はてなキーワード: 事後承諾とは
>増田では横槍が基本
すみませんでした…。
アレは「消したら逆に炎上する」し、
「公式物としての受け止められ方をするんだから、今後は事前に確認してくださいね」
>たつき氏のツイートには「カドカワさん方面からのお達し」と書いてあるので、
そもそも私はたつき氏のツイッターを、表現に誤りがないかしっかり確認された上で出てくる
だから、元増田は製作委員会のリリースだけを、今回の件の情報ソースとして書いてます。
まぁそれはいったん置いておくにしても、説明する主体を考えてみてください。
最終回上映会での細谷Pの発言を鑑みれば12.1話に何の問題もなかったなんてことはあり得ない。
細谷Pは福原Pから「たつきがなんかやりたいらしいよ」とは聞いていたが内容までは聞いておらず当日まで知らなくて「せいぜいGIF画像かなんかちょろっとアップするぐらいだろ〜」って思ってたら12.1話がアップされて本気でひっくり返ったと言った上で「あれこっちの許可取ってないからね、なんなら権利関係の申し立てできるからね」とまで言っている。
「あれこっちの許可取ってないからね、なんなら権利関係の申し立てできるからね」という発言は12.1話が本来なら削除も含めた権利関係の申し立てをできるがしなかった、つまり事後承諾的に追認したが本来であれば権利関係の申し立てをされてもおかくないレベルの権利的にアウトに近いものだったということになる。
テレ東のプロデューサーに事前連絡があり、権利についての言及で「同人です」で済ませられている。
http://ch.nicovideo.jp/rgrey-siga/blomaga/ar1237533
細谷Pは福原Pから「たつきがなんかやりたいらしいよ」とは聞いていたが内容までは聞いておらず当日まで知らなくて「せいぜいGIF画像かなんかちょろっとアップするぐらいだろ〜」って思ってたら12.1話がアップされて本気でひっくり返った模様
ここから、たつき個人の同人活動については版権素材を利用した創作が認められる契約・約束があった上で、製作委員会には詳細は知らされないまま12.1話が公開されたものと想像できる。
権利について12.1話が事後承諾であった場合、その後の一枚絵についても少なくとも2枚目以降は投稿されることはなかっただろう。
よって、そのあたりの事情はパズプラスのこちらの記事のほうが正確ではないかと思う。
http://buzz-plus.com/article/2017/09/29/kemono-freins-basuteki/
KFPA側は権利を侵害されているように感じるのもわかるが、この線で行くならば、12.1話や一枚絵の公開などはたつき監督が権利を行使しただけにすぎない。
ただちょっと関係各所をびっくりさせすぎて、権利の穴が大きいことが今更ではあるが問題視されたため、8月の交渉決裂に多大な影響を与えたのは間違いないが。
https://anond.hatelabo.jp/20170929005829 とかけっこうヤオヨロズ寄りなので、心情的にカドカワ寄りの私の視点からも状況をまとめてみようと思う。
突然ですが、けものフレンズのアニメから外れる事になりました。ざっくりカドカワさん方面よりのお達しみたいです。すみません、僕もとても残念です— たつき/irodori (@irodori7) 2017年9月25日
https://friends.nico/@kawango/with_replies
仕事のことをSNSでは質問を受け付けることはしていませんが、たつき監督の件はぼくも心配しています。ニコ動でけものフレンズが盛り上がったのもたつき監督のアニメそのものはもちろんとしても、個人的な活動の寄与が大きかったと思っています。
これだけの騒ぎになっているわけですから、KADOKAWAにせよ、ドワンゴにせよ、この件について中で議論されないということはありませんから、その部分についてはご安心ください。結果どうなるかについては、ぼくもそもそもの事情をまったく把握していないので、いまのところは分かりませんが。
http://kemono-friends.jp/archives/category/news/
「本サイトは、『けものフレンズ』に関する正規のライセンス窓口であるKADOKAWAを通じて、17年3月の企画段階から『けものフレンズプロジェクト』の許諾を得て製作したものです」
本コラボ動画に関するお問い合わせをいただいておりますが、同動画は2017年6月の企画段階から「けものフレンズプロジェクト」と連携の上、制作したものであり、許諾を得た動画です。 また「けものフレンズ」新規映像化プロジェクトの制作体制変更に関しては、弊社としては事前に知りえない情報であり、関与できる立場でもございません。
色々と皆さんを不安にさせたり、お騒がせしていますが、私たちはこうして『けものフレンズ』を盛り上げることしかできませんので、これからも頑張っていきたいと思います。なので、これを見てくださってる皆さんは、変わらずに『けものフレンズ』の作品やキャクターたち、そして何より動物たちをこれからも愛してくださると嬉しいです。よろしくお願いします。
私は、業界人だ。
http://kemono-friends.jp/archives/category/news/
“「けものフレンズ」の映像化プロジェクトに関するご報告”と題された文に、大きな嘘はない。
http://dailynewsonline.jp/article/1359354/
あまり信頼できないサイトに掲載された上記の記事も、自分が知っている内容から大きくは乖離していない。
なので、これらの記事を補足する形で、自分が複数の知人から聞いた話をもとにした、「ぼくがかんがえるたつき監督降板騒動のしんじつ」を書こうと思う。当然、直接関係者から聞いた情報ではないので、「マックで女子高生が話していた」程度の信ぴょう性(すなわち創作実話)だと思ってもらってかまわない。
さて、後者の記事に「吉崎さんがたつき監督への嫉妬を爆発させてしまった」とある。だが、正しくは「嫉妬」ではなく「恐怖心」が原因だ。
ヤオヨロズは、制作当時シリーズ構成として会議にも参加していた田辺茂範を放送後にクレジットから外した(これはヤオヨロズ福原が強く提案したという)前例があり、また「けもフレ」キャラを利用した作品が「事後承諾」で相次いで公開されたこともあって、「次は自分も外されるのでは?」という危惧が吉崎の中にはくすぶっていた。
「さすがに吉崎先生を外すことはないですよ」となだめる関係者。だが、別のベクトルの「嫉妬」が引き起こした事態が、吉崎にさらなる恐怖心を与えることとなる。
http://trendy.nikkeibp.co.jp/atcl/pickup/15/1008498/050100735/
そもそも「けものフレンズ」は、上記記事で「仕掛け人」と呼ばれている梶井が所属するコミック&キャラクター局が立ち上げた企画で、いわゆる「KADOKAWAアニメ」を生み出している映像事業局はいっさい関与していなかった。だが、想定外の大ヒットを見て、映像事業局が嫉妬。結果的に梶井はプロジェクトから完全に外され、今後は映像事業局主導で企画を進めることが決定する。梶井は泣いた。
作品への貢献度を吉崎も評価していた人物を追放、取材では「ほぼすべて自分たちの手柄」としか取れない発言をし、事前の相談もなく作品を利用するヤオヨロズ。立ち上げ時から二人三脚で作品を動かしてきた人物を追放したKADOKAWA。「味方がいない」……吉崎の恐怖心が爆発するのも無理はなかろう。
「先生もイヤがってるし、何かやるならせめて事前に共有してよ」
「いやいや今までどおり事後報告でいいでしょウチが盛り上げたんだし。それがダメなら抜けますわ」
↓↓↓
「条件のめないならプロジェクト抜けろと言われたので抜けることにしたよ。すまんねたつき君」
「わかりました。一方的に悪者にされる前に先手打ってTwitterに書きます」
さて、自分は冒頭に「大きな嘘はない」と書いた。だが、小さな嘘はいくつかある。それは……と続けようと思ったが、その話はさすがにソースがバレそうなので、ここで筆をおかせてもらう。
「おんな城主直虎」を見ているんだけど、ポリコレ的に正しくない表現が多すぎる。
↑これらを美しく、しかも肯定的に描いているドラマだった。放送禁止にしろとは言わないが、時間帯を深夜にするなど、ゾーニングをしなくていいのだろうか。
浜松駅に立ち寄ってみたとき、ポスターがたくさん貼ってあった。ファン同士で楽しむのは否定しないけれど、街中に広めるのはちょっと自粛してほしい。
そういえば昨年のドラマ「真田丸」にも、最終回には、主人公の真田信繁がヒロイン(きり)にキスをするシーンがあった。
内容はと言うと、男が女に唐突に抱きついて、女はそのことに驚いて固まってしまう。男はそれに無理やりキスをしたのである。これって性暴力だよね?
もし現実だとすれば、男女がキスをするときは、たとえ口頭で許可を得ないとしても、まずは体を寄り添わせたり、相手の気持ちを確認するためのステップを踏む。いきなり抱きついたり、強引なキスをするのは性暴力だろう。
ドラマのストーリーでは、事後承諾でこれを相手が受けいれてくれたからよかったものの、子供とか、一部のバカな大人がこのマネをしたらどうするんだろうか? 当時、私はこのシーンを問題視していなかったが、先般に少年ジャンプの「ゆらぎ荘の幽奈さん」という漫画が炎上していたのを見て、ハッとした。子供も見るようなTV番組では、性暴力を肯定的に描写することを許してはいけなかったのだ。
私はかつての不見識を反省するとともに、NHKの配慮のなさが許せなくなってきた。
こういうものを平然と受容しているドラマ視聴者のことも許せない。漫画のように叩きやすいものだけに目くじらを立てる、インターネットのリベラル勢力に対しても怒りがわいた。
言うまでもなく、ポリコレに反しているものであっても、表現の自由はある。だからゾーニングすればいいのだが、それが十分に行われているとは言いがたい。
私はリベラル勢力にすこしは良識があると信じていたが、大河ドラマのような大衆文化に対しては、彼ら・彼女らもロクに反応を見せないようだった。これが日本の現状だ。
私は憤懣やる方なくて、頭がおかしくなりそうだ。
「ポリコレなんか知ったことじゃねーよw」「フィクションだから自由だろw」という態度で、まっとうな人権感覚を捨てないかぎり、この世界で娯楽作品を楽しむことは難しい。そして、それができる普通の人たちがうらやましい。
家族や友人にはふつうに話せるのに接客になると急にイライラし始める
仕事だから我慢しろといわれればそれまでだが、それでも対応した客が礼を言わない、後になってあれこれ注文を増やす
指差しだけで何も言わない、質問に答えない、あれこれそれしか話さないなどなど…何かと気に入らないことに遭遇する
始めのうちは我慢できるだがそれが積み重なるとふとしたときに軽い爆発を起こす
自分が変わるしかないと言われてもそう簡単に変われたら苦労はしない
今の職場が合っていないんだろうか
家族経営行ってのはある意味楽だが、その反面面倒なことも「家族だから」の一言で抑え込まれてしまう
周りが同じことをやっているのに自分だけ注意を受ける
少しの失敗に「できそこないの社会人」なんてボロカスに罵られて、その罵った相手が同じ失敗をしたときに「あっ、すまん」の一言で流された時は殴ろうかと思ったよ
どれだけ頑張ろうにも誰もほめてくれない、何かあればすぐに自分が疑われる
こっちがどれだけ言おうが聞く耳さえ持ってくれない、むしろ何でもかんでも後回しの事後承諾
周りをよく見ろなんて言っているがお前は俺の何を見て何を理解しているんだ
俺だから少々のことは我慢してくれるから大丈夫だろうと思われているのだろうか…俺だって人間だ
うまくガス抜きできればまた切り替えて頑張れるんだろうけど、このもやもやは当分抜けそうにもない
将来独立を考えての勉強も含めて、とある場所でバイトを始めたがそれも気に入らんらしい
こっちでの仕事も接客はあるがこちらはしんどいながらも今は楽しくてしょうがない
今はバイトなんで優しくしてもらっているのだろうけどイライラすることは全くない
客層、雰囲気、周りとの関係…少し違うだけでこうも大きく差が出るのかとつくづく思わされる
今の仕事を今すぐにないがしろにするつもりはないが…向こうはそう思ってないらしい
事あるごとにチクチク話題に持ち上げてくるのが腹立つ…
匿名という点、中々信憑性に欠けるものだと重々承知しておりますが、小心者の私をどうかお許しください。
またクリエイター奨励プログラムに関しては他の方々により多くの記事が作成されていますので、私の方からクリエイター奨励プログラムに関して一部省略する場合があります。
参考までに・・・
http://anond.hatelabo.jp/20120526042556
(※なおこの記事はクリエイター奨励プログラムが改正される前の記事なのでご注意ください。)
私は過去にボカロ楽曲のニコカラを作成していました(以下ニコカラはボカロ楽曲のものとして記述します)。
ある時からニコカラの認知のされ方、ニコカラ界隈のあり方が変わり始め、私は嫌気が指し投稿をやめました。
そのある時というのが2012年4月ごろからです。クリエイター奨励プログラムのスコア交換が始まったごろからです。
しばらくして私の気持ちが落ち着いて来ましたのでここに記事を残そうと思った次第であります。
またニコカラの観点からクリエイター奨励プログラムのお話があまり出ないというのもあります。
クリエイター奨励プログラムに100件ほど登録し、トータルで50万円ほど頂きました。
単純計算で1件5000円という額になります。しかし内訳を言いますとピンからキリまでです。
半分以上を占めるのが1曲(オンボーカル/オフボーカルで)2件でトータル30万円。
大元の楽曲の人気が爆発し、練習に使う方、歌ってみた生放送で使う方が増えたのが一因です。
その楽曲が10万再生を軽々と突破したのちにニコカラも追従するように10万再生突破しました。
一時期ボカロカテゴリのランキング上位にそのニコカラ2件とも入ったほどです。その月に1曲2件で15万円。
その後再生数の伸びが落ち着いてきたため次第に額は10万円5万円というように減っていきました。
ニコカラに使うフォントやエンコード用にパソコンを新調しました。
残りは生活費の一部に充てました。
早くできたニコカラほど視聴者を獲得し再生数を伸ばすことができる今です。
様々なツール、支援ソフトの普及、PCスペックの上昇などなど...によってニコカラが一時間掛からず出来てしまうのが現状です。
創作性のあるものを作ろうと思えばもっと時間は掛かりますが、ある程度作り方は決まっています。
有名Pの新曲が出る→動画・音源DL→歌詞起こし→タイミングの設定・入力→文字色など→動画に文字を乗せる→投稿。
曲に合わせて色とフォントを変える。それだけで違ったように見えるのです。そこに創作性はあるのでしょうか。
しばらくして上記のようなことが起こり2件で15万円。その他楽曲合わせ合計20万円を頂きました。
その2件、時給に換算したら・・・と考えてみると、こんな美味しい話はないなとその時思いました。
こんなに貰えるなら働くの馬鹿馬鹿しいなと考えたのも事実です。
ただある歌詞をワイプさせるだけのことなんて正直、誰でもできます。
暫くして月数千円となり、汗水流して働いて得たお金の大切さに改めて気づくようになりました。
ニコカラは許諾を取っていない又は事後承諾、黙認です。中には事前にしっかりとお話を通している方も居ます。
またクリエイター奨励をしているかどうかは他の人には見えません。
ボカロPさん始め関係の方、どうかニコカラまで目をやってください。創作性の欠片もない物に作品の価値奪われていませんか。
ニコカラ使う方。そのニコカラはちゃんと許諾されているものですか。
ニコカラ作ってる人がどれだけ懐に入っているかは目に見えませんが、ある程度推測はできるかと思います。
子供を作るのは鬼畜の所業。それか馬鹿。http://anond.hatelabo.jp/20130613154103
はじめに言っておくと全面的に同意する。
ずっと自分も考えてきたことだった。
そのうえで、この「生まれない方がマシ」というこの主張は時代性というか、現代を体現しているように感じる。
なお、他の「生まれない方がマシ」言説として、学術レベルではこんなのがある。
http://www.amazon.co.jp/Better-Never-Have-Been-Existence/dp/0199549265
この人は比較的最近知ったのだが、2ちゃんねるでもスレが建てられるなど、徐々に認知度は上がってきているらしい。
あとシオランは有名だよね。
話を戻すと、はっきり言って,少しも異常な議論だとは思えない。
快を善とし苦を悪とする功利主義的前提を徹底すれば不可避的に行き着く結論だからである。
そしてこの前提、そして言うまでもなく「他者危害原則」が現代のスタンダードだからである。
他者危害原則は、普通は愚行権(「他人に迷惑かけなければ何やってもいい」)という話だが、裏を返せば「他人に迷惑かけることはしてはならない」ということでもある。そして、出産とは根源的な他者危害行為である。
すでにその一部を書いたところだが、根本的には「ネオリベ」。これに尽きる。
話は簡単である。
現代とは、社会の改良(福祉的な方向での)に対する希望がまったく失われた時代である。
というか“社会は存在しない”ので、そもそも改良することも、異議申立てをすることもできない。
こうして一切が「自己責任」となるなか、昨今の科学的知見は、遺伝子・幼少期の環境といった本人にどうしようもないレベルで「人生は運ゲー」というミもフタもない事実を、私たちに突きつけてくれる。つまり「自己責任」とは自由意志がどうのといった話ではないのである。
しかし、唯一これだけは私の責任ではないと主張できることがある。
もちろん、生まれたことである。
まずはこれがひとつ。
(なお、これに対し、「現に生きていることをもって出生の事後承諾とみなす」という主張が考えられる。裏を返せば「生まれたくなかったんなら、死ねば?」というわけである。しかし、自らの意志によって生まれたのでない者が、自らの意志によって死なねばならないとは甚だ不条理である。というか、この場合、死に方については論議できない。つまりその人が「大量殺人を犯して死刑になる」という死に方を選んでも文句は言えない。実際、この種の通り魔たちは<生まれない>という行為?に及んだのだと私は考えている。私のいう<生まれない>とは、あらゆる自発性・主体性・能動性の拒否であり、したがってその者は「生かされる」か「殺される」しかない)。
これはさまざまな要因が絡んでいるが、ぱっと思いついたものを挙げるとこうなる。
①個人化
③生活の具体性の消滅
最後のものだけ説明すると、人類は生まれてこの方、空間・時間を縮めることに専念してきたといえる。
少しでも速い移動手段を求めた。空間を均質化し、通信技術を発達させ、どこにいても同じように振る舞えるようになった。
あらゆる場所は「ここ」になり、あらゆる時は「いま」になった。
「いま、ここ」とやたら耳にするように、実のところ時と場所とが極限までに抽象化されてしまった。
ところがこの「私」とは主観的には唯一存在だが、客観的には「いま」「ここ」と同じくらい抽象的なものである。
つまり「私」にも何ら内実は伴わない。
自我の内実を埋めてくれる具体的な生活空間や経験は、多くの現代人には得がたいものになった。
やがて人々は「私」にウンザリし始めた。
思えば、多くの娯楽作品が「私の抹消」を描いてきたのは、偶然だっただろうか?
このテーマは近年になって伊藤計劃『ハーモニー』が完成させたのだが……私自身の話をすると、自分のなかの「モヤモヤした気持ち」を「生むという鬼畜外道の所業の発見」にまで至らせてくれたのは、ほかならぬこの小説であった。
本格的に入院したり自殺未遂したりで病院のお世話になり始めたのは7年くらい前、家に泥棒が入って生活費を15~20万程盗まれて精神的ストレスと恐怖感が増大してからだが(しかも犯人は親戚だったもんだから以下あとで)、私が小さな頃から元増田の日記にあるような性格傾向があったから、多分その頃から少しずつ病を得ていたんだろうと思う。
ただ元増田の家と状況が違うのは、弟は一時期色々あって大学を中退しながらも今は仕事しながら一人暮らしをしていることと、母親が中途の盲聾者ということだ。私が中学校位まではまだ少しは見えて聞こえていたのだが、今は全く。(でも母親の部屋には双子の子供がいて、それが何かを言っているのが聞こえているそうだ)目は網膜色素変性症、耳は高熱を出したことで突発性難聴で、私と弟が生まれる間に二つの病にかかったらしい。亡き祖母の話だが)
こういう状況だったから小さい頃から母方の祖父母と同居し、祖母が母親がわりに私の面倒を見てくれた。
祖父は賃貸業をやっているから(まだまだ元気な昭和3年生まれだ)ずっと家にいて、私は幸い寂しい思いをした事がなかったが、コロコロ変わる母親の機嫌に合わせるのが苦痛で、祖父母と折り合いの悪くなった父母と弟が一時期近所にある祖父の借家に引っ越した時も、私だけは祖父母の家に残って祖父母と一緒に暮らしていた。母は祖父母よりも遠い人間だった。
あんな女性にだけはなりたくない、としか思えなかった。
ヒステリックな母親の性格がどうしても好きになれなかった。「お母さんはかわいそうだから大切にしておやり」と祖母に言われて育ったが、私には無理だ、としか思えなかった。私が小さな頃はまだ補聴器を使えば音が聞こえていたが、中学の頃には聴力がほとんどなくなったから筆談しか出来なくなり、高校時代になると、視力もほぼ無くなったから、手のひらに指で文字を書かないと意思を伝えることが出来なくなった。
何かを相談しようにも、その過程を踏むのが面倒で、自分の進路を決める時は大概、家族には事後承諾だった。
高校も大学も第一志望を決めてから話をした。
幸い大学は第一志望には落ちたものの県外に出る事が出来た。祖母が土地を一つ売って事業に失敗した父親の借金を精算し、かつ私の入学費と1年生の間の授業料にあててくれたということを後で知った。2年からは授業料免除と奨学金とバイトで、家からの仕送りがほとんどない状態で大学に通えた。18切符で東京に行ってコミケに参加も出来た。
家に母がいない、家族の事を考える必要がない、ということがどれだけ気楽か。本当に幸せな時期だった。
ただ、私は地元に帰らねばならなかった。母親の面倒を見なければならないから。
やがて就職活動の時期になる。地元で就職先を探さなければならない。その時期から37~8度の微熱が続き、一日起きられないこともしばしばだった。今にして思えば多分、逃避行動でしかなかったのだろうと思う。そして時は折しも就職氷河期。
結局仕事の見つからないまま地元に帰り、とりあえずアルバイトで食いつないで公務員試験を受けよう、と思っていた時に、祖母にガンが見つかった。余命1年。
呆然とした。祖父と伯母二人と一緒に、入院していた病院に通った。母はその頃、自分の部屋に引きこもって、食事と風呂の時以外は部屋から出ないようになっていた。私には母の相手をしている精神的な余裕はなかった。祖母は手術をしたが体力がものすごい勢いで落ちていくのが傍目にも良くわかった。私はまだ何も恩返しをしていないのに。私の誕生日から2週間後にあっけなく祖母は逝った。
「お母さんの面倒を見てあげてね」というのが祖母の願いだった。しかし母との距離感を埋める努力すら、私はしようとしなかった。
私にとって母親以上に母親である存在だった祖母を亡くして、何もかもがどうでも良くなった時期に、前述した泥棒騒ぎが起きた。
母はしょっちゅう出歩くことが出来ないから、手元に生活費を持っていた。それをごっそり持っていかれて、恐怖と悲しみに泣き喚く母と一緒に私も泣くしか出来なかった。続けて2回。父親が金銭を管理するようにし、部屋に鍵を二つつけたが、母親は昼夜を問わず「死にたい」と大声で叫ぶようになった。部屋の中にマジックで「死ね」という殴り書きがあちこちでされた。
私は母親の変化を受け入れることが出来なかった。そして家にいることが苦痛になった。事情を知っている友人の家に入り浸るようになって、家に帰るのは2週間に一度という有様だった。
ある日たまたま家に帰った時。2階から父親が大声で私を呼んだ。母親の部屋に入ってみると血だらけだった。母は手首を切ってわんわん泣いていた。
見舞いに行くことすら苦痛だった。しかし投薬を始めて、母親の精神状態は嘘のように落ち着いた。最初はリスパダール頼みだったのが、徐々にいらなくなった。私は相変わらず家に近づくことがしんどいから父親に任せっきりにしていた。
後日わかった事だが、盗んだのは従兄弟だった。従兄弟の母親である伯母は、母の頼みで買い物に出かけたりしてくれていた。
何もかもうんざりだった。
…とりとめがなくなった。そんなこんなで私もパニック持ちだ。今もストレスがかかることがあると寝入りばなに死にそうな気持ちになって飛び起きるし、コーヒーを飲むと発作が出やすくなるからあまり飲まないようにしている。
20代の頃は早く死にたいと思っていた。
でも30代になって厄年を超えて、「とりあえず生きててもいいんじゃね」とちょっとずつ思えるようになってきた。
ちょっと前にも母親が首吊って死にそうになって入院した。鬱血した顔を見て泣けてはきたが、「母が生きててよかった」と思えるようになった。
私には元増田さんのような情の深さはないし自分かわいいし懐も広くはないから、母親を受け入れることは一生出来ないだろうと思う。父親には任せっぱなしで済まないと思うけど、なかなか家に帰れない。ごめん。
網膜色素変性症は遺伝の可能性があるから、私も発症するかもしれないし、子供に遺伝するかもしれないと考えると結婚&出産はする気がないけれども、人生の伴侶を見つけた元増田さんが羨ましいな~と思ってしまう。私、心狭いなあ。私の分も幸せになれよこんちくしょう!
でも人をうらやんでても自分は自分だからしょーがない。私は事情を知って受け入れてくれている友人に心から感謝するしかない。
私に生きる場所をくれた人だ。ここがあるから、私はとりあえず生きていようと思える。公務員にはなれなかったけれど、正社員でもないけれど、とりあえず働いて生きてる。働ける体がある。仕事とは別に一生続けられる技術も身につけた。
そしてオタクバンザイ。漫画とアニメとゲームと小説がなければ、私はとうに死んでいただろう。
死んでも世間的には害がないんだろうけど、ここで死ぬのはシャクだからもっと生きてもっと働いてもっと本読んでWEB見てゲームして遊ぶよ。
私には支えてくれるものがたくさんある。けれども母にはない。今年は私にとっては正念場だ。後悔したくないからちょっとだけ頑張ってみる。
母の世界は、母の中にしかないのだ。目を閉じて耳を塞いでも、目も見え耳も聞こえる私では想像出来ない世界に母は住んでいるのだから。
それを肝に銘じておかないといけないなあと思う。
人格者にはなれない人間が、過去を整理するためにつぶやいてみた。
…こうやって並べてみてみると、自分本当にキャパ狭いな…。だから増田で書いたんだが。
ごめんねばあちゃん。頑張ってもう少しだけ母親に優しくしてみるよ…出来るといいなあ。
ほっといたけど気にはなっていたので、色々見て回ってみた。
肯定派否定派入り混じって議論してるけど、
やはりどうにもこのサービスについては賛同できない。
肯定派の諸君はこのサービスに来るべき未来を垣間見てGoogleを褒めちぎり
否定派を見ては「感覚が古い」「日本人特有の閉鎖的メンタリティは醜い」とか言ってるけど、
なんだか宗教みたいで気持ち悪いですね!
僕の信じてる神様はこんなにすごいんだぜ!はぁそうですか。侮辱したな教化してやる!!
どこの十字軍だ。
そもそもGoogleって信頼するに足る相手じゃねーだろ。
企業なんだから根っこはマイクロソフトやらライブドアやらと同じ。
便利に使えるものは便利に使わせてもらう、程度の扱いで十分っつーか
そーゆー扱いをしないといかんと思うんだけど。個人としては。
いくらお得意様扱いされてる店に行ったからといって、店員さんにすすめられたからって
何でもかんでも買うわけにはいかないでしょ?
「こいつこのあたりに出没する可能性があるんで、広告だしましょうか?」って売り込むかもしれない。
(頭の悪い僕には良くわからん仕組みをもって)検索結果に反映させたりも出来るだろう。
Googleを使う限りは、だけれども、ストリートビューを使うことでどんどん僕らが得うる情報の幅を
「利便性」の御旗の元に狭められてくってわけだ。
アカウントを使ったときの検索結果を、過去の検索履歴とかで操作とかはもうやってるから、
これは既に実装されているかもしれない。
つまりは、自分自身の情報(名前やらアドレスだけでない、行動履歴)を売り渡してるも同じなわけで。
まーこれまでもそうだったんだけど、
今度のは現実空間を挨拶もしないで激写しまくって公開しまくるっつー
いくらなんでも暴挙だろそれはって感じなわけです。
これまでだと「Google使わなきゃいいじゃん」で済んだ。
これってすごいことよ?稀だけど、自分のことをビックブラザーGoogleが既に知っていて、
自分でお伺いを立てないと削除もしてくれない。自分自身のことなのに。
自意識過剰とか、そういう問題ではない。
最先端の情報を収集してるスマートですばらしい皆さんにとっては当たり前のことなんだろうけど、
Google使ってない人や、GoogleどころかPCもつかってない人(携帯オンリーの子供とか)にとっては
受け入れる下地もなにもあったもんじゃない。
知っていれば、進んでいれば、実験的であればなにをやってもいいのか?
事後承諾、事後承認されればいいのか?できちゃった結婚肯定派か。
よくわからんくなってきたけど結論。金持ってりゃ何やってもいいんだなってのが分かったのは今回得た知見。
あ、でも、ストリートビュー問題のおかげで、いろんな情報がGoogleに集められていることが
より多くの人に身体的感覚を伴って浸透した(しそう)ことは、いいことなのかもしんない。
それはそーとプログラマとかはストリートビューにすごく好意的だけど、
ソースコードの自由さえ担保されてたらなんとも思わんのかな。