4年後の夏には、それなりに盛り上がるだろうし、
選手が活躍さえしてくれれば、「やっぱり東京オリンピックをやって良かった」というのが、世論の主流になると思う。
なぜ、そう思うかといえば、長野オリンピックの時のことを思い出すからだ。
長野オリンピックの招致が決定したとき、今回の東京とは比べ物にならないくらい、盛り上がってはいなかった。
1991年のことだから、すでに、バブルは崩壊の兆しが見えていて、
まあ「失われた20年」がそのあとやってくるとは思っていなかったけれど、
不景気の入り口で、あんな土建屋がもうかるだけのプロジェクトやって大丈夫なんかという雰囲気があったし、
西武鉄道のグループ総帥、堤義明を中心にした政財界の利権のためだと、みんな思っていたからだ。
しかも当時、ウインタースポーツのスターといえば、フィギュアスケートの伊藤みどりくらいで、
(実際、92年のアルベールビルで銀メダルは取ったが、長野には出てない)、
日本で冬季オリンピックを見たい、という需用自体が、それほどなかったんではなかろうか?
それでも、東北・上越以来、久しぶりの開通となる長野新幹線の工事が進んだり、
志賀高原では、難易度が高く見せ場のあるコースをつくりたいスキー連盟と、コース設営が自然破壊だとする地元環境団体がもめて
そもそも、長野というのは、当時、冬季オリンピックの開催地としては最南端で、
年によっては、十分に雪が降らないこともあったりしたもんで
「利権のためにオリンピックなんか呼びやがって、まったく、今からでもやめられないのかね?」という世論は
それなりに蓄積されていた気がする。
当時は今ほどネットが成熟してなかったから、今ほどそれが顕在化することもなかったけれど。
そうこうするうちに開会式の日を迎えたのだが、それでもまだ、盛り上がりには欠けていた。
放映時間の時差の関係で真昼間に開会式を挙行しなければならなかったので
花火や照明をつかった鮮やかな演出が使えなかったというのは、確かに気の毒なのだが、
大体、浅利慶太がなぜ総合演出を手掛けることになったかといえば、
自民党の御用文化人だったから、というのはみんな分かっていたことで、
そもそも、あの人は、確かに政治権力に近づきつつ、日本においてミュージカルを「ビジネスとして成立する」ものにまで育て上げたのは
物凄い功績だと思うけれど、まあ、芸術家(演出家)としての評価は推して知るべしである。
ちなみに、先ごろ亡くなった蜷川幸雄は、すでに80年代には「世界のNINAGAWA」の名声を得ていたんだけれど。
これも、「オリンピックなんて、偉い人の利権とコネで進められている」ことの一つの証拠と思われていた。
開会式当日、なぜか、現代風にアレンジした巫女風の衣装をきて聖火台に点火する伊藤みどりの姿は、
なんだか、見てるこっちが恥ずかしくって、
日本女子フィギュア初の銀メダルをとった偉大な選手に、なんてことをさせるのかと憤ったものだ。
なぜかBGMにはプッチーニのオペラ、「蝶々夫人」のアリア「ある晴れた日に」が流れていたが、
あれは、かつて政治力を駆使して、イタリアでこのオペラを演出したことのある浅利慶太の自己顕示欲とコンプレックスがないまぜになった
選曲だったと信じている。
当時、伊福部昭は存命だったし、坂本龍一も、今ほど政治的な色もなくて純粋に「教授」として尊敬されていたし、
久石譲だって、すでに「宮崎アニメの作曲家」として評価を得つつあったのに、なんでそういう人たちに作曲させないで、
そんなこんなで、開会式を迎えても盛り上がらなかった(当社調べ)長野オリンピックだが、
日程を重ねるにしたがって、日本中の人々をテレビにくぎ付けにすることになった。
それは、日の丸飛行隊の、活躍であったり、キング・オブ・スキー荻原の雄姿であったりの、素晴らしいドラマがあったからだ。
スキージャンプ団体で、大雪が降りしきる中、原田雅彦が大ジャンプを決め、後続の船木選手を、
今にも泣きそうな顔で「ふなき~! ふなき~!」と見守っていた映像をご記憶の方も多かろう。
このとき、団体メンバーから外されメダルを取れなかった悔しさが、
結果としてレジェンド葛西紀明を生んだ、ともいえる。
閉会式の司会が萩本欽一、というのも、当時、「オリンピックについて決めている偉い人たち」のずれ具合を
如実に示す出来事だと思われていて、
すでに萩本欽一は「テレビ的に過去の人になるつつあるタレント」だったし、
欽ちゃん的なボケとかツッコミっていうのは、日本人同士で通じるもので、
あのノリを世界に向けて発信したら壮大に滑るんじゃないかと、自分の周りの人たちはみな心配していたが、
なにしろ、競技自体が盛り上がって、会場に集った選手たちが盛り上がってくれたせいか、
萩本欽一も、さすがに、わきまえた人なのか、
いわゆる「欽ちゃん節」は抑えて進行していたし。
かくて、無事、オリンピックは無事終了し、ウインタースポーツに新たなスターと伝説が生まれ、
テレビには「感動のオリンピック総集編」みたいな番組が溢れることになったのである。
その後、長野の財政がオリンピックのせいで、けっこう苦しいことになったらしいとか、
西武の株式をめぐるごたごたで有罪となり、表舞台から退場したはずの堤義明は、
いつの間にか日本オリンピック委員会の最高顧問になっていたらしいとか、
いろいろあるのだけれど、
選手さえ、頑張ってくれれば。
よう、冬季オリンピック正式種目化を目指して、クリスマス・男子シングル&女子シングルの練習に余念がないな!
あと一週間遅ければ「オレ日本の未来に真剣だから政治活動してたんだ」って言えたのにな。
まあ期日前投票も別にペナルティーとか無いから、今日行っちゃっても良いんだけどな。寒波がな。
さて、家を買うだ建てるだってのは大抵の場合オオゴトなんだが、実はイメージが大きく影響する。
・偉そう
・息がくさい
・すぐローンの審査申し込ませようとする
・考える時間を与えずハンコ押させようとする
コレ、冗談だと思った人が多いだろうし本人も冗談のつもりかも知れないが、笑えない。
実は、家の購入を印象と勢いで決める人は意外なほどに多い。
そこで、最低限これぐらいは考えても良いよなぁという点だけ愚痴っておきたい。
限られた土地に身を寄せ合って定期的な嵐や雪に耐え、
凍えるような寒さになったり焼けつくような熱さになったり嬉しいぐらいに住みにくい。
ホーンテッドマンションの事じゃないぞ。高温多湿低温乾燥を繰り返す我らが日本の話だ。
そう、環境が特殊でちょっと尋常じゃないエクストリーム住まいなワケだ。
東北地方で「東風吹かば」とか菅原道真でもグーで殴られるレベルの暴言であって、
つまり「京都だけが日本じゃねえよ、やませとか勘弁してくれよマジで」であって、
要は日本は土地土地によって大きく異なりますよ、という普通の話をしたいわけだ。
一般的にはとか、平均的にはとか、人は周りの影響を結構受けやすい。
奥さん食器洗い乾燥機のビルトインとか普通ですよ最近は床暖房も皆さんお使いですよ畳は和紙が流行で、なんてな台詞は良く言うわけだ。
で、最近は映画でニュースとか見ないだろ。スマホだろ。口コミも世界規模ですよ奥さん。
するとどうなるか。
旭川ぐらい判りやすいエクストリームっぽさがあれば、流石に那覇を参考にはしないわな。
じゃあ、滋賀と茨城だったらどうだ?神戸と横浜は似てるか?江戸川と練馬ならどうだ?
大手町と八王子でずいぶん気候が違うのは頭では理解してても、建築になると忘れがちだ。
人はパンのみにて生きるにあらず、生まれ変わってインドで修行してえなあと思っても、とりあえずは現世で頑張るしかないわけだ。
じゃあ、せめて我が家は住みよくしたいな。
ただ、鉄骨鉄筋コンクリート構造(SRC造)は、木造軸組構法より頑丈だ。
床上浸水も河川の決壊も、マンションの高層ならあまり関係が無い。(まあエレベーターは結構浸水に弱いが)
いまさらっと書いたが、マンションってのは土地の有効活用って意味に加えて、
富豪じゃなくても鉄骨鉄筋コンクリートの家を建てられるってポイントがあるわけだ。
みんなでちょっとずつわけあってだが。
違うが、やっぱり強いのは鉄骨鉄筋コンクリートなわけだ。
東京の旗竿地で既存不適格な木造一軒家リノベーションして賢く新生活だ!ってのは、止めないよ。
京都は町家を残そうと必死だし、実際古い木造建築には味がある。
それが悪いとは思わない。
良くも悪くも、日本ではまだまだ「どこに住んでも同じ」とはいかない。
そりゃ、息さわやかで買ってくれるならミントタブレットぐらい常時バリボリやりますわ。
営業員は売った家には住まないぞ。住むのは買う人だ(借りるのも同じな)。
それを忘れないで欲しい。じゃ、選挙には行けよ!
---
http://en.wikipedia.org/wiki/Ottavio_Cinquanta
---
オッタヴィオチンクアンタ(ローマ、 1938年8月15日生まれ)は、国際スケート連盟の会長と国際オリンピック委員会のメンバーです。
彼は1996年から1994年ISU位置とIOC位置を開催しています。
2000年、彼は、IOC執行委員会は、彼が2008年まで開催されているという立場のメンバーに選出された。
前に、ISU会長になることに、彼はISU副社長だったショートトラックスピードスケートのための技術委員会の委員長の前に。
チンクアンタ氏は、陸上競技でのアイスホッケー選手として、アイススピードスケートとして実施ミラノ、イタリアで育った。チンクアンタは大学に出席し、彼は経営学を中心に活躍した。 ISU議長に彼の選挙の時に、 56歳の時、彼は国際的な化学会社の経営者としての立場から引退した。
チンクアンタが最初にISU議長に選出されたとき、彼は最初に、ABCスポーツとの重要なテレビの契約を含むいくつかの商業契約を交渉した後、ISUのイベントで賞金を導入した人プログレッシブとした。これは、ISUがそうで、トップスケーターに大規模な出演料を提供していた承認されていない作のためテレビのプロスケート競技会に参加するオリンピック適格スケートを残している可能性がアスリートを保持することができました。テレビのお金もISUを含む、両方のフィギュアスケートとスピードスケートの分岐で開発プログラムのさまざまなを維持することができ、例えば、フィギュアスケートのISUグランプリ。
しかし、彼のスピードスケート背景、チンクアンタは、特にカナダと米国では、フィギュアスケート界からの批判にかなりの量の対象となっている。 2002冬季オリンピックはスキャンダルフィギュアスケートの間に、彼は彼の曖昧と、彼は「図がうまくスケート知っている」しなかったことを彼の入学を批判された。 [ 1 ]スポーツについての知識の彼公言不足にもかかわらず、彼は提案した[ 2 ]主な特徴、これまで個々の裁判官が競争をマークしたのかを知ることから誰かを妨げる秘密であるフィギュアスケートのための新しいスコアリングシステム。ワシントンD.C. 、 2003年世界フィギュアスケート選手権で秘密審査の実施は、彼が紹介されたときはいつでも、 [ 3 ]チンクアンタと個人的に視聴者jeeredされ、そのイベントでファンの抗議をもたらすのに十分な論議をした。 [ 4 ] [ 5 ]
彼はそのイベントの開会式では、滑走のローカルスケート好きなカート·ブラウニングを防止するための専門性を呼び出した後にチンクアンタは、以前大声[ 6 ] [ 7 ]と再びで、エドモントン、アルバータ州にある1996年世界フィギュアスケート選手権でファンからブーイングされていたミネアポリス、ミネソタ州にある1998年大会は、 [ 8 ]
チンクアンタは連続してすべてのISU選挙学会でISU議長に再選されており、それは[誰によって?]と推定され、1994年に彼の最初の選挙以来、約30の技術革新は、図の投与2枝に関する国際スケート連盟に導入されていることをスケートとスピードスケート
---
Ottavio Cinquanta
From Wikipedia, the free encyclopedia
2011 Rostelecom Cup - Ottavio Cinquanta.jpg
Ottavio Cinquanta (born 15 August 1938, in Rome), is President of the International Skating Union and a member of the International Olympic Committee.
He has held the ISU position since 1994 and the IOC position since 1996.
In 2000 he was elected member of the IOC Executive Committee, position that he has held until 2008.
Prior to becoming ISU President he was ISU Vice President and before the Chair of its Technical Committee for Short Track Speed Skating.
Cinquanta grew up in Milan, Italy, where he practiced as an ice hockey player, in athletics and as an ice speed skater. Cinquanta attended university and he was mainly active in business administration. At the time of his election to the ISU Presidency, at the age of 56, he retired from his position as a manager of an international chemical company.
When Cinquanta was first elected to the ISU Presidency, he was initially regarded as a progressive who introduced prize money at ISU Events after negotiating several commercial contracts, including an important television contract with ABC Sports. This allowed the ISU to retain athletes who might have otherwise left Olympic-eligible skating to participate in unsanctioned made-for-television professional skating competitions, which were then offering large appearance fees to top skaters. The television money also allowed the ISU to sustain a variety of development programs in both Figure Skating and Speed Skating branches, including, for example, the ISU Grand Prix of Figure Skating.
However, because of his speed skating background, Cinquanta has been the subject of a considerable amount of criticism from the figure skating community, particularly in Canada and the United States. During the 2002 Olympic Winter Games figure skating scandal, he was criticized for his evasiveness and his admission that he didn't "know figure skating so well".[1] In spite of his professed lack of knowledge about the sport, he proposed a new scoring system for figure skating[2] whose major feature is secrecy which would prevent anyone from ever knowing how an individual judge had marked the competition. The implementation of secret judging at the 2003 World Figure Skating Championships in Washington, D.C., was controversial enough to result in a fan protest at that event,[3] with Cinquanta personally being jeered by the audience whenever he was introduced.[4][5]
Cinquanta had previously been loudly booed by fans at the 1996 World Figure Skating Championships in Edmonton, Alberta, after he invoked a technicality to prevent local skating favorite Kurt Browning from skating in the opening ceremony of that event[6][7] and again at the 1998 Championships in Minneapolis, Minnesota.[8]
Cinquanta has been consecutively reelected to the ISU Presidency at all the ISU elective Congresses and it is estimated[by whom?] that since his first election in 1994, approximately thirty innovations have been introduced in the International Skating Union regarding the two branches administered of Figure Skating and Speed Skating.
---
http://point.recruit.co.jp/doc/campaign/cm/20140206/
このCMをソチ五輪にぶつけるリクルートさんの感覚に違和感を感じてしまいました。
ぱっと見、既成概念にとらわれない自由な生き方をすすめる感動的な内容に思えるCMです。
このCMが流れるまで、私は、スノーボード・ハーフパイプ競技のNo.1になることを夢見て、努力し続けて国の代表として五輪に出ているアスリートたちの活躍を見ていました。
華やかなステージに立つ一流選手と今の自分をぼんやり比べつつ、自分より何十歳も若い選手を尊敬のまなざしで見ていたのです。
そこへもってきて「だれかと比べなくていいんですよ、あなたの人生もすばらしいんですよ」と優しい目線を装いつつ上から語ってくるこの長尺CM(2分)が放送されたのです。
人それぞれ多様な価値観があり、その人に見合ったゴールがあるべきだという理想はわかります。
ですが、誰かに決められたゴールに向かって通しナンバーのゼッケンつけてルールに縛られて競い合うなんて古い、もっと自由であるべき!ゴールは人の数だけある!どこを走ったっていい、自分だけの道がある!などというメッセージを流して、最後には「リクルートポイント、はじまる。」「まだ、ここにない、出会い。リクルート」ですよ…。
クォリティの高い撮影や池松壮亮氏の見事な演技、ナレーションにもかかわらず、私には素晴らしいはずの「ぼくらの人生」がとてつもなく安く扱われているように感じてしまいました。
マラソンという競技に人生をかけ取り組んでいる選手たちは、このCMを見てどう思うのでしょうか?
冬季オリンピックにマラソンはありませんし、人生をマラソンに例えることが多いからマラソンを使ったのでしょうが、どうにもうなってしまいます。
リクルートさんが高い制作費と出稿料をかけて「競争ばかりの狭い世界から飛び出して、人生楽しみましょう」という広告をうつのは、リクナビ進学や受験サプリで良い学校に入って、TOWN WORKでバイトを探して、リクナビで就職して、とらばーゆして、ケイコとマナブで自分磨きして、SUUMOで住むところを決めて、ゼクシィで結婚式場を決めて、赤すぐでマタニティ用品を買って、じゃらんで旅行先の宿を決めて、じゃらんゴルフでゴルフ場予約して、HOT PEPPERグルメで居酒屋予約して、ポンパレでお得にお買い物しましょう(ほかにもいっぱいありますが)と伝えたいからです。
それを言いたいがために、決められたゴールに向かって愚直に努力するという価値観を否定するのはいかがなものでしょうか。
人生がマラソンに例えられることが多いのは、厳しいルールがあることや優勝者や完走者が偉いという価値観があるからではないでしょう。スタート時点でははるか遠く、目には見えないゴールを目指し、自分の力を信じて、レース全体のペース配分を考えつつも自分なりのペースで最後まで走り続けることが、長い人生を全うすることに似ているからだと思います。
「彼女いたことはあるんだよね?」
「はい。」
「恋愛に興味が無いとか言ってたけど、実際どうなの?」
「なにがですか?」
「だから、興味ないとか言いつつ恋愛してるじゃん?」
「はい。」
「それってどうなの?」
「どう、と申されましても。」
「嘘なの?」
「嘘ではありません。」
「じゃあなんで付き合ったの?前も聞いたかもしれないけど」
「そうですね。成り行きで、とでも言いましょうか。前も言ったかも知れませんが。」
「…まあいいや、成り行きで付き合った。確かどっちも告白とかしてないんだよね?」
「はい。」
「そうですね。」
「それは、いいです。」
「え?なんで?楽しかったんでしょ?」
「そう、ですね。」
「どういうこと?はっきり言ってよ」
「細かいことになってしまいますし、言い訳じみたことを言わないといけませんから。」
「はい。正直なところ、あまり覚えていません。すぐ最近の話ではないので忘れていることもありますし、特に、当時の心境などというのは、『今思い返せば楽しかった』というのと、『当時楽しんでいた』こととはまた違いますから。今思えば楽しかったんだろうな、とは思いますが、当時自分がどう思っていたかは思い出せません。」
「好きだったの?相手のこと」
「はい。当時は。」
「今は?」
「好きじゃないってこと?」
「そうですね。」
「なんとも思ってない?」
「なんとも、というわけではありません。今は友人です。」
「友達になったの?」
「そうです。一度付き合った人なので、他の友人とは少し違いますが、親しい友人です。」
「へえー…なんか変だね、それって、今まで付き合った人全員?」
「全員というわけではありません。中には連絡が取れない人もいますので。」
「だよね、全員だったら気持ち悪いよ」
「そうですか?」
「だって、また好きになったりしないの?」
「しません。」
「なんで?当時を思い出したりしないの?」
「思い出すこともあります。かといって、また付き合いたいなどとは思いません。」
「でも、当時楽しかったんでしょ?」
「はい。」
「もしかして、遠慮してる?」
「はい?」
「本当に楽しかったの?今も友達だから遠慮してるんじゃないの?いい人だし、彼女だったんだから、本当は付き合って楽しくなかったけど、楽しかったって思わなければ相手に失礼だとか思ってない?」
「思ってないです。」
「じゃあ、おかしくない?なんで楽しかったのにまた付き合いたいと思わないの?しかも今も親しいんでしょ?前は好きだったんでしょ?ちょっとぐらいそう思わない?」
「当時、楽しかったのは遠慮でもない事実です。そして、また付き合いたいなどと思わないのも事実です。」
「うーん…なんでもう付き合いたくないの?」
「え?」
「だって、前好きだったんでしょ?なんでもう付き合いたくないの?」
「え、別れたらもう好きにならないの?」
「私は、なれません。」
「なんで?」
「なんでと申されましても、じゃあ何故別れたんですか?もう無理だったから別れたんですよ?それなのに、また好きになるとか、おかしくないですか?」
「おかしくない。また好きになることもあるよ」
「…そうですか。私はありません。また好きになるぐらいだったら、別れたりしません。」
「壮絶だったの?」
「なにがですか?」
「…えっと、じゃあ別れたら絶対好きにならないの?」
「ならないと思います。」
「そこまで割り切れるの?」
「割り切るというわけではなくて、私にとっては好きになったり付き合ったりというのが、ものすごく不自然なことなのです。よくあること、ではなく、普通に生活をしていたらまず無いことなのです。それは、私の日常生活および、人生の中で、人を好きになること、恋愛をすること、というのが、初めから含まれていないから、とでも言いましょうか。
つまり、前にお話ししたように、元々関心の無いことなので、非日常なのです。異常事態なのです。ですから、一度その異常事態に突入して、別れたという形で失敗したにもかかわらず、もう一度その異常事態に突入しようと思いますか?失敗の原因が解決できているなら、それもあるかもしれません。しかし私には何が失敗だったのかもわかりませんし、もう、そういう原動力は起こりえないのです。」
「はい。ハードルなんて生易しいものではありません。私にとって宇宙旅行のようなものです。」
「なにそれ、それは言いすぎでしょ、意味わかんない」
「それぐらい難しいということです。第一、私は恋愛したいなどとは思いませんから」
「でも楽しかった」
「どちらかと言えば、やはりいい経験だったと思います。でもまたしたいとは思いません。特に同じ相手とは無いでしょう。あなたにもそういうことあるでしょ?」
「恋愛ではなくて、いい経験だったけれど、二度とごめんだという事です。すごく厳しかった習い事とか、アルバイトとか、受験勉強とか、そういうのありますよね?」
「あー、そうだねー、就職活動とかかな?二度とやりたくないけど、自分を見つめなおす機会になったし、勉強にもなったかもしれない。就活中に友達になった人もいて、楽しいこともあったけど、やっぱり二度とやりたくない」
「それと同じよなものです。」
「え?、違うでしょ?だって就活は、できればやりたくないけどみんな仕方がなくやってるものだよ?基本的に楽しくもなんともないよ?みんな嫌々やってるし」
「そうですね。その点は違います。そこまで深刻ではありません。でも似ています。」
「恋愛と?」
「私にとっては。」
「何がそんなに嫌なの?」
「嫌、というわけではないんですが。単純に関心が無いだけで。」
「でも嫌だったんでしょ?」
「でももう二度としたくないんでしょ?」
「そういうわけではありません。恋愛については、したいもしたくないもありません。ただ同じ人と付き合うことはもう無いだろうってだけの話です。」
「なんで?」
「別れた、という結果を経ているからです。もう一度同じ事をしたとしても結果が見えているからです。それはあまりに不毛なことでしょう?そのために傷ついたりするのはごめんです。」
「傷つくの?」
「はい。だって、異常事態ですから、負荷や圧力は尋常ではありません。ましてや、一度別れるに至るまで冷め切った間柄なのですから、それを乗り越えてもう一度付き合うなどということは、私個人の心情としてはあり得ません。」
「じゃあ、あなたから見て、一度別れた人とまた付き合ったりしている人はどう思うの?」
「くっついたり離れたり、というやつですか?」
「そうそう」
「そうですね。私から見て、彼らの付き合うことに対するハードルは、私に比べると非常に低いものだと思われます。軽いという意味ではありません。彼らの中には恋愛というものが日常に組み込まれているのではないでしょうか。私にとって異常事態でも、彼らにとっては普通のことなのかもしれません。ですから、私のように恋愛に対して脅えることもなければ、血圧を上げることも無いのかもしれません。失敗も成功も、それも日常的なのかもしれません。私にとっては宇宙旅行ですが。」
「よくわからないけど、恋愛が好きか嫌いかってことね?好きだから簡単に付き合うけど、嫌いな人は付き合ったり別れたりするのも嫌ってことね。」
「じゃあ、好きになったりしないの?」
「そうですね。その好きというのがよくわかりませんから。」
「女の子に興味ないの?」
「語弊があるかもしれませんが、飽くまで本能的には反応します。理性的には、女だからというだけで特別興味を示すことはありません。」
「どういうこと?」
「ですから、これも前回の繰り返しになりますが、女性を性欲の対象としてみることは出来ます。その時以外は、ただ人間としてみるだけです。」
「惚れたりしないってこと?」
「うーん…簡単に言えば、興味持つってことじゃないの?」
「興味ですか。」
「うん」
「どっちも含めて。でも、普通付き合いたいと思う相手を最初っからただセックスの対象としてだけは見ないよね?」
「そう、でしょうね。」
「だから、人として興味を持つことと、惚れることって同じじゃないの?」
「なんで?」
「だって、ヘテロセクシャルの人間でも、同性にも興味は持つでしょう?」
「あ、そうだね。じゃあ相手のことをもっと知りたいって思うこと?」
「それも、同性にだって思うことはありますよね。」
「あるね。じゃあなんだろう、相手と一緒にいたいと思うことかな?」
「それだって、同性にも思うじゃないですか。家族にも思いますよね。それが惚れるとか付き合うとかと同じですか?」
「違う違う!、なんて言えばいいんだろう。」
「私が思うには、」
「なになに?」
「はい。私が思うには、これはとても単純なことで、本当は言うまでも無いと思いますが、」
「うん」
「恋愛というのは、やはり、根源的には人類が子孫を残す上で必要な、ボカシ、マヤカシに過ぎないんですね。神聖なものでも高等なものでもなく、とても純粋な、ただ子孫を残すためだけの、言い訳とでも言いましょうか。それが人間心理、知能の発達に比例して、他の動物よりやや複雑になったというだけなのでしょう。結婚という制度もその上で出来上がったのでしょう。
人間特有の芸術や文明といった、子孫繁栄に直接不要なもの、とは少し違いますが、同様に発展した、子孫繁栄という目的を完遂することだけに囚われなくなった、文化の一つだと思います。」
「例えば?」
「例えば、有名な話で、スキージャンプという競技がありますよね?」
「うん、冬季オリンピックってもう終わったの?」
「すみません、それは知りません。」
「まあいいや」
「はい。スキージャンプという競技、もともとは刑罰だったと耳にした事があります。」
「そうなの?刑罰って、鞭打ちとかと同じ?」
「そうです。スキーを履かせて高いところから飛ばせる刑です。」
「恐ろしいね」
「なんで?」
「なぜかは知りません。囚人が面白がって病みつきになったんじゃないですか?それはともかく、もともとの、刑罰という目的から外れて、スキージャンプは競技として、オリンピック種目になるほど発展しました。」
「そう考えるとすごいね」
「何が?」
「どこが?」
「子供を作る言い訳だったのが、子供を作るという本来の目的だけに囚われることがなくなり、その言い訳の部分だけ人類の叡智と長い年月を経て文化的に発展を遂げたことです。」
「急にわからなくなった」
「私にもよくわかりません。」
「何が言いたかったんだっけ?」
「うん、そうだね」
「ですから、私で言えば性欲が存在しますので、その点ではズレは生じておりません。」
「子孫繁栄だけで見ればそうだね」
「そうです。そして、恋愛とは、その子孫繁栄に付属する要素の発展系です。」
「なにそれ、どういう意味?」
「はい。私にとっては、スキージャンプは刑罰以外のなにものでもないのと同様に、私にとって、子孫繁栄にとりまくごまかしというのは、スキージャンプのオリンピック競技までの発展についていけませんでした。」
「わかりにく!」
「子孫繁栄だけに囚われなくなった、発展した概念として、そこに存在はするのはわかりますが、理解や関心の対象とならなかったということです。」
「…ううん」
「ですから、惚れるということがよくわかりません。」
「ごめん、やっぱりわからない」
「私も言っていてわかりません。」
「じゃあ、恋愛についてどう思った?」
「経験してみて、どう思うの?楽しいって言ったり、もうしたくないって言ったり、どうでもいいって言ったり、結局どう思ってるの?」
「ええと、ちょっとまってください、それぞれ言ってることを整理してもいいですか?」
「どーぞ」
「はい。まず、私はもともと関心がありません。」
「恋愛に?」
「恋愛に。」
「うん、それで?」
「はい。元々関心はありませんが、何度か付き合うことになりました。」
「うん」
「そうだね、今独りだもんね」
「はい。楽しかったから、といって、やはり興味をひくものではありませんでした。」
「え、ちょっとまって、」
「はい。」
「それはどういうこと?」
「はい。楽しいと感じたからといって、全てにおいて興味を持ちますか?そんなこと無いですよね?」
「うーん、どうだろう」
「例えば、私はスノーボードを2回だけやったことがあります。」
「2回?なにその2回って」
「なんかそういう機会があったのです」
「うん…そうなんだ。それで?」
「はい。それでですね、スノーボード2回だけやったんですが、楽しかったです。でもその2回しかやったことはありません。」
「それって最近の話?」
「2年前です。」
「もう行きたくないってこと?」
「そういうわけではありませんが、楽しいと感じたからといって、興味は持てなかったという意味です。」
「うーん、めんどくさいって事かな?」
「少し違います。心が動かないとでも言えばいいでしょうか。ただ楽しいだけなのです。」
「そんなに言うほど楽しくなかったってこと?」
「そうですね、熱狂するほどではなかったですけど、楽しくなかったわけではありません。」
「なるほどねー面白いって思っても、誘われないとやらないこととかあるしね」
「…同じなんだ」
「同じです。ですから、楽しいかったですけど、関心はありません。」
「それって、もてるって言いたいの?」
「なんかそれ、前も聞かれましたね。もてませんよ。」
「まあいいや、恋愛についてはどう思っているの?関心が無いにしても経験したんだから感想ぐらいあるでしょ?」
「そうそう、どうだった?」
「はい。一経験としては楽しかったですけど、恋愛そのものは非常に苦しいものだと感じました。」
「何が苦しいの?」
「システム?なにそれ?」
「システムってなんでしょうね、何て言えばいいのでしょうか、恋愛の仕組みとでも言いましょうか、過程、ですかね、わかりませんけど、それがとても辛かったです。」
「何がつらいの?」
「うわ、苦手そう…」
※前回、前にも、
日本の借金はまともにやっていては返せない。増税でどうにかなるようなレベルではない。インプレかデフォルトしかない。これはもはや日本国民の共通認識だ。こんな借金、まともな方法では返せるはずがないって俺の94歳のひいばあさんもわかってる。
返せないことがわかっているが、できるだけ先延ばししよう。それが今の日本の政治家、官僚、マスコミの共通認識だ。だれも面倒なことを起こしたくないし、面倒に巻き込まれたくないんだ。それに、政治家も官僚もマスコミも、決定権を思っているのはみんな年寄りだ。自分は逃げ切れる、そう思ってるんだ。
若者の命が懸かっているんだ。さっさと破たん処理をすべきなんだ。ずるずる引き延ばして傷を深くしてはいけない。戦前のように、モラルが低下し、狂信的な団体が支持を受けるようになっては取り返しが付かない。大切なのは、短期的に処理すべき、ってことなんだ。仕事がないっていうのは、命の問題なんだ。仕事がなくなればモラルも低下する。こうしている間にも、貧困で命が失われ、モラルが低下していくんだ。
老人の面子のために若い人の仕事が失われているというのが今の状態なんだ。
普通、若者はほぼ丸裸の状態で社会に出る。若者には資本もないし経験もない。学校で勉強したことや職業訓練で勉強したことなんてほとんど使い物になんかならない。若者は仕事をしながら成長していくものなんだ。若者に生きていけるだけの糧を与え、仕事を与える。それは社会の、そして国の義務なんだ。そして、この義務は、バランスシート上の義務でしかない国債の支払いなんかよりも優先度が高いんだ。この国の憲法に、借金を返せとは書いていないが、働く権利は保障されていることを忘れないで欲しい。そして、丸裸の若者には責任なんてこれっぽっちもない。
国は、そして社会は、若者の仕事を作る義務がある。そしてこの義務は、どんな義務よりも優先される義務だ。まず、これを共通認識にすることから始めなければいけない。国や社会は節約してはいけない。どんどんお金を使って、どんどんお金を回さなければ、若者の仕事は生まれない。節約で生きていけるのはたっぷり溜め込んだ年寄りと年金生活できる年寄りだけだ。仕事のない若者は、引きこもるか、犯罪に走るか、身体を売るか、これくらいしかないんだ。
財政が破綻したって良いじゃないか。借金が返せないからって、社会に大混乱が起きると思っているのか。この国はジンバブエとは違うのだ。治安画悪化することはないし、生産活動だって維持できる。短期的な混乱はあっても、1年もすれば急激に回復する。この国の総合的な能力は、今でも世界一だ。
ちょっとジンバブエの話をしておこう。日本もジンバブエと同じ状態になると勘違いしている輩が多いんだが、それは間違いだ。ジンバブエと日本の状態は、まるで違う。ジンバブエにはそもそもまともな産業がなかった。治安も悪いし、統治機構が十分じゃなかった。教育レベルも低いし、そもそも無政府に近い状態だった。こんな状態だから、ジンバブエの財政が破綻しても、破綻する前と状況は大して変わっちゃいないんだ。まともに流通していなかったお金が紙切れになったってたいしたことはないんだ。最初から破産状態だったところにバランスシート状の財政状態が悪化したから本当に破産したってだけ。実生活上、そんなに大きな意味はない。
翻って日本だ。日本のバランスシートがかなり厳しい状態なのはご承知の通りだ。しかし、日本は破産状態かといわれればそうではない。世界に誇るべき優良企業が多数あり、世界最高の製造技術があり、高い教育を受けた人間がたくさんいる。底辺の人たちでさえ文字を読むことができるんだ。治安も極めて良好だし、この国ほど法を維持するコストが安い国はないくらいだ。そんな日本が仮に財政破綻しても、ジンバブエと同じ状態になんかなるはずがない。この国は、まだまだ富を生み出すことができるのだから短期的な再生は可能だ。
短かい間、我慢すればいいだけなんだ。年10%程度のインフレが起きればあっという間に借金は片付く。インフレが起きるとねずみ算式に借金は減るんだ。
このとき忘れちゃいけないのは、インフレの時は緊縮財政をするのはご法度ってことだ。国はじゃぶじゃぶとお金を使わないければならない。緊縮財政などしてしまうと、金がまったく回らない状態(いわゆるスタグフレーションってやつ)になる。スタグフレーションは悲惨だ。スーパーに食べ物があふれているのに餓死者がでるなんてことになる。スーパーは略奪の対象になる。治安が崩壊する。
やることは簡単だ。できるだけ早くインフレにして、同時に国は金をじゃぶじゃぶ使う。使い道は投資、開発だ。1に高速道路、2に北海道開発、3に自然エネルギー開発。いずれも、将来、必ず元が取れるものだ。
道路網はつながって初めて意味がある。寸断された状態ではまったく意味がないんだ。道路は「人」が移動するだけではない。「物」が流れるのだ。表には見えないが「物」がメインといってもいい。「物」を生産している田舎にこそトラックがガンガン走れる道が必要なんだ。交通量は、車の台数で計るものではない。物がどれほど流れているのかで計るものなんだ。
次に、この国にはフロンティアが必要だ。丸裸の若者には、頭が悪くてもなんとなかる拡大一辺倒になっている場所が必要なのだ。北海道にはまだまだ開発できる場所がたくさんある。平らな土地の面積や背後の農地面積を考えれば、最低でも札幌圏は500万人規模、旭川圏、帯広圏、函館圏は100万人規模まで成長するポテンシャルがある。北海道をそれぞれ、旭川県、札幌県、帯広県、函館県に4分割し、それぞれが競い合う形で成長させれば、新たな人と物の流が生まれ、経済は確実に拡大する。
たとえば、旭川で夏のオリンピックを、帯広で冬季オリンピックを開催する。函館では万国博覧会を開催する。帯広で旭川圏、帯広圏、函館圏がそれぞれ成長すれば、北海道内での生産活動や取引活動が増大し札幌圏はさらに成長する。北海道で新たに300万人規模の雇用を創出できるはずだ。ここでポイントなのは、北海道は「新しい土地」だっていうことだ。若い人がすぐに主役になれる土壌があるってことなんだ。
最後に自然エネルギー。風車とメガソーラー。電力の半分くらいは自然エネルギーで自給すべきだ。田舎の耕作放棄地なんかメガソーラーにぴったりだし、日本海側の風の強い地域は風車をどんどん立てればいい。大手電力会社のような半官企業の巨大資本でなくても建設できる。それこそ、市や県が計画的に作ればいいのだ。
この国に、やるべき公共事業はまだまだたくさんある。10%程度のインフレを起こしながら財政破綻するまでガンガン投資すればいい。きっと財政破綻する前に、失業率は劇的に改善し、借金は完済しているはずだ。でも、どうせできないだろうけど。
このままずるずる引っ張ればあと10年くらいは若者に仕事がないままだろうな。最後は国が制御不能に陥ってハイパーインフレとスタグフレーションになる。そしたら、暴動が起きて、治安崩壊。その後には、狂信的集団が台頭する。歴史は繰り返すか。
あーあ、なんだろうね、この閉塞感。
スピードスケート、ショートトラックでメダルを量産しまくり、いよいよ今日は女子フィギュアスケートである。
http://toramomo.exblog.jp/12170207/
さて、2002年に行われたサッカーの日韓ワールドカップの事を覚えているだろうか。
イタリア・スペインを破って韓国がまさかのベスト4に進出した大会である。
(Korea's fixed world cup 2002) 2002FIFA ワールドカップ 韓国八百長総集編
http://www.youtube.com/watch?v=yIa_tDNF5Hk
この大会を機に韓国スポーツは世界から白い目で見られることとなる。
勝利のためならば審判買収を徹底的に行うこの野蛮なスポーツ国に対し世界は「国際スポーツ大会の韓国開催拒否」を付きつけた。
本来ならば今回の冬季オリンピックはカナダ・バンクーバーではなく韓国・平昌で行われるはずであった。
2002年ワールドカップで韓国が世界にバッドサプライズを投げかけてから約1年後の2003年7月チェコのプラハで開かれたIOC総会にて2010年の冬季五輪の開催地が投票により決定した。
大方の予想では韓国・平昌が最も多く投票を集めるはずであった。それも大差で勝つと思われていた。
しかし結果は大逆転のバンクーバー勝利。まさかの勝利であった。
バンクーバー 56
平昌 53
韓国の悲劇は続く。
2014年冬季五輪にも立候補した韓国・平昌はまたしても大逆転でロシアのソチに敗北を喫するのだ。
ソチ 51
平昌 47
2010,2014年ともに韓国は絶対的な本命と見られていたのも関わらず最後の最後と敗れる結果となってしまった。
原因は冒頭で述べたように2002年のワールドカップの醜悪な審判買収劇に遡る。
韓国が決勝トーナメントで破ったイタリア・スペインなどヨーロッパ勢は韓国スポーツ界に草の根レベルで悪印象を植え付けられた。それが間違いなくIOCの投票でライバル国に票が流れた原因となっている。実際に複数の投票者はメディアにこう明言している。
「これ以上韓国にスポーツを汚されたくないから他国に入れたよ」
2018年五輪にも韓国・平昌は立候補した。他の立候補はドイツとフランスであり「2大会連続で同一地域で五輪を開催しない」という最近の暗黙の決まりに従えばヨーロッパ勢の開催は無くなるため韓国の勝利は99パーセント決定していると言って過言ではない。
もし2018年でも韓国が敗れる事になればそれは何を意味するか。
韓国スポーツの永遠の死であり、スポーツ界の正義が勝った瞬間である。
長年語り継がれることとなるだろう。
冬季オリンピックの華。女子フィギュアスケートの金メダルは誰か?世の中真央ヨナばかり扱うもんで、NHKですらその対立構造でニュースを組むんだから腹立ってしょうがなかったので、自分で書いてみます。真央ヨナ以外に金メダルいける選手他にもいるし、そのふたりばかりに注目するのは健全じゃないという思いです。
今回のダークホースではない「真っ当な」金メダル候補は4人。キムヨナ、ジョアニー・ロシェット、安藤美姫、浅田真央。これはちょうど去年の世界選手権1位から4位の4人。そしてロシェット以外は世界選手権金メダリスト。トリノ以降のシーズンを見てふつうに考えたらこの4人になります。この4人は得点ポテンシャル的に考えてほぼ横一線。後はいい演技を二つ揃えた選手が金メダルを取ります。
最有力候補。現採点法に最も適応している選手。ここ2シーズンの強さは圧倒的。世界選手権優勝したことから見て分かる通り最高の形でバンクーバーを迎える事が出来たといえます。
彼女は、ショートプログラム(以下、SP)にとても強いタイプで、SPでリードして逃げ切る勝ち方をして来ました。バンクーバーでもSPで大量リード出来るかどうかがポイントになります。一方でフリースケーティング(以下、FS)は苦手と言え、後半にミスが目立ちました。しかし、スタミナ強化した結果安定し、ワンミス(ジャンプの回転が抜けるなど)ぐらいに抑えられるようになり、去年の世界選手権の優勝に繋がりました。しかし、SPでリードが少なかったときにFSを安定して滑られるかは未知数です。
技術的な面では、全てに安定しています。ジャンプ、スピン、スパイラル、ステップ、いずれもで世界最高の評価(得点的に見て)を得ています。唯一死角があるとしたら先シーズンから指摘されているフリップジャンプのエッジエラーです。彼女の代名詞となりつつある3回転3回転も、第一ジャンプをフリップからルッツに変えています。今シーズンはフリップジャンプのエッジエラーを気にして崩れる場面がありました。そこだけが不安要素です。
オリンピックと言うと、地元の選手は「地元の選手枠」で紹介されます。彼女もそんな紹介の仕方をされますが、先シーズンの世界選手権銀メダリストで間違いなく金メダル候補です。不幸なニュースも入りましたが、あえて冷静に見るために割愛。
元の能力は高いもののなかなか評価されずにトップにひとつ落ちるグループにいたが、先シーズンにブレイク。SP、FSのどちらかを失敗してきたが、どちらも揃えられるようになりました。また、採点の傾向の変化も彼女の成績アップに貢献しました。今シーズンは試合での成績は良くないのですが、国内選手権ではしっかり調整して来たようで、問題は無いでしょう。
ロシェットが優勝するパターンはSPでの5点差をFSで上回るという形です。SPに3回転3回転を入れないのでその差が出来ますが、ノーミスのFSでワンミスのキムヨナを上回るのは十分にあり得るシナリオでしょう。
彼女もまた技術的に優れた選手です。唯一スピンが他のトップ選手と比べて劣っているところがあります。しかし、ジャンプに関してはトリプルアクセルはないものの5種類の3回転を跳べる選手です。キムヨナはループが、浅田真央はルッツとサルコウを苦手としているのですが、ロシェットは5種類のジャンプを満遍なく跳べるという点で優位に立っています。
なじみのないかたにプログラムを紹介するとしたら今季のFSであるサムソンとデリラをおすすめします。彼女のスケーティグの良さ、ジャンプへの助走の無さ、プログラムの盛り上げ方、そして筋肉の美しさが堪能出来る素晴らしいプログラムです。ちなみに愛称は兄貴です。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm9440916
色々ありましたが、先シーズンの世界選手権で盛り返していい流れで入って来たバンクーバー。
今シーズンはGPSで優勝しているものの、とにかく試合の結果が読めないので、当てにはなりません。が、世界選手権や全日本選手権などの大事な試合では常とは行かないものの好成績を残してきました。トリノ以降、金を含めて2回の台乗りは立派な成績。元増田は真央より金の可能性が高いと読んでます。元増田がファンなのもありますが、他にも理由があるのですが、それは真央の所で説明します。
もともとジャンプの天才で、さらに他のエレメンツも強化した結果、高い技術的な評価をもらってきたのですが、今シーズンはいわゆる芸術的な評価もあがってきていて、国際大会で芸術面での評価が今最も評価されいてるキムヨナにかなり近い評価を得ました。オリンピック優勝するには充分です。SPはあまり失敗しない選手なので、勝負はFSでしょうか。
技術的にはSP、FSともに3回転3回転、ダブルアクセルからの3回転という大技を入れられます。今シーズンは入ってませんが、調子が悪くても2007年の全日本選手権のように突然大技を入れてくるのが彼女の特徴です。練習もあてにならないファン泣かせの選手です。というか、演技中は心臓止まる。またロシェットと同じで5種類の3回転が入ります。そしてジャンプのダイナミックさは随一。とにかくジャンプに関しては天才なので、演技中にそれが発揮される事を願います。ほんとに。一方でジャンプ以外が劣るかと言えばそうでもなく、特にステップとスピンでは高い評価を得ています。スパイラルも加点を貰えるものの、他のトップ選手よりはもらえないためスパイラルが欠点です。
この人を評価するのは今とても難しい。他の3人に比べてあまり良いとは言えないバンクーバーへの4年間の流れでした。
総合的なポテンシャルで言えば、間違いなくこの4人のなかで一番なのですが、そのポテンシャルを今の採点の傾向に合わせていないために得点が重ねにくい状態です。しかし、一旦はまれば高得点が期待出来るため、金メダルかメダル無しかぐらいの博打を感じます。今の採点傾向に合わせていない、というのはトリプルアクセルにこだわることだけを言っているのではありません。彼女はどうも世界選手権でエレメンツのレベルを落とすことが多いです。今季もスパイラルでレベルが取れていませんでした。他の3人に比べてレベルをしっかり取る事が劣っています。そのため点数を少しずつ落としてしまうのです。
また四大陸選手権でトリプルアクセルを2回決め、ほぼノーミスで終えたFSの芸術面での評価が低かった事も不安要素です。
バンクーバーでどうなるかはSPが鍵です。SPでキムヨナに5点差に迫れば勝てる可能性がかなり高いと踏んでいます。しかし、大事な試合でSPが決まらないことが続いています。SPのトリプルアクセルがどうなるかで真央の金メダルは決まるでしょう。しかし、回転不足が取られやすいトリプルアクセルにかけるのはあまりにも博打なために安藤よりも金の可能性を低く見ています。
技術面で言うと、先ほどあげた通りルッツとサルコウを跳ばないことぐらいなもので、それをトリプルアクセルで補っているので決まれば死角はありません。スピンは安藤とロシェットが出来ないビールマンが出来ますし、そのビールマンもとても美しい。ステップも他の3人に差をつけていると言っていいでしょう。
女子はどんなジャンプが跳べるかで金メダルが取れるかどうかが決まります。ジャンプの種類で難しいルッツとフリップ、このふたつを跳べることが金メダルの条件になります。すると上記の4人以外の金メダル候補は3人。カロリーナ・コストナー、長洲未来、レイチェル・フラットです。
今のロシェットの位置は前回のオリンピックではこのひとが占めていました。地元出身でその前の世界選手権のメダリスト。
とにかく成績が安定しないのでダークホース扱いですが、女子で一番の身体能力を持っています。長い手足に関わらず、その動きはキレが抜群。ステップの評価も浅田真央といい勝負というか、女子初のステップレベル4の持ち主。またジャンプも癖が無く5種類跳べて3回転3回転も持っています。柔軟性はないもののリンクの端から端までをあっという間に過ぎていくスパイラルは高評価です。ただ、スピンは崩れる事も多く一歩劣っていると言えます。
成績が安定しない以外にも今までノーミスのFSを決めた事がほとんどないというのもダークホース扱いせざるを得ない理由です。SP、FSともに音楽と一体化するような、音に合わせた美しい演技をします。
少し古いですが今季もこのイメージでやっているので2007年の世界選手権SPを貼っておきます。このような演技がSP、FSともに来る事を願ってます。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2411655
不利な状況を全米選手権一発勝負に勝って、バンクーバーにやって来ました。
技術的に素晴らしいものを持っていて、柔軟性を生かしたスピンは他を寄せ付けません。ジャンプは回転不足を取られる事が多いのですが、素晴らしいスピードで入り、そのままの流れで出てくる上にさらに高さもある質のいいものが跳べます。5種類は跳ばないようですが3回転3回転をいれてくるようです。若い選手はステップが弱いことが多いのですが、そんなこともなく高いレベルのものを持っています。
ジャンプ以外のエレメントが強い事はそのままSPが強いことと同義です。実はSPとFSではジャンプ以外のエレメンツの数は同じなのです。なのでジャンプが決まれば未来が3位、場合によっては2位に入る事も不思議ではありません。FSでの回転不足を最低限に抑えれば表彰台も見えてきます。
また、調子に乗ったときは気迫にあふれた演技で他を圧倒します。直前の全米も2位ですが1位をしのぐ盛り上がりでした。というわけで全米のFSを貼っておきます。ちなみに5位だった全米の解説の訳をニコニコにつけたのはわたしです。他もいろいろやってますが、ミスあってもゆるしてね。この全米の演技が出来れば長野のリピンスキー、ソルトレイクのヒューズのようになるかも。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm9491998
現全米女王。トリプルアクセルのない女子としてはほぼ最高難度のジャンプ構成で挑んできます。アメリカの選手としては柔軟性が少ないほうで、スピンとスパイラルで点数をあまり稼げません。さらにジャンプ自体は可もなく不可もなくなのですが、ジャンプの安定性でアメリカの強力なライバルに勝ってきました。とにかくフラットはジャンプで失敗をしない。長洲には劣るもののアメリカ人らしく他を巻き込む演技力もあります。
最近ついた愛称は社長。フラットは学業も優秀でスタンフォードから入学許可が既に出ています。そんなフラットが今年のGPSスケートアメリカでソファに座って足を組んだところ、外見も相まって社長のような風格が出たところから着いた名前です。ぴったりだと思います。ということで全米のSPの演技を貼っておきます。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm9492291
こんなに書いても書き足りないのですが、明日に備えて寝ます。ここまで読んだ暇人はぜひ知ったか等に生かしてくださいませ。あとそれは違う!と思ったら増田でも増田じゃなくても自分の意見を書いてね。質問があったら答えます。みんなノーミス神演技を期待しましょう!